第7話 ジャンヌと歩く廃墟旅


 この村の村長、イ・ヒョヌはひょんなところで出会ったアウローラ・ウルフデリックと恋に落ちた。アウローラはこの村の住人だったため、ヒョヌは自国を離れ、アウローラとともにこの村へとやってきた。ヒョヌは外国からやってきたこともあり、この国に住むには相当な苦労をともなった。しかし、彼には愛しい妻のアウローラがおり、この村でできるかぎりのことをやってみせた。やさしき人々は彼に協力し、ともに笑い、ともに泣き、ともに喜びあった。そして彼がようやく村の一員として生活になじめた頃、アウローラのお腹に赤ちゃんができたそうだ。


 引きずられながらジャンヌがわめいた。


「人の話をきかないみんななんか大嫌い!!」


 腕を振れば、つかんでいた村人たちは手を放し、ため息を吐いた。目の前のヒョヌは呆れたように頭を押さえた。


「あんまりよ! パパ! わたしは一生懸命村を守ろうとしてるのにその対価が嘘つき呼ばわり! どうしてわたしの不幸な話をきいてくれないの!?」

「ああ、わかったわかった。ならばきこう。ジャンヌ。オオカミなんてどこにいたんだ」

「村を歩いてたんだって! 服を着て、普通の人間と同じようにしてたの!」

「はあ」

「パパ、ねえ、お願い。わたし、普段はちゃらんぽらんだし、仕事もよくサボってる。信頼がないのはわかるよ。でも、今回に関してはほんとうなの。信じてよ」

「わかってるじゃないか。そうだ。わたしはうんざりしているんだ。お前のたわごとはもうたくさんだ。いつもならまだしも、今日は客人がきているのだから、怖がらせないでくれ」

「客人だって? こんなど田舎にお客さんだなんてめずらしい。なーに? となり町の人?」


 ヒョヌがドアをあけた。紅茶を飲んでいたあたしとメニーとピーターがふり向いた。ジャンヌが部屋をのぞき、あたしたちを見て、目を大きくひらいた。


「うわ、やだ。ほんとうにお客さん!」

「これ! ばか! 大声を出すな! ああ、お二人とも、先ほどは怖がらせてしまい、大変失礼いたしました」


 ヒョヌが深々と頭を下げた。


「うしろにおりますのは、娘のジャンヌでございます。これがまたオオカミのように凶暴な娘でして……」

「元気になったんだ! よかった!」


 ジャンヌが笑顔であたしたちの前に立った。


「わたしはジャンヌだよ。長の娘。お嬢さん、覚えてる?」

「はい」


 メニーがこくりとうなずいた。


「助けてくださりありがとうございました」

「なんてことないよ。お姉さんのほうは元気?」


(……長の娘なら口をきいても大丈夫そう)


