第1話 恋人とのひととき(2)



 にぎやかだった街が日が暮れるにつれ、静かになっていく。海が星空を反射し、また美しい夜の海が宿の窓から見えた。


(……よし)


 あたしはカーテンをしめた。


「……」


 そして、移動を開始する。白い扉をあけ、なかをかくにんする。箱がある。なるほど。ここに脱いだものを置くのね。

 着ていたものをすべて脱ぎ、用意されているバスタオルを一枚巻いた。


「……」


 あたしは思う。大丈夫。こんなの家で慣れてるじゃない。何度アメリとメニーと入ったことか。ニクスとだって何度も入ったわ。アリスとだって何回かいっしょに秘密の話をするために入ったことがあるの。上がるころにはのぼせて、二人でつめたいミルクを飲んで体を冷やしながら、またおしゃべりするの。あれ、たのしいのよね。つまり、なにが言いたいか。相手は女であたしも女。同性同士、体のつくりも同じ。なにも恥ずかしいことはない。


 あたしは余裕な顔をうかべ、またさらに奥の扉をあけた――瞬間、ぎょっと目を見ひらいた。


「おそい」


 湯気が立ち込める部屋のなかに、美しい肌が目の前にあらわれ、あたしは一瞬にしていろんなところを見てしまう。


「やっと来たか」

「ちょっ!!」


 しかし、本能がすぐにNGだと叫び――これは18歳以上見てはいけないものだとあたしに注意喚起をし――あたしは本能に従って、あわててうしろを向いた。クレアがきょとんとまばたきする。


「ん? どうした?」

「なんでまっぱだかなのよ! 体くらい隠しなさい!」


 クレアがじろりと、あたしの背中を怪訝そうな目で見る。


「どうせ裸になるのに、隠す必要などあるか?」

「結婚前に素肌を見せるお姫さまがどこにいるってのよ!」

「何度も見てるくせに」

「変なこと言ってないで隠しなさい!」

「ダーリンの恥ずかしがりや」

「うるせぇ! 早くしろ!」

「もー」


 こんなこともあろうかと予想していたクレアが持ってきていたバスタオルを体に巻けば、ようやく目のやり場におちつき、あたしはクレアにふり返った。ふう。それにしても、あんたあいかわらず胸ぺったんこね。あたしはね……ふふっ、だいぶ育ってきたわよ。どうよ。うらやましかろう。ええ? 成長期、うらやましかろう。


 あたしのバスタオルすがたを見たクレアが、ぶすっとくちびるをとがらせ、あたしに言った。


「これでは体が洗えないではないか」

「洗い合いは頭だけでしょ。いいから座って」

「はーい」


 とは言いつつ、あたしの目が色んな所に行き泳ぐ。クレアの、なめらかなさわりたくなるような肌。まるでまな板なのに、小さくふくらんでいる胸はなぜかいつまでも見てしまいそうで、だきついたらやわらかいんだろうなとか、その髪の毛は偽物なのにさらさらなんだろうなとか、クレアを見ているといろんなものが頭をよぎってしまう。


(ぐっ……! こういうのは男が思うものよ。女はお風呂恥ずかしいの! って恥じらうものなのよ。なによ。これ。くそ。なんであたしがこんなこと思わないといけないのよ。あなたもすこしくらい恥じらいなさいよ!)


 クレアが座ってあたしが膝立ちをし、クレアの頭皮にめがけてシャンプーを泡にして、わしゃわしゃ洗いだす。クレア、ここでしょ。あたし、わかってるんだから。わしゃわしゃ。しかし、まあ、不思議だわ。この髪、エクステなのに。


「意外と洗えるものね」

「洗えないと不便だろ」

「でも下手したら取れそう。全部テープで留めてるだけなんだもの」

「あたくしがすぐ取れるエクステをつけると思うか? 頭皮だけでなく、リンスもコンディショナーもヘアーケア全般いけるぞ」

「そんなこと言ってごっそり取れても知らないから」

「どちらにしろ明後日には取れてるものだ。問題はない」


 ……それをきくと、急にあたしの胸がしゅんとなった。つぶやかずにはいられない。


「もったいない」


 クレアがくすっと笑った。


「お前だけだよ。そう言うのは」

「……流すから目つむって」

「ん」


 クレアがぎゅっと目をつむり、あたしがその上からお湯を被せた。クレアの頭皮についてた泡がきれいさっぱりなくなる。あたしは手にリンスをつけて、クレアの髪の毛をなでた。本物の髪の毛はどれかしら。そんなことを思いながら口をひらく。


