第15話 踊り子の憂鬱
「ふん。パパも村のみんなもおかしいよ。だれも見てないなんて。でもね、わたしは見たんだよ。見たから鐘を鳴らして警告してるんだ。なのに次振り返ったときにはだれもいない。わたしは嘘つき扱い。ふん。もう勝手にしたらいいのよ」
ジャンヌが文句を言いながらランチのおかゆを味わった。
「二人もわたしが嘘つきだと思う?」
あたしとメニーが目を合わせた。すぐにメニーがジャンヌを見た。
「ドレスを着たオオカミを見たんですか?」
「ドレスだけじゃないよ」
ジャンヌがおかゆをほおばった。
「パジャマやネグリジェを着たオオカミも見たことある。何度もね」
「……そのオオカミはお昼寝でもする予定だったのかしら」
「テリー。わたしが冗談で言ってると思ってる?」
「言っただけじゃない」
「二人も見たら良いんだよ。そしたらわたしの言ってることを信じるから。村の人がまるでオオカミになってるみたい。いや、わたしはこう考えてる」
ジャンヌがミルクを飲んだ。
「人狼がこの村に紛れ込んでるってね」
「人狼?」
「オオカミ人間」
「ジャンヌったら」
あたしはくすっと笑った。
「オオカミ人間なんて、本のなかでの話よ」
「テリー、それはわたしの言うオオカミを見てから言いな」
「あなた、正気?」
「正気か狂ってるかってきかれたら、わたしはこう答えるだろうね。どうかみなさま、不幸なわたくしめのお話をきいてやってください。わたしはだれよりも正気だってね」
「人間はだれだって自分のことを正気だと思ってるわ。だから戦争なんて起きるんだって、本に書いてあった」
「テリー、わたしを疑ってる?」
「だって、あたしたちは村に来たばかりで、あなたのこともろくに知らないわ」
「そうだよ。今は村に客人がいる。あんたたちに、王族。ねえ、王族を怖がらせていいことがある? わたしが、みんなのおどろいた顔を見たがってる子供に見える?」
「少なくとも、あたしたちよりは年上に見えるわ」
「そうよ。わたしはあんたたちよりも大人の女。いたずらは卒業したの。わたしは真実しか言わない。人狼がこの村にいる。いつ、どこで、だれの肉を食べたがってるかわかりゃしない」
だからひと目見たら大声で叫ぶのよ。オオカミが出たぞーってね。
「でも、そのオオカミはわたししか見てない。村のだれも見てないって言うんだよ。おかしいじゃない。わたししか見えない人狼なんて」
ジャンヌがため息を吐いた。
「ぜんぶ白いオオカミのせいよ。あいつが現れてから、村の様子がおかしくなった」
「白いオオカミならあたしも会ったわ」
西の魔女の城で会ったけど、死んだふりをしたらどこかに行った白いオオカミ。メニーがおかゆをのんで、つぶやいた。
「……白いオオカミ……?」
「わたしは人狼を見つけ出したいんだよ。だって、前夜祭は明後日だ。普段は、夜になったら絶対に外に出ちゃいけないけど、星祭の日だけは、オオカミは現れないって言われてるの。女神アメリアヌさまが守ってくださってるからだって。100年に一度の祭りだけど、代々そうして行われてきた。星祭の日だけは、夜に出てもおそわれない。でも、今回はちがう。人狼が村の人を狙ってる。テリー、メニー、二人だって狙われてるかもしれないよ? 星祭は前夜祭から村の人全員が外に出て、平和を祈る。そこへ人狼が現れてだれかが被害にあったら?」
ジャンヌがするどいまなざしで言った。
「わたしはこの村を守りたいだけ。なのに、……だれも信じてくれない」
(ジャンヌは、……病気なのかもしれないわね……)
あたしは心からそう思った。だって、だれも見てないんでしょ?
