第21話 ハンカチの刺繍


 柔らかい手が頬を撫でてくる。あたしはくすぐったくて顔をしかめた。頭を撫でられる。あたしの顔の力が緩んだ。瞼に何か当たった。あたしは眉をひそませた。胸元に頭を押し付けられた。あたしは仕方なく両手を伸ばして抱きしめてあげた。


「めにー……」

「テリー……」

「あんたほんとに……しょうがない子なんだから……」

「大好きだよ。テリー……」

「よしよし……」


 ドアが開く音が聞こえて、あたしは顔をしかめる。


「あ……やだ……あと五分寝かせて……あたし……リオン様と結婚するために……睡眠を……しないといけなくて……」

「……。……おらー! 飯の時間だぞー! テリー、顔洗いに行こ!」

「抱っこ……」

「抱っこ? ……いいよ」


 その瞬間、体が宙に浮いた。


「あ」

(ぎゃっ!? 何事!?)

「……あ?」


 思わず目を開けると、あたしを腕に抱えるリトルルビィと、ベッドから腕を伸ばして固まるメニーがいた。


「……どういう状況?」

「顔洗いに行くよ」

「うわっ!」


 リトルルビィが洗面所にあたしを連れていく。


「洗って、テリー」

「はあ……。……水冷たい……」

「お湯で洗えばいいじゃん。ほら、こっち」

「んん……」

「洗ったら着替えて。ほら、飯の時間だから」

「うう……」

「メニーも早く」

「ふわあ……」

「どうなってんだよ。ベックス姉妹。朝くらい起きろよ」

「今はエスペラントよ……」


 メニーが置時計を見た。


「……」

「テリー。制服逆!」

(まだ眠い……)

「ったくよお」


 リトルルビィがあたしに靴下を履かす。


「年上のくせに」

「あたし、睡眠欲には弱いのよ。……ふわあ……」

「はいはい。髪結ぶからな」

「ありがとう……」

「メニー、さっさと制服着ろー」

「……ね、リトルルビィ。さっきから随分急かしてるけど」


 メニーがリトルルビィの耳元で囁いた。


「時間、まだ全然、余裕あるよね?」

「……。お腹空いたんだよ。起きるのも早い方が良いだろ」

「あわよくばテリーのベッドに潜ろうとしてたでしょ。リトルルビィ。わたし、わかってるんだよ?」

「テリー、まだ寝る?」

「……ご飯行く……」

「だって。メニーはどうする?」

「……ご飯行く」

「結構。三人で行こうよ。今の時間なら人も少ないだろうし」


 リトルルビィがあたしの顔を覗き込んだ。


「今日は……隣で食べよ?」

「いいわよ……。ふわあ……」

「お姉ちゃん、わたしも隣で食べていい?」

「好きになさい……」

「じゃあ、好きに」

「させてもらうね」


 リトルルビィとメニーが目を合わせた。あんた達、朝から仲良しね。……ふわあ。


 あたしは大きな欠伸をした。



(*'ω'*)



 ふくよかな老婆の先生が教壇に立った。


「皆様、おはようございます。今日はお裁縫の授業でございますよ。大切な人に贈るも良し、自分で使うのも良し、本日は、ハンカチに刺繡を入れていきましょう!」

「メニーさん、気を付けて。ディタレ先生、ああ見えて結構細かいの! ノワールお姉様も相当苦戦してる相手なのよ!」

「ちょっと大雑把にやっただけですぐ減点してくるんだから。あのお婆ちゃん、体内にチーズが足りないのよ!」

「そこ、何喋ってるの! 減点しますよ!」

「くかー」

「アルテ、起きて! 減点されちゃう!」

「グワグワッ!」

「さあ、お手元の図案書を参考に模様を決めたら、作業を始めてくださいね!」

「セーラどうする?」

「イメージ図を描いてきたの。可愛いでしょ?」

「流石セーラ。すごーい!」

(簡単なのなら三時間で終わるわね。よし、ちゃちゃっとやっちゃおう)

「おーほっほっほっ! メニー・エスペラント! 今日は刺繍で勝負よ! より美しく模様を縫えた方が勝者だからね!(小声)」

「ほらね、ノワールお姉様でさえ、小声なんだから!」

「んー、何作ろうかな……」

「絵は得意だけど……お裁縫は苦手なんだよな……ふわあ……」

「はあ……とうとうこの時間が来たわ。どうしよう……」

(これで……こうか。よし。久しぶりね。刺繍)


