第15話 星祭前夜祭(1)


 陽炎の空が広がっている。鳥が空を飛んだ。雲の合間を駆けていく。鳥が雲から抜け出せば、太鼓が鳴った。

 ピーターが辺りを見回し、ふう、と息を吐いて、にっと笑って、縄を思い切り引っ張った。アトリの鐘がこれ以上無く大きな音を鳴らす。アトリの鐘を囲んでいた人々が両手を握りしめ、目をつむり、祈りを捧げる。


「みなさん、今宵は前夜祭です。空に祈りを」


 ピーターが胸に手を当てる。


「女神アメリアヌさまへ、平和を願う祈りをこめて」


 さあ、


「前夜祭の始まりです!!」


 ウクレレが鳴り響き、楽しげな音楽が奏でられる。アトリの村人が大きな拍手を送る。あたしも拍手をすればさっきの不安はどこへやら。胸がワクワクして止まらない。


「おら! 収穫した作物で作ったスープだ!」

「エールもどうだ! 前夜祭だって、大事な日だぜ!?」

「明日は朝から飲んでるかもな!」

「ほらほら、どいたどいた! 子どもたち、お星さまにお願いしなくていいのかい! 願いごとをここに書いてごらん! たちまち願いが叶うよ!」

「たんじろーにあえますように!」

「おかねもちになれますように!」

「せかいがへいわになりますように!」

「せんそうがなくなりますように!」

「なんだって願っていいんだよ! だって今日は前夜祭! 女神アメリアヌさまが魔女を倒しに歩いてきた日! 両手を握ってお願いしてごらん!」


 あたしとメニーに願い事を書く紙が渡された。


(……どうしようかしら……)


