第2話 本を書く兄弟
この世界が二度目の世界であると言ったら、クレアならきっと信じるだろう。彼女は不自然を不自然とは思わない。全滅されたと言われてきた魔法使いだって彼女はずっと隠れて生きていると信じていた。自分には生まれつきの魔力があるからこそ、彼女に世界のことを話したってすべてを信じて受け入れることだろう。
だが、それを言うことにより、あたしの年齢だってバレるし、義妹であるメニーにしていたことだってバレてしまう。あたしが大のネズミ好きだってバレる恐れがあるわ。ぜったい気持ち悪いって思われる。それがいやなのよ。
(まあ、メニーをきらいだということは、クレアにきちんと告白したけれど)
クレアは受け入れてくれた。
人には好ききらいがあって、かならずすべてを好きになることなんて不可能だと言って。
だから、あたしはその言葉に甘えることにした。義妹に対する憎き心をわすれられず、あたしはよき姉を演じつづけ、今日を迎えた。
今日がなんの日か。めでたい日だ。時間が切り替わったその瞬間、あたしがおこなってきたすべての罪滅ぼし活動がおわりを迎えたのだ。
セイレーン・オブ・ザ・シーズ号となった元マーメイド号は順調に海の旅をつづけている。
ベックス家が破産する気配はない。
使用人の入れ替えはあるものの、残ってる使用人は多くいる。
ママは忙しそうに毎日を過ごしている。
来年、アメリアヌが愛する人と結婚する。
あたしは、国の第一王子、キッド殿下の婚約者。
――あたしは、心からクレアを愛してる。
「……」
夜明けがおとずれ、朝日がのぼりかけていた。あたしはベッドから抜け出し、カーテンをのぞいて、太陽のまぶしさに顔をしかめた。そして、ゆっくりと目をひらき、朝日をながめる。
(新しい一日がはじまった)
リオンはメニーを迎えに行ったのだろうか。以前見たときはそんな様子はなかったが、ひょっとすると二人とも気が変わって、舞踏会でやっぱりお互いを好きになって、リオンはメニーを城に連れて行ったのかもしれない。
(……家に帰ってメニーがいなかったらそういうことね)
どうしてだろう。
(胸が、なにもざわつかない)
(うらやましいとも思わない)
この景色が美しいからか。
はたまた別の理由か。
うしろから音がする。ベッドから抜けて、あたしに近づいてきて……うしろからだきついてきた。
「……おはよう……。……テリー……」
「……おはよう」
かすれる声に返事をして、手を重ねる。
「クレア」
「早起きだな……ふぁあ……」
「まだ時間があるわ。もう少し寝ましょう」
「朝のキス」
眠たそうなクレアがくちびるを向けてきた。
「んー」
「朝は口がくさいのよ。うがいして」
「お姫さまにそんなこと言うのか? 生意気だぞ」
「言うわよ」
ふり返り、かかとを上げて、くちびるを重ねる。クレアがとろんとした目をしたまま、幸せそうにほおをゆるませた。
「ね。くさいでしょ」
「……ぐひひ」
「声カスッカスじゃない。だからお酒はほどほどにしなさいって言ったのに」
「ん。……すごくおいしかった」
「頭痛は?」
「平気」
クレアがあたしの手の甲にキスをした。
「ダーリン、もうひと眠りしたいな?」
「……ん」
あたしとクレアがいっしょにカーテンをしめ、足並みをそろえてベッドにもどった。
(*'ω'*)
列車が城下町に向かって出発する。ひとときの旅行よ。さようなら。惜しむように窓から景色をながめる。
(はあ……。ここから先がまた長いのよね……)
せまい個室席でクレアと向かい合わせに座り、あたしはぼんやりと窓をながめる。
(こういうとき、なにしようか悩むのよね)
本を読むのもだるいし、窓をひたすらながめてるのも飽きてくる。かと言ってクレアと話をするのも話題が「疲れた」とか「ねむい」しか出てこない。
(……もういいや。ねよう……)
ぼんやり窓をながめるクレアから視線をそらして、イスの背もたれにもたれ、汽車の揺れが睡眠薬となり、あたしは男装用の帽子を深くかぶり、心地よくねむりについた。
しかし、大きな怒鳴り声が耳に入ってきて、あたしは目をさました。
(え……? もうついたの……?)
