第27話 吸血鬼のため息


 ――すごく、いやな夢を見た気がする。


「……」


 同時に、すごくいやな記憶を思い出した気がする。でも、それがなんだったのかは思い出せない。頭のなかを整理したけれど、夢で見たことはなにも思い出せない。


「……」


 あたしはまぶたを上げて、起き上がった。


(……どこ、ここ……)


 あたしはぼうっと布で出来た天井を見て、自分の姿を見て、シャツとパンツというシンプルな格好であることを確認して、下を見て、緑の猫を見つけた。つぶらなキャットの目があたしを見つめる。


「にゃん」

「うるせえ。なにがにゃんよ。ぶりっ子づきやがって」

「ようやくお目覚めかい? テリー」


 瞬きをすれば、ドロシーがその場に立っていた。


「ご機嫌いかが?」

「寝心地悪い。なによ。これ。ハンモック?」

「アトリの村はダムが崩壊したことにより沈んじゃったからね」

「沈んだ?」

「ここはね、アトリの村よりも高い高い山。近くをごらん。立派なお城が建ってるよ」

「……西の魔女の城は無事だったのね」

「ふん。守りの魔法で固められてるからね。いつになったらあの魔法の効力切れるんだか」

「……そうなの?」

「ああ。だからなにがあってもあの城は崩れない」

「なるほど。……いつから建ってるの? あの城」

「さあね。うんと昔から。忘れちゃったよ」


 ドロシーが椅子のかわりに箒に乗った。


「なんだか大変な数日間だったね。頭打ったり、記憶なくなったり、人狼がいたり、誰も信用できなくなったり、濁流に流されたり」

「……あたしは疲れを癒しに来たのよ……。なんで中毒者がいるわけ……?」


 それに、


「あんた、知ってたの?」

「なにが?」

「あの村の連中、あたしたちの裁判で証言してたやつらよ。全員ね」

「ああ、そうなんだ。知らなかった」

「……」

「にらまないでよ……。ほんとうだよ……。ここはアメリアヌの地区だから、ボクは関与できないんだよ……」

「……アメリアヌさま?」

「そう。あの白い魔法使いのおばちゃんを女神って言いふらしたのはだれだと思う? だれでもないこの地に住んでた奴らだよ。あんだけどんちゃん騒ぎして聖書にまで書くもんだから、アメリアヌが女神なんて言われるようになった」

「……ここにいるの?」

「君のためにほんの少しだけ魔法使わせてくれって頼んであげたよ。感謝してよね」

「……いるの?」

「……ボクがこの村に訪れた日に会いに行った。相変わらず元気そうだったよ」

「……そう」

「ふーん。ってことは、屋敷にいる使用人は裁判所に来てなかったんだね」

「……やっぱりうそデマカセだったのよ。証言も、証言人も全部」

「まあ、……この地に住んでる人たちならやりそうだね」

「あ?」

「彼らの祖先なら間違いなくやるもの。悪に立ち向かうために正義の鉄拳を食らわす」

「うそをついて?」

「それが正義ならば」

「どういう祖先よ」

「アトリの村は正しい道を目指す人たちであふれてる。元々気の弱い優しい種族でね、ウィンキーっていうんだけど、まあこれが、ほんとにか弱いやつらでさ、西の魔女はなにも言えないひ弱なウィンキーをいいようにこき使ってたよ」

「ああ、なんか……きいた気がする」

「たとえば、そうだな。とあるだれかが、こう言ったらどうだろう。今、城下町では悪党が捕まってその裁判を近々行われるらしい。でも、そいつらはとんだ悪党で、このままでは軽い刑になってしまいかねない。あなた方に協力して欲しい。どうか使用人であったふりをして悪党の罪について証言をしてくれないだろうか」

