第14話 闇から響く泣いた声
白い岩で出来た険しい道が続いている。古びた縄の橋がかけられ、そこを渡っていく。崖になっているので、落ちたらひとたまりもないだろう。
天井が見えない。地面も見えない。また白い岩の地面に出て、また縄の橋を渡っているうちに、気づいた。下に向かっている。だんだん薄暗い底が見えてきた。
きっと上から落とされたであろう大量の糸車が、山のように積まれている。
(……あ)
壁を見る。自由な落書きが描かれていた。
(クレヨンなんか……買わなきゃよかった)
初日にやった自分の行いに後悔しながら、その先を進んでいく。やがて橋ではなく、階段のあるところに出た。白い岩の階段が続き、下りては道を進み、また下りていく。
地面まで下りると――大きな祭壇が備え付けられていた。
(……また祭壇)
振り返ると、植物の囲いの中に、広い広い土地。地下の庭にも見える。そこに、大きな墓石が建っていた。古代文字で彫られている。
――我らが愛した王、ここに眠る。
――我らが愛した王妃、ここに眠る。
(王家の墓。……亡くなったら城の地下に埋葬されてたのね。……あたしは……花に囲まれた墓場が良いわね。テリーの花に囲まれてるの。ロマンチックだわ。あたしが寿命で死んだらそうしましょう。……正直、死刑場じゃなければなんでもいいかも)
植物の囲いを回ってみる。
(人の気配がない……)
違うところにいるのかも。引き返そうか――。そう思ったあたしの足が何かを踏んだ。
「っ」
――クレヨンだった。
(……まだ新しい)
顔を上げる。奥まで道が続いてる。
「セーラ?」
あたしの声が響く。返事はない。
「セーラ!」
あたしの声が響き渡る。返事はない。
「……」
奥を歩いてみる。――またクレヨンが落ちていた。
(……ここに来たんだ)
あたしはまた進んでいく。――クレヨンが落ちている。
(セーラ)
足を動かす。――クレヨンが落ちていた。
(どこなの)
大股で進む。――クレヨンが落ちている。
(セーラ……!)
クレヨンが落ちている。
「セーラ!!」
――唸り声が聞こえた。
「……」
あたしの足が止まった。奥から、唸り声のような音が聞こえる。
「……」
あたしは固唾を呑んだ。
「……」
ゆっくりと――歩き出す。
唸り声が聞こえる。
唸り声が近づいてくる。
人間の声ではない気がする。
あたしは近づいていく。
確実に近づいている。
あたしは深く息を吸った。
近づく。
あたしは深く息を吐いた。
近づく。
見つけた。
「……行き止まり……?」
岩で塞がられた壁があった。音はここから聞こえる。あたしは近づいてみた。そこで気付いた。
(……風の音?)
風が、岩の隙間から吹かれている。その音が響いているようだ。
(何よ。びっくりした……。驚かせないでよ)
あたしは辺りを見回した。クレヨンはもう落ちていないようだ。クレヨンは落ちてなかったのだが、
(……ん? 何これ)
近づいてみる。――変わった模様の櫛が落ちていた。
(……櫛?)
あたしは手を伸ばす。
(変な模様)
拾った。
「見つけた」
茨のない道。
「ようやく……ようやく見つけた!」
皺だらけの手で壁に触れ、もろくなった足を動かした。
「ターリア姫様、カリスが……戻りました!」
「グロリア先輩、帰りが遅くなってごめんなさい!」
「陛下……王妃様……カリスは、戻ってきました!」
「戻ってきたのです!!」
入ろうとした時、――遠くから巨人の声が聞こえた。
「やめろ! 木を切るな! ハープを返せ!」
次の瞬間、天から巨人が降ってきた。巨人が地面に落ちると、その衝撃で地面が大きく揺れた。老いた体がその場に座り込んだ。しかし、逃げなければ。老いた体を必死に動かしたが――上から岩が降ってきた。
「ひい!」
もろくなった足を動かして、もろくなった腕を伸ばして、なんとか逃げようとした。けれど、大きな岩が降ってきた。目を見開き、悲鳴を上げた。
きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――!!!
