第16話 告発
ジャンヌが目をくるくる回して、その場にのびた。あたしは指でジャンヌをつんつんしてみる。
「もう無理。だめ。動けない」
「大丈夫? ジャンヌ」
「今日はもうやめだ。はあ。テリーも手伝ってくれたから、はあ、だいぶふらつくのも直ったし……はあ、どうしよう。足がガタガタして歩けない……」
「これくらいで情けない。100年前に担当した踊り子は、あと七時間は練習してたよ」
「100年前でしょ! むかしと今はちがうんだよ! ばばさま!」
(この人何歳なのかしら……)
疑問に思ってばばさまを見ると、ばばさまが口をひらいた。
「今年で107歳さ」
「っ」
「なんだい。人の気持ちがわかるのかって顔だね。あんたはわかりやすいんだよ。顔に全部書いてある」
え!? いつ落書きなんてされたのかしら!? あたしはハンカチで顔をぬぐった。ばばさまは喋りたい年頃なのか、口を止めることなく動かした。
「あんたみたいにわかりやすくてぼうっとしてる奴が一番に獲物にされる。右足に気をつけな。オオカミに噛まれないようにね」
「ばばさま、テリーが怖がるじゃない」
「これは忠告だよ」
「そんなんだからいつまで経っても変わり者って言われるんだよ」
ジャンヌがゆっくりと立ち上がり、大きく息を吐いた。
「テリー、今日はこれくらいにしておこう。あとは明日だ」
「ええ。わかった」
「ヒマだったら明日も付き合ってくれない? ……テリーさえ良ければだけど」
「もちろんよ!」
あたしはにぱっと笑った。
「ジャンヌはあたしのはじめての友だちだもの! いくらだって付き合うわ!」
「ありがとう。テリー」
ジャンヌがばばさまを見た。
「ということで、ばばさま、今日はここまでにしておくよ」
「星祭は明後日だよ。いいね」
「わかってるってば」
ジャンヌがあたしに振り向いた。
「教会まで送るよ」
「ありが……」
とう、と言う前に、木々が揺れた。葉っぱのこすれる音が響き渡り、あたしとジャンヌが反応して振り返ったと同時に、――無表情のルビィが木のように黙って立っていた。
「きゃああああああああ!!」
あたしは驚いて悲鳴をあげて、ジャンヌの背中に隠れた。
「な、なによ! 上から見下ろしてきて! あたしをだれだかわかってるの!? あたしは! 男爵令嬢のテリー・ベックス……」
「がなるなよ。うるせぇなぁ」
ルビィが耳を人差し指で押さえて、だるそうに呟いてからジャンヌを見た。
「キッド殿下があんたを呼んでる」
「……殿下が?」
「メニーに言った話を、詳しくききたいって」
「……そういうことなら」
ジャンヌがあたしを見た。
「テリー、婚約者さまに会いに行こう」
(……キッドさまに会いにいくですって……!?)
あー! すっかりわすれてたー!
(あたし、キッドさまのところに行って、婚約破棄の話をしないといけないんだった!)
あたしはジャンヌにうなずいた。
「そうね! 行きましょう! ジャンヌ!」
「ちょっと待ちな」
とつぜん、ばばさまがストップをかけ、杖の先をあたしに向けた。
「あんた、今なんて言った?」
「え?」
「あんたの姓名だよ。なんて言った?」
「え? 姓名……は……」
自分から名乗るのはいいけど、こうやってすごんでくる声できかれるとすごく言いづらくなる。一体なんなのよ。このおばあさん。
「ベックス……ですけど……」
「生まれはカドリング島かい?」
「え?」
あたしはきょとんとまばたきをした。だって、カドリング島は閉鎖的な島でだれも知らないはずなのに。
(……あ、でも、船は沈まなかったんだっけ……? 無事リゾート地になったって話を、メニーからきいたかも……)
あたしはおずおずと聞き返した。
「……それがなんですか?」
「その年齢まで生きてるってことは、ちゃんと島を行き来してるんだね。あんたは運がいいよ。親に感謝しな」
「はあ」
「嬉しいね。死ぬ前にカドリング島の、……ベックスの血縁者を見れたなんて」
「あたしの一族をご存知で?」
「噂だけだがね」
「はあ」
「テリー、そろそろ行こう。ぐずぐずしてたら暗くなる」
「ええ」
あたしはばばさまにあいさつした。
「さようなら」
「ああ、さようなら」
「じゃあね、ばばさま!」
「ああ。元気でな。ジャンヌ」
ジャンヌがふり返った。
「よし、行こう!」
「よいしょ」
ルビィがあたしとジャンヌを腕に抱えた。
(うん?)
