第19話 白いオオカミの疾走


「がぶっ!」

「いたっ!」

「っ」


 とつぜんの痛みにあたしは悲鳴をあげ、あたしの声におどろいたメニーが目を覚ました。


「……いたぁーい……」

「にゃー」

「お姉ちゃん……?」

「……トトに噛まれた」


 あたしはあくびをしながら膝の上にいるトトを見下ろした。


「お前、だめじゃない。人間さまを噛むなんて。いけない子ね。もしかして、食べ物とあたしのかわいい指をまちがえちゃったの?」

「みゃあ」

「ふああ。……メニー、今何時?」

「……時計がないからわからない」

「ふああ……」


 あたしは窓をちらっと見た。部屋は暗いし、夜だし、朝日がのぼってるとは思えない。


「まだ起きる時間じゃないわ。……おやすみなさい……」

「がぶっ!」

「痛い!」

「……ドロシー、どうしたの?」


 トトがメニーの袖を噛んで引っ張った。あたしには指を噛んできたくせに。


「お腹でもすいたんじゃない?」

「……お姉ちゃん、ここにいて」

「ふわあい」


 メニーがベッドから抜け出し、トトといっしょに部屋から出ていった。一人残ったあたしはメニーたちが出ていったドアを見つめる。


(……どうしたんだろう?)


 あたしは頭をかき、ベッドから抜け出した。


(トイレ行こうかしら……)


「向こうだ!」

「おい! 水をもってこい!」


(うん?)


 外から怒鳴り声が聞こえる。あたしはカーテンをひらいて窓をのぞいてみた。大人たちが全力疾走で走ってる。


(なに?)


 あたしは窓を開けて、身を乗り出してみた。すると、――遠くのほうで、赤い灯りと、黒い煙が出ているのが見えた。


(……なに、あれ)


 あたしは窓を閉めた。


(ピーターは?)


 あたしは部屋から出て、廊下を歩いた。


「メニー!」


 あたしの声が響いた。メニーの返事はない。


「ピーター!」


 あたしはリビングに入ってみた。だれもいない。


「メニー?」


 あたしは聖堂に行ってみた。だれもいない。


「ピーター? メニー?」


(……ちょっとだけならいいか)


 あたしは教会の外に出てみた。メニーとピーターはいない。柵の前まで行って様子を見てみれば、村の人々が夜であるにも関わらず慌てたように走っている。


(なにかしら。あれ……)


 星祭の準備?


(なにか燃えてるような……)


 あたしはよく見るために柵の外に出てみた。


(なにかしら……)


「にゃー」

「……っ! お姉ちゃん!」


 ドアを開けたメニーが驚いた声を出し、またその声にあたしが驚いて、あわててふり返った。


「メニー! びっくりした! 驚かさないでよ!」

「驚いたのはこっちだよ。夜の外は危ないって言われたでしょ」

「でも、メニー、あっちでなにかやってるみたいよ。村の人が走ってたのを、あたし見たの」


 草のなかを影が走る。


「星祭の準備かしら?」

「お姉ちゃん、なかにもどろう? 危ないから……」

「ねえ、ちょっと見に行ってみない?」

「だめだよ」

「ちょっとだけよ。気になるじゃない」


 たのしいことだったらあたしも参加したいわ。


「ね、メニー、ちょっとでいいの。いっしょに行ってみない?」


 ――あたしがそう言った瞬間、うしろからすさまじい速さで駆けてくる足音がきこえて、あたしとメニーがふり返ると、


 闇のなかから飛び出してきたオオカミが、あたしに体ごとぶつかってきた。


「きゃあ!!」

「っ、お姉ちゃん!」


 あたしは地面に転がり、オオカミが馬乗りしてきた。


 ワオーーーーーーン!


「ひっ!」


 するどい牙にギラギラ光る眼。黒い毛のオオカミがあたしを見下ろし、大きく口を開けた。


(た、食べられる!)


