第12話 糸車クラブ


(キスしてた)


 クレアが、あたし以外の女と。


(キス、してた)


 ――あたくしも……愛してる……。ダーリン……。


(ああ、なるほど)


 あのうぶな笑顔は、お得意のお芝居だったわけ。


「結構」


 理解すれば扉に背を向け、ドシドシ歩いていくと、すぐに扉が開けられる音が聞こえ、足音が近付いてきた。強い手で肩を掴まれる。


「待った!」

「待たない」


 その手を払い、大股で進み出す。


「想像以上につまらないクラブだったみたい。ごめんあそばせ」

「貴様がなぜここにいる。いい。待て。とりあえず回れ右だ。話そう」

「ああ、そうでしたわ。あたくし達……初対面でしたわね! 初めまして! あたくし! ロザリー・エスペラントと申しまして! 昨日から編入してきたんです!」

「メイドが気になって追いかけてきたか。こら、待て」

「ああ! 大変! あたくし、今からセーラ姫様が所属してるオーケストラクラブに行く予定だったわ! ああ! すっかり忘れてた! 時間がなくなってしまいそう! そして行ったらこう言わないと! 貴女の従姉妹が! 婚約者を差し置いて別の女とキスしてたのよ。貴女の従姉妹は、ただの遊び人の浮気女だったのよってね!!」

「はい、回れ右」


 あたしは更に回れ右をした。クレアに腕を掴まれる。


「テリー」

「あら、誰のことかしら。綺麗なお姉さん、この浮気症の愚か者。裏切り者の嘘つき女の卑怯者。誰かと勘違いなされてません?」

「誰かに見られる前に来い」

「いいわ。騒ぎ立ててやる。それで満足でしょう? 目立つことが大好きだものね。この自己顕示欲の塊女。あんたの言うことなんて予想できるわ。寂しかったの。貴女が側にいなくてついやってしまったの。だったらGPSで連絡するなり手紙を寄越すなり出来たと思うけどね。はーあ! なるほど! 女に恋をしないって言ってたのは、嘘だったわけ! もしくは、一回女イケたから別の女に手を出した? あ! そっかー! そうよねー! 確かに人は変わるものだわ! ごめんごめーん!!」

「ロザリー・エスペラントさん。うちのクラブの見学希望なら、ぜひご案内しますわ。はい。回れ右」

「いいえ。気分が削がれました。きっと誰よりも美しい女の青い目を見てブルーになったんだわ。あっはーはっ! 最高! 素晴らしいわ! 称賛! 貴女の行動に、あたしは、どでかいアンコールと拍手をお送りしましょう! 自分が愛する相手をまさかこうも簡単に傷つけて裏切ることができるなんて! 尊敬! あたしなら何があってもそんな酷いことできなぁーい!!」

「はい。回れ右」

「うるせえってんのよ! この馬鹿たれ! 離して! 何が回れ右よ! てめえが右に曲がって過去の自分の過ちを見て反省なさい! 反省しても裏切ったのはそっちであって、あたしじゃないから赦すつもりなんてこれっぽっちもないけれっ……っ! だぁっ!! 馬鹿!! くたばれくたばれくたばれくたばれ!! 回れ右なんてしねえっつってんでしょ! 邪魔! 退いて! もう知らない! くたば……」


 クレアがあたしを肩に担いだ。


「ふげっ!」


 エッサホイサと歩いていく。


「ちょっと! 離しなさいよ! 生徒を担ぐなんて、非常識な教師だわ! 不審者! この女! 不審者なんだわ! おい、こら! この不審者女!! 最低! このあたしの柔らかくて可愛いお尻を触りながら、肩に担ぐなんて! 許可取ったの!? まず許可を取りなさい! その丸くて可愛いお尻を触っていいですかって跪いて土下座して奴隷の如く頼み申しあげなさい!! あたしはレディなのよ!? 繊細なか弱い乙女なの! ガラスハートの持ち主なの! ちょっと傷ついたら壊れちゃうの! あんたと違って無力で無防備で可哀想なの!」

