第16話 彼の名はリチョウ


 白いオオカミは道を進んでいく。

 あたしはオンボロの橋を渡った。

 白いオオカミは時々止まり、あたしにふり返った。

 あたしが足を止めて息を整えると、白いオオカミはじっと待った。

 あたしが顔を上げて、ふたたび歩き出すと、白いオオカミも進み始めた。


(やっぱり、あのオオカミさん、あたしについてきてほしいんだわ)


 どこに?

 あたしは暗くなっていく森を眺めた。大丈夫よ。怖くないから。だって、あたしの視界はなぜか昼間のように明るくて、遠くだってよく見えるの。


(……ダムが見える)


 立派な大きなダム。ピノキオが死んだ場所。


(あ)


 白いオオカミが足を止めている。早くしろと言いたげな目であたしを見つめている。


(待ってよ。あたしだって不安ななか来てるんだから、ちょっとくらい森を眺めたっていいじゃない)


 日が落ちていく。どんどん辺りが暗くなっていく。……すこし不思議だわ。白いオオカミ以外の獣の気配がしない。


(どこまで行くんだろう)


 あたしは目玉を上に上げた。その先には、悪い魔女の城が建っていた。


(このままじゃ、あの城に入っちゃうわ)


 白いオオカミは門をくぐった。


(え? 入るの?)


 古びた柱には花が咲いている。花の匂いがあたしの鼻をかすめる。


(魔女の城に、なにか用事?)


 白いオオカミが城のなかへ入る。あたしもついていき、なかへ入った。

 白いオオカミが階段で止まった。あたしもついていき、一歩前に出ると、……かちりと、なにか踏んだ音が聞こえた。


(ん?)


 直後、あたしの下の地面に穴が空いた。


「へっ!?」


 あたしは穴に落ちた。


「ぎゃあああああああああああああああ!!」


 長い長いトンネルのような穴があたしを下へ下へと吸い込んでいく。


「ママぁあああああああああああ!!」


 だれか! だれか! だれかたすけて!


「あだっ!」


 あたしはすべり台から落ちるように、薄暗い地面に倒れた。


「ひどい! せっかくのドレスが汚れちゃった! 罠だったんだわ! あたし食べられちゃうのよ! ぐすん! ひどい! ぐすんっ! ふええん! ぐすっ! ああ! もうだめ! あたし死んじゃう!」


 灯火がゆらりと揺れた。


「きゃーーーー!」


 あたしは悲鳴をあげて……黙り、まばたきをした。

 不思議なの。ここは地下室で、ろうそくもなくて、暗い場所のはずなのに、やっぱりあたしの目にはまるで明かりがついてるように明るく見えるの。

 だからここがどんな廊下かもわかるの。


 ガラスの廊下なの。


 全てが反射する一本道の不思議な廊下。

 壁にも、床にも、あたしの姿が映っている。

 そしてガラスには反射されない灯火がうようよと揺れて、あたしを待っている。あたしは立ち上がり、灯火を目で追いかけた。灯火はまるであたしを導くかのように、またふわふわと飛んでいき、廊下の奥に進んでいった。


 あたしはそれを追いかける。

 最初は歩いて、でも視界がはっきりしているから小走りでも大丈夫で、どんどん灯火が奥に向かって進むから、じゃあ、どんどん走っていって、でも不思議だわ。ここはどんなに走っても過呼吸が起きる気配はないの。


