第6話 アトリの村
外では、秋の匂いがした。
夏のような暑さはなく、どちらかというと涼しい風が吹き、それでもまだかすかにあたたかさが残っているような季節。
あたしとメニーの体調を心配したピーターが荷車を出した。小さなロバがいて、あたしはまゆをひそめた。
「馬はいないの?」
「彼も相当力のあるロバですよ」
「あたし、クッションがないと座れなーい」
「お姉ちゃん、このままでも座れるよ」
「座れないもん」
「少々お待ちください」
ピーターが服を集め、それを荷車に重ねてのせた。仕方なく、あたしがその上に座った。汚い布切れね。
「まあいいわ。これで」
「申し訳ございません。メニーお嬢さまの分も用意しますので、お待ちください」
「いいえ、ピーターさん、わたしは結構です」
「……そうですか?」
「早く行きましょう」
メニーは断ってそのまま荷車に乗りこんだ。メニーは元々平民だからお尻なんか痛くならないんだわ。さすが。貴族のあたしにはぜったい無理。ロバがゆっくりと動き出し、その横をピーターが歩いてついていく。
(ただの荷車に乗ることになるなんて恥ずかしい。こんなの見世物じゃない)
しかも、このロバ、動きおそすぎ!
(はあ……しかたないわ。田舎だもん。最高、最高。……最低)
不満いっぱいのあたしはひまつぶしに外の景色をながめることにした。木がいくつも立ち並び、山が見え、畑が見え、遠くに家がぽつぽつ建っているのが見えた。ここの村の人口はきっと少ないわね。そんな気がする。
あたしはのんびりあくびをした。
ロバが道を進んでいくと、どんどん畑に近づいてきて、畑で作業している女が腰を上げ、ふー、と息を吐くと、ピーターとあたしたちを見て、手を振ってきた。
「神父さま!」
「こんにちは、ジル。お母さまはどうですか」
「ええ! 教えていただいたおかゆのおかげですっかり元気ですわ!」
「それはよかった。後ほどミルクをお届けします」
「ありがとうございます! 神父さま!」
女が畑仕事にもどった。あたしとメニーは揺られるまま。やがて、ヤギがたくさんいる牧場を通った。四人の男がいて、一人目の若い男が木を削り、二人目の若い男がめずらしい金色のロバの世話をしていて、三人目の若い男がこん棒を背負いながらヤギの面倒を見ていた。そのなかで一番年老いた男が糸と針で布を縫っていて、ふー、と息を吐くと、ピーターとあたしたちを見て、かぶっていた帽子を脱ぎ、軽く振ってきた。
「やあ、神父さま」
「こんにちは。テーラーさん。調子はいかがですか?」
「三人の息子たちがよくやってくれてるよ。今年もいいミルクを出しそうだ」
「おーよしよし、ライアー。いい子だ」
こん棒を背負う男がヤギをなでた。
「満足してるか?」
「どうして満足できるんだい!? 葉っぱはどこにもないじゃないか! だからなにも食べないでいるんだよ! メェーーーー!」
「お前が今食べてるのはなんだい? そいつは葉っぱというんだよ」
「今日もうそつきヤギは元気いっぱいです」
「それはよかった。後ほどミルクを取りに伺います」
「ええ。お待ちしてますよ」
テーラーと呼ばれた男はふたたび針と糸と針で布を縫う作業にもどった。あたしとメニーは叫ぶヤギにおどろきながら荷車に揺られる。やがて、鐘のある建物にたどりついた。その横ではネコとネズミがたわむれている。あたしはぎょっとして、すこしうしろに下がった。
「やだ! 気持ち悪い! ネズミが走ってる! 汚らわしいわ!」
「え? お姉ちゃん、ネズミだよ?」
「あー……そうよね。メニーはなんともないわよね。でもね、あたしはだめ。ネコならまだしもネズミなんてばい菌だらけで汚いのよ。あのネコもなんだか汚らしい。ぜったいばい菌がいるから、さわっちゃだめよ」
上を見上げると、その建物には大きな鐘が備わっている。メニーがピーターに振り向いた。
「ピーターさん、あの鐘はなんですか?」
「アトリの鐘です。あなた方を助けられたのも、あの鐘のおかげなのです」
