第24話 真実の愛はないけれど


 円型の椅子が回る。


「かわいそうなメニー」


 ネコが言った。


「愛する人のためにがんばったのに、その本人からは恨まれる始末」


 椅子がくるりと回ったら、ネコの席には緑の魔法使いが座っていた。


「君はどうなの?」


 椅子がくるりと回ったら、空席だった席には夢にさまようあたしが座っていた。


「だめだ。ちゃんと現実を見なよ」


 あたしはまだ夢をさまよっていたい。ふふっ、今の言葉、アリスみたい。


「君を自分の罪に向き合わせるのが、ボクの役目だ」


 ドロシーが足を組ませた。


「君はメニーを愛していた。だから守った。そのためにメニーを刺した」

「ドロシー」


 あたしはまぶたを上げて言った。


「あたしがそんな善人だと思う?」


 あたしの髪の毛に、もうかわいいリボンはついていない。


「あのとき、あたしがメニーを刺した理由は一つだけよ」


 いいな。


「好きな人が、見下してた義妹を選んだのよ」


 うらやましいな。


「リオンさまが来なければ、あたしとメニーは屋敷から出て行ったことでしょうね」

「でも、迎えに来た」

「計画はなかったことになった」


 愛されるって、いいな。


「ママとアメリはベックス一族の血の穢れによって、精神が不安定になっていた」

「そこをつけこまれた」

「あの頃には、もう二人とも呪われてた」

「あたし以外、中毒者になってた」

「最初はママ」

「次にアメリ」

「アメリはまだ軽度だったけど嘘を吐く毒はすでに存在していて、ママは人を閉じ込める錠を作る毒を持ってた」

「メニーはあたしを助けようとした」

「わかってたわ」

「あのとき、ママとアメリの様子がおかしいことなんて、ずっとそばにいるあたしが気づかないはずないでしょ」

「でも嫌だったのよ」

「ずっと見下してたメニーがいつの間にかあたしの救世主になるなんて」

「あたしのプライドが許さなかったのよ」

「メニーにはリオンがいる。家族にはあたししかいない。だからあたしが屋敷に残らなきゃ」

「そんな理由だったら、メニーを刺す必要がない。手を振って、さよならだけでよかった」


 ねえ、ドロシー、


「あたしは、あのとき、初めて心の底から人を憎悪することを覚えた」

「初めて、メニーに心からの恨みを持った」

「メニーについていけば、あたしは助かる」

「でも、その後は?」

「憧れの王子さまはメニーのもの」

「憧れてたプリンセスの座はメニーのもの」

「あたしはメニーのお飾りとなる」

「メニーから離れられない、金魚のフン同然の存在となる未来が見えている」

「あたし、一秒間の間に考えて、答えを出した」

「メニーのそばでみじめな思いをするくらいなら」

「だったら」

「だったら、いっそのこと……」


 メニーは、あたしの妹。

 メニーは、あたしの人形。

 メニーが、人形から人間になった。

 メニーは、メニーとなった。


 もういらない。


 壊してしまえ。

 殺してしまえ。

 死んでしまえ。

 お前だけ、幸せになるなんて許さない。

 お前も道連れよ。

 恨み。

 憎しみ。

 妬み。

 嫉妬。



 メニーだけは、ぜったいに許さない。



 椅子がくるりと回った。


「そうだ」

「そうよ」

「それが君の最大の罪だ」

「それがあたしの最大の罪よ」

「君は恨みを持った」

「あたしは殺意を持った」

「妹を」

「人形を」

「散々かわいがっていた彼女を」

「愛していたあの子を」

「君は」

「あたしは」

「プライドを傷つけられて」

「みじめな思いをしたくないがために」


 自分のプライドを守るために、殺意を持って、殺そうと思って、義妹であるメニーを刺した。死んでしまえと呪った。どうか死にますようにと祈った。意識不明ときいて、どうしようと思う反面、飛び跳ねるくらい嬉しかった。もっとあたしは願った。どうかメニーが死にますように!! でも、その願いも、結局叶わなかった。