「あたしは髪の毛長いほうが好き」

「ほう。お前は長髪好きか。覚えておこう。ちなみにあたくしは」

「女は眼中にないんでしょ?」

「ダーリンならある。おかっぱ」

「ああ……」

「ねえ、もう切らないの? あたくし、髪の短いダーリンも好き」

「それはキッドの好みじゃなくて?」

「キッドの好みはあたくしの好みでもある。なぜならキッドの役者はあたくしだからだ」

「はいはい」

「だが勘違いするな。長髪が似合ってないと言ってるわけではない。お前がするならあたくしはなんでも好きになるだろう。そのなかでも、ショートヘアのお前はとても新鮮だったから、いつかもう一度見たいと思ってるだけだ」

「……いつかね。……はい、リンスおしまい」

「テリー、次はお前だ。座れ」

「……はーい」


 あたしが座ると、クレアがあたしの頭にシャンプーをつけて、泡だらけにして遊びはじめた。うんちヘア、ポニーテール、リトルルビィヘア、猫耳。


「クレア」

「ぐひひひひ!」


 目をつむればお湯がふってくる。泡が流されていった。次はリンス。クレアが丁寧にあたしの髪の毛をなでた。そうよね。やっぱりお手入れ中の髪の毛はだいじにしなきゃ。


「ねえ、ダーリン。ほんとうに体は自分でやるの?」

「あたり前でしょ」

「あたくし、お前の体なら隅々まで洗える自信があるんだ。見よ。このスポンジを! 高級品だぞ! もってきたんだぞ! 泡立つんだぞ!」

「ああ。そう。……体は個々でやりましょう。一応、どっちも嫁入り前なわけだし」

「……背中だけでも」

「体を見せたくないの。背中を見せたらお尻が見えるでしょ」

「なら……」


 クレアがぽっと頬を赤らめ、バスタオルに手をかけた。


「あたくしも見せるから……」


 クレアがぬぎかけた瞬間、あたしは予備に持っていたタオルをクレアの顔に巻きつけた。


「ぐわぁっ! 貴様! なにをする!」


 あたしはその隙に体を洗い、一気に上から下まで泡を流してタオルを体に巻く。


「っ」


 クレアが顔からタオルを取り、あたしが洗い終わったタイミングと重なった。綺麗になってきらきらかがやくあたしを、クレアが恨めしそうに見た。


「……チッ。仕事の早い奴め。アイスティーをぶちまけてやろうか」

「先に入るわよ」


 髪の毛を丸く結んでから、大きなジャグジーに入る。一番風呂。


(ふは!)


 あったかくて、体がとろける。


(はーあ。いいわぁ……)


 クレアが体を洗う間はクレアに背を向けて、お風呂をたのしむ。


(これはいいわぁ……)


「……風呂のなかにタオルを巻いたまま入る愚か者がどこにいる」

「なによ。恥ずかしいじゃない」


 クレアがため息をつき、宿のアメニティグッズのなかにあった入浴剤をジャグジーのなかに入れた。たちまち透明だったお湯は白くにごり、なかが見えなくなる。


「これなら問題ないだろ?」

「ふーん。こんなのもあるのね」


 あたしは入浴剤の袋に書かれていた説明文を読んだ。つるつるすべすべ肌になります。高級品です。すごいサービスでしょ。どやぁ。


「お肌にいいんですって。泡になるやつはないの?」

「これしかないようだ」

「あら、すごい! あたしのもちもち肌が、もうつるつるになってる! ふん! なかなかやるじゃない! クレア、早く来なさい!」

「ん」


 あたしが自分の肌を見ている間にクレアがジャグジーに入った。お湯が少しあふれる。すごい。腕がつるつるだわ。すごい効果だわ。すごいわ。この宿。これなんていう入浴剤? ぜひ屋敷でも取り入れたいわ。