「お姉ちゃん!」

「め、メニー……!」


 オオカミがあたしを噛もうと口を開けてのしかかってきた。


「ひい!」

「っ!」


 その瞬間、どこからか強い風が吹き、オオカミが突風に吹き飛ばされた。あたしは悲鳴をあげてうずくまる。


「きゃあ!」

「お姉ちゃん!」


 髪の毛をふわふわ揺らすメニーが手を伸ばした。


「今のうちに!」

「あ、……あ……!」


 あたしはなんとか逃げようと震える体を起こし、急いで立ち上がった。しかし、黒いオオカミがふたたび目を光らせ、あたしの右足にとびつき、噛み付いてきた。


「きゃーーーーーー!」


 あたしは悲鳴をあげ、その場に倒れた。メニーが目を見開く。


「お姉ちゃん!」

「い、痛い! 痛い!」

「この……!」


 メニーがあたしに向かって走り出した。――すると、あたしとメニーの間に壁をつくるように、白いオオカミがどこからともなく飛び降りてきた。


「っ!」


 メニーの足が止まり、……白いオオカミはメニーを睨んだ。


「あっ、メニー……!」


 あたしはずるりと、うしろに引きずられた。


「あっ」


 黒いオオカミがあたしを引きずっていく。


「あ、ああ……」


 右足に歯が食い込む。


「あ、あ、あ、ああ……あああああああ……」


 あたし、このまま食べられちゃうの……?


(い、いや……!)


 オオカミの鼻息が足に当たる。


(死にたくない!)


 あたしは目をつむった。


(だれか!)



 たすけて……!!






 嗤ってくれ

 詩人になりそこなって

 虎になった哀れな男を







 ――笛の音がひびいた。


 黒いオオカミがはっとしたように顔を上げ、あたしの右足から離れた――瞬間――とんでもない強さの突風が、オオカミにめがけて吹かれた。


「キャン!」


 黒い毛のオオカミが悲鳴をあげて飛ばされ、地面に転がった。白いオオカミが振り返った。


 また笛の音がきこえ――二匹とも吹き飛ばされた。


「キャン!」


 地面に転がったオオカミたち。黒い毛のオオカミがすぐさま起き上がり、うなった。グルル!


「くすす。威勢だけは良い」


 笛を腿のベルトにしまい、代わりに銃を取り出した。


「そこまで敵意を見せるなら……」


 月に照らされた金髪が光る。


「盗んでみせよう。お前たちの心臓を」


 ソフィア・コートニーがあたしの前に立ち、銃を構えた。


「かかっておいで」


 ワオン!!


 黒い毛のオオカミが目をぎらぎらさせて、今すぐにこの女を噛み殺してやろうという勢いで飛びついてきた。しかし、ソフィアが銃を撃った。


 ワオン!!


 オオカミは頭がいいらしい。ソフィアの銃を避けた。地面に着地し、ソフィアの隙を狙ってうなりながら横をゆっくりと歩く。ソフィアは背中を向けないようにオオカミに合わせて体を動かした。そして、風が吹いて、ソフィアがまばたきした瞬間、オオカミが襲いかかってきた。


 ワオン!


「くすす。このばか」


 ――べしゃりと、地面に倒れた。


「おや、どうしたのかな?」


 ソフィアの目がきらきら光って見える。


「飛んだ瞬間に地面に転がるなんて間抜けなオオカミだ」


 黄金のひとみがオオカミを見つめる。


「どうしたのかな? ほら、かかっておいでよ」


 黒いオオカミは起き上がり、頭をブンブン振り、またソフィアに襲いかかろうとして、また地面にべしゃりと倒れた。その瞬間、ソフィアの手が動いた。躊躇なくオオカミに向けて銃を撃った。


「キャン!」


 腕に銃弾が当たったようだ。オオカミがひるんだ。ソフィアはためらう素振りもなくふたたび撃った。オオカミが後ろに下がった。ソフィアが容赦なく撃った。黒い毛のオオカミはあたしたちに背中を向けて、さっさと逃げていった。


 ソフィアが次に振り返った。白いオオカミがソフィアを睨んでうなっている。ソフィアが銃を向けると、一度大きく鳴いた。


 ワオーーーーーーーーーン!


 遠吠えが終わると、白いオオカミも背中を向け、とんでもない速さで逃げていき、やがて、闇のなかにすがたを消した。ソフィアがそれを見届け、銃をおろした。


「……ふう」


(……い、行った……)


 あたしは震える息を吐いた。


(……たすかった……)


「お姉ちゃん!」


 メニーがあたしに駆け寄り、草の上に座り込んだ。


「ケガは?」

「……大丈夫?」


 ……その声にあたしは顔を上げた。目の前には銃を持ったソフィアがあたしを見下ろしている。その目が、……こう言ってる気がした。


 ――この女を殺せば、キッド殿下は私のもの……。


(ひい! こんな状態のあたしを撃とうっていうの!? 一難去ってまた一難!)