「ん?」
とつぜん、とんでもなくすさまじい風が吹いた。
(ひえっ!)
「うわっ!」
あたしとジャンヌがまばたきした。そして、きょとんとした。目をあけると、そこはばばさまのいた場所ではなく、キッドさまがいらっしゃる空き家の前だった。
(……え……?)
「おい、連れてきたぞ」
(え? え?)
ジャンヌを見る。ジャンヌの前髪が風に飛ばされたようにぐしゃぐしゃだった。あたしのかわいい前髪もぐしゃぐしゃだ。
ルビィがあたしとジャンヌを抱えながら、ドアを蹴った。
「おら!」
ドアがこわれた。
「連れてきたぞ!」
ティータイムを過ごしていたであろうメニーと金髪女とキッドさまがルビィを見て、……キッドさまがため息を吐いた。
「お前、ドア壊すなよ」
「うるせーな。直せばいいんだろ? 直せば」
ルビィがぱっと手を離した。あたしとジャンヌが地面に落とされる。
「きゃっ!」
「いだっ!!」
「いたぁーい……」
あたしとジャンヌが地面でもたもたしていると、ルビィに襟を掴まれて、無理矢理立たされた。
「きゃあ!」
「おっと!」
「もうなんなのよ!」
「ルビィ」
キッドさまが言うと、ルビィが鼻を鳴らしてあたしたちから手を離して、ドアを直し始めた。
(やだもう。あの子、いかついし、怖いし、目が赤いし、いっぱいピアスしてるし、義手だし、きらい!)
「ごめんね。テリー」
キッドさまがあたしの前に歩み寄り、――だきしめてきた。
「会いたかったよ」
(きゃあああああああ♡♡ あまーーーーい♡♡ あたし、とけちゃううううううう♡♡)
はっ! いけないいけない! いくら超タイプの方だからって、愛人なんてつくる王子さまはろくなものじゃないわ! あたし、わかってるんだから!
「やあ。ジャンヌ」
「こんにちは。王子さま」
「メニーからきいた話、詳しくきかせてくれるかい?」
「ええ。もちろんです」
ジャンヌとキッドさまが向かい合わせに座り、金髪女がお茶をジャンヌに出した。
「この村は、以前から様々な問題が起きてます。最初は……作物が育たなくなりました。水も、土もきちんとしているのに。それから、村の人たちの体調が崩れ始めて……、結局、色々あって解決はしたのですが、それからしばらくして、白いオオカミが出るようになりました」
この村には、むかしから言い伝えがあります。
「白いオオカミはこの土地に災いをもたらす。白いオオカミには注意しろと」
そのとおり。白いオオカミが出てから、村は変わった。
「一番の問題は、人が死ぬようになりました。すべて共通して言えるのは、全員オオカミに食べられたような姿で死んでいるということ」
「それから、人の服を着たオオカミが村をうろついてます」
「最後に夜。今までも外はあぶなかった。だけど、最近はもっとひどい。村に下りてくるオオカミが凶暴になってる気がします」
ジャンヌが言うとキッドさまがふむ、とうなずいた。
「つまり、あなたは」
「村に人狼が紛れ込んでると思っています。おそらく、白いオオカミの仲間ではないかと」
「服を着ているオオカミを見かけたというけれど、それは白いオオカミ?」
「いいえ。それは黒い毛のオオカミです」
「興味深い話だな」
「冗談だと思われているでしょうが、キッド殿下、ここの村はなにかが起きているように感じます。あなたがたの命も危ない可能性だってある」
「なるほど。調べてみる価値はありそうですね」
キッドさまが紅茶をのんだ。
「オオカミはどういうときに見ますか?」
「前兆はありません」
「突拍子もなく?」
「ええ。それで急いでアトリの鐘を鳴らすんです。騒げばだれもおそわれない」
「なるほど。でも」
「だれも見ていない人狼は存在しないことになり、わたしは村のうそつき女」
「……」
「キッド殿下、これはほんとうの話です。村のみんなはだれも信じてくれません」
「……わかりました」
キッドさまがうなずいた。
