第22話 感染していく世界


 城下町を歩く住民の肩がぶつかり合った。


「ああ、すみません」

「おい、お前今わざとだろ」

「え? いや、まさか。ちょっとぶつかっただけです」

「いいや、わざとだね。お前、俺を怪我させたかったんだろ。そうなんだろ」

「すみません。急いでいるので」

「おい、逃げる気かよ!」


 男が男の胸倉を掴んだ。


「俺を傷つけようとする奴は絶対許さない!」

「おい、落ち着けよ……!」


 男が飴を口に入れ、そのまま呑み込んだ。そして――皮膚と筋肉が膨れ上がり、姿を変えた。ぞっとした男が、悲鳴を上げた。


「うわああああああああああああ!!!」


 電話の連絡を受け、ニクスが受話器を取った。


「もしもし? おばさん、急ぎの用事だって聞いたけど……」

「ああ、それがね、もう大丈夫なの」

「え? そうなの? ああ、良かった。珍しく焦ってる様子だったって聞いたから、どうしたんだと思った」

「ニクスは願い事ってある?」

「え? どうしたの? 急に」

「願いが叶ったの」

「それはおめでとう! へえ! 願いって何?」

「気持ちがね、とても幸せになれるのよ。ニクスも舐めるといいわ」

「……舐める?」

「そうよ。幸せの飴よ」

「飴……?」

「飴を舐めると願いが叶うの。みんな幸せになれるのよ。あの人からいただいたの」

「おばさん」

「ニクスも舐めるといいわ」


 笑い声が聞こえる。


「これを舐めたら、願いが叶うのよ!! あはははははははは!!」


 ニクスが受話器を強く置いた。走り出す。何も持たずに躊躇なく学園から逃げ出した。そして、驚いた。町中、悲鳴が飛び交っていた。


「何が……起きて……!」

「待ちやがれ!」

「やめろ! やめてくれ! ……うわあああああああ!!!」

「助けてー!」

「ひゃはははははは!!」

「これは……そんな……」


 ニクスが悲惨な城下町を見て、走り出した。向かうのは――ブランド・チェシャ。


 ドアが叩かれた。アリスが返事をする。


「はーい」

「アリス、いるかい」

「はいはい、待ってください。よっこいしょっと」


 アリスがドアを開けた。上司のガットが笑顔で立っていた。


「ご注文ですか?」

「アリスには願いはあるかい?」

「は? いきなりなんですか? 願いですか? そりゃあ、願い事だらけですよ。まさか、願いを叶える帽子をご注文とか、言わないですよね? そんなの思いつかないですよ」

「おお、それはいい。思いつかないなら良いものがあるんだ」


 ガットが差し出した。アリスは眉をひそめる。


「この飴を舐めるといい」

「……いや、ガットさん。袋に包んでるとかならわかりますけど、生って……」

「アリス、美味しいよ。舐めてごらん」

「いや、結構です。いらないです」


 アリスがドアを閉めようとして――ガットがドアを破壊した。アリスが目を見開く。ガットの腕が、あり得ない方向に曲がっている。


「え!? ……えっ!?」

「飴を舐めるんだ。アリス」

「はあ!? 何言ってるんですか!?」

「飴を舐めなさい。アリス」

「ジャックの仕業? これは……悪夢?」


 アリスが後ろに下がる。鉛筆で自分の手を突き刺してみる。


「痛いっ!」

「アリス、飴を舐めるんだ」

「え? 現実……? なんで……? だって、あり得ない。現実で……でも……確か……ニコラの時に……」

「飴を……」

「っ!」


 アリスの腕が掴まれ、無理矢理振り向かされる。ガットの目が薄く開かれた。


「飴を舐めるんだ! アリス!」


 ――後ろからニクスが持ってた壺でガットを殴った。壺が割れ、ガットがその場に倒れる。アリスが力なく座り込むと、ニクスが手を差し出した。


「アリス!」

「兄さんの時と一緒……。皮膚が動いて……ありえない姿になって……また……また現実で……起きるなんて……!」

「さあ、立って! 早く!」

「あ……あ……!」


 アリスが震える手でニクスの手を掴み、弱々しく立ち上がる。ニクスと走って店から抜け出した。向こうに襲われている人がいる。馬車が暴走する。事故が起きる。火事になる。ホームレスが雨を舐めた。皮膚が蠢き、姿を変えて狂暴化する。人々は逃げ出す。パニックになる。ニクスがアリスを引っ張り、城下町の外れに向かって走っていく。