「チュンチュン♪」

「うるせえ!! 鳥公! 幸せを象徴する青色に染まりやがって! 見た者全員幸せにできるならブルーハートなあたしの心臓を情熱のレッドハートにしてみせろってのよ! その力が本物なら本気出してごらんなさいよ! 金なら払うわ! そうよ! 愛も友情も信頼も金さえあればどうにでもなる! 金持ちのあたしはこれから一人で生きていくわ! なぜかって!? 世界で一人! たった一人! 最愛だと思ってた女に目の前で人類が最も恐れる浮気という裏切り行為をされたからよ!!」

「うるさい。もう黙れ」

「黙れ? 今、黙れって言った?」

「言った」

「はぁあーーーーー!!!!!???? どの口が言って、は、はぁーーーー!?? だ、誰のせいだと、お、お、思ってんの!? 誰が原因でこうなったと思ってんの!? あたしを自分の奴隷か玩具とでも思っていらっしゃる!!!!!???? この、テリー・ベックスを!? この、あたしを!? 奴隷!? 玩具!? はーい! 人類みんな平等でぇーす!! 意義は認めませぇーん!!  異議申し立てた奴は全員処刑でーす! そして裏切り行為を行ったてめぇも処刑確定でぇーす! ここでインタビューを始めまぁーす! 自分の愛する人を裏切った気持ちはどうですか!? 今、どんな気持ちですか!? あたしを抱えて、うるさい、黙れと言ったその心は、どんな気持ちですかぁーーーー!?」


 扉が閉められた。


「裏切り者!! 離せ!! 触るな!! 金輪際あたしに声をかけるな!! 婚約解消!! まじで解消!! あたしはただ泣くだけの悲劇のヒロインじゃないからね! とことん追い詰めてテメェが後悔するその時まで金の力で圧力込めて笑顔でぶつって潰してやっから覚悟しとけ! このクソ女!!」

「こらこら、暴れるな」

「ああ、そうよね!! 所詮貴女はキッド殿下そのもの! 浮気くらい理解してってその可愛い顔で言うのよね! わっはは! わかったわかった! よーーーーーくわかったわ! このクソったれのクリスタル!」


 クレアに机に座る形で下ろされる。


「あたしは理解ある婚約者だと自負してるわ! どんな事情があっても貴女を好きでいた! 大好きだったわ! ハニー! でも! そうよね! 大丈夫! もういいわ! 結構! あたしは一途だけどてめえは違った! それだけのことよ! 価値観の相違は存在する! いいわ! 本当! よくわかった! よろしくってよ! 飽きたあたしをゴミ箱にぽいと捨てて、満足するだけ若い子を食いまくればいい! おめでとう! 自由よ! これで自由を貴女は獲得した! おめでとう! 最高ね! これからはあたしを忘れて、好きなだけ好き放題浮気しまくればいっ……」