「このことはだれにも言わないように」
「……言ったところでだれも信じません」
「星祭は明後日でしたね。それまでにこちらで出来る限りの調査をしましょう」
キッドさまの目玉が動いた。
「ソフィア」
「伝言ですね。御意」
「ルビィ」
「見張りだろ。御意」
「ジャンヌ、あなたはできるだけ普段通りの生活をしてください。もしもまたオオカミを見かけたら……」
キッドさまが外へと指をさした。
「アトリの鐘をまた鳴らしてください」
「わかりました」
「ご安心を」
キッドさまがジャンヌにほほえんだ。
「あなたの話はうそではない。ですね?」
「……ええ」
ジャンヌが真剣な顔でうなずいた。
「真実です」
「本日は外出禁止だと伺いました。気を付けて帰るように」
「ありがとうございます」
「ルビィ、送ってやれ」
「人遣い荒くない?」
壊す前よりも完璧になったドアの前で、ルビィがキッドさまをにらんだ。
「見張りのついでだ。行ってこい」
「へえへえ。わかりましたよー」
ルビィがだるそうにジャンヌを持ち上げたと思ったら、その一瞬でルビィとジャンヌが消えた。ぎょっとしてあたしの二つの髪の毛が上に飛び上がった。
「消えた!?」
「ソフィア、至急リオンに伝えてこい。無線機や電話だと人狼にきかれる可能性がある」
「御意」
「……信じてるんですか?」
あたしがきくと、キッドさまはぱちぱちとまばたきさせて、うなずいた。
「あぶないから夜は出歩かないようにね。テリー」
「でもキッドさま、人狼なんて本のなかの話ですわ!」
「ああ。そうだな。たとえ巨大な岩でふさがれて村に閉じ込められた状態とは言え、おれもここに」
青い目があたしを見た。
「テリーがいなければ信じてなかったよ」
「……?」
「なるほど人狼か。……こんな遠くの村まで手が届いてるなんて」
「急いだほうがよさそうですね」
金髪の女が銃の入ったベルトを着けて、ジャケットを羽織って、……あたしとメニーを見た。
「送っていく?」
「……メニー」
あたしはメニーにふり返った。
「先に教会にもどってて」
「え?」
「ちょっとキッドさまにお話があるの」
「奇遇だな」
キッドさまがあたしにほほえんだ。
「おれもテリーとの時間を過ごしたいと思ってたんだ」
「キッド殿下」
金髪女がキッドさまに近づいたのを、あたしは見逃さなかった。
(あ!!)
キッドさまの手に女が手を重ねてる!!
(やっぱり、愛人なんだわ!! ガーン! ショック! 疑いが確信に変わったわ! キッドさまはやっぱり浮気性なんだわ! 女であればだれでもいいのよ! 最低!)
「テリーに手を出したらわかってますね?」
「ソフィア、おれたちは恋人同士で、婚約者同士だ。なにがあっても、もちろん責任は取るつもりだよ」
「記憶障害のテリーはなんだかいつも以上にふわふわしています。あなたのたわごともほいほい従ってしまいそうなくらいに」
「なにが言いたい?」
「テリーを泣かせるようなことをしたら殺します」
「はーあ! おれの部下はほんっとかわいげがない! メニーくらいかわいげがあったらよかったんだけどなー!」
(えっ!? メニーのことも狙ってるの!?)
知れば知るほど、キッドさまがとんでもない男に見えてならない。
(あたし、やっぱりこんな人と結婚なんてできないわ! ……おそろしい人!)
「メニー、テリーはキッド殿下が送るみたいだから」
「……はい」
「殿下」
金髪女がほほえんだ。
「わかってますね?」
「早く行けよ」
(……この会話は……まさか……)
帰ったらわたしとの時間ですよ。
わかってるよ。ほら、早くいけよ。
(ぎゃああああああああああああああああ!!)
あたしの頭のなかで、審判が行われた。
(キッドさまと結婚したら、ろくなことが起きない!)
愛人とてんびんにかけられるんだわ! いびつな愛だわ! いーーーーやーーーーー!!