入り口は、岩で塞がれた。
生き埋めになった腕が、だらんと垂れた。
その手から、櫛が地面に滑り落ちた。
鼻血が垂れた。
「……」
あたしは鼻を押さえ――櫛を見た。
「……」
振り返る。岩で道が塞がられている。向こうからは、風が吹いているようだ。
(……セーラは……いないみたい)
あたしは櫛をポケットに入れた。
(いつまでもここにいても仕方ない。……あの部屋に行ってるかも……)
鼻血をすする。
(戻ろう)
――遠くから電話の音が鳴った。
「っ!」
電話の音が響いている。
「……」
あたしは――ゆっくりと――その音の方向に向かって歩き出す。墓地に出る前のちょっとした窪みに、電話機が備え付けられていた。
「……」
受話器を取り、耳にあてる。
『……ずっと……探していたの。地下のどこかに、外に通じる、抜け穴があるって、先輩から聞いたことがあった。国が戦争になった時とか……いざという時の脱出口だって……訊いたことはあったけど……噂程度だったし……何度も探したけど……見つからなかったから……でも……偶然……迷子になった近所の子供を捜しに行った時……私も迷ってしまって……日が落ちて……ひたすら進んでいたら……壁のようなものがあって……脱出口があった。本当に……存在した』
「……」
『茨も、ここまでは伸びてなかった。ここからなら中に入れると思った。私、皆と共に城で眠ろうと思った。ターリア姫様のお部屋で、あの方の隣で、私のせいで呪われた姫様のお側で死のうと思った。でも、――突然、巨人が降ってきて……地震が起きて……!』
岩が、落ちてきて――。
『逃げられなかった……』
外と中の中途半端なところに挟まれて、
『ずっと……』
時が流れ、
『……ずっと……』
魂は挟まれたまま。中にも入れず、外にも出られず。
『……髪飾りが……盗まれた……』
「……え?」
『あれは……ターリア姫様のデビュタントに必要な物なの。だから……返してもらおうと思って……』
「……髪飾りって?」
『墓地の祭壇には髪飾りを。……玉座の間に通じる祭壇には……王冠を……』
――電話が一方的に切られた。
(……髪飾り……?)
――……今夜、忘れないように……いつも持ち歩いてる枕を入れてるバッグがあってね? その底に……髪飾りを……入れてたんだ。この城に戻そうと思って。そしたら……なくなってて……。
――……いや、穴も空いてなかったし、それこそ……放課後、クラブさぼって探したんだけど……どこにもなくて。
(……まさか)
今朝の糸車の授業。アルテが枕を使って居眠りしてた。あたしはメニーに問い詰められてメニーを見ていた。クレアはリトルルビィと口論してた。みんな糸車に集中してた。
――アルテの近くの糸車に、セーラがいた。
(アルテのバッグから髪飾りを盗んだわね!?)
綺麗なものを見つけたらすぐに手を付けたがる。
(あんの小娘!! 人がよそ見してる間に!)
そういえば教室に戻ってきた時、妙にそわそわしてた。トイレに行くって移動して、しばらく戻ってこなかった。
(……これはクレアに報告よ。絶対報告してやる。あの子のお母様に言ったらヒステリー起こすだろうから黙ってあげるけど、クレアには言おう。絶対言おう。そしてみっちり説教よ。あのクソガキ、覚えてやがれ! どこまでアルテが気に入らないのよ! ただの居眠り令嬢じゃない!)
そうとわかったらあの部屋へ戻ろう。ここにいないことは確認できたのだから。あの部屋にいなければ、また次を考えよう。
(全く、どこまで人に面倒かければいいのよ! 成長してると思ったら、全然じゃないのよ!!)