「だれがそんなこと」

「オズ」


 あたしは黙った。


「西の魔女は何者だったと思う? オズの土人形であり、オズの一番の部下であり、忠実な僕だ」


 そんな魔女がおさめていたのが、この土地。


「西の地」


 アトリの村は全員呪われていたね。


「テリー、リチョウはだれから飴を貰ったんだい?」


 そうだよ。オズが全ての始まりだ。


「考えてごらん。本来君はここにいるはずがなかった。馬係のデヴィッドはリトルルビィに殺されることはなかった。母親の体調を悪くしてベックスの屋敷から去ったんだ。だとしたら、ピーターから手紙も送られるはずもなく、この村で暮らしてたはずだ。で、同じ事件があったとしよう。ジャンヌだけが飴を舐めてなかったね。でも、じゃあ、星祭の前夜祭は無事に開かれてたんだ」


 踊り子は無事にやぐらにたどりつき、飴を混ぜた聖水を飲んだ。


「さあ、怖いものはない。これで全員中毒者だ」


 アトリは自分たちの正義のためにうそをつく人狼の住む地となった。


「歴史が変わった。アトリの村が沈んだのは、その代償のようにも思える」

「……村の人たちは?」

「ああ。長らく救助活動は行われてる。一応報告しておこう。ピーターは見つかったよ」

「……そう」

「あの人、だれだっけ、物知り博士? 小型飛行機で早朝にここまで飛んできたよ。中毒者の薬をたくさん持ってきてね。……なんかさ、気持ち悪いんだよね。彼」


 ――こんなに、こんなに中毒者がいる! きゃあああああ! ふぉっふぉふぉい! どの薬を、試そうかなーーーーー!? とかなんとかってね!


「いろんな薬を試すみたいだよ」

「……何人かは助かるかもね。手遅れでなければ」

「だね」


 ドロシーの言うとおり、本来あたしたちはここにいなかった。キッドもいない。リトルルビィもいない。ソフィアもいない。


(リチョウはどうしてたのかしら)


 一人だけ白いオオカミになり、

 なにもできず、

 黙って見ることしか出来ない。


(いや、邪魔もしたかもしれない)

(ジャンヌを守ろうとしたのかもしれない)


 だけど、やぐらに行ったところで全員に銃で撃たれるか、食われておわり。


(そう。……そうだったのね)


 ジャンヌは、あのとき、全員に中毒者にさせられたのね。

 あれだけ人狼におびえていた彼女は村の全員にだまされて、結局、呪われた。だれよりも口達者のうそつきとなった。


「ドロシー」

「うん」

「これは、変えてよかった未来なのかしら」

「さあて、どうだろうね」

「とりあえずわかることがあるわ。……なにか、ベックス家を咎める裁判が起きても、うそをつく証言人はもうでてこない」

「そのとおり」

「……変だと思ったのよ。屋敷に、……いなかったから」


 あたしたちは使用人ではなく、アトリの村の連中のせいで罪が重くなった。


(とくにジャンヌの証言でね)


 あの女、うそをつくの上手かったわね。そうとも知らずに仲良くしてたなんて。


「……」


 あたしはきいた。


「メニーは?」

「別のテントにいるよ」

「どこ?」

「白いテント」

「……そう」


 あたしはハンモックから下りた。


「ちょっと会ってくる」

「二人で?」

「悪い?」

「珍しいこともあるんだね。君からメニーに会いに行くなんて」

「ええ。ちょっと話があるのよ」


 ハンモックが揺れている。


「いろいろ、忘れていたことを思い出したみたいで」

「そうかい」

「ドロシー」

「うん」

「あたしがあの女を叩いたら怒る?」

「腹痛の刑にしてやるよ」

「最低」

「メニーはぼくの親友だからね」


 ドロシーがあたしのハンモックに寝転がった。


「ちょっと、あたしのハンモックよ」

「いいじゃん。行くんでしょ?」

「あんたね、あたしのベッドといい、あたしのハンモックといい、なんでいつもあたしの使うところを占領するのよ」

「いいだろ。別に。君の使うものっておちつくんだよ」

「そうよ。あたしはセンスがいいから使うものの質もいいのよ。わかった? 泥棒ネコちゃん」

「さっさと行けば?」


 ドロシーがあきれた目であたしを見る。


「大事な話なんだろ?」

「……ふん」

「行ってらっしゃい」


 ああ、そうそう。


「ソフィアとリトルルビィも外にいたよ。会ってくれば?」

「……そうね」


 とくに、『リトルルビィ』は、


「会ったほうがいいかも」


 あたしはテントから出て行った。ドロシーはあたしのハンモックでくつろぎ始めた。



(*'ω'*)



