第8話 塞がれた道


 あたしたちが村に到着したとき、数車の馬車が村の入り口をふさいでいた。兵士が何人か馬車の外で会話をしている。


(あら。あれが迎えかしら?)


「隕石でも落ちたみたいな騒ぎだね」


 ジャンヌが大股で歩き続ける。


「アトリの村始まって以来の大事件だよ。なんていったって、女の子が降ってきたんだから」


(ん?)


 一台、馬車のなかにだれかがいるのが見えた。


(……ん……?)


 それは美しい金髪の女だった。目を伏せ、よくわからない小型の機械をいじっている。そのすがたに、思わずあたしの目が留まる。


(……貴族?)


 ……なんて美しい人。ここになんの用かしら。

 ぼうっと眺めていると、メニーに呼ばれた。


「? ……お姉ちゃん、行こう?」

「……ええ」


 あたしは目をそらしてまた足を動かせば、村人たちがアトリの鐘がある広場に集まっていて、ジャンヌの家を遠くからながめていた。ジャンヌがみんなに声をかける。


「みんな」

「おお、ジャンヌ、お前が連れ回してたのか」

「その二人を迎えに王族が来てるぞ」

「王族?」


 王族という単語をきいた瞬間、ジャンヌがきょとんとし、あたしははっとした。だって、思い当たる節があるから!


「なんで王族が? ただの迎えでしょう?」

「それはこっちがききたいよ」

「くわしい事情を村長がきいてるところさ」

「ねえ、ねえ、キッドさまもいらっしゃるのかしら」

「まさか。こんな小さな村に来るわけないでしょ」

「リオンさまは?」

「来るはずないったら」


(……うそ……)


 あたしは両手をにぎりしめた。


(王族が来てるってことは……)


 ――リオンさまが、あたしを迎えに来たんだわ。


(そんな……)


 あたしの胸がトクンと跳ねた。


(リオンさま……)


 途端に、あたしの体が熱くなっていく。


(あたしたち、出会ったんだわ……!)


 リオンさまの誕生日を祝う舞踏会で、出会ってしまったのよ!


(ああ、やっぱり、あたし、リオンさまのお嫁さんになれたんだわ!)


 ジャンヌの後を追うのと、この先の未来で起こることへの期待で、足が早くなっていく。


(リオンさまが、屋敷のなかにいるんだわ! 会いに行かなくっちゃ!)


「ああ、ジャンヌお嬢さま」

「マローラ、パパは?」

「謁見室に……」

「了解」


(ああ、まって。あたし、心の準備が!)


