第17話 人狼の夜(1)


 柱に銃弾が撃たれ、やぐらが揺れた。ジャンヌが手すりにつかまり、ヒョヌが後ろに転んだ。


 あたしの背中に誰かが乗っている。心臓と体をぶるぶる震わせていると、乱暴に頭を撫でられた。


「怪我は?」


 その声に、あたしははっとして顔を上げる。


「ないな?」


 キッドさまが、あたしに笑顔を浮かべていた。


 あたしの手を握り、立ち上がり、あたしも引っ張られ立ち上がり、ジャンヌがあたしに駆け寄ってきた。


「テリー!」

「ジャンヌ! だめだ! もどってきなさい!」


 起き上がって叫ぶヒョヌに、キッドさまが剣を向けた。ヒョヌがひい! と悲鳴をあげ、キッドさまを見つめる。


「な、なにをするのですか! 一国の王子が、国民に剣を向けるなんて!」

「未来の王妃に銃を撃ったのはそちらだ」

「キッドさま! その女は、テリーさまではございません! テリーさまの皮を被ったばけものです!」

「ばけものはどちらだろうな」


 ジャンヌがあたしを抱きながら、ぽかんとする。


「村長のあなたが正しき鐘の前でも、ウソをつくのか?」

「ウソだなんて……! わたしがいつウソをついたというのですか!」

「よくも魔力付きの巨大な岩を落として出口を塞いでくれたな。毒付きの食材。毒付きのミルク。いやいや、毒味係が大変だったよ」


 兵士が村人に剣を構えた。


「覚悟はいいか。中毒者」

「……貴様、さてはキッドさまのふりをした人狼だな!? この、にせものめ!」

「にせもの、ね」

「この村に手出しはさせない!」


 ヒョヌの腕の筋肉が動いた。ジャンヌが目を見開いた。


「わたしが村を守らなければ」


 アトリの鐘が鳴る。


「ウソつきを正しき道へと導くのだ!!」


 日が沈んだ。夜が訪れる。空が闇に覆われた。一人が悲鳴をあげた。しかしそれは悲鳴ではない。遠吠えだ。尻から尻尾が生えた。耳はとんがっていった。目は小さくなった。口は伸びた。身長が高くなった。肌からは黒い毛が伸びた。もう一人も同じように大きくなって毛が生えた。そのとなりにいた人も、また次の人も、どんどん、みんな、大きくなって、膨らんで、筋肉がグチュグチュ動いて、毛が伸びて、二本足で立つオオカミになった。


 ジャンヌが声にならない悲鳴をあげた。あたしを強く抱きしめた。ジャンヌがはっとして、ヒョヌに振り返った。そして、……悲鳴をあげた。


「いやぁああああああああ!!」


 巨大な黒いオオカミは熱い息をもらし、よだれをたらし、どんどん大きくなっていく。やぐらが傾いた。あたしとジャンヌが手すりにつかまって悲鳴をあげた。すると、下からリトルルビィが飛び跳ねるようにやぐらに登ってきて、あたしとジャンヌを抱いて、高く飛んだ。ヒョヌだったものが叫んだ。


「娘を返せ!!」


 人狼が一斉に遠吠えを始めた。

 アトリの鐘が鳴る。

 やぐらが傾いて地面に落ちた。

 キッドさまが早めにやぐらから飛び降りた。しかし、飛び降りた先ではすでに人狼たちが待っていた。キッドさまを捕まえようと意気込み、鋭い牙を見せつけた。


 キッドさまは怯むどころかにんまりと笑みを浮かべ、片方の手で銃を掴み、人狼に向けて撃った。撃たれた人狼は倒れ、人狼がキッドさまに襲いかかる。そこをソフィアが駆けてきて人狼を撃ち、キッドさまの背中を守った。人狼たちがソフィアを見た途端、にやりとして、よだれを垂らして襲いかかった。すると彼女はとぼけた顔をして、かわいらしく首を傾げてこう言った。


「あれ? あなたがた、すっぽんぽんでお恥ずかしくないのですか?」


 黄金の目が光り、とたんに、目を見た人狼たちは自分の姿がとんでもなくすさまじく恥ずかしくなって服を探し始めた。そこを彼女の銃で撃たれた。ソフィアは相変わらずくすすっと笑って、撃った人狼を踏みつけて、大声を出した。


「殿下!」


 ソフィアに噛みつこうとした人狼をキッドさまが斬りつけた。


「わかってる!」


 ソフィアとキッドさまが人狼を片付けていく。集団で襲ってもまるで刃が立たない。ならばと人狼たちはリオンさまに目をつけた。一気に駆けていき、リオンさまに牙を向ける。しかし、広場を明るくするために設置したたいまつが彼らの影をともした。


 だからリオンさまは歌った。


――ジャック、ジャック、切り裂きジャック、切り裂きジャックを知ってるかい?