「キッドさん、失礼します」
「じゃあね。メニー」
ドアが閉まった。あたしは拳をにぎる。
「さて、テリー」
あたしはふり返った。
「話ってなに?」
「婚約解消してください!!」
……。
キッドさまが重たいため息をはいた。
「二度ときくことはないと思ったのに、ふりだしにもどったな」
――記憶がなくなってもそれを言うか。
「テリー」
「あたし! 愛人を取るような殿方とは結婚できません!」
「は?」
「確かに、男の人は女の人より性欲があって、キッドさまの場合、子を残さないといけないから、妻を取るのは理解が出来ます」
だけど、……だけど!
「あたしは、一つだけの愛がほしいんです!」
あたしだけを愛してくれる人がいいんです!
「だから、あなたとは結婚できません!」
「ねえ、テリー、愛人ってだれのこと?」
「この期におよんで、しらばっくれる気ですか!? あの、金髪の方に決まってるじゃないですか! 女をなめないでください!」
「んー……」
「あたし、浮気性な殿方は……いやです!!」
「同感。おれも浮気性な相手はいやでね」
「ご、ご自身の行動のことを、あたしは言ってるんです!」
「テリー、ちょっとここに座って」
「え!?」
キッドさまがひざをぽんぽん叩いたのを見て、あたしは絶望した。
「地面に座れと!?」
「なんでそうなるかな?」
「だって、その行動は! ドS王子さまの誘惑~甘くて意地悪な調教~で読んだ、膝の上に顎を乗せておれを見あげろ、っていう命令の動作!」
「ねえ、テリー、そんないけない本いつ読んだの?」
「レディに命令するような殿方とは結婚できません!」
「命令じゃないよ。愛してる君にお願いしてるんだ」
「愛し……!」
キッドさまの口から出た単語に、あたしの体中の体温が急上昇して、まるで茹でダコのようになり、あたしは震える手で口を押さえた。
「あ、あい、あい……」
「愛しい人、おれのひざの上に乗ってくれないかな?」
キッドさまがぱちんとウインクした。
「お願い」
「はああああああい♡♡」
ああああああ! あたしったらだめええ! イケメンにウインクされてお願いされるのが妄想した理想のシチュエーションだったからって、こんなのらめえええええ! ああああ! 足が勝手に動いていくぅーーー♡♡
……あたしはキッドさまのひざの上に横向きで座った。
「……」
……距離が近い。
(……断って、向かいの椅子に座ればよかった……)
「ああ、テリーだ」
キッドさまがあたしの肩に額をこすりつけた。
「テリーのにおいがする」
「えっ!?」
あたしは慌てて後ろにさがった。
「においますか!?」
「テリー、落ちるよ」
「大変! 一回着替えてくるんだった! 気づかず失礼いたしました!」
「ううん。むしろこっちのほうがいい」
キッドさまの手に力が入って、また抱き寄せられる。
「っ!」
「テリーの匂い、好きなんだ」
(え!?)
「風呂上りよりも、風呂に入る前のテリーの匂いが好きでね」
一番テリーの匂いがするときだから。
(……それってつまり、くさいってことじゃ……)
「良い匂い」
キッドさまがあたしの首に鼻を寄せた。
「好きだよ。テリー」
……ど、どうしよう……。
(胸がはちきれそう!!)
心臓がどーーーーんって飛びだしてきそう!
(はずかしい! どきどきする! 緊張してうまく呼吸ができない! なにこれ! こんなに殿方と急接近したことないから、あたしわかんない! だ、大体、嫁入り前にこんなに密着するなんて、はれんちだわ! あたし、今すごくはしたない! ……だからって相手は第一王子さまで……やめてくださいとは言えないし……え、どうしよう……あたし、どうしたらいいの……?)
キッドさまがあたしの顔を覗いてきた。
「……ね、テリー」
「っ」
「おれ、浮気してないよ」
「……でも、……じゃあ……あの人は……?」
「かわいいやつだな。心配だったのか? ソフィアはただの部下だよ」
「……でも、一緒に、この、家に……」
「ソフィアはおれの左腕みたいなものだからな。いてもらないと困るんだ」
「……」
「テリー、不安にさせてごめん」
キッドさまがまゆを下げた。
「おれにはテリーだけだよ」
「っ!」
――こんな妄想をしたことがある。
自分に自信がないあたしとイケメンの殿方が恋をするの。二人は恋人になるんだけど、イケメンの殿方はいつも女の子にかこまれていて、あたしは嫉妬だらけなの。そんなときに、イケメンの殿方がこう言うの。
「かわいいやつだな。心配だったのか? ……おれにはテリーだけだよ」
(妄想どおりーーーーーー!!)