 あたしはガラスの廊下を進む。

 ガラスは鏡。

 あたしの走る姿が映る。

 手前にも、奥にも、もっと奥にも、見えなくらい奥にも、あたしが存在してあたしは走っていく。

 灯火はあたしを呼ぶ。こっち、こっちだと手招きするように。

 あたしの足が鏡に映る。

 あたしの足が男の足になった。

 あたしの手が男の手になった。

 あたしが走る。

 鏡のなかでは男が走る。

 あたしは走る。

 鏡のなかを走る男が通る道の壁に、字が書かれていた。


 これはとある男の物語。


 鏡が反射する。鏡のなかだけに字が浮かぶ。


 彼は詩人になるのが夢であった。

 彼は詩を書く少年だった。

 それが楽しかったのだ。


 あたしの目の前にはふわふわした灯火がある。鏡のなかの男の前にはなにもない。


 いつの間にか彼は、詩を書くことにプライドを持つようになった。

 それはいらないプライドであった。

 彼は自尊心が高い男であった。

 故に、彼はどんどん人を避けはじめた。

 彼は皆から後ろ指をさされている気がしたのだ。

 その年になって、まだ詩を書いてるなんて。

 そう言われている気がしたのだ。

 彼はそれが許せなかった。

 だが、彼に才能はない。

 結果は出ない。

 だれかが言った。

 お前、そろそろ村のために働いたらどうだ?

 彼は断った。

 そして結果を求めた。

 結果は出なかった。


 白いオオカミの尻尾が揺れる。


 やがて父親が倒れてしまった。

 こうなったらお前の出番だ。

 頑張ってくれ。

 だが、どうしたらいい。

 彼にはなにもできない。

 今までずっと、詩で生きてきたのだから。


 目の前の灯火が紫に光った。ガラスの廊下は紫色に変貌する。


 そんなときに現れた。

 紫色の魔法使い。

 この飴を舐めるがいい。

 さすれば願いが叶うだろう。

 魅力的な飴に彼は魅了された。


 彼の名はリチョウ。


 リチョウ・イ・ウルフデリック。


 呪われた一人。



(*'ω'*)



 リチョウは、飴を舐めた。

 リチョウは、みるみる言葉が出てくるようになった。

 リチョウは、村の問題を詩で解決した。

 リチョウは、詩を読んで作物が育てた。

 リチョウは、詩を読んで体調不良者を治療した。

 リチョウは、村の英雄となった。

 リチョウは、倒れた父に詩を読んだ。

 リチョウは、父に褒められた。

 リチョウは、ようやく自分が認められた気がした。

 リチョウは、承認欲求が満たされた気がした。

 リチョウは、もっと人のために詩を読みたいと思った。

 リチョウは、言葉を紡いだ。

 リチョウは、大好きな詩を読んだ。

 リチョウは、幸せになれた。

 リチョウは、もっと幸せを求めた。

 リチョウは、もっと詩を作りたくなった。

 リチョウは、もっと村のために頑張りたくなった。

 リチョウは、どんどん弱っていく父を見て焦った。

 リチョウは、詩を読んだ。けれど、父は弱っていくばかりだった。

 リチョウは、焦った。どんなに詩を読んでも父は良くならない。

 リチョウは、だからこそ、父に見せた。

 リチョウは、飴を父に舐めさせた。

 リチョウは、回復した父を見てほっとした。

 リチョウは、父に認められた。

 リチョウは、ようやく村長の息子として、役に立てた。


 父に言われた。リチョウ、ありがとう。お前の詩がこんなに素晴らしいものだと思わなかった。

 これからもわたしたちのために、詩を作ってくれ。


 ようやく認めてくれた。

 おれの詩を。

 父さんが、

 村の連中が、

 ようやく、このときがきた。

 見たか。エンサン。ジャンヌ、ピノキオ!

 おれはようやく父さんに認められたんだ!

 やったぞ! おれの詩が、父さんに認められた!

 母さん、父さんがおれの詩を認めたんだ!

 もっともっと作れば、世界中の人々がおれを認めだすだろう!

 だって、おれには才能がある。

 もっと作るんだ。

 おれだけの詩を、もっと作るんだ!