 ――クレアに唇を塞がれる。


「……」


 唇が離れると、あたしの両頬を両手で押さえるクレアを睨みつける。クレアは真っ直ぐあたしを見つめ、伝える。


「あたくし、浮気はしない」

「どの口が言うか」

「本当だ。貴様から熱い告白を受けて以来、あたくしは貴様にメロメロだ」

「へーえ? メロメロで他の女とキスするんだー? ふーん?」

「貴様だってあたくしの目の前で浮気しまくりではないか」

「あたし、浮気なんてしたことない」

「メニーとイチャついて……」

「あいつは妹」

「リトルルビィ」

「妹の友達」

「ソフィア」

「ねえ、全員断りを入れてる。浮気はしてない。あたしは一途な女なの」

「本人達がどう思ってるか知ってるくせに」

「あ、そう。だったら、婚約者の目の前でどこの馬の骨ともわからないような女とキスしていいってこと!?」

「キスしたのは頬……」

「口に見えたけど!?」

「頬だ」

「なんとでも言えるわよね。でも、ごめんなさいね。あたし! 見てたから!」

「こうなることがわかってたな? この意地悪」

「なんであたしが意地悪なのよ? 意地が悪いのはお前よ! 認めて! 懺悔なさい! 自分は好きな人の目の前で浮気をしたとんでもない裏切り者だと!」

「だから……」

「しかも制服を着てた! 貴女、この学園の生徒を食ったわけ!?」

「……どちらかというと、あたくしが食われた方だな」

「っっっ!!!」


 なんてこと!


「あたし以外に身体まで許したというの!?」

「はあ……」

「ああーーーー!!!!!! 最近忙しそうだと思ってたら、まさかの浮気相手のため!? そんなことも知らずにあたしは! ああぁあああああ! あたしはぁああああ!! なんてことぉおーーーー!!!」

「この言葉を貴様に贈ろう。我が振り見て我が振り直せ」

「言葉を間違えてるわ。それを言うなら人の振り見て我が振り直せ。あたしの振りを見て、自分の行いを見直すことね!!」

「その言葉、そっくりそのまま貴様に返す」

「じゃあ別れる? あたしはいいわよ!? お互い自由になれる! 元通り! あたしは仕事に集中出来て、貴女は貴女でいつでも都合のいい女と結婚出来る! ほら、どう!? 満足!?」

「ダーリン」

「知らないわよ! あたしの恨みを舐めないで! 絶対自分の行いを後悔させてや……」


 銃をこめかみに押し付けられた。


「落ち着いてくれないとこのまま撃ち殺すわよ。ダーリン?」

「だっ」

「本気で」

「……」

「睨むな。あのな、貴様が……」

「……」

「……とにかく、覚えておけ。我が振り見て我が振り直せ。今回は特別だ。この言葉が理解できたら、あたくしに今浴びせた全ての罵詈雑言について詫びに来い。その時まで親切な心で『今のところは』水に流してやる。全く、とんだ置き土産だ」

(こいつ何言ってんの? 狂ってんの? 意味わかんない……)


 クレアが銃を腰のベルトにしまった。


「ダーリン、愛しい貴女とここで会いたくなかったわ。やはりこの学園は非常に香ばしい」

「そうね。浮気の匂いがプンプンするわ」

「してないったら」

「じゃあ言い方を変えるわ。キスされてた。あたし以外の女に」

「ここへはサリアを追いかけてきたんだろう?」

「ええ。いいわ。貴女は話題を逸らすことしか取り柄がないのよね。了解。だとしたらどうするの?」

「どうもしない。ダーリンがただの学園生活を送って楽しんでくれるだけで、あたくし幸せよ」

「そのドレスは何? まるで一般人みたい。まさか先生として潜入捜査してるの?」

「そうなの。あたくし、半年間勉強することになった教育実習生の新任先生ぇー」

「授業で会わないことを切に願うわ」

「そういえばセーラのクラスに二人の編入生が来たって聞いた。あれ貴様と……メニーだな?」

「部下にろくな指示も出さず浮気し放題の先生。そろそろ帰っていいかしら? あたし、貴女の美しい顔を見ていると、とても殺してしまいたくなるの」

「もー。機嫌直して。ダーリン?」

「そんな甘い声を出したら許されると思ってるんでしょ。そうよね。今まで許されてきたんだからその手しか使えないわよね。でもね、無駄よ。あたしをそこら辺にいる女と一緒にしないで。貴女を愛してる想いの重さは誰にも負けたりしない。それをわかってないんだわ。だからそんな軽率な行動ができるのよ」


 変装用の眼鏡を外すのと同時にクレアの横髪を掴み、無理矢理引っ張った勢いでクレアの唇を奪う。クレアが再び唖然と目を瞬かせる。無理矢理舌を絡ませた。クレアがぽかんとする。唇を離し――睨みつける。


「今度やったらタダじゃおかないから」


 愛しいあたしのハニー?