 あたしの願いは、叶ったことがない。


 ドロシーが呆れたように言った。


「君はばかだ」

「今さらわかったの?」


 椅子がくるりと回った。


「そうよ。ドロシー、人間、根っこは変わらないの。あたしはそれすらも、ママに許可をもらってきた。邪魔なやつは排除する。それがどんな人物であろうと。これが、貴族のやり方だって教わった」


 人間、根っこは変わらない。


「最初に根付いたものは一生残る」


 あたしはメニーを恨んでる。殺したいほど憎んでる。椅子がくるりと回った。ドロシーがあたしにきいてきた。


「反省してる?」

「どうして反省しなきゃいけないの?」


 椅子がくるりと回った。あたしはみんなにきいた。


「殺したいやつを殺そうとして、なにが悪いの?」


 愛し愛する。さすれば君は救われる。


「愛ね」


 あたしは鼻で笑った。


「あたしはね、ドロシー、あいつのすがってくるあの顔がたまらなく好きだったのよ。あたしがあいつの救世主だったから」


 気持ちよかったわ。メニーがあたしに感謝してくるあの様。

 気持ちよかったわ。隠れながらメニーを守るあたしの様。

 あの頃のあたしは、メニーにとってのアトリの鐘だった。


 体に満ち溢れる優越感。


 困ったら、正しさの鐘を鳴らせ。そしたらあたしが解決してあげる。

 困ったら、正しき偽善の鐘を鳴らせ。優越感に浸りたいあたしが解決してあげる。


 守ってあげるわ。メニー。あたしのお人形ちゃん。


「偽善者でなにが悪いの? あたしが助けてやったのよ」

「転生した悪役令嬢は推しのヒロインを助けて守って仲良くなる? 意味わかんない。推しってなに? 女が女を可愛いなんて思うはずないでしょ。自分より可愛い女のことは全員腹の底では憎くしみを持ってるに決まってるでしょ」

「服がお揃いでうれしい? 正気? あたしとお揃いにして良いのはニクスとアリスだけよ」

「婚約解消? 浮気性の男? 知らないの? 男は浮気する生き物なのよ」

「本ヒロインに横取りされた? 横取りされるほうが悪いのよ」

「迫害された? お黙り。やり返さないお前が悪いのよ」


 いやなら足掻け。足掻いた者が責められるならおかしな話。死人に口なし。死ぬくらいならそこから逃げろ。逃げたふりして逃げるな。その思いを決して忘れるな。覚えていろ。憎いなら憎め。恨め。それを糧に生きるべし。頭のなかで金づちをにぎって、そいつを思い切り殴ってしまえ。実際にはだめよ。人に見られて悪者呼ばわりされるから。藁人形と釘を持って黙って頭のなかでそいつを嬲り殺すのよ。だれが悪い。そいつが悪い。恨むようなことをしたそいつが悪い。アクションを起こした者が悪い。リアクションをした者は悪くない。だからあたしは悪くない。


