第4話 ゼペットの忠告


 人の多い広場からはなれたさびれた道の隅。そこに残されたかのように人形店がぽつんと建っている。窓からはかわいらしい人形がほほえんでいる。


 あたしとトトはその建物を見上げて、きょとんと瞬きをした。


「トト、……ここ、お店よね?」


 まるで閉店しているような雰囲気。入るなと言われているかのよう。……周りを見てみる。ジャンヌたちはいないみたい。


(もしかしたら、お店のなかにいるかも……)


「お店なら入っていいわよね。行きましょう。トト」

「にゃ」


 あたしはトトを抱き上げて、店のドアを開けた。木材の匂いが鼻をかすめる。


(……わあ)


 思ったよりも、なかはしっかりとしたレイアウトだった。窓に置かれた人形。椅子に座ってる人形。壁に糸がひっかかりぶら下がってるあやつり人形。


「トト、あたしね、むかし、お姫さまの人形劇が好きだったの。お姫さまはサルを連れて、三人の仲間と祖国と両親をさがして冒険に出かけるの。それでもって、お姫さまを見た怪人がお姫さまに一目惚れして、怪人が動かしてる悪の組織がお姫さまを誘拐するために追ってくるのよ。なかでも魔女裁判の話が好きだったわ。トトは知らない? 知らないわよね。どおんどんどんどおんぶりかって歌。うふふ! ああ、なつかしい! なんて名前だっけ? うーん。思い出せないわね。トトは知ってる?」

「みゃあ」

「そうよね。今思い出せなくてもそのうち思い出すわ。記憶ってそういうものよ。あのね、お姫さまの名前がタイトルなんだけど、たしかプディングみたいな名前なの」


 あたしが一歩進むと、時計が鳴った。


「ひゃっ!!」


 ぎょっとしてふり返ると、時計のからくりが動きはじめた。ドアがひらき、なかからコオロギが現れて、ハンマーと共にくるくる回る。


「……」


 コオロギとハンマーがドアのなかへと消えていった。時刻が変わったことをお知らせします。


「……変な時計。ね、トト」

「にゃー」


 アンティークドールがあたしに笑顔を向けている。


(……かわいい)


 あたしは人形を眺める。はい。ベイビーちゃん。ご機嫌いかが?

 人形は答えるかわりに笑いつづける。アメリがここにいたら、ここの人形を全部買うとか言い出しそう。アンティークドールはコレクションにピッタリだわ。


(船が沈んでないならお金も使いたい放題だろうし)


 まあ、あたしは人形なんていらないけど。人形があったって、どうせアメリに取られるだけだもの。それに人形は子供のためのものだから、今のあたしには必要ない。そう思いながら、あたしは棚やテーブルに置かれた人形をじっくりとながめる。


(……ん?)


 足が止まった。なにかしら、この人形。なにかしらって思った理由はね、すごく変わった人形がいるの。


 やけに鼻の長い男の子の人形。ぐったりとその場に座り、でも、なんだか顔がとてもリアル。人形なのに生きてるみたい。


(すごい。どうやってつくったんだろう?)


 あたしはなんだかその人形に触れてみたくなって、興味本位で手を伸ばしてみた。すると、――その手首に杖が引っかかった。


(っ!)


「さわるな」


 横からしわがれた声で言われる。


「売り物だぞ」

「……ごめんなさい」


 手を引っ込めると、杖をひっかけてきた老人も、あたしの手から杖を離した。


「ちょっと見てただけなの。あ、このネコなら気にしないで。いい子だから」

「ひやかしなら帰ってくれ」

「あの、人をさがしてるんです。ジャンヌたちがここに来たって……」

「ジャンヌたちならさっき出て行った」

「……そうですか……」

「……」

「えっと、……どこに」

「知らん」

「……」


(そんなふてぶてしい態度取らなくたっていいじゃない。こっちはお客さまよ? お客さまはね、神さまなのよ?)


 むすっとして、あたしは腕にいるトトに目配せした。


(行きましょう。トト。このおじいさん、きらい)


「お邪魔しました。さようなら」


(ふん! 嫌な店!)


