第29話 語り手は君
――いい匂いがする。
(……なに……この椅子……いや……ぬいぐるみ……人形……まくら……?)
すごくおちつく。
(……はあ……)
背中をとんとん叩かれて、体を揺らしてくる。なんだか赤ちゃんみたいにあやされてる気分。
(なんか……クレアみたい)
クレアはいつもこうやってあたしを抱きしめてくれるから。だからあたしはこのすごく心地良い椅子をコアラのように抱きしめて、またゆらゆらと揺れながら抱えられる。
(……ん。ここどこ?)
アトリの村。
(ん?)
いや、アトリの村は沈んだ。
(あれ?)
メニー。
――テリー、
「ギロチン刑にされた気分はどうだった?」
「……」
そっとまぶたを上げた。ハンモックに座ったキッドに抱っこされながら揺らされている。背中をとんとん叩いてるのはなにでもない。このクソキッドだった。キッドだと気づいた瞬間に、あたしの気分が一気に不快になった。
「ねんね、ころーりよー、おこーろーりーよー」
「……クソうるせえ歌ね……黙ってくれない……?」
「あ、起きた? おはよー」
キッドが歌うのをやめた。あたしはキッドから少し離れて目をこする。
「……何時……?」
「お前、よく寝たな。ランチ時間。……こら、目こするな。目が悪くなるぞ。目クソなら取ってやるからじっとして」
「ああ、最悪の目覚め……。なんで起きたらお前に抱っこされてるわけ……? うわ、最悪……。体中痛い……。全部キッドのせいよ……。くたばれ……お前なんかくたばりやがれ……」
「あれ? 記憶戻ったの?」
「うるさい。喋らないで。黙って。この……鼻クソが」
あたしの目クソを取ったキッドが眉を下げた。
「……かわいくな……」
「なに言ってるの。あたしは可愛いわよ……。今日も最高に美しくて可憐なの。……ふわああ……」
「テリー、記憶ないときのお前を思い出せ。可愛かったぞ。ほっぺにキスしただけで顔真っ赤に染めてさ。振る舞いもおしとやかで気品があってお嬢さまらしかった。なあ。キッドさまの前でそんな下品なあくびするなって」
「ふぁああああ……。……黙って……。お前と喋りたくない……。着替えて……」
「残念ながら着替えは持ってきてないんだ。クレアはまた今度」
「最悪……最悪……もう全部最悪……」
「テリー、たまにはおれと喋ろうよ。激しく愛を求め合おう」
「嫌い……お前なんか嫌い……」
「よしよし、良い子良い子」
「ああ、触んないで。ほんとやだ。きもい」
「ああ、悪い子最悪不快な子」
あたしを膝に乗せたまま、ハンモックに倒れた。
「ぎゃっ!!」
「悪い子にはお仕置きだ」
ハンモックに倒れたあたしに覆いかぶさるように、キッドが上から見下ろしてきた。
「ほら、ハニー、こっち向いて」
「やだ」
「テリー」
「キッドは嫌だって言ってるでしょ」
「外には人がいる。クレアを知らない兵士もな」
「……」
「……はあ」
声色が変わる。
「ダーリン、このまま話していい?」
「っ!!」
久しぶりにきいたその声に、あたしはぱっと目を見開き、ぎゅっと口を閉じて、目をきらきらさせて、こくこくとうなずいた。
「お前面倒くさい」
キッドの声色になった瞬間に、あたしはすごく不機嫌になって目の前の王子さまから目をそらした。
「ね、ちょっとおれと話そう?」
「声色だけ戻して。目も戻して」
「お前、無茶言うな」
「……クレアじゃないと……、……やだ」
キッドがむっとした。
「……喋りたくない」
キッドがため息を吐いた。
「だめだ。気づかれる可能性がある。このままで我慢しろ」
「……嫌い」
「愛の言葉として受け取るよ」
「……」
「テリー、キスしていい?」
「やだ」
「久しぶりなのに」
「あたし、一途なの」
「ああ、そう。……だめ?」
「クレアになって」
「今はだめ」
「……けち」
「愛しいお前の頼みでも、時と場合があるんでね」
「あたしと王冠、どっちが大事なの?」
「王冠」
あたしはハンモックから出て行こうとすると、キッドに抱きしめられる。
「こらこらこらこら!」
「嫌い!」
「冗談だって! 冗談!」
「嫌いだから! 本当よ! もう大嫌い!!」
「紹介所とおれ、どっちが大事だ!」
「紹介所!!」
「お前なーーーーー!」
強くハンモックに押さえつけられる。テントが揺れる。外から見てた兵士たちが微笑ましそうにそれを見た。今日もお二人は仲良しだな。ははっ。あ、蝶々だ。ははっ。