 あたし、お願い事って、いっぱいあるの。


「お姉ちゃん」

「ん?」

「どんなお願いする?」

「うーん。それがね、すごく悩んでるの。だって、願いなんていっぱいあるじゃない。それを一つに絞るなんて、残酷だわ」

「じゃあ、こうしようよ」


 メニーが紙に書いた。


「ずっと、テリーお姉ちゃんと一緒にいられますように」


 メニーがあたしに顔を向け、ふふっと笑った。


「お姉ちゃんも、一緒の願いごとにしない?」

「んー……」


 メニーと目が合えば、あたしから吹き出してしまう。


「もう! 仕方ないわね!」


 あたしは紙に書いた。


「ずっと、メニーと、一緒にいられますように」


 あたしとメニーが顔を見合わせて……小さな女の子のように、ふふっ! と笑った。


「笹に飾るんだって」

「うまく飾れないんだけど! この木、なんかゆらゆら揺れてて、いや! おばけみたい!」

「お姉ちゃん、わたしがやってあげる」

「やだ! あたしがやる! あたしがやらないと意味がないの!」


 あたしは揺れる枝を押さえつけてなんとか髪を飾った。メニーと一緒にいられますようにと書かれた紙が、風に吹かれて揺られる。


「……できた!」

「お姉ちゃん、すごく見やすいよ。これならお星さまも願いを叶えないとだね」

「ま! 当然よね!」

「メェエエエエ! 死んじゃうよ! 食われちまうよ! 助けてくれよ! メェエエエエ!」

「おう。嘘つきヤギのライアーじゃねえか。なに? 出荷するのか?」

「なわけないだろう。うちの大事なヤギなのに」

「お膳や、ご飯の支度、さっ、ちょっと早いディナーはどうだ!」

「ほらほら、みんな! おなかすいてないかい!」


 ジルがみんなにおかゆを配っていた。


「うちで作ったおかゆよ! じゃんじゃん食べて、願いまくって!」

「ジル、カルラのばあちゃんは?」

「なんか、家に忘れ物したとかで取りに行ってるよ。……あら! お嬢さまたち! こっちこっち!」


 手招きされて、あたしとメニーがジルのいるカウンターにやってきた。


「お腹空いてない? おかゆはどう?」

「まだいいかしら。メニーは?」

「わたしももう少し」

「そう! お腹がすいたらいつでも来てくださいな! それとね、お願いしたいことがあるのよ!」

「お願い?」


 あたしがきくと、ジルがお花をいっぱい詰め込んだバスケットを出してきた。


「まあ、メニー、見て! お花よ! きれい!」

「これ、上に向けてこう、投げてくれない? そしたらこう、花びらが舞うでしょう? 前夜祭が盛り上がるようにお願いできませんかね?」

「任せて!」


 あたしは喜んでバスケットを受け取り、花ひらを風に任せるように指から離した。


「見てメニー! きれい!」

「そうだね。お姉ちゃん」

「メニーもやってみて! ほら!」

「ふふっ、うん。やってみる」


 メニーが花びらを離すと、ふわりふわりと風に吹かれて飛んでいく。前夜祭の赤い空がムードを作る。


(……うっとり……♡)


 その瞬間、空に大きな音が響いて、あたしは驚いて、思わずメニーに抱きついた。


「きゃあ!」

「お姉ちゃん、花火だよ」

「……わあ」


 夕日の空に花火が打たれる。

 太鼓が鳴り、ウクレレが太鼓に合わせて演奏する。


 少年が一人踊りだした。笑った母親が息子の手を取って踊りだした。それを見た少女が好きな男の子の手を取った。ねえ、踊らない? 踊りなんてできないよ。だったらいいじゃない。好きに踊ればいいんだから! 酔っ払った人が踊り始めた。それを見てた演奏者が愉快そうな顔で音楽が奏でた。みんなが踊りだした。歌いだした。それを見た少女たちが目を輝かせた。少年たちは虫を捕まえて、虫同士の戦いを始めた。年寄りが笑ってエールを飲む。白いドレスがふわふわ広場を回る。やぐらから男たちがそれを見て微笑ましそうに笑い、やっぱり酒を飲んだ。見張り番はオオカミが来ないか森を見守りながら、お酒を飲んでる仲間を羨ましそうに横目で見た。ヴァイオリンの音がきこえた。あたしははっとして振り返った。立派なものではないが、手作り感満載のヴァイオリンを弾いてる人がいた。あたしも弾きたいと思って近づこうとしたけど、弾いても意味がないことを思い出して、……代わりにメニーの手を握ることにした。メニーもすぐにあたしの手を握り返す。


「見て、メニー。アトリの鐘が光って見えるわ」


 夕日に照らされた鐘は、まるで魔法にかけられたように輝いて見える。


「きれい」

「……うん」


 メニーがあたしを見て呟いた。


「きれいだね」

「明日もこんな感じなのかしらね?」

「どうかな。これ以上に盛り上がっちゃったら、オオカミが来ても気づかないよ」

「この村の人たちにとっては、唯一夜の外に出られる貴重な二日間だもの。はしゃぎたくもなるわよね」

「ピーターさん、どこだろうね?」

「あ、ほんとうね。なにしてるのかしら」


 夕日は時間が刻むにつれて沈んでいく。どんどん夜空が広がっていく。もっと暗くなったらまた花火を打つんですって。今夜は星空は現れないの。だから、花火を打って、星を呼ぶの。


(……すてき……)


 なんてすてきなお祭りなのかしら。


(舞踏会よりも光って見える)

(あそこは眩しいくらい光ってたのに、ここは程よい光)

(おちつくわ)


 となりを見る。


(……そういえば)