 あたしはくるんと回って店から出て行こうとすると――勢いあまって、足元がふらついてしまった。


(むぎゃっ! 回転失敗!)


 その拍子に手が鼻の長い少年の人形に当たり、人形が台から落ちた。


「ひゃっ!」

「っ」


 老人が息を呑み、あたしは人形に当たって痛くなった手を一度振ってからのんびりと人形を拾い上げた。


「あら、失礼」


(ん)


 帽子に名前が書かれてる。


 愛するピノキオを忘れない。

 お前の父親、ゼペット。


(なにこれ。人形の設定? ふーん。最初から名前がついてるタイプの人形……)


「触るなぁぁああああああ!!」


 考えてるときにきこえた怒鳴り声に驚いて、あたしの手から人形が地面に落ちた。老人――ゼペットが崩れるようにひざまずき、人形を大切に抱き上げ、顔を上げて、あたしをにらんだ。


「王子といい、お前といい、なんなんだ! よそ者のくせにで根掘り葉掘り調べよって! 一体どういうつもりなんだ!」

「は、はあ?」

「この子は死んだ! いいか! 息子は……死んだんだ! これでいいだろ! もうかかわらないでくれ!」

「そのっ」

「出て行け!」


 ゼペットが怒鳴った。


「迷惑だ!!」

「そ、そんな、……はいはい。わかりました。弁償するわよ。たかがそんな鼻の長い不細工な人形を落としただけで、そこまで怒鳴ること……」


 ゼペットが杖をなげてきた。


「ひぃっ!!」


 慌てて避けると、杖が壁にあたり、地面に落ちた。あたしはトトを強く抱きしめて、ゼペットにふり返った。


「なにするのよ! その人形を台から落としただけでしょ!」

「人の子を不細工呼ばわりするな!!」

「なによ! クソジジイ! ただの人形相手に抱きしめて、気持ち悪いのよ!」

「さっさと出て行け!!」


 ゼペットがあたしに背中を向けた。


「出て行け!!」


(……あったま、きた)


 あたしはピノキオが座ってた台の脚を一回蹴り、ふん! と鼻を鳴らして店から出ていき――むすっと頬をふくらませた。


「見た? トト。頭おかしいわ。あれが老害ってやつよ。べー、だ!!」


 ……。


「キッドさま、……ここでなにを調べてたのかしら?」


 ゼペットが言ってたわ。根掘り葉掘り調べよって、って。


(……息子は死んだって……言ってた)


 もしかして、その息子が人狼になって死んだとか?


(……それを調べにきたってこと?)


 あたしはトトを見た。


「トト、ジャンヌたちさがしに戻りましょう。まだ近くにいるはずよ」

「にゃー」

「うーん。……どこに行ったのかしらね」

「おい」

「きゃーーーーーあ!」


 突然の声にびっくりしてふり返ると、ピノキオを抱きしめたゼペットがドアをあけて、その隙間からあたしを見ていた。


(突然声かけないでよ! びっくりするじゃない!)


「娘、……早くこの村から出ていけ」

「は?」

「悪いことは言わない」


 ピノキオはつぶらな瞳であたしたちを見つめている。


「この村は呪われている。だれも信じるな」

「……はあ?」

「息子は死んだ」


 ゼペットが目を伏せた。


「やつらに殺されたんだ」

「……」

「だれも信じるな」


 ゼペットがさびしそうにつぶやいた。


「わたしのことも……信じるな」


 ドアをゆっくりとしめる。


「早く、村から出ていけ」


 ゼペットとピノキオが闇のなかに入っていく。


「自分のためだぞ」


 ドアが閉じられた。


(……いかれてるわ……)


 あたしはトトを抱きしめながら、ゆっくりとうしろに下がった。


(きっと病気持ちのおじいさんなんだわ。息子が死んだショックで心を病ませたのよ)


「トト、田舎には変人が多いわね」

「みゃあ?」

「……で、ジャンヌたちはどこに行ったと思う?」

「にゃあ」

「そうよね。わからないわよね。うーん。どうしましょう。キッドさまと動いてるみたいだけど、……だれか三人を見てないかしら?」


 その時、――村のなかで、鐘の音が響いた。その音をきいて、あたしはぱっと表情を明るくさせた。


「まあ、ナイスタイミング!」


 そうだ。この村には困ったときのためのアトリの鐘があった。そしてその鐘を鳴らせば――ピーターがきてくれる!