 あたしはメニーをひっぱった。メニーが立ち止まり、不思議そうな顔をしてあたしにふり返る。


「お姉ちゃん?」

「……」

「お姉ちゃん? ……どうしたの? 顔が赤いよ?」

「あたし、すごく緊張してて……」

「緊張?」

「だって……これから……」


 あたし、


「リオンさまと会えるから……♡」


 ぽっ♡

 あたしのほおが緩むと、メニーが怪訝な顔した。


「ああ! まって! メニー! あたし、心がまだだめって言ってる! 一回深呼吸させて!」

「……いいよ」

「すーはー」

「お姉ちゃん、もういい?」

「まだだめ!」

「お姉ちゃん」

「ごめんなさい。でも、ああ、胸がどきどきして止まらないの! はあ、ふう」

「……クラブさんも来てるかも。……お姉ちゃん、とにかく、会いに行こう?」

「そ、そうよね……! 会わないと二人の物語は始まらないわよね!」


 あたしは胸をどきどきさせながらメニーといっしょに速足で歩き、ジャンヌが先にたどりつき、いきおいよく謁見室のドアをあけた。


「パパ!」

「うわあ! びっくりした! これ!! ジャンヌ!!」

「ああ! そうそう! この子だよ! この子!!」


 ジャンヌがお構いなしに、ずかずかと部屋のなかへ入っていった。


「空を飛んでた! わたし、魔女の城の窓から見てたんだ!」

「お前、またあの城に行ったのか! あぶないから近づくなと言ってるのに!」

「たまげたもんだ! ねえ、あんたあれどうやったの? わ、なにそれ。かっこいい義手だね!」

「お姉ちゃん」


 メニーがあたしの腕をつかみ、廊下に立たせた。


「ここで待ってて」

「え?」


 ……ああ、そういうこと。


(そうよね。リオンさまも心の準備が必要よね。きっと愛しいあたしに会いたくてしかたないはずだもの。緊張してるに決まってる)


「わかった。メニー。あたしたちの心の緊張ほぐしは、あんたに任せるわ」

「うん。大丈夫だからここにいて。ぜったい動かないでね」


 メニーが先に部屋に入った。


「失礼します」

「ああ、無事だったか! メニー! 心配したよ! ……テリーは?」

「リトルルビィ、……おちついてきいて」

「……テリーになにかあったのか?」

「その……」

「どこにいる?」


 だれかが立った音がした。あたしはどきどきして待つ。


「お姉ちゃんがすこし……その……頭を打ったみたいで……」

「今どこ?」

「あ、まって! リトルルビィ!」


 だれかが腰に抱きつくメニーをひきずりながら部屋から出てきた。あたしはちらっと見た。あ、赤いマントを着てる。あら、なにあれ。義手? うわ、気持ち悪い。見ないでおこう。あたしは顔をそらした。欠陥者を見たらあたしの目が腐っちゃうわ。


「……ん」


 赤いマントのだれかがこっちを向いた。あたしは顔をそらしたまま胸をどきどきさせて待つ。


「……っ、テリー!」


(え?)


「あっ、リトル……」

「ケガは!?」


 両肩をガシッ! とつかまれた。


(へ!?)


「テリ……」

「いたい!」

「あっ、わりぃ……!」


 義手の手が離れ、あたしは相手をにらんだ。


(なにするのよ!)


 ――そして、まゆをひそめた。


(……女の子?)


 メニーと同い年くらいの女の子が、あたしの目の前に立っていた。赤いマントに赤いひとみ。耳は派手なピアスだらけ。白いぶかぶかのシャツに、赤い短パン。むかつくくらい長い足に、黒いブーツをはいている。淡栗色の横髪に赤いリボンを巻き、一束だけ赤髪が揺れている。


(……なに? この子。下品な見た目。目がぎらぎらしてる。赤色の目なんてめずらしい。なんだか不気味だわ。こっち見ないでくれる? なんであたしの名前知ってるの?)


 まちがいない。これは庶民だわ。


(用もないのに口を利いてはだめ。あたしの口が腐っちゃうわ)


