第8話 使者は彼と共に


 ソフィアに引っ張られながら歩いたおかげで、あたしは息をゼエゼエ言わせながら教会にたどりついた。


(さ、最悪……)


「ああ、ついたついた」


 ソフィアがあたしの頭に手をのせて、ぽんぽん叩いた。


「ほら、テリー。日が暮れる前になかに入って」

「……」

「……ん? なあに?」


 ソフィアがいやらしい笑みを浮かべながらあたしを見下ろした。


「どうして睨んでくるの?」

「……あたし、意地悪な人はきらい」

「ああ、そう」

「……なによ。その言い方」

「言い方って?」

「その嫌味な言い方よ!」

「嫌味な言い方にきこえた? くすす。ごめんね」

「なんで笑うのよ! あたしをなめてるの!?」


 せっかく友だちになれると思ったのに!


「もういい。送ってくれてありがとう」

「テリー」

「大人のくせに、大人げない人。だから庶民なんて嫌なのよ」

「貴族なら人前でいちゃついてもいいの?」

「っ」


 その一言に、あたしは慌てて振り返った。


「あ、あたしがいつそんなはしたないことしたってのよ!」

「目の前でキッド殿下とあんなことやこんなことを」

「してないわよ!」

「顔真っ赤にして」

「それは……!」


 拳を握って、ぎゅっとくちびるをかんで、うつむく。


「……っ」

「うん。それがね」


 ソフィアがそっと屈んで、あたしの耳に囁いた。


「すごく嫌だったの」


(ひゃっ)


 耳にかけられた吐息にぞくぞく感じて、一気に鳥肌が立つ。


「わたしは君が好きだから」


(あ、え、あ、あ……)


「ごめん」


 ソフィアに抱きしめられる。


「大人げないけど」


 切ない声で囁かれる。


「すごく悲しくて、さびしい」


(……っ)


「テリーは?」

「はへっ」

「こんなわたしは嫌?」

「えっ」

「キッド殿下のほうがいい?」

「え、えっと……」


 そんなこと言われても、あたし、女には興味ないし!


(でも……)


 なんて……切なそうな声を出すの?

 あたしはちらっと目玉を動かして、ソフィアの顔を見てみた。


(あ)


 ――見なければよかった。

 ――ソフィアが、すごく切なそうにあたしを見ていたから。


「……ソフィア……」

「テリー、キスしていい?」

「へ!?」


 驚きすぎて、あたしの二つの髪の毛がぴゅん! と上に逆立った。


「だめ?」

「え、えっと……」

「目、とじて……」


(は、はうう!)


 あたしは思わずぎゅっと目をつむった。


(あ、まって、これ、本当にキスするやつじゃ……!)


 でも、もう目閉じちゃったし、今さら目を開けられるタイミングじゃない!


(え、キスするの? 本当に? え、どうしよう。あたし、女の人とキスしたことないのに!)


 でも、ソフィアからすごくいい匂いがする。甘くて、ほわほわしてて、なんだから、……とろけてしまいそうな……。


(だ、だめぇ……!)