 あたしはトトを抱っこしながらほほえんだ。


「行きましょう! トト! なにか情報が手に入るかもしれないわ!」

「にゃー」


 あたしはアトリの鐘に向かって走り出した。



(*'ω'*)



 たとえばばさまが亡くなった日であってもアトリの鐘は鳴るのをやめない。鐘のある広場にたどり着くと、二人の青年が鐘の下にいて困った顔をしていた。そこへピーターが走ってきて、膝に手をおいて呼吸を繰り返した。


「はあ、はあ、ふう、おまたせしました……。はあ……」

「忙しいところ悪いな。神父さま」

「と、とんでもない……こと……です……。ふう……」

「ちょいと説得してほしい奴がいるんだ」

「おれたちじゃどうにも出来ないからさ」

「説得?」


 ピーターがハンカチで大量の汗をぬぐった。


「一体誰を?」


 二人の青年が振り返った。その先には、ベンチでくつろぐ一人の青年。


「はあ。今日もお花がきれいだべさ」

「やあ。ハンス」

「ああ、神父さま。こんにちは。汗なんか大量に流してご苦労なこった。もっとのんびりすることをおすすめしやすぜ」

「この調子なんです」


 二人の青年が呆れたようにため息を吐いた。


「親方からハンスが働かないのはお前たちのせいだって言われる始末」

「ハンスがのろまなのは今にはじまったことじゃないけど、流石にちょっとのんびりしすぎだと思いまして」

「おれたちも声をあげたんですよ」

「でもちっともききやしない」

「のろまのハンスめ」

「連帯責任にされるおれたちの身にもなってほしいもんだ」

「なるほど」


 事情を察したピーターがハンスに振り返った。


「ハンス、君の仲間がこう言ってるけど、君はのんびり屋を引退することはないのかい?」

「みんなはせっかちすぎるべさ」


 のろまのハンスがお花を愛でた。


「神父さま、一日は長いんですよ。なんていったって、二十四時間もあるんですから。神父さまは何時間寝てますか?」

「良い仕事をするために、八時間は寝るようにしてますよ」

「八時間だなんて短すぎる。二十四時間のうちの八時間。いいですか。神父さま。まだ十六時間も残ってる。その間でなにをする気ですか?」

「その間、神父としての仕事があります。さらに、ご飯を食べる時間や、趣味をする時間。祈る時間も必要です」

「そんなもんは気が向いたときにやりゃあいい。神父さま、人間大事なのはコミュニケーションでさ。人との会話ほど楽しいものはねえ。でも、いつまでも人と喋ってたら、のどがかわいて口が疲れる。一時間もありゃ十分だ。ということは? 二十四時間のうち、二十三時間も残ってる。神父さま、一日はあくびが出るほど長い。ふわあ。だからおらぁ、ゆっくり喋って、ゆっくり動くさ。そうすりゃいずれとべっぴんさんとも結婚できる。男は仕事と権力っつーけどよ、かわいい嫁さんと仲良く一時間も話ができゃ幸せじゃねえか。つーわけで、おらぁ、ちっと寝るべさ」

