第33話 修羅場




 ――テントのなかが、凍りついた。


 リオンが気まずそうに目をそらした。

 ソフィアが目を見開いたまま固まった。

 リトルルビィが口を開けたまま固まった。

 クレアが無表情で固まった。

 メニーは顔を寄せた。


 あたしの頬にキスをした。


「……」


 あたしの血の気が一気に下がった気がした。


「……えっと」


 このテントの空気をもどすには、あたししかいない。あたしは言葉を出した。


「えっと……ね……」


 メニーがあたしの頬にまたキスをした。


「ちょっとタイム」


 あたしはTの文字を腕で示し、うつむいてもじもじするメニーと向かい合った。


「メニー」

「……なぁに? テリー……」

「一回、大人の女同士話し合いましょうか。あのね、あたし、今なら冷静にあんたと話せる気がするの」

「……、うん。……いいよ」

「……えっと、……今言ったことを確認したいんだけど」

「うん」

「あたしが、なに? あんたに……大好きって言ったって?」

「……」


 メニーが顔を赤らめて、恥ずかしそうに小さくうなずいた。


「……うん……」

「……それが……?」

「……出会ったばかりの頃だから……お父さんとお母さまが結婚して……お父さんの出張につきあって……わたしが、ほら、……やっと屋敷にちゃんと住み始めた頃……?」

「……あー……」

「……」

「……」

「……覚えてる?」

「え?」

「テリーが……四つ葉のクローバーのノートに、田舎に行く計画表を立ててたの」

「……あー……。……そうだった……かしら……?」

「……うん……」

「……一度目の世界……で……よね……?」

「……今も……引き出しの奥に、……しまってるでしょ?」

「……読んだ?」

「ううん。すごく隠したがってる場所にあったから、読まれたくないのかなって思って……読んでないよ」

「……あんたの察する力だけは褒めてあげる」


 記憶の覚えてる範囲を書き綴って整理する用にアメリからくすねた四つ葉のクローバーのノート。一度目の世界では、……田舎に行く計画表?


「……あー……」


 ……なんか思い出してきた。


「……そうだったかも。なんか……たしか、むかし、……島でばあばと遊んでて……田舎のヒーローごっこやってて……田舎にアジトがあればいいなって思って……行きたかったのよ。たしか」

「トラブルバスターズは二人で一つ。テリーはいつもそう言ってた……」

「ああ、そうそう。トラブルバスターズ。……この世界で初めて思いついたと思ってたんだけど……あー……たしかに……。あたし、むかしから……たぶん……あんたに言ってたかもしれない……」