 ――額にキスされた。


「……」

「はい。おしまい。テリー、目開けていいよ」

「……」


 あたしはちらっと片目を開けた。ソフィアがにやにやしている。


「ありがとね」

「……」

「いいよ。もう」

「……」

「……くすす。もしかして」


 ソフィアがあたしの顔の前で、いたずらが成功したような表情をしてきいてきた。


「また、くちびるだと思った?」

「……っ!」


 あたしは息を吸い込んで、いっぱい叫んだ。


「もう帰る!」


 ソフィアが声を出して笑い、強くあたしを抱きしめたまま離さない。だからあたしは腕のなかでいっぱいもがいた。


「あたし帰るから!」

「あははははは! ごめんね! テリー!」

「もういい! 帰る! あんたとは絶交するから! 帰るから! もう帰る!」

「くすすすすす! ほんっとに……」


 ソフィアに抱き寄せられる。むぎゅ。


「かわいい子」

「……」

「でもね、さっきまでイライラしてたのは本当だよ? テリーとキッド殿下を見てると、すごくイライラするんだ」

「……」

「でも、こうしてテリーと一緒にいるとね、すごく心がおちつくの。どうしてかな?」


 あたしの顔がソフィアの胸に埋まる。


「嫌だった?」

「……からかわれたのは嫌。……でも」


 あたしはソフィアを見上げた。


「気持ちはわかるわ」

「そう?」

「うん。だって、あたしもリオンさまが他の女の子と仲良くしてると、ムカムカするもの」

「キッド殿下がジャンヌの手にキスしてもイライラした?」

「……だって、婚約者なのよ? 婚約者なら、婚約者を愛して当然でしょ? 婚約者以外の女の子に、目の前でキスするなんて、ありえないじゃない」

「うん。ありえないと思う」

「わかってくれる?」

「うん。テリーの気持ち、すごくわかる」

「本当?」

「本当って言ったらわたしを選んでくれる?」

「……」

「冗談だよ。……そんな困った顔しないで」


 ソフィアの手があたしの頬をなでた。


「くすす。記憶がなくなっても変わらないね」

「……」

「テリー、わたしは君のものだよ」


 ソフィアがあたしの頭をなでた。


「いつでも助けになるから。キッド殿下よりも」

「……ソフィアは……女の人が好きなの?」

「ううん。わたし、別に同性には興味ないよ」

「でも、……あたしが好きなの?」

「うん。いつも恋しい」

「……でも、男が好きなの?」

「うん。男の人が好きだよ」

「……でも、あたしが好きなの?」

「うん。本当にくちびるにキスしたいくらいね」

「……」

「でも、わたしは忠実な君のイヌだから」


 ソフィアがまた屈んだ。


「これくらいにしておくね」


(あ……)


 まぶたにキスされた。


(あっ)


 ほっぺにキスされた。


(……あ……)


 くちびるに当たらないくらいの口の端に、……キスされた。


(あたし……こんなキス……されたことない)


 ママ以外の女の人に、こんなに大切にされたこともない。抱きしめられたこともない。


(……ソフィア……)


「……これ以上抱きしめていると、君を盗んでしまいそう」


 ソフィアがにこっと笑って、手を離した。あたしは解放される。


「じゃあね。テリー。また明日」

「……ソフィア」

「ん?」

「ソフィアは、あたしのペットなんでしょう?」

「うん。おすわりもするよ」

「ちょっとだけ、屈んでくれない?」

「うん? ……うん。いいよ」


 ソフィアが屈んだ。


「はい」

「あのね」

「うん」

「いろいろ、助けてくれたから」

「うん」

「あの、……っ、……ご、ご褒美!」


 あたしは屈んだソフィアのほっぺに、くちびるを押し付けた。


(ん!)


 ごん!


「っ」


 あたしは口を押さえた。ソフィアがぱちぱちと目をしばたたかせ、あたしを見た。


「テリー、今痛くなかった?」

「……」

「口の皮と歯が当たったでしょ。今の」

「……」

「……痛かったね」


 ソフィアに頭をなでなでされると、羞恥心と情けなさと痛みとやっぱり羞恥心から涙がどばあと溢れてきた。


「よしよし。痛かったね」

「……。……。……」

「おいで」


 ソフィアの胸に、ふたたたび顔を埋めて、ソフィアにだきついた。


「よしよし。テリー、痛いね」

「……。……。……」

「大丈夫? ……大丈夫じゃないよね?」


 あたしはこくりとうなずいた。


「痛かったね」

「……。……。……」

「でもすごく嬉しかったよ。ありがとう」

「……。……。……」

「……リベンジする?」

「……っ。……する……」

「うん。ゆっくりでいいよ」

「……。……。……」


 あたしは涙を手で拭い、ゆっくり唇を前に出して、ソフィアの頬に押し当てた。ソフィアが微笑んで、あたしの頭を撫でた。


「くすす。ありがとう。すごく嬉しい」

「……」

「テリーは泣き顔もきれいだね」


 ソフィアが指であたしの目尻をなぞり、涙をぬぐった。


「でも、そんな顔じゃ帰せないから、泣き止んでくれる?」

「……泣いてないけど……」

「そうだね」

「……くすん……」

「ハンカチある?」

「……ある」


 あたしはエプロンのポケットからハンカチを出して、鼻に当てた。思い切り鼻水を拭って、ハンカチを折りたたんで、ポケットに入れた。ふう。すっきり。夕日に当たるソフィアを見上げる。