あたしはキッドさまの肩に顔をうずめて表情を見せないようにした。
(相手はリオンさまのお兄さまだけど、声が理想的すぎる!!)
もう結婚しちゃう!?
(それはだめ!!)
結婚って、すごく大事なものなのよ!
(あたしたちは、もっとお互いを知るべきだわ! ああ、自然と鼻息が荒くなっていくぅ!)
「……あの」
「ん?」
「きいてもいいですか?」
首をかしげると、キッドさまがふっと笑って、人さし指であたしの頬をなでた。
「なにかな?」
「……あたしたち、どこまでしたんですか?」
「どこまで?」
「こ、恋人なら……その……デートをしたり……手をつないだり……キ、キスしたり、……する、から……」
「……どこまでだと思う?」
「えっ」
きき返されると思ってなくて、あたしの挙動がおかしくなる。
「え、えっと……」
「手はつないだろう?」
あたしとキッドさまの手がつながった。
「あっ」
「ここにキスもした」
キッドさまがあたしの頬にキスをした。
「きゃっ!」
「そう。それと」
キッドさまの顔が近づいた。
「ここにも」
「ひゃっ」
「ちゅ」
「あっ、あの、キッドさま!」
「だまって」
「あ、だ、だめ……」
「テリー」
「あっ」
「ちゅ」
「ひゃっ」
「……かわいい」
耳元で囁かれる。
「力抜いて」
(無理です!!!!!)
どうやらあたしの心臓が有酸素運動をはじめたようだ。ばくばく鳴り出して、おさまらない。
(あ! まずい! 変な汗が出てきた!)
キッドさまの唇が首にふれてきた。
「きゃっ!」
首をすくませて声をあげると、キッドさまがおかしそうにくつくつ笑って、あたしをだきしめた。
「ちょっといじめすぎたかな?」
「……」
「ごめんね。怒ってる?」
「……は」
「ん?」
「……恥ずかしくて……」
あたしはキッドさまの肩に顔を埋めて、縮こまってかくれる。
「……キス……されたこと……ないから……」
恥ずかしくて恥ずかしくて、体が震える。
「あまり……見ないでください……」
「……きけないお願いだな」
(……え……?)
キッドさまがあたしを腕に抱いたまま平然と立ち上がった。
(え……?)
あたしをソファーに置いた。
(え? え? え?)
上からキッドさまが覆いかぶさってきた。
(えっ、えっ! えっ!!?)
「キ、キ、キ、キッドさま!?」
「くくっ、そそられるね」
「ご、ご冗談はおやめください!」
「冗談?」
あたしはピタッと固まった。だって、キッドさまが――真剣な目をされていたから。
「おれはお前との関係を冗談だなんて、思ったことはない」
(……あっ……)
キッドさまがご自分のシャツの第二ボタンを外された。
「あ、あの……」
「じっとして」
キッドさまがあたしを上からやさしくだきしめた。途端に、あたしの心臓が飛び上がる。
(あっ、だ、だめ……!)
「力抜いて」
「だ、だめです……。こんな……」
「……テリー、……こわくないから」
「あ、あたし……」
「大丈夫」
キッドさまがあたしの耳に囁いた。
「やさしくするから」
手が伸びる。
(あっ)
あたしのシャツの上で、キッドさまの手が動いた。体のラインをなぞるように手を這わせていく。
(く、くすぐったい……!)
「……んっ……!」
「テリー」
「き、キッドさま、よ、嫁入り前ですので、あ、あたし……!」
「かわいいな。テリー。そんなに声を震わせて……」
「だ、だって……」
「だって……なに?」
「そんなふうに……さわるから……」
「……」
「お、お願いです……」
あたしは震えながら懇願した。
「あたし……はずかしくて……」
だって、経験がないから、
「……えっちな……ことは……いやです……」
キッドさまがつばを飲んだ。
「じゃあ」
顔が近づいてきて、
「キスは?」
「き、キスは……」
「何度もしてるよ?」
キッドさまがほほえむ。
「くちびるに」
「あっ……」
「目、とじて」
(や、だめ……!)
あたしは手を動かそうとすると、キッドさまに押さえられていたことに気づいた。
(あっ、うそ……)
キッドさまが近づく。
――キス、しちゃう……。
(リオンさまじゃない人に……キス、されちゃう……!)