ジャンヌにしか人狼は見えない。そもそも、人狼なんていない。人狼はいわば、おとぎ話の登場人物よ。
(重症だわ……。妄想に囚われてる心の病? いやだわ。村長の娘だから仲良くしてたけど、あまり関わらないほうがいいかも……)
「……ジャンヌさん」
メニーがジャンヌにほほえんだ。
「その話、キッドさんにお伝えしてもいいですか?」
「え? 王子さまに?」
「力になってくれると思います」
「なに? キッドさまにカウンセリングでもさせようっての? 言っておくけど、わたしは正気よ」
「キッドさんは話のわかる人です。もしかしたら……」
メニーが部屋の窓を見た。
「村の入り口を塞いでる、巨大な岩のことも、なにかわかるかも」
「メニー、あれはただの土砂崩れのまきぞい。この村ではよくあるんだよ」
「普通の岩なら」
メニーがぼそりとつぶやいた。
「リトルルビィがすでに壊してる」
「え?」
「なんでもないよ。お姉ちゃん」
メニーが顔を上げて、ジャンヌに言った
「ジャンヌさん、今の話、わたしは信じます」
「……メニー」
「大丈夫です。被害者はだれも出しません」
「……ありがとう。信じてくれて」
ジャンヌが弱々しくほほえんだ。一方、あたしはまゆをひそめてメニーを見る。
(……メニーはなに言ってるの?)
もしかして、そうやってジャンヌを安心させるっていう作戦?
(っ! そういうことね! それならあたしも賛成!)
「ジャンヌ! あたしも信じるわ!」
「テリー……!」
「人狼なんて、危険だわ。ね。メニー!」
あたしはおかゆを平らげた。
「あたしたちが村を守りましょう!」
「……っ、ありがとう。二人とも……!」
ジャンヌがうれしそうに両手をにぎりしめた。
「ああ。そうだね。わたしたちで人狼を見つけて、村を守ろう!」
(なんだか子供にもどった気分だわ)
なつかしいわね。……この世界ではどうなのかしら。
『トラブルバスターズ』は結成されたのかしら。
(……まあ、否定しなければジャンヌもなにもしてこないだろうし、味方のふりしてよう。岩だってすぐに除去できるわ。そうすれば、いつでもこの村から出れる)
「二人とも、くれぐれも村の人に注意して。だれが人狼かわからない。もし見つけたら、なんとかしようとせず、どこかに逃げるか、アトリの鐘を鳴らすんだ。いいね?」
「はい」
「あとはキッドさまが信じてくれるといいけど。はあ。わたしは明日になるまでここから出れそうにないし」
「……舞の練習って言ってましたけど」
メニーがミルクを飲んだ。
「踊られるんですか」
「前夜祭にね。……前夜祭はなにするかきいてる?」
あたしとメニーが一瞬顔を見合わせ、ジャンヌに首を振った。
「ちょっとまってて」
ジャンヌが急に立ち上がり、棚から大きめの絵本を取り出した。
「これを見たほうが早い」
ジャンヌが食器をどかし、絵本を置いて、開いた。そこには、美しい夜空と、女神アメリアヌと、村が描かれていた。
「アトリの村がまだ国だった頃、この地は西の国と呼ばれ、ウィンキー族が住んでいた。ウィンキー族は平和に暮らしていたけど、ある日突然、西の魔女がやってきて、国を支配し、ウィンキー族を奴隷にした」
次のページ。
「そこへやってきたのが女神アメリアヌさま。不思議な力で西の魔女を倒して、西の国には平和が訪れた。だけど、問題が一つ。国には王さまがいなかった。ウィンキー族は長らく奴隷生活だったため、自分たちをまとめてくれる人を求めた。そこへやってきたのが、アクア王」
次のページ。
「アクア王は、誰よりも心優しき王さまだった。ただ唯一、女癖が悪かったけど、それ以外はとても優しい人だったとか。彼がこの国を国ではなく村とした。この地の権利を、平和を願って、国の初代国王キングさまにお渡ししたんだ。キングさまとアクア王は親友だったそうでね」
次のページ。
「西の魔女を倒した日にとてもきれいな夜空が現れた。毎年起きると思いきや、じつはそれが100年に一度だけであることを、魔法使いからきいたアクア王はこう決めた。ならばその日は平和を願う星祭を開催しよう。次の祭りは100年後だ」
次のページ。
「アクア王の意思は100年後に引き継がれた。人々は平和を願って、美しい夜空を見ながら平和である時代に感謝をした。星祭は、西の魔女が女神アメリアヌさまに倒された日。ならばその前夜は、女神アメリアヌさまが西の国に向かって踊っていた日であると」