 あたしは目をそらした。


「テリー、悪かったよ。すごく心配してたんだ。……怒ってる?」

「……」

「……テリー?」

「……」

「……メニー、テリーが口利いてくれねえ」

「お姉ちゃん」


 メニーがあたしの視界に入ってきた。


「紹介するね。この子はリトルルビィ、えっと、……ルビィ・ピープル」

「……」

「わたしの友だち」

「……」

「お姉ちゃん、覚えてない?」

「……は?」


 あたしはまゆをひそめた。


「なにを?」

「この子のこと」

「……その子、貴族?」

「え? ちがうけど」

「じゃあ知らない。そんな子、会った覚えもないわ」

「テリー?」

「メニー、その子に言って。庶民が気安くあたしの名前を呼ばないでって」

「……?」


 ルビィと呼ばれた少女があたしを見て、メニーを見た。


「メニー、テリーはどうしちまったんだ?」

「だから、その、ちょっと、おかしくて……クラブさんは?」

「来てないけど」

「……ああ……」

「……テリー、わたしがわからないの?」


 あたしはメニーを引っ張って、あたしとルビィの間にメニーを引き入れた。メニーが心配そうな目で、ルビィはおどろいたような目であたしを見る。


「お姉ちゃん」

「……」

「テリー、わたしだよ」

「……」

「……おいおい、なにがあったんだよ」

「リトルルビィ、わたしも、よくわからなくて……」

「……」

「一度、クラブさんに見せたほうがいいかも」

「……ああ。そのほうがいいと思う」

「あの馬車は?」

「迎え。ソフィアも来てる」

「クレアさんは?」

「来てるよ」

「そっか」

「帰ろう。アメリアヌも心配してた」

「お母さまとお姉さまは?」

「心配ない。となり町を観光中」

「わかった。じゃあ、お姉ちゃん、ジャンヌさんたちに挨拶していこう?」

「……リオンさまは?」


 メニーがルビィを見た。ルビィが首を振った。メニーがあたしに言った。


「ここにはいないみたい」

「……あ、そう」


 ドキドキして損した。あたしはふん、と鼻を鳴らして、メニーから手を離し、謁見室に歩きだした。なかでは汗をぬぐうヒョヌ村長と、おもしろがってるジャンヌと、おどおどするピーターがいた。


「お迎えがきたようです。少しの間でしたがお世話になりました」


 あたしは古ぼけたスカートをつまんで、おじぎをした。


「みなさま、お元気で」

「元気でな。テリー。メニーも」

「村の入り口までお送りしましょう」


 ピーターが立ち上がり、あたしの背中に手をそえて、一緒に歩きだす。


「さあ」

「ええ。ありがとう。ピーター」

「まって。わたしも行く!」

「これ、ジャンヌ! 廊下を走るんじゃない!」


 階段を下りるピーターとあたしを見て、メニーとルビィが顔を見合わせた。


「……テリー、なんか別人みたい」

「ごめんね。リトルルビィ。お姉ちゃん、頭を打ってから、なにかおかしくて……」

「物知り博士に見せりゃなんとかなんだろ。大丈夫だよ」

「うん。だといいけど……」

「……崖から落ちたってきいてびっくりしたよ。メニーはなんともない?」

「打撲程度で済んだよ。大丈夫」

「そっか。……なら、まだよかったよ」

「行こう。お姉ちゃんを早く元にもどさないと」


 あたしとピーターが屋敷の外に出た。すると、村の広場からすさまじい歓声がきこえた。


(ん?)


「おや、なんでしょう?」


 あたしとピーターが村の広場に歩いていった。アトリの鐘の前に、美しい馬と大きな馬車が置かれていた。村人が一定距離でながめていて、主に少女たちが顔を真っ赤にさせていた。


「す、すごいわ!」

「ほんものよ!」

「生きててよかった!」


(まあ、立派な馬)


「迎えの馬車かもしれませんね」


 ピーターがあたしをリードし、村人たちをかきわけた。


「失礼」

「おや、神父さま」

「彼女の迎えですか?」

「迎えだって?」


 ふくよかな婦人があたしを見た。


「あんた、王子さまの知り合いなのかい?」

「え?」


 きょとんとまばたきをしたその瞬間、少女たちが全員一斉に悲鳴をあげた。馬車のドアが銀髪の男によってひらかれ、なかから一人の王子さまがおりてきたのだ。そのすがたを見たとたん、あたしの足と呼吸が止まった。