「別に!」


 あたしは強気にそっぽを向いた。


「大したことありませんわ!」


 言った直後、足から激痛が走った。


「いっ……たっ……!!」

「お姉ちゃん、足が……!」

「見せて」

「結構!」


 ソフィアが無言であたしの手を押さえて、オオカミに噛まれた足を見た。


「きゃっ!」


 おぞましい光景があたしの視界に入った。


(うわ、やだ……。気持ち悪い……! あたしの足から血が出てる……! ああ、もうだめ。あれ、なんか……気分悪くなってきた……)


「……ぐ……」

「お姉ちゃん、大丈夫?」


(痛い……痛い……ああ、もうだめ……。あたし死んじゃう……)


「なかに入って治療しよう? ね?」

「……ん……」

「メニー、ごめん。どいて」


(え?)


 ソフィアがメニーを押しのけ、あたしを軽々しく腕に抱えて、立ち上がった。


「……!? ちょ!」


 あたしは足をばたつかせた。


「この、なにするのよ! 無礼者!」

「大人しくして」


(ふわっ! いい匂い!)


 じゃなくて、なによ! 女のくせにあたしをお姫さまだっこしようっての!?


(おっぱい……やわらかい……)


 じゃなくて、なによ! この女、怪力なの!? 力で実力の差を見せつけようってか!?


(……ママにだっこされてるみたい……)


「ソフィアさん、こちらです」


 メニーがドアを開けて、あたしを抱えるソフィアを教会のなかへと入れた。廊下ではトトがうろうろしていて、その廊下をソフィアが進み、メニーが厳重にドアに鍵をかけた。


 リビングまで運ばれ、あたしは椅子に置かれる。ソフィアがその場でひざまずいた。


「メニー、消毒液は?」

「持ってきます」

「お願い」

「テリー、痛みは?」

「ふん! 大したことなくってよ!」


 あたしはキッドさまの愛人の前だからこそ弱気な姿を見せるものかと、強気に胸を張った。


「この程度の痛み、貴族令嬢のあたしが痛がるわけ……」


 ソフィアに傷口を押さえられた。


「いたーーーー!!」

「ソフィアさん!」

「ありがとう。メニー」

「ちょっと! 今のわざとでしょ! あたしをだれだと思ってるの!? あたしは、男爵令嬢の……!」


 ソフィアがコットンで消毒液をあててきた。


「いたーーい!!」

「ソフィアさん、包帯です」

「ありがとう」

「ねえ! もっとやさしくして! 歩けなくなったらあんたのせいよ!」


 あたしの足に、きれいに包帯が巻かれた。


「……チッ!」

「メニー、なにがあったの?」

「外が騒がしくて様子を見ようとしたら、……ドロシーが急に外に出たがって……見たら、お姉ちゃんが外にいて……」

「そこにオオカミたちが来た?」

「はい。急に黒いオオカミがあらわれて、そのあとに白いオオカミが……」


 メニーがなにか言いかけて黙った。


「……」

「通りかかってよかったよ。ほんとうに運が良かった」

「……」

「テリー」


 ソフィアがあたしに笑みを浮かべた。


「これに懲りたら夜は外に出ちゃだめだよ」


 うるさいわね。あんたに言われなくとも、もう二度とこの村では夜ぜったいに出歩かないってあたしは三秒前に誓ったわよ。ふん、だ!


 あたしはソフィアを無視して、メニーに顔を向けた。


「メニー、ピーターは?」

「……教会にいないみたい」

「火事現場かもね」


 ソフィアの言葉に、あたしは顔をしかめた。


「火事って?」

「少し離れたところで火事が起きてる。……黒い煙が出てるの見えなかった?」

「……」

「殿下とルビィが向かっててね。わたしも合流する予定だったんだけど」


 ソフィアが立ち上がり、メニーに顔を向けた。


「テリーがこんな状態な上、まともな大人がいないみたいだし、しばらくここにいるよ」

「……ありがとうございます」

「くすす。一つ貸しね」


 ソフィアが笑い、またあたしに顔を向けてきた。


「それで、テリー」


(ん?)


「他にケガはない?」


 ……なによ。その目。

 まるでなによりも大切なものを見るような、やさしい目。


(……この女、あたしが憎いんじゃないの?)


 メニーがいるから、演技してるってこと?


(はっはーん?)


