第17話 芸術の心


 鳥の鳴く音が聞こえ、リトルルビィが寝返りを打った。


「……ん……」


 温かい温もりに抱きつく。


「テリー……」

「すやぁ」

「……あれ、今何時……」


 瞼を上げたリトルルビィが――悲鳴をあげた。


「ぎゃーーーーー!!」

「ぎゃーーーーー!!」


 釣られてあたしも悲鳴を上げながら夢から覚める。


「びびび、びっくりした! な、何!? どうしたの!? 人魚!? 狼!? ロザリードールに青い薔薇!?」

「……」

「ん」


 リトルルビィが林檎のように赤面しながらあたしの胸元を直した。


「き、き、貴族、たる、もの、ね、ネグリジェくらい、ちゃんと、き、着たほうが、いいぞ」

「……あら、やだ。あたしとしたことがはしたない。ありがとう。リトルルビィ」

「お姉ちゃん! だいじょ……」


 メニーがドアを開けた。あたしと、あたしのネグリジェに触れるリトルルビィがメニーに振り返った。メニーが笑顔になった。


「……。……。……リトルルビィ、何やってるの?」

「……。……。……おはよー。メニー」


(あら、なんだか雲抜きが怪しくなってきたわね。傘を用意しなくちゃ)


「お姉ちゃん、そろそろ朝食に行く時間だよ。制服着替えて」

「リトルルビィ、あんた髪の毛すごいわよ。そこ座りなさい」

「え」

「……ん」


 リトルルビィがあたしの膝に頭を乗せた。メニーが息を呑んだ。おっと、まだ眠いっての?


「こら、あたしだって眠いんだから寝転がらないの」

「どの姿勢でも一緒だろ」

「あんたが寝てる間に昔みたいに二つ結びにしちゃうわよ」

「……別にいい。……テリーなら……」

「……馬鹿ね。んなことしないわよ。あー、もう、やりづらいわね。メニー、ブラシ取って」

「リトルルビィ」


 ブラシを持ったメニーが笑顔でリトルルビィに言った。


「髪の毛はわたしがしてあげる。お姉ちゃんは着替えないといけないし」

(ああ、それもそっか。じゃあメニーに任せて……)

「ぐぴーーー」

(あれ? 本当に寝ちゃった? 全く子供なんだから)

「寝てるふりしたって駄目だよ。リトルルビィ。何年の付き合いだと思ってるの」

「ぐぴーーー」

「お姉ちゃん、退いていいよ。わたしがやるから」

「ブラシくらいあたしがやるからいいわよ」

「これ、お姉ちゃんのブラシだよ? 頭の皮膚とか、髪の毛の細胞とか、ついてるんだよ? 共有したら汚いよ?」

「別にいいわよ。リトルルビィなら。何年の付き合いだと思ってるの」

「……」

「ほら、ブラシ。時間なくなるから」


 メニーがあたしにブラシを渡した。リトルルビィの髪の毛を梳いていく。


「あんた昔と比べてごわごわじゃない。ちゃんとケアしてるの?」

「ぐ、……ぐぴーーー」

「……全く」


 いつまで経っても手が掛かるんだから。


「仕方ない子ね。リトルルビィ」

「……」

「……リトルルビィ」


 メニーがリトルルビィの耳元で囁いた。


「後でちゃんと話そうね」

「……まじ幸せ……」

「こんなもんかしらね。ほら、リトルルビィ、起きなさい!」

「ふわあー。わりーわりー。寝ちまったー」


 リトルルビィがあたしの膝から起き上がった。



(*'ω'*)



「まあ! ルビィ様!」

「おはようございます!」

「お隣よろしくって!?」

(あだっ!!)


 座ろうと思っていた席が取られた。リトルルビィも突然のことにぽかんとしている。メニーがあたしに駆け寄ってきた。


「お姉ちゃん、大丈夫?」

「これしき、なんてことないわ。その証拠にご覧なさい。あたしの膝を犠牲に、朝食には傷一つない!」

「後で絆創膏貼ろうね」

「うわ、盛り上がってる★」

「おはよう。エスペラント姉妹」


 マリンとスレッドが囲まれたリトルルビィを見た。


「そういえば聞いたわよ★ 突然現れた赤き騎士様★」

「え?」

(キッドめ、とうとう正体を出しやがったっての!?)