 なのに、あたしに幸せはやってこない。

 人を愛せないあたしに幸せはこない。

 自分を愛せないあたしに幸せはこない。


 愛し愛する。さすれば君は救われる。

 愛せず愛せない。だからあたしは救われない。


 心に穴があく。虚無感を感じる。あたしは見下ろしてみる。でも胸に穴はあいてない。

 あたしは心臓を取ってしまいたくなる。でも胸に穴はあいてないから、取れないの。

 でも空っぽに感じる。

 なにもないように感じる。

 周りを見れば笑顔で溢れている。

 あたしを見れば、冷たい目で溢れている。


 過去も未来も現在もない。

 あたしの幸せはすでにどこかで壊れ、あたし自身も壊れてしまった。壊れたらもう修正はできない。でももしかしから、どこかで修正できる道具箱が置いてあるかもしれない。

 だからあたしは椅子からおりて、とことこ歩き出す。

 歩いてたらどこかで拾うかもしれないから。

 横から聞こえた。死刑だ。ギロチンだ。

 泣き虫なあたしは涙を流してわんわん泣きながら、無意識のうちに声を上げる輩を階段がわりにして登っていく。どこかにある修正用の道具箱を探して。


 でも修正できる道具箱なんてないの。

 でもこの先にあるかもしれない。

 もっと先にあるかもしれない。

 気がついたら年を取ってる。

 あたしの心が少女で止まってる。

 あたしの体は大人として進む。

 とうとうてっぺんまできた。

 そこには修正できる道具箱ではなく、ギロチン台が置かれていた。


 みんなは拍手してよろこぶ。

 あたしは最期まで修正できなかったのだ。

 あたしの死をみんながよろこぶ。

 あたしはそれを受け入れる。


 神さまがいるなら、あたしはききたいの。

 あたしの人生はなんだったの?


(殺されるための人生)

(人を恨むだけの人生)


 あたしは一歩前に出た。


(劣等感に溢れる人生)

(妬み僻み嫉みの人生)


 あたしは一歩前に出た。


(冷たい人生)

(枯れた人生)


 あたしの目の前にはギロチン。


「ふざけんな」


 あたしはギロチンを蹴飛ばした。


「だれが殺されてたまるか」


 憎き風があたしの髪をなびく。


「あの女の負け顔を見るまで、死んでたまるか」


 あたしはその先をにらんだ。


「メニー」


 メニーがあたしを見ている。

 恨めしい。憎たらしい。


「メニー」


 だれよりも美しい女。


「メニー」


 お前の負け顔を見ることだけが、あたしの原動力。


「死んでたまるか」


 あたしはうなる。


「死んでたまるか」


 あたしは睨む。


「お前の負け顔を見るまでは、死刑になろうが、誘拐されようが、吸血鬼に襲われようが、雪の王に凍らされようが、怪盗に盗まれようが、ジャックに悪夢を見せられようが、塔から落とされようが、船が沈もうが、オオカミに襲われようが……」


 腹の底から、叫ぶ。


「死んでたまるか!!」


 まわりから石を投げられる。


「てめえなんかだいきらいよ!」


 まわりから罵声がとびかう。


「てめえの存在も! てめえの魂も! てめえの考え方も、行動も、言動も、ぜんぶきらい!」


 あたしに罪がのしかかる。でも、それはあたしの罪ではない。てめえらが勝手に罪だと言ってるだけの評価という名の荷物だ。


「うるせええええええ!! きらいなやつ殺そうとしてなにが悪いのよおおおおおお!」


 あたしは石を鋼の盾で跳ね飛ばし、投げてきた奴らに返した。ドロシーが傘をさして石から自分の身を守った。あたしの復讐はまだまだつづく。罵声をとばしてきた奴らには、その声以上の声を出すためにマイクとスピーカーを用意して応戦した。のしかかってきた罪を群衆に投げ飛ばすと、みんなが悲鳴をあげて逃げたが、罪の重さに押しつぶされた。ドロシーが暴れるあたしを望遠鏡で眺めた。とても近づけない。なにをされるかわからない。テリー・ベックスのような開き直り女をなんていうか知ってるかい?


 悪役令嬢というらしい。


「メニーのばーーーーか!」


 あたしは天に向かって包丁を向けた。


「てめえなんかさっさとくたばっちまえ!!」


 あたしはメニーに飛びかかってめった刺しにした。メニーがくたばった。


「普段からキラキラキラキラ聖女の如く光りやがって! お星さまですか!? ええ!? あんたは星の国からやってきたお姫さまですか!? わたちなにも悪いことできないうぶで純情な乙女なんでちゅ、ってか!? 男も男よ! メニーみたいな女に引っかかりやがって! 言っておくけどね!」