「……今日はありがとう。……色々」

「こちらこそ」


 ソフィアが笑顔を浮かべる。夕日の光で、より金髪が目立つ。そして、――その輝きを見て、つい、言いたくなった。


「……ソフィアって、似てるわ」

「ん?」

「怪盗パストリルさま」


 ソフィアがまばたきをした。


「貧乏人のヒーローよ。整形して、どっか行っちゃったけど」

「……整形して、どこかに行った……?」

「……パストリルさま、知ってるの?」

「怪盗パストリルって言ったら、伝説の大泥棒でしょう?」

「知ってるのね!」


 パストリルさま、この世界にもいたんだわ! あたしの口角が上がっていく。


「あたしね、彼のファンなの! 盗み撮り写真集だってもってるんだから!」

「……なにそれ?」

「え? 知らないの? パストリルさまが100件目の事件を起こしてからいなくなったでしょう? その後、ずっと彼を追っていたカメラマンが隠し撮りをしていた写真集を出したのよ。あたし、100冊は買ったんだから!」

「……?」

「知ってるなら話が早いわ。あのね、ソフィアはなんだかパストリルさまにそっくりなの。多分、目が黄金色だからっていうのもあると思うけど、なんていうか、雰囲気が似てるの。なんていうか、優しいところとか、笑顔とか、かしら? あたし、当時はパストリルさまがあたしを盗んでくれないか、よく妄想を膨らませていたものなの。ああ、うっとり♡」

「……」

「一度でいいから会ってみたかったわ。パストリルさま。会うまでに消えてしまったから……」

「ねえ、テリー」

「ん?」

「テリーは、十年に一度開かれる仮面舞踏会のことは覚えてる?」

「仮面舞踏会? ええ」

「参加した?」

「ええ」

「どんな仮面つけてたの?」

「えっとね、たしか、ハトの仮面だったかしらね。ほら、ハトって平和の象徴でしょう? あたし、聡明な女だから……」

「怪盗パストリルさま、仮面舞踏会で現れてびっくりしたよね」

「え!? そうなの!?」


(はっ! いけない! この世界では現れたのね! わあああ羨ましい!)


「あ、その、そうだったわね! 残念だわ! あたし、見てないのよ!」

「……」

「あーあ! 会いたかったわ!」


(なんてこと! この世界のテリー、羨ましい……!)


「ソフィアは見たの?」

「……うん」

「そっか。仮面舞踏会はだれでも参加できるものね。ソフィアもいたのね!」

「……あれだけの大騒ぎを起こして、怪盗パストリルは100件目の事件で行方をくらましたんだったね」

「そうよ。遠くの街の美術館だっけ? 張り込めばよかったわ。そしたら盗んでもらえたかもしれないのに」

「……最後になに盗んだんだっけ?」

「ふふん。パストリルさまの盗み撮り写真集を持ってるあたしからしてみれば、簡単な質問ね! あのね、美術館の地下に眠ってた展示品を盗んだのよ! 価値が高価すぎて、だれも見たことがない展示品だったの!」

「……」

「あたし、次こそは張り込もうって意気込んでたのよ。でも、そしたらもう現れなくなっちゃって……」

「……わたしもね、パストリルさまに興味があってね」

「まあ! そうなの!?」

「うん。だからその話、すごく詳しくききたいところだけど……」


 ソフィアがオレンジ色の空を見上げた。


「また明日きこうかな」

「ああ、もうすぐで日が落ちるわ。大変。ソフィア、暗くならないうちに帰って」

「うん。そうするよ。それじゃ……」


 ソフィアが最後にあたしの頭を撫でた。


「また明日ね。テリー」

「……うん……。また、明日……」


 ソフィアの手が名残惜しそうに離れていき、あたしに一度手を振ってから、そこからはふり返ることなく、帰路を歩いていった。


(ソフィアもパストリルさまのファンだったのね! うれしい!)


 すごくパストリルさまについて、くいついてたわ!


