第6話 奇病の家


 あたしの足が床を踏むたびに、木の軋む音がきこえる。これはあたしが重たいわけじゃなくて、床が古くてどうしても軋んでしまうの。


(やだ、もう。あたし、こういうところ苦手なのに!)


「トトー?」


 薄暗くてじめじめして、おばけが出そう。きっと大丈夫よね。だっておばけは夜しか出ないもの。今は昼間だし、きっと出ないわよね?


(いや、おばけよりも危険なことがあるわ)


 ここには奇病で死んだ人がいるということよ。


(消毒のための薬をまいたのよね? 大丈夫よね? あたし、感染したりしないわよね?)


 リビングとダイニングとキッチンが一緒になった部屋にたどり着く。大きいのがまた不気味なの。至るところにクモの巣が張られていて、あたしは苦い顔をした。


(早くここから出たい……)


「あ」


 ほこりだらけの暖炉にろうそくがある。

 あたしは隣りにあったマッチを持って、擦ってみる。あら、ついた! ろうそくに火を灯せば足元が明るくなった。


(古くてもマッチって使えるのね! すごーい!)


 あたしは皿の握り手を掴み、部屋を照らして改めて見回してみた。


(ふふん! 明るくなったらこっちのものよ!)


「トトー?」


 あたしはホコリだらけの棚の隙間やソファーの下を確認する。


「トト、怖くないから出ておいでー」


 ここにはいないのかもしれない。

 あたしは息を吐き、キッチンへと行ってみた。広いカウンターの上にもう使われてないであろう鍋やおたまが置かれ、棚には整れた食器が並ぶ。


(ここかしら)


 あたしは棚をあけてみた。チュウ!


「きゃあ!」


 棚のなかにいたネズミが逃げた。あたしはびっくりしてすくんだ足を脱力させた。


(もう! ネズミなんて大嫌い! あのネズミ、あとでトトに食べてもらうから!)


 あたしは部屋から出ていき、他の部屋を見てみる。あら、トイレがあるわ。水は流れるのかしら。


(……。流れるわね……)


 他になにかないかしら。あたしはキョロキョロと見回す。ここの部屋は? あら、浴室だわ。……。シャワーは……出るけど水だけね。ここもきれいに整われている。まるでまだだれかが住んでるみたい。


 次は二階の階段へとあがる。またここでもギシギシ階段が音をたて、その不気味さに恐ろしくなってろうそくを落とさないよう、あたしはしっかりと皿の握り手を掴んだ。


(やだ、またクモの巣がある……しかも大きい。……おえ……)


 二階の廊下もとくに荒れている様子はない。暗闇のなかで静かに年月だけが過ぎていくよう。


「トトー?」


 それでも怖いものは怖いし、気味が悪いものは気味が悪い。あたしはおそるおそるドアをあけて、部屋を確認した。


 ここは寝室のようだ。ベッドと机と本棚しかないとてもシンプルな部屋。カーテンが破れている。あたしはカーテンをあけてみたが、……やっぱり部屋は暗い。


「トトー?」


 あたしは机に皿を置いて、引き出しをあけてみた。ネコは狭いところが好きだってロマンス小説に書いてあったわ。


「いない……」


 あたしはもう一つの引き出しをあけてみた。でもあるのはホコリをかぶった書類や、書物、手紙だけ。


(手紙?)


 あたしは宛先を読んでみた。

 至急、オリヴァー・アンデルソンへ


(……)


 封を開けて、なかの手紙を広げてみた。手紙にはこうあった。


 親愛なるオリヴァー・アンデルソンへ


 お礼を言いたくて手紙を書くことにした。

  先日はどうもありがとう。

 前ほど体が痛むことは減ったと思う。

  これも処方してくれた薬のおかげだ。

 もうそろそろ祭りも始まるし、

  このままではいけない。

  君の言うとおり、

  ほんとうにわたしは、

  夢遊病にかかっているようだ。

  そう思うようになった

 のも、気がついたときには至るところに

  傷跡や爪に土が入っていたりと、

  気味の悪いことが続いているからだ。

  良かったらまた診察をしてもらえないだ

 ろうか? なんだか体が重たくて、

  めまいがするんだ。

 わたしには、

  わたしを求める村の人たちがいる。

  まだやるべきことが残っているんだ。

 れんらくを待っている。よ

 ろしく頼むよ

 。


 ダンテ・ユレーリカ


(……夢遊病……?)