そういえば、どこかで鐘の音をきいた気がする。
(……ふーん。建物はなかなか立派ね)
「アトリの鐘が建てられたのには、理由があります。少々長くなりますが……」
ピーターはそう言って話しはじめた。
「まだこの村が国だったころ、悪しき西の魔女に支配されていたのです。そこを女神アメリアヌさまがあらわれ、西の魔女を退治し、アトリの者たちは救われました。それ以来、この地に生まれてくる者たちは、平和を望んだといわれています。しかし、やはり人間ですから道を誤ることもあります。それを減らすため、この国の王だった『アクア陛下』がこのアトリの鐘をつくったのです。例えばだれかと喧嘩をしたらこの鐘を鳴らします。そうすると必ず裁判官がやってきて、どちらが正しく、どちらが悪かを決めてくれます。いつでもどんなことでもいいのです。なにかトラブルが起きたら、この鐘を鳴らして、問題を解決するのです」
「その場で裁判が行われる、ということですか?」
「そのとおりです。そうすることで、善と悪の区別がつけられるようになる」
「変わった仕組みですね」
「ただ、最近、裁判官のかたが亡くなってしまい、わたしが後人となっております。もし、お困りのことがあれば鐘を鳴らしてください。わたしがすぐに駆けつけますので」
あたしはアトリの鐘を見あげながら思う。
(だれか鳴らさないかしら)
ぜひ誰かが鳴らすのを見てみたいわ。
アトリの鐘を通り過ぎると、前の道からニワトリを歩かせ、頭にカエルがひっついた青年が歩いてきた。
「おう。マルカーン神父」
「こんにちは、オレオ。調子はどうだい?」
「いつもどおりさ」
「げこっ」
「みんな元気さ」
「それはよかった。お父さまによろしくお伝えください」
「おう。ところでマルカーン神父、客人か? 見たことのない顔だ」
青年があたしを見てきたので、あたしは目をそらした。青年が次にメニーを見て……ぼうっとしはじめた。メニーがほほえんだ。
「こんにちは」
「あ……ちは……」
「コケー!」
「げこげこっ!」
「ああ! こら、暴れんなよ! お前たち!」
荷車がどんどん大きな屋敷に近づいていく。この田舎町に似合わないつくりの建物だった。あたしとメニーは荷車からおろされ、屋敷を見あげた。ピーターがドアをノックした。しばらくして、使用人らしき女がドアをあけた。
「あら、これは神父さま」
「電話器を借りに来ました。それと、朝のごあいさつを。彼女たちが目を覚ましたのです」
「あら、もしや、三日前の?」
ピーターがうなずくと、あたしとメニーを見た女がやさしそうにほほえんだ。
「まあまあ、それはよかった! 電話機ですね。ご案内しますわ。さあ、なかへどうぞ!」
(……この屋敷のつくりはなかなかね)
赤いじゅうたんに広い天井。貴族でなくとも、こんな屋敷をつくれるのなら相当な金持ちなのだろう。
(お金持ちなら口を利いてあげてもよくってよ)
「よかったですわ。目が覚めて」
使用人の女がにこにこした表情であたしたちに声をかけてきた。
「ジャンヌお嬢さまがまた嘘をおっしゃってるのかと思ったら、ほんとうにケガ人がいたのでおどろいていたのですよ! お体は大丈夫ですか?」
「あの」
メニーがきいた。
「ジャンヌお嬢さまというのは……?」
「あなたがたを助けてくださった方ですわ。普段はとんでもないお転婆なのですが、今回ばかりはそのお転婆があなたがたをお救いになった。やはりアトリの血が流れてるお方。立派ですわ」
女が電話機の前に立った。
「さあ、ご自由にどうぞ。わたしはご主人さまを呼んできますので」
「マローラさん、ありがとうございます」
「とんでもないことですわ。神父さま」
女が廊下の奥へ歩いていき、ピーターは受話器を手に持ち、番号をなぞった。あたしはメニーに声をかける。
「ねえ、メニー、あたしたちをたすけたのは、ピーターじゃないの?」
「うん。ピーターさんもたすけてくれたけど、その前にわたしたちを見つけて、ここまで連れてきてくれた人がいるの。それが……」