あれ、正面の席が空白だわ。
(クレアはどこに行ったの?)
「諸君に告ぐ! この列車は、我々が占拠した!」
(えっ!?)
あたしはどきっとして、個室のドアから廊下を覗いた。奥に、車掌を人質に取り、マスクをした男たちが立っていた。
「全員、動くな!」
(うわ、やばいわね。あたし、大人しくしてよっと)
……その瞬間、あたしのGPSが音を鳴らした。たんたらたららん。
(げっ!!!)
「なんの音だ?」
「リーダー、GPSの音では?」
「だれかが通報しやがったんだな!」
(やばばばばばば!!)
あたしはあわててGPSを止めようと音の鳴る場所をさがした。あたしは鞄のなかをのぞき、着信、と書かれた通知の画面を見つけ、絶句した。
(ふぁーーーーー!!)
マスクの男が個室のドアをあけ、あたしを見下ろした。
「このクソガキ!」
(ぎゃーーーーー!!)
恐怖のあまり声が出ず、あたしはぶるぶる震えて神さまに願う。
だれか、あたしを助けて!!
「見せしめだ! じっくりと殺してやるよ!」
――その瞬間、個室の窓からクレアが飛び込んできた。勢いよくマスク男を蹴り上げる。
「ぎゃっ!」
個室から廊下に吹き飛ばされた仲間を見て、マスク男たちが動揺する。
「なんだ!」
「どうしたってん……」
クレアがすべるように廊下を走り込み、マスク男を一人、また一人と殴って気絶させた。
「うわっ!」
「止まれ! 人質がどうなっても……!」
クレアが躊躇なく銃を撃った。銃弾は貫通するものではなく、破裂した瞬間マスク男の頭全体にペンキを降らせた。
視界が遮られたと同時にクレアがマスク男の急所に拳を入れ、泡を吹かせて気絶させた。
まだまだクレアは止まらない。さらに走り出し、次の車両に乗り込み、奥から悲鳴が聞こえ、三分後、ボスと思われる男を引きずりながらクレアがおなじみの『お手伝いさんたち』を連れてもどってきた。お忍びだとしてもついてきてたのね。気づかなかったわ。私服兵士の一人がクレアに振り向いた。
「クレアさま、いかがなさいますか」
「まとめて全員薬を入れる」
「御意」
私服兵士がマスク男たち全員に強い睡眠薬を注射器から注入した。そして、クレアの命令のもと、空いた個室のなかに閉じ込める。
「次の駅まで見張りを」
「はっ!」
「ああ、ご乗車のみなさま、車掌さま、もう安心ですわ。よかったですね!」
あぜんとする客と車掌にクレアが切符を見せて、あたしがいる個室にもどってきた。
「ダーリン、ただいま」
「……」
「おとり役ありがとう」
着信相手の名前に、ハニーと表示されていた。
「とつぜん銃声が聞こえたもんだから、おどろいて子猫ちゃんのように屋根に登ってしまったわ。ふう」
「……ハニー、本当のこと言いなさい。あなた、犯人たちの不意打ちを狙って屋根に登ったんでしょ」
「そんなことなくってよ。あたくし、おどろいた上にとてもこわかったの。足なんかすくんでしまったんだから」
「いけしゃあしゃあとよく言うわよ。事件発生から十分も経ってないけど」
「事件は始まったとともに終わりを迎える」
「……運が悪かったわね。犯人たちに同情するわ」
クレアがいなければうまくジャックできたかもしれないのに。
「どうするの?」
「次の駅には通報済みだ。軍に引き取ってもらう」
「おほほ。連絡が早いのはいいけど、ハニー? そろそろあたしをおとりにするのやめてもらえないかしら」
「ダーリンほどおとり役にあった人材なかなかいないんだもの」
「おほほほてめぇそろそろいいかげんにしなさいよ。あたしがどれだけこわい思いをしたことか……」
その瞬間、ドアがノックされた。
あたしとクレアが目玉を向けると、ガラス越しに紳士がほほえみ、ドアをあけた。
「失礼。お若き方々。ごきげんよう」
「ごきげんよう。紳士さま」
クレアが天使のようにほほえんだ。