「あたしの愛を舐めたら潰す」


 足音が聞こえた。あたしは素早く眼鏡をかけてから机を離れ、糸車の側に立つと、扉が開かれた。


「アルテ、いるかしら……あら」


 サリアがあたしに微笑んだ。


「エスペラントさん」

「こんにちは。サリア先生」

「まあ、もしかしてうちを見学?」

「アルテが面白い先生がいると言うので、見に来ました」

「ふふっ。きっとクレア先生ね。教育実習生の先生で、とても物知りなの。エスペラントさんもきっと仲良くなれるわ」


 サリアがクレアを見てきょとんとした。


「まあ。クレア先生、顔が赤いわよ。大丈夫?」

「……っっ……♡ お……おほほほ……っ……♡ あのっ……♡ あの……♡ あたくし……少々……あの……♡ ……日焼けを……してしまったみたいで……♡」

(ふんっ!!!)

「クラブの活動内容は聞いたかしら?」


 サリアがあたしに訊いた。


「素材を使って糸を作り、それを裁縫の授業で皆に使ってもらうの」

(まじで糸を作るだけなのね。ただの労働作業じゃない)

「素材は色々あるから、自分だけの糸が作れるわ。例えば……」


 サリアがバスケットを掴み、あたしに見せた。色の組み合わせが面白い糸がある。


「これは私が作ったの」

「サリア……先生が、ですか?」

「やってみない? 地味に見えて、結構楽しいわよ」

(……ま、何もしないのもつまんないわよね。切り替え、切り替え)


 あたしはサリアに笑顔を浮かべた。


「ええ。ぜひお願いします」

「やり方を教えるわ。見てて」


 サリアが事前に出来上がってる繊維の塊を持ち、撚わせて結び、フックに引っ掛け、固定されたボビンに結ばれた。


「これでセットは完了。これで……」


 あたしの左手に繊維の塊を持たせ、サリアがペダルを踏んで回してみせた。すると、糸車が動き出し、繊維がボビンに引き取られ、糸となった。


「へえ……」

「やってみて」

「あ、はい」


 席を変わってもらいペダルを踏んで回してみる。おー。すごい。糸が出来ていくわ。


(精神統一に良さそう……)

「ところでエスペラントさん、アルテを見なかったかしら」

「え? ああ、確か、補習があるって」

「なるほど。寝てばかりいるツケが回ってきたんでしょうね」


 サリアがため息を吐いた。


「今日も寝てた?」

「……はい」

「前はそんなことなかったんだけどね、最近になって、授業中に居眠りしてるみたいなの。……もし悩みがあるようなら、聞いてあげてね。アルテ、ああいう子だから、あまりクラスに馴染めないみたいで」


 どうしてだろう。

 笑顔も、声も、全てサリアのままなのに。


「仲良くしてあげてね」


 別の誰かみたい。


「……はい」

「ふわー。おはようございまーす」

「噂をすれば」


 教室に入ったアルテが糸車を動かすあたしを見てにやけた。


「あ、やってる、やってる。調子はどうかね。ロザリっち」

「意外と難しい」

「コツがいるんだな。こいつが。教えてしんぜよう。どれどれ」

「アルテ。課題の提出がまだなんだけど?」


 サリアが言うと、アルテが人差し指を頭に触れさせた。


「あれ? そうでしたっけ? うーん。課題ね。課題? サリア先生、そいつはね、わて、きっと夢の中で提出してます。提出してるものを出せというのはよくありゃしません。よくごらんなさい。夢の中の机ですよ」