 あたしは針をハンカチに通した。


(こうして……繰り返して……)


 夢中になってやっていると時間が過ぎていった。ディタレ先生が手を叩いた。


「はい。皆様、そろそろお時間ですよ! 完成品を見せてくださいな!」

「先生! 今日は結構上手くいったと思うの! どうかしら!」

「ノワール・カラーさん、素敵な出来栄えよ。でもね、花の位置がもう少しここら辺ならもっと良かったかもね」

「はぐぁっ!!」

「ああ! ノワールお姉様! 大丈夫よ! ブランがお姉様のこのハンカチを、大切に使わせていただくのだから!」

「まあ、メニー・エスペラントさん、まるで売り物みたい。すごいわね」

「えっと、小さい頃から、趣味でやってたので……」

「はぐぁ!」

「ノワールお姉様! メニーさんのハンカチ……輝いてるわ!!」

「なんて神々しい光なの! ぐっ……! ……負け、た……! ばたっ」

「ノワールお姉様ぁああああ!!!」

「カラー姉妹、うるさいですよ。あら、これも素敵ですね」

「ありがとうございます★」

「まあ、独特なデザイン」

「ありがとうございます」

「あら、スレッド・クローステールさん。ちゃんとペンで印を描いて塗ったの?」

「あ……いえ、あの、すみません、やってません……」

「そうよね。だからここが歪むの。大丈夫よ。諦めなければ刺繍は上手くなります。また頑張りましょう」

「はい……」

「あら、個性豊かで素敵ですわ。セーラ・ウィリアムさん」

「ありがとうございます」

「まあ」


 ディタレが目を丸くした。


「美しい」


 リトルルビィの刺繍に、全員が目を向けた。


「素晴らしいわ。これは……まあ、なんてこと。一体どうやってこの時間で作ったの?」

「皆と同じように」

「これは素晴らしい出来だわ。皆さん、ルビィ・ピープルさんに拍手を」


 全員が拍手をしながらリトルルビィのハンカチを眺める。


「それでは授業はここまで。皆さん、よく頑張りました。ランチ後の授業も気を引き締めて頑張るように! それでは、礼」

「「ありがとうございました」」


 クラスメイト達が席を立ち、リトルルビィの周りに集まった。


「流石、右腕様だわ★ なんでも出来ちゃうのね!」

「どうやったの?」

「……皆と同じようにやっただけだよ」

「ルビィって騎士でしょ? 刺繍もするの?」

「……まあ、バイトとかで……やってたから、昔……」

「バイト?」

「もしかしてアルバイト?」

「そっか。ルビィは貴族じゃないから、子供の頃から働いてたのね。……大変だったわね」

「別に。働きながら勉強したようなもんだし」

「かっこいい」

「他のクラスの人達が黙ってないわよ。ルビィ、そのハンカチ、誰にあげるの?」

「グワー!」

「アンセルも気になるって」

「……誰って……」


 リトルルビィが視線を向けた。その視線に気づかないあたしは自分のハンカチに惚れ惚れしていた。


(なかなかの出来栄え。ふん。これが教養の力よ)

「ロザリー、どんなの作ったの?」

(……あら)


 セーラのハンカチを見て、思わず笑みを浮かべる。


「まあ。可愛い。これ全部楽器?」

「そうよ。すごいでしょ」

「すごいじゃない。細かいところまで再現してる」

「……ロザリーのはシンプルね」

「なかなかいい出来栄えでしょ?」

「ロザリーならもっと出来るんじゃないの?」

「時間が無限にあるならいくらでもやるけど、三時間しかないならこれくらいが丁度よかったのよ。刺繍なんて久しぶりにやったわ。ちょっと楽しかった」

「集中しすぎてお腹空いたわ」

「トゥーランドットと行ってきなさい」

「ロザリーは?」

「メニー達と行くから」

「近い席に来て」

「んー。……いいわ。行けたらね」

「トゥー、行くわよ!」

「うん! あ、ロザリーのハンカチも可愛い。じゃあね!」


 あたしは手を振り、二人を見送る。さて、ランチの時間だわ。お腹空いた。クラスメイト達もハンカチを持って廊下に出ていく。スレッドが立ち上がった。


「はあ……」

「元気出して。スレッド★ 裁縫クラブでしょ?」

「……なかなか上達しないものね……」

「そんなの上達しなくたって立派な婦女にはなれるわ」

「ルビィの上手だったから、後で訊こうかな」


 スレッドとマリンが出ていき、カラー姉妹が出ていき、ラビとグースとアンセルが出ていき、メリッタとフロマージュも出ていくと、アルテがふらふらと扉へ歩いていた。


「アルテ」

「あ、ロザリっち。おすおす。お疲れ」

(ん?)