そこでピーターの口がひらいた。
「お忙しいところ恐れ入ります。わたくし、アトリの村のピーター・マルカーンです。そちらにいらっしゃるアーメンガード・ベックスさまとお話ししたいのですが、いらっしゃいますでしょうか。……ああ、それはよかった。……お嬢さまが話したがっているとお伝えを……。……ええ。……お願いいたします」
ピーターがあたしたちにふりむき、一度ウインクをしてほほえみ、また少し待って、口をひらいた。
「お忙しいところ恐れ入ります。ピーター・マルカーンです。ベックス家の方ですか? ……じつは、テリーお嬢さまが目を覚まされ、……ええ、ご体調はもう、……ええ、アーメンガードさまとお話しされたいとのことでしたので……ああ、これはこれは、奥さま、はい。ピーターです。ええ、大丈夫ですよ。今代わります」
ピーターがあたしにふり返った。
「テリーお嬢さま、どうぞ」
「ん」
あたしは受話器を耳に押し当て、声を出した。
「もしもし」
『テリーーーーーーーーー!!』
……ママからの『大きな声』がきこえて、あたしはかたまった。
『お前、大丈夫なの!? 生きてるの!?』
「……」
『テリー!?』
「……」
『テリー!? どうしたの!? テリー!!』
……あ、返事をしなきゃ。あたしははっとして、急いで返事をする。
「……ん、うん、だいじょうぶ……」
『ああ! 女神アメリアヌさま! ありがとうございます!』
「……?」
あたしは受話器を見た。
(……ママ……よね?)
あたしはもう一度耳に受話器を当てた。
『ピーターから話はききました。崖から落ちたのを村の人が見つけて、すぐに手当していただいたと』
「ん」
『迎えを呼んでるわ。そろそろ着くころよ。……これはだれかの陰謀かもしれない。お前ならわかるでしょ』
「うちみたいな位の低い貴族が、貴族の潰しあいに巻き込まれたってこと?」
『なにがあったのか調査してるわ。いい? お願いだから勝手に動かないで、そこで大人しく迎えを待つのよ』
「はい、ママ」
『……そこにメニーもいるの?』
「え?」
あたしはメニーにふり返る。メニーと目が合う。
「……いるけど」
『代わってちょうだい』
「あ、……はい……」
あたしは受話器をメニーに渡した。
「ママが話したいって」
「わかった」
メニーが受話器を受け取り、耳に当てた。
「お母さま」
あたしはメニーのそばできき耳を立てた。すると、ママの声がすこしだけきこえてきた。
『……。……ケガは?』
「わたしは打撲で、『お姉ちゃん』が」
あたしはその単語でぎょっとする。
(メニー!)
「けっこうケガしてて、でも、痛みは引いたって言ってる」
『……そう』
「でも、二人とも無事だから」
(……え……?)
ママが、すすり泣いてる……?
『無事なのね』
「はい」
『……』
「ただ、お母さま、お姉ちゃんがすこし……」
『え?』
「……」
メニーが首を振った。
「すこし、ケガが多いから、よく見ておくね」
『ええ。……テリーにも言ったけど、迎えを呼んでるわ。ピーターは信頼できる方だから、しばらくお世話になりなさい』
「わかりました」
「メニー、ちょっと……」
メニーがあたしを見た。あたしは受話器を指さした。
「お母さま、お姉ちゃんと代わるね」
メニーがあたしに受話器を差しだした。あたしはそれを受け取り、受話器を両手で握った。
「ママ?」
『テリー、いい? わがまま言わないで、ピーターのいうことをよくきくのよ。それと、いつもみたいに暴れないこと』
「ママ、……どうして叱らないの?」
『え?』
あたしはメニーとピーターを見た。ピーターが気が付き、メニーの背中に手を当てた。
「積もる話があるようです。すこし、歩きましょうか」
「……はい」
ピーターがメニーを廊下の奥へ連れて行ったのを見て、あたしは話をつづけた。
「メニーがあたしをお姉ちゃんって呼んだのよ? なんで叱らないの?」
『今さらなに言ってるの。そんなのいつものことじゃない』
「いつものこと?」
なに言ってるの?