 いいわ。かまかけてやろう。本性を現しなさい。


「そうね。腕も痛いわ」

「どこ?」

「そうね。ここらへんかしら」

「ほんとうだ。かすれてるね。痛い?」

「ええ! すごく痛いから手当をしっかりしてくれない!? それと、信用ない人になんか手当されたくないから、あたしに従うっていうことで、手にキスなさい!」

「……お姉ちゃん?」

「くすす。いいよ」


 ソフィアが笑いながらふたたびひざまずき、あたしの手をやさしく取って――手の甲にキスをしてきた。


「君の言うとおりに」


(……はっはーん?)


 なるほど。さすが第一王子の愛人だわ。裏の顔をそうやって隠し通すってわけ。


「メニー」

「んっ」


 あたしはメニーに目をやった。


「なんだかホットミルクが飲みたいわ。悪いけどつくってきてくれない?」

「え、……うん。いいよ」

「ありがとう。砂糖多めね」

「わかった。……ソフィアさんもいりますか?」

「そうだね。ついでにもらってもいい?」

「はい。……ドロシー、おいで」

「にゃん」


 メニーとトトがリビングから出ていった。

 リビングにあたしとソフィアが残る。トトもいない本当の二人きり。

 あたしは目の前に座り込むソフィアを、ぎっ! とにらみ、ソフィアの手を払った。

 ソフィアがきょとんとまばたきして、またくすすと笑い出す。


「おやおや、不機嫌そうな顔」

「ふんっ!」

「お嬢さま、わたしになにかききたいことでも?」

「単刀直入に言うわ。一体なにが目的なの?」

「ん?」

「あたし、わかってるのよ。お前、あたしが憎いんでしょう?」

「憎い? どうしてそう思うの?」

「ふん。なめないで。あたしは貴族として生まれてきて敵はたくさん見てきたわ。平民ごときのお前なんて、あたしにかかれば手にとるようにわかるのよ。……キッドさまが好きなんでしょう。だからあたしが憎いんだわ。わかってるのよ。お前があたしをにらんでたこと。全部知ってるんだから!」

「……」

「ほら、正直に言いなさいよ」

「……くすす。そっか。……わたしが君を見てたこと、気づいてたんだ」

「あれだけにらまれたら気づかないほうがおかしいわ」

「にらんでないよ。見てたの」

「いいえ。睨んでたわ! 正直に言いなさいよ! あたし、全部わかってるのよ!」

「……わかった。正直に言うよ。わたしの気持ち」


(ふん。やっと素が出たわね)


 ソフィアがゆらりと立ち上がった。


(女同士、腹を割って話そうじゃない!)


「だけど」


(うん?)


 ソフィアがあたしをふたたびだっこした。


「この椅子は硬いから、こっちでね」


(うん?)


 ソフィアがソファーに座り、あたしを膝の上にのせた。


(うん?)


「テリー」


 顎をやさしくつかまれる。


「わたしを覚えてる?」

「……知らないわね」

「そうだよね」

「……」

「ちゃんとした挨拶が遅れてごめんね。殿下から紹介があったように、わたしはソフィア・コートニー」

「……お前、図書館で働いてるくせにキッドさまの部下なの?」

「そうだよ。特別な仕事があるとき以外は、普通の暮らしをしてるんだ」

「はい、嘘」

「嘘って?」

「しらばっくれても無駄よ。キッドさまはお前をかばってたみたいだけど、あたしは騙されないわ。彼の愛人なんでしょう?」

「ああ……」


 ソフィアの手があたしの腰をつかむ。


「どうしてそう思うの?」

「じゃあきくけど、お前がキッドさまに耳打ちしたり、ひそひそ話してたのはなに? 手だって重ねてたじゃない!」

「……」

「ほら、なにも言えなくなった! ……はあ。わかったわ。怒らないから正直に話しなさい。あたしはね、嘘つきが一番きらいなの!」

「テリー、真実を言って、わたしをきらいにならない?」

「答え次第ね!」

「……。わたしが憎いのはキッド殿下」

「……っ! まさか、もてあそばれたショックで復讐を誓って……!?」

「君を愛してるから」

「キッドさまがあたしを愛してるから憎いのね!? 愛の裏返しってこと!? いい加減にして! あたしは彼の婚約者みたいだけど、お前と彼の問題でしょう!? あたしを巻き込まないでくれる!? うざいのよ!」

「ああ、主語が足りなかった。勘違いさせてごめんね。……わたしは」


 ソフィアがあたしの耳にささやいた。




「君に恋してるんだ」




 ……。あたしはきょとんとした。


(……うん? あたしに恋……)


 恋?