「なにかご用ですか?」
「先ほど、あなたが華麗に犯人を仕留めていくところを見ておりました」
「まあ、お恥ずかしい限りですわ」
「ヤーコプと申します。各地を旅しており、本を書いてます。少々お話をお伺いしても?」
「まあ、ダーリン、どうしましょう?」
あたしは帽子を深くかぶり、荷物を持って奥にずれた。
「感謝いたします」
ヤーコプがあたしのとなりに座り、背筋をぴんと伸ばした。
「先程は助かりました。一緒の部屋に弟がおりましたもので、いやいや、可憐な姿でとてもお強い」
「親に武道を習っておけと言われておりましたもので」
「それはいい。女性は自分の身を守れて損はありません」
ヤーコプがメモを取り出した。
「先程も申し上げました。わたしは弟と各地を旅しており、その地に伝わる話を聞いて回っております」
「その地にまつわりお話、ですか?」
「だれかが成したからこそ得た教訓というものは、だれかが継承しないと消えていくものです。わたしはそれを本にして、未来ある子どもたちに読んでいただいているのです」
「変わった方ですね。本の売上はどうですか?」
「おかげさまで旅ができるくらいには。まあ、楽な生活ではありませんが」
ヤーコプが肩をすくませた。
「これもなにかの縁だと思い、よろしければあなたの生まれた地にまつわるお話を、きかせてはいただけませんか?」
「まあ、なにかあるかしら」
クレアが考え込んで、あたしを見た。
「ダーリン、あなたなにか知ってる?」
あたしにふらないでよ。おもしろそうににやにやしやがって。あたしは紳士のふりをして、低めの声を出す。
「君の好きな、塔にとじこめられたお姫さまの話でもしてさしあげたらどうだ?」
「まあ、それは素敵」
「ほう。塔に閉じ込められたお姫さまのお話、ですか」
「ええ。ええ。そうですわ。あたくし、とても大好きなお話ですの。おじいさまから聞いた昔話なのですが」
クレアはそこで、塔に閉じ込められた髪の長いお姫さまの話を始めた。あたかもほんとうにある話のように、真剣にヤーコプに
しかし物語があまりにも不気味で奇妙でおもしろく、魔女や王子さままで出てきて、おまけにラストはおとぎ話によくあるお涙の魔法で、バラのトゲで盲目になってしまった王子さまの目が治って、お姫さまと王子さまが幸せに暮らすというものだった。
ヤーコプは感動し、目を子供のようにきらきら輝かせた。
「素晴らしい。なんて素敵な物語なんだ。それは実話ですか?」
「おじいさまから聞いたので、半分作り話かもしれませんわね。けれどね、ここだけの話。我が国自慢の王子さま、キッド殿下とリオン殿下がいらっしゃるエメラルド城には、昔から古びた塔が建っていて、だれも近づかないと聞いたことがありますわ。知り合いがメイドとして働いたときに、その塔を見たって言ってたの!」
「それは実に興味深い」
「城下町にはいろんな方がおりますわ。もしかしたら様々な各地の物語をきけるかもしれません」
「城下町はまだ当分先になるのですが、いずれ行く予定です」
「まあ、そうでしたか」
「素晴らしい話をありがとうございます。わたしもラプンツェル、という花の話を、どこかできいたことがあります。あの花には、そのような物語があったのですね」
「お力になれたようでよかったですわ」
クレアがほほえむと、廊下から男が歩いてきて、あたしたちの個室を通り過ぎ、またもどってきて、ヤーコプを確認して、ドアを叩いてきた。
「おっと、失礼」
ヤーコプがドアをあけた。
「ヴィルヘルム、失礼だぞ」
「失礼はどっちだ。兄さん。急にいなくなったと思ったら、ナンパか?」
「ナンパなものか。話を聞いてたんだ」
「うん?」
(あ)
あたしとクレアを見たヴィルヘルムと呼ばれた男が、帽子を脱ぎ、軽く会釈をした。
「これはこれは、きのうの」