階段に向かって歩いていると――階段の下に、箱が転がっているのが見えた。
(……あれ、さっきは気づかなかった。あの箱……)
――すぐ側に、カエルの髪飾りが転がっていた。
(……クレヨンといい、髪飾りといい、逃げた際に落としたみたいね。よっぽど慌ててたと見える)
髪飾りを拾う。
(ただ……アルテも気味が悪いから城に戻しに来たって言ってたし……盗んでたことは黙っててあげようかしらね)
『墓地の祭壇には髪飾りを。……玉座の間に通じる祭壇には……王冠を……』
あたしは振り返る。墓地に、祭壇が置かれている。……窪みがある。何か置けそう。
「……」
アルテの髪飾りを置いてみた。すっかりはまった。
「っ」
爆発するような音が聞こえて、慌てて振り返る。――塞がられていた道の方からだった。
(……何の音かしら)
念のため――確認しようと、あたしは再び歩き出し、来た道を戻ってみた。すると、見事に岩が外に投げ飛ばされていて、森が広がっていた。
(外)
あたしはそこから出てみる。木々が揺れている。月が夜空に浮かんでいる。
(何か……トラップが発動して……岩が退けられた……とか?)
地図を広げてみる。古代文字で見つける。脱出口。下矢印。隣村。
(……なるほど。隣村に通じてるのね。……電話の相手も、そんなこと言ってたわね)
あたしの脳裏に、ふとよぎる。――このまま一人で隣村に避難し、ママ達に連絡し、外の人達にこの学園のことを通報することができる。――だけど、すぐに否定の考えに至った。誰が信じる。信じてくれるクレアは、結界が壊れるのを学園で待ってる。アルテやトゥーランドットがあの部屋で待ってる。サリアがどこかにいて――セーラもまだ見つけてない。
でも、逃げる事なら出来る。今なら一人で逃げることが出来る。
(……逃げても解決しない)
サリアは戻ってこないし、きっと――メニーもクレアも――戻ってこなくなる。
(……戻ろう)
あたしは再び暗闇の通路へと戻っていった。あたしが戻ると、突然岩が降ってきた。
(うわっ!)
また塞がられた。
(……まさか、これ、トラップ? ×はついてるけど……何がトラップかもうわかんない……)
ま、でも別に外には用はないし。
(戻ろう。……戻るしかない)
再び来た道を戻っていく。再び墓地に歩く。もう用なしの祭壇の横を通り過ぎる。あたしの足が階段の一段を踏んだ。
「道をさまよう子羊よ、貴女の夢を叶えましょう。朝は太陽神ソーレに祈れ。夜は月神ルーナに祈れ。薔薇のような愛しき姫よ。塔の頂点に君臨せよ。未来は貴女が握ってる」
あたしは祭壇に振り返った。
メイドが祈りを捧げていた。
「ごめんなさい。……ごめんなさい……」
メイドの肩が震えている。
「でも……ターリア姫様の為なの……」
メイドが――顔を上げた。
「こうしないと……カリスが戻ってこないの……」
あたしを見た。
「生贄に捧げないと……私の親友が……蘇らないのよ!!」
あたしは階段を駆け上がった。
「ごめんなさい! 捧げてしまってごめんなさい!!」
腐った顔のメイドが腐った目からウジ虫と涙を落とし、追いかけてきた。
「ごめんなさい!! 殺してしまってごめんなさい!!」
あたしは走る。メイドがすごい速さで追いかけてくる。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「っ!!」
――ポケットから櫛を落とした。
「あっ……」
拾おうと振り返ったが、すぐそこまでメイドが来ていた。
「う、あ……っ……」
あたしは櫛を諦め、走り出した。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
あたしは必死に走る。墓地から音が聞こえた。あたしは思わず――見てしまった。さっきまで歩いていた地面から――腐った手が出てきて、体が出てきて、腐った体を動かして――崖を上ってくる。
あたしを追いかけてる。
「……っ!!」
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
あたしは縄の橋を渡る。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
メイドが追いかけてくる。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
死体が追いかけてくる。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
(あと少し!)
あたしは最後の橋に足を付けた。
(走れ!!)
橋の縄が切れた。
「えっ……」
――落ちた。
「……っ……」
――あたしは悲鳴を上げ、地面に落ちていく。誰も助けに来ない。闇に落ちていく。あたしは手を伸ばす。誰も来ない。クレアは来ない。
あたしは地面に転がった。
「……」
――生きてる。
「……げほっ……げほっ……」
あたしはゆっくりと起き上がる。
(あたし……まだ生きてる……?)