次のページ。
「こうして、星祭でのルールができた。前夜には女神アメリアヌ役の踊り子を使って星の舞を披露し、平和を願おう。星祭当日は、夜空の下で、全員で踊り、歌い、平和に感謝しようと」
絵本が終わった。
「つまり、わたしが今年の踊り子というわけ!」
(お腹いっぱいになったら眠くなってきた……)
「なるほど。その舞の練習をするよう言われてたんですね」
「多数決で決めたんだけど、不思議なことに満場一致でわたしが指名されたらしい。でもね、これがつらいことに、わたし、踊りなんてこの方やったことなくてさ。村の娘たちみんなそうだよ。わたしに票が入ってみんな表では悔しい顔してるけど安心してるのさ。ふん。なにが完璧になるまで部屋から出さない、よ。難しいんだからね! あの踊り!!」
ジャンヌがテーブルを叩いた。あたしはうとうとしていて気にならない。
「音楽にのって好き勝手踊るならまだしも。メニーは踊ったことある?」
「はい。踊りは貴族のたしなみだって、お姉ちゃんから言われてきましたから」
「ってことは、……。……テリー」
あたしはぱちっと目を覚ました。
「あんたも踊れるの?」
「え? 踊り? もちろんよ」
「じゃあ!」
ジャンヌがあたしの手を掴んできた。
「ちょうどいい! 舞の練習、付き合ってくれない!?」
「……」
やばい。話ぜんぜんきいてなかった。
(舞の練習ってなんのこと?)
「メニー、キッドさまへの報告はメニーに任せるよ。ただ、その間、ちょっとでいいんだ。テリーをわたしに貸してくれない? テリーなら年も近いし、ちょうどいいと思うんだ!」
「?」
「そうですね。わたしもお姉ちゃんから踊りを教わったので、大丈夫かと」
「?」
「ただ、……今、お姉ちゃんは記憶障害を起こしてるので、その……」
「テリー、踊れるんでしょ?」
「え? あ、うん」
「ならいい!」
ジャンヌが強くうなずいた。
「藁にもすがる思いなんだよ! 舞のことはばばさましかわからないし! だれにも教えてもらえないし!」
「ばばさま?」
「アトリの村一番のお年寄り。これがまた頑固なクソババアで……」
メニーがきくと、ジャンヌがいまいましそうに舌打ちした。
「せっかく人が踊りを覚えようとがんばれば悪態と文句と悪口ばっかり。ああいうのを老害っていうんだ。自分が人に迷惑かけてること知らないのさ。若いお嬢さんいじめてたのしんでるのさ!」
でもそれも今日でおしまい。
「貴族のテリーがいればなにもこわくない! 踊りを当たり前にやってるお嬢さまなら、教えるのだって簡単でしょ! この村、結構人はいると思うんだけど、ほんとうにみんな知らないんだよ! 知ってるのは農作業か、糸車で糸を紡ぐことだけ!」
ジャンヌが嘆き、あたしに目をかがやかせた。
「わたしの救世主! ぜひ頼むよ! わたし、もうばばさまに叱られるのはいやなんだよ。もう、自分を追い詰めて追い詰めて、おかしくなりそうなんだから!」
(……なるほど。理解できたわ)
ジャンヌは、その舞というものをばばさまという人から叩き込まれてるんだわ。それがストレスで、変な妄想をして、人狼なんてものが見えるようになってしまったんだわ。そう思うと、……あたしはジャンヌに対して恐怖よりも、哀れみの情が浮かび上がってきた。
(……そうよね。最初ってなんでも大変だもんね……。覚えることも多いし……。……気持ちはわかるわ。あたしもだいきらいな家庭教師へのストレスで、一時期チョウチョウとお話ししてたもの)
体を動かせば、ジャンヌの病気も治るわ。テリー、心配いらない。なにも怖くないわ。この人、可哀想な庶民なのよ。ストレスに押しつぶされそうで幻覚を見てる。それだけなのよ。なんて哀れな人。
「お姉ちゃん、ジャンヌさんをお願い」
メニーが立ち上がった。
「わたし、ちょっと行ってくる」
「わかったわ。メニー」
メニーがあたしにジャンヌを任せた。つまり、……ジャンヌの病気は、あたしにしか治せない。そう言いたいのね? あたしは目をきりっとさせた。
「ここは任せて!」
ジャンヌの病気はあたしが治してみせる! だって、あたし、悪役令嬢に転生した聖女だもん!