 あたしはジャンヌに顔を向けた。


「崖から落ちたところを助けてくださったとお伺いしております。どうもありがとう」

「ふふっ。無事ならなにより。ちょうどわたしが見回りに行ってる最中で、二人とも運が良かったね」


 ジャンヌがピーターのとなりに座り、両腕を背もたれに広げ、大きな態度で足を組んだ。


「こんなところへなにをしにきたか知らないけどさ、迎えが来るまでゆっくりしてなよ」

「ジャンヌ! 口のきき方に気をつけなさい! お客さまだぞ! ……えー……」


ヒョヌがあたしたちを見た。


「あの、恐れ入りますが……お名前を……」

「わたしはメニーです。こちらは姉の……」

「テリーと申します」

「よろしくね。メニー、テリー!」


ジャンヌが笑顔を浮かべて、腕を広げてみせた。


「ようこそ。アトリの村へ!」

「お腹はすいておりませんか? よろしければ我が村から取れた作物で作ったおかゆでもいかがでしょうか?」

「ヒョヌさん、少々よろしいでしょうか」

「おや、もちろんだ。なんだね。マルカーン神父」


 ヒョヌを呼んだピーターが立ち上がり、あたしたちに言った。


「すみません。すぐもどります」

「大丈夫だよ。おじさんたちはごゆっくり」


 ジャンヌに言われ、ピーターが苦笑しながらヒョヌと歩き、ふたりとも部屋から出ていった。ジャンヌがあたしたちに笑顔を向ける。


「さて! せっかくまた会えたんだから、不幸以上のたのしい話をしなくっちゃ! その前に、まずは二人と仲良くならなくちゃ!」


 ジャンヌがピーターの分の紅茶を飲んだ。うわ。きたない。ジャンヌがティーカップを置き、あたしたちを見た。


「もう村は回った?」

「えっと」


黙るあたしの横でメニーが答えた。


「少しだけ」

「二人はいつ帰るの?」

「土砂崩れもあり、土がぬかるんでいるので、今日中に迎えが来てくださるそうです」

「ああ、よくあるんだよ。ここ、山が多いからさ。雨が続く日はとくにね」


 あたしはビスケットをつまんだ。……うん。悪くない……気がする……。あたしはもう一枚つまんだ。ジャンヌとメニーの会話はつづく。


「じゃあ、ダムも見てない?」

「ダム?」

「村の近くにすごく巨大なダムがあって、水中に沈んだ村の一部があるんだ。帰る前に見ていくことをすすめるよ」

「はあ」

「それと」


 ジャンヌがきいた。


「魔女の城は?」


 ……その名前に、あたしは顔を上げた。メニーもきょとんとまばたきをする。


「魔女の城?」

「おっと、こりゃいけない」


 ジャンヌがにやりとした。


「興味があれば、どうぞ、わたくしのくだらないお話をひとつ、きいてやってはいただけませんか? アトリの村一番の名物、忘らるる森の奥にひそりとそびえたつおそろしき古びた廃城。西の魔女の城を見ないで帰るなんて、そりゃもったいないってもんさ」

「それ、なんですの?」


 あたしがようやく口をひらいてきくと、ジャンヌがうれしそうに笑い、丁寧に説明をはじめる。


「この村の話を知ってる? むかし、とんでもない意地悪であくどい魔女に支配されていたって。その魔女の住んでた城が、もう何百年も経ってるのに崩れることもなく今も建ってる。まるで魔法でもかけられてるんじゃないかと思うほど、むかしからそのすがたを変えない」

「建て直しは?」

「一度だってしてないよ。ねえ、二人とも、せっかく来たんだ。よければ案内するよ。ダムも近くにあって、両方見ることができる。今からそんなに遅くはならないさ。見に行かない?」

「おもしろそう」


 あたしは笑いながら紅茶をすすった。


「メニー、あたし行ってみたいわ」

「……あぶないよ」

「なにが?」

「この村にはオオカミがいるみたいだから、外に出るのはあぶないと思うよ」

「ああ、そこは心配ない。ガイドがついてる」


 ジャンヌが誇らしげに胸に手を当てた。


「どうする? 迎えが来るなら、今行かないと一生見れないかもしれないよ」

「舞踏会での話題にできるわ。メニー、行ってみましょう」

「でも」

「どうせこんなよごれた服装してるんだもの。すこしくらいよごしたって叱られやしないわ」


 ママがいなくてよかったわ。あたしはにっこり笑ってジャンヌを見る。


「ジャンヌ、連れて行ってくれないかしら。思い出にぜひ見てみたいわ」

「うふふ! そうこなくっちゃ!」

「お姉ちゃん」

「メニー、ママとアメリにはナイショね」

「……もう」

「パパ!」


 ジャンヌがドアをあけ、大声を出すと、ヒョヌがおどろいて肩をゆらした。ピーターがそれを見て、苦笑する。


「二人に村を案内してくる!」

「大声を出すんじゃない! お前、大事なお客さまに失礼なことをするんじゃないぞ!」

「はいはい!」


 ジャンヌがあたしとメニーの手を取った。


「さあ、行こう!」


(最高のおみやげ話だわ)


 こんな田舎に訪問する貴族令嬢なんてなかなかいないわ。魔女の城を見たなんて話をしたら、きっと普段眠そうにしているリオンさまだって、興味を持ってくれるにちがいない。


 ――西の魔女の城の話をしてくれてありがとう。君の話、もっとききたいな……。


(ぐふふふ!)