「いつもで言うなら、メニーはあたしたちを名前で呼んでるじゃない!」
『……テリー? いったいどうしたの?』
「……あなた、ママよね?」
『テリー、ああ、そうよね。恐怖で混乱してるのね。大丈夫よ。たすけが来たらまた会えるわ。不安なのね。そうよね。いくらキチガイなお前でも、いくら反抗期が過ぎないお前でも、こんなことになってしまって不安よね。甘えたいわよね。大丈夫よ。お母さまは全部わかってるから。なにも心配ないから』
「え……?」
『いい? 二人で離れないで行動するのよ。いつもみたいにサリアもいないのだから』
「サリアって?」
『テリー、大丈夫よ。おちついて。お母さまはいつだってお前のそばにいるわ。それに、すぐにキッドさまが迎えにいらっしゃるようだから……』
「ママ、……なに言ってるの? 意味がわからない。あなた、ほんとうにママよね?」
『テリー、どうしたの?』
「ママがどうしたの? さっきから、ママじゃないみたい。声はママだけど、いつもとぜんぜんちがう」
『当然でしょう。娘が二人も土砂崩れに巻き込まれたんだから、冷静でなんかいられるものですか』
「……え?」
あたしは眉をひそめた。
「ママ、もしかして、それ……メニーのことを言ってるの?」
『……え?』
「メニーを娘だなんて、なに言ってるの? どうかしてるわ。あの子無事だったのよ? なんでそんな、安心したような声を出すの?」
『は?』
「あたしならまだしも、メニーが無事だっただけで、ママがどうしてそんな……」
『お前、……な、……なんてことを言うの!!!!!』
「っ」
ママの怒鳴り声に、あたしはふたたび固まった。
『娘が崖から落ちたのに、心配しない親がどこにいるのよ!! この、ばか!!』
あたしは目を丸くした。
『あんな状況、ふつう死んでたのよ! 生きてるなんて奇跡なのよ! それを、よ、喜ばない親が、いると思ってるの!? お前は! なにを言ってるの!!!』
「……」
『……いいこと、っ、ちゃんと、メニーを守るのよ……』
……ママが本気で泣いている。
『お前はあの子の姉なのよ。いい? わかった?』
「……」
『わかった?』
「……はい、ママ……」
ママが、どうしてそんなこと言うの?
「……?」
なにかが、おかしい。
「ママ」
『……なに?』
「アメリは?」
『大丈夫よ。アメリはいっしょの宿にいるわ。……話したい?』
「……アメリは……」
どうせ意地悪を言われるだけ。
「……」
いや、
「うん。話したい」
『待ってて。……アメリアヌ!』
足音がきこえてくる。しばらくまっていると、向こうから声がきこえた。
『もしもし?』
「……アメリ?」
『はー。助かってよかったわね。正直今回はほんとうに死んじゃったと思ってたわ』
「……」
『ケガは?』
「……メニーが打撲で、あたしも、そんな感じ……」
『不幸中の幸いね。そろそろ迎えが行くってママが言ってたから、こっちに来たらまた話しましょう。今回の家族会議は長くなるわよ」
「……ねえ、アメリ」
『ん?』
「あんた、ロード・アゼル・ケイシュクラヌと結婚するの?」
『はあ? 今さらなに言ってるのよ』
「だって、……二人ともそんな関係じゃなかったじゃない」
『そうよ。テリー。恋はね、とつぜん芽吹くものなのよ。まるでそれは春の花のごとく。……ロードにさっき連絡したわ。ロードも周りの貴族で、怪しい人がいないか調査してくれてる』
「……あんた、リオンさまはもういいの?」
『急になによ。あのね、何度も言ってるけど、わたしはただのファンよ』
「……え……?」
なに、これ。
「あんた……アメリよね?」
『この美声がわたし以外だれがいるってのよ』
どうして、こんなに違和感を感じるの。ママも、アメリも、……なんだか……変……。