 メニーとお祭りに参加したのなんて、初めてだ。


「……ねえ、メニー」

「ん?」

「メニーは、……田舎町での暮らしって、どう思う?」

「……静かで、なにもなくて、……おちつくよね」

「ここにいる人たち、村から出たことないって、ピーターも言ってたじゃない」

「そうだね。きっと、住心地いいんだろうね」

「……メニーは」


 きいてみる。


「将来、もし暮らすなら、田舎と城下町、……どっちがいい?」


 メニーがあたしに振り向いた。空には花火が打たれる。


「……どっちが、いい?」

「……そうだな」


 メニーが微笑んだ。


「わたしは……」


 花火が打たれてなにもきこえなくなる。あたしは顔をしかめさせて、メニーに耳を傾けた。


「メニー、今、なにもきこえなかった!」

「……」

「ごめんね! えっと、なんて言ったの?」


 そのとき、肩を叩かれた。


「きゃーーーーーー!」


 またメニーに抱きついて後ろに振り返ると、腰に手を当てたリトルルビィが立っていた。


「あ」


 メニーがその姿を見て嬉しそうに笑った。


「リトルルビィ」

「なに、そのバスケット。食べ物? ……んだよ。花かよ」

「風に花びらを預けるの。リトルルビィもやる?」

「わたしはいいや」


(びっくりした……。リトルルビィって神出鬼没なのよね……。……あれ?)


「リトルルビィは、白いドレス着ないの……?」

「ああ。あれな。……うん。わたし、パンツのほうが似合ってるからさ」

「……ふーん」


 ……ちょっとだけ残念。


(リトルルビィのドレス姿、見たかったな……)


「一緒に歩いていい?」

「お姉ちゃん」

「構わないわよ」

「悪いな。邪魔して」


 リトルルビィがあたしとメニーの間に入った。あたしとメニーの手が離れる。


(え?)


 リトルルビィにじっと見られる。


(え?)


 リトルルビィがメニーに視線をあてた。


「メニー、たべるもんない? ここ最近ずっと毒味係でさ」

「そっちでおかゆ配ってたよ」

「おかゆか……。……ソフィアが作るほうが美味いんだよな……。……てか、……メニー」

「え?」

「あのさ……」


(……ん?)


 リトルルビィとメニーを見る。二人が距離を詰めて、ひそひそ話し出す。


(ん?)


 仲良しのなかに、なにか、奥めいたものが見える。


(これって……まさか……)


 ――メニー、なんでテリーと手なんか繋いでたの?

 ――あっ……! リトルルビィ……!


(……まさか……!)


 あたしは口を押さえた。


(間違いない!!)


 この子たち!!


(ガールズの、ラブなんだわ!!)


 だって、見て! リトルルビィのメニーを見る目! それに、メニーがリトルルビィを見る目! やだ! そういうこと!? メニーったら、も……もう! そういうことだったのね!?


(……大丈夫。メニー。ロマンス小説でだって、貴族の世界でだってよくあるのよ。そういう関係の人。なんだ。そうだったのね。もう。そういうことなら言ってくれたらよかったのに。わかった。あたしは理解してるから。おっけー。おっけー)


「すっっっっっっごく……テリーがかわいいんだけど……」

「ふふっ。そうでしょう」

「なに? メニーがやったの?」

「メイク道具があってね、お姉ちゃんが試したがってたから」

「いや、まじで。やばい。ほんとやばい。超やべえ。メニー、天才すぎ。まじ、ロックで例えるならさ、その、……っ、……まじかわいい……っ……!」


(……二人にしてあげたほうがいいわね)


 あたしはふふっと、笑いながら二人から離れてあげた。ジルの元へ戻ってくる。


「ジルさん、おかゆお一つくださいな」

「もちろんです! お嬢さま!」


 おかゆをもらって、それを立ったまま眺める。


(……あたし、食べ歩きなんて……初めて……!)


 おかゆを頬張ってみる。


(……っ!)


 ここにはママはいない。だれもいない。なにを言っても咎められない。だから、口に出してみよう。


「……びみ!」


 あたしは笑いだし、スキップを始めた。


 楽しい音楽が続く。音楽に合わせて一人が歌い、一人がステップを踏み、あたしも楽しくなってきて、村のみんなと手を取って踊り始めた。


(わーい!)