 山からアトリの村が見えた。まるで湖のように水がたまり、屋根は完全に水に埋まり、アトリの鐘はもうその姿を見せていなかった。


 ソフィアがフィルムにその景色をおさめた。


「……」


 あたしはそれを見て、……ほんの少しのいたずらごころから、甘ったるい声を出した。


「ソフィア」

「……やあ。テリー」

「なにしてるの?」

「水に沈んだ村を撮ってるんだよ。君のことも撮ってあげようか?」

「えー? 撮ってくれるの?」

「いいよ。かわいいポーズして」

「わーい」


 あたしはソフィアに中指を立てた。


「くたばれー♡」

「……くすす」

「……てめえ、よくも濁流に呑み込まれる前に助けに来なかったわね……」


 ソフィアがシャッターを切り、あたしはじろりとソフィアを睨んだ。


「おかげで体中痛いわよ」

「ああ、びっくりしたね。急に波が押し寄せてきて。でもリトルルビィがすぐに救出したから」

「あたし、大声で助けを呼んだのに無視されたこと絶対忘れないから。覚えてなさいよ」

「くすす。またわたしたちの忘れられない思い出ができたね。テリー」

「なにがあたしのイヌになるよ。全然役に立たないくせに」

「えー? 結構、君を助けてあげたと思ってるんだけどな?」

「お黙り。よそ犬が。お前は所詮キッドの使えないイヌよ。あいつのリードに繋がれて、わんわん鳴いてなさい」

「あ」

「ん?」

「テリー、そのまま」


 またシャッターを切られた。


「……はあ。やっぱり上目遣いの君、とっても恋しい。くすす!」

「……チッ!」

「テリー、髪が絡んでる。……まとめてあげるからカメラ持ってて」

「……ポニーテールにして」

「あれ? あの可愛い髪型じゃなくていいの?」

「……どうかしてたのよ。いいからポニーテールにして」

「くすす。はいはい」


 ソフィアがあたしの髪を一つにまとめた。そして、……顔を覗かれる。


「なんだかこうして見ると、……大人になったね。テリー」

「当たり前よ。身長も伸びてるんだから」

「……?」

「うるさいわね! どうせお前には届かないわよ! なによ! 女のくせに180センチ以上もあって! うらやましいのよ!! くたばれ!!」

「わたしは逆に高いヒール履けないから嫌だけどね」

「は? なんで?」

「だって、殿方よりも高くなっちゃうもの」

「……ばかじゃないの?」


 ソフィアがきょとんとした。


「あんたのその身長高い姿がかっこいいんだから、高いヒールでもなんでも履いて、見せつけてやればいいのに」

「……」

「……10センチでいいわ。あたしに分けてくれていいのよ」

「……テリー」

「なによ」

「だきしめていい?」

「やだ」


 ソフィアが黙ってあたしを抱きしめてきた。


「ちょっと」

「くすす! ……やっぱりテリーだね」


 耳元で囁かれる。


「恋しい君、また会えてうれしいよ」

「……なによ。記憶のないあたしはいやだった?」

「なにを言ってるの。……どんな君でも魅力的で、目が離せなかった」

「はっ!」

「だって、結局根本は変わってなかったから……たとえ記憶がなかったとしても、……わたし、やっぱり君が恋しくて胸が苦しかった」

「……忘れるんでしょ?」

「忘れるよ。いつかね」

「……」

「恋しい君、……まだ好きでいさせて」

「……はあ……」


 あたしはソフィアの背中を軽く叩いた。


「リトルルビィは?」

「向こうでたそがれてるよ」

「……会ってくる」

「もう少し一緒にいたい」

「……」

「くすす。……うそだよ」


 ウソつきは誰だ。

 ソフィアがあたしから離れた。あたしはその顔を見て、……すこし、心が揺れる。


「会っておいで」

「……今晩、夜空にきれいな星が広がるんですって」

「ああ、らしいね」

「どうせみんなと一緒に見ることになるんだから」


 ソフィアの手を握りしめる。


「……恋愛相談くらいなら、のってあげても良くってよ」

「……」


 風が吹く。あたしの髪が揺れた。


「テリー」


 ソフィアがあたしの手を引っ張った。