 悪夢に入った人狼たち、しかし、悪夢のなかではオオカミではなく人であった。村人たちははっと顔をあげると、そこには恐ろしい悪夢が待っていた。


「ケケケケケケケケケケケ!!」

「きゃぁああああああ!!」

「助けてぇええええ!!」


 村人たちは、悪夢の餌食にされた。リオンさまが寝ている間も心配はない。ヘンゼルとグレーテルが剣で彼を守った。


「グレタ! 毛深いレディもなかなかいいと思わないか!」

「兄さん! おれは手入れを怠らない努力家の女性が好きだ!」


 広場はどんちゃん大騒ぎ。血がはね飛び大戦場。人狼は兵士や王族に牙を剥く。そこをリトルルビィが踏んでいく。あたしたちを抱えて、人狼たちの頭を踏みつけ、口を向けられたら人狼の目をめがけて踏んづけた。悲鳴をあげる人狼たちを放って、リトルルビィが広場の外れに着地した。


「メニーは教会に避難させてる! 行け!」

「リトルルビィは!?」


 そのとき、人狼がリトルルビィの腕に噛み付いた。あたしとジャンヌが悲鳴をあげる。


「おうおう、やってくれんじゃねえか……」


 リトルルビィが噛まれた義手の手を思いきり振り、人狼を投げ飛ばした。人狼が可哀想な悲鳴をあげて、ふらつきながら立ち上がる。


「時間を稼ぐ! 行け!」

「リトルルビィ!」

「行こう! テリー!」

「ジャンヌ! 忘れもんだ!」


 リトルルビィがジャンヌに銃を投げた。それをジャンヌが見事に受け取る。


「テリーを守って!」


 リトルルビィが襲ってきた人狼を投げ飛ばした。


「早く行け!」

「ありがとう! 行こう! テリー!」

「リトルルビィ……!」

「早く!」


 ジャンヌに引っ張られ、あたしも一緒に駆け出した。広場から遠くにある教会を目指して走る。森が揺れる。木が揺れる。牧場にいた動物たちが死体で倒れている。だれかの家のドアが開いている。ジャンヌがはっとして、急に立ち止まった。家から人狼が飛び出した。ジャンヌがそれを撃つ。


「テリー! うしろ!」

「ひゃっ!」


 ジャンヌがあたしのうしろにいた人狼を撃った。あたしははっとして叫ぶ。


「ジャンヌ!」

「っ!」


 人狼が口を開け、ジャンヌに噛みつこうと身をかがめると、後ろから撃たれた。人狼が倒れると、銃を構えて顔を強張らせるエンサンが立っていた。


「ジャンヌ!」

「エンサン!」


 ジャンヌがエンサンに走り出そうとしたのを、あたしは必死に止める。


「ジャンヌ!!」

「テリー! エンサンだよ!」

「エンサンも人狼よ!」

「ちがう!」


 エンサンが必死に否定し始めた。


「見ただろ! おれは人狼を撃った! 仲間なら撃たないだろ!」

「ジャンヌ! エンサンはウソを言ってるわ!」

「ジャンヌ! おれを疑うのか!?」

「お願い、ジャンヌ!」


 あたしは必死に訴えた。


「リチョウが言ってたの! あたしを信じて!」

「で、でも、エンサンは……」

「お願い! ジャンヌ!」

「でも、でも……」

「ジャンヌ、テリーさま、こわがらないでくれ。おれはほんとうになんでもな……」

「近づかないで!」


 あたしは困惑して混乱しているジャンヌから銃を奪い、銃口をエンサンに向けた。


「近づいたら、撃つわよ!」

「テリーさま、おれは違うと言ってるだろ!」

「近づかないでって言って……!」


 エンサンが急に走り出した。


「っ!」


 あたしは慌てて引き金を引いたが、避けられた。エンサンがあたしとジャンヌを突き飛ばす。


「きゃあ!」


 あたしは情けない悲鳴をあげて地面に転がる。ジャンヌの悲鳴がきこえて、急いで顔をあげると、人狼に変貌したエンサンに馬乗りにされていた。


「ジャンヌ!」

「ジャンヌ……! ああ……! ジャンヌ! ようやくだ!!」


 目をギラギラにさせて、血の気を引かせるジャンヌを見下ろす。


「ようやくお前を食べれるよ!! おれはずっとお前を食べたくて食べたくて仕方なかったんだ! 村長に我慢しろって言われてたけど、もう、いいよな! 肉だ! 肉だ! 新鮮な肉だ!! ジャンヌ! ばあちゃんと同じようにはらわたを食べてやるよ! なあ!? いいだろ! ジャンヌ!!」


 ジャンヌが悲鳴をあげた。エンサンはそれを喜ぶかのように大きな笑顔で口をとんでもなく大きく開けて、のどの手前まではびこる歯を見せた瞬間――白い影が飛び込んできて、エンサンが悲鳴をあげた。


「うわぁっ!!」


 エンサンの背中に乗っかり、エンサンがぶるぶると体を揺らす。その隙にジャンヌがエンサンを蹴り上げて、走り出し、銃を拾って一回転がってから、あたしの前に立ち、ようやく銃をエンサンに向けた。