 灯火がドアを通り抜けた。

 あたしの足が止まる。

 ドアノブをひねってみる。開かない。カギがかかっているようだ。

 ふと、あたしは手を見た。教会に置いてきたエプロンのポケットに入っていたはずの、リチョウの部屋で見つけたカギを、強く握りしめていた。


 あたしはカギ穴にカギを挿してみた。カギはぴったりはまった。カギが解除された音がきこえた。

 あたしはドアノブをひねり、ゆっくりとドアを開けた。



(*'ω'*)



「……」


 そこは、本棚と、空っぽの箱が置かれただけの倉庫のような部屋。

 あたしは慎重になかに入り、部屋を見回した。すると、ぽうっと、灯火が光った。あたしははっとしてふり返ると、灯火の光が本棚のとある一点にだけ当てられていた。あたしはそこに近づき、光っている本を取りだし、眺めた。


 あたしはページをめくってみた。

 そこには詩の言葉ではなく、一つの記録が書かれていた。



 ここに、この村で起きたことを記す。


 おれはリチョウ。村長であるイ・ヒョヌの息子だ。

 おれはとんでもない男であった。村の人、友人、妹、全員に頭が上がらないほど酷いことをしてきた。

 おれは、ただ好きな詩を認めてもらいたかった。それだけだったんだ。

 詩で食っていきたかった。だったら、それ相当の努力をしないとその道ではやっていけない。おれは詩を作るのが好きであったが、食っていくための努力を怠った。いつかだれかがおれを見つけて、俺を食わせてくれるに違いない。おれの才能をだれも見つけられてないんだ。それだけなんだ。だからおれは大丈夫だと高を括っていたんだ。

 おれはばかだ。大馬鹿者だ。もしも過去に戻れるのならば、おれは過去のおれをぶん殴ってやりたい。

 人は努力をする。才能がある者も努力をする。努力を続けることこそ才能だ。おれには才能なんてなかった。ただ詩を作って、自己満足に浸るだけ。そんなもの、認められるはずがなかった。


 父さんが倒れた。

 作物が育たなくなった。

 村の人たちが倒れていく。毎日、毎日倒れていく。

 ベッドに伏せて、足が悪くなり、手が麻痺し、畑仕事ができなくなる。

 村の人が困り果てていた。ダンテもピーターも頭を抱えていた。ジャンヌとエンサンはなんとかしようと作物の薬を変えてみたりしていた。だが、作物はなにをしても育たない。二人は試行錯誤し、この村を守ろうとした。

 おれはなにをしていた。そのときもいつもと同じだ。詩を書いていた。

 おれにはなにも関係ないと言って、実家が金持ちなのをいいことに何もしようとはしなかった。

 ジャンヌに怒鳴られる毎日。兄妹喧嘩をする毎日。ちがうんだ。おれが詩人になりたかったのは、人に感動を与えたかったからだ。言葉というものはすごいんだ。言葉一つで、人を生かすことも殺すこともできる。言葉は偉大だ。

 だからおれは詩人になりたかった。

 家族にすごいと、誇りだと言われ、村の者たちからちやほやされる、そんなスターになりたかった。だが、堕落したおれは、なにもしなかった。

 問題はどんどん山積みになっていくばかり。


 そんなときに、おれは紫の魔法使いと出会った。

 魔法使いはこう言った。飴を舐めたら願いが叶うと。

 おれはもう後戻りできなかった。どうにかしないといけないと心から思っていたんだ。自分を変えたかったんだ。父さんやジャンヌを助けたかったんだ。頭がとても痛くなった。脳が焼けるかと思った。しかし、次に目を覚ましたときには、世界が変わった。


 おれの詩は、村を救った。

 おれが詩を読めば、作物が育ち、村の人たちは病から解放され、みんなのおれに対する目が変わってきた。


「リチョウ、ありがとう」


 この言葉がとんでもなく嬉しかった。認められた気がした。

 だからおれは、もっと認めてもらいたくてどんどん村の問題を詩で解決していった。だがしかし、困ったことに、父さんだけはどうしても治療することができなかった。父さんはどんどん弱っていった。このままでは死んでしまうんじゃないかと思った。だからおれは、父さんに飴を渡すことにした。


 飴を舐めた父さんはたちまち元気になった。また村のために知恵を使った。父さんはおれを褒めてくれた。魔法の飴をくれてありがとう。これは素晴らしいものだ。父さんと話し合った。この飴を、ぜひ村の人たちにも舐めてもらおう!