 夢遊病ってあれでしょ? 寝てるときに無意識に歩いたりしちゃう病気でしょ?


(この人、夢遊病で亡くなったの? どうやって? ……無意識のうちに外に出ちゃって、オオカミに襲われたとか?)


 ……なるほど。


(寝ながら動いてたから、それを見てた人に奇病だと思われたんだわ。ぷぷっ! まぬけね!)


 なるほど。となるとわかってきたわ。あたしは再び見下ろした。


(この手紙がここにあるってことは、出す前に亡くなったんだわ。……知らない間に夜の外にでも出たのか、もしくはドアを開放してしまったとか。それで襲われた。だとしたら、色々とつじつまが通る。外でダンテの奇怪な行動を見てた人間がいてもおかしくない。はあ。病人は大変ね)


 もう一通手紙が残されてる。


(これはなにかしら?)


 ――ダム修理依頼。


 役所の担当者さま。


 たいへんお世話になっております。

  アトリの村付近のダムが、

  近頃異音がきこえ、

  様子を見に行ったところ、

  ヒビが出始めているようで

 す。ダムが崩壊なんてことになれば、

  アトリの村は、

  呑み込まれてしまうでしょう。

 けが人が出たら大変です。

  ただちに、

 てんけん、修理をお願いいたします。


(……手紙、出す予定だったのね。大丈夫よ。あなたのかわりにピーターがやってくれるから)


「へくちっ」

「きゃっ!」


 おどろいて振り返ると、部屋のすみにいたトトがくしゃみをしていた。


「へくちっ」

「やだ、トトったら、こんなところにいたの?」

「にゃあ」

「トト、ほこりまみれの家にいてもいいことなんてないわ。さ、もどりましょう?」


 トトが部屋から出ていった。


「あっ、待って、トト!」


 トトが階段を駆け下りた。


「こら! 悪い子ね!」


 トトがどこかへ行った。


「にゃあ」

「トト?」


 ぱたんと、ドアのようなものが蓋をする音がきこえた。


「うん?」


 あたしは音のなったほうにろうそくを向けた。キッチンだ。トトはいない。


「トト?」

「にゃー」

「うん?」


 キッチンの床に扉がある。


「にゃー!」

「やだ、トトったら、こんなところに入り込んで! 悪い子ね!」


 あたしはしゃがみ、扉を開けようとし――きょとんとした。


「あれ……あかない……」

「にゃー!」

「トト、待ってて! ……鍵穴があるわね……」


 ……。


「トト、あんたどうやって潜り込んだの?」


 蓋をすると鍵が自動でかかるのかしら?


(ううん。鍵穴はあるけど、それ以外の仕掛けは見当たらない)


 あたしは鉄の棒をポケットから出し、穴に挿してみた。カチカチと音が聞こえる。


(ここらへんね)


 カチ、と音が聞こえると、簡単にドアがあいた。あたしはドアをあけてみて、まあびっくり仰天。なんとそこは地下へのドアだった。地下の階段に丸くなったトトがいた。


「にゃあ」

「トト、そんなところにいたら灰だらけになるわよ。こっちおいで」


 なかは暗くて、ほんとうになにも見えない。あたしが手招きしても、トトは動かないでかわいく鳴くだけ。


「にゃあー」

「もー……」


 あたしは暗闇に向けてろうそくを照らした。ろうそくの付近しか見えない。あたしは仕方なく――ちゃんとドアがひらかれたままであることを確認して、階段をゆっくりと下り始めた。


「トト、いけない子にはバチがあたるのよ。いい子だからこっちおいで」

「みゃー」

「あっ」


 トトが奥に行ってしまった。


「トト!」


 ……その瞬間、ばたん、とドアが閉じられた。


「えっ?」


 急に感じる密閉感。あたしは後ろにふり返って上を見た。


「なんで? あけたまま下りてきたじゃない!」


 あたしは天井のドアを押してみた。あかない!