「ずるいよ。それは」


 ソフィアがあたしを強く抱きしめた。


「記憶なんか、戻らなければよかったのに」


 ソフィアがきいてきた。


「テリー、あのとき心が揺れてたでしょう?」

「わたしと一緒にいるとき」

「なにも言ってないのに、君はやさしいからほっぺにキスしてくれた」

「ご褒美だって言って」

「もっと心を揺らせばわたしに恋をしてくれた可能性だって大いにあったと思うんだ」

「あーあ」


 思い出しちゃった。


「テリー、もう一回忘れて? で、キッド殿下よりも先に、わたしが君と出会うよ。そうすればわたしの恋は実る?」

「……あんたね」

「君から離れたいわけない」


 強く強く抱きしめられる。


「忘れられるわけない」


 君に心を盗まれてるのに。


「そろそろわたしの心、返してくれない?」

「返す返す。クーリング・オフ」

「だめだ。返ってこない。ああ、残念。わたしは君にとらわれたままだ」

「ソフィア」

「ほんとうにイヌになりたい。人間やめたい」

「ソフィア!?」

「そしたら君が可愛がってくれるもの」


 恋人ができたって結婚したって頭を撫でて、こういうんだ。ソフィア、あんたはあたしの味方よね。愛してるわ。ソフィア。


「……オオカミのほうがいい?」

「……ばかなこと言わないの」

「……」

「……ソフィア、お願い」


 あたしはソフィアにとって、残酷な願いをする。


「忘れて」

「……」

「ゆっくりでいいから、……忘れて。……一方的な恋ほど、むなしいものはないでしょ」

「……わたしだって忘れられるものなら、忘れたいんだよ」


 でも、君は、


「ずっと私の心にいつづけるから」

「出ていくから」

「出ていかない。ああ、残念。ああ、胸が苦しい」

「……」

「もう少し時間ちょうだい」

「……悪いわね」

「ほんとうだよ、テリーは」


 ソフィアがくすすと笑った。


「人の心を盗む、とんだ悪党だよ」


 そして、やさしい手付きで、あたしの頭をなでた。



(*'ω'*)



 リトルルビィが木の上から村を見つめる。

 あたしは木を揺らした。リトルルビィが気がついて、あたしを見下ろした。あたしは手招きをした。リトルルビィが無視した。それを見て、あたしはかわいい声を出した。


「リトルルビィ、どうして無視するの?」

「今声かけないで」

「あたしのリボン、知らない?」

「さあな、そこらへんにあるんじゃない? さがしてみな」

「なによ。前まではリボン可愛いでしょって自分から言ってたくせに」


 リトルルビィが眉をひそませて、もう一度あたしを見下ろした。


「大きな声で再現しましょうか? すーー……。……『テリー、見てー。新しいリボン買ったのー。似合うかな? わたし可愛い? きゃー。テリーに可愛いって言ってもらっちゃった。うれし……』」


 下りてきたリトルルビィの手によって、あたしの口がふさがれた。じろりと見ると、リトルルビィに睨まれた。


「……黙れよ……」

「もごもご」

「うるせえんだよ……。いつの話してるんだよ……」

「もごもご」

「うるせえな! ガキだったんだよ!!」


 ……リトルルビィがあたしの口から手を外した。


「思い出したの?」

「どうかしら。病院に行ってみないとわからないわ。だって、これくらい背の小さかった可愛いルビィがこんなに背が高くなってるはずないもの」

「うるせえな。だれがこれくらいだよ。もっとあったし」

「あんたなめてるの? これくらいだったじゃない。あのころのあんたはもう、いっつもぴょんぴょん飛び跳ねてて、本当に可愛かったわ」

「……悪かったな。可愛くなくなって」

「……冗談よ」


 かかとをいっぱい上げて背伸びをして、リトルルビィの頭をなでる。


「あんたはずっと可愛いリトルルビィよ」

「……」

「ちょっと話さない?」

「……チッ」


 リトルルビィがその場に座った。あたしも隣に座る。横を見れば、魔女の城の影が見える。前を見たら、沈んだアトリの村が見える。隣を見れば、アトリの村を眺めるリトルルビィがいる。