「ねえ、ママが迎えを呼んだって言ってるけど、あたしたち、そんなお金あるの? 賠償金でお金はないんじゃないの?」
『テリー……わかった。あんた、変な悪夢にでもうなされたんでしょ』
「悪夢?」
『屋敷に連絡したら、ギルエドが一目散に城に連絡をくれてね、そこですぐに救助を呼べたってわけ』
「……ふーん」
『で、賠償金ってなに?』
「……なに言ってるの? 船の賠償金」
『船? セイレーン・オブ・ザ・シーズ号のこと?』
「なにその船。ちがう。マーメイド号のことよ」
『だから、あんたがママに正直にダサいから名前を変えさせたセイレーン・オブ・ザ・シーズ号のことでしょ』
「……え? あたし、そんなこと言った?」
『わたしもダーリンも黙ってたのに、あんたが正直に言っちゃったじゃない。ま、おかげでだいぶましな名前にはなったけど。……で? それがどうしたの?』
「だから……沈没して、賠償金が発生したって……」
『え!? 沈没したの!?』
「え?」
『え?』
あたしとアメリが声をそろえてきょとんとした。
「なに言ってるの……? 三月に……したじゃない……。初めての……航海で……新聞に、大々的に取り上げられて……大勢人が死んだって……」
『……あんた、大丈夫?』
「あたしは大丈夫よ」
『じゃあ三月にカドリング島でばかみたいにはしゃいでたあんたはだれだったの?』
「……しばらく行ってないじゃない」
『そうね。三月以来行ってないわね』
「そうじゃなくて、あたし、熱だしたでしょ。だから三月に行けなかったじゃない」
『ママ、テリーたちがもどってきたら病院につれていったほうがいいかも。テリーが変だわ』
『え!? また変になってるの!?』
『ああ、そうだった。こいつ前から変だった』
アメリが受話器を耳に当てた音がした。
『テリー、たぶん、崖から落ちてケガもしてるだろうし、すこし混乱してるんだと思う。おちついて行動して』
「……」
『メニーは?』
「……あの神父とどこか行った」
『メニーがいるならまだ安心ね』
「……」
『メニーも大丈夫なの?』
「えっ?」
『えっ、てなによ』
「……なんでアメリが、メニーの心配なんか……」
『あのねー、わたしも鬼じゃないわよ。一応連絡がくるまで本気で心配で、ママと二人で泣きながら祈ってたんだから、感謝してよね』
「……」
『なに? メニーもおかしくなってるの?』
「……あの子、あたしをお姉ちゃんって呼ぶの」
『は? ……フレッド! 病院予約しておいて! テリーが完全におかしい!』
『はえ!? テリーお嬢さま、また発狂したんですか!?』
『……テリー、そうだ。サリアと話す? ちょっとはおちつくんじゃない?』
「……だれ?」
『だから、サーリーアー』
「……サリア?」
『……』
「……」
『……今のこと黙っててあげるわ。とにかく……』
声をひそませたアメリが、まさに長女らしく、妹に言い聞かせるようにゆっくりと言った。
『いい? あんた今ほんとうにどこかおかしいみたいだから、迎えがくるまでメニーから離れたらだめよ』
(……なによ。こんな状況でおどしのつもり?)
『わかった? テリー』
「……ん」
『そう。じゃあ、……また宿で会いましょう』
「……わかった」
『なにかあったらすぐ連絡して。じゃ』
「……うん。じゃ……」
あたしは受話器を見て、口をへの形にした。
(……いったい、なにが起きてるの……?)
ママとアメリの人が変わったみたい。
(……)
考えても仕方ない。だって二人は気分屋だもの。あたしの家族はあたし含めて全員気分屋だわ。……たぶん、機嫌が良かったのよ。二人とも。
だから、ママが本気で泣いて、メニーを娘だなんて言ったんだわ。
(……なにかいいことでもあったのかしら?)