(ど、どうしよう……!)


「トト!」


 あたしは叫んだ。


「トト! どこなの!?」


 返事はない。


「どうしよう! ドアがあかなくなっちゃった!!」


 あたしはパニックになる。


「だれか、あけて! 助けて!!」


 あたしは必死にドアを叩いた。


「お願い! 出して!」


 でもドアはあかない。


「うぇ……ふええっ……」


 どんどんなみだが溜まってくる。


(暗い……おばけが出る……絶対出る……!)


「トトー!」


 泣き叫ぶように大声を出す。


「どこなのーーー!」

「にゃー」

「っ!」


 一人じゃないという安心感から、あたしの心が少しだけ軽くなった。


「トト!」


 あたしは急いで階段を駆け下りた。地面が見えてきた。


「トト、ぐすっ、おいで、ね、ぐすっ、いい子だから……」


 あたしは鼻をすすりながらろうそくを地面に向けると、トトのしっぽが見えた。


「っ! トト! ここにいたのね! もう! このばか!」


 あたしは足早に進んだ。


「だめじゃない! 早くここから出ないと……」


 ……トトじゃなかった。


「……」


 それはただの黒い毛の塊。


「……」


 毛の塊には、なにかのシミがついてるようだった。


「……」


 シミは、壁までつづいていた。


「……」


 あたしは、恐る恐る、ゆっくりと、ろうそくを壁に向けた。


 赤い字で書かれていた。



 呪 わ れ た 。



「……。……。……。……。……」


 あたしは一瞬、目の前が真っ黒になって、石の地面に思いきり倒れた。ろうそくが石の上に転がって、やがて消えた。


「……。……。……。……。……」


 あたしは恐怖のあまり気絶してしまった。だれかがあたしに近づいてくる。そして、なにかを唄った。


 ――迷える子羊、鐘を鳴らせ、さすれば道が開かれる、餓死しそうな、馬だって、ふらふら歩いてやってくる、鐘よ、鐘よ、正しき鐘よ、正しき道へ導きたまえ。


「……ふぁっ……」


 あたしは目を覚ました。ろうそくの火がふわふわと泳いでる。


「……あら、あたし、一体どうしちゃったの……?」

「にゃー」

「……あら、トト。こんなところでなにして……」


 あたしははっとして、慌てて起き上がった。


「そうだわ。あたし、トトをさがしてて……」


 またはっとした。あたしは壁にふり返った。呪われた。と赤い字で書かれている。


「きゃーーーーーーー!!」


 あたしは叫んで……また目の前が暗くなって……力尽きたように倒れた。その際にろうそくが石の地面に倒れ……ふたたび火が消えた。耳元でため息が聞こえる。


 ――仕方ない。魔法を使うか……。……これくらいならいいだろ。……ふう。まったく……世話が焼けるんだから……。


 次にきこえたのは唄。


 ――嘘つき少年、嘘を付く。それにつけこむオオカミ軍団、さてさて、村を狙うはオオカミだ、夜になったら覚えてろ、ほんとうに出てくるオオカミ軍団、嘘は正に事実となる、夜はこらせ、目をこらせ。


「……ふえ……」


 あたしはむくりと上体を起こした。ろうそくの火は消えている。


「まあ……あたし、一体なにしてたのかしら……」


 あら? 


「どうしたっていうの? ふしぎ! あたし、暗闇が怖くないわ! だって、驚き! なにこれ! 暗いのによく見える! ろうそくがなくても平気だわ! なにこれ!」

「にゃー」

「あら、トト、もう、どこにいたの? 悪い子ね」


 あたしはトトの頭を撫でて、周りを見回した。そして、壁に書かれた字が目に入る。呪われた。


「呪われた……ですって。トト、イタズラかしら?」

「みゃあ」

「なんだか黒い毛が多いところね。羊の毛かしら?」


 あたしはホコリのように地面に落ちてる黒い毛を見下ろす。


「こんな不気味なところ、早く出ちゃいましょう」

「みゃあ」

「……そうよ。戸があかないの。困ったわね……。……ちょっと待って」


 地下なら、工具箱があるんじゃない?