「やだ、くっつかないで!」
「だめ。お仕置きだ。このままハンモックに閉じ込めてやる! ざまあみろ!」
「嫌い!」
「結構!」
「キッド!」
「テリー」
闇に近い青い目があたしを睨んで、低く圧のある声でささやいた。
「いい加減にしないと撃つぞ」
あたしは目をきらきらさせて、じっとして、クレアを見つめた。
「……」
「……ダーリン、キスして」
「ん」
あたしはキッドの格好をしたクレアにだきつき、自ら口づけをした。
「ちゅ」
「ん」
「……クレア……」
「……ダーリン、しー」
「ん……」
短い髪をなでて、あたしはクレアに再びくちびるを押し付けた。むちゅ。唇を離して、クレアの顔を覗き込む。ほら、ぜんぜん違う。あたしがにやけてしまうほど、違う。
「クレア……」
「……困った奴め。会話きかれたらどうするんだ」
「……ごめんなさい」
「ん」
「でも……キッドはやだ……」
「こういう場面、これから多くなるぞ。慣れろ」
「でも……やだ……」
「みんなの前でキッドにキスしないといけないときだって来るぞ」
「ほっぺでいいでしょ」
「ほっぺならいいのか?」
「……我慢する」
「……なんか……複雑な気分……」
「クレア」
「ん?」
「だきしめて……」
「……今日はデレ日だな。……おいで」
クレアがあたしを抱きしめる。あたしもクレアの背中に手を回して、彼女を抱きしめ返す。巻き付いたあたしの左指に……クレアからもらった指輪が見えて、……頬をクレアに擦り寄せた。
「……あのね」
「うん」
「久しぶり」
「ああ。……久しぶり」
「あなたに会いたかったの」
肩に顔を埋めれば、クレアの匂いがする。
「なんか、すごく会いたかったの」
「……あたくしに会いたいというのはお前くらいだ。そこまで言うなら、……思う存分堪能しろ」
「好き」
「……。……あ、……あたくしも……好き……」
「……ね、記憶のないあたしはどうだった?」
「キッドに戻っていい?」
「……一瞬だけよ」
「もーーーのすごくどちゃめちゃくちゃ可愛かった。まじでテリーとは思えないくらい可愛かった。もう、なんか、虎からポメラニアンに生まれ変わったんじゃないかって思うほどの豹変さ。いや、あれは間違いなくポメラニアンだったな。ポメテリーだったな」
「あんた、いつも以上に意地悪じゃなかった?」
「困った顔するお前が可愛かったんだよ。なにあれ。小動物? むかしのリトルルビィを思い出したよ。……ま、あれより数倍可愛かったけど」
「相変わらず性格悪いわね、お前」
「結構」
「何番目の彼女に近かった?」
「近しいところなら57番目」
「最低。だからキッドなんて嫌いなのよ」
「お前からきいてくせに」
「お黙り」
「おれは正直者だから正直に話すんだよ。でもさ、記憶なくたって、お前たまにああいう風になるだろ」
「……ああいう風って?」
「ポメテリー」
「やめなさい。その呼び方。このうんこが。くたばれ。なによ。今までは記憶なくなってどうかしてただけなのに、あ? このうんこが。あたしがいつああなるっての?」
「そうだな。主に……酔っ払ったとき」
「あ?」
「酔っ払ったときのお前、ああいう感じだよ。あとは、……寝ぼけてるときとか? ……だからかな。……初めて見たすがたって感じはしなかった」
「……」
「反応も泣き顔も笑う顔もすごく可愛かった。感想は以上」
「……けっ」
「おれも質問していい?」
「なによ。ランチのメニューなら知らないわよ」
「メニーとなに話してたの?」
――途端に、あたしはむすっとした。
「別に」
「あからさまだな。お前。さすがにわかりやすい」
「なによ」
「メニーの首に痕がついてた。あの痕おれ知ってるんだ。首を絞められたときに出来る痕だ」
「で?」
「おまえ、メニーになにした?」
「もうお察しでしょ。首絞めたのよ」
「あははははは。お前なー」
キッドにほっぺをつねられた。
「殺す気?」
「死ねばいいのよ」
あたしはキッドに背を向けた。
「また生き残りやがって」
「テリー」
「クレアには言ったでしょ。……嫌いなのよ。あいつ」
「メニーがなに言ったの?」
「関係ないこと」
「お前テントで暴れたの覚えてる?」
「ええ。今思い出した」
「そう、で? どうするの?」