 飴を舐めれば、みんなが助かると思った。だが、おれに罰が当たった。


 あるとき、だれかがおれを呼んでいる気がした。

 おれはその声に誘われるかのように家から飛び出した。声を追いかけ、いつのまにか手が足のように地面を踏んでいた。

 違和感を感じた。


 気がつくと、おれは恐ろしい獣になっていた。


 その原因が、あの魔法の飴の副作用であるということに気づくのには時間がかからなかった。このままでは村の者たちまで巻き込んでしまう。おれは急いで村へ向かった。


 その日は大雨だった。土はぬかるんでいた。おれは無我夢中で走った。早くいくためにはきちんとした道が必要だった。ぬかるんだ道が邪魔だった。おれはいらない道を詩を読んで爆発させた。

 爆発させれば、土砂崩れが起きて、運が良ければ道がきれいになる。だからおれは道を爆発させた。その下に、ピノキオがいたことに気づかなかったんだ。


 ピノキオの悲鳴で我に返った。おれの起こした土砂崩れにピノキオが巻き込まれた。おれは助けようとした。が、それはできなかった。村の者たちがピノキオをさがしにきたからだ。しかし、どうも様子がおかしいじゃないか。ピノキオは一度目を覚ました。村の者たちを見て、ピノキオは安心した顔をしていた。だが次の瞬間、村の者はピノキオに噛み付いた。おれは慌ててダムから飛び降りて、できる限りの反撃を食らわせてやった。しかし、もう手遅れだった。村の者たちは飴を舐めた後だった。ピノキオは、人狼となったゼペットに食われて死んだ。


 おれは急いで村にもどった。そうするとどうだ。村人全員人狼になっているじゃないか。

 父さんも、ダンテも、みんなオオカミとなってるじゃないか。おれはジャンヌをさがした。ジャンヌならまだ間に合うかもしれないと思って、さがしていた。そしたら、ジャンヌだけは舐めなかったようだ。大雨で魔女の城から出られなくなっていたんだ。おれをさがしにきたのか、ピノキオをさがしにきていたのか、とにかく、ジャンヌだけは助かったようだった。


 だが、結果はどうだ。

 結局、村は呪われた。

 おれのせいで呪われた。

 おれは、とても恐ろしくなった。

 おれはジャンヌを置いて逃げた。

 森に駆け込んだ。

 逃げて、逃げて、ずっと隠れていたら、


「もう、人には戻れなくなっていた」


 はっとした。うしろに気配を感じた。あたしはまた、恐る恐るふり返ると、――そこには、不気味に白い光を放つ白きオオカミがいた。


「っ!」


 あたしが息を吸って後ずさると、白いオオカミの口が動いた。


「逃げないでくれ」


 あたしはぎょっとした。

 だって――オオカミが喋ったわ!?


「ああ。……驚くのも無理はない。だが、頼む。話を聞いてくれ。おれはただ……君に謝罪をしたかっただけなんだ」


 白いオオカミがあたしが鼻をかんだ尻尾を一振りした。


「君たちが巻き込まれた土砂崩れの件は、ほんとうに申し訳ないことをしたと思っている。けれど、どうしても外部の人間をアトリに近づかせるのを阻止したかったんだ。君と君の妹を、傷つけるつもりなんてなかった」