(……。……。……うん?)


 聞き間違い?


 ……チラッとソフィアを見ると、ソフィアはにこにこしている。


(……あ、聞き間違いか)


「……きこえなかった。なに?」

「わたしが恋をしてるのは君だよ」

「……。……。……。……。……。……。……。……。……。……。……。……。……。……。……。……。……」

「もう一回言おうか? わたしは殿下じゃなくて、君が好きなの」

「……」

「……君がわたしの心を盗んだんだよ」


 君はわたしにこう言ったの。あたしのものになりなさいって。


「いろいろあって、お誘いを断る前にキッド殿下の部下になってしまったけど」


 でも、この気持ちは変わらない。


「テリー、わたしは君を愛してる」

「……」

「恋してるの。テリー。……君が好き」

「……」

「君の顔も、体も、中身も、恋しくてしかたない」

「……。……。……」


 あたしの思考が停止する。あたしは押し付けられる胸を感じる。でもなにか言わないといけない気がして、あたしは、


「ソフィア」


 言った。


「あたし、女よ?」


(ちがう! そうじゃない!)


 なんか、ポイントがずれてる気がする! えっと、つまり、あたしが言いたいのは!


「テリー、人間と猫が恋をするのってどう思う?」

「な、なによ! とつぜん! 本の話!?」

「そう。ファンタジーだよね。じゃあ、人間同士が恋をするのはどう思う?」

「え、えっと……」

「なにもふしぎじゃないよね」

「ん、んん……」

「人間なんだから、男も女も恋をする。なにか変?」

「変……では、ないけど……」

「わたしが好きになった女の子が、女の子だっただけ」

「……あー」

「ね」

「……じゃあ、女が好きなわけじゃないの……?」

「同じ女を見たところでキッド殿下みたいに発情したりしないよ。体のつくりも同じだし、好きにもならない。付き合ったこともないし、君と出会う前は彼氏しかいなかった」

「……本気であたしが好きなの?」

「君と出会ってからは君しか見てない。わたしにとって、君はご主人さまだもの」

「へっ」

「だから、キッド殿下には君に近づかないように忠告してあげてたんだ。……わたしが怒りのあまり、殿下を撃ってしまうかもしれないからね」

「……」

「そういうこと」


 ソフィアがあたしの頭をなでた。


「不安にさせてごめんね。テリー」


 いや、不安とか、別に思ってない……けど。


「わたしにはテリーだけだよ」


 いや、あの、あたし、女……。


「テリー」


 黄金の美しいひとみが、まゆを下げて、泣きそうな顔であたしを見つめた。


「わたしがきらい?」

「だ、え、いや、あの、き、きらいじゃ……」

「じゃあ、好き?」

「い、いや、だから、あの……」

「そうだよね。記憶を失って右も左も分からないのに、こんなこと言われても困るよね」

「……」

「これだけは言える。……わたしは君の従順なペットであると」


 ソフィアがあたしの手をにぎって、……さっきと同じように、でも、ちがうように……手の甲にキスをしてきた。


「ひゃっ!」

「わたしは君のもの」


 ソフィアがあたしの手をはなした。


「テリー?」

「あの、なんか、顔、近い気が……」

「そうかな?」


 ソフィアがあたしに近づく。


「ふつうだよ」

「でも」

「女同士でしょ? どうしてはずかしがってるの?」

「……別に……はずかしくなんか……」


 ……たしかに女同士なんだから、顔が近くにあったってなんてことはない。……でも、なんというか、恋愛感情をもたれた女の人に、そんなに間近で、近づかれたら、その、なんというか……。


「……あ、あたし、その、同性愛には興味ないというか、一応、その、キッドさまの、婚約者だから、あの、その、女の人とは、恋愛する気もないというか……」

「うん。わかってる。だから、ペットとしてかわいがってくれたら嬉しいな」

「ペ、ペット?」

「そう。猫ちゃんや、わんちゃんみたいな」


 ソフィアとの距離が近い。


「で、でも、おまっ、その、あ、あなたは、キッドさまの部下なんでしょう? だから、そのっ、あたしがそうする権利がないというか……!」

「頭をなでてくれるだけでいいの。テリーがかわいがってくれたら、わたし、すごく嬉しい」

「で、でも……」

「メニーはドロシーをペットにしてるよ。テリーには人間のペットができるだけ」

「あ、あの……」

「テリー、わたしを愛でて?」

「あ、あぅう……」

「まずさいしょに」


 あごをクイ、とソフィアに向かされる。


「キスからはじめようか」

「へっ……!?」


 き、キス!?