 あたしがにやける一方で、ジャンヌが銃弾と銃を持ったのを見たメニーが、ほんのすこし不安そうな顔をした。



(*'ω'*)



 三人で森のなかを歩く。伸び切った雑草に、手入れがされずすくすくと太陽に向かって背伸びしつづける巨木が立ち並び、あたしたちははぐれないように並んで一本道を進んだ。


 しばらく歩くと小川があって、石で作られたおんぼろな橋が建っていた。あたしはそれを見て、崩れないか心配になったけれど、ジャンヌが平気そうにしているから、きっと大丈夫なんだわと思って、気にせず歩くことにした。橋を渡りながら、ジャンヌが指をさした。


「あっちがわ、もっと奥に行くと、さっき言ったダムがあるんだ。水のなかをのぞけば、まぼろしの村の残像」

「ダムができる前は人が住んでたんですか?」


 メニーがきくと、ジャンヌがうなずいた。


「うん。パパがまだこの国に来たばっかりのとき。ダムが建築されて住めなくなった村の住人が、アトリの村に引っ越してきたって」


 ジャンヌが橋を渡りきった。水が流れる音が聞こえる。


「当時は、もしかしたらアトリの村も沈まされるんじゃないかって話が出てて、相当大きなダム反対運動も計画されてたってきいたことある。まあ、今はおちついて平和だけどね」


 メニーが橋を渡りきり、あたしも渡りきった。


 野生のうさぎが興味深そうにあたしたちを見ていた。木の穴に住んでるリスたちもつぶらなひとみであたしたちを見下ろしてくる。


(リスだわ)


 あたしの口角が上に上がっていく。


(かわいい)


 都会ではなかなか見ないから、こうして見れるのがふしぎに感じるわ。まるでリスとうさぎのペットショップにいるみたい。

 あたしはうろうろと周りをみて、ふと、となりの木を見た。


「っ、やだ!」


 あわててメニーにとびつくと、メニーがおどろいて肩を揺らした。


「わっ!」

「虫! 虫がいるわ!」

「……。森だからね」

「ジャンヌ、魔女の城はまだなの?」

「影ならもう見えてるよ」

「影? 山しかないじゃない」

「ほら、そこ」


 ジャンヌが指をさした。その方向をあたしとメニーが見あげる。やっぱり山しか見えない。


(……え?)


 いや、目を凝らしてみると、きちんとそこに建っている。


(……お城だわ)


 コケや草がまとわりついた山だと思っていた。その山こそがお城だった。奇妙な形の変な城だ。丸くつくられた部屋らしきものが最上階にあって、そこからぐるりとねじれて様々な場所に丸い部屋がぽつぽつ備えられ、全てが植物と化している。ぼろぼろな柱にまとわりついたツルから花が咲き、虫が寄っている。


 城の前にたどりついたあたしとメニーがぽかんと口をあけて、城を眺めた。


(……何年ぐらい残ってるのかしら)


「さ、到着だよ。ついてきて」


 柱に乗っていたリスたちがあたしたちを上からながめる。あたしたちはひらかれていた門から入り、雑草が伸びる城への道を進んだ。

 あたしはまわりをきょろきょろ見まわし、メニーも興味深そうにだまって城をながめてる。ジャンヌがあたしたちにふり向いた。


「なかも入れるよ。どうする? ここでやめとく?」

「ここ、崩れたりしないの?」


 あたしがきくと、ジャンヌが笑った。


「わたし、小さいときから何度もここで冒険してるんだ。だけど崩れたことなんて一度だってないよ。不思議でしょう?」

「なら行くわ。ね、メニー」

「あそこはなんですか?」


 メニーが最上階の部屋を指さすと、ジャンヌが答えた。


「ああ、あそこは、西の魔女が使ってた寝室だよ」

「……」

「大丈夫。あの部屋も見て回るから。途中でオオカミに会ったら、こいつでばーんとやればいい」


 ジャンヌが銃をあたしたちにみせびらかして、城の門を開けた。


「念には念を。静かにね」


 そこには、その空間だけ時が止まっているのではないかと思える不思議な光景が残っていた。ほこりっぽいじゅうたん。かべにまきついた草と花。地面にコケとキノコが生えている。小さな虫が花に止まり、時々飛ぶ。