「行って! メニー!」
「ありがとう。メニー! お願いね!」
「それじゃあ、お姉ちゃん、ジャンヌさん、またあとで」
メニーが駆け足で出ていった。残されたあたしは、その舞を教えるのみ!
「ジャンヌ! あたしはきびしいわよ!」
「頼むよ! テリー!」
罪滅ぼし活動ミッション、ジャンヌの練習に付き合う。
「ああ、味方がいるってほんとうに幸せ! 救われた気分だよ! それで!」
ジャンヌが目を輝かせてきいた。
「なにからすればいい!?」
「そうね!!」
あたしは言おうとして――重要なことを思い出した。
「ああ!」
「どうした!? テリー!」
「ど、どうしよう……!」
あたしは固唾をのんだ。
「ジャンヌ……たいへんだわ……」
「なっ、なんだ、一体、なにが大変だっての!?」
「あ、あたし……」
ためらい、でも言わなきゃいけないと思って、あたしは告白した。
「その舞を見たことないから、教えるにも教えられないわ!」
「そうだったーーーー!」
「ああ! ジャンヌ!」
あたしとジャンヌが絶望にうちひしがれた。
「力になれなくて、ごめんなさい!」
「こうなったら、ばばさまのところにいくしかない!」
「あなた正気!? 行ったら怒られるんでしょ!?」
「だとしても、女は時に行かなきゃいけないときがある!」
たとえそれが、外出禁止だったときだとしても!
「行こう! テリー! ばばさまのところへ!」
「あたしなんかでいいの……!?」
「なに言ってるの! わたしたち、友だちでしょ!」
「友だち! あたし、女の子の友だちなんて、はじめて!! わかった! こうなったらジャンヌのためよ! 一度乗った船だわ! 付き合ってあげてもよくってよ!」
「テリー!」
「ジャンヌ!」
「「ともに行こう! 大丈夫! みんなで行けば、怖くない!」」
ただし赤信号は止まりましょう。という札を持った村人が屋敷の前を通った。
「テリー! 屋敷から抜け出すよ!」
「任せて! ジャンヌ!」
――その10分後、マローラがドアをノックした。
「ジャンヌお嬢さま。大好きなミルクティーをお持ちしましたよ。これですこしはおちついて……」
マローラがドアをあけて、これ以上ない悲鳴をあげた。屋敷内の使用人が集まってくる。
「なんだなんだ!」
「どうしたどうした!」
「てやんでい! てやんでい! 事件の匂いだ! どっこいしょ!」
「おい、今ここにわたしと同じ顔の者が通らなかったか?」
「通った気がする」
「バカ者! そいつが怪盗パストリルだ!」
「な、な、なんだってーーーー!?」
「マローラ、どうしたんだ!?」
「またジャンヌお嬢さまが抜け出したんだよ!」
「「またかーーーーー!」」
使用人たちが絶望に悲鳴をあげて、大事なお嬢さまの捜索の準備をはじめた。
(*'ω'*)
とても長い杖を持った老婆が、静かに切り株の上に座っていた。風が吹く。村の匂いを感じているようだ。ふと、老婆の目がぱっとひらかれ、ため息を吐き、長くなったするどい爪で頭をかき、しわしわの口のひらいた。
「ジャンヌ」
「ぎくっ」
「今日は一人じゃないんだね」
老婆がゆっくりと振り返り、ジャンヌのとなりにいるあたしを見た。
「こいつは変わった髪の色だ」
老婆が独り言をつぶやいた。
「黒と緑が入り混じったような赤い髪。まるで血を見ているようだ。そのくすんだ髪の色は、あまりいい色じゃない。……だけど不思議だね。その気味の悪い赤髪を、魂はとても気に入ってるようだ」
「ジャンヌ。気味の悪いおばあさんがいるわ。ホームレスってやつ? あんまり近づかないほうがいいんじゃない?」
「テリー、ざんねんながらあれがばばさまだよ」
「えー? ほんとうに? あれが?」
「不気味でしょう? ひそひそ一人でなんか喋ってて」
「病気だわ」
「わかりあえる人がいて嬉しいよ。ほんとういかれてる」
「だれが病気だい。失礼な。いかれてるのはあんたたちのほうさ」
「げっ! きこえたの!? 結構遠くにいるのに!」