(女同士でキスしようだなんて、なに考えてるの!?)


 そんなこと絶対しないわよ! 気持ち悪い!


(……なんか……いい匂いする……)


 いい匂いのするソフィアのくちびるが近づく。あたしははっとして、逃げようにも足が怪我して、ソフィアに抱えられていて……逃げられなくて……ぎゅっ、と目を閉じると――頬に、軽くキスされた。


「……」


(あれ?)


 ほっぺた?

 あたしは目をあけて、ぱちぱち目をしばたたかせる。


(……あ、あたし、てっきり……)


「どうしたの? テリー。変な顔して」


 ソフィアがくすすと笑った。


「もしかして……くちびるだと思った?」

「……っ! い、いいえ!」


 あたしは全力で首を振った。


「そんなことないけど!?」

「お姉ちゃん、ホットミルクつく……」


 あ!! ふり返ると、トレイを持ったメニーがリビングの前に立っていて、あたしたちを見て固まった。


(あっ、メニー! これは、その、ちがうの!)


 ソフィアがにこりと笑うと、メニーはケロッとしてなかに入ってきた。


「ソフィアさん、お姉ちゃんは今、怪我をしてるので、そういうのはやめてもらっていいですか?」

「そういうのって?」

「その抱える行為です」

「テリーはいや?」

「えっ」


 突然あたしに振られた。


「テリーは、わたしがテリーをこうやってしたら、いや?」

「……いや、あの……」

「いやなの?」

「……いやでは……」

「メニー、きいた? 嫌ではないって」

「ソフィアさん」


 メニーが笑顔でトレイを、ドン! と置いた。


「 ホ ッ ト ミ ル ク で す 」

「ああ。ありがとう」

「火傷したら大変なので、お姉ちゃんと 離 れ て もらっていいですか? 五秒以内に」

「メニー、時間制限を使うなんて、殿下の影響? そういえば、最近ずっといっしょにいたもんね」


(……え?)


「ソフィアさん」

「くすす! はいはい」


 ソフィアが一度あたしを抱えて立ち上がり、あたしを自分の膝の上からソファーにそっと移動させ、最後に頭をなでられる。


「テリー、ホットミルク飲もうか」

「……はい」

「お姉ちゃん、熱いから少し冷ましてね」


 メニーがホットミルクをあたしとソフィアに渡し、あたしたちが座ってた間に割り込んできた。


 ……少し、無言になる。

 ……きかないほうがいいかしら。

 ……ホットミルクの湯気がおどってる。

 ……気になる。

 ……あたしから口をひらいた。


「……あの、……メニー」

「お姉ちゃん、違うからね」

「……メニーは……その……キッドさまと……仲いいの?」

「あのね、わたし、キッドさんから勉強を教えてもらってるの」

「……まさか……、……性の勉強を……!?」

「お姉ちゃん! しっかりして! ただの勉強だよ! 習いごとみたいなやつ!」

「……ほんとう?」

「お姉ちゃん、わたし、お姉ちゃんに嘘ついたことある?」

「……ううん」

「信じてくれる?」

「……ごめんね。メニー。あたし、頭がごちゃごちゃしてて……」

「お姉ちゃんは悪くないよ。悪いのは……」


 メニーが目を三角にさせて、メラメラ炎をたぎらせて、ソフィアに振り向いた。


「ソフィアさん! 余計なこと言わないでください!」

「ほんとうのことじゃない。くすすす!」

「あなたのそういうところです! お姉ちゃんがこんな状態なのに!」

「はあ。恋に戸惑うテリーも良い。かわいい。写真におさめたい。カメラをもってくるんだった……」

「しみじみと言わないでください!」


(……女が女を好き……。……女に告白された……。……ソフィアがあたしを好き……。……ソフィアはあたしのペットになりたい……。つまり、ソフィアはあたしのペット……。人間ってペットになれるっけ……? え、でも、ソフィアはキッドさまの部下であたしはキッドさまの婚約者で……え? なに考えてたっけ……? ……まあ、湯気が泳いでる……)


 言い争いをするメニーとソフィアを横に、あたしは湯気をじっと見つめた。


 ……トトは窓辺から外を眺めている。


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