第37話 家族



 白い光が一筋、空に向かって走った。ウサギと戯れていたドロシーがすっ転んだ。メニーが目を見開いた。あたしは空を見て、息を呑んだ。


 そこには、満天の美しい星空が広がっていた。


 空を見て、兵士と騎士が声を上げた。

 リトルルビィが目を丸くした。

 ソフィアがカメラにおさめる前に自分の視界いっぱいにおさめた。

 キッドが一人で夜空を見て、口角を上げた。

 一人、深刻そうな顔をしたリオンが夜空を見上げるキッドの元へ歩いていった。


「……メニーのことだけど」

「ん?」

「嫌いにならないであげてくれないか」


 キッドは黙って星空を見つづける。


「メニーは……テリーのために、色々、ほんとうに……話しきれないほど……動いてくれたんだ。正体もわからなかったオズにばれないように、ほんとうは……もっと、……テリーのそばにいたかったはずなのに……」

「なんでおれがメニーを嫌いにならなきゃいけないの?」

「いや、だって、……メニーはテリーのこと……」

「いやいや、お前さ」


 勘違いしてもらっちゃ困るね。


「テリーが愛してるのは、おれ」

「テリーが結婚するのも、おれ」

「テリーの子供の遺伝子を持つのは、おれ」

「テリーが入る墓にいるのも、おれ」

「メニーは、おれのテリーを、だれよりも大切に想ってくれる、やさしい妹」


 それだけ。


「ね、おれがあの子を嫌いになる必要ないだろ? おれはメニー大好き。可愛い妹さ」

「……嫉妬に燃えてたのはだれだよ」

「姉妹愛に嫉妬くらいするさ。だけど、おれは冷静に考えたわけだ。テリーが愛してるのはおれ以外ありえないから嫉妬する必要もないってね」

「ああ、そうかよ」


 リオンがキッドの隣りに座った。


「王子に二言はないな? ぼくは聞いたからな」

「えらくメニーにお熱高めだな。愛のない結婚だったのに」

「心配なんだよ」

「心配ね」

「テリーのことになると周りが見えなくなるから」

「姉想いの良い妹だ」

「……優しすぎるんだよ」


 リオンが呟いた。


「お前とテリーが結婚したら、メニーはどうなる?」


 闇に近い青い目が、弟をチラリと見た。


「宇宙を一巡させるために命を捧げたメニーには、……なにが残るんだ?」


 リオンはただただ、つぶやく。


「……心配なんだよ。ただ、純粋に」


 美しい夜空が広がる。

 平和の願いを叶える空。


 ジャンヌとリチョウが、崖の上に座り、ともにその美しい景色を見ていた。


「ジャンヌ、見てるか」

「見てるよ。兄さん」

「これが100年に一度の星空だ。……なんて美しいんだ」


 狼の白い毛が風に揺られている。


「いい詩がつくれそうだ」

「これから色んなものを見てつくればいいよ。村は沈んじゃったし」

「ああ。……そうだな。おれたちの家も、部屋も、水の底だ」

「……ねえ」

「なんだ?」

「注射……打ったら、人間に戻れる可能性があるんだよ?」


 ジャンヌは兄を見つめる。


「打ちなよ。いい加減」

「ジャンヌ、……おれの体のことはおれが一番理解できてる」


 ――もう手遅れだ。


「……よく考えたらおれは社会不適合者だ。このまま人に戻ったところで、おれになにができる?」

「少なくとも……また、三人でいられるよ」


 リチョウと、エンサンと、わたしで。


「……パパも、死んじゃったんだよ?」


 ジャンヌがリチョウの白い毛をなでた。


「……わたし、……一人ぼっちになっちゃう……」

「……エンサンは、目を覚ましたか?」

「……いや、まだ……でも、……薬は効いてるみたいだって……」

「……別れてやるなよ。……あいつはお前を愛してる。呪いで気が触れたんだ」

「わかってるよ」

「……ジャンヌ」

「……三人でいようよ」

「それは、……もう無理だ」


 その身は、白い毛に包まれている。彼はもう獣と化して、心も体も馴染んでしまった。まるでこれがリチョウに対する罰とでも言うかのように。


「ジャンヌ、二つお前に頼みがある」