「ど、土砂……くずれ……?」

「君たちが崖から落ちたのは、このおれがやったことが原因だ」


 白いオオカミが申し訳なさそうにうなだれた。


「馬車を食い止めるために、おれが土砂崩れを起こした。しかし、馬車に君たちが乗っていて……すぐに助けようとしたんだが……」


 途端に、おれの力が無効化され、君たちは為す術もなく落ちていった。まるで、だれかに誘われたように。


 それだけじゃない。一昨日の夜だってそうだ。覚えてるだろ。ばばさまが殺されたあの夜だ。右足を噛まれた君を見つけて、おれは助けようと走ったんだ。だが、それも急に力が無効化されて……。


「……言い訳を言うつもりはない……。……すまない。……助けられず申し訳なかった」

「……あなた、だれなの……?」

「……おれはリチョウ」


 白いオオカミが名乗った。


「リチョウ・イ・ウルフデリックだ」

「……ジャンヌの、お兄さま……?」

「いかにも、おれはジャンヌの兄のリチョウだ」


 白いオオカミがうなだれた。


「テリーといったか。……君は呪いが効きにくいようだな。呪われたダンテの家に入り、おれの部屋にも入れて……この部屋に通じる、そのカギを手に入れられた」


 この部屋のドアは固く閉じられている。まるでリチョウがこの姿を見せたくないと、引きこもっているように。


「……このままではジャンヌが危ないんだ」


 リチョウがあたしを見た。


「ジャンヌを助けろ」


 いいや、こんな言い方ではだめだ。これは、相談ではない。頼みなのだ。


「頼む。どうかジャンヌを助けてやってくれ。父を止めてくれ」

「ヒョヌさんがどうしたの?」

「ジャンヌが飴を舐めていないことに気づかれてしまったんだ。あいつが何度も何度もオオカミを見るたびに、アトリの鐘を鳴らすものだから」

「……ジャンヌの見てたオオカミ」


 人狼になったゼペットがピノキオを食った。


「それって……」

「魔法使いは全滅したと言われているが、そうじゃない。隠れて暮らしているだけだ。魔法使いは存在し、おれを助けてくれた。これは、その対価だ」


 努力を怠ったおれに対する罰。


「テリー、ジャンヌが飲む聖水に、呪いの飴が含まれている」


 どこからか、アトリの鐘の音が聞こえた気がした。


「完全に日が落ちるとき、踊り子は祭壇の上で聖水を飲む」


 地下室にアトリの鐘が鳴り響く。


「おれのせいで……ジャンヌが危ないんだ……!」


 鐘が鳴る。


「頼む、妹を助けてくれ……!」


 音を鳴らす。


「父を」


 正しさの鐘が反響する。


「みんなを止めてくれ!!」




(*'ω'*)






 はっとした。


 いつの間にか、日が昇り、眩しいほどの白い光が窓からこぼれる美しい廊下に、あたしは立っていた。きれいな花瓶が窓辺に飾られ、赤いカーペットがつづいている。


 外から鳥の鳴き声がきこえる。

 花の匂いがする。

 後ろから変な音がきこえる。

 あたしはふり向いた。


 廊下の角から、でこぼこの醜い緑の手が現れた。

 指が壁をそっと掴み、そして、ゆっくりとチリチリの髪の毛が現れて、その奥からもっとでこぼこした醜い顔が現れた。

 白目は充血して赤く濁り、緑色の目玉は醜く濁り、口から息を吐くと、飛んでたハエが死んだ。醜いものが廊下を覗き込み、あたしを見つけると、目玉をまっすぐにして、あたしに向かってなめらかに足を滑らせた。


 あたしはぞっとして、前に歩きだした。醜いものの足が早く進んできた。

 あたしは大股で歩きだした。魔女が追いかけてくる。

 あたしはとうとう走り出した。魔女はとうとう走り出した。

 あたしは悲鳴をあげた。魔女は笑った。

 あたしは必死に走った。魔女は高笑いをしてあたしを追いかけてくる。

 あたしはまっすぐ走った。出口がどんどん近づいてくる。

 あたしは無我夢中で走った。けれど魔女が笑いながら追いかけてくる。追いつきそう。ふり返る。魔女の顔がすぐそばにあった。


 あたしの息が止まった。


「止まるな」


 あたしの足が地面を踏む。


「そう。それでいい」


 でこぼこの緑の手があたしの背中に触れた。


「さあ、行くんだよ」


 思いきり、押し飛ばされた。



(*'ω'*)



 はっと息を吸って、顔を上げた。あたしはアトリの村に戻っていて、遠くにアトリの鐘が建っているのが見えた。


「……」


 あたしは辺りを見回した。星祭りの前夜祭が行われている。


(……まぼろし?)