「ニクス! どこに行くの! みんな、教会に向かってるわ!」

「教会は駄目だ! エメラルド城も門を閉じてる!」

「なら……」

「大丈夫!」


 ニクスがドアを叩いた。


「ビリーさん! 開けてください!」


 ビリーがドアを開けた。青ざめた顔のニクスとアリスが息を切らしていて、ビリーが顔をしかめた。


「どうした」

「中毒者が!」

「何?」

「城下町で……急に……大量に現れて!」

「キッドはどこ!? いるの!?」

「……二人とも入りなさい」


 ビリーが二人を中に入れてから、辺りを見回し……頑丈にドアを閉めた。


 緑の魔法使いがいなくなった今、城下町を守っていた壁は消えた。オズが歌う。踊ってみせる。エメラルド城の屋根の上で、城下町から飛び交う悲鳴を聞いて、恍惚とする。


「そうそう。これこれ」


 オズが微笑む。


「これなんだよ。求めていたのは」


 オズがスキップした。


「世界が終わる」


 ようやくだ。


「世界は終焉へ向かう」

「そして」

「わらわは」


 スキップする。


「家に帰れる」



 人々の悲鳴が飛び交う――。



(*'ω'*)



「……テリー、起きなさい」

(……やば……。熟睡してた……)


 既に夕日が沈みかけている。半日眠っていたようだ。夜眠れるかしら。ママに肩を叩かれ、ようやく起きる。


「ついたの?」

「早く荷物を持って船に乗りなさい」

「……は……?」


 馬車が到着したのは港だった。あたしは辺りを見回す。


「何? どういうこと?」

「事情は後よ。避難する使用人たちも家族を連れて後から島に来る予定だから」

「避難? ママ、言ってることがわからな……」

「荷物を持って」


 ママがそれだけ言って、鞄を持ちながらセイレーン・オブ・シーズ号に向かって歩き出した。外から慌ただしい音が聞こえる。サリアが外から馬車の中を覗き込んだ。


「テリー」

「サリア、どうしたの? なんで港に……」

「城下町が危険だと」

「どういうこと?」

「歩きながら話しましょう」

「サリア! 急げ!」

「さあ、テリー」


 サリアが手を差し出した。


「行きましょう」

「……」


 あたしはドロシーの血が付いた制服を着たまま、サリアに連れられて歩き出す。港には多くの人間が集まり、抗議していた。船に乗れないってどういうこと!? 頼む。助けてくれ! 町には戻れない!


「サリア、キッドは?」

「城下町へ」

「リトルルビィとソフィア……さんも?」

「ええ」

「何があったの?」

「わかりません」

「わからないの?」

「良くないことが起きているのは確かです」


 ただ、


「私も状況が、全くわからないんです」

「ピィ!」

(あ)


 リオンのペットの幸せを呼ぶ青い鳥のぴぃちゃんが、あたしの目の前に飛んできた。


「あんた、ここで何やってんの?」

「ピィ」

「テリー、足に文が……」

「あ……」


 あたしが文を外すと、ぴぃちゃんが空へ飛んでいった。


「ピィ!」

(……リオンからだわ。一体何が……)