「おう! テリーさまじゃねえか!」

「テリーさま! 踊ろうぜ!」

「ちょっと、テリーさまは貴族のお嬢さまなのよ! こんな田舎町の広場で、踊ってくださるわけないでしょ!」

「そんなことないわ! いいわよ! 踊りましょう!」

「そうこなくっちゃ!」


 手を掴まれて、引っ張られて、ちょっと乱暴に輪に入る。なんてへんてこなステップ。リズムも刻んでないめちゃくちゃな踊り。でもね、どの舞踏会のダンスよりも、とっても楽しいの!


 笑い声がきこえる。

 楽しそうな歌声がきこえる。

 ママの声はしない。

 あれが伯爵家これが公爵家なんて、そんなものも関係ない。

 アトリの村には人間しかいないの。

 あたしも人間なの。

 ママの人形じゃないの!

 さあ、踊りましょう! 楽しく愉快に激しくダンスを!


「わたくしも踊っていいですか?」


 みんなが声の主に振り返って、目を丸くした。


「すごく楽しそうですね」

「キ、キッドさま!!」

「きゃーーーーーー!!」

「キッドさまぁあああああ!!」

「……っ」


 白いシャツに、白いパンツ。シンプルな服装。なにも着飾ってないのに、キッドさまの場合、……それだけで王子さまオーラを見せつけてくる!


(や、……だめ!)


 誘惑されそうになったあたしはみんなの手を離し、輪から外れて、早歩きで離れる。しかし、すぐにうしろから追ってきたキッドさまに笑顔で手を掴まれた。


「こら、逃げるな」

「きゃっ!」

「ね、テリー、踊ろうよ」

「や、やめてください!」

「さっきすごく楽しそうだった。おれとも踊ろう?」

「あなたとなんていやです!」


 あたしはつんとして、そっぽを向いた。


「ふん!」

「おやおや、今度はなに?」

「そんなこときいて、ほんとうにいいんですか? もう、後戻りはできませんことよ?」

「気になるね。どうしたの?」

「……キッドさま……」


 あたしは騒々しいアトリの村の人々に囲まれながら、キッドさまに向き合った。


「あたしと……」


 さあ、勇気を持って! あなたなら、できるわ! テリー!


「こっ! 婚約解消、してください!」

「やだ」


 ガーーーーン! 勇気を出して言ったのに……やだって言われた……! ふっ、……ふええっ……、……ぐすん……。……はっ! だめだめ! あたし、ここで負けちゃだめ! 大丈夫よ! あたしには証拠があるんだから!


 あたしは背筋を伸ばして、つんとした態度で言ってやった。


「あたし、もう、浮気されるのはいやなんです!」

「おれがいつ浮気したの?」

「あたし、持ってるんです! これが浮気の証拠です!」


 あたしは指輪をキッドさまに見せつけた。キッドさまがきょとんとまばたきする。


「この指輪のなかに、女の名前が彫られてます! あたしのじゃありません! クレアという女の名前です!!」

「……あー、なるほどね」

「さあ! 言い訳を言えるもんなら、言ってごらんなさい! でもね! 残念でした! あたしはあなたのものになるつもりなんて、これっぽっちもありませんからね! ふん!」

「テリー、おれの名前、フルネームで言える?」

「……へ?」

「リオンは知ってる?」

「え? えっと、え……? ふ、ふるねーむ、ですか……?」

「うん。リオンの名前の全部、言える?」

「リ、リオン・ロバーツ・イル・ジ・オースティン・サミュエル・ロード・ウィリアム……さま……」

「おれは?」

「え?」

「おれの名前は、知ってる?」

「……えっと……」


 あたしはおろおろと目を泳がせた。ここにメニーがいたならきけたのに、メニーはリトルルビィと……その……むふふなところだから……えっと……えっと……その……。


「……」


 あたしは親指の爪を噛みながら、しゅんとしてうつむいた。


「ご、ごめんなさい。……覚えておりません……」

「仕方ないよ。君は記憶が抜けてるんだから。……来てくれる?」

「あっ……」


 キッドさまがあたしの手を握り、人混みをかき分けて進み始める。


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