 正しさの鐘は止まっている。


(いや、ちがう)


 あたしの心臓が、トクトク動いている。


(夢じゃない)


 今もみんな笑顔で踊っている。


(ウソじゃない)


 あたしは見上げる。


(ウソつきはだれだ)


 鐘が鳴った。


「っ」


 日がどんどん暮れていく。


(ジャンヌ……!)


 あたしは走り出した。


(飴を舐めたら呪われる)


 やぐらに踊り子が現れ、村のみんなが拍手をした。


(踊り子の飲む聖水には呪いの飴が混ぜられている)


 ジャンヌが鈴の音と共に踊りだす。エンサンがみんなと一緒に微笑ましく見守る。


(ジャンヌ!)


 愉快な音楽が鳴り響く。


「っ」


 あたしの前に村人が並んで踊る。あたしはそれを避けて走り出す。

 ジャンヌが華麗に踊ってる。


(ジャンヌ、だめ!)


 あたしは叫ぼうとして、はっとした。村人全員が広場で踊っている。


 あたしはジャンヌに教わったルートを確認した。やぐらからやぐらへ移る踊り子。最終的なやぐらにはヒョヌがいて、祭壇のようなところで聖水を飲む。


 あたしはヒョヌがいるやぐらを見回す。


「っと、」

「っ」

「あれ、ニコラ……じゃなかった、テリー」


 リオンさまが必死な顔のあたしとぶつかって、眉をひそめた。


「どうした?」

「やぐら」

「え?」

「やぐらはどこですか!」

「え?」

「ジャンヌが聖水を飲む、祭壇のやぐらです!」

「ああ、それなら、あれじゃないか?」


 指をさされて、あたしは振り返る。祭壇のようなやぐら。ヒョヌが聖水を見せびらかした。人々が歓喜した。あたしはぞっとして、走り出した。


「あっ、テリ……」


 リオンさまがはっとして叫んだ。


「ジャック! どこに行くんだ!」


(やぐらを登る場所、登る場所……!)


 やぐらの裏にはしごがあった。あたしは急いでそこへと走る。やぐらのそばに立っていた男があたしを見て笑いかけた。


「よお。テリーさま! 楽しんでるか!」


 あたしがはしごに手をつけると、男が止めた。


「おいおい! 危ないから登っちゃだめだよ」

「っ!」


 あたしがぎょっと目を見開くと、……歌がきこえた。


 ――ジャック、ジャック、切リ裂キジャック、切リ裂キジャックヲ知ッテルカイ!?


 ケケッ!


「っ」


 途端に、男が白目をむいて倒れ、その場で眠ってしまった。あたしはどうして男が倒れたのか気になったが、それよりもはしごに登ることを優先し、はしごに手と足をつけた。そして、一気に登っていく。


 日はどんどん落ちていく。空には闇が広がっていく。ジャンヌが鈴の音と共に橋を渡る。それは女神アメリアヌのように美しく舞って国から国へと渡り歩き、やがてアトリの村へとたどりつく。


 鈴の音が鳴る。あたしは必死にはしごを登る。

 ジャンヌが跪いた。ヒョヌが音楽とともに聖水をみんなに見せて、ジャンヌに渡した。ジャンヌが聖水を受け取り、みんなに聖水を見せた。みんなが歓声をあげる。それを見たジャンヌが聖水を口元に運び……傾けた。