 エンサンが踏ん張り、大きく体を揺らすと白い影はエンサンから離れ、ジャンヌの隣に着地し、エンサンをまがまがしく睨みつけた。


「ふうっ! 危なかった!」

「エンサン」


 その声をきいた瞬間、ジャンヌがはっとふり返り……エンサンは眉をひそませて、……きいてみた。


「その声は、もしやお前、我が友、リチョウではないか」

「そうだ。エンサン。いかにもおれはリチョウだ」


 ジャンヌがぎょっと目を丸くさせた。

 エンサンの顔が一気に強張った。

 金色の目がギラリと光り、殺意を見せた。


「貴様、よくもおれの妹を食おうとしてくれたな! 親友だと思っていたのに! よくも!!」


 リチョウが走り出し、勢いよくエンサンに飛びついた。エンサンが悲鳴をあげながら手足を動かすと、エンサンの頭にリチョウが噛み付いた。エンサンがとんでもない痛みから悲鳴をあげ、ふらふらと足を揺らした。


「や、やめてくれ! リチョウ! 親友じゃないか!」


 リチョウは容赦などしない。さらに強く噛みつき、エンサンが痛みにうなる。そして、金色の目を光らせた。獣のようにうなり、筋肉のある毛深い腕を使ってリチョウを引き剥がし、地面に叩きつけた。今度はリチョウが悲鳴をあげ、エンサンがぐるる、とうなりながら飛びかかった。リチョウはそれを避け、エンサンはすぐにふり返り、またリチョウに走った。


 だからリチョウは詩を読んだ。



 はずかしいことだが、

 今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、

 おれは、己の詩集がだれかの机の上に置かれている様を、

 夢に見ることがあるのだ。



「っ!」


 エンサンがとつぜん木に叩きつけられた。



 がんくつの中に横たわって見る夢にだよ。

 わらってくれ。

 詩人に成りそこなって 虎になった哀れな男を。



 エンサンが地面に引きずられ、叩きつけられ、また木に叩きつけられ、はらわたを膨らませた。


「ぴぎゃっ! はわっ!」


 膨らんでくよ。

 膨らんでくよ。

 どんどんどんどん膨らんでくよ。

 風船いかが。

 オオカミ風船。

 まるくてかわいい風船よ。


「はわわわわわわわわわわっ!!!」


 膨らんだはらわたに、通りすがりのアリが針を刺した。食べ物運びの邪魔しないで!


「ぱぁん!」


 はらわたを破裂させたエンサンが白目を剥かせてその場に倒れた。手がピクピク動き、破裂して破れた皮膚がゆっくりと再生されていく。


 リチョウがあたしたちに叫んだ。


「二人とも背中に乗れ! これからダムに向かう!」

「だめよ! リチョウ! 教会に妹がいるの!」

「なに、妹……!?」

「お願い、連れてって! あたしの妹が避難してるの! お願い!!」

「……、わかった。テリー、おれは急がねばならない。いいか、お前を教会に置いていく。ついたら妹と屋根の上にのぼれ! あとは運命に任せろ!」

「ありがとう!」

「……兄さん……?」


 ジャンヌが呆然とリチョウを見つめる。


「ほんとうに……兄さんなの……?」

「ジャンヌ、詳しくは後だ! 背中に乗れ! 」

「な、なんで、白いオオカミが、そんな、はず……」

「しっかりしろ! バカ妹!!」


 リチョウが圧のある声で怒鳴った。


「急いでると言ってるだろ! 早く乗れ!!」

「ジャンヌ、早く!!」

「う、……うん!」


 あたしとジャンヌがリチョウの背中に乗り、気絶しているエンサンを放置し、リチョウが道を駆け出した。

 アトリの鐘が村中に鳴り響く。まるで警告音のように。

 白いオオカミが村中を走っていく。

 人狼が飛び出すが、リチョウが詩を読むと、家の壁に吹っ飛んでいき、みんな気絶した。

 リチョウが近道を進んだ。

 タイミングよく、人形店から涙を流した人狼が人形を抱きしめて出てきた。


「ピノキオォオオ! わたしを許しておくれぇええ!!」


 鼻の長い人形は笑顔を浮かべたまま、動かない。人狼の遠吠えがきこえる。

 白いオオカミが走る。

 うそつきヤギが走る。


「やめておくれよ! メエエエエ! 食べても満足しないよ! メエエエ!」

「お膳や、ご飯の支度!」

「ブリックレー・ブリット!」

「こん棒、袋から!」

「これこれ! どこに行くんだね! ライアー!」

「やめてええ! 助けてぇええ! メエエエ!」


 白いオオカミが角を曲がった。

 路地裏では人狼になったネコがともだちのネズミをぱくりと食べた。


「チュー」

「にゃー」


 風が前髪を揺らす。

 目が乾いてくる。

 リチョウは走る。



 教会についた。


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