 ジャンヌが歩く方向にあたしたちはついていく。


 エントランスホール。天井近くのまどから太陽の光がこもれてあたしたちに当たっている。あたたかい。


 キッチン。棚を見ると、レトロでアンティークちっくな食器が置かれていた。これ、結構希少価値が高そう。あたしは食器棚のドアを開けてみた。……ほこりがかぶってない。……一枚くらい持っていってもばれないかしら。……メニーがじっとあたしを見ている。……やめておこう。あたしはドアをしめた。


 外と繋がった廊下。庭に行ける。今は良いけど冬はさむそう。


 裏庭。なにこれ。くたびれた檻だらけ。上に小さいの。下に大きいの。あとは全部倉庫のなかに入ってるようだ。なんだかふしぎだ。なにがふしぎって、上の檻はとてもとても小さいの。こんなのコウモリかネズミくらいしか入らないわよ。逆に下の檻はとても大きいの。おまけに檻の前には犬用の皿があるの。ここでペットでも飼ってたのかしら。メニーがおもむろに大きな檻をなでた。


 地下室。ここはまさに魔女っぽい部屋よ。本棚にかこまれていて、部屋のまんなかに火をおこすところと、その上に巨大な鍋がおかれているの! でも、この鍋、そうとうくたびれてるわ。カビだらけのさびだらけ。おえ。あたしは本をひらいて見てみた。……読めない字で書かれている。なにこれ。外国語?


「メニー、読める?」

「ううん。わたしは読めない」

「そうよね」


 あたしは本棚に本をもどした。


 武器庫。剣や槍やさまざまな武器が置かれたまま、使用されることなくたたずんでいる。ジャンヌいわく、ここの武器はまだ国だったころのアトリの住人から魔女が回収したものらしい。それにしてもすごい量だ。まるで見張りのような鎧も多くたたずんでいる。


 ワイン貯蔵庫。地下は倉庫でいっぱいだけど、ワイン貯蔵庫もあるんですって。何百年もおいてるなら、相当価値があっておいしいんじゃないかしら。まあ、あたしはまだ飲んだことないから、お酒のおいしさなんて知らないけど。


 二階。道が両手側に分かれている。階段をのぼった先に緑の肌の魔女の絵が描かれていた。これが西の魔女かしら。もう草や花にかこまれて、インクもうすれていて、どんな顔か見ることができない。


 ジャンヌが左から回ろうと言ってきたから、あたしたちもついていく。


 暖炉のある部屋。ソファーと、机と、棚だけがあるシンプルな部屋。魔女はこの部屋で一人でなにやってたのかしら。


「二人とも、次に行こう」

「はい」

「ええ」


 ジャンヌとメニーが廊下に出て、あたしも出ようとしたそのとき、


 ――とつぜん、ぱちん! とまきが割れる音が聞こえた。そして、暖炉から、火がメラメラと燃える音も。


「え?」


 あたしは音に反応してふり返った。











「トゥエリー」







 そこには、二人の影があった。


「今日はね、とても天気がよかったんだよ」

「あたしはね、天気がいい日なんて大きらいさ。天気がいい日よりも、雨が降ってくる前の、空がどんより暗くなって、じめじめしたくもりの日が一番最高さ」

「でも、くもりの日だと洗濯物がかわかないんだ」

「いいじゃないか。じめじめした服を着てるとにおいがついてくさくなる。あたしはね、あの鼻につんとくるきたないにおいが大好きなのさ」

「君は変わってるね」

「こんな話、どうだっていい! おい、×××、紅茶のおかわりをもらおうか!」

「自分でそそげばいいのに。ほら、カップ出して」







 ――あれ?