「トト、工具箱を知らない? あんた、猫だから暗闇平気でしょう?」

「にゃー」

「わかった。あたしもさがすから」


 あたしはあたりを見回す。不思議だわ。暗いのに明かりがついたようにはっきり見える。


(なんなのかしら。これ。……目が慣れたのね。きっとそうよ。すごい。目が慣れると暗闇だってへっちゃらね!)


 崩れ落ちた棚。整理されてない道具箱。毛だらけの地面。あたしは大股で歩き、雪崩れてる棚を見た。そして、眉をひそめる。


(……これ、引っかき傷?)


 オオカミがこの部屋で暴れてたとか? そして、……ダンテは、ここで食べられて死んだ……とか?


(……黒い毛……)


 あたしは地面を見下ろす。黒い毛が散乱している。


(まさかね)


 変な染みを見て、背中がぶるり。


(さ、工具箱、工具箱!)


 あ、こんなところにいいものが!


「トト、金づちがあったわ!」

「ふみゃ」


 あたしは金づちとトトを持ち、階段をのぼり、戸に歩み寄った。


「大人しくしててね。トト」

「にゃあ」

「せーの!」


 あたしは金づちを打ち付けた。木の板が揺れた。


「もういっちょ!」


 木の板が揺れた。


「くたばれ!!」


 木の板に金づちが刺さった。


「っ!」


 あたしは金づちを抜き、再び思い切り打ち付けた。穴が開けてきた。


「これで……」


 あたしは外側の取手をつかんで、上に持ち上げた。


「よいっしょ!」


 ドアが開いた。


「はあ。よかった! トト、あたしたち助かったのよ!」

「にゃー」

「こんなところ」


 あたしは階段を駆け上がり、廊下に出た。


「さっさと出ちゃいま……」


 ……後ろに、荒い息遣いを感じた。


「……」


 あたしは、……なんだか嫌な予感がして……ゆっくりと……振り向いてみたら……、


 白いオオカミが、向こうの廊下から、じっとあたしを見ていた。


「……」


 あたしは硬直する。

 白いオオカミが呼吸している。

 あたしも呼吸する。

 死んだふりをしようか。

 しかし、その前に、白いオオカミが吠えた。


「わおん!!」


 あたしは無言でトトを抱えたまま走り出した。しかし、白いオオカミは地面を踏み、軽やかにあたしに向かって突っ込んできた。


「ひゃっ」


 あたしは機転を利かせて、あわててリビングに逃げ込んだ。廊下側にふり返る。白いオオカミが廊下からなかに入ってきた。


「きゃー!!」


 あたしは急いでソファーの裏に回ろうとしたが、白いオオカミが飛び込み、ソファーの上に乗った。


「いやー!」


 あたしはキッチン側に走った。すると、白いオオカミがあたしを追って走り、家具に体を当たらせ、その衝撃で家具が吹っ飛んだ。


「きゃーーー!!」


 あたしは悲鳴をあげることしかできない。トトを抱えてキッチンカウンターににげる。


「どうしよう! どうしよう! トト、どうしよう!」


 頭がくるくる回る。


「ああ、そうだわ。窓からにげれば……!」


 キッチン側に窓はない。


「ああ、どうしよう、トト、あたし、ああ、どうし、ああああああああ……!」


 白いオオカミがうなる。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 あたし、死んじゃう!