「なに?」

「一つは、……森の奥で人を襲っている白いオオカミを見かけたと聞いたら、……お前がおれを殺しに来てくれ」

「……」

「いつ、正気がなくなるかわからないからな」

「リチョウ」

「二つ目は」


 リチョウが言った。


「おれの詩を、今、聞いてやってくれないか?」

「……つくったの?」

「ああ。この星空を見て思いついた」

「いいよ。それくらいなら」

「……では……」


 リチョウは息を吸い――詩を読んだ。



 星空の広がる夜 妹と、友と、そして人間であった自分と別れを告げる

 なぜ自分がこのような運命に 陥ってしまったのか

 今ならば、なんとなくわかる

 おれは怠惰であった そのくせ自尊心が異常に強かった

 周りの人々を傷つけ 家族を傷つけ

 それでもおれは何者かになりたかった

 妹よ 道を誤るな

 うそつきにはなるな

 時に うそは偉大な武器となり

 時に うそは偉大な凶器となる

 時と場合で使い分け

 それでも自分の道に迷いが出たら

 そのときは お前の心にある正しさの鐘を鳴らせ

 そうすれば お前の心の中にいる裁判官が来て

 お前は正しき道を探すことになるだろう

 悲しくなったら森へ来い

 遠くから兄の遠吠えをきいて泣くがいい

 泣いたら森から出ていけ

 そして正しき道を再び歩き出せ

 おれのようにはなるな

 妹よ

 うそつきにはなるな

 善人となれ

 人を助け 守り 愛されろ

 それがおれの願いだ



 ジャンヌは聞いてて思った。自分は詩に詳しいわけではないけれど、この詩でプロと呼ぶには違う気がする。

 けれど、今まで作ったリチョウの詩のなかで、一番心に残った作品であった。


「……おれは、行く」


 リチョウがジャンヌに伝える。


「元気でやれ。ジャンヌ」


 最後に、


「お前が生きててくれてよかった」


 ジャンヌが目を見開いた。リチョウはジャンヌに背を向け、崖から飛び降りた。


「っ!」


 ジャンヌが立ち上がり、落ちていく兄を見届けた。


「……兄さん……」


 ジャンヌの目に、涙があふれた。


「兄さん……!」


 ジャンヌが叫んだ。


「兄さん!!!!!」


 森の奥から、オオカミの遠吠えがきこえる。それは、妹への別れの言葉のように。

 遠くからオオカミの遠吠えがきこえる。

 遠くから、遠くから、遠吠えは響き渡り、やがて、小さくなり、やがて、風のように去っていく。


 風だけが吹かれる。

 人々は夜空を見上げる。

 星空を眺める姉妹は手を握る。

 星空を眺めた兄妹は別れる。

 水の底には沈んだ村がある。



 平和を願う星空が、どこまでもつづく。







 (*'ω'*)






















「……ごめんなさい。余計なことして……」


 少年はうつむく。


「でも……あのまま離れてたら……リトルルビィが死んじゃうと思ったから……」


 少年は拳を固めて、目の前の人物に言った。


「で、でも、今回は、ほんとうに、やりすぎたと思ってます……。ぼくたちは時間軸の人間に干渉してはいけない。わかってます。すみませんでした。……ごめんなさい……」


 マントから長い手が伸びた。

 少年がびくっと体を揺らして、目を固く閉じる。


 ――叩かれる……!


 しかし、手は少年の頭を優しくなでただけ。少年がうつむいたままきょとんと目を開けて、もう一度顔を上げた。


「……」

「行きましょう」


 魔法使いもどきは杖を見た。


「まだ杖の力は戻ってないわ」


 森に歩いていく。それを赤い目が見つめる。魔法使いもどきが、チラッと振り向いた。


「……行くわよ。レッド」

「はい」


 少年はうなずいた。





「テリーさん」




 二人は森の奥へと消えていき、その存在を世界から消した。この世界にはなにも残らない。ただ、二人はいて、いなかったものとして認識されただけ。


 暗闇だけが残る。




(*'ω'*)