「昨日ダンスクラブでメニーとルビィがすごくかっこよく踊ってたって、クラブの子が騒いでた」

「ああ……あれね」

(キッドじゃなかったか。ふん)

「今や学園中の噂の的よ★ 月のプリンセス、メニー・エスペラント★ そして彼女の手を引く太陽のように燃える赤き騎士、ルビィ・ピープル★」

「……ああ」


 スレッドが哀れそうな顔であたしの肩を叩いた。


「ロザリーはわたくしがつけてあげるから、元気出して」

「スレッド、勘違いなら謝るわ。あたし、ひょっとして、哀れまれてる?」

「大丈夫よ。かっこいい呼び名を考えておくわ。生真面目ロザリー」

「生真面目はやめて」

「あら、そう? 残念」

「天狗になってるのも今日までよ!!」


 トレイをメニーの横に置いたノワールとブランが立ち塞がった。


「何が月のプリンセスよ! メニー・エスペラント、今日こそ貴女の天狗の鼻をぽっきりとへし折ってやるんだから!」

「ノワール、ブラン、おはよう」

「おはようございます。メニーさん。本日はなんだか雨が降りそうな天気ですね。はっ! ノワールお姉様! 湿気で出来た寝癖が!」

「今日の美術で実力の違いを見せてやるわ! そして、このノワールにひれ伏すがいい!」

「お姉様はね、とっても絵が上手なのよ! 流石のメニーさんでも勝ち目はないでしょうね! はっ! お姉様! 頭のてっぺんに、若白髪が!!」

(うるさい奴らね。さて、あたしの朝食ちゃん、待たせたわね。ぱくっ。はあ。美味)

「あー、騒がしいと思ったら」

「グワグワッ!」


 グースがあたしの正面に座ってきた。


「おはよう。ロザリー」

「おはよう。グース」

「今日は朝から美術よ。眠くなりそう」

「美術……」

「そう。果物なんかを椅子に置いてね、皆で描くの。でも美術においての成績優秀者はメランよ」

「ああ、……昨日見たわ。独特な絵を描いてた」

「そう。まるで紙の中から飛び出してきそうな絵を描くの。すごいわよね。アンセルもそう思うでしょ?」

「グワグワッ!」

(美術か。……確かに眠くなりそう)


 あたしは水を飲んでから、大きな欠伸をした。



(*'ω'*)



 美術担当、オディロン先生。


「おはよう。諸君。おっと、知らない顔が数名いるね。初めまして。私はオディロン。君達に美術を教える大人さ。さあ、挨拶も済んだところでお題を渡そう。諸君には今からこの絵を描いてもらう」


 オディロンがリンゴを台の上に置いた。


「ただ、これを丸々そのまま描けばいいというのでは面白くない。人間には美術のセンスがどこかで眠っているものなのさ。色は赤以外で塗ってごらん」

(は? リンゴを赤以外でどう塗ればいいっていうの?)

「時間は三時間。ランチまでに美しいリンゴが出来上がっていることを楽しみにしているよ」

(やるしかないってことね。上等よ)


 あたしは鉛筆を構えた。


(あたしの美学美術美的センスを見せてくれるわ!!)


 ――三時間後。


「メラン・アマーブレ。やはり君の美術センスは素晴らしい。一つの傑作品だ」

「ありがとうございます。先生」


 そこには、カメラで撮影したようなリンゴに、赤とオレンジを交えたような明るい色を塗った絵が存在していた。夕焼けに照らされたリンゴのよう。流石だわ。このメランという女、普段はなかなか目立たないけど、美術のセンスだけはあるみたい。将来有望だわ。


「流石メランだわ★」

「いつも通りに素晴らしい」

「蜂蜜あげるから私の絵と交換しない?」

「はっはっはっ。交換なんてしなくても、諸君の個性が出ていてとても素晴らしい絵だよ。おや……」


 オディロンがメニーの側で止まった。


「青を使うことでまだ成熟していないリンゴの初々しさが表現されている。おお、これはまた素晴らしい」

「ありがとうございます」

「先生、騙されてはいけませんわ! きっとその女、何か細工を……」


 ノワールが立ち上がり、メニーの絵を見た瞬間、顔色を変える。


「な、なんて素晴らしい絵なの……! 未成熟なリンゴが成長を遂げようとしている姿。まるで卵から孵ったばかりのヒナ! それを、鉛筆と絵具で表現するなんて! ああ! 畜生! 悔しい!」

「ノワールお姉様! お気を確かに!」

(今日も騒がしい奴らね。絵が完成したのだから、それでいいじゃない。あたしもまた一つ、傑作を生みだしてしまったわ)