「……どうもしない。もう顔も見たくない」
「なに言われたんだよ」
「お前に関係ないことよ」
「テリー、深呼吸」
「あたし、おちついてる」
「でも怒ってる」
「ええ。怒ってるわ。あいつ見てると腹立たしくて仕方ない」
「お前の大好きなお兄たまが困ってたぞ」
「あ、そう」
「どうするんだ?」
「今は無理」
「この状態で屋敷に戻る気?」
「無理。話し合いなんて出来ない」
「なんで?」
「嫌いだから」
「でもこのままじゃ埒が明かないよ」
「話したくない」
「じゃあこのままおれといる?」
「……」
「悩むな」
あたしはむっすりしながらキッドに振り返った。
「なんであんたが口出しするわけ? そういうところが気に入らないのよ」
「兵士がびっくりするくらい暴れ狂ってたのはお前だぞ? リオンが止めに行かなきゃおれが行ってた。あのな、おれは婚約者としてお前を更生させる必要があるんだよ」
「はっ!」
「おちつかないなら話し相手になるし、……子守唄でも歌おうか?」
「お前の音痴は知ってるからいい」
「本気出せばすごいぞ」
「あたし相手に本気出さないでしょ」
「当たり前だろ。めんどくさい」
「ほら」
「じゃあどうする? おれの裸でも見ておちつく?」
「おまえの裸を見たところでぺったんこでしょ」
「お前もう絶対許さない。それだけは許さない。お前なんかつるぺたのくせに」
「おだまり! ちょっとは成長したわよ!」
「たかだかCだろ!」
「うるせえ! てめえよりはマシよ!!」
「テリー!」
「なによ!」
……。キッドがあたしの額にキスをした。ちゅう。
「本気でどうする?」
「……クレア、結婚する?」
「結婚を逃げ道に使うのはどうかと思うぞ。ダーリン」
「口もききたくないのよ」
「リオンとドロシーを間に入れたら?」
「……」
「あたくしには話せない内容なんだろ?」
「……」
「ん?」
クレアが微笑む。
「どう?」
「……ご褒美がほしい」
「おっと?」
「冷静な頭でメニーと話すわ。だからご褒美ちょうだい」
過去に自分があたしに散々使っていた手法を使われて、クレアがおかしそうに笑った。
「くひひっ! ……まったく。仕方ないな。……なんだ? 最近出た新ブランドのバッグか? それとも靴? オーダーメイドのドレス、髪飾り、ネックレス、指輪、宝石……お前のためならなんでも用意してやる。なにがいい?」
「なんでもいいの?」
「ああ」
「じゃあ」
あたしはちらっと、クレアを見た。
「……デート……したい……」
クレアが真顔で黙った。
「……食べ歩きしながら……クレアの……ドレスと、バッグと、靴と……クレアが可愛いって思うもの……買いにいきたい……」
「……」
「……だめ?」
「……。……お前のは?」
「あたし、自分で買えるもの」
「……」
「時間作って、……またデートしたい。どこか、遠くで……二人で……、……。……泊まりで……」
「……」
クレアが黙ったままあたしを抱きしめる。
「……」
頭をよしよしされた。
「……」
ついでにまぶたにキスされた。むちゅう。
「……いいよ」
「ん」
「いくらでもデートしてやる。……あとはなにがほしい?」
「クレアの時間」
「テリー」
「本気よ」
「あたくしがほしいくらいだ。そんなの」
「忙しいの?」
「……お前の時間を、だ。ばか」
「……」
「……冷静に話せるな?」
「ご褒美くれる?」
「もちろん」
「……キスして」
「もー、……ダーリンったら……仕方ない人……」
優しく甘いキス。あたし、このキス好き。顔を離したときの照れくさい感じとか、気まずい感じとか、……クレアの恥ずかしそうな顔を見るのが、好きなの。
「……デート、してね……?」
「……わかったから、……もう。……行ってこい」
「……ん」
というわけで、
「待たせたわね。来てやったわ」
あたしを前にして、リオンは思った。
――うわーーー。わかりやすいほど絶対許さないって顔に書いてあるーーー。
「ニコラ、相談なんだが」
「なによ。どけ。そこのテントにいる女に用があるのよ」
「この際だ。……みんなを集めないか?」
「あ?」
「頃合いだ」
「頃合いって?」
「メニーの記憶が完全にもどった」
あたしはリオンを睨む。
「頃合いだ。だろ?」
「……クレアに言う気?」
「その程度で壊れる関係なのか。へーえ?」
「……」