「だれか!!」


 あたしはトトを抱え、その場にしゃがみこんだ。


「だれかたすけて!!!」


 白いオオカミが飛び込んできた――。





 ――と思ったら、引き金が引かれる音。


「っ!」


 白いオオカミが後退し、廊下に向かってうなった。


「くすす。この家の魔力はお前のものかい?」


 ソフィアが銃口を向け、リビングに入ってきた。白いオオカミがうなった。グルルル! ソフィアは静かにほほえみ……次の瞬間、彼女の目が光った気がした。


(うっ……)


 途端にくらりとして、あたしは地面に倒れた。トトがあたしの腕から抜け出し、あたしの顔を舐めた。


「いいよ。盗んでみせよう。お前の沈黙を」


 ソフィアが銃を構えなおした。


「さあ、言え。お前はだれだ」


 ――グルルルル!


「お 前 は だ れ だ」


 ――わおん!!


 白いオオカミがソフィアに突っ込んだ瞬間、引き金が引かれた。銃弾が部屋の壁を打ち抜く。白いオオカミはジグザグに進みながら確実にソフィアに近づき、目をぎらぎらと光らせ、ソフィアをしとめに飛び込んだ。

 しかしソフィアは驚かない。狙いを定め、白いオオカミに向かって撃った。白いオオカミが素早く地面に着地し、そこをソフィアが撃ち、白いオオカミが寸でのところで避け、ソフィアをにらんだ。



 分らぬ

 全く何事も我々には判らぬ



「っ」


 突然、ソフィアが廊下側に吹っ飛んだ。



 理由も分らずに 押付けられたものを

 大人しく受取って

 理由も分らずに 生きて行くのが

 我々生きもののさだめだ



 ソフィアが壁に飛ばされ、家が揺れた。ソフィアが「ぐっ」とうなり、歯を食いしばらせ、すぐに姿勢を整え、銃をしまった。


「なるほど。そういうこと」


 ソフィアの黄金の瞳がきらきら光る。


「くすす。悪くない」


 ソフィアが銀の笛を腿のベルトから取り出し、くちびるに当てた。笛を一吹きすると、白いオオカミがびくっと体を揺らし、目をうろうろと回し、耳をぴくぴく動かしはじめた。ソフィアは笛を吹く。白いオオカミが我慢できなくなったようにソフィアに向かって全力で走り出した。

 すると、横からきらりと刃が光った。

 はっと我に返った白いオオカミが体をくねらせ、剣の刃から回避した。白いオオカミがソフィアと、もう一人をにらむ。


「レディの演奏の邪魔をするものじゃない」


 リオンさまが剣を構えた。


「続きは夢できいていただこう!」


 ――ケケケ!


 白いオオカミが目を開く。



( ˘ω˘ )



 白いオオカミは山にいた。空は赤く、空間はゆらりゆらりと揺れている。ゆらりゆらりと揺れる中、白いオオカミの影もゆらりゆらりと揺れている。

 白いオオカミが振り返った。


 ジャック ジャック 切り裂きジャック


「切リ裂キジャックを知ッテルカイ!?」


 夢の中で白いオオカミが切り裂かれた。しかし、白いオオカミは悲鳴をあげない。ただひたすら悪夢をにらみ、うなり、……目を閉じた。



 この気持は誰にも分らない

 誰にも分らない

 己と同じ身の上に成った者でなければ



「グェッ!」



(*'ω'*)



 ――ぱっと、白いオオカミが目を覚ました。


 悪夢から目覚めれば、白いオオカミはなにかひらめいたように壁に向かって走り出した。ソフィアが引き金を引いたが、それが当たる前に窓ガラスを割って外に出ていった。リオンさまが無線機を口の前に持って叫んだ。


「ヘンゼル、グレーテル! 追え!」


 外から銃の音が聞こえる。しかし、やがてどんどん遠くなっていき……、……聞こえなくなった。


 リオンさまの無線機に電波音が流れる。


『ふっ! 山のほうに逃げていきました!』

『今から向かいます!!』

「頼んだ」


 リオンさまの横を通り過ぎ、ソフィアが大股で歩き、キッチンカウンターのなかで倒れるあたしの前にしゃがみこんだ。


「テリー」

「うう……」

「大丈夫?」

「めまいがして……耳鳴りも、きーんってして……ああ……もうだめ……。あたし、死んじゃう……」

「外に出よう」


 ソフィアがあたしを抱えて立ち上がり、また足早に歩き出した。


(はあ……いいにおいする……)


