第14話 前夜祭の準備
前夜祭とて関係なく困る人は現れるもの。今日もアトリの鐘はたくさん鳴る。鐘の下に訪れたピーターが眉を八の字に下げた。そこには、ともだち同士のネコとネズミが座り、なにかを訴えるような目でピーターを見上げていたのだ。
「にゃー」
「チュー」
「やあ、仲良しなネコ君とネズミ君」
「にゃー」
「チュー」
「一体今日はどうしました?」
「にゃー」
「チュー」
「はあ……」
ピーターがため息をつく頃、肌がつやつやになり、メイクも完璧に仕上げたジャンヌがお手入れ部屋から出てくる。メイドたちが流したいい汗を拭った。
「さあ、ジャンヌお嬢さま、本日の衣装ですよ!」
マローラが踊り子の衣装を見せた。それは、あたしの目にも留まるくらいの美しいもの。鮮やかなグラデーション。上質な布でできたそうそうぶつかっても破れることは絶対にない衣装。
「これ……わたしが着るの?」
ジャンヌが顔を引き攣らせた。
「似合わないと思うよー? こういうのは、テリーやメニーみたいに可愛い子が着るべきだよ」
「ジャンヌ、そんなことないわ」
あたしはジャンヌの手を握りしめた。
「絶対似合う」
「……そう思う?」
「うん。早く着てるところ見たいわ」
「……えへへ。じゃあ、着てみようかな」
使用人の手を借りながらジャンヌが着替えていく。いつものがさつさはなく、その衣装を身につければ、ジャンヌは完全に踊り子としてその場にいた。あたしとメニーが目を輝かせる。
「きれい……!」
「ジャンヌさん、すごく似合ってます!」
「ふふっ! ありがとう。二人とも!」
(正直、お世辞で言ってたけど、実際着てみるとすごくよく似合ってる!)
まるで本当に女神アメリアヌさまみたい!
「ジャンヌ、これでリハーサル行くんでしょう? 練習は?」
「まだ時間あるからできそうだね。テリー、付き合ってくれる?」
「ええ。もちろん」
「失礼。入るよ」
エンサンがドアを開けたままにしていた部屋に入ってきた。ジャンヌと目があったエンサンがその目を丸くして大きく見開き、ぼうっとした顔になって、呟いた。
「……きれいだ……」
「……へへっ。ありがとう」
ジャンヌが照れくさそうに額を掻いた。
「このあと少し練習してリハーサルに行こうかなって思ってるんだけど」
「ああ、すごく、……良いと思う。その、……うん。とても良い」
「エンサン? ……鼻の下伸びてるよ」
「そ、そんなことないよ」
「ね」
ジャンヌがエンサンの手を握り、顔を覗いた。
「ばばさまに恥ずかしくない踊りをするから、見ててね」
「……君なら大丈夫さ」
「ふふっ。どうかな」
「……人狼なら心配ない。おれも見てるから」
「……お願いね」
「こんなにきれいな君の邪魔なんてさせない」
エンサンがジャンヌを抱きしめた。
「村を守ろう。ジャンヌ」
「……うん」
「……お姉ちゃん」
メニーが眉を下げた。
「どうしてわたしの目を隠すの? 何も見えないよ」
「いいから黙ってなさい!」
(男と女が抱きしめあってる……!)
あたしは必死に顔をそらし、両手でメニーの目を隠して、なにも見えないようにした。
「メニー! 人様の恋路は、邪魔しちゃいけないのよ!」
「お姉ちゃん、さっきからなに言ってるの?」
「いいから! もう少しで終わるから!」
あ、終わった!
ジャンヌとエンサンが離れた。あたしはメニーから手を外した。
「ふう」
「テリー、練習付き合って! リハーサルまであまり時間ないんだ!」
「ええ! やりましょう!」
やる気を出すあたしとジャンヌを見て、使用人たちがハンカチで涙を拭う。ジャンヌお嬢さま……押さえつけてまできれいにしてよかった……!