「っ」


 黒いブーツに、白いパンツ。立派な青いスーツジャケットを羽織り、凛々しい薄い青色のひとみ。


 リオンさまが、アトリの地面に下りた。


 あたしの体が石になったかのように硬直する。

 少女たちの目がハートになり、一人が倒れ、一人が気絶し、一人が叫んだ。


「リ、リオンさまあああああああああああ!!」

「きゅあああああああああああ!!」

「ふつくしいいいいいいい!」

「神々しいいいいいいいい!!」

「こっち向いてええええええ!!」

「むぎゃああああああああああああああ!!」


 リオンさまが馬車のドアの前に立つ二人の男に顔を向けた。銀髪の男と、黒髪の男。二人は同じ顔をしている。


「ヘンゼル」

「はっ」

「グレーテル」

「はっ!!」

「二人は?」

「ルビィ・ピープルが迎えに行ってるはずです。我が主」

「きっとすぐにもどってくるはずです!!」

「にゃん」


 少女の一人がはっとして、すぐさま指をさした。


「見て!! リオンさまの頭にネコが乗ってるわ!」

「緑色だわ!」

「リオンさまが、ネコをめでていらっしゃるわ!!」

「あああああああああ!! イケメンンンンンンンンン!!」

「……ドロシー」


 リオンさまが頭の上にいるネコを見た。


「テリーとメニーは?」

「にゃん」


 ネコが地面に飛びおりて歩きだした。村人たちの足の間を通っていく。


「みゃー」

「はっ」


 あたしは足元に体重を感じてはっと我に返り、見下ろした。緑のネコがあたしの足に乗っている。


「にゃー」

「うわっ、なに、こいつ。しっ! しっ! あっちいって!」

「みゃ?」


 村人たちが横にずれた。


(ん?)


 あたしの前に道ができていた。その先に、リオンさまが立っていた。


「っ」

「ああ、ここにいた」


 リオンさまが笑顔をうかべ、あたしに歩いてきた。


「大丈夫だったか? ニコラ」


(へっ!?)


 あっ、うそ、え、そんな、リオンさまが、近づいてくる。笑顔で、あたしを見て、こっちに、まっすぐ、迷うことなく、一直線に、あたしに、向かって、


(そんな。まって、あ、うそ、うそうそうそ、まだ、あの、あたし、あのっ、心の準備が……!)


 心臓がゆれて動いて震えて地震が起きて血圧が上昇して細胞が化学変化を起こしてあたしの体中に愛がなだれこんでくる。


「? ニコラ?」


 リオンさまが立ち止まった。


「どうした?」


 あたしのひたいにそっとふれた。


「顔が赤いよ?」


 ――あたしは息を止めた。


「……? ニコラ?」


 リオンさまが、あたしの顔の前で手をふった。


「ニコラ?」

「にゃー」

「……ドロシー?」


 ――リオン、様子が変だ。


「……ニコラ……?」

「……それは……あたくしの……愛称ですか……?」

「は?」


 リオンさまがまぬけなかわいらしい声をだした。


「君、なに言ってるんだ?」

「……すみません。あたくし……どうやら、崖から落ちたときに、頭を強く打ってしまったようでして……」

「頭を打った?」

「ええ。それで、その、……ああ、ごめんなさい。あたくし、あなたさまとのせっかくの一夜を、わすれてしまったようでございまして……」


 あ、でも、


「どうか、ショックを受けないでくださいまし。どんなに記憶がなくたって、あたくしの気持ちはなにも変わりません」


 あたしはまっすぐにリオンさまを見あげ、笑顔を浮かべた。


「……お慕いしております……。リオンさま……」


 あたしの純粋な目を見たリオンさまが顔をひきつらせてかたまった。ああ、緊張されてるんだわ! あたしもはずかしくなって、また目をふせた。


「おねがいです。どうか……今だけ、……愛しのテリーと……お呼びください……」

「っ」


 リオンさまが白目を剥いて、背中に雷が落ちた。


(やっぱりあたしたち……結ばれたのね……)


 だから迎えにきてくださったんだわ。


(ああ、リオンさま……!)


「……ジャック、ニコラの影に行け」


 ――グヒヒ。


「……ジャック?」


 ――イヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!


「……ミス・テリー・ベックス、君はどうやらケガをしているようだ」


 リオンさまがあたしの肩をたたいた。きゃっ! それを見ていた少女たちが悲鳴をあげた。なによ、あの女!!!