 あたしは首を振って、ぱちぱちとまばたきした。

 そこにはだれもいない。だれもいないほこりの被ったソファーが暖炉の前に置いてあるだけ。


「……?」


 あたしはぼうっとして、頭を振って、目をこすって、ふたたび暖炉を見た。やはりなにもない。


(……夢でも見たのかしら)


 ああ、いやだわ。あたしったら、立ったまま寝ちゃうなんて。きっと疲れてるのね。


(ん?)


 あたしは廊下に顔を出した。


「メニー?」


 廊下にはだれもいない。


「ジャンヌ?」


 あたしの声だけが響く。


「……」


 しまった。はぐれた。


(……やだ、もう……。さいあく……)


 ひとまず、あたしは部屋から出た。


(ふつう人を置いていく?)


 あたしは廊下を見まわす。窓から日がこぼれている。


(……歩いてたら合流できるかしら。最悪、エントランスホールで待ってればいいか)


 そうだわ。メニーもいないし、なにかこっそり持って帰れそうなものがあればポケットにいれよう。


(帰るときにだれにもばれないように鞄にでも入れたらいいわ。一個くらい持って帰ったって、どうせばれやしない。宝石とか、指輪とか、ネックレスとかないかしら)


 あたしはお宝さがしに廊下を一人で歩きはじめた。二階の廊下には花が咲き、ツタが巻かれている。


 聖堂。聖堂があった。木製の長イスが前から八台ずつ左右に置かれている。前方には天井からしげる草と、なにか描かれていたであろう絵。でもそれがなにかはわからない。紫色がやけに目立っている。魔女も祈るのね。ここでなにを祈ってたのかしら。……なにこれ。うすく字が書かれている。


『憎き精霊よ。あるじは貴様をまっている。』


……古代文字だわ。あたし、古文ってきらいなのよね。あたしはふたたび歩きだした。


 浴室。カビだらけだ。変な臭いがする。浴槽はほこりっぽいが、けっこう綺麗だ。当時、だれか掃除でもしてたのかしら。使用人がいたのかもしれない。排水口からはあたしの花が咲いている。わかる? テリーの花よ。


(あら、あたしと同じ髪の色だわ。めずらしい)


 黒と緑を混ぜたようなにごった赤色。あたしはこの色、あまり好きじゃない。だって、パーティーに行ったらこの髪の色でからかわれるんだもん。あたしもメニーみたいな金髪だったら、からかわれないで済んだのに。染めたいって言ってもママはゆるしてくれないの。染めたら髪の毛にダメージを与えるからって。ああ、早く大人になって、こんな髪の色変えてしまいたい。金髪がいいわ。パストリルさまもメニーもきれいな金髪なの。だからあたしも金髪がいい。


 ――かこん。


(ん?)


 あたしはふり返った。石のつぼが転がっている。


(……つぼ……?)


 あたしは浴室から出て行った。転がったつぼを見て、その先を見た。廊下の角に、だれか消えた。


「……メニー?」


(あの子、みつあみなんてしてたっけ?)


 あたしはその先に進んだ。


「メニー!」


 角を曲がる。やっぱりメニーが角に消えた。


「メニー! まって!」


 あたしはそのうしろすがたを追いかけた。角を曲がると、メニーが階段の上に消えていった。


「メニー! まってったら!」


 あたしは階段にのぼった。ここにも草や花が生えて、リスがたわむれている。


「あ」


 ウサギがいる!