リハーサルの時間まであたしはタイミングを合わせて鈴を鳴らし、ジャンヌはくるくる回る。メニーとトトはソファーからその様子を眺め、エンサンは銃を背負って外に出る。それぞれが準備をする。
前夜祭が始まる。
「ジャンヌ」
ヒョヌがジャンヌを呼びに来た。
「リハーサルの時間だぞ」
ジャンヌが振り返ると、ヒョヌの顔の力が一気に抜け落ちた。
「……アウローラ」
「どう? パパ。……ママに似てる?」
「……ああ、なんだか、嫁に出す気分だ」
ヒョヌがポケットからハンカチを出し、汗と目元を拭った。
「アウローラがいたら、言っていたはずだ。お前を誇りに思うと」
「……ありがとう」
「はあ、年をとると涙腺が緩む。行くぞ」
「うん」
ジャンヌがあたしたちに振り返った。
「じゃあね、テリーとメニー。練習付き合ってくれてありがとう!」
「がんばってね」
「マルカーン神父に着替えのこときいておいたほうがいいよ。前夜祭はみんな着替えるみたいだから」
「着替え?」
「じゃ、またあとで!」
ジャンヌがヒョヌと一緒に小走りで駆けていく。あたしとメニーがきょとんとして顔を見合わせた。
「……ピーターからなにかきいてる?」
「なにも」
「はあ。……アトリの鐘のそばにいるはずよ。朝からずっと鳴りっぱなしだもの」
「ドロシー、行こう」
「にゃん」
メニーがトトを抱っこし、一緒にジャンヌの屋敷から出ていった。アトリの鐘の下までくれば、前夜祭に限って事件が多いらしい。ピーターがいつも以上にきびしく正しき道へと導いている。
「馬にエサをやらないからこうなるんですよ!」
「だってー」
「やせ細って、可哀想に。いいですか。馬も生き物です。節約のために馬にごはんを与えないなんて何を考えているんですか!」
「悪かったよ。神父さま、そんな怒んなよ」
「生き物は大事にしてください! とくに馬は、わたしたちの生活に欠かせないものですよ! そこを理解しなさい!!」
「ひぇっ」
「ピーター」
「ああ、これはこれは、テリーお嬢さまとメニーお嬢さま」
あたしとメニーが近づくとピーターが疲労の見える顔で振り返った。
「あなた、大丈夫?」
「前夜祭でみなさん浮いているのでしょう。ふう。正しさの鐘も朝からなりっぱなしでして。申し訳ございません。お嬢さまたちも準備をしなければいけませんのに」
「ジャンヌからきいたわ。着替えってなんのこと?」
「ああ、ちょうどよかった。そのことなのですが、教会に前夜祭用の着替えを用意しております。リビングにあるはずなので、着替えてからまたこちらへいらしてください」
「わかった。行きましょう。メニー」
「うん」
「神父さまーーー!」
「大変なんだよー!」
「ええ、ええ、どうしましたか? 全く、こんな素敵な前夜祭の日になんとも不吉な……」
忙しそうなピーターを置いて教会に戻ってみると、たしかにリビングに着替えが置かれていた。シルクの布でできた白いドレス。着替えてみて、鏡で見て、あたしは気づいた。――やっぱりあたし、超かわいい!!
(お花の妖精さんみたい!!)
くるくる回ればドレスの裾がひらひら舞うの。見て見て。かわいいでしょ!
(あ、そうだ!)
教会で見つけたメイク道具一式を拝借して顔に塗り込む。むふふ、唇が真っ赤になって、かわいい!