 満天の星空は時間とともに去ってしまう。

 日が昇った翌日、アメリはテーブルを叩いた。


「ママ! いい加減に二人を迎えにいかないと! サリアだってそう言ってるわ!」

「キッドさまたちがいらしてるのよ。大丈夫だから食事を続けなさい」

「アトリはダムが崩壊して沈んだってきいたわ! みんな無事かどうか、連絡もつかないのに!」

「つばを飛ばさないで。お前、もう少しで子爵家の嫁になるのよ。はしたない真似しないの」

「な、なにが……なにが、はしたない真似よ! この頭でっかち! いいわよ! わたしが行くから! ママなんかくたばれ!」


 アメリが部屋から飛び出した。廊下を歩いていたサリアが足を止めた。


「アメリアヌお嬢さま」

「サリア、テリーとメニーを迎えに行くわよ。ついてきて」

「奥さまには……」

「許可なんか取らなくたっていいわよ! あんなわからず屋、知らない!」


 アメリがマントを羽織り、一階に下りた。宿の従業員がカウンターに駆け寄ってくる。


「アメリアヌさま、ど、どちらへ!?」

「母をお願いしますわ!」


 アメリが宿の外に出た。そこにはベックス家の馬車が止まっている。


「ロイ! フレッド! 馬車を出して!」

「え? 馬車ですか?」

「どちらへ?」

「アトリよ!」

「そ、それは無理です……」

「どうしてよ!」

「アメリアヌお嬢さま、わかってください……。一昨日、アトリはダムの崩壊による放水のため沈み、道は湖状態です。とても行けません」

「じゃあボートを用意したらいいのね! 買いに行きましょう!」

「アメリアヌお嬢さま、どうか……」

「おい、サリア、止めてくれ!」

「アメリアヌお嬢さま、お待ちを。宿へお戻り……」


 サリアがはっとした。


「くだ……さい……」


 サリアがぽかんとした顔でその方向を見つめる。ロイとフレッドが顔を見合わせて振り返った。アメリも不審がって振り返ると――。


 ――そこには、数頭の馬が歩いてきていた。兵士と騎士が馬を操り、そのなかに、リトルルビィの操る馬に乗せられたメニーがいて、キッドの馬に乗せられたあたしが平然とした顔でいた。


「あ……、あっ……!」

「ま、まさか!」


 ロイとフレッドが息を呑んだ瞬間、アメリが叫んだ。


「テリー!! メニー!!」


 リトルルビィが馬を止め、メニーが馬から下り、走り出した。


「お姉さまー!」

「ああああ! メニィーー!」


 アメリが涙目であたしたちに向かって走ってきた。キッドがクスッと笑い、あたしに言った。


「お前はいいの?」

「子供っぽいじゃない」

「いいから下りろ。ほら」

「……はあ……」


 キッドが馬を止めた……その直後、宿から得体のしれないなにかが走ってくる足音が聞こえ、勢いよくドアを開けた。その衝撃でドアが壊れ、従業員が目を丸くした。


「ああ! ドアが壊れた!!」

「店長、業者手配したんでチップください」

「え、仕事はや……え!? またチップ!? もぉー!」


 目を血走らせたママが宿から飛び出し、全力疾走を始めた。メニーに向かって走ってたアメリが後ろからママの腕に巻き込まれた。


「ぐはっ!」


 それを見てたメニーがぎょっと目を見開いて、足を止めかけると、ママの腕に巻き込まれた。


「はぶっ!」


 キッドに抱っこされてたあたしを空高くジャンプしたママが奪い取った。ママの腕に巻き込まれた。


「げふっ!」

「お前たち!!!!」


 ママが腕に力を込めて叫んだ。




「よく無事に戻ってきた!!!!」




 あたしたち三人を、できる限りの力を込めて抱きしめてくる。


「お母さま、苦しい……」

「ぐすん! お黙り!!!!!」

「ほんとう、心配したんだから、二人とも! ぐすっ、馬車ごと崖から落ちて、ぐすっ、その上、アトリが放水事故に巻き込まれたってきいて! もう、心臓止まるかと……!」

「ぐすん!! うるさい!! お黙り!!!!!」

「ママ、痛いんだけど」

「ぐすん! ぐすん!! 黙らっしゃい!!!!!!」


 故意的に歴史を変えることは危険である。

 生まれる人が生まれなかったり、死ぬ運命にあった人が死なず、別の誰かに死が移る可能性があるから。また、逆もしかり。生が誰かに移る可能性もあるから。


 本来、歴史は変えるべきではない。


 だけど、


(……ドロシー)


 あたし、変えてよかった歴史もあると思うのよ。少なくとも、


(うちの歴史は、変えてよかったんじゃないかしら)


 うつむいて涙を流し、いつもの濃いアイメイクが落ちていくママを見て、アメリも、あたしも、――メニーも、お互いの背中に手を添えて、手を重ね、抱きしめ合った。


 あたしたちは家族。

 たった一つの四人家族。


(ドロシー)


 これで、よかったのよね?

 正しき道は、わからないけれど。



 アトリの村から出たあたしたちは無事に再会し、ママのはしたない泣き声が、アトリの鐘のように村中に響き渡っていた。


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