「馬車に乗って」

「は、はい……」


 リオンさまに腕をさしだされ、あたしはそれにつかまった。そうすれば、また村の少女たちが悲鳴を上げ、絶望のごとく倒れた。


(……夢みたい……)


 リオンさまが目の前にいらっしゃる。


(あたしたち、ほんとうに……)


「さあ、馬車に」


 リオンさまの影がゆらりと揺れ――次の瞬間、村が大きく揺れた。リオンさまがはっとしてあたしを抱き寄せた。


(きゃっ!!)


 人々がおどろき辺りを見まわす。だれかが叫んだ。


「おい! あれを見ろ!!」


 みながふり返った。山から大きな岩が転がり、どこかに落ちた。


「となり町のほうじゃねえか!?」

「村長!」

「おちつけ!」


 走ってきたヒョヌ村長が大声を出した。


「だれか、数人で様子を見に行ってくれ!」

「任せときな!」

「おれも行くぜ!」

「グレーテル、お前も行け!」

「はっ!!!!」


 黒髪の男が村の男たちといっしょに走り出した。ジャンヌが辺りを見回して、すこしためらうそぶりをしてから、いそいで男たちを追いかけた。リオンさまがそれを見届け――ふと、あたしを見おろした。


「ニコラ、大丈夫か?」

「……いいえ」


 あたしはリオンさまの胸にぴったりとしがみついた。


「あたし、とってもこわいです……」

「にゃー」

「……ああ。ドロシー。同意見だ。ニコラが完全におかしい……」

「お姉ちゃん!」


 メニーとルビィが走ってきた。そして、……メニーが足を止めた。リオンさまにだきつくあたしを見た。


「……」

「……やあ、……メニー……」


 ――メニーがリオンさまを見て、にっこりほほえんだ。


「ごあいさつ申し上げます。リオン殿下」


 直後、リオンさまがにが虫をかんだようなうなり声を出された。きっと緊張されてるんだわ! なんてかわいい人なの! ぽっ♡

 メニーが心配そうな顔であたしに駆け寄ってきた。


「お姉ちゃん、ケガはない?」

「……って」

「え?」

「あっちいって」


 あたしはできるかぎり声をひそめながら言うと、メニーがきょとんとした。


「今大事なところなの。あっちいってて」

「……」

「あー! あー! ミス・テリー・ベックス! なんだか外がさわがしい! ここは危険だから、君はメニーと安全な場所に避難してるんだ!」

「まあ、あたくしの心配をしてくださるなんて……」


 あたしの顔が熱くなる。


「……おやさしい方……」


 あたしがうつむくと、メニーとルビィがリオンさまを『じっ』と見た。すると、なぜかリオンさまが顔を青くお染めになった。


「あばばばばばば! ぼ、ぼくも様子を見に行ってくる! テリー・ベックス! メニーとリトルルビィといっしょにいてくれ!!」

「……わかりました……。あなたがそうおっしゃるなら……」


 あたしは顔をあげた。


「どうか気を付けて」

「え」

「ちゅ」


 リオンさまのほおにキスをすると、リオンさまが固まった。


「お、お守りです……!」


 自分でしておきながら、どんどん恥ずかしくなってきて、あたしはその場にいられなくなり、顔を真っ赤にさせて、走り出した。


「それでは!」


 あたしは村人たちをかきわけ、教会へ向かって走り出した。


(あたしったら、なんてはれんちなことを!)