 あたしは別のメニーを刺した。別のメニーがくたばった。


「うぶで純情な乙女なんて、本のなかにしかいねえから!!」


 女は人間よ。生き物よ。ゲップもするし、おならもするし、おしっこもするし、うんちもするし、嘔吐もするし、月に一回膣から血が流れるし、変な音を口から尻からいたるところから出すし、口をひらけば不満悪口虚言愚痴のオンパレード。女からいい匂いがするなんて絶対うそ。もしも女がいい匂いを出す生き物ならばワキガの女が苦労するはずないもの。一週間風呂に入ってない女の匂いを嗅いだことのない奴の言うことなんて信用しちゃいけない。人間は本能的に浮気する生き物だと知っていながらも、でも自分の好きになった人はぜったい大丈夫であるとどこからやってきたのかもわからない自信を持って結婚してちょっとその生活に飽きた男女が本能に従って浮気したら女の場合、超怒るし心と感情という名の電池で動いているため、ものすごく面倒くさいことになるから男は気をつけなさい。さびしくなったら心のよりどころを求めてだれでもかれでも可愛く見せようとする小癪な輩。それが女ってものなの。メニーもそうよ。あたしだけじゃない。こいつなんてもっと質が悪い。いいえ。顔のいい女はみんな質が悪い。だって常に顔がいいことを利用してるんだから。そしてそんな女たちがちょっと笑顔を見せれば男はころっと騙される。笑顔を向けるということは自分に気があるのかもしれないとばかな期待を抱くの。じゃあそんなにばかならあたしのような女の子が笑顔を向ければ? にこり。男は点数をつけたがる。男は数字が好きだから。アメリとあたしとメニーを並べて笑顔を向けたら、男は全員一致でメニーに100点をつけるだろう。そして点数の低いあたしたちは話しかけやすそうという理由だけで声をかけられる。そしてうまく利用してメニーと繋がろうとする。メニーはそんな男たちに色目を見せて、おしとやかなふりをする。


「なにがおしとやかよ! てめえなんてただの本の虫じゃない! 妄想しまくりのファンタジー女じゃない! ダンスなんかいつまで経っても下手なくせに形だけはきれいだから上手に見えるだけでしょ! 知ってるのよ! てめえが何回もステップ間違えて足踏んでること! なのにお姫さまみたく堂々としやがって! 顔がいいだけの顔だけ女が調子に乗りやがってむかつくのよ!!」


 あたしは次のメニーを刺す。次のメニーがくたばった。


「美人は三日で飽きるっていうけどね! あたしみたいなブスは三日のうちの一日も来ないのよ!」


 あたしは他のメニーを刺す。他のメニーがくたばった。


「てめえみたいな女がいるからイケメンのいい男はあたしを選ばないのよ!」


 あたしは向こうのメニーを刺す。向こうのメニーがくたばった。


「てめえがいるからあたしはいつまで経っても劣等感でいっぱいなのよ!」


 いつでもどこでもどんなときでもキラキラ輝くヒロインのようにでしゃばりやがって!!


「くたばれ! メニー!」


 あたしは『正義の鉄槌』を下す。


「てめえなんてこの世からいなくなっちまえ!!」


 あたしの『正義エゴ』を突き通す。


「てめえさえいなくなったら、あたしの時代がくるのよ!!」


 あたしは憎きメニーを刺しまくる。


「聖女もヒロインも女神も乙女も悪役令嬢もどきもみんなきらい!! 消えろ! くたばれ! あたし以外でしゃばるな!!」


 あたしが主人公よ! 脇役になりたくて目指してる奴は引っ込んでろ!


「あたしがモテまくるのよ!」


 てめえじゃないのよ!