「いつか言わなきゃいけないことだ。君がやってきたことも、ぼくがやってきたことも……このタイミングしかない」
リオンがあたしの肩を叩いた。
「大きい緑のテントがあるだろ。そこに集合」
「……」
「テリー」
これはこの世界にも関わることだ。
「わかるな?」
「……」
「先に行ってろ」
「……お願い」
「ん」
リオンがみんなを呼びに行く。
たしかに、頃合いかもしれない。
「……」
クレアに、……知られる。
「……」
あたしは緑のテントに向かって歩き出した。
(*'ω'*)
「リオンさま、物知り博士はいいわけ?」
「ああ。このメンバーでいい」
リトルルビィの問いにリオンがうなずき、振り返った。
「全員いるな?」
「全員かどうかは知らないけど、少なくともおれの右腕と左腕、それに婚約者とその妹君ならいるな」
メニーの隣に座ったキッドが椅子の背もたれに体重を乗せた。
「お前から呼び出しなんて珍しいな。どういう風の吹き回し?」
「兄さん、これから大切な話をしたい。だからあえてきこう。ぼくがこれから話すことを信じることはできるか?」
「どうかな。良くなってるとはいえお前は未だに病院通いの精神疾患持ちの弟だ。そんなやつの話を信じることは正直難しいかな」
「だったら、兄さん、テリーが話すことなら信じることはできるか?」
「テリーが話すの? そりゃあいい。テリーの狭い視野で見てきた偏見と私情を話されるなんて、余計神経を疑うだろうな」
「だからお前なんてきらいなのよ」
「だったら、兄さん、メニーが話すことなら信じることはできるか?」
「メニーは正直者で良い子だけど、時に一番の大うそつきになる。誤魔化されてないか疑いたくなるな」
(メニーはそんなことしない)
「メニーはそんなことしない」
あたしが思ったことをリトルルビィが言った。キッドが人差し指を立ててリオンにアドバイスする。
「リオン、大切な話をするときは、第三者、もしくは私情を入れない人物にするべきだ。内容にもよるけど」
「だったら……もう一人しかいないな」
リオンが見上げてその人物を見る。そいつはあたしの頭を踏みつけて、首を傾げた。
「ボク?」
ドロシーがあたしの頭の上に尻を乗せた。
「ドロシー、全部を見てきたのは君だ。君が話すならキッドも納得する」
「だけど、結局のところボクもただの見学人だよ。やあ、こんにちは。王子さま」
「こんにちは。ドロシー」
「どうも、リトルルビィ」
「ちす」
「ご機嫌いかが? ソフィア」
「まあまあだよ。ドロシーは?」
「ボクもまあまあかな。君はどう? テリー」
「頭に乗らないで」
「やあ。久しぶりだね」
ドロシーがテーブルに寝そべり、微笑んだ。
「メニー」
「……やっと姿を見せてくれたね。ドロシー」
「このタイミングは実に奇跡的だ。いや、運命的と言うべきかな」
ドロシーが起き上がった。
「西の魔女の城の前で、全員が集合して、……大切な話をするなんて」
ドロシーが天井にはりついて、呪文を唱えた。
「オオカミ少年、嘘つき少年、ヤギが食われて泣きべそこいた。嘘つき少年誓いを立てる。金輪際、嘘つかない」
ドロシーの手に紙芝居が現れた。
「見学人のボクにできることは、この大切な話のあらすじをまとめること」
ドロシーがテーブルの上に下りてきた。
「テリーに読んでもらおうかな」
「……あたし?」
「ボクがまとめたものを君が読む。ならば、私情はなし」
「なんであたしなの? リオンでいいじゃない」
「テリー、罪人が懺悔をするときって、どうすると思う?」
「あ?」
「神さま、わたしはこんな悪いことをしました。だからここに懺悔します。反省します。そう言って謝罪するのさ」
ドロシーが紙芝居をあたしに差し出す。
「さあ、テリー、懺悔の時間だよ」
「ボクは君を導く案内人。語り手は君さ」
「これこそ、罪滅ぼし活動の卒業式として、ふさわしいと思わないかい?」
あたしは思いきり顔をしかめさせた。ドロシーは思いきり笑顔を浮かべた。
「さあ、どうぞ」
「……」
あたしはリオンに顔を向けた。リオンがうなずいた。あたしはメニーを見た。メニーが微笑んだ。
「……チッ」
ドロシーに差し出された紙芝居。あたしは両手で受け取った。
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