 かび臭い家から抜け出す。ソフィアが家の前にある草の上にあたしをおろした。


「もう大丈夫だよ」


 そっと抱きしめられる。


「怖かったね」

「ふぁ」


 ……胸に、顔がつぶされる。


(……やわらかい……悪くない……)


「くすす。ここでなにしてたの? いけない子」


(……あ……)


 ソフィアの腕にすり傷ができている。


「これ……」

「ん? ああ、平気だよ」

「……痛くない?」

「心配してくれるの?」


 ソフィアがやさしくほほえみ、あたしの頬をなでた。


「テリーはやさしいね」


(ふぁっ)


 抱きしめてくる腕、押し付けられる胸、ぬくもり。


(あたし、ノーマルなのに……)


 なんか、


(悪く……ないかも……)


「ソフィア、ニコラの様子はどうだ?」

「っ!!!!!」


 その声をきいた瞬間、あたしはソフィアを押しのけ、瞳をきらきら輝かせた。


「リオンさま!!」


 ――ケケケ!


 リオンさまの影がゆらゆらとゆれ、あたしに向かってきた気がした。そこにトトが飛び込んできた。


「にゃあ!」

「きゃっ!」


 トトがリオンさまの影をふみつぶした。


「ふみゃ!」

「まあ、トトったら。うふふ。じゃれてかわいいこと」

「……」


 リオンさまがあたしを見下ろし、おもむろに跪いた。


「ごきげんよう。テリー・ベックス」

「あ……ごきげんよう。……リオンさま……」


 あたしのほっぺがピンク色に染まっていく。


「ぽっ♡」

「ここでなにを?」

「ああ、その、勘違いなさらないでください。あたし、とっても良い子なんです。といいますのも、妹と友人をさがして妹のネコと村を歩いておりましたら、古びた家が目に入り、ちょっとの好奇心でドアをあけたらなかに入れるようになりまして、そして生まれたイタズラ心から、ネコが家のなかに入ってしまったんです。あたし、この子を家族だと思ってますの。ですから、ネコをさがして三千里。家を歩き回っていたのですわ。あたし、決して悪い子じゃありませんの」

「……レディ、この家にはカギがかかってたはずだけど、それはどうしたんだい?」


ぎくっ。

あたしは思いきりとぼけてみせた。


「え? ……カギ? ……カギなんて……ございましたか? っ、おほほ! 気づきませんでしたわ!」

「……そうか。つまり、君は、この家に『入れた』んだね?」

「ええ」


 あたしはうなずいた。


「申し訳ないと思いながら、仕方なく、あたくし、このネコをさがしに入りましたわ!」


 あたしがにこっ! と笑顔で答えると、一瞬、リオンさまとソフィアが目を合わせ、リオンさまがうなずいた。そして、またあたしに笑みを浮かべる。まっ、かっこいい! あたしの胸がどきん! と跳ねた。


「なかでなにを見たか、教えていただけませんか?」

「とてもおそろしいものを見ましたわ。キッチンの下に、黒い毛だらけの地下室があるんです」

「地下室?」

「ええ。でも、ここには夢遊病でお亡くなりになったというかたがいらっしゃいますし、地下室はボロボロで、一度扉を閉めたら開けられなくなるほどでした。見に行くのはとても危険かと」

「……夢遊病?」

「ええ。歩き回ったような痕跡もたくさんございました。あたし、とってもこわかった……♡」

「……ふむ。……地下室にはなにがありました?」

「壁に字が」

「字?」

「呪われた、と」


 あたしが言うと、リオンさまが険しい表情になった。まあ、そんな顔もなさるのね。……ダンディで素敵。ぽっ!