 みんなに愛されまくるのは、


「あたしなのよ!!!!!!!」


 助けてよ。


「くたばれ!!!!!」


 だれか助けて。


「消えろ!!!!!!!」




 この苦しみから、


 だれか、あたしを助けてよ。




「はっはっはっはっはっはっ!!」


 笑われた。


「ひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」


 メニーを刺して文句を言いまくるあたしを見たそいつが、腹を抱えてゲラゲラ笑っている。あたしは振り返ってするどい眼でそいつをにらみつけた。


「……なによ……」

「ぶふふ……。いや……、物語にはどんなときでも必ず悪役がいるだろう……? ぷっくすす……。その、どこにでもいそうな悪役のよくある声がきこえた気がしてな……」

「は? 悪役なんてどこにいるの? ここにいるのはだれよりも美人なあたしだけじゃない」

「ああ。だれよりも醜くよこしまで欲深く承認欲求が満たされないお前だけのようだな。ぶっふううう!!」


 そいつはクスクス笑いつづける。あたしはイラッとして包丁を構えた。


「おやめなさい。下品ではしたないその笑い方。イラッとするのよ。それ以上笑うなら、お前も刺すわよ」

「いやだわ。怖い人。なんておそろしいの。そんな物騒なもの、しまっておしまいなさい。田舎にいるお母さまが泣いておりますわよ」

「あたしをなめてるの?」

「なめてなくってよ。だれがお前みたいなチビをなめ……、ぶっふぅううう!」


 ぷっちーーーんのかっちーーーん。


「てめえら全員呪ってやる!」


 あたしは意地悪な闇の魔女に出世した。


「この世界を支配して、人間全員あたしの奴隷にしてやるから!!」

「あー、たいへんたいへん。こわいこわい」

「ほんとうよ! 奴隷にして、朝昼晩ぜんぶ働き詰めの生活にしてやるんだから! うそつきは死刑確定! すばらしいあたし好みの世界を築いてやるわ!」

「そうかそうか。それはたいへんな日々になりそうだ」

「わかったら大人しく見てなさい! 部外者は引っ込んでろ! ばーか!! 脇役のくせに! ばーか!」

「いいこと教えてやろう。ばかって言ったほうがばかなんだぞ」

「うるさい! ばーか! このばーか! ばーかばーか!!」

「ほう。このあたくしに、ばかと申すか」


 あたしははっとした。手に包丁がない。口笛がきこえた。あたしの手ではなく、そいつの手に包丁がにぎられていた。


「あ! あたしの包丁!」

「こんなもの持ってたら危ないぞ。お嬢ちゃん」

「返して!」


 ひょいっと避けられた。


「あたしの包丁返して!」


 またひょいっと避けられた。


「返してよ!」


 あたしの唯一の武器。


「返して!」


 刃物。


「泥棒!」


 人を傷つけ、


「あたしの包丁返して!!!」


 自己防衛するための包丁。


「テリー」


 美しい口が動く。


「こんなもの持ってたら危ないじゃないか」


 美しい手が、包丁を地面に落とした。


「そうだろ?」


 手が伸びてきた。あたしは目を見ひらいた。また殴ってくるの? また叩いてくるの? それとも鞭打ち? 死刑? 首を切って言うこときかせようたって、そうはいかないわよ!


 あたし、なにも怖くないんだから!


「ダーリン」





 やさしい声で呼ばれて、これ以上ないほど、やさしくだきしめられた。





「痛かったろう」


 あたしの顔が、そいつの肩に押し付けられる。


「さびしかったろう」


 あたしの鼻が、そいつの匂いを嗅いだ。


「意地を張るな。素直に甘えろ。お前が抱えきれず腕から溢れ出るものは、あたくしがぜんぶ受け止めてやる」


 あたしが抱えきれないその全て。


「妬みも、嫉みも、僻みも、呪いも、恨みも、憎しみも、痛みも、苦しみも、孤独も、さびしさも、食欲、性欲、睡眠欲、承認欲求、プライド、自尊、殺意、自己嫌悪、他者嫌悪、憧れ、尊敬、恐れ、不安、恐怖、悲しみも」