「メニー、着替えたー!? お化粧できなくなるわよー!」
「ちょっとまってー!」
メニーがリビングに入ってきた。
(あ……)
そこには、あたしと比べ物にならないくらい、天使のように美しいメニーがいた。
「……」
「わあ、……お姉ちゃん、そのメイク……」
メニーが髪の毛を三つ編みにまとめていて、四つ葉のクローバーのピンを付けて、なんか、なんというか……すごく……ドレスに合ってる。
(……あたし、リボンしかない……)
「……お姉ちゃん、髪の毛少しよれてる」
「え」
「ごめんね。メイクもちょっと変」
「え!?」
「直そう。こっち座って」
「ん、……うん」
椅子に座って、鏡を見ながらメニーがあたしの髪の毛にふれる。赤いリボンでツーサイドアップにしてもらう。ええ。やっぱりあたし可愛いわ。可愛いはずなのに。
(……メニーのほうが、……可愛い)
髪の色も、肌の色も、目の色も、
(メニーのほうがきれい……)
「はい、できた。次はメイクね」
「……」
「お姉ちゃん?」
メニーがあたしの顔を覗いてきた。
「どうかした?」
「……このメイク道具、……あたしに合わないみたい」
あたしがメイクをしたところで、メイクをしてないメニーの方が可愛い。みんなだってそう思うわ。だからあたしはこう思われるのよ。テリーはメイクしてるのに、メニーの方がキレイだ! って。そう思うに決まってる。
「安物なのよ。このメイク道具も……ドレスも……。……。あたし、……恥ずかしくて外に出られないわ」
「お姉ちゃん、大丈夫だよ。お姉ちゃんはきれいだから」
「メニーだからそう言うのよ」
キッドさまには浮気されまくるし、
「……前夜祭、……あたし、行かない」
「……お姉ちゃん」
メニーがあたしの隣に椅子を引っ張ってきて、あたしに向かい合うように座った。
「お姉ちゃんはきれいだよ。ほんとうに」
「メニーはいいじゃない。金髪で、青い目で、白い肌で、誰がどう見たってきれいだもん」
「そんなことないよ」
「知ってる? 悪役令嬢ものの本でね、だいたいヒロインの髪の毛の色は金髪なのよ。それか白。赤。青。美しい色なの。あんたは、そのなかでもダントツで多いタイプの色。シルバーブロンド」
銀と金を兼ね備えた美しい透明感のある金髪。目の色は、そうね、アクアマリンみたいに輝く青。
「……あたしの髪見てよ」
黒と緑が混じったような濁った赤色。赤色とも呼べないようなくすんだ色。普通、赤髪ってもっとバラのように赤くて美しいものよ。炎のようにメラメラ燃えていて、情熱的で、きれいなはずなのに。
あたしはちがう。
くすんで濁ってる髪の色。
くすんで濁ってる目の色。
肌はメニーと比べて、そんなに白くなくて、白のなかでも少し黒っぽい。
こんなお姫さまも、ヒロインも、聖女も、……見たことない。
「メニー、あたしここにいるわ。このドレス、ドレスが可愛いだけで、あたしには似合わないみたい」
「ううん。そんなことない。似合ってるよ。お姉ちゃん」
「あたし行かない。やっぱり、行かない。だって、メイクをしたってこればかりは隠せないもの」
「お姉ちゃん」
「ジャンヌもきれいだった。メニーもきれい。それだけじゃないわ。リトルルビィだって磨けばきれいになりそうな顔立ちだった。ソフィアもきれいだし、……そのなかに、あたしがいたらとんだ笑い者だもん」
「お姉ちゃんってば」
「メイク変だった? ……あたし、よくこのメイクで舞踏会に行ってたのよ? ……だから、殿方が寄ってこなかったんだわ。メイクも、ドレスも、……変だったから……」
「……変っていうか、お姉ちゃんには合わないって思っただけ」
「もっと高いメイク道具なら、きっとあたしに似合うわ。これが安物だから……」
「お姉ちゃん、顔上げて」
顔を上げれば、メニーの笑顔が見れる。
「大丈夫。わたしがやるから」
「……無駄よ。だってこれ、安物なんだか……」
「大丈夫だから」
置いてあった濡れタオルで顔を拭われ、一からメイクをされる。メイク道具があたしの目をなぞる。
「ほら、可愛い形。お姉ちゃんの目の形、とってもすてき」
「こんな鋭い目のなにがいいのよ。いっつも睨まないでって言われるのよ。……睨んでないのに」
「それはね、自意識過剰な人が多いんだよ。お姉ちゃんはなにも悪くないよ」
「……そうなの。あたし、なにも悪くないのに……」
「可哀想」
「そうなの。あたし可哀想なの」
メニーがあたしの目に化粧をしていく。
「わたしね、お姉ちゃんの鼻の形も好き」
「このでかっぱな? 欲しいならあげるわよ。……メニーのは小さくてしゅっとしてて、うらやましい」
「お姉ちゃんの口の形も好き」
「メニーの口のほうが整ってるじゃない。小さくて、リスみたい。可愛いわ」
「お姉ちゃんも可愛いよ」
「お世辞になってないわよ」
「お世辞じゃないよ。わたし、ほんとうにそう思ってるの。お姉ちゃんはきれいで、可愛くて、……わたしの憧れなんだから」
メニーが中指を使って、あたしの唇に紅を塗っていく。
「キッドさんに浮気されたの?」
「……薬指につけてる指輪……キッドさまからいただいたものらしいんだけど、……女の名前があったの」
「なんて名前?」
「クレア」
「……そっか」
「メニー、あたし婚約解消したほうがいいと思うの。もう耐えられないわ」
「……。……。……そうだね」
メニーが笑顔で言った。
「一回、ちゃんと嫌ですって言ったほうがいいかもね」
「メニー、今度こそそばにいて。あたし、メニーがいたらきっとキッドさまの口車にも負けない自信があるの」
「わたしはお姉ちゃんのそばにいるよ?」
メニーがメイク道具を置いた。
「いつだって、一緒だよ」
「……あんた、本当に良い子ね」
「……良い子とか、よくわかんないけど、……わたしがお姉ちゃんのそばにいたいだけ」
メニーがあたしの手を握りしめた。
「ずっと一緒にいてくれる?」
「ええ。これからもずっと一緒よ。あたし、メニーに意地悪したりなんてしないわ。大切な妹だもん」
「……うん。うれしい」
「……でも、前夜祭は行きたくない」
「わたしが一緒にいるから、大丈夫だよ」
「……恥ずかしいわ」
「なにが恥ずかしいの?」
「……あたしが……メニーみたく、きれいじゃないから」
「お姉ちゃんはきれいだよ。お姉ちゃんをきれいじゃないって思う人は、目が腐ってるんだよ」
「うふふ。……面白いこと言うのね」
「お姉ちゃん、一緒に行こう? わたし、一人で行ったってつまんないもん」
「……ピーターも忙しそうだったものね」
あたしはため息を吐いた。
「ちょっとだけなら、いいかもね」
「うん。ちょっとしたらすぐ帰ろう?」
「……うん。ちょっとなら」
「わたしもメイクしていい?」
「やってあげましょうか?」
「できる?」
「なめないで。アメリの化粧、だれがしてると思ってるの?」
あたしはメイク道具を再び手に持ち、メニーの顔に当てていく。
(メニーなら、この色がいいわ)
(目はこの色)
(くちびるはこの色)
(チークは薄め)
(メニーは元がいいから、そんなにいじらなくてもいい)
(うん、これでどう?)
ほら、だれよりも可愛い。
「どう? メニー」
メニーが鏡を見て、うれしそうに笑った。
「お姉ちゃんって」
「ん?」
「人にするときは上手だよね」
「なによ。悪い?」
「もったいないなって思ったの。お姉ちゃん、きれいなのに」
そこで初めて鏡で自分の顔を見た。メニーにやってもらったメイクが、あたしの雰囲気を変えている。
(え、なにこれ……)
「……なんか、雰囲気がちがう」
「うん。よく似合ってる」
「……メニー」
「ん?」
「……ありがとう……」
「うん。こちらこそ」
メニーがあたしの手を握りしめた。
「行こう。お姉ちゃん」
「……うん」
あたしとメニーが立ち上がった。ドレスが一緒にふわりと揺れる。
外では、収穫された作物を運ぶアトリの村の人たちが歩いていた。
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