 アルテの手に、細かく塗られた刺繍の入ったハンカチがあった。


「それ」

「ん?」

「アルテが入れたの?」

「え? うん」

「……三時間で?」

「ロザリっち、わて、一応、公爵令嬢」

「……」

「実はわたくし、小さい頃から教えられてまして、慣れてますの。……ふひひ!」

「……教養の厳しさが見えるわね」

「ルビルビのもすごかったけどね。あれは小さい頃からやってるな」

「でしょうね。……きっと、当時はへたくそで、物凄く頑張って覚えたんでしょうね」

「だろうね。教えたのはキッド殿下かな?」

「さあね」

「ランチは?」

「今行くわ」

「ああ、ちょっと本気出したらお腹空いたぁー」


 アルテが教室から出ていった。あたしはメニーとリトルルビィに振り返る。


「ランチ行くわよ」

「ん」

「はあ。楽しかった」

(長時間集中して前向きな言葉を言えるあんたって本当にヒロインだわ。メニー。畜生が。くたばれ)


 教室から廊下に出ると――女子生徒の塊がリトルルビィとメニーを囲んだ。


「ルビィ様!」

「メニー様!」

「あだむす!」


 あたしは廊下の隅に投げ出された。


「先ほど、調理実習でクッキーを焼きまして……!」

「わたくしは、ハンカチを作りまして!」

「テストで良い点取れましたの!」

「ルビィ様もハンカチに刺繍を入れられたとか!」

「「ぜひ見てみたいと思いまして!!」」

「……ああ、すみません。今からここの掃除をするので、少し退いてくれますか?」


 モップを持った用務員の男に言われ、あたしは黙って立ち上がる。用務員の男が跪き、あたしの膝を叩いた。


「おっと、埃が」

「……それ、あたし以外にやったらセクハラよ」

「おや、貴女はセクハラにはならないと?」

「だって、あたしは妹だもの」


 帽子を深く被る男がにやけた。


「あんたもいたのね。レオ」

「用務員だなんて、初めての経験だ。ドキドキするよ」

「第二王子が学園の掃除だなんて素敵。生涯忘れられない思い出になるわね」


 あたしは腕を組み、壁に背中を付けた。


「訊きたいことがあるんだけど」

「どっちに?」

「後ろで読書してる女に」

「まあ、嫌だわ。なんだか廊下から恋しい人の声が聞こえたような気がする」


 背後にある庭で土の上に直接座り、本を読んでいたクレアが胸に両手を当てた。


「質問は?」

「貴女、あの古城入れる?」

「旧校舎のこと?」

「わかるでしょ」

「流石あたくしのダーリンは動くのが早い。あの建物、あたくしのことが嫌いみたい。強い魔力を持つ者を拒み切っている。おそらく、メニーも入れないだろう。だけど案ずるな。方法はある」

「方法?」

「あの建物自体が拒んでいるわけではなく、誰かに結界みたいなものを仕掛けられているような状態なんだ。ならばその仕掛けを壊してしまえば、簡単に入ることが出来るだろう」