あたしは黙って受話器を置いた。
(*'ω'*)
屋敷の散歩を終えたピーターとメニーがもどってきて、ロビーで待っていると、外国人だろうか、のっぺりした顔つきの男が笑顔でおじぎをしてきた。
「はじめまして。ようこそアトリへ。わたしは村長を務めさせていただいております。イ・ヒョヌと申します」
あたしとメニーもおじぎをした。
「マルカーン神父からは事情はうかがっております。なにやら、迎えの方々が来るようで、それまでこの村で身をおやすめください。ここは夜以外は安全ですから」
「夜以外?」
メニーがきくと、ヒョヌがうなずいた。
「ええ。夜は山からオオカミが下りてきて、村をうろつきはじめるのです。ですから、夜は外に出ないように。まあ、救助が来れば、その心配もないのですが」
ヒョヌががははと笑い、ピーターを見た。
「ともあれ、お二人が無事でよかった」
「ええ。ジャンヌのおかげです」
「あんな娘でも時には役に立つな。……ああ、そうだ。お二人とも、娘が会いたがってました。ぜひ、お帰りになる前に、あいさつだけでも……」
ヒョヌがそう言った直後だった。――大きな鐘の音が鳴った。
「オオカミだーーーー!!」
ヒョヌとピーターがはっとした。
「オオカミが出たぞー!」
村中、とつぜんの鐘の音と叫び声に、動物たちを小屋へ急いでかくした。
「オオカミが出たぞーーー!」
あたしとメニーがふり返った。
「オオカミだーーーーーーー!!」
鐘が警報のように鳴り響きつづける。
村の人たちが銃を持ち、外に走った。
「ここにいてください!」
ヒョヌも銃を持ち、窓から見張った。あたしはなんだかこわくなってきて、メニーの背中にかくれた。ピーターが窓をのぞく。
鐘が鳴る。そして、――鐘が止まった。
村が静まり返る。
オオカミの気配をたどる。しかし、オオカミは出てこない。
ヒョヌがまゆをひそませ、部屋から出ていき、屋敷の外まで走り、屋敷の門から銃を構えた。しかし、オオカミの気配はしない。
――するとそこへ、三人の男が女を引きずってヒョヌの屋敷に近づいてきた。
(ん?)
「村長、またジャンヌだよ」
「ジャンヌのうそさ」
「オオカミはいないよ」
「なんだって!?」
「うそなもんか!」
女が怒鳴った。
「ばけもんみたいなオオカミが村をうろついてた! ほんとうさ!」
「ああ、こいつは……。すまないね」
「いいってことよ」
「いつものことだ」
「おれたち、村のみんなに伝えておくよ」
「ジャンヌ、きなさい! お前はまったく!」
「パパ! 違う! ほんとうだってば!」
「ああ……」
ピーターが呆れた笑みをうかべた。
「とりあえず、オオカミはいないようですね」
「……大丈夫なの?」
おびえるあたしがきくと、ピーターがうなずいた。
「ええ。よくある日常風景とでもいいましょうか」
「お前、すこしは良い子になったと思っておったのに!」
「ちょっと! わたしがこんなときまで嘘をつくと思ってるの!? ほんとうに見たんだから!」
「いい加減にしなさい! ケガ人を助け出したからって、調子に乗るんじゃない!」
「ああ、そう! そういうこと言う!? だったらご期待にそえて、いつもどおり、わたくしの不幸なおはなしを、きいてやってはいただけませんか!?」
「テリーお嬢さま、メニーお嬢さま、見えますか?」
ピーターに言われ、あたしとメニーが窓から眺める。
「彼女があなたがたを救い出した恩人」
金髪の前髪を真ん中で分けている女。
「ジャンヌ・イ・ウルフデリックお嬢さまです」
「おーい、みんなー」
「またジャンヌのうそだぜー」
「うそつきオオカミジャンヌの偽情報だー。動物を放しても大丈夫だぜー」
「ああ、不幸者! パパに信じてもらえず、わたしは不幸な娘だよ!」
「そうだ! お前は全くの不幸な不孝者だ! 孝行ができない親不孝者だ!」
「だったらパパは、不幸な娘不孝者だよ!」
ヒョヌとジャンヌがはげしくにらみ合った。
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