(写真を撮ってくれた人だわ)
あたしは帽子を深くかぶりながら同じく会釈をした。クレアが笑顔であいさつをする。
「こんにちは」
「失礼いたしました。レディ。彼は弟のヴィルヘルムです」
「すみません。兄がなにか失礼をはたらきませんでしたか?」
「いいえ。大丈夫ですわ。むしろ、ヒマでしたもので、時間つぶしにちょうどよかったの」
「寛大なレディに感謝するんだな。兄さん」
「話を聞いてただけだ」
「次の駅につきそうだ。荷物をまとめてくれ」
「ああ、わかったよ。……きれいなあなたと話ができず、嫉妬しているようです」
ヤーコプがクレアの手の甲にキスをして、ほほえんだ。
「レディ、お話をありがとうございました。とてもたのしいひとときでした」
「良い旅を」
「そちらも。……それでは失礼」
ヤーコプが立ち上がり、個室から出ていき、ヴィルヘルムとともに別車両にもどっていくのをながめ――クレアがため息をはいて水筒を取り出した。
「はあ。のどがかわいた」
「……よくもあんなつくり話をいけしゃあしゃあと話せるわね」
「なにを言っている。本当の話ではないか」
「なにが塔に閉じ込められたラプンツェルよ。ロザリーの話をすると思ってたら、ぜんぜん違う話が出てきておどろいたわ」
「ラプンツェル、ラプンツェル、お前の髪をたらしておくれ♪」
「塔にいた魔女はだれ? 物知り博士?」
「うーん。近しいところで言うなら、それこそロザリーではないか?」
「あーあ、魔女にされてかわいそう。あなたのかわいいロザリーが泣くわよ」
「あたくしに聞いたのが悪い」
「ええ。あの人は聞く人を間違えたわね。このペテン師。魔法のなみだでなくなった視力が回復するなんて、子どもが聞いたって信じないわよ」
「ロマンチックではないか」
「ソフィアが好きそう」
「あいつは好きだろうな」
列車が町に向かって走っていく。どんどん駅が近くなっていく。
「はあ。どんどん国に近づいてくるぞ」
「帰ったらお仕事?」
「そうだな。溜まってる仕事を片付けて、……じいやが待ってる家でくつろぐかな」
「じいじはずっと元気ね」
「ああ。長生きしてほしい」
クレアがちらっとあたしを見た。
「お前は出かけるんだったな」
「ええ」
「あたくしの分まで挨拶しておいてくれ」
「そのつもりよ」
「それと伝言をたのむ」
「伝言?」
クレアが言った。
「おとりにした上、助けられずすまなかったと」
「……一つだけ言っておく。……デヴィッドは、人を恨む人じゃないわ」
血に飢えたリトルルビィに首を切断された、ベックス家の使用人。
「おかげでリトルルビィは、身を持って人を殺める罪の重さを覚えた」
同じことをくり返さないよう、クレアがリトルルビィにきちんと善と悪を教えた。
「……ま、いいわ。伝えておくわね」
「ああ。たのむ」
「……あたしもはじめて行くの。ママがあたしたちを田舎につれていきたくないって言うから、今までずっと行かなかったんだけど」
今年はね、100年に一度の星祭っていうのが開催されるんですって。
「城下町からすごく遠い西の村らしいわ。むかし、まだその地域が村ではなく一つの国だったころに悪い魔女がいて、みんな奴隷のように扱われていたところを、女神アメリアヌさまが悪い魔女を退治したんですって。その日から村の平和を願って、100年に一度、アメリアヌさまが夜空いっぱいにきれいな星を見せてくれるらしいわ」
「それはまた興味深いな。なんて村だ?」
デヴィッドの故郷。ここからずっと西にある村。
「アトリの村っていうそうよ」
駅に着くと、軍人が列車のなかに入ってきて、マスク男たちを外へと引きずった。みんなねむたそうな顔でとぼとぼ列車からおりていった。
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