「ダーリン」

「ん?」


 顔をクレアに向けると、クレアが両手をのばした。


「こっち来て」

「んー」


 うしろをむき、背中をクレアにあずける。ふう、と一息ついて――はっとした。


「ふげっ!?」


 驚いて、前のめりになる。


「ん?」

「タオルは!?」

「必要ない」

「げ! やっぱりこいつぬいでやがる! いつぬいだの!?」

「お前が自分のお肌に夢中になってる間に目の前で」

「ばかじゃないの!? 恋愛というものは! 距離を保ちつつ誠実な関係を築き……!」

「ちょっとだまってろ」

「ひゃい」


 うしろから強くだきしめられる。


「んっ!」

「っ」


 肩をぴくりと揺らすと、クレアの手もびくっと動き、――やさしく、あたしをだきしめた。


「「……」」


 少し緊張して胸が小さく波打つ。そのなかで、クレアの顎があたしの肩に置かれた。


「「……」」


 あたしの肌が、緊張からかきもちよさからか、鳥肌が立つ。それでもやっぱりとてもきもちよくて、……お互いに脱力する。


「「……」」


 お湯があたたかい。湯気が風呂場を包む。窓から夜景が見える。クレアの髪の毛からしずくがしたたる。あたしの髪の毛からもしずくがしたたり、首筋を通って、お湯のなかに消えていく。クレアの目がそれを追いかけていた。


「……」


 クレアがつばを飲み、手が動き、あたしの手と手を合わせた。


(……ん)


 どちらともなく、……多分あたしからね。指を絡めれば、クレアの吐息混じりな笑い声が耳にひびいた。


「ダーリン、きもちいい」

「……ん」


 クレアの体温があたたかい。また鳥肌が立つ。でもおちつく。クレアがあたしの耳にささやいた。


「……ね、テリー、お前、最近胸が大きくなっただろ」

「……ふっ! ……どうやら気づいたようね。いいでしょ。これぞ成長期よ」

「どれどれ」

「 さ わ る な 」


 真顔で怒ると、クレアが顔をしかめた。


「……女同士ではないか……」

「恋人。嫁入り前。以上」

「ねえ、タオル」

「はずさないわよ」

「……こんなにくっついてるのに、おさわり禁止。見るのも禁止。ダーリンのケチ」


 クレアが不満そうに文句を言った。


「この布のせいで、お前の肌をまるで感じない」

「あたしまだ17歳なの。健全な恋人関係を……」

「あたくしは12月で21になる」

「……遠回しに、合わせろって言ってる?」

「言ってないし、言うつもりもない。ただ、……少しくらいお前にさわりたい」

「さわってるじゃない」


 手をにぎにぎ。

 クレアがむすっとむくれた。


「ぜんぜん足りない」

「……」


 あたしは手を離し、クレアの正面になるよう体を向けた。クレアがむくれている。あたしはそっと顔を近づけさせた。クレアがきょとんとした。あたしは首を傾げた。


 くちびるが重なる。


「……」


 お湯のなかで、手が重なり合う。


「……」


 離れて、またくちびるがふれ合う。


「……」


 前にハロウィン祭でやった、キスの練習、活用されたわね。


「……」


 顔を離せば、クレアがじっとあたしを見つめていた。


「……」


 キラキラしたひとみで見つめてくる。こう思ってそう。次はどんなキスをしてくるの? あたしは痛い視線から顔をそらした。


「……はい。おしまい」

「っ」


 クレアがあたしの顔をぬれた手で掴み、くちびるを寄せてきた。


「ちゅ」

「んっ」

「ちゅ」

「クレア」

「ちゅ」

「んちゅ」

「ちゅ」

「ちょ、まっ」

「ちゅ、ちゅ」

「んっ、んっ」

「ちゅ、ちゅ、ちゅううううう」

「ん、ん、んんんんんんん!」


 クレアから離れようと肩を押すと、腰を掴まれていることに気づいた。


(げっ! しまった!)


 顎をぐっと掴まれる。


「ん、んん、んふ……」

「……テリー、口あけて……」

「……ふっ……はぁ……この、……ばか……」


 口をあければ、クレアが舌を入れこんできた。


(……っ)


 口のなかを舌がお散歩する。あたしの舌と手をつなぎたいみたい。舌同士が絡み合う。


「んっ……」


 クレアのくちびるが動く。


「ん、ん……!」


 舌が絡まりあって、離れない。


「あ、ん、んふ……んんっ……」


 唾液が口のなかにたまっていく。飲み込めない。


「んっ……んんっ……!」


 クレアが離れた。


「はっ……!」


 唾液がお湯のなかに落ちる。咳をして、クレアに強くしがみつき、ひたすら浅い呼吸をくり返す。


「は、はあ……」

「テリー、深呼吸」

「……ん、……ふう……はあ……」

「ゆっくり」


 クレアがやさしくあたしを抱きしめた。


「よし、よし」


 とんとん、とやさしく叩く手といっしょに、呼吸をしてみる。深く吸って、深く吐いて。


「鼻で息すればいいのに」

「……」

「相変わらず呼吸の仕方が下手くそだな。テリー」

「……うるさい……。……あなたが」


 あんな、キスするから。

 ……あたしはクレアに頭をすりすりさせた。


「……なんでも、ない」

「なんだ。言え」

「……のぼせたらどうするのよ。顔あついんだけど……」

「そのときはあたくしが運ぶから安心するといい」

「怪力が」


 悪態をつきながらもあたしはクレアから離れない。だって、こんなにあったかくて、きもちよくて、おちつくんだもの。


(あったかい)