「……きいてもいい?」

「なに」

「デヴィッドのこと、覚えてる?」


 リトルルビィが少し黙って、膝を曲げて、そこにひじをつけた。


「あんまり」

「……そう」

「そいつだけじゃねーもん。わたしが殺したの」

「あんた、ピーターを避けてたでしょ」

「だれそれ」

「デヴィッドの弟の、アトリの村の神父」

「……」

「顔見て避けてた。教会も、彼がいないときに来てた」


 ルビィの頭をなでる。


「すごいわね。よくわかったわね。血縁者だって」

「……知らねーよ。……なんとなく、近づきたくなかっただけ」

「お墓、沈んじゃったわね」


 あたしは指をさす。


「あそこらへん、墓地があったのよ」

「……」

「行った?」

「……キッドと行った」

「……そう」

「でもさ」


 風がリトルルビィの髪を揺らす。


「殺した相手に、なんて祈ればいいわけ?」


 キッドは花を添えて謝ってた。守れなくてすまなかったって。


「わたしが殺したんだよ。墓の相手」


 呪いに侵されて、狂気こそが正気だと思っていたときに、血が飲みたくて仕方なくて、馬車にうまそうなにおいがして、ただ邪魔だと思って、その首を切断した。


「テリーならどうする?」

「人を殺すことの罪なんか知らなかった」

「今ならわかるよ。とんでもないことしたって」

「でもしちゃったことは取り返しつかないじゃん」

「ねえ、どう祈ればいい?」

「ごめんなさいで済まないじゃん」

「死んでるんだよ」

「わたしが殺してさ」

「殺した相手の墓目の前にしてさ」

「で、今は湖のなか」

「テリー」

「わたしどうしたらいい?」


 あたしは腕を伸ばして、リトルルビィの頭を抱えた。リトルルビィが身をかがめて、あたしの胸に顔を埋める。


「わたし、いつになったら解放されるの?」


 リトルルビィはこの先もずっと、人を殺した罪を背負っていくんでしょうね。


「苦しいよ」

「騎士になるって言っておいて、よく言うわよ。この先もっと苦しくなるわよ」

「……」

「キッドも嫌なやつね。殺されて死んだ人の墓に本人を連れて行くなんて」


 やさしく頭をなでる。


「なんて祈ったの?」

「……ごめんなさいって」

「そう。……良い子ね」

「それしか……言えなかった」

「……いいじゃない。あたしなんかごめんなさいも言えない女の子だったわよ」

「テリーはいつも言ってるじゃん」

「それでも、……言えない子だったのよ」


 ごめんなさいなんて、貴族相手か、ママにだけ使えばいいと思ってたから。


「それならルビィ、あたしもあんたに謝らなきゃ」

「ん」

「義手、気持ち悪いなんて言ってごめんなさい」


 リトルルビィの義手を両手で掴み、あたしの頬に当てた。冷たくて気持ちいい手。


「何度この手に救われてきたことか」

「……仕方ないよ。記憶飛んでたんだから」

「……やだ。ヒビが割れてる。整備してもらいなさい」

「ん」

「オオカミに噛まれたときね」

「たいしたことなかったけどな」

「強がらないの」


 軽く額を小突くと、リトルルビィと目が合った。あら、……なにか言いたげ。


「なに?」

「……テリー、あのさ、なんていうか」

「ん、どうしたの?」

「……わたし、幻聴だと思うんだけど……」


 リトルルビィが目を伏せた。


「お兄ちゃんに、声かけられた気がして……」

「……お兄ちゃんって?」

「わたしの、お兄ちゃん……」

「……どういうこと?」

「あの鐘の前で戦ってるとき、わたし、一回気絶したんだよ」

「……大丈夫?」

「ああ、平気。ただ、そのときに、……なんか、……お兄ちゃんに似た人の声がきこえて……」


 ――ルビィ! 起きろ! ルビィ!!


「なんか、すごい大きな声だなって思って」


 ――わかってるだろ! 寝てる場合じゃないだろ! ルビィ! 起きろ!!