「かわいい!」


 あたしはゆっくりと近づくと、あたしに気づいたウサギがあたしを見て、ぎょっと飛び跳ねたと思うと、そそくさと逃げてしまった。


「あ、もう少しでさわれたのに……」


 あたしはむっとほおをふくらませて、上を見あげた。階段が円状の形で上へと続いている。あたしはぐるりと回るように階段をのぼっていき、三階、四階を放って、一番上までたどりついた。ドアがすこしあいている。


「メニー、ジャンヌ、いるの?」


 あたしはドアをあけてみた。


(うわ)


 あたしは顔をしかめた。ほこりっぽい部屋。鼻がムズムズして、くしゃみをしながら、部屋を見まわした。


 古びた寝室。そこはたしかにだれかの寝室だった。カーテン付きの豪華なベッド。高級そうなアンティークの机にソファー。ほこりまみれ、そして花と草だらけ。きのこも生えている。部屋にたむろしていたリスやウサギがあたしの両足のすきまをくぐり、部屋から出ていった。


「……」


 あたしはだれもいなくなった部屋をぐるりと見まわした。


(……不思議な感じ)


 時間が止まったような、ふしぎな寝室。


(……なにか、宝物がありそう)


 あたしは机に近づき、引き出しをあけてみた。ほこりが立ち、あたしはまたくしゃみをした。するともっとほこりが立ち、あたしはあわてて窓をあけた。新鮮な空気が部屋に入ってくる。ほこりもなくなりそう。あたしはスカートの布をつまんで、引き出しをあけた。引き出しのなかには紙が入っていた。


(なにこれ? お宝のありか?)


 あたしは好奇心から紙を机に置き、見てみた。そしたらびっくり。まるでさっき書いたようにインクが濃いの。ということは、ジャンヌか、村のだれかがいたずらで書いたのかしら。どれどれ。読んでみると、そこには詩が書かれていた。



人生は何事をも為さぬには

余にも長いが

何事かを為すには

余りに短い



(……なにこれ? どういう意味?)


 あたしは首をかしげて、引き出しを開けた。似たような詩が書かれた紙が入っている。あたしはくだらないと思って、紙を引き出しにしまった。


(メニーもいないみたいだし、もどろう)


 あたしはうしろをくるんと回った。

 ――そこに、白いオオカミが座っていた。


「っ」


 あたしはぎょっと固まった。


(あ)


 オオカミ。


(えっ)


 青の瞳があたしを見ている。


(え、どうしよう)


 あ、そうだわ!

 あたしは苦しむ真似をした。


「ううー!」


 あたしはその場に倒れた。


「もうだめー」


 死んだふりをすることにした。白いオオカミがあたしをじっと見ている。


(だれか助けて!)


 あたしはじっと動かない。白いオオカミをじっと動かない。


(お願い。早くどっか行って!)


「……」


 白いオオカミがあたしに近づいてきた。


(ひっ!)


 ぎゅっと体をこわばらせると、白いオオカミがあたしのにおいをかいできた。


(あ、あたし、おいしくないから!)


 白いオオカミの耳がぴく、と動き、あたしからはなれた。


(だれか! だれかきて! あたしを助けて!)


 白いオオカミがしばらくして――鳴いた。


「わおん!!」

「ひっ!」


 思わず悲鳴が口からもれ、あたしはあわてて口をおさえた。


(やだ! つい!)


 白いオオカミが走り出した。


(え?)


 あたしを踏んづけた。


「ぎゃっ!」


 そのまま地面を蹴り上げ、窓から飛び出し、どこかへ向かって飛び降りた。


(……)


 あたしはそっと目を開けた。


(……あたし、たすかったの?)


 ゆっくりと体を起こすと、もう白いオオカミはいなかった。


(……死んだふりをしたから、もう食べられないと思って、白いオオカミが出ていったんだわ。あたしたすかったんだわ。はあ。よかった!)