「残念ながら大人は夢を見ないの。翌日も元気に働くために夢の奥の奥まで眠っているから。つまり、アルテが提出していても、私は受け取れないの」

「そいつは残念至極」

「冗談言ってないで、時間があるなら今やりなさい」

「今はクラブのお時間ですもの」


 アルテが椅子を引きずり、あたしの隣りに座った。


「あちらの先生、喋った?」


 アルテの手がクレアに向けられ、あたしは笑顔で頷いた。


「ええ。綺麗な先生で驚いた」

「クレア先生だよ。あの人がね、とっても面白いの。ロザリっち。色々聞いてごらんなさい。クレア先生はね、色々教えてくれるとっても良い先生なの」

「だったらあたしは貴女に質問がしたいわ。アルテ」

「おんや? わてに? あら、こいつは何かしら。胸がドキドキしてきた。クラスメイトに悪戯されることはあっても、質問されることなんて滅多にないもの。あ、ひょっとして快適な夢の中での過ごし方? そうね。切り裂きジャックに会わないことかな。彼はとってもユニークだけど、悪夢を見せてくるから要注意」

「教室で言ったことよ」


 声をひそめる。


「クラブ活動はわかった。確かに糸車も悪くないと思う。……旧校舎へはいつ行くの?」

「ロザリっちはいけない子ね。旧校舎は危険がいっぱい。でも冒険者というものは、刺激を求めて旅立つもの。第一夜、誰も居ないキッチンからコンロの音が聞こえてくる。第二夜、誰も居ない絵画の部屋から鉛筆の音が聞こえてくる。第三夜、誰も居ない作業部屋から鼻歌が聞こえてくる。第四夜、誰も居ない壁の中から動物の声が聞こえてくる。第五夜、誰も居ない頂上の部屋から糸車の音が聞こえてくる。第六夜、誰も居ないダンスホールから音楽と踊る人々の笑い声が聞こえてくる。第七夜、誰も居ない城をうろつくメイドの影が時々現れる」


 アルテがあたしに口を近付かせ、耳打ちした。


「丑三つ時」


 サリアとクレアは後ろで打ち合わせしている。


「深夜1時に旧校舎前。来るならおいで。5分待っても来なけりゃ、わて一人で行くからさ」

「……そんな時間に出かけてるの?」

「サリア先生ぇー」


 アルテがサリアに振り返り声をかけた。


「ロザリっちのことは、わてが見てますので、職員会議にでも行ってらしてどうぞ」

「戻ってくるまでに課題よ」

「わかってますって」

「クレア先生、こちらへ」

「じゃあね。アルテ」

「また後で。クレア先生」


 サリアとクレアが教室から出ていき、足音が聞こえなくなってから――アルテの眠たそうな目がぱっと開かれ、あたしを見た。


「怖いことはいつ起きると思う? 大体深夜。2時22分。4時44分。ゾロ目の時間には大抵良くないことが起きる。広く言ってしまえば、夜中こそ怪奇現象が現れる。時刻は24時では早すぎる。時計の針が1時を回れば、油断した何かが現れる」

「辻褄が合った。だから昼間寝てるのね? そんないけない時間を彷徨いてるから」

「ロザリっち。……サリア先生がおかしくなったのは、深夜にあそこに入ってからだった。わかる? 深夜に行ってこそ真実が隠されてる」

「……貴女がそこまでする必要ある?」

「ロザリっちは来たばかりだからわからないと思うけどね」


 アルテが出来上がっていく糸を見つめた。


「クラスに解け込めるようになったのは、サリア先生のお陰。でも、そのサリア先生は、未だどこかで眠ってる」


 アルテが欠伸をした。


「別にね、ロザリっち、わては一人でも平気だよ。ロザリっちはさ、多分なんか、あれなんでしょ? セーラ様とわてが仲良くしてほしいんだ」

「……あー。まあ、そんなとこかしらね」

「グースが言ってた。ロザリっちは、お姫様のメイドとして働いてたことがあるって。今はやってないの?」

「短期だったから」

「お姫様はロザリっちをお気に召してるみたい。だからわてを睨んでくる」

「……まだ子供だから許してあげてね」

「気にしてない。一応、わても公爵家。もっと質の悪い人と交流したこともあるから、何も気にしてない。何も怖くない。お姫様は小さすぎてありんこ同然。眼中にもない。でもね、ロザリっち。サリア先生は別なの。わての恩人なの。だからわてはね、サリア先生を取り戻したいの」