顔を上げる。
(生きてる)
死体達に囲まれていた。
「……っ」
腐った目達があたしを見下ろしている。
「……、……、……」
あたしは声が出せなくなり、その場から動けなくなる。死体達が近づく。あたしを囲む。死体の手が、あたしに伸ばされた。
「………………………………………」
手が――近づく――。
櫛を、差し出された。
「落としましたよ」
腐った口が、腐った声を出した。
「カリスの櫛です」
死体が言った。
「カリスが……よく姫様の髪の毛に使っていた櫛なんです。姫様も一目見たら……誰のものか、わかることでしょう」
「……」
「持って行ってあげてもらえませんか?」
「我々は……ここから動けない身なので」
あたしは死体達を見た。……全員、使用人の服を着ていた。
「怪我はありませんか?」
「あの橋、もう何年も前のものなんです。いつ切れてもおかしくなかった。それを……走って渡ろうとするなんて……自殺行為です」
「貴女が無事で良かった」
「どうか……彼女を責めないであげてください」
泣いてるメイドの背中を腐ったメイドが撫で、慰めている。
「カリスを失って悲しんだのは姫様だけではない」
「彼女は……カリスと仲良くしていた友人だったんです」
「グロリアも……大切な後輩を失って……それはそれは……悲しんだことでしょう」
「だから……姫様を止められる人が……誰も居なかったんです」
「姫様はカリスの言葉であれば聞いたでしょう」
「してはいけないことをしてきました」
「姫様だってわかっていたはずです」
「あの魔法使いの言ってることが信用ならないと」
「けれど……他にどうしようも出来なかったんです」
「我々を助けられる手段が……他になかった」
「姫様はとてもお優しくて……常に我々のことを想ってくださっていた。全ての責任を背負ってくださった。まだ……16歳だというのに……」
「なんてお労しい……」
「我々はそんな姫様を止めたかった」
「しかし、姫様を止められるのはカリスだけだ」
「カリスを蘇らせるしか、姫様を止められる方法はなかった」
「けれど、カリスが蘇る事は無かった」
だって、カリスはもう死んでいる。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……」
「謝らなくていいわ」
「そうよ。貴女は生贄になった私達をここに埋めてくれたのだから、それだけでも十分な弔いよ」
「お願いがございます」
「我々の大切な姫様を止めてください」
「カリスしか止められないのです」
「姫様に届けてください」
櫛を差し出される。
「姫様は、解放されるのを待っている」
「姫様は、カリスを待っている」
「どうか、お願いです」
「ターリア姫様をお止めください」
あたしは――櫛を受け取った。
「姫様のお髪の毛はほんっっとーにお綺麗です。櫛をさしても、ぎこぎこはしません。すーーーって通っていくんです! いや、これすごいんですよ! お綺麗な証拠なんですよ!」
「カリス! 姫様の前でなんて話をするの!」
「ひぇっ! ごめんなさい! 先輩!」
「うふふふ! いいのですよ! グロリア!」
「でもっ!」
「わたくし、カリスのお話が大好きなの」
可憐な瞳があたしに振り返った。
「カリス、もっと面白いお話を聞かせて? わたくし、カリスの声が聞きたいの」
「ええ。ええ。もちろんですとも。ふひひ! 姫様が望むのならば、カリスはいつだってどうでもいいお喋りをしますとも!」
「調子に乗らない!」
「あははは!」
「姫様、デビュタントではお綺麗なドレスを着て、お綺麗な殿方と踊りましょうね。大丈夫ですよ。姫様のために作った髪飾りはカリスが保管しているんです。カリスは自分のものをよく失くして、先輩に叱られてるんですけどね? もう、姫様のものとなったら、カリスは絶対になくさないように、見えるところに保管してますからね。大丈夫ですよ。当日はもう、カリスにお任せください! 髪が乱れたら……」
あたしは櫛をその方に見せた。
「カリスの櫛で、ちょちょって整えてさしあげますからね!」
「ええ。その時はお願いしますね」
「お任せください!」
グロリアがやれやれと顔を押さえ、あたしと姫は、大きな声で笑い合う。
「ふひひ!」
楽しくて、幸せで、仕方がない。
大切な、――わての――ターリア姫様。
「……」
倒れた体。動けなくなった体。桃色の瞳が、ゆっくりと閉じられていく。
最後に見えたのは――彼女の笑顔であった。
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