「お前、また寝るのか!」

「親方に怒られるのはおれたちなんだぞ!」

「親方さんはカリカリしすぎでさ。おらぁみたいに、のんびりやりゃあいいのにさ」

「お前なんで働けてるんだよ!」

「お前みたいなやつをなんていうか知ってるか!」


 青年が国語辞典を開いた。


「社会不適合者っていうんだぞ!」

「ハンス、それではわたしと少しだけお喋りをしましょうか」


 ピーターが正しき道へと導く。


「ハンス、親方さんに任されてる君の仕事はなんだい?」

「作物を取る仕事だべさ。ふわあ。これがなかなか体力のいる仕事でさ」

「どうやら君は体力の使う仕事には不向きのようですね。でも、安心していい。仕事を変えたらいい話だ」

「のろまのハンスにどんな仕事ができるんだ?」

「いっつもとろくてのろまでサボり魔」

「でもハンス、君は喋ることが好きなんだろう?」


 ピーターが花を指さした。


「ハンス、その花を100ワドルでわたしに売ってはくれないかい?」

「この花を? ええ。どうぞ。そこらへんで積んできた花だけど、それでもいいなら」

「そう。この花には100ワドルの価値がある。ハンス、今からわたしが値下げ交渉をするよ。だけどここで値下げを受け入れてはいけない。君は100ワドルでわたしにその花を売ってごらん」

「なんだって? 神父さま、値下げしてほしいのかい?」

「ハンス、君ならわかるだろう? どんなに値下げを交渉されたって、その花は命を与えられ、ここまで立派に育ってきた立派な花であると。その花には100ワドル以上の価値がある。それをそうだな、20ワドルで売ってくれ」

「はっはっはっ。神父さま、だったらおらぁこう言うよ。この花を見てごらん。一つ一つが美しいひらがついていて、これを持って匂いを嗅いでるだけで幸せが訪れる。それを20ワドルでほしいだなんて、天罰があたるってもんさ」

「そうかい、なら50ワドルだ。それ以上はだめだな」

「神父さま、だったら正直に言うよ。この花はな、この村でしか取れない特別な花なんだ。水につけてやれば一週間はもつよ。新鮮な状態で城下町で売れば価値は何倍も膨れ上がる。そうだな。150では売れるだろうな。それをおらぁ100ワドルでゆずると言ってんだ。これは親切心だ。もしも詐欺だというのなら、これを売ってからおらぁに結果を言うんだな。でもおらは自信を持ってこう言うね。この立派な花には価値がある。100ワドルでどうだいってね」

「素晴らしい。交渉上手だ。これから交渉の仕事を彼にさせてみてはどうかな?」


 ピーターが提案すると、二人の青年はぼうぜんとして、目を丸くした。


「こいつはたまげた」

「たしかにハンスはむかしから喋り上手だった」

「ろくでもない話や雑学ばかり覚えてるんだ」

「世間話をできるのも才能の一つだ。いやいや、素晴らしい。ハンス、花をどうもありがとう。100ワドルだよ」

「まいどでさ。神父さま。その花を大事にしておくんなまし」

「親方さんに提案してみてはどうでしょうか」

「助かったよ。神父さま!」

「どうもありがとう!」

「お力になれてよかった。……さあ、ハンス、せっかく一日は二十四時間もあるのだから、たのしく有意義に使うようにすすめるよ」

「はっはっはっ! 神父さまもせっかちでさ!」


 こうしてのろまなハンスは二人の同僚に運ばれていった。これがのちに伝説の交渉上手のハンスと呼ばれるようになる彼の誕生であったが、アトリの村はその未来を誰も知らない。


「女神アメリアヌさま、今日も一人、正しい道の元へと行かれました。知恵をくださったことを感謝いたします」

「ピーター」

「おや、テリーお嬢さま。……それと」


 ピーターがトトにほほえんだ。


「やあ、ドロシー」

「ピーター、この子はトトよ。トトって呼んであげたほうが喜ぶの」

「にゃ……」

「ふふっ。それは失礼いたしました。……足はどうですか? まだ痛みますか?」

「ちょっと痛いけど、平気」

「あまり無理をなさらずに」

「……話し合いはどうなったの?」


 きくと、ピーターが複雑そうにまゆをひそませた。


「当日は見張りをつけるようまとまりました」

「見張りね」

「やぐらから交代制で見張ろうと。そして、オオカミがやってくるようなことがあれば、すぐに建物のなかに人々を避難させ、対応しようという話になりました」

「大丈夫なの?」

「この村はむかしからオオカミとの争いが絶えません。大丈夫です。なにかあれば、女神アメリアヌさまのご加護があるでしょう」


(……だといいけどね)