(……ペットはアレだけど……ほんとに、……友だちくらいなら……なれる……かも……しれない……気が……しなくも……ない……)


 あたしは教会の家のなかに入っていった。その背中を、――ソフィアが見ていた。


「……あってるよ。確かにその展示品狙ってたんだけど、……やめたんだよ」


 ――君とメニーとリトルルビィと、……キッド殿下がいたから。


「……」


 ソフィアが帰り道を歩き出し、教会から離れていった。


(ふう。帰ってきた)


「ただいまー」


 なかは静かだ。まだメニーはもどってないみたい。


(ピーターと帰ってくるのかも。結局朝別れてから合流できなかったわね)


 ……。


(さっき、やっぱりサリアに電話したほうがよかったかしら……?)


 ……。


(ううん。明日でいいや)


 ……。


(お腹すいた)


 あたしはリビングに入った。


(おやつもないし、紅茶もないし、冷蔵庫にもなにもないし、どうしよう。お腹すいたわ)


 あたしはリビングをくるくる回った。


(トトもいないし、にくきゅうもないし、はあ、ヒマになっちゃった)


 お風呂にでも入ろうかしら。そう思った刹那――聖堂で、なにかがとんでもなく崩れるような、派手な音がきこえた。


(うん?)


 あたしの足が止まり、驚いて振り返った。


(メニー?)


 あたしはそっと廊下に頭を出した。


(帰ってきたのかしら?)


 あたしはゆっくりと廊下を歩き、聖堂に向かった。


「メニー? いるの?」


 あたしは声を出してみた。


「メニー?」


 両方のドアをあけて、なかを覗いてみる。メニーはいなかった。だが、とんでもないことになってる。


(やだ! どうしたっての!?)


 椅子が何脚も倒れている。ひどいありさまだ。


(どろぼう!?)


「ちょっと、だれかいるの!?」

「うわあ! ごめんなさい!」

「きゃあ!」


 ほんとうにいた! どうしよう! 倒れた椅子の間からゆっくりと立ち上がり、姿を見せる。あたしは窓側に置いていた花瓶に入っていたお花を持って構え、怒鳴った。


「だ、だ、だ、だ、だれなの!?」

「すみません! わざとじゃないんです! ぼく……!」

「いいからそこから動かないで!」

「す、すみません! ぼく、ぼく……!」


 ……そこにいたのは、10歳くらいの少年であった。


(……男の子?)


「ぼく、あの……」


 少年があたしに振り返った。淡栗色の髪の毛が揺れて、アトリの村には不釣り合いなお洒落な服を着ていて、その表情は怯えている。


(……村の子ども……?)


「……あ」


 あたしを見た瞬間、少年は赤い目を丸くさせ、はっと息を吸い、次には笑顔を浮かべて、口をひらいた。


「テリーさん!」


 へ?


「なんだ! テリーさんだったんですね! よかった! 合流できて!」


 少年はあたしだと気づくと、まるで安心したかのような笑顔を浮かべて、ずかずかと躊躇なくあたしに近づいてきた。


「とつぜん飛ばされてしまったので、びっくりしました! もうあのこわい人魚はいないですよね? ああ、びっくりした! ほんとうに、ぼく……ああ……やられるかと思いました! ふう! あー、やべえ! すっごくこわかった!」


 あたしはきょとんと瞬きした。目の前まで歩いてきた少年は笑顔であたしになんの疑いもない目できいてきた。


「杖は無事ですか?」

「え?」


 ……杖……?


「ところでテリーさん、その服装どうしたんですか? ああ、いや、その、もちろん似合ってますけど、……ぼくもまた着替えたほうがいいですか?」

「……あなた、なに言って……」


 その瞬間だった。背中に気配を感じたのは。


(え?)


 振り向く前に、耳につんざくような叫び声が響いた。


 ――うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!


「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 あたしの心臓が体中に赤信号を伝えた。あたしの声がひとしきり口から叫ぶと、今度は視界が白く光って、ぱちぱち星が輝いて、脱力したと思ったら、そのまま地面に倒れた。あたし、もう動けない。ああ、もうだめ。あたし死んじゃう。少年がだれかに強く引っ張られ、走っていく。


「テリーさん!」


 だれかと少年が聖堂から飛び出した。そんなことはどうだっていい。あたしの意識は、もう、遠く空の上。


 足音だけが、耳に響き渡る。



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