「だれかいるの?」

「あ」


 ゆっくりとドアがひらかれ、そこに銃をかまえたジャンヌとうしろにかくれるメニーがいた。あたしを見て、ジャンヌが目を丸くして銃を下におろした。


「テリー、ここにいた!」

「お姉ちゃん!」


 メニーが心配そうにあたしの前まで駆け寄ってきた。


「大丈夫?」

「ええ。なんとか……」

「……?」


 ジャンヌが地面を見た。ほこりの上に、足跡が残っている。ジャンヌがあたしに顔を向けた。


「ねえ、ここにオオカミがいなかった?」

「……じつはさっきまでいたの」

「え」

「やっぱりか」


 メニーが目をみひらかせ、ジャンヌが銃を持ち直した。


「あんた、よく無事だったね」

「おほほ。大したことなくってよ。オオカミも、きっとあたしのような女に手を出したらまずいと思ったんでしょうね」

「……お姉ちゃん、ほこりだらけだよ」

「あら、やだ、ほんとうだ。メニー、取って」

「……。まあ、なにごともなくてよかったよ」


 ジャンヌも部屋に入ってきた。


「テリー」

「ん?」

「ここにいたオオカミって、白いオオカミ?」

「ええ。白かったわ。あたしのことずっと見てた」

「そう」


 ジャンヌが足跡を追った。窓に残ってる。


「ケガは?」

「大丈夫」

「気をつけな。白いオオカミは不幸をまねく」

「え?」

「災いを呼ぶって言われてるんだ。……あの白いオオカミがあらわれてから、……村の様子がおかしくなった」


 窓からアトリの村が見える。それと、むこう側にある大きなダムの形も小さく見えた。ジャンヌがそれをながめ、とつぜんあたしたちにきいてきた。


「迎えは今日中に来るの?」

「……どうなの? メニー」

「ん。……どうだろう。でも、お母さまもすぐに対応してくれただろうし、来るんじゃないかな?」

「ああ。あんたたちみたいな都会人は、早くここからはなれたほうがいい。土砂崩れといい、オオカミの出没といい、最近、この村ではいいことがなくてさ」


 ジャンヌが空を見あげた。


「星まつり、無事にできるといいんだけど」


 ……ジャンヌが鼻で笑い、あたしたちにふり返った。


「……あんたたちには関係ない話だったね」


 ジャンヌが窓辺に腰を掛けた。


「城の探索はどうだった?」

「ほこりっぽかったわ」

「お姉ちゃん」

「あはは! この城はね、なぜかほこりがすぐたまるんだよ。湿っぽいわけでも乾燥してるわけでもないのに。でも、食器棚のなかにはほこりがたまらない。変な城だよね」

「ジャンヌ、ワイン貯蔵庫のワイン、あれって飲めるの?」

「やめといたほうがいいよ。この城、何千年も前のものだから、ワインがくさってる可能性がある。というか、あれはワインなのかどうかもわからない。魔女がつくった毒かもしれない」

「……」

「机の引き出し見た? そこにさ、西の魔女の使用人が書いたんじゃないかって思われる、魔女とのやりとりが書かれてるんだ」

「え?」


 メニーがちらっと引き出しを見て、あたしは首をかしげた。


「ちらっと見たけど、そんなものなかったわ。詩が書かれた紙ならあったけど」

「あー。上の引き出しじゃないよ。下の引き出し。厚い紙の束が入ってて、会話のやり取りが行われてるんだ。せっかくだから見てごらん。すごいんだよ。古代むかしに残されたもののはずなのに、インクがうすれてないんだ。これも魔女の魔法かな」


 ジャンヌが下の引き出しをあけた。たしかにそこには一つにまとめられた紙の束が入っており、ジャンヌが重たそうに机に置き、あたしとメニーがそれをのぞいた。


 ――×××、いいかい! もうほこりは捨てるんじゃないよ! わかったね!

 ――やあ。トゥエリー。おはよう。君が寝ている間に掃除をしておいたよ。起きたら声をかけて。今日は東館を掃除する予定だから。

 ――×××! どうしておふろの泥を抜いちまったんだい! 泥浴びをすごくたのしみにしてたのに! お前なんかだいきらい!