 あたしは目を見開いた。


 ――ドロシーの死により、城下町を守ってた壁がなくなった。

 よって、中毒者が大量発生している。

 城下町は呪われた。

 君はメニーと共に、カドリング島へ避難するんだ。


 今行かないと、戻れなくなるぞ。



「……」


 あたしの足が止まった。サリアが慌てて振り返る。


「テリー!」

「……なんで……こうなるの……」


 手が震えてくる。


「戻る……」

「いけません!」

「クレアが残ってる」

「テリー!」

「城下町に、クレアがいるの! クレアを置いてはいかない! クレアだけは……絶対に残していかない!」


 あたしが馬車に戻ろうとすると、サリアがあたしを引っ張った。


「テリー!」

「離して! サリア!」

「いけません! テリー!」

「戻る! あたしは戻る!! 城下町に戻るの!!」

「サリア! ……テリーお嬢様!」

「ロイ、手伝って!」

「やめて!」


 ロイとサリアがあたしを無理矢理引っ張る。


「なんでよ! なんで置いていかなくちゃいけないのよ!」


 手を伸ばす。


「クレアに会わせて!」


 引っ張られる。


「ニクスも、アリスも、まだ、じいじも、城下町に、だから! だから!!」


 ――強い力で、肩を掴まれた。振り返る。――クルーのマチェットが、あたしを見下ろしていた。


「……地上から離れます。早く乗りなさい」

「……乗らない。あたしは……!」


 マチェットがあたしを引っ張った。


「マチェット! やめて!!」

「インカム失礼します。全員乗りました」

「マチェット!!」


 船が離れる。港に集まる人々が叫ぶ。お願いだ。乗せてくれ! 頼む!! 乗せてくれーー!!


「まだ戻れる! クレアが城下に向かったの!」

「無理です」

「お願い! 早く船を戻して!」

「できません。マチェットには権限がありません」

「いいから戻して!」

「テリー」


 サリアがあたしの肩を抱いた。


「あたしは戻りたいの! 船を戻して! 今すぐ! 早く!」

「できません」

「マチェット! 船を戻しなさい!!」

「この船はカドリング島と隣国に行き、もう戻りません」


 あたしは一瞬、思考が停止した。


「……港に残された人達は?」

「あのままです」

「メグさんは?」

「運の良いことに、乗らせて頂いてます」

「あんたの家族は?」

「家に残ってます」

「友達は?」

「残ってます」

「あんたはそれでいいわけ?」

「異変が起きたのは早朝です。突然……呼んだとしても……来られません」


 港はどんどん離れていく。


「部屋にご案内します」

「……」

「……さあ、テリー」


 サリアがあたしに優しい声をかける。


「行きましょう」

「……」

「案内をお願いします」


 マチェットが頷き、あたしの部屋へ連れていく。サリアが荷物を置き、ベッドに倒れるあたしに訊いた。


「テリー、お腹空いてるでしょう。食事を頼んでおきます」

「……いらない」

「……モニカ達に顔を見せてきます。久しぶりですから」


 サリアが部屋から出ていくと、廊下にアメリアヌとメニーがいた。アメリがサリアに声をかけた。


「サリア、テリーは」

「今は……」

「……キッド様、城下町だっけ?」


 サリアが頷くと、アメリが険しい顔をした。


「……そうよね」

「お姉ちゃん」


 メニーが大声を出した。


「入ってもいい?」

「……」


 サリアとアメリが見つめる。あたしはメニーを手招きした。メニーが二人を見て、頷き、ゆっくりとドアを閉めた。あたしのベッドに歩いてくる。


「……テリー」

「リオンから文が届いた」

「うん」

「……状況は?」

「……ドロシーがいなくなったことで、ドロシーが張ってた壁みたいなものが消えちゃったんだって」

「……それで?」

「オズは、その壁が……多分、結界みたいなものだと思う。今まではそれがあったから、好き勝手出来なかった。きっと呪いの飴も、慎重に渡し回ってたんだと思う」

「……」

「だから、今、城下町は完全にガラ空き状態で、オズの好き勝手に出来ちゃうの。願いを叶えたい人なんて山ほどいる。幸せを祈る人なんて口から吐くほどいる。……中毒者が大量発生して、エメラルド城も窮地に追い込まれてる」