「でも、屋根裏部屋に連れて行かれてからは……そんな話も、できなくなっちゃって……」

「……あー……。……そうだったかも……。……あんたと喋ったらママに叱られたものね……」

「……だから、テリーは気を使って、部屋のドアの鍵を締めて、ばれないようにわたしを部屋で休ませてくれたの」

「……あたしの機嫌が良かったとき……だけよね。それ……」

「あと、ほら、……リサイクルって言って……わたしに色んなものをプレゼントしてくれた……」

「……ああ、……リサイクルね……。……あったわね」

「それと、朝食の間だけだったけど……テリーはいつも部屋で食べてた。わたしがテーブルマナーを忘れないように、食べる姿を見てなさいって……」

「……あー……、……あのとき……食べる練習したかったのよね……。見られてると……覚えるのよ……。……はー……」

「ダンスもテリーが全部教えてくれた。男役も女役も踊れるようになって、……ずっと二人で踊ってた……」

「そうそう。アメリに負けたくないと思って……やってたかも……」

「お母さんの形見のドレスはネズミに穴あけられちゃったけど……テリーが瓜二つのドレスを用意してくれた……」

「……あー……、……あったわね……。でも結局、着る機会なんてなかったでしょ」

「でも、……すごくうれしかった……」

「なに? そんなことであたしがあんたを本気で好きだとでも?」

「今はともかく、……あのときは、テリーだけがわたしのことをずっと家族だって思ってくれてた。それはわたし、間違いないと思ってるんだ」

「妄想じゃない?」

「ふふっ。テリー、忘れたの?」

「なにが?」

「二人のときは、お姉さまって呼びなさいって言ってた。テリーじゃなくて」

「……上下関係はっきりさせたかったんじゃない?」

「上下関係?」

「あんたね、都合のいいところばっかり覚えてるみたいだけど、あたしはあんたを泣かしたことだって覚えてるわよ」

「例えば?」

「掃除した廊下をわざと汚したり」

「そんなのしょっちゅうだったじゃん。嫌だったんだよ、あれ」

「嫌がらせだもの。当然でしょ」

「用もないのにベル鳴らしたりして」

「嫌がらせだもの」

「あ、あれあったね、二階からゴミ箱に入ってた灰を落とされた」

「……あー、やったわね。アメリとあたしで笑いながらあんたのこと見てたやつでしょ」

「お掃除大変だったんだよ」

「そこ?」

「結構傷ついてた」

「嫌がらせだもの。ざまあみろ」

「うん。お母さまもアメリアヌもひどかったけど、やっぱり、テリーが一番意地悪だった」


 でも、


「一番……優しかった」


 うっとりするメニーの顔にうんざりしたあたしは足を組み直した。


「お前ね、なにか勘違い……」

「殺せなくて残念だったね」


 メニーがあたしを見て、クスッと笑った。


「わたしを刺したの、覚えてる?」

「……ふん。……死ねばよかったのに」

「そうだよね。……わたしもすごく残念だったの」

「は?」


 あたしがきき返すと、メニーが笑顔で言った。


「だって、リオンがわたしを迎えに来たとき、テリーはわたしを憎くて刺したんでしょう?」

「だったらなに?」

「わたしがテリーの手で死んでたら」


 テリー、


「ずっとわたしのこと、忘れられなかったでしょう?」


 あたしの指が、ぴくりと動いた。


「自分が原因で死んだキッドさんのことだって忘れられなかったんだから、自分の手で殺したわたしのことは、もっと忘れられなかったでしょう?」


 わたしの目が覚めたって聞いて、テリーは残念がって、それと同時にすごく安心したんでしょう? メニーが目を覚ました。わたしはメニーを殺してない。メニーは無事に目を覚ましたんだから、あたしは悪くないって思ったんでしょう?


「えへへ。……残念だったな」


 人間は罪の意識が軽くなった瞬間、その対象のことを忘れるようになる。


「わたしが死んでたら……テリーは死ぬまでわたしを忘れられなかったのに」


 寝てるときも、

 夢から覚めたときも、

 働いてるときも、

 罪悪感が駆け巡って、

 満足感はあっても、

 テリーには罪悪感が存在する。

 テリーが人生を終えて、

 死ぬその瞬間まで、

 記憶から、

 わたしの顔が、

 ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、


「残るはずだったのに」


 メニーがにっこりと笑った。


「残念だったね。テリー。わたしを殺せなくて」

「……」

「皮肉じゃないよ。嫌味でもない。……ほんとうにそう思ってるの」

「……なに? 死にたかったの?」

「まさか。わたし、まだ死にたくないよ」

「でも、あたしには殺されていいってわけ?」

「テリーがそれを望むなら」

「頭いかれてんじゃない?」

「いかれてないよ」


 メニーが誇らしげに答えた。


「わたしがテリーを愛してるだけ。ただ死ぬだけなら、……愛してる人に殺されたいものでしょう?」

「……。いつ思い出したの?」

「……実を言うとね、結構前から思い出してたんだよ。それこそ、……お父さんが死んだってきいたときから」

「あ?」

「あ、違うよ? ……忘れたり、思い出したりしたの。……で、……また忘れたり……思い出したり、……思い出したと思ったら……やっぱり忘れたり……、……不安定な状態がずっとつづいてたの。……だから、ほら、この世界でお父さんが死んじゃってから……初めてのテリーからのプレゼント……四つ葉のクローバーのピン。……プレゼントされた瞬間は記憶飛んじゃってたの。だけど……一人になってから思い出して……わたしのこと……意識してくれてるんだって……わたし……すごく嬉しかった」


 大切なピンを眺めながら、わたしは自分のやるべきことを改めて思い出した。そして行動した。


「大変だったんだよ?」


 


「誘拐の矛先を、アメリアヌに向けさせるの」




 あたしは言葉を失った。


「どうしたらテリーを守れるのかずっと考えてた。ずっと考えるために部屋で本を読むふりをしてた。そしたら記憶がどんどん薄らいでいくの。気がついたらわたしは、なにもしらない子供の私に戻ってる。そしてなぜか目の前に本があるから、それを読むの。そしたら、テリーはずっと話しかけてきた……」


 メニー! お姉ちゃんと遊びましょー! あたしぃー! メニーと遊びたいのー!


「わたしが引きこもってればテリーは無理に出かけようとしなかった」

「だからわたし、日記に書いたの」

「お母さまに叱られるから、廊下に出ないようにしようって」

「子どものわたしはそれを見て、……ふふっ。ばかだから、ずっとこもってた」

「それがテリーを助けることになってるなんて知らずに」


 あたしはメニーとお留守番していた。結果、アメリアヌが誘拐された。


「クロシェ先生のこと、わたしが見張ってたから、テリーは頑張らなくてよかったんだよ?」


 通り魔がクロシェ先生とメニーを襲った。二人は必死に逃げていた。


「キッドさんがいなければ、魔力を使ってもよかったんだけど……テリーが呼んできちゃったから」


 でもね、あのとき、キッドさんが通り魔を片付けてしまったでしょう?


「だから、テリーが少し不満そうだったの」


 メニーは口角を上げたまま。


「リトルルビィは、どうしてわたしたちの馬車につられてきたんだろうね?」


 クロシェ先生の血の匂いにつられたんでしょ。



 ――いや、ちがう。

 中毒者は、魔力がある者がそばにいると落ち着くから、近づく。

 正気を失ったリトルルビィがあたしたちの馬車を襲ったのは、飢えからじゃない。


 強い魔力を持ったメニーが、いたから。


「テリー」

「満足だったよね」

「リトルルビィを助けられて」

「うん。そうなの」

「テリーって、人を助けることが好きでしょう?」

「それで、感謝されるのが好きでしょう?」

「でも特殊能力もなにもないから、見ることしかできない」

「だから不満が残る」

「でもね、わたしは思い出したら、それを察することができるの」

「またテリーが不満に思ってるって思うの」

「テリー」

「暴走したリトルルビィがわたしたちを追いかけてきたとき」


 メニーは口角を上げたまま。


「転んじゃったわたしを守ろうとしてくれてありがとう」


 あたしは目を見開いた。


「鏡に呪われたわたしを助けてくれてありがとう」


 あたしの呼吸が止まる。メニーは口角を上げたまま。


「ソフィアさんに誘拐されたわたしを助けてくれてありがとう」

「催眠にかかったわたしを助けてくれてありがとう」

「ジャックに怖がったわたしを守ってくれてありがとう」

「10月29日のテロ事件に巻き込まれたわたしを迎えに来てくれてありがとう」

「マールス小宮殿で行方不明になったわたしをさがしに来てくれてありがとう」

「人魚にされかけたわたしを助けにきてくれてありがとう」

「水に飛び込んだわたしを助けにきてくれてありがとう」


 どう? テリー。


「 優 越 感 は、満たされた?」


 あたしの目玉が揺れた。


「わたしがトラブルにあえば、テリーは喜んで助けにきてくれた」

「助けに来なかったことなんてなかった」

「死刑にならないように、わたしからの好感度と信頼度をあげなきゃいけない?」

「違うよね?」

「テリー、わたしはテリーのことならなんでもわかるの」

「わたしを助けて、優越感に浸りたかったから、どんな状況でもテリーはわたしを助けに来てくれた」

「だよね?」

「本気でいやなら、テリーなら、なんとしてでも逃げるでしょう? なんとしてでも行かないって言うでしょう? キッドさんやリトルルビィやソフィアさんやリオンやドロシーに任せて、絶対に無理だからって断って、わたしの帰りを待つでしょう?」

「テリーは死刑の未来を回避したかった。でも、リオンと和解した時点で、もう確実に避けられる未来だってわかってたよね?」

「でも、性懲りもなくわたしのためにわたしを助けに来た」


 ううん。


「優越感に浸る感触を味わいたくて、わたしを助け続けた」


 それを、


「メニーに嫌われたら死刑になるからって理由をつけて」


 不自然にも、諦めることなく、


「無力でなにもできないくせに」


 ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、


「わたしを助けに来た」


 それは、まるで、お母さまとアメリアヌに虐められてるわたしを、陰で助けているふりをしていたあなたのように。


「この世界でも、テリーはわたしを必要としている」

「わたしの泣き顔が好きなんだよね?」

「わたしの、感謝してくる顔が好きなんだよね?」

「優越感に浸れるから」


 ほらね、テリー。


「わたしのほうが、テリーと一緒にいて、テリーを幸せにしてあげられる」


 今この瞬間だって、テリーは思ってるでしょう?


「だれよりも美人でかわいくて、すぐに人からちやほやされるメニーが、唯一愛してるのは自分だった。不思議だわ。悪い気がしない。なんて優越感。なんて気持ちいいんだろうって」


 あたしの両手がメニーの首に伸びた。メニーがそれを掴んだ。あたしの両手が動かなくなり、あたしはメニーを睨んだ。


「テリー」


 メニーがまっすぐあたしを見つめる。


「わたしはだれのことも見ない」

「テリーがわたしを大好きって言ってくれたあの瞬間から」

「わたしはテリーしか見てない」

「リオンなんてどうでもいい」

「王子さまなんていらない」

「テリーがいなかったら生きてる意味なんてない」

「わたしはテリーだけを愛してる」

「でも、テリーはわたしなんかに嫉妬しちゃう。だから困ってるんでしょう?」

「嫉妬なんてしなくていいんだよ」

「だって嫉妬したって、嫉妬してるわたしはテリーのことしか見てないんだから」

「クレアさんを見てると思ってるの? ううん。わたし、テリーしか見てないよ」

「リオンと結婚したのだって、あの人がテリーを呪われたお母さまとアメリアヌから救い出してくれるって言ったから承諾したのに」

「目が覚めてびっくりした。テリーを屋敷に残したってきいて」

「おまけに、大丈夫だから体を休ませてから訪問するよう言われて行ってみたら、屋敷は差し押さえになってテリーは出ていった後」

「リオンの言うことなんか、信じるんじゃなかった」

「すぐにさがしたけど、どこにもいなくて」

「わたし、ほんとうに焦ったの。あんなにパニックになったことなかった」

「よかった。……アメリアヌを見かけて」

「フードを被って王妃だって気づかれないように変装して、目の前でリンゴを食べたら、アメリアヌが簡単に……ふふっ……つられて……盗んでくれたから」

「そのおかげで裁判までもっていけた」

「アトリの村の人たちに感謝しなきゃ」

「テリーたちの罪を重くしてくれて」

「おかげで工場に入れることを提案したってなんの違和感もなかった」

「テリーをやっと守ることができた」

「19年間」

「テリーを見るたびに幸せだった」

「テリーは睨んできたけど」

「わたし、それでも」


 メニーが笑顔で言った。


「すごく……幸せだった……」


 ――あたしは――両手を――メニーから離した。


「……、……、……」


 メニーは、リトルルビィのときから、中毒者の事件に巻き込まれるようになった。


(……、……、……)


 メニーは魔力を持ってる。でも、何もしない。

 あたしにずっと隠してきた。

 何もしない。

 だから無能であると思ってきた。

 クレアがメニーの魔力について言わなければ、あたしは一生気づくこともなかった。

 魔力持ちであるとわかった後だって、メニーは頭が真っ白になったと言って、何もしなかった。


 なぜ?


 全部、



 あたしの醜い優越感を満たすため。



「……バカ……じゃないの……?」


 メニーは微笑むだけ。


「お前……バカよ……。とんだバカ野郎の……阿呆女よ……」


 ぞっとして、声が震える。


「そのために……危険を……犯したっての……? 死ぬ可能性だって、あったのに……」

「死なないよ」


 メニーは優しくあたしに言った。


「だって、いざってときは、魔力を使えばいいんだから」


 あたしの口から言葉が出なくなる。


「わたしのことよりも、テリーが笑って、気持ちよくなってくれるほうがずっと大事」


 人に優しく、自分に無関心のメニーがあたしをだきしめた。


「テリーのためなら、わたし、なんでもできるの」


 あたしは愕然とする。


「大好きなの。テリー」


 憧れてるメニーから、憎んでいるメニーから、ヒロインのメニーから、あたしに愛が囁かれる。優越感に満たされる。


「テリーを愛してるの」

「……メニー」

「なに? テリー」

「あたしは愛してない」


 メニーがそっとまぶたを上げる。


「お前なんてきらい」


 メニーを引き剥がす。


「好きになるなら、別の人を好きになって。尽くすなら別の人に尽くして」


 愛するなら、あたし以外のだれかを愛して。

 でないと、




 お前、ほんとうに壊れるわよ。




「……リオンとの結婚生活は、……ろくなものじゃなかったみたいね」

「……」

「……今度こそ愛する人を見つけたらいいわ」


 メニー、


「もう偽造結婚なんかしなくていい。あたしのくだらない優越感だって無視しなさい。お前は少し自分のことを考えて。知らない人を好きになりなさい。一人じゃなくて、二人も三人も関わりなさい。関わらないと見えてこないものだってあるのよ」


 青い目はあたしを見つめる。


「わかった?」

「関わらなくていい」

「……メニー」

「テリーがいてくれたらいい」

「お前」

「きらいなら、それでもいい」

「メニッ……!」

「愛されることなんて望んでない!!」


 メニーの怒鳴り声にカッとしてあたしも怒鳴ろうとして――その顔を見て――黙った。


「テリーのそばにいられたら……」


 メニーの目から、大粒の涙が落ちてくるものだから。


「それで……いい……」

「……」

「……愛してくれなくていい……」


 メニーがあたしの肩に頭を乗せた。


「わたしのこと……思ってくれるなら、……なんでもいい……」

「……あのね……」

「離れたくない」

「メニー」

「……ずっと愛してるって言ったくせに」

「は?」

「キスだって……したのに」


 メニーが言葉の魔法でテント内をさらに凍らせた。


「……テリー以外のだれかに愛されるくらいなら、……わたしはテリーに殺されたい。そうすれば」


 ――テリーはずっとわたしを覚えてる。


「テリーが愛してくれなくても」


 メニーがあたしにしがみついた。


「わたしは、……愛してるもん」




 ――……あたしは、記憶をまさぐって、いろんなアルバムをばらばらばらばらばらばら! と、めくって、どの記憶が該当するものかさがしてみると、一度目の世界で、……あれは、メニーを刺そうとして、刺せなかった日。


 リオンの迎えが来なかったらこいつの幸せを阻止できると思って、……テンション上がって……田舎に行こうとか言い出して……気がついたら……。




「……あ、確かにした」


 あたしの頭に、急に、ぽん! と浮かんだ。メニーと唇を重ねてた若かったあたし。


「……あー……」

「……ファーストキス……だったんだから……」

「……あたしだってそうよ」

「……じゃあ、……テリーの初めては……やっぱりわたしだったんだね……。……死にかけてたキッドさんじゃなくて……」


 ぴき。


「……うれしい……」

「……ばか。あんなのカウントに入らないわよ。口と口をくっつけるなんて、姉妹なら当たり前にやるでしょ」


 ぴき、ぴき。


「あのね、簡単に殺されたいとか言わないの。メンヘラって呼ぶわよ」

「わたし、メンヘラじゃないよ? 健康的だもん」

「死にたいの?」

「ううん。わたし、まだ死にたくない」

「じゃあ、殺されたいって二度と言わないで。死にたくない人が殺される世の中なんだから」

「テリーはわたしを殺したい?」

「人を殺人鬼にしないでくれる? あたしはね、これ以上罪を背負いたくないのよ」


 ぴきぴきぴき。


「お前のことだって愛さないわ。だから別の人を好きになりなさいって言ってるの。このまま片思いなんて苦しいだけでしょ。ばか」

「じゃあ、あのずっと愛してるって、なんだったの?」

「あれはどうかしてたのよ」

「テリーが言ったんだよ? わたしに」

「だから、色々、若かったのよ」

「記憶がないときも、愛してるって言ってた」

「姉妹としてでしょ」

「片思いでもいい」

「だめ」

「わたしのこと気遣ってくれてるの?」

「ざけんな。迷惑だからに決まってるでしょ」

「じゃあ、またリオンと結婚しよっかな?」

、じゃないんだ?」

「……リオンにも迷惑かかるでしょ」

「ねえ、テリー、なんでいまわたしに気遣ったの?」

「うるさい。言葉の順番よ。リオンに迷惑かかるからやめなさいって意味もあったのよ」

「テリー、……やっぱり、まだわたしのこと……愛してるでしょ」


 ぴきぴきぴきぴき。


「だから、好きじゃないってば」

「もう少し時間あげる」

「時間をくれてもいいけどお前に振り向くことはないわよ。永遠にね」

「テリーも、……遊びたいと思うから」


 メニーがふふっと笑った。


「わたし、もうちょっとまってる」

「だから」

「小さな浮気くらい、なんてことないよ。人間は浮気する生き物だもん。わたし、全然大丈夫」

「いや、だから」

「テリー……」


 そっと、メニーが顔を上げた。


「……わたしね、……浮気したって……テリーが好き」


 近づく。


「愛してる……」


(あ)