(げっ。また古文だわ。あたし、古文なんかだいきらい)


 古い文字を見るのに苦戦していると、メニーがじっと読んでいるのが見えたから、ついきいてみたくなった。


「メニー、読めるの?」

「……うん。ちょっとだけなら」


(……そうよね)


 あんた、字は習ってたものね。習ったうえで、本を読んで勉強をつづけてる。まあ、あたしはなにも知らないけど。


 メニーが興味深そうに字を読むので、ジャンヌが首を傾げてメニーにきいた。


「よかったらそれもっていく?」

「え?」

「そんな紙の束、もっていったってだれも気付かないでしょう?」


 そんな紙の束もっていったって、ただのゴミよ。メニー。置いていきなさい。それは宝物じゃないわ。


「……いいえ」


 メニーが笑顔で言った。


「これはここに置いていきます」

「ん? そう?」

「魔女のものだから、もっていって、呪われたらいやだもん」


 メニーが紙の束をだきしめた。


「さようなら」


 メニーが紙の束を引き出しにしまった。


「ジャンヌさん、そろそろもどりませんか?」

「おや、もういいの?」

「わたしはもう大丈夫です」

「テリーは?」


(……ろくな宝物なかったわ。食器ぐらいかしらね。でもまあ、白いオオカミにおそわれかけたり、ダムもここから見れたし、リオンさまに十分に話ができそう)


「ええ。もう満足」

「よし、じゃあ、探検はおわり。次はそうだ。ダムの見学にでも……」


 ――ジャンヌがいいかけた直後、遠くからアトリの鐘の音がひびいた。


「っ」


 ジャンヌがはっとしてふり返り、ぎょうてんした。


「うわっ! なに、あれ!?」

「え?」

「ん?」


 あたしとメニーがきょとんとまばたきして、ジャンヌが窓から身を乗り出して外をながめる。


「ちょっ、ちょっと! ちょっとまって!」

「どうしたの? ジャンヌ」

「空を!」


 ジャンヌが叫んだ。


「女の子が空を飛んでる!」

「は?」


 次の瞬間、アトリの村の方角から、なにかが爆発したような音がした。ジャンヌが目を大きくひらき、あわててあたしたちにふり返った。


「もどろう! なにか変な感じがする!」

「どうしました?」

「空を飛ぶ女の子がアトリの村に風みたいに飛んできて、そのまま落ちたんだよ!」


 あたしとメニーがまゆをひそめた。


「わたしの奇妙な話をきいてちょうだい! ほんとうだよ! 赤いマントを着た女の子がさ、空をこう……飛んでて!」

「……赤いマント……!?」


 メニーがはっとして、あたしにふり返った。あたしがきょとんとすると、メニーの視線がジャンヌに移り、うなずいた。


「もどりましょう! 今すぐ!」

「行こう!」


(……赤いマントの空飛ぶ女の子? なにそれ。……もしかして、魔法使い……!?)


 なにか願いをかなえてもらえるかも! うまくいけば、捕まえて奴隷にできるかもしれない!


「大変だわ! ぐふふ!」


 あたしはしめしめと思って、ジャンヌとメニーについていき、寝室を後にした。










 アトリの村の住人は、とてもおどろいていた。

 右腕に義手をつけた赤いマントを羽織るだれかが空から降ってきたのだ。


 天の使いか。いや、こんなに目がぎらついた天の使いがいてたまるものか。


 アトリの鐘をきいたヒョヌ村長とピーターが走ってきた。目が痛くなるほどの赤いマントに、息をのんだ。


「何者ですか?」


 ヒョヌ村長が前に出た。


「ここはアトリの村です。ご用があれば、村長のわたくしに」


 ヒョヌが言い終わらないうちに、その人物はマントのフードを外した。そのすがたを見たみなは驚いた。天の使いは、まだ若い少女だったのだ。


「ベックス姉妹がここにいるときいてきた」

「恐れ入りますが」


 ピーターが言った。


「どなたでしょうか」

「失礼いたしました」


 少女が地面にひざまづくすがたを見て、また村のみなはおどろいた。


「心が急ぐあまり、先走って駆け付けてしまいました。あなたがたを傷つけるつもりはございません。わたくしは」


 赤いひとみが光る。


「キッド殿下の命によりまいりました」


 少女が顔をあげた。


「わたくし、騎士見習いのルビィ・ピープルと申します」


 村の少女たちは思った。あの子、キッドさまの知り合いなの!? というか、なんて言った? 騎士見習い!?


「ベックス姉妹を迎えにまいりました」


 立派なあいさつと姿勢に、思わず、アトリの村の全員が凍り付いた。


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