 あたしは噛まれた右足のつまさきを、地面に擦り付けた。


「それで、お嬢さま、こちらでなにを? メニーお嬢さまはどちらですか?」

「今回はあなたに用があってきたの。ジャンヌとエンサンをさがしてるの。知らない?」

「ジャンヌとエンサンですか? お二人なら、キッドさまをお連れして森に向かわれました。なんでも、キッドさまにダムをお見せするとかで」

「ダム?」

「テリーお嬢さまは見ましたか?」


 あたしは首を振った。


「そうですか。でしたら、城下町に帰られる前に一度ご覧になるといいかと。巨大なダムが森の奥に備えられていて、一定の量になると放水するんです。大雨でも降らない限りなかなかありませんがね」

「そのときは大変なことになりそうね」

「ええ。近頃はダムから異音が鳴っているようでして、大事になる前に隣村にある役所に修理依頼をお願いする予定です」

「エンサンもダムの様子を見に行くって言って、昨日出かけてたわ」

「ええ。その間に、……ばばさまが」

「……」

「時間は戻せません。だからこそ悔いのない生活をしていかなければなりません。アトリの鐘は、そのためにも必要なのです。悪いことをして後悔しないように正しい道へと導いてくれる」


 正しさの鐘は今日も立派にそびえ立っている。


「……関係ない話をしてしまいましたね。ジャンヌたちが歩いていったのはついさっきの話なので、今ならまだ森に入る前かもしれません。追いかけてみてはいかがでしょうか」

「そうね。行ってみる。ありがとう」

「あ、そうだ。テリーお嬢さま、一つだけ」

「え?」

「森への道の途中、雑草だらけの廃墟がありますでしょう。赤い屋根の。あそこにはくれぐれも入らないようにお願いします」

「……ん。なんで?」

「ええ、そこは以前、この村の裁判官として名を馳せたダンテさんの家なのですが、彼はおかしな奇病で亡くなったため、感染予防に薬をまいて、鍵をかけて消毒している最中なのです」

「まあ、そうなの」

「ええ。危ないので近づかないようにお願いします」

「わかったわ。色々とありがとう。……ところで、あたしもひとつだけ言いたいことがあるの」

「? なんでしょう」

「ピーター」


 あたしは笑顔できいてみた。


「ランチは済ませた?」

「ええ。ヒョヌさんの家で食事を……」


 ピーターが言いかけて、サッと血の気を引かせた。


「そうだ! 冷蔵庫が空っぽだった! なにか食べられましたか!?」

「だと思った。ふふっ! ジルさんのところでおかゆを食べたから平気よ」

「にゃあ」

「ああ、それは申し訳ございません……」

「大丈夫よ。カルラさんもいい人だったわ」

「……あとでお礼を言っておきます……」

「ええ。お願い」

「申し訳ございません……」

「あたしは大丈夫よ」

「ああ、女神アメリアヌさま、どうかお許しを……」

「神父さまー!」


 アトリの鐘を鳴らそうとしていた村人がピーターを見て、近づいてきた。


「大変なんだよ! ちょっときいてくれ!」

「ああ、お嬢さま、すみません。仕事のようですので……」

「大丈夫よ。行って」

「神父さまー!」

「はいはい。大丈夫ですよ。本日はどうしました?」


 ピーターが仕事にもどり、あたしはさっきピーターが指をさした方角に振り返った。遠くに赤い屋根の廃墟が見える。


「トト、あそこには近づいちゃいけないんですって」

「みゃあ」

「エンサンたちも言ってたわ。裁判官が病気で死んだって。このことだったのよ。奇病で死んで、家に薬をまいてるなんて、なんだか不気味」

「にゃー」

「ま、近づかなければ問題ないのよね。目的地はわかったわ。ジャンヌたちが森に入る前に、追いかけましょう」

「にゃ!」


 あたしはトトをだっこしたままその方向に向かって早歩きをした。木が並び、道は一本。大きい道ね。田舎だから土地だけはあるんだわ。自然の風のにおいをかぐと、……ちょっとばかし、むかし話をしたくなった。トトに喋ってみる。