 お前の涙も。


「あたくしの『一方的な愛の箱』で、全部回収してやる」


 強くだきしめられる。


「愛してる。ダーリン」


 離れられない。


「だれよりもわがままで欲深くてエゴを突き通す正直で不器用なお前が大好き」


 その声をもっとききたくて、


「あたくしにはダーリンだけ」


 その一方的な愛に包まれたくて、


「テリー」


 あたしはそっと手を伸ばした。


「あたくしを幸せにしてくれる?」

「……見る目がないお姫さまね」


 あたしはその体に触れた。


「あなた、ここにいるってことは、見てたでしょ。あたしのしたこと」


 あたしよりも大きな背中を撫でる。


「あたし、悪い子よ」


 それに、


「あたし、女なの」

「知ってる」

「ふん。女が女を好きになるなんて、気持ち悪い」


 あたしたちを見た人たちは、うしろ指をさすことだろう。


「同性に恋をするなんて、気持ち悪い」

「仕方ないだろう。あたくしは男と結婚できない。恋をすることも許されない。そういう道を選んでしまった」


 お前が言ったのではないか。


「悪いようにはしないって」

「そんなこと言ったかしら?」

「忘れてしまったの?」

「ばか。……忘れるわけないじゃない」


 あたしは愛を知ってしまった。


「そうよ。あたしが言った」


 あたしの前に現れた唯一の希望。

 たとえ、人に気持ち悪いと言われても、変だと言われても、おかしいと言われても、病気じゃないかと言われたって、こんなあたしが、その人物を愛してしまった。


 この想いは、うそじゃない。


「……愛してるわ。クレア」


 だれよりもきれいな、あたしだけのクリスタル。


 クレアがいるなら、あたしはクレアが女であろうと、この一方的な愛を手放したりはしない。


 あたしはクレアを愛してる。

 クレアのことだけは好き。

 不快感が起きない。

 たまにきらいになるけど。

 でも好き。

 あたしはクレアが好き。

 心から愛してる。


「どうしたらいい?」


 あたしの罪は永遠に消えることはない。してしまった罪が消えることはない。何もない状態にはできない。


「どうしたらあたしは幸せになれると思う?」


 苦しい。吐き出したい。体から出ていってくれないこの劣等感。

 メニーがあたしを愛する限り、あたしはその分だけメニーを憎しみ続ける。


「わからないの。クレア。時間だけが過ぎていくの」


 時計の針が回る。歯車が動く。回る。動く。狂う。


「妬みも、恨みも、憎しみも、なにもないほうが良いに決まってる」


 でもあたしはね、感受性が豊かで素直な女の子だから、そういうわけにはいかないのよ。メニーにされかけた救済を、あの忌々しい行動を、ずっと覚えてるのよ。


「助けてよ」


 あたしはクレアにしがみつく。


「クレア」


 手が力んで、震える。


「あたしを助けて」

「もう少し」


 クレアが言った。


「もう少し待ってろ」


 クレアが笑顔を浮かべた。


「もう少しで迎えに行くから」

「待てない」

「ダーリンはせっかちね。大丈夫。ちゃんと行くから」

「知らないでしょ。あたし、濁流に流されてるのよ」

「あら、そうなの? そうか。だからジャックがあたくしを眠らせたのか。それは大変だ。さっさと目覚めてダーリンを迎えに行かなきゃ。でもその前に、根っこを倒しておかないと」

「あたしと中毒者、どっちが大事なの?」

「やん。ダーリンったら。あたくしがダーリン以外に浮気すると思ってるの? 中毒者に注射をしたら、ダーリンにチュウをしに迎えに行くったら」

「目覚めたらジャックに記憶を奪われるのをいいことに好き勝手言ってるんでしょ。あなたのそういうところよ」

「怒らないで。ダーリン。ダーリンだって、やることがあるでしょ?」


 オオカミの遠吠えが聞こえる。


「ほら、……お前にも助けを求めてる者がいるぞ」

「助けたくない」

「プライドが守られるぞ。……助けるのは好きなんだろ? え? この偽善者の悪党」

「チッ」

「必ず迎えにいく。だから」


 クレアが笑った。


「待ってて。ダーリン」


 あたしは手を離す。


「くれぐれも……浮気はしちゃだめよ?」


 クレアが言い残して、あたしに背を向け、銃を華麗に構えて走り出し、現実の穴へと自ら飛び降りていった。あたしは手を振って送り届ける。


 さて、あたしだけが残された。


 あたしにも、しなければいけないことが残ってる。

 あたしは横に手を伸ばして、美しい手をにぎった。

 そしたら、美しい手の持ち主はあたしの腕に腕を絡ませる。


 メニーがぴたりと、これ以上ない幸せそうな表情で、あたしに寄り添った。












 ――あたしは、目を覚ました。


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