 はずかしくて、振り向けず、一直線に道を走っていく。





「……メニー」


 リオンがふり返った。


「いったいなにがあったんだ……」

「クレアさんはどこですか」

「……岩が落ちた方だ」

「……」

「様子を見てくる。テリーを頼む」


 ああ、それと、


「にゃー」

「連れてきたから世話を頼むよ」

「……」

「つれてくるときに特殊な睡眠薬を飲ませたけど、心配はない」

「ふしゅー!」

「頼んだぞ。……行くぞ、ヘンゼル」

「はっ」


 リオンとヘンゼルが村の外へと走り出した。ジャンヌがメニーへと近づいた。


「ねえ、あんたたち、王子さまと知り合いなの?」

「……お姉ちゃんの様子を見てきます」


 メニーがドロシーの頭をなでた。


「話はそれからで」


 となりに立ってたリトルルビィが頭をかき、不快そうなためいきをはいた。



(n*´ω`*n)



「ああ! 女神アメリアヌさま!」


 あたしは教会の聖堂に飾られた女神アメリアヌの絵画に祈りをささげる。


「あたしの願いをかなえてくださって、ありがとうございます。どうか、この幸せがつづきますようお見守りください……」


 それからあたしはリビングにもどって、紙とペンをテーブルに置いた。


(よし)


 あたしはすてきな絵をえがいた。


(完璧)


「……お姉ちゃん、それなに?」

「おほほ。メニーったら、よくぞきいてくれたわ」


 あたしはとなりに座るメニーに絵を見せつけた。


「ウエディングドレスよ!!」


 オーダーメイドしてもらわないと!