「ぼやけて、あんまり見えなかったけど」


 ――ルビィ! テリーさんを守るんだ!! 出来るだろ!! お前はぼくの妹の、心が大きなリトルルビィだ!! 起きろ!!!!


「……走馬灯かな」

「わからないわよ。不良になった妹の様子を見に来たかもしれないじゃない」

「不良じゃない。これはロック」

「あんたまたピアス増えたでしょ」

「かわいいじゃん」

「穴ばっかりあけて!」


 リトルルビィはくすっと笑った。それを見て、あたしはもう一度頭をなでた。


「……あのね、傷って、時間が解決するしかないのよ」

「……」

「ピーター、どうせまだ意識ないんでしょ」

「……ん。眠ってる」

「起きたらどうする? あいさつする?」

「どうかな。わざわざ怒られにいくようなことする?」

「怒られるって?」

「兄貴殺されてるんだよ? わたしなら絶対許さない」

「そうね。でも、……誠意を見せるのと見せないのって、少し違うんじゃない?」

「……」

「まだいいわ。あんたがもう少し大人になってから。……あたしと一緒に行きましょう」

「……」

「いや?」

「……ううん」


 リトルルビィが首を振った。


「テリーがいるなら、……行く」

「いやなら無理しなくていいわ。いつかの話だから」

「ん」

「どうする? ……抱っこする?」

「抱っこはいい」


 だけど、腰に抱きついてくる。


「しばらくこうさせて」

「……わかった」


 あたしは微笑み、やっぱり押し付けてくるその頭をなでた。



(*'ω'*)



 リオンがまぶたを上げた。目の前には、包帯だらけのメニーがいる。メニーとリオンが見つめあってる。リオンが黙り、なにかを考え、口をひらきかけ、止めて、……開いた。


「メニー、気持ちは理解できたけど、あまりにも……」


 そこであたしが布をめくってしまった。リオンとメニーがあたしを見た。


「……」


 あたしはため息を吐いた。


「邪魔したわね。ごきげんよう」

「あ、ちが、テリー!」


 あたしは歩き出した。少し時間が経ってから入ろう。ああ、メニーが毒なだけに、目に毒なものを見てしまったわ。さて、お散歩しよう。


「テリー! 待てったら!」

「……」


 あたしは息を吐き、きゅるんとした目で振り返った。


「リオンさま、どうしてメニーとあんなに親しげだったの?」

「えっ」

「あたし、ショックでしたわ……」

「ああ、その、そういうわけじゃなくて……」

「あたしたち、キスもしたのに」

「あ、あ、あ、あ、あ、あれは君からそのだからあのえっと……!」

「あ? なによ童貞。気持ち悪い。だからあんたはいつまで経っても童貞なのよ。もっと堂々となさい。この万年童貞が」


 リオンが表情を険しくさせた。


「はあ。まったく。19にもなって童貞とか。キスも未経験とか。ないわー。本当にあんたのどこがよかったのかしら。あたし自問自答しても答えが見つからないの。ジャックもそう思わない?」


 ――ケケケ!