「二階には、寝室に手紙がございました。ここに住んでいた方が、お医者さまと役所宛に書いていたようです」

「寝室か。……わかりました。どうもありがとう」

「リオンさまも、この家に御用ですか?」

「ええ。ダンテどのについて少々気になることがあり、調べようとしている最中でした。ただ」


 リオンさまは笑顔で言う。


「カギが、『なにをしても』開けられなかったもので」


 ドロシーはリオンさまの『影』で遊んでいる。


「きっと、だれかが開けたのでしょう。よかった。これで調査ができる」

「そうでしたか。それはよかった」


(あたし……陰ながらあなたのお役に立てたのですね……! ぽっ!)


「ところで、兄からあなたは教会にいるはずだときいておりますが、ここは森の前です。なにか用でも?」

「ああ、その……、……。リオンさま、キッドさまが人狼についてお調べになっていることはご存知ですか?」

「もちろん」

「あたしもあたしなりに情報を集めようと思っておりましたの。その、なんというか、メニーがとても怯えているようでして……あの子、真に受けやすいタイプだから……」

「にゃー」

「少々気になることがありまして、森に入る前にジャンヌたちにききたいことがあったんです」

「ききたいこと、とは?」

「……ええ。あの……」


(あたし、頭おかしいとか思われないかしら……)


「昨日亡くなったばばさまは、未来のことを言い当てる方だったそうで、その方が白いオオカミが現れてから亡くなった方々に、なにか助言のようなものを残していないか、気になりまして」

「なるほど、そこから手がかりを見つける、ということですね」

「ええ」

「ソフィア、なにかきいてるか?」


 リオンさまがきくと、ソフィアは首を横に振った。


「了解。それはあとできいておこう。……テリー」

「は、はい!!」


 リオンさまに名前を呼ばれちゃった! きゅん!


「早急に頼みたいことがあるんだが」

「はい! なんなりと!」

「今のうちにジャンヌと、彼女の兄のリチョウの部屋を調べてほしい」

「……ジャンヌの部屋と……お兄さまの、お部屋ですか……?」

「ああ」

「ジャンヌ、……お兄さまがいらしたんですか?」

「ああ。そうなんだ。もういないみたいだけど」

「え?」

「時間がない。詳しいことはまた後で話すよ。君にはそこで」


 リオンさまがよく言い聞かせるように口を動かした。


「飴玉をさがしてほしいんだ」

「……飴玉……ですか?」

「ああ」

「……? 飴玉を、さがせばいいんですか?」

「そう。飴玉をさがせばいいんだ。それがあれば、ジャンヌはうそをついてることになる。逆になければ、ジャンヌは白であると明確に断言できる」

「……?」

「ジャンヌが正直者である確証がほしいんだ。頼めるね?」

「は、はい。それは……構いませんが……」


 あたしは小首をかしげる。飴玉?


「まずはジャンヌの部屋。そしてなにもないようであれば、彼女の兄であるリチョウの部屋を調べてくれ。サッと見るだけでいいんだ」


 とくに、彼の部屋は困ってるんだ。


「なにをしても、カギが開かない」


 リオンさまがあたしの肩に手を置いた。


「お願いできるかな? レディ」

「もちろんですわ!!」


 あたしの心は、リオンさまのもの。


「あなたのためならば!」

「任せたよ。……ソフィア」


 ソフィアがあたしの横に立った。


「あとから向かう。それまで目くらましを頼む」

「御意」

「それではレディ」


 リオンさまがあたしの手を取った。


(あ)


 手の甲に、リオンさまのくちびるがやさしく押し付けられた。


「ごきげんよう」


 ――ごきげんよう。レディ。


「……ごきげんよう。……リオンさま……」


 あたしは静かに立ち上がり、キスされた手を見つめた。……ぬくもりが残ってる……。


(リオンさまに、キスされちゃった……)


「あ、ドロシーを借りてもいいかな? ぼくはネコが大好きなんだ」

「……はい……♡」

「助かるよ。どうもありがとう」


 リオンさまが微笑む。


「頼んだぞ。……ニコラ」


 リオンさまがドロシーの手を掴んで、上に上げて、肉球を見せびらかした。


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