「……テリー、……あったかい」


 クレアがあたしの耳元でささやいた。


「ずっと、こうしてたい」


 とろけそうな声。女のくせに男みたいな低い声。でも、好き。あたしまでトロトロにとろけてしまいそう。

 鼻で酸素を吸えば、クレアの匂いを感じた。花のいい匂い。今夜のシャンプーは同じものだから、あたしはクレアと同じ匂いに包まれていることになる。逆に、クレアもあたしと同じ匂いに包まれている。


 二人だけの匂い。


(なんか、……胸がほわほわする……)


 満足感に満たされていく。


(クレアがそばにいる)


 あったかい。

 クレアのぬくもり。

 クレアの匂い。

 背中をなでれば、クレアの肌にふれられる。


「ん」


 指の腹でなでてみる。


「んっ」


 つるつるしてる。


「あっ、ちょ、テリー」


 すべすべしてる。


「ふぇっ、んっ、健全な、関係と、ぁっ、お前が、言ったくせに……」


 手が下にすべった。


「あっ!」


 クレアの腰がピクリと揺れた。


「……」


 クレアがぼうっとした目であたしを見てきた。


「……えっち……」


 ……不覚にも、胸がきゅううんと鳴ってしまった。


「……あたくしのお尻をさわるなんて……この……どすけべテリー」

「……腰だと思ったら尻だったのよ」


 なでなで。


「あん。ダーリンったら。そんなところだめっ」

「だめっていいながら尻を寄せてくるな」

「どうだ。形がいいだろ。お前とちがってきたえてるからな。すばらしいだろ。まるで桃のようだろう」

「はいはい」

「テリー、お前はあたくしの尻をさわった。なんでもかんでも一歩通行ではいけない。つまり」


 クレアがひとみをギラギラに光らせて手をワキワキさせた。


「あたくしもお前の尻にさわって両通行……」

「はあ、良い湯だった」


 さっさとジャグジーから出る。


「先、着替えるわね」


 ぽかんとするクレアの頭にぽんと手を置く。


「ごゆっくり」


 ドアをあけると、うしろから殺気を感じて、あたしは逃げ出す。


「この、ふぬけ!」


 シャワー攻撃をされる前に、あたしは浴室のドアを閉めた。



(*'ω'*)



 涼しい風が部屋に吹く。風に揺られて鈴が鳴った。


(はー。きもちいい。すずしい)


 クレアがトイレからもどってきた。あたしの横に座って、晩酌を再開する。


(……お酒、いいな……)


 お酒をついで、ゆっくりと飲む。

 クレアののどが動く。あたしはその横顔をぼーっとながめる。


(……。……。……はっ。みとれてた)


 クレアがグラスを置いて、目をつむりながら風に当たった。……その隙にグラスを取ろうと手をのばしたら、


「テリー」


 クレアと目が合い、あたしはぴたっと止まった。


「お前、何歳?」

「よ」


 ううん。あたしはもう数えないと決めたのよ。あたしは自信満々に答えた。


「18歳だけど?」

「17歳だろう。ばか」


 クレアがグラスを掴んだ。


「来年、乾杯しよう」

「ねえ、そのお酒おいしい?」

「コクがいい。口当たりがやわらかいから、お前みたいなやつが飲んだら悪酔いしそうだ」

「一口だけ」

「だめ」

「一口だけ」

「じいやに叱られるのはあたくしなんだぞ」

「ばれないわよ」

「だめ」

「ケチ」

「それで我慢しろ」

「チッ」


 あたしは目の前にある炭酸付きのオレンジジュースを飲む。


「あなたなんてね、二日酔いでつらい目にあえばいいんだわ」

「ああ。ほどほどにしておこう」

「げっぷ」

「おい、姫の前でげっぷをするな」

「わざとじゃないわ。出たのよ」

「ムードもロマンもない」

「あなたの場合、もう少しよ。あのね、25を過ぎた頃からオナラもゲップもいたるところから出てくるようになるのよ。しかもくさいの。でもