第7話 飴玉さがし


 リオンさまのお願いにより、あたしは意気込んでジャンヌの部屋に入る。ソフィアは扉の前で待機し、邪魔が入らないように見張る役。なんかよくわからない状況だけど、ジャンヌには見られたくないそうだから、ジャンヌが帰ってくるまでにことを済ませないと!


(これは悪いことじゃないの! リオンさまのお願いなの! 愛しい人のためなの! ジャンヌ! 悪く思わないでね!)



 罪滅ぼし活動ミッション、飴玉をさがす。



(さあ、飴玉ちゃんをさがすわよ! そしてリオンさまに……感謝されて……。……むふふ……♡!)


 あたしはくちびるを舐めて、わくわくしながらジャンヌの部屋にある棚を覗いた。棚には古い本が並んでて、読んでないのがわかる。だって、こんなにホコリまみれなんだもん! はっくしゅん!


(飴玉はどこよ! 飴玉!)


 棚を覗き込んでみる。それはそれは覗いてみる。でも、飴玉はどこにもない。


(……でも、どうして飴玉なのかしら。飴玉なんかただの砂糖の塊じゃない……)


 はっ! あたしったら、いけないいけない!


(リオンさまには、なにか考えてることがあるのよ! あたしったら、いけない子! リオンさまを信じてあげなきゃ!)


 ……ここらへんにあったりしない? 手当たりしだいでさがしてみるが、どこをさがしていいかわからない。あたしは適当にファイルを掴んでひらいてみた。そこには最近の新聞記事がファイリングされている。


『土砂崩れの莫大な被害』


 最近の雨による影響で、西の地が莫大な被害を受けている。中でも、アトリは山が多い土地のため、土砂崩れの被害にみまわれている。隣村では、アトリの住人に避難をするよう声掛けをしているとのこと。


(……アトリの村の土砂崩れに関する記事だわ。写真が載ってる。アトリの村まで来た記者がいるみたい。……物好きね。……飴は、無し)


 あたしはファイルを棚にしまった。うーん。棚には特に甘い美味しい飴玉はなさそうだわ。で、あれば、次は机の引き出しよ。あたしはジャンヌにごめんねと思いながら机の引き出しをあけようとした。……が、


(ん。なにこれ)


 引き出しがあかない。よく見てみたら、引き出しに鍵がかかってる。


(引き出しにカギをつけるなんて、うらやましい。あたしがやったらママに叱られてたわ)


 ……。


 あたしは鉄の棒でいじってみた。がちゃがちゃ。


(……この音、鉄の棒じゃだめなやつだわ。なにか、特別なもので作られてる気がする)


 あたしは引き出しをよく眺めてみる。すると、引き出しの下になにかあった。


(あら、なにこれ!)


 文字だわ!


(イタズラ書き!?)


 あたしはわくわくして、文字を見てみた。



 ――兄さん、ホエールを中に入れてあげて。海は寒いから。



(……ホエール?)


 あたしはあたりを見回した。ホエールってなに?


(ホエール?)


 あたしはドアを開けた。立ってたソフィアが振り返った。


「ん? 終わった?」

「ソフィア、ホエールってわかる?」

「ホエール?」

「ホエールを中に入れなきゃいけないの。海は寒いから」

「……クジラかな」

「クジラ?」

「外国語で、ホエールはクジラのことだから。海のホエールって、クジラしかいないと思うんだけど」

「……ふーん」


 あたしはドアを閉めた。部屋を見回す。クジラがすべてを飲み込む絵が描かれた小箱がある。


(……これ?)


 あたしは小箱を開いた。そして、ぎょっとした。


(カギだわ!)


 ジャンヌったら、こんな面倒くさい仕掛けを作るなんて! よっぽど見られたくないものでもあるのね!


(と、いうことは……!?)


 カギを挿し込むと鍵穴に形が当てはまった音がきこえ、横にひねれば、ほら、簡単に引き出しが開いた。


(オープン!)


 引き出しのなかには、……ノートがあった。あたしの眉が八の字に下がった。なかを覗いてみると殴り書きがされている。


 ・ボルボさんの家の牧場に、オオカミ。黒。作業服。

 ・ネッシーさんの家の前に、オオカミ。黒。グレーのオーバー服。

 ・ゲルテさんの家の木のところ、オオカミ。黒。裸。


(……オオカミを見つけた場所をメモしてるのね)


 ずらりと見つけた場所が記載されている。


(こんなに見たの?)


 ・ジルさんの家。オオカミ、黒。ドレス。


(……ジャンヌは、妄想するまで精神が追いつめられてるから……)


 ・倉庫。オオカミ。黒。裸。

 ・ダンテさんの家。オオカミ。3匹。黒。ドレス、紳士服。

 ・教会。オオカミ。黒。ピーターさんの服を噛んでた。裸。


 あたしの目がとまった。


 ・森の橋。オオカミ。白。一匹。こっちを見てた。裸。


 あたしは、ふと、指で探し始めた。


 ・森の城、オオカミ。白。一匹。こっちを見下ろしてた。裸。

 ・森のダムの上。オオカミ。白。一匹。しばらくしたらどっか行った。

 ・森。オオカミ。白。一匹。どっか走っていった。


 白いオオカミを見つけてるのは、森のなかだけ。そして、黒いオオカミを見つけてるのは村のなかだけ。ジャンヌは銃を構えていつも森にいる。


(白いオオカミがいるから……?)


 あたしは引き出しのなかをもう少し見ることにした。すると、奥に手紙の封筒があった。


(ん。……手紙?)


 ジャンヌもだれかに手紙を書いてたのかしら。あたしは開けられてる封筒をゆっくりとあけて、なかを見てみた。



 ジャンヌへ!


 ぼうぜんと優雅に歩いてたら、

 くじらが突然現れて、

 歯を磨く時間もなくて、

 ダダっと慌てて逃げたらさ、くじらの口の

 むこうにいたのがゼペットのおじいさん。

 にこにこ笑ってるもんだから、

 いっしょにクジラの口へ飛び込んだら、

 ルビーのお宝見つけてさ、

 よい子になったらいいことあるね!


 待ってるよー。


 ジャンヌの悪友、ピノキオより



「……ピノ……キオ……?」


 ――愛するピノキオを忘れない。お前の父親、ゼペット。

 ――息子は……死んだんだ! これでいいだろ! もうかかわらないでくれ!


「……息子……」


 ――白いオオカミが出たのはその後。ダンテさんは病死。ジャンヌはだれも見てないオオカミを見かけてる。それだけじゃない。その前にもリチョウやピノ坊が……。

 ――エンサン!


 ジャンヌが怒鳴ると、エンサンの声量が下がった。


(人形店の店主の息子の……ピノキオが、ジャンヌの友だち、で、……裁判官は……ジャンヌの父親であるヒョヌさんの仕事仲間……、で、……ジャンヌの恋人のエンサンのおばあさんが死んだ……と考えたら、この家に近しい人間が……死んでる……?)


 いや、あまり関係ないかしら。そもそもこの家は、村の長が住んでる時点で村全体近しい人間だ。


(ん? ちょっとまって)


 ジャンヌに兄がいたことに驚いたあたしに、リオンさまはこう言ってた。

 もういないけどって。


(……ジャンヌのお兄さんにもなにかあったの?)


 一度も会ってないジャンヌの兄。


(なにかが、あったんだわ)

(白いオオカミが現れてから人が死んでる)

(裁判官も)

(ばばさまも)

(……ピノキオも……)


 鼻の長い人形を大切に抱いていたゼペットを思い出す。


「……」


 あたしはドアを開けた。ソフィアがあたしにふり返った。


「ん? 終わった?」

「ピノキオっていう子からの手紙を見つけたの。でもね、意味がわからないのよ」

「なにが?」

「これ」


 あたしは手紙をソフィアに見せた。ソフィアがきょとんとまばたきする。


「ね、わかる?」

「……ぼくはダムにいるよ」

「え?」

「頭文字にそう書いてある」

「……。……っ! ほんとうだわ!」

「きいた話、その子は随分なイタズラ坊主だったらしいよ」

「そうなの?」

「人形店の店主の養子なんだ。彼が赤ん坊の頃にアトリの鐘に捨てられてるのを、店主のゼペットが引き取った」

「……そう」


(死んだ息子を忘れたくなくて、あの人形を作ったってわけね。……でもあれ売り物なんでしょう? 落としたからってあんなに怒鳴る?)


「飴は?」

「……んー。……なんか、特になさそう。そもそもジャンヌは飴よりもお肉のほうが好きそうだわ」

「そっか。……わかった。ありがとう」

「片付けてくる」


 あたしはふたたび部屋にもどり、手紙を元の場所にもどした。


(……飴なんかないものね)


 何度か見てみるが、飴なんてない。


(……うん。ない)


 あたしは手紙とノートを引き出しにしまって、カギもクジラの小箱にしまって元の位置にもどし……確認する。証拠隠滅!


 ジャンヌの部屋から出ていき、ドアを閉める。ソフィアがあたしを見下ろした。


「お疲れさま」

「ソフィア、ききたいんだけど、今年の五月頃って雨がすごかったの?」

「五月、……ああ、うん。久しぶりの大雨にみまわれてたよ。一週間くらいだったかな。大雨な上、なかなか止まなくて」

「部屋に新聞記事があったの。五月で、アトリの村が避難の声掛けが出るまで被害にあったって。土砂崩れが頻繁にあったそうよ」

「この村は土砂崩れが多いらしいよ。わたしたちも気をつけないとね」

「ん。……次はジャンヌのお兄さまの部屋だっけ?」

「うん」


 ソフィアが指をさした。


「あそこらしい」


 ジャンヌの部屋の二つとなり。そこに、ドアが静かに佇んでいた。あたしとソフィアがドアの前に立った。


「テリー、開けてくれる?」

「ええ」


 あたしはドアノブを握りしめた。


 ――入るな。


「いった!」


 あたしは手を見た。ソフィアがその手を覗き込む。


「静電気だわ! ばちんってしたの! 最悪! あたしのかわいい手に、電気が走った! このドアきらい!!」

「静電気?」


 ソフィアがきょとんとして、ドアノブを握りしめた。静電気は走ってないようだ。そして、何度かひねってみる。


「……うん。あかないな」

「カギがかかってるのね。ヒョヌさんに相談しにいく?」

「もう行ったんだよ。だけどね」


 ソフィアがドアノブから手を離した。


「このドア、リチョウがいなくなってからカギを使っても開かなくなったそうだよ」

「え?」

「ドアを壊そうとしてと道具が先に壊れてしまって、どんなことをしても部屋に入れないんだ」

「……それって……」


 あたしの血の気が、サッと引いた。


「おばけ?」


 あたしはゆっくりとドアから離れた。


「リチョウの魂が、そこにいるっての……!?」


 あたしはソフィアの背中に隠れた。


「ソフィア、帰りましょう」

「テリー?」

「リチョウの亡霊がいるのよ。そういうことなのよ。部屋にはなにもしないほうがいいわ。リチョウは亡くなったのよ、それでジャンヌが精神を病ませたのよ、そしてジャンヌのお兄さまが、全ての事実を認められない魂が、この部屋に引きこもってるのよ……!」


 あたしはソフィアの服をぎゅっ! とにぎりしめて、必死に見上げた。


「ね! お願い! 帰りましょう!?」

「……。……。……」

「ソフィア! ねえ! 早く! ここから離れましょう!?」

「……。……。……」

「……ソフィア?」


 あたしは眉を下げて、小首をかしげた。


「あたしの顔、なにかついてる?」

「はっ。しまった。テリーに見惚れて意識が麻痺した」

「ソフィア? 大丈夫?」

「くすす。大丈夫。なんでもないよ」


 ソフィアがあたしの頭を撫でた。なによ。身長が高いからってあたしを子供扱いして。あたし、もう17歳なのよ。ふん!


「テリー、もう一回ドアを開けてみてくれない?」

「えー」

「お願い。テリーなら開けられるかもしれないよ?」


(……あたしなら……開けられる……かもしれない……?)


 じつは、あたしには今まで気付かなかった秘められた能力があって、だれも開けられなかったドアを、簡単に開けられるかもしれない。もし開けられたら、リオンさまが……。


 ――君はやはり特別な女の子だ。テリー。どうかぼくの妻になってくれませんか?

 ――ちょっと待った! リオン! テリーはおれのものだ!

 ――兄さん、こればかりは譲れない! テリーはぼくのものだ!

 ――テリー、おれが好きだよね?

 ――テリー、ぼくが好きだろう?


(あーん! あたし、困っちゃーーーう♡♡!)


 あたしは妄想世界を泳ぎながらドアノブを握りしめた。ぎゅっ!


 ――まだ駄目だ。


 あたしはドアノブをひねった。


 ――人がいる。


 ドアノブが動いた。


 ――一人で来い。


 静電気が走った。


「痛い!!」


 あたしは手を離し、手の平を見て、うるりと潤んだ目で、ソフィアを見上げた。


「……いたい……」

「ごめんね。痛かったね。可哀想に」

「いたい……」

「……テリーでもだめだったか」


 ソフィアがあたしの手を撫でた。よしよし。


「他に策を……」

「ソフィア」


 足音がきこえて、あたしたちはふり返った。ジャンヌとキッドさまが廊下を歩いており、ジャンヌがあたしに気づいて目を丸くした。


「あれ、テリー」

「ジャンヌ」

「よかった。様子を見に教会に行こうと思ってたんだけど、キッドさまがここだって言ってたから」


 ジャンヌがあたしに近づいてきて、腰に手を置いた。


「なにしてるの?」

「この部屋、開かないってきいたから見てたの」

「……ああ」


 リチョウの部屋のドアを見て、ジャンヌが肩をすくませた。


「うん。兄さんがいなくなってから壊れたんだよ」

「なにしても開かないの?」

「ん」

「そう」

「それと、オレオからきいたよ。わたしたちをさがしてたって」

「あ、うん。その、あたしもあたしなりに情報を調べようと思って……」

「……テリー」


 ジャンヌが感動的な笑顔を浮かべて、あたしの手をしっかりと握りしめた。


「ありがとう」

「ううん、別に」


(ヒマつぶしに歩いてただけだし……あれ?)


「ね、メニーとエンサンは?」

「メニーはルビィって子とどこかに行ったよ。エンサンは家に帰った」

「で、ジャンヌは……」

「テリーの彼氏に送ってもらったところ」


 ジャンヌがキッドさまにふり返り、頭を下げた。


「ありがとうございました。キッドさま」

「とんでもないことです」

「……ジャンヌ、人狼はどうなったの?」


 あたしがきくと、ジャンヌが腕を組んだ。


「とりあえず、……キッドさまができる限り調べてくれるんだって。わたしもできる限りの情報は渡したから」

「そっか」


 じゃあ、もう調べる必要はないわね。サリアにはもういいってこと、明日連絡しておこう。今日はもういいや。疲れたし。


「もう安心ね」

「そう思う?」

「大丈夫よ。キッドさまもリオンさまも味方なんだから」

「……そうだね」

「ジャンヌ、明日女神役として踊るから、不安になってるんでしょ」

「……かもしれないね」

「大丈夫よ。明日、リハーサル前に時間があったら一緒に練習しましょう?」

「うん。……付き合ってくれる?」

「ええ。もちろんよ」


 少しでもジャンヌの不安を拭ってあげよう。そうすることによって、もう人狼がいるなんてバカなことは思わなくなるわ。


「大丈夫よ。ジャンヌ、全てうまくいくわ」

「……だといいけど」

「大丈夫」


 キッドさまがジャンヌのそばに寄って、励ましの言葉をかける。


「テリーの言う通り、君にはおれたちがいる。なにも心配することはない」

「……じゃ、……期待、してますからね! キッドさま!」

「望むところです」


(ん?)


 キッドさまがジャンヌの手を取って、手の甲にキスをした。


(あっ)


 キッドさまが、ふっ、と笑う。


「大丈夫。おれを信じて」

「……ありがとうございます」

「明日の前夜祭、たのしみにしてますよ」


 キッドさまがジャンヌの手を離した。


「さ、テリー、教会まで送っていくからお前もかえ……」


 ――あたしは――頬をぷぅーーーっと膨らませていた。ジャンヌとキッドさまとソフィアがきょとんとした。


「ん?」

「あたし……一人で帰れます」


 あたしは唇を尖らせて、スカートの裾を持ち、雑にお辞儀をした。


「ごきげんよう」


 ジャンヌには手を振る。


「じゃあね。ジャンヌ。また明日」

「あ、うん」

「ばいばい」


 そして大股で歩きだす。階段をとことこ下りていくと、キッドさまとソフィアがついてきた。先にキッドさまがあたしの横に追いつく。


「テリー?」

「はい。なんでしょう」

「……妬いてるの?」

「っ……!」


 あたしはキッドさまを睨んだ。


「いいえ!!」


 そして、すぐにそっぽを向く。


「別に、妬いてませんけど!?」

「そう? じゃあ、どうして怒ってるの?」

「怒ってません! あたし、お腹が空いたんです!」

「そうか。なら教会で美味しいものをいただくといい」

「ええ! そうしますわ! ピーターのトマトスープは最高ですもの!」

「テリー」

「一人で帰れますわ! キッドさま! どうぞソフィアとお帰りくださいな!!」

「テリー」


 手を握られて、あたしはそれを払った。


「やめてください! はしたない!」

「なになに? どうしたの?」

「どうもしません!」

「テリー」

「いやです!」

「テリー」

「ふん!」

「テリーってば」

「そうやって声をかければ乙女がふり返ると思ってらっしゃるのね! いいですか!? あなた以外にも男はたくさんいらっしゃるのよ! あたし、あなたと婚約解消したく、今日はお話をしに行こうとも思ってましたの! ちょうどよかったわ! 婚約解消してください! 破棄でも結構です!」

「またその話?」

「あたし、他の乙女にキスをされる殿方なんて、まっぴらごめんですわ! 浮気は男の性だなんて言うけれど、あたしはいやですの!」

「浮気なんてしてないってば。お前も貴族ならマナーくらい知ってるだろ? ジャンヌにしたのは別れのあいさつ」

「いやらしい人! はしたない! 女ならだれでもいいんでしょ! 不愉快極まりない!」

「テリー」

「ふん!」

「レディ」

「ぷん!」


 とつぜん、足がもつれた。


(あ)


 階段を踏み間違えた。


「きゃっ!」


 悲鳴を上げた瞬間、キッドさまがあたしを強く抱き寄せ、あたしの体を支えた。その拍子に、あたしの体がキッドさまの胸にすっぽり埋まってしまう。


(……あ……)


「大丈夫?」

「っ……! ……へ、平気です!」


 あたしは急いでキッドさまの胸から離れた。


「し、し、失礼いたしましたわ!」

「……テリー」

「も、もうここで結構です! あたし、ちゃんと帰れますから!」

「ちょっと話したいんだ」

「だから、あたし……」


 キッドさまがあたしの手をつかみ、一階の廊下に引っ張った。


「きゃっ!」


 キッドさまが大股で歩かれる。階段からあたしたちを笑顔で見守るソフィアと目が合い、あたしは慌ててキッドさまに顔を向けた。


「キッドさま、ソフィアもおりましてよ! 早く帰られたほうが……!」


 キッドさまがあたしを壁に押し付けた。


「んっ!」

「少しだけだ。……ちゃんと話をしよう」


(はっ!)


 あたしは気づいてしまった。今のこの体勢。壁に押し付けられたあたし、そして、あたしを逃さんとばかりに手を壁につけるキッドさま。


(本に載ってたわ。これが……壁ドン!)


 きゅん♡!


(はっ! あたしったらいけないいけない! 甘い誘惑にのせられるところだったわ! ここは、言葉巧みに誘導して、キッドさまをぎゃふんのきゃっふん! と言わせて、婚約解消まで持ち込むのよ! 頑張れ、あたし、ファイト、あたし!)


 あたしはキッドさまから少し体をずらして、視線を落とし、つんとした態度できいた。


「なんですか? 話って?」

「婚約破棄も解消も絶対しない」

「し、……してください」

「やだ」

「あたしたち、根本的に合いませんの。お互いのためにもそのほうがいいんですわ」

「お前を愛してる」

「……っ、そ、そうやって甘い声で囁けば、乙女がふり返ると思ってらっしゃるんだわ! あたし、あなたみたいな人なんてきらいです!」

「……なんでそんなこと言うの?」


(え?)


 きいたことのない声に目を上げてみたら……。


「傷つくよ」


(……あ……)


 悲しそうな顔のキッドさまが、あたしの視界に入ってしまった。まるで、今にでも泣きそうな、可哀想な顔。……そんな顔されたら……。


(あ、あたしが悪いみたいじゃない……)


 でも、ジャンヌの手の甲にキスをしてたのはキッドさま。


(……そうよね。確かに……あれは……あいさつだった。……わかってる……)


 でも、……でも……。


「……」

「テリー、……おれの心以上に君を傷つけてしまったのかな?」

「……」


 あたしはこくりとうなずいた。キッドさまは、あたしに合わせて少しずつきいてくる。


「嫌だった?」

「……別に……」

「へえ? 嫌じゃなかったんだ?」


 煽ってくるような口調に、ぷいっと顔をそらした。


「じゃあ、おれがソフィアにキスをしても構わないんだな?」

「……っ!」


 あたしは思わず息を吸い、ぐっと止めて、答えた。


「か、勝手にしたらいいんですわ! どうせ、あたしみたいな女よりもソフィアみたいな胸の大きい女のほうがいいんでしょう!」


 胸が痛くなってくる。チクチクと、針が刺さるよう。


「あたしなんかよりも……」


 輝くのはいつだって――あたし以外の女の子。


「……」


 あたしはキッドさまの腕をそっとなでた。


「……もう、話は済みました。帰ります」

「まだ済んでないよ」

「……済みました」

「まだそばにいたい」

「あたしは、……いたくありません……」

「おれが嫌い?」

「き、嫌いというか……」

「どこが嫌い?」

「あ、あたしは……別に……」

「言って。嫌いなところ全部直すから」

「う、うそです。そんなの……できっこないくせに……」

「レディにキスをするのが嫌? だったら、おれはお前にしかキスしないと誓うよ」

「あ、あいさつは大事です。最低限のマナーも守れない人と、結婚したくありませんわ」

「でも、キスは嫌なんだろ?」

「……」

「テリー、おれは君だけを愛してる。だれにも浮気なんてしない。君だけだと神にも誓えるよ」

「……でも、あたしたち、相性が合わないというか、リオンさまのほうが、その……」

「テリー」


(へっ)


 キッドさまがあたしの顎を掴んで、上に上げた。あたしの視界いっぱい、キッドさまになる。


「今、君の目の前にいるのはだれ?」


 ――ふぁぁぁああああああああ♡♡!!


「言って。だれ?」


 視界が好みのイケメンでいっぱいになり、しかも相手があたしに対する熱のある目で見つめてくるものだから、あたしにはひとときの幸福が舞い込んでくる。あたし、こんなに見つめられたことないから、どうしていいかわからない! しかも、はあ♡ なんてイケメンなの♡ はあ♡ ああ、どうしよう。胸がどきどきして、涎が垂れて鼻血が出てくる。どうしよう、あたし、……溶けちゃう♡!!


「き、きっど、しゃま……でしゅ……♡」

「そうだよ。……さっきから婚約破棄とか解消とか……他の男の名前まで出してきて、……おれを煽ってるの?」

「ふぁっ♡」

「また閉じ込めてあげようか? そうすれば余計なことなんて考えず、おれしか見えなくなる」

「ぷわっ♡」

「テリー、教会じゃなくて、おれがいる宿においでよ。部屋は心配しなくていい」


 キッドさまがあたしの耳に低い声で囁いた。


「おれの部屋に入れて、そこから出さないから」


(独占欲S王子さまぁぁぁああああ♡♡ しゅきいいいいいいいいいい♡♡!!)


 あたしの目が完全にハートに切り替わったのを見て、キッドさまがにこりと笑い、あたしの頭を撫でた。


「ね。そんなの嫌だろ? もっとおれのこと嫌いになっちゃうだろ?」

「は、はいぃいい……!」

「だから婚約解消なんてしないよ。いいね?」

「わかりましたぁぁぁあ……!」

「うんうん。素直な子は大好き。愛してるよ。テリー」

「ひゃああああああ……!」

「それと」


 キッドさまがあたしの左手を取り、ゆっくりと持ち上げて、薬指につけられたリングにキスをした。


(きゃっ♡!)


「この指輪、大事にしてね」

「はいっ! ……ん、この指輪……ですか?」


(ああ、そうそう。ひと目見たときに思ったのよね。こんなシンプルな指輪持ってたかしらって)


「うん。それ、おれが贈ったものだから」

「え?」

「うん」

「……」


 あたしは指輪を今一度ちゃんと見てみた。


(……青い線が入ってる。……これ、よく見たら……クリスタル……?)


「……大事にしてね」


 キッドさまがあたしの左手をやさしく握りしめた。


「テリーはおれのものっていう印だから」

「……キッドさま……」


(こんなに愛してもらってるなんて……)


 しかも、国の第一王子さま。リオンさまのお兄さま。超イケメンで、背が高くて、理想の王子さま。


(でも……なんだろう)


 ――『彼』じゃない気がする。


(この違和感はなんなのかしら)


 キッドさまを見つめる。キッドさまが微笑み、身をかがめてきた。また耳になにか囁くのかしら。そんなことを思いながら、あたしはぼうっと見つめるだけ。キッドさまが近づいてくる。顔がどんどん近づいてきて、はずかしくなってきて、あたしは目を閉じた。キッドさまの吐息を感じる。くちびるが、もう、すぐそこまで……来ている。





「……あ、こんなところにいた! おい、キッド!」





 その声に、あたしははっとした。


(あっ!!)


 あたしは慌ててキッドさまを押しのけた。振り返ると、ああ、なんてこと! リオンさまが眉をひそめて、キッドさまをにらんでいるわ!


(あっ、あたしが……キッドさまといい感じになっていたから……!)


 ――兄さん、ぼくのテリーに……よくも……!


(ど、どうしましょう……! お願い! ふたりとも! あたしのために争わないで! きゅぴぃ♡!)


「なんで睨むんだよ……。人を呼び出したのはそっちだろ……」

「……チッ」

「テリーも一緒だったか。よかった」

「え、あ、あたしに、用ですか……?」

「ああ。さっき頼んだ件だが」


(あ、あれ……?)


 リオンさまがいつも以上にイケメンに見える……?


「どうなったかな? 子猫ちゃん」

「あっ、あう!」

「え?」

「その件に、関しては、あっ、ちゃんと、調べました、あの、飴玉はありませんでした!」

「なるほど、ということは」


 はっ! こ、……これはどういうこと!? 二人が揃ったら、いつも以上に二人のまつげがバサバサに伸びてて、鼻がシュッとしていて、顎が細く見えて、目はきらきら輝いて見える。なんだか、ベルサイユっていう言葉と、ガラス製の仮面っていう言葉が似合いそうな顔に見えてしまうわ!


(これはまさか、イケメンに囲まれすぎて……乙女フィルターが発動されてしまった証拠……! ああ! まぶしい!)


 ――乙女フィルターが入っているため、以下、すべて声が凛々しめの低めにきこえるようだ。


「ジャンヌは白だな。美しいレディ、リチョウの部屋はどうだった?」

「……」

「そうか。君でもだめだったか。そいつは予想外だったな。兄さん、どう思う?」

「ドロシー、この屋敷についてききたいことがあるんだけど」

「にゃん?」

「そうか。今は話せないか」

「ぼくのテリーを一度帰らせよう。この子猫ちゃんをここに置いておくわけには行かない」

「そうだな。おれのマイハニーにはベッドの上でおれたちの帰りを待ってもらうことにしよう」

「決まりだ」


 ――乙女フィルター終了。お疲れさまでした。(*'ω'*)


(ああ、あたし、キッドさまとリオンさまをあの手この手で振り回してしまうなんて……♡! なんて罪な女なの♡! あたしさえいなければ……♡!)


「ソフィア、そういうわけだから送ってやって」

「……」

「……くくっ。ま、そういうことだから」


 キッドさまの手が廊下で待ってたソフィアの肩を叩いた。


「手を出すなよ。……おれのテリーに」

「くすす。なにを仰るやら」

「兄さん、早く行こう」

「にゃー」


(ああ、いけないわ! 二人とも! 剣を取り合って戦い合うなんて! そんなの、ぜったいだめ!!)


 あたしがふり返ると、そこには笑顔のソフィアしかいなかった。


「……あれ? キッドさまとリオンさまは?」

「なんか用事があるんだって。わたしたちは帰ろうね」

「……えー」

「ほら、行こう。テリー」


 ソフィアがあたしの手を握りしめて、引っ張った。


「きゃっ!」

「早くしないと日が暮れるよ」

「ちょ、ちょっと、ソフィア! 早い!」


 ソフィアはスピードを緩めてくれない。


(あーん! キッドさまぁーん! リオンさまぁーん!)


 あたしとソフィアは電話機を通り過ぎ、そのまま屋敷から出ていった。






「……この屋敷のあちこちから魔力を感じる。ドロシー、どういうことだと思う?」

「王子さま、答えるならば、ボクはこう言うよ。……ここはボクが自由に動ける土地じゃない。だからボクはなにも手伝うことができない」

「魔力はある。だろ? それも中毒者のものだ」

「……」

「ソフィアのときや、あの船のときと似ている。中毒者の異空間を作り出す魔力。その気配がこの部屋からしている。ドアは開かない。テリーも開けられなかったようだが、なんでだと思う?」

「そばにソフィアがいたからだろうね」

「……それは、テリーが一人ならば開けられたってこと?」

「そうだよ」

「……つまり」

「テリーだけの状態なら、開けられるってこと」


 ドロシーがキッドを見た。


「テリーの記憶は眠ってるだけであって、その体質は変わってない。変わらず魔法にはかかりにくい。とくに、呪いにはてんでかかる様子もない」


 あんなによどんだ魔力で覆われていた裁判官の家に、けろっとした顔で入ってきたんだから。


「テリーだけになるタイミングがあるはずだ。そのときに開けてもらうしかないな」


 ドロシーがドアを睨んだ。ドアは固く閉じられている。


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