 ほっぺにメニーの唇が押し付けられた瞬間、なにかが切れた音がきこえた。

 ――ぶっちん。


「ダアアアアアアアアアリイイイイイイイイイイン!!!!!」


(ひっ!? なにごと!?)


 あたしは嫉妬で理性の糸をぶちぎらしたクレアに振り返った。


「え!? どうしたの!? クレア!?」

「いつまで婚約者の前で妹とイチャイチャしているつもりだ!!」

「え!? なに!? イチャイチャなんて、してな……」

「してるだろうがあああああああああああああああああ!!!!!!!!」

「クレア! クレア! 声を抑えないと、ね! 人にきこえるかもしれないから!」

「貴様がいつまで経ってもはっきりせんからこうなってるんだろうがああああああああああ!!」

「ちがうちがうちがう! 見てたでしょ! あたし、ちゃんとはっきり断ったでしょ!!」

「うん。浮気が終わるの……まってる」

「ダアアアアアアアアアリイイイイイイイイイイン!!!!!」

「クレア! おちついて! ちがうの! これはメニーが勝手に言ってることで……!」

「……メニーは……いいんだ……」

「え!?」


 リトルルビィが拳を固めて、ぐっと唇を噛んで、……涙を浮かべている。


「リトルルビィ!?」

「わたしのことは……振ったくせに……メニーはいいんだ……」

「ちがうちがうちがう! そうじゃないってば! リトルルビィ! きいてたでしょう!? あたしはメニーが嫌いなの! だから別の人を好きになってって何度も……!」

「テリー、無駄だよ。女は常に感情をバッテリーにして動いてる。こんな状態じゃ、聞く耳持たなくなるのが女ってものさ」

「ソフィア! さすが大人の女! 物事を冷静に分析するなんて! さすが元怪盗パストリル! 言ったれ言ったれ! 的確なアドバイスを言い放つのよ!」

「ここはやっぱり……」


 ソフィアがウインクして、あたしにアドバイスした。


「真面目に一夫多妻制を考えるべきじゃないかな?」

「お前に期待したあたしがばかだった! くたばれ!」

「だってテリー、ここまでわたしたちの心をかき乱しておいて、一人に絞るなんて、そんな残酷なことはないよ」

「ねえ、あたし、断ったわよね!? クレアが好きだから気持ちに答えられないって、断ったわよね!?」

「テリー、君にはこの本を勧めるよ」

「なにそれ」

「君の好きなロマンス小説だよ。主人公は交通事故によって異世界に飛ばされ、女の子として生まれてきてしまった脳は男、体は女となんとも理想的な両性類」

「で?」

「このようにレディたちの心をかき乱してしまったがゆえに、全員から告白されて、押しに弱い主人公は断れず、全員と結婚する。脳が男だから、体が女でも関係ないよね」

「あたしは女よ!!!!!!」

「テリー……、……。……大好き……」

「メニー!! あんたいい加減にしなさい! 嫌いだっつってんでしょ!」

「ダァーーーーーーリィーーーーーーーーンーーーーー……!!!!!」

「クレア! ちがう! 見てたらわかるでしょ! ちがうから!!」

「テリー……ぐすっ……そんなにわたし……やだった……?」

「ばかねぇーー! あたしがいつリトルルビィがいやだって言ったのよ! よしよしよしよし! あんたは強くてたくましいあたしの可愛い可愛いリトルルビィよ! ほんとう、大好きなんだから泣かないの!!」

「テリー、一夫多妻制……ぶっくすす……」

「ソフィア! 笑うか喋るかどっちかにしろ!!」

「にゃん」

「ドロシー! そうだ! お前がいた! 魔法でこの状況をどうにかするのよ! おら! やれ!!」

「にゃーん」

「ドロシーーーーー!!」

「ここは一つ」


 リオン陛下がテーブルを叩いた。


「皆の者! 静粛に!」


 修羅場化したテントが一気に静かになった。全員の視線がリオンに注がれる。


「姉妹の話がまとまったようだから、要件をまとめる」

「つまり、メニーはテリーを愛してて、ぼくと結婚したのもテリーを中毒者のいる屋敷から救い出すのが目的だった。メニーはただテリーの笑顔を守りたかった。それがメニーの目的」