「あの広い古城でそれを見つけろっての? あのね、思ってる以上に広いのよ。あそこ」

「そうだろうな。でも、既に二つ壊れているようだ」

「……そうなの?」

「うん。なぜか知らないが、結界が弱まっていた。あの状態なら、ソフィアとリトルルビィくらいなら入れるだろう」

「……あそこに出入りしてるのは、この学園で良い子してるお嬢様達らしいわ。だから、誰かしらが無意識に壊してるのかもしれないわね」

「貴様も中に入った?」

「サリアの手がかりがあるみたい。サリアを慕ってるクラスメイトが教えてくれた」

「……アルテ・ペンタメローネ?」

「貴女にも慕ってるみたいね」

「ほお。アルテと仲が良いのか。……それは……」

「何?」

「別に? アリス同様、素晴らしいことだと思って」

「良い子よ。とても。……サリアのために、色々動いてくれてる」

「……随分と慕っていたらしいからな」

「クレア、学園の七不思議について知ってる?」

「あたくしが調べてないとでも?」

「旧校舎に何かある。あそこ、やっぱり何かおかしい」

「ああ。だろうな。魔力を持つ者を拒む時点で、非常に香ばしい」

「中毒者とか言わないでよ」

「それは行ってみないとわからない」

「そういえば貴女に訊いてなかった。……なんでここにいるの?」

「少し前に事件があった。それを追っていたら、ここに辿り着いた。それだけのこと」

「詳細は話さない。敵を欺くにはまず味方から」

「わかってくれて嬉しいわ。ダーリン。愛してる」

「浮気した女がよく言うわよ」

「してないってば」

「姉さん、クレアの状態で浮気したの? ダメだよ。そんなことしたらニコラが悲しむじゃないか」

「お前は黙ってろ」

「変わらないわね。貴女の姿勢」

「全貌がわからない以上、誰に何を話してもあたくしの妄想になってしまう。……訊きたいことはそれだけ?」

「もう一つ。……ソフィアには教師を、リトルルビィには生徒を演じるよう言ったらしいけど……あたしがするべきことはある?」

「ならばあたくしはこう答えよう。ロザリー・エスペラントさん」


 クレアが笑顔で答えた。


「貴女は、ここの学園の生徒として学園生活を謳歌してくださらないかしら。朝は授業を受け、夜は眠る。そして……時々、古城に入るという悪戯をする。それであたくし、満足ですわ」

「……貴女の狙いも旧校舎」

「どうか、早めに結界を壊してちょうだい。お願い」

「よくわかった。許可も下りたし、このまま探索を続けるわ」


 横目で隣を見る。


「用務員のお兄さん、今夜は貴方が来る?」

「そうだな。あの古城がお化け屋敷でなければ入れるかもね」

「ジャックなら好きそう。拷問道具とかいっぱいあったわ。今年のハロウィンの参考になるんじゃない?」

「ソイツハイイネ」


 レオの口を使い、ジャックが喋る。


「悪夢合戦ダ。ヒヒヒヒヒヒ!」

「……ところでエスペラントさん、そのハンカチ、誰かにお渡しするものではなくって?」

「……」


 あたしは自分の手に持つハンカチと、後ろで本を読むクレアを見た。どうやって見たのよ。あんた。


「あら、大変。ハンカチを職員室に忘れてきてしまったかもしれない。どうしましょー」

「……」


 あたしは足を動かし、後ろの庭に入った。横目で見れば、にやけるクレアと目が合う。しかし、ふい、と目をそらし、庭の点検をしていた用務員の男に近づいた。


「用務員さん」

「え?」


 男があたしに振り返った。あたしはハンカチを差し出す。


「これあげる」

「……え」

「刺繍を入れたの。可愛いでしょ? 貴方にあげるわ。いつも頑張ってるから」

「あ、で、でも……」

「いいのよ」


 あたしは両手でその男の手にハンカチを握らせた。


「受け取って」

「……はい」

「汗拭きにでも使って」


 胸元を見る。名前が書かれている。


「レックスさん」

「……ありがとう……ございます……」

「こちらこそ、受け取ってくれてありがとう」


 ちらっと後ろを見る。


「誰かさんにだけは、渡したくなかったの」


 クレアの頬がむすーっと膨れている。


「それでは、さようなら」

「……お足元、お気をつけて」

「……」


 あたしは廊下に戻ろうと歩き、一瞬立ち止まって、クレアを見た。


「あら、クレア先生。こんにちは」

「……貴様、覚えてろ」

「身に覚えのないことを覚えてろと言われても、困ってしまいますわ。ごきげんよう」


 あたしは笑みを浮かべて、凛とした姿勢で食堂へと歩き出した。後ろからメニーが追いかけてくる。リトルルビィも追いかけようとしたが――女子生徒の量に負け、ランチを共にするのを諦めた。


「あれ? リトルルビィは?」

「……逃げるので精いっぱいだった」

「あんた達はモテモテでいいわねえ。……GPSで連絡しとくわ」


 あたしはGPSで先に行ってると、リトルルビィにメッセージを送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る