「王子さまなんて見かけだけね。あ、妹とキスはカウントに入らない。でしょ? レオ」

「……ニコラ、君のその言い方、なんとかできないのか?」

「ああ、そう、わかった。リオンがキスの初体験したってクレアに伝えておくわね」

「やめろ! 絶対言うな! いいか! ばきゅーん! されるのははぼくだけじゃないぞ!」

「だからカウントに入れないのよ! わかった!? これは契約よ!!」

「ぐっ、……なるほど。わかった。君とのキスはカウントに入らない」

「交渉成立ね。ミックスマックスに誓って」

「ミックスマックスに誓って」


 あたしたちは誓いのポーズを決めた。しかし、リオンが残念そうにため息を吐く。


「……はあ……。……初めてだったのに……」

「女々しいこと言わないでよ。初めてじゃないでしょ。あんたの場合」

「初めてだよ」

「忘れたとは言わせないわよ。メニーと散々キスしてたじゃない」

「……この世界では初めてだ」

「もどれば? メニーと話し中でしょ」

「いや、……話は終わった」

「……」

「本当さ」

「……あ、そう」


 あたしは腕を組んだ。


「なんの話してたの?」

「その話をしに君は来たんじゃないか?」

「……あんたのほうがきけるんじゃない?」

「なんでそう思うんだ?」

「未来のメニーのお婿さんじゃない」

「言ってるだろ。お互いにそんなつもりはないよ」

「……」


 あたしは眉をひそませた。


「なんで迎えに行かなかったの?」

「……なにが?」

「あの日は本来、あんたがあの子を迎えに行った日よ。ガラスの靴を持って」

「メニーは舞踏会でガラスの靴を落とさなかった。追いかける理由はない」

「メニーの誕生日はどうするつもり? 結婚式は?」

「挙げないよ」

「どうして?」

「する必要がない」

「……」

「ニコラ、……未来は確実に変わってる。ぼくとメニーが結婚する理由はない」

「本当に愛はなかったの?」

「ああ。ない」

「……」

「なんだい?」


 リオンが首を傾げた。


「なにか言いたげだな」

「……正直に言うわ。あるって言って欲しかった」

「へえ?」

「過去のあたしが報われない」

「ぼくのなにがいいか、わからないんだろ?」

「ええ。お前なんてクソ男よ。あたしを選ばなかった時点で、クソ行きよ。便所の水に流されたらいいんだわ」

「よく言うよ」

「養子もいたくせに」

「アーサーとクリスな」

「……仲良さそうに見えた」

「あの子たちは良い子だったから」

「良い子ね」

「……まだ生まれてないだろうな」

「ええ。もう少しよ。たぶん」

「……ニコラ」

「なーに? お兄ちゃん」

「人の気持ちは難しいな。思うとおりにいかない」

「ええ。こればっかりはどうしようもないわね」

「ぼくには理解できないことがその人にとっての考えだったりする。クレアみたいに」

「あれは例外よ。考えてることがまるで読めない。ただのチート女よ」

「テリー」

「ん」

「メニーのこと、どう思う?」

「ただのばか」

「くくっ」


 リオンが吹いた。


「怒ってるな」

「あいつなに考えてるの? オオカミなんて魔力で飛ばせばよかったのよ。クレアと訓練してるんでしょ?」

「ああ、してるみたいだな」

「土砂崩れに巻き込まれたときも、頭が真っ白とか言ってなにもしなかったのよ。なんのための訓練よ」

「くくっ」

「記憶のないあたしがオオカミに襲われたときだってそうよ。あいつ、なにもしないでリチョウと見つめ合って……」

「テリー」


 リオンが親指でさした。


「メニーに話があるんじゃないか?」

「……積もる話がね」

「あまり暴言吐くなよ」

「元旦那に言われなくたって大丈夫よ。あたしは自制できるの。あんたと違ってね」

「痛いところを言ってくれるな。ジャックもそう思うだろ?」

「ケケケ!」

「ジャックもジャックよ。ねえ、あんた、なんかあたしを見る目おかしくなかった?」

「ニコラ!」


 ジャックが目を輝かせてリオンの体であたしを抱きしめてきた。


「オイラ、昔ノニコラノ悲鳴ガ好キナンダ!」

「……」

「ネエ! モウ一回キキタインダ! 今夜、悪夢見セテモイイ!?」

「お兄ちゃん、アリスに言うわよ。ジャックがアリス以外の女の子にとびっきり怖い夢を見せたから、もうアリスとは縁を切ったのかもねって」

「ナンテコト言ウンダ!! ヒドイ!」

「ひどいのはどっちよ」


 額をぐっと押しのけると、リオンがぱちぱちとまばたきした。


「お兄ちゃんったら、いくらあたしが魅力的な女だからってだきついてくるなんて、はしたないわ。クレアに言ってやる」

「やめろ。本気でやめろ」

「よく抑えられたわね。そんな状態のジャック」

「ドロシーに感謝だな」

「……あんた、本当に話し終わったの?」

「ああ」

「……そう」


 あたしは一歩踏み込んだ。


「安心して。ちょっと説教するだけよ」

「だといいけどな」

「やめて、その顔。イライラする」


 にやつくリオンに舌を見せて、あたしは再び歩き出した。


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