「ばばさまは地獄耳なんだよ」
「うわ……」
「ほんと引く」
「ジャンヌ、八時間説教じゃ足りないようだね。……それで、その子はだれだい。見かけない顔だね」
気味の悪い老婆があたしを見てきたので、あたしはおずおずと頭を下げた。
「テ、テリーと申します」
「テリー。……呪いの花の名前なんて、ずいぶんなこった」
「……え」
「ばばさま。友だちにひどいこと言わないで」
ジャンヌがあたしの前に出た。
「ほら、土砂崩れに巻き込まれた怪我人だよ。わたしが助けた」
「ああ、あの土砂崩れの巻きぞいかい」
ばばさまがじっとあたしを見てきた。
「なんの用だい?」
「舞の練習にきたんだ」
ジャンヌが堂々と胸を張って言った。
「踊り慣れてるテリーが練習に付き合ってくれるっていうからさ、改めて練習にきてあげたんだ。ばばさま、感謝して」
「はっ! 木製人形みたいな動きは、ちょっとはマシになったのかい?」
「ばばさま、わたしの大雑把さをわかってるでしょ。踊りなんて今までしたことないんだから、白鳥みたいに華麗にーなんて、無理な話だって」
「見てやるよ。踊ってごらん」
「テリーも見てて」
ジャンヌが勢いよく靴を脱ぎ、ベストを脱ぎ、腕まくりをした。そして、その場に立ち、背筋を伸ばし、ポーズを取った。
「ばばさま」
ジャンヌがうなずくと、ばばさまが杖を地面に振り下ろした。杖についてた鈴がちりんと鳴った。それを合図に、ジャンヌがゆっくりと動きはじめた。腕を曲げ、手を伸ばし、足を開いて、バレリーナのようにくるりと回る。また鈴が鳴った。ジャンヌが動きを変える。手が魅惑的な動きをする。腰をひねる。足が動く。鈴が鳴った。ジャンヌの足が地面を蹴った。着地して、くるんと回る。見たことのない舞に、あたしはぼうぜんとする。伸びる足。揺れる髪の毛。美しい指の先までの動き。姿勢。しかし、重力が邪魔をする。ジャンヌがころんだ。
「むぎゃ!!」
「バカが!」
ばばさまが怒鳴った。
「アメリアヌさまは転んだりしないよ! ほら、起きんかい! 最初っからだよ!」
「この動き苦手なのよ」
ジャンヌがしんどそうにため息を吐いた。
「わたし何度も言ってるじゃん。わたしにはぜったい無理だよって」
「お前は半年間なにをしてきたんだね。星祭の前夜祭は、明後日だよ。わかってるね」
「だから困ってるんじゃないのさ!」
「サボってた分が返ってきたと思いな!」
「ねえ、ばばさま、本番その長い杖……」
「アメリアヌさまは杖なんかもたないよ」
「だって無理だって。つま先立ちなんてできないよ。無理だって」
「でもジャンヌ、形はできてるわ」
なるほど。半年間は練習してたのね。
「ジャンヌは体重の向け方が苦手なのね」
「体重だけじゃないよ。足をのばすときだって手をのばすときだって、体の全部に集中しないといけない。わたしみたいながさつな女が集中力持つと思う?」
「ダンスは練習量よ。それと、全部に集中してたらきりがないから、どこかで力を抜いてもいいと思う」
「どこで?」
「舞踏会のダンスもそう教えられるの。力を抜くところは抜いて、殿方にリードしてもらうの。でないと、動きが固くなってしまうから」
「むぐぐ……」
「ジャンヌ、手を貸すわ」
あたしは手を差し出した。
「それと、お尻に力入れて。そしたら転ばないから」
「そればばさまにも言われる……」
「大丈夫よ。はじめて見たけど、……すごくきれいだったもの」
ジャンヌがきょとんとした顔であたしを見てきたので、あたしは笑ってみせた。
「あたしでよければ付き合うわ」
「……ありがとう。テリー」
ジャンヌがあたしの手を握り、立ち上がった。
「転びそうになったら手を掴むよ」
「ええ」
「ばばさま、もう一回お願い」
それからも、ジャンヌは何度か舞の練習をつづけた。しかし、体重がふらつく。悪いときは直接ばばさまの杖でジャンヌの足が叩かれた。こんなにがんばってるのにひどいと思わない? だからジャンヌが妄想に囚われるんだわ。あたしの、友だちのジャンヌが!