「……」


 セーラが輝く汗を拭うあたしの絵を見て眉をひそませた。


「何それ」

「ああ、セーラ、なかなか上手くいったからじっくり見ていいわよ。どうぞ」

「嘘つきたくないから正直に言うわ。ロザリーがここまで絵のセンスがないとは思わなかった」

「この絵の素晴らしさがわからないなんて、まだまだお子様ね。セーラ」

「まじで言ってんの? ちょ……」


 セーラがリトルルビィを見た。


「ルビィ。ロザリーに現実を知らせてやって。こんなの子供のらくがきだって。将来、王妃となるならもっと美術センスを磨きなさいって」

「……や」


 リトルルビィが感想を告げた。


「テリーらしくて、わたしはいいと思う」

「テリーって誰?」

「ロザリーらしくて、わたしはいいと思う」

「よろしい」

「キッドお兄様に何言われても知らないから」

(あいつこそ絵のセンスがない奴なのよ。セーラ)

「うわ、何これ。ぶぷっ!」


 アルテがあたしの絵を見て吹き出した。


「ロザリっち。いつの間に緑のバナナなんて描いてたの?」

「何言ってるのよ。これはリンゴよ」

「いや、どう見ても緑のバナナじゃん。ふひひ! おっかしい! ひひひひ!」

「はあ、これだからセンスのない人達は困るのよ……」


 クスクス笑うアルテをセーラがじっと見た。アルテがセーラの視線に気づいた。アルテが笑うのをやめる。


「あれま、目がぱっちり合っちゃった。何かわてに御用? お姫様」

「……別に用はないわ。ただ……」


 セーラが腕を組み、鼻を鳴らした。


「なんでお前みたいなつまんない女に悪戯してたのか、自分に問いかけてみただけ」

「おや、ならば自問して自答できましたかね?」

「もちろん答えは出たわ。『お前なんかに構う時間が勿体ないことに気づいてなかった』。大いに時間を無駄にしたわ」

「おお、そうでしたか」

「悪かったわ」


 あたしとアルテがきょとんと瞬きした。


「今まで」


 セーラが目をそらした。


「嫌いだけど、悪戯は控えてあげる」


 そしてあたしの腕を掴んだ。


「言っておくけど、ロザリーと仲良しなのはわたしだから! そこらへん、ちゃんと理解してよね! 奪おうとしたって無駄よ! わたしとロザリーの絆はね、誰よりも強いんだから!」

「……。ええ。もちろんわかってますよ。ロザリっちはセーラ様の玩具。メイドだった話はお伺いしてますもの。理解してますよ。もちろんですとも」

「ふん!」

「セーラ」


 トゥーランドットが驚いた顔で近づいてきた。


「アルテと仲直りしたの?」

「はあ? 仲直りなんてするわけないでしょ。こんな反応の悪い寝たばかりの女に悪戯してたのがくだらなくなっただけよ。ふぅーん!」

「うふふ。そっか! ね、セーラの絵見せて!」

「いいわ。トゥーのも見てあげる」


 二人が仲良さげに歩いていくと、あたしとアルテが顔見合わせ、アルテが笑みを浮かべた。


「良かった。これでノートの予備を買う必要がなくなった」

「あの子なりに謝ってるのよ」

「わかってる、わかってる。公爵令嬢はプライドの塊。それでも謝ってくれたことに感謝しよう。別にわてからしたら、あの子の謝罪も感謝も蚊帳の外。どうだっていい」

「寛大な心に感謝するわ」

「ところでロザリーお嬢様、わては本気で質問したいのだがね……これ本当にバナナじゃないの?」

「アルテはあそこにバナナが置かれてるように見えるの? ならあたしはバナナを描いてるわ」

「ということは本気でリンゴを描いた結果バナナのような絵になったわけだ。ふひひ。こいつはすごい才能だ」

「そうよ。あたし、とても謙虚で自慢しない女だから言わなかったけど、本当はとても美術センスが溢れた塊なの」

「ロザリっち。人はこういうのをなんて呼ぶか知ってる?」

「才能」

「画伯」

「ああ、常人には理解できない個性的な絵を描いてしまうだなんて、あたしの能力が怖いわー!」

「ルビルビ。ロザリっちはいつもこんな感じなの?」

「わたしは、あの、すごくいいと思う。ロザリーらしくて」

「そうなの。あたしの個性が詰まってるの」

「わては別にいいのよ。別にロザリっちがどんな絵を描こうがね。でもね、これは見過ごせない。なぜって、メニっちがとても素晴らしい絵を描いている横でとんでもない画伯が誕生しているのだから。これは指差して笑われるにわては一票投票しておこうかね。景品は枕でいいよ。寝心地のいいやつ」

「あら★ ロザリーったらバナナを描いてるわ★!」

「ロザリー、なんでバナナ描いてるの?」

(なるほど。これは時間が経ってから素晴らしさがわかるってやつね。ああ、自分の才能が怖い!)


 メニーがちらっとあたしの絵と、あたしの姿を見て、微笑ましそうな笑みを浮かべた。



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