 その瞬間、あたしの手がジャンヌの手を叩き払った。


「っ!!」


 緊張して手が震えていたジャンヌは簡単に聖水のグラスを落とした。ガラスが派手に割れる音が響き、聖水が地面に散らばり、人々があ然とした。


 ジャンヌが顔面蒼白で、あたしを見た。


「て、テリー……?」

「だめ」


 あたしはジャンヌの肩を掴んだ。


「ジャンヌ、リチョウに言われたの。その聖水は毒よ」

「え? リ、リチョウ?」

「ジャンヌ、きいて、もう手遅れなの。アトリの村は、みんな……」


 その瞬間、ノイズが走った。


「っ!」


 あたしは痛みで頭を押さえた。


「テリー!?」

「ジャンヌ! 離れろ!」


 ヒョヌがジャンヌの手を引っ張った。


「テリーさまの様子がおかしい」

「テリー、どうしたの!?」


 あたしの頭のなかで鐘が鳴る。うるさい。頭が割れそう。痛い。あたしは頭を押さえる。目を開ける。ジャンヌが見える。ぼやける。あたしは歯を食いしばった。ジャンヌに手を伸ばす。ノイズが走る。ジャンヌの顔が見えた。ヒョヌの顔が見えた。


 あたしは目を疑った。


「え……?」


 ――それは、正しき審判をするところ。


「わたくしどもは、ベックス家につかえておりました。今日は、皆さまにきいていただきたいことがございます!」


 あたしは周りを見た。村人全員を見た。


「ベックス夫人は毎日男と遊んでました」

「メニー王妃さまが賢明に働くなか、アメリアヌ・ベックスはなんともまあひどい扱いを」


 あたしは、その顔たちを知っている。


「働いたのに、給料をいただけなかったのです!」

「ベックス家は、いやしき一族です!」


 あたしは目を見開き、後ずさる。


「テリー・ベックスは11歳で結婚詐欺を!」

「アメリアヌ・ベックスは窃盗を!」


 あたしはジャンヌを見た。





「わたくしはベックス家に長年つとめておりました」





 ジャンヌは笑顔で言っていた。


「しかし、生活は、それはそれはひどいものでした」


 その証言が決め手だった。


「今までもたくさんの者たちの話をきいていただいたかと思いますが、最後に、わたくしの不幸なおはなしを、きいてやってはいただけませんか」


 それは、ありえないうそ。

 だれもがわかるほどのうそ。

 妙にリアルで現実にありそうなうそ。


 目を紫色に光らせたジャンヌが言っていた。


 それは裁判。

 それは罪人を裁く場所。





 あたしたちは牢屋に入れられた。



 さあ、


 ウソつきはだれだ。





「……テリー……?」


 ジャンヌが心配そうな目であたしを見てくる。

 あたしは後ずさる。


「大丈夫……?」


 あたしは目を見開き、体を震わせた。


「テリー」

「ジャンヌ! この女はテリーさまではない!」


 ヒョヌが叫んだ。


「人狼だ!」


 東西南北に建てられたやぐらにいた見張りがあたしに向けて銃を構えた。


「テリーさまに化けて、ジャンヌを食おうとしたか!」

「パパ、なに言ってるの!? やめて! なにか変!」

「人狼だ!」


 ヒョヌが言うと、アトリの村人が全員叫んだ。


「「人狼だ!!」」


 アトリの村は平和を願う、正義でいっぱいの村。


「ジャンヌを守れ!」


 ウソつきはだれだ。


「はやく!」


 人狼はだれだ。


「撃てーーーー!」


 弾が撃たれる。

 あたしに向かってやってくる。

 あたしは動けない。

 頭が痛い。

 あたしはがく然とジャンヌを見つめる。

 ジャンヌがあたしに手を伸ばす。

 あたしは口を開いた。



 だれか、


 だれか……、



 だれか、あたしを助けて!!












 押し倒された。


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