「リオンさまもきっとあたしのウエディングドレスすがたに見とれてしまうわ……」


 でもそれ以上に、リオンさまも素敵なんでしょうね。


「はあ♡」


 うっとり♡


「にゃー」

「うふふ。ネコちゃん。あなたも見たいの? いいわよ。あたし、今、超上機嫌だから。はあ、あたし、しあわせすぎてこわいわ」

「みゃ……」

「……」

「……メニー?」


 なにか言いたげな顔のメニーがあたしから目をそらした。あたしはそれを見て、まゆをひそめる。


「なによ」

「……考えごとしてた。なんでもないよ」

「なんでもないって顔じゃないけど?」

「そんなことないよ」

「言いたいことがあるならはっきり言えば? あたし、はっきりしてない子ってきらいなの」


 あたしはペンを置き、テーブルにひじをついた。


「あたしが嫁に行って、なにか悪いことでもある?」

「ううん。そうじゃなくて……」

「はあ」


 あたしは周りを見る。ピーターはいない。いるのは、目の前に緑のネコがいるだけだ。この部屋では、今だけ、あたしとメニーは二人きりだ。


 ……あたしは慎重に口をひらいた。


「大丈夫よ」


 メニーがきょとんとした。


「え?」

「あの屋敷に残されると思ってるんでしょう」


 あたしはもう一度まわりを見た。だが、やはりリオンさまがつれてきたネコ以外だれもいない。あたしは念のため、声をひそめて言った。


「王妃になるあたしがメニーを城に連れて行きたいって言えば、ママだって反論しないはずよ」

「……」

「……大丈夫」


 あたしは手を伸ばし、メニーの手の上に重ねた。


「大丈夫だから」

「……お姉ちゃん……?」

「二人とも」


 ルビィが無断でドアをあけてきて、あたしは知らぬ顔でおえかきにもどった。マナーの知らない庶民はだいきらい。メニーがルビィにふり返った。


「今、ちょっといい?」

「どうしたの? リトルルビィ」

「さっき、岩が落ちただろ。あの件について」

「なにかわかったの?」

「良い知らせと悪い知らせ。どっちからききたい?」

「……じゃあ、悪い知らせ」

「おっけー。じゃ、悪い知らせから。……今日中には帰れなくなった」


 あたしはちらっとルビィを見た。メニーもおどろいたように胸をおさえた。


「どういうこと?」

「とんでもなく大きな岩が道を塞いでる。ありゃ、どけるにはけっこうかかるってさ」

「……リトルルビィでもだめなの?」

「……あの岩、……なんか変な感じがする」

「……変な、感じ?」

「……今、調べてもらってるから」

「……そっか」

「大丈夫。なんとかなるよ」

「……」

「いい知らせ。ケガ人は出なかった」

「……それがいい知らせ?」

「他にもあるよ」


 ルビィが言った。


「みんないる。まるでこの村に閉じ込められたみたいに」

「……」

「と、まあ、こんなところ。……テリーの件もある。メニー、油断しないで」

「わかってる」

「じゃ、一旦失礼するよ。クソ上司に呼ばれててね」

「……リトルルビィ、お姉ちゃんのことは」

「たぶん、リオンさまが報告してるだろ」

「……だよね」

「なにかわかったら、また来るよ」

「うん」

「……で」


 ルビィがあたしの正面の席に座った。


「テリー、今の話きいてただろ?」

「……」

「そういうわけだから」

「……」

「なー、そろそろ口利いてくれねえか? それとも、なに? 口がねえの?」

「……」

「はあ」


 ルビィの生身の手が、あたしの頭にぽんと置かれた。


(は?)


「じゃ、また」


(……なに、この無礼者)


 睨もうと思って顔をあげると、ものすごい風が吹いた。


「きゃっ!?」


 気がつくと、目の前にルビィがいなくなってた。


「……? あの無礼者どこに行ったの?」

「……」

「はーあ……。……だから庶民ってきらいなのよ」

「……お姉ちゃん」


 メニーがあたしに体を向けた。


「ほんとうに覚えてないの?」

「あの庶民のこと言ってる?」

「うん」

「だれ、あの子」

「……ちょっと、整理をしようか」


 あたしたちが体を向き合わせれば、膝がコツンとあたった。緑のネコが仰向けになって、甘えるようにメニーに腹を見せてきた。あら、かわいい。あたしがなでようとしたら睨まれた。……あら、かわいくない。


「お姉ちゃん、わたしはメニー」

「知ってる」

「じゃあ、お姉ちゃんの名前は?」

「なんだか尋問されてるみたい」


 あたしは――やはりだれもいないのを確認して――くすっと笑った。


「ふふっ」


 あたしは背筋を伸ばして、立派に答えた。


「あたしはテリー・ベックス。ベックス家の次女よ」

「わたしとお姉ちゃんの関係は?」

「再婚相手の娘」


 あたしはまわりを見た。だれもいない。


「あんたはあたしの義妹」

「うん。そしてお姉ちゃんはわたしの義姉」

「ええ」

「わたしのお父さんが亡くなったときのこと、覚えてる?」

「……」


 あたしはまわりを見た。だれもいない。


「ええ。よく覚えてるわ」

「なにがあったっけ?」

「あたしが言うの?」

「うん」

「ママが本性を見せた」

「うん」

「ママは庶民がきらいなの。だから、あんたをいいようにこき使ってる」

「……正しくは、その予定だった」

「……え?」

「お姉ちゃんが止めてくれたでしょ? テーブルをひっくり返して、わたしの前に立って、みんなに食器を投げつけて、大暴れして」


 あたしはまゆをひそませた。


「……え?」

「それから、わたしはベックス家の一員として認められた。ちゃんと勉強もマナーも教育された」

「……は? まって。え? それは、なんの話?」

「……お姉ちゃん?」

「メニーメニーメニーメニーメニー、あんた、バカだから誤解してるんだわ。あのね、ママはメニーを家族だなんて思ってない。じゃないと、使用人のいない屋敷で毎日家事をさせて、灰をかぶらせるなんて、そんなことしない」