「トト、あたしね、……むかし、田舎に行ってみたいと思ってたの。城下町からうんと離れたところに家を建てて、あたしの世界のメニーと一緒に住むって思ってたの」

「……」

「でも、オオカミがいるならこの村はやめたほうがいいかもね。事件が絶えないし、夜は出歩けない。不自由な田舎はよくないわ。トトもそう思わない?」


 あたしは顔を上げた。視界に、廃墟となった裁判官の家が入った。つい足が止まる。


「……トト、ここよ。奇病で死んだ裁判官の家って」


 なんて不気味な家なのかしら。ぼろぼろの赤い屋根に、古びた木造の家。


 あたしは周りを見回した。だれもいないみたい。建物の裏は? あたしはちらっと見てみる。だれもいない。窓はカーテンをされている。なかは覗けない。


「……」


 人って不思議よね。どうしてこわいものや不気味なものに惹かれるのかしら。それでもって、近づいちゃいけないと言われたものに対して、近づいてみたくなる。本当に良くないことだわ。それをするのは、悪い子なのよ。


あたしは、ほんのちょっとした好奇心から、そろりそろりと家に近づき、ドアを見た。


「わあ、見て。トト。本当に鍵がかかってる。こうしないと暇な子どもたちがいたずらするのね。ふーん。徹底してる」

「みゃあ」

「うーん、……ちょっと待ってて」


 あたしはトトを足元に置き、南京錠に触ってみた。鍵穴がついているが、このタイプならいけそうだ。


「あのね、トト、あたし、裏技を知ってるの。……道具がなければできないんだけど」

「みゃあ」


 ――オオカミ来ない日、ヤギ飼い少年、今日もうそつき、ヤギ飼い少年、だけどたのしい、おもしろい、みんながおどろく、おおさわぎ、たのしくってしかたない。


「あら、トト、足元にちょうどいいのがあるわ。ちょっとどけてね」


 あたしはトトが踏んでいた鉄が細長くなったものを拾った。こんなのさっきあったっけ? まあいいや。


「見ててね。トト、これをね」


 あたしは南京錠に挿した。


「こうしてね」


 カチカチ動かすと音がする。それをきいて、ほじくれば、


「ほら」


 南京錠があっけなく外れた。


「すごいでしょ」


 あたしは勝ち誇ったように笑い、鉄の細長い棒をポケットに入れた。


「前の世界で時々やってたの」


 真夜中に。


「役に立つ日がくるとは思わなかったわ」


 あたしはドアを開けた。なかを見た瞬間、あたしは顔をしかめた。ほこりだらけでクモの巣だらけ。明るさもない陰気な廃墟。まるでお化け屋敷のよう。


(うげ……)


「トト、やっぱりここは入っちゃいけないところみたい。ちょっと興味が出て見てみたけど……うん。いいわ。満足。鍵を元にもどして、ジャンヌたちをさがしましょう!」


 ――あたしが見下ろした直後、トトが家のなかに走っていってしまった。


「え!? トト!」


 トトが奥に行ってしまう。


「ちょっと、もう、やだー! トトー!」


 トトは奥の部屋に入ってしまった。


「えー、トト……そんな、……えー……?」


 あたしは家をながめ、あたりを見回し、誰もいなくて、奥を見つめ、また声を出した。


「トトー、もどっておいでー」


 返事はない。


「トトー!」


 あれ?


(……嘘でしょ?)


 トトが奇病が充満する家からもどってこない。


(これじゃ、ここから離れられない)


「ト、トトー!?」


 あたしはおびただしい雰囲気の家をもう一度ながめる。ながめてもなにも変わらないのだけど。


(トトがもどってこないし……)


 ……。


「……トトぉー……」


 あたしは眉を下げながら、ゆっくりと薄暗い家のなかへ入っていった。


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