……でも……どうしてかしら……。
(……悪い気が……しない……)
心臓がドキドキする。
(……あたし……この人なら……いいかも……)
くちびるが、近づく――。
「キッドー、ポーチ忘れたんだけど、どっかになかっ……」
ドアを開けたルビィが固まった。
あたしは顔を真っ赤にさせて硬直した。
キッドさまがにっこりと笑って言った。
「ルビィ、ドアはノックしろって言ってるだろ」
「きゃあああああああああああああああああ!!」
「てめええええええええええ!! テリーになにしてやがる! ゴルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
見られた! キスしようとしてるところ見られた!
(もうお嫁に行けない!)
キッドさまがむくりと起き上がり、ボタンをしめた。
「お前見張りは?」
「うるせえ! お前ら二人でなにやってたんだよ!!」
「なにって……。……。……。……くくっ。なんだろうね?」
「テリー! 目を覚ませ!!」
ルビィが目を大きく見開き、あたしの肩をつかみ、ぐわんぐわんと揺らした。
「このキッドってやつはな! とんでもない女たらしで! とんでもない詐欺師で! 人をだましたっておちょくったって罪悪感もなにも感じない、ほんとうにろくでもないやつなんだ!」
「お前上司になんてこと言うんだ」
「やっぱりそうよね!!!!!!!」
あたしはすたこらさっさと走り出し、ルビィの背中にかくれて、ちらっとキッドさまを見た。
「あたし、人をだます人とは結婚できません! 婚約解消してください!」
「リトルルビィ!!」
「うそは言ってねえ!」
「はあーーーー! なんで邪魔するかなーーーー! おれは婚約者とただ愛のあるキスをしようとしただけなのにさーーー!」
「ふっざけんな! 記憶がないことをいいことにあんなことやこんなことしようとしてたんじゃねえのかよ!」
「ぴぇ!」
「変な妄想はやめてくれるかな。さ、テリー、おいで」
「ぴぃ!」
「いーーや! 妄想じゃないね! ぜったい妄想じゃないね! お前の考えなんてお見通しなんだよ! この、虚言妄想すけべ王子!!」
「ルビィ!」
ルビィがあたしを腕に抱えた。
(わっ)
ぶわっと強い風が吹き、あたしは呼吸が出来なくなる。
(はぶっ!)
しかし風がやみ、目をあけると、そこは教会の前だった。
「……」
「しばらくあいつに近づかない方がいいよ」
さっきとは打って変わって、ルビィがあたしをそっと地面に下ろした。
「キッドはああいうやつだから、気を付けろ」
「……ありがとう」
「……」
お礼を言うと、ルビィがあたしを見下ろした。
「もう会話してくれるの?」
「……あなた、あたしの知り合いだったのよね」
「ん」
「メニーからきいたわ。……メニーの親友だって」
「ん」
「……どうしてリトルルビィって呼ばれてるの?」
「……」
「みんな、あなたをリトルルビィって呼んでるわ」
「……むかし」
ルビィが手を低めに下ろした。
「身長がこれくらいだったんだよ」
「……」
「成長期で大きくなったけど、……小さいからリトルルビィって呼ばれてた」
「……ふーん」
あたしは見下ろした。
「これくらいだったの?」
「ん」
「ふーん」
この目がぎらぎらしてる女の子が、これくらい小さかったことを想像したら、なんだか笑えてきて、あたしは吹きだした。
「うふふ! かわいいわね!」
「っ」
ルビィが息をのんだ。
「ねえ、あたしもリトルルビィっていい?」
「……いや、ダセーから」
「いい?」
「……」
「……だめ?」
「……。……。……」
「……だめ……?」
「……好きにすれば?」
「っ、じゃあ! 呼ぶわね!」
あたしは笑顔で言った。
「リトルルビィ!」
「……おう」
リトルルビィがあたしの頭に手を乗せた。
「夜、外出ないように」
「あなたもよ。大きく見えて、あたしより年下なんでしょう?」
「……」
「夜出歩いちゃだめよ。気を付けてね!」
「……ん」
リトルルビィがあたしの頭をなでた。
「わかった」
リトルルビィがあたしの頭をなでつづける。
(なんだ。話してみると意外とこわい人じゃないじゃない!)
……。
(で、この子、いつまであたしをなでてるの?)
リトルルビィはそれから、しばらく無言であたしの頭をなでつづけた。
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