「……お姉ちゃん、なんの話?」

「あんたこそなんの話をしてるの?」

「屋敷に使用人はたくさんいるよ」

「なに言ってるの。みんなやめたでしょう? デヴィッドだって」

「……デヴィッドは、どうしてやめたことになってるの?」

「母親の体調が悪いからって、やめたじゃない。彼がいなくなってから、馬の世話はメニーがやってきたでしょう?」

「わたし、馬の世話のなんかしたことないよ?」

「え?」

「後人はロイがやってる。フレッドもたまに手伝ってる」

「……それ、だれ? 家にいる使用人は、もうギルエドだけじゃない」

「……。やっぱり、なにか話がくいちがってるみたい。お姉ちゃん、一回、全部話し合ったほうが……」


 ――とつぜん、ドアがあいた。


「っ!」


 あたしはためらいなくメニーを突き飛ばした。


「わあっ!」


 メニーが後ろから倒れた。ドアをあけたピーターがはっとして、すぐに駆け寄ってきた。


「メニーお嬢さま、大丈夫ですか?」

「いたたた……」


 あたしは知らない顔で緑のネコをなでた。おー、よしよし。ネコちゃん。そんなに睨まないの。しょうがないでしょ。ノック無しで入ってくるほうが悪いのよ。


「ランチの時間だと思いまして、昼食を取りに来ました。よろしければ、ご一緒に」

「ええ、ぜひ」


 あたしは笑顔でうなずき、メニーがイスを起こしながらピーターに言った。


「あの、……ききました。……帰り道が岩で塞がってるって」

「……ええ」


 ピーターが深刻そうにうなずいた。


「今、村の者が総勢で岩をどかしている最中です。ご心配はありません。いざというときは、今夜もここにお泊りください。あまり、贅沢なものは出せませんが」

「……お気遣いありがとうございます」

「とんでもないことです。……さあ、お腹がすいたでしょう。食事の用意をしますので、待っててください」


 ピーターがキッチンに向かい、あたしとメニーはふたたび目を合わせた。


「……思った以上に大変みたいだね」

「大丈夫よ。リオンさまがいらっしゃるんだもの」


 あたしはへ優雅にネコちゃんの頭を撫でる。


「今回もなんとかしてくださるわ」

「……お姉ちゃん、ランチが終わったら、ちょっと様子を見に行かない?」

「……そうね。ここにいてもヒマだもの」


 あたしはネコの背中をなでた。


「あんたも来る?」

「にゃあ」

「うふふ。緑のネコなんてめずらしいわね。あんた名前は?」

「ドロシー」

「え?」

「この子はドロシー」

「……ふーん。ドロシーっていうの」


 ……。あたしははっきりと言った。


「似合わない名前」

「そんなことないよ」

「ドロシーよりもちがう名前のほうがあってるわ。そうね」


 あたしは考えて、ひらめいて、命名した。


「トト」


 トトの尻尾がへたれた。


「ほら、喜んでる」

「お姉ちゃん、その名前、いやだって。ね、ドロシー」

「この子、リオンさまのネコなの?」

「ううん。わたしのネコだよ」

「え? ……メニーのネコなの?」

「うん。屋敷で飼ってるよ」

「え? ってことは、うちのネコをどうしてリオンさまが……ん? まって。うちでネコなんか飼ってないわよ?」

「飼ってるよ」

「あんた、まさか屋根裏で飼ってるの? ママにばれてないでしょうね?」

「お姉ちゃん、……屋根裏ってなんの話?」

「あんたの部屋の話よ」

「わたしの部屋はお姉ちゃんのとなりだよ?」

「……あたしのとなりの部屋は、アメリの部屋でしょ」

「お姉さまの部屋は左。わたしは右の部屋」

「右の部屋は、ドレス部屋じゃない」

「……」

「……え?」

「……お姉ちゃん、長くなりそう。この話はあとからにして……」


 メニーが立ち上がった。


「ピーターさんの手伝いしてくるね」

「……ん」

「お姉ちゃんはここにいて。ドロシーと」

「……言われなくてもいるわよ」


 メニーが息を吐きながらキッチンへと向かった。


(……なんだか、朝からメニーの様子が変)


 メニーだけじゃない。ママも、アメリも変。


(この違和感はなんなのかしら)


 あたしはネコの足に触れてみた。あ、にくきゅう。触ってみると、思った以上にやわらかくて、あたしは面白くなって、ぷにぷに押し始めた。ネコの尻尾が不快そうに揺れてるのに、あたしは気づいてない。


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