「ぼくは人生をやり直したい。王族に縛られる人生ではなく、好きなものを好きといい、嫌いなものを嫌いといい、ぼくにできる楽しい人生を送りたい。それがぼくの目的」

「テリーは惨めな人生を送りたくない。せっかくの二度目の人生。幸せを手に入れるまではあらがってでも生きる。それがテリーの目的」

「ぼくらはそれらを踏まえて、世界の終焉を止めたい」

「オズの振りまく呪いを止めたい」

「なんとしてでも、この世代で解決したいんだ」


 リオンがクレアを見た。


「姉さん、改めて、この事件とちゃんと向き合ってほしい。ぼくらで、呪いの根源を断ち切りたい。そして、これからなにが起きるか、覚えてる限り伝えていこう。……オズも、おそらく路線を変えてくるだろうけど」

「ふん! お前に言われなくたって、そのつもりだ!」


 キッドが歩き出し、あたしの腕を掴んだ。


「中毒者事件を解決して、全部終わらせて、おれは王になる。そして」


 あたしをぐいっと引っ張った。


「テリーと結婚する」


 キッドがリオンを見た。


「話は以上だな?」

「……ああ、まあ、説明不足があれば、きいてくれたら話す」

「ああ。わかった」


 スイッチが切り替わった。

 ……真顔のクレアが、あたしを見下ろした。


「……ダーリン、……二人で……話そっか……♡」


 氷のような声色に、あたしはぞーーーーーっと血の気が引いて、顔を青ざめて、固唾を飲んだ。


「なに話すの……?」

「二人の未来について……かな……♡?」

「あ、はい」

「それなら」


 メニーがあたしの腕に抱きついた。


「テリー、わたしも……まだ言い足りないことがあって……」

「……ええ。あたしもまだ言い足りないことだらけよ。説教よ、説教。お前はだいたいね、むかしから人見知りなのよ。他の人を知らないからそんなことが言えるのよ。もう少し視野を広げなさい」

「……テリー……」

「なによ。ギロチン刑にされた気分でもききたいわけ? 最悪よ最悪!」

「ふふっ。……あとで、いっぱい話そうね?」

「……チッ」

「テントで待ってるから」


 メニーがあたしの腕を離し、……耳元で囁いた。


「終わったら来て」

「メニー」


 クレアがあたしを自分の後ろに引っ張り、メニーに笑顔を向けた。


「あたくしは、なにもお前が憎いわけではない。むしろ出来のいい弟子のような存在を持てて、心から幸せで、あたくし、メニーが大好きだ」

「わたしもクレアさんが憎いわけではありません。魔力の使い方を教えていただいて、わたしも成長してるのがわかるんです。前の世界ではこんなこともできなかった。だから心からあなたを尊敬してます。もう一人お姉ちゃんが出来たみたいで、クレアさんが大好きです」

「ただな、メニー」

「ですが、クレアさん」

「それとこれとは」

「話が別だと思います」

「肝心なのは最後の女になること」

「うふふ。二番目の女のくせに」

「いいか!」

「クレアさん」


 二人のプリンセスが笑いあった。


「「テリーの所有物なのは」」

「あたくしだ!」

「わたくしです」


 互いの後ろには、虎とクマがいた。リトルルビィとソフィアがそれを眺めるが、二人の背中にも、隠れているヒョウとライオンがいつ出てこようかとチラチラその姿を見せている。あたしは背中を見てみる。縮こまってるネズミがいた。チュー。あたしは前を見た。


(……あたし……今、手ぶらだから……所有物とか……ないはず……なんだけど……)


「来い。テリー」

「あ、はい」

「あたくしを愛してるなら、将来のことだって余裕で話せるだろ」

「あ、はい」

「誤魔化しはなしだ。嘘もつくな」

「……えっと」

「答えよ!! 貴様がこの世で一番愛してるのは誰だ!!」

「自分」

「きらい!!!!」


 あたしはクレアに襟を掴まれて引きずられながら、緑のテントから出ていった。


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