(あたし……女の子の友だち……はじめて……)
あたしは初めての女の友だちを、できる限り手助けをする。ふらついたり、倒れそうになればジャンヌがあたしの手をそっと掴んだ。
(ふむふむ。なるほど)
全体の流れは掴めた。なるほどね。踊れと言われたらさすがに無理だけど。
「ジャンヌ、大丈夫よ。あとは体重移動だけだわ」
「一番苦手なんだよなぁ」
「ばあちゃん! ここにいたのか。出かける前に一言言おうと思って……」
そのとき、遠くから若い男の声が聞こえた。男がジャンヌを見て、きょとんとする。
「あれ? ジャンヌ? 外出禁止じゃないのか?」
「抜け出してきたに決まってるでしょ」
「またマローラさんたちに叱られるぞ」
ジャンヌが立ち上がり、あたしにふり向いた。
「テリー、紹介するよ。ばばさまの唯一の孫で」
ジャンヌがにやけた。
「わたしの彼氏」
「はあ」
あたしはその一瞬で男をよく観察して、この人と恋人になってベッドを共にできるか考えたが、無理だと思い、また他人にもどってお辞儀をした。
「はじめまして」
「はじめまして。エンサンだ」
エンサンが笑顔できいてきた。
「君の名前は?」
「テリー・ベックスと申します」
「ああ。君か! キッドさまの婚約者っていうのは!」
「っ」
「田舎だから話の出回りが早いんだよ」
ジャンヌが肩をすくめて、エンサンの前まで歩き、彼のほおにキスをした。
「テリーに舞の練習を付き合ってもらってたの」
「明後日だもんな。大丈夫そうか?」
「大丈夫だったらこんなに苦労してない」
「ふふっ。大丈夫。ジャンヌなら歴代だれよりもキレイに踊れるはずだ」
「だといいけどね」
エンサンがばばさまを見た。
「ばばさま、これから明日の朝まで出かけてくるよ」
「遠出?」
ジャンヌがきくと、エンサンがうなずいた。
「村の男たちでダムの様子を見てくるんだ。最近の土砂崩れで、ダムにヒビが入ったらしい」
「気をつけてね」
「明日の朝までにはもどる。なに、心配はいらないよ」
「オオカミに気をつけな」
ばばさまが忠告した。
「奴ら、最近なにか変だからね」
「ああ。気をつけるよ」
「じゃあね」
「頑張って。ジャンヌ」
エンサンがジャンヌの頬にキスをした。
「明後日、楽しみにしてるよ」
「ん」
「じゃ」
エンサンが荷物を持って道を歩いていく。ジャンヌがさて、と深呼吸し、あたしにふり返って――きょとんとまばたきした。
「ん。どうしたの? テリー」
「いや」
……男と女が顔にキスしあってたから。
「なんでもないの」
「顔赤くない?」
「なんでもないの」
あたしはそらしてた顔をジャンヌにもどした。
「さあ、ジャンヌ、明後日までもう少しよ。がんばりましょう!」
「ああ! やってやるさ! ばばさま!」
ジャンヌの合図に、ばばさまが再び杖で地面を叩いた。ジャンヌが一生懸命練習を続ける。こうしてみると、星祭が気になるわ。どれくらいキレイな夜空なのかしら。
(流れ星が流れてきたらお願いごとができるわ。素敵。あたし、なにを願おうかしら?)
ジャンヌがあたしの手に掴まった。体重を思いきり乗せられ、ぼうっとしていたあたしは押し倒され、ジャンヌといっしょに地面に倒れた。
悲鳴をあげたあたしたちを見て、ばばさまが呆れたように鼻を鳴らした。
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