 糸車が回る。


「絶対にこのままでは良くないの」


 あたしの足が止まった。


「寝不足だろうがなんだろうが、サリア先生が戻ってくれば全てが元に戻る。ロザリっちは……」


 アルテが微笑んだ。


「無理をしてはいけない。これはわたくしが勝手にしていること。貴女には妹もいて仲良くなれそうなクラスメイトもいる。わたくしに捨てるものは何もない。何かがあっても父と母が悲しむだけ。民が悲しむだけ。けれど、それだけ。特別守らなければいけないものでもない。けれど、貴女には守らなければいけないものがある。無理をしてはいけない」


 アルテがあたしの手を掴み、手の甲を撫でた。


「ね」

「……普段からそうやって話したら?」

「疲れるんだもーん! ふひひ! 国に帰ったら毎日こんな話し方。可愛子ぶって、貴族の坊っちゃんに気に入られて結婚して、わかりきった未来が見える」

「……」

「ロザリっちは窮屈に感じたことないの? わてはね、この学園生活は、最後の自由な時間だって思ってるのよ? だから冒険する。楽しく過ごす」

「それが授業中、眠ること?」

「サリア先生さえ元に戻れば良い話。それまでは……」


 アルテが肩をすくませた。


「諦めない」

(……サリアは、人に好かれやすい先生だったのね)


 ベックス家の娘として、とても誇らしいわ。サリア。


(サリアの教え子がここまで頑張ってくれるなら)


「やっぱりあたしも行きたい」

「じゃあ待ち合わせ。見つからないように寮から出ておいで。1時に旧校舎の門の前に集合。5分だけ待つ。過ぎても来なかったら、わては先に行くからね」

「寮で待ち合わせたら駄目なの?」

「駄目駄目。金にがめつい管理人が罠を張ってる。絶対に見つかるから見つからないように来れたら、一緒に冒険しようじゃないの」

「罠ね。……わかった」


 ローレライがやりそうな手法だわ。あいつ、島で培ってきた悪戯をここで発揮しようってわけ。いい度胸じゃない。今度島に戻った際に、あんたのパパとママにまとめて報告してやる。


「ところでロザリっち。この学園にはまだまだクラブが存在する。糸車クラブだけ見るのはナンセンス。他のところも行ってみたらどうかね」

「そのつもりよ。でも意外と糸を作るのも悪くなさそう。……メンバーは貴女しかいないの?」

「ふひひ! 幽霊メンバーならいくらでもいるんだけどね、毎日のように来るのはわてだけなの。つまり、正式なメンバーはわてだけのようだね。けれどもね、このクラブが潰れることはない。なんて言ったって、糸は裁縫の授業で使用するからね、買うよりもずっとこっちの方が節約になる」

「なるほど」

「気に入ったなら明日もおいで。そして幽霊メンバーになればいい。幽霊メンバーならいつ消えてもいつ参加してもいいからね。このクラブは強制ではないから好きに来て好きに出ていける。お昼寝も可。でも刺激があるのは他のクラブで間違いない。でもね、確実にここ以上に良い顧問の先生はいない。それは見学すればわかるだろうさ。ふひひ」

「……回ってきてもいいかしら?」

「ええ、ええ。ここは任せなさい。続きはわてがやっておくからね。それと……」


 アルテが小さな声で言った。


「別に来なくても、わては気にしないからね」

「……」

「それではね、ロザリっち。クラブ見学楽しんで」


 アルテが笑顔で手を振り、ペダルを踏み始めた。糸車が回り始める。


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