「……」

「テリー、わたし達が例え戻ったとしても……足手まといになるだけだよ」


 だからね、


「わたし達は……安全な場所に逃げよう」

「……」

「……テリー」

「……怒っていいのよ」

「怒る?」

「あたしのせいだって」


 あたしがあの時、何としてでも避けてれば、


「無理だったよ」

「……」

「だって、リトルルビィも、わたしの魔力も、絶対間に合ってなかった。あのままだったら、テリーが殺されてた」

「でもそのせいで、ドロシーが死んだ」

「……」

「わかる? ……死んだのよ。あたしを庇って」


 あたしはうずくまる。


「犬死によ」

「……テリー……」

「怒ってよ」


 メニーがベッドに乗り、あたしを抱きしめた。


「やめて」

「大丈夫」

「触らないで」

「大丈夫」


 メニーがあたしを強く抱きしめる。


「大丈夫。テリー」


 あたしはメニーに顔を見せないように、枕に顔を埋めた。絶対に見せてはいけない。貴族は強いの。あたしはお前の姉なの。強いの。だから、見せてはいけないの。


 濡れる枕に、気づかれませんように。


「クレアさんが城下町に向かった。リトルルビィも、ソフィアさんも、リオンもいる。……大丈夫。まだ希望はある」

「希望は眠ったわ。夢も、希望も、全部眠った。もう二度と、起きることはない」


 お休みなさい。夢と希望。


「もう……二度と……起きてこない……戻ってこない。アルテも……あいつも……!」

「……。……? ……っ」


 メニーが驚いたように起き上がった。だが、あたしは振り向かない。メニーが息を呑んだ。


「テリー」

「……何」

「それ、いつから持ってたの?」


 あたしは瞼を上げた。


「持って……なかったよね?」


 あたしは顔を上げた。





 星の杖を、持っていた。




「……」

「ドロシーの杖」


 メニーが杖に触れた。触れる。


「テリー、これ……」

(……なんで)


 あたしも触れる。握れる。


(こんなの持ってこなかった。そもそも、ドロシーの手にもなかったはず……)


 あたしは杖を見つめる。


(ドロシーの杖……?)


「それとね……テリー……落ち着いて聞いてほしいの」

「なに……」


 あたしはメニーに振り向き……眉をひそめた。


「うん。あのね……ゆっくりイメージして」


 あたし達が乗るベッドが、宙に浮いていた。


「何」

「ゆっくり下りていくイメージをするの」

「ちょっと、メニー、やめて。下ろして」

「違うの。テリー、あのね、これは、わたしじゃなくて……」

「下ろして!!」

「テリっ……」


 ――ベッドが地面に落ちた。あたしとメニーが悲鳴をあげた。ドアが開かれた。


「ちょっと何してるの!?」


 アメリが部屋を見て、唖然とした。


「ちょっと……テリー! また発狂してメニーに当たったわけ!?」


 ――グチャグチャに家具が倒れた部屋に、アメリが怒鳴り、すかさずサリアが入ってきた。


「テリーお嬢様!」

「あ、あたし……あたし……」

「テリー」


 背中に杖を隠すあたしの耳にメニーが囁く。


「イメージして。杖は必要ない」

「……」

「杖は必要ないから消えていく。ゆっくりと、消えていくの。イメージして」

「……」

「杖が消えていく。……消えていく」


 ……杖があたしの手から消えた気がした。メニーがあたしの手を握る。


「……そう。それでいいの。上手だよ。テリー」

「テリー、大丈夫です」


 サリアがあたしを抱きしめた。


「落ち着いて。もう大丈夫。私がお側にいますから」

「……」

「大丈夫。……大丈夫。……落ち着いて……」


 サリアに抱きしめられながら、あたしはメニーを見る。メニーが窓を見る。あたしも窓を見る。……窓に反射されたあたしの瞳が、緑色に光り――ゆっくりと元の色に戻っていった。


 日が落ちていく。

 海の波が揺れている。



 魔力を持ったあたしの手が、サリアをそっと、抱きしめ返した――。







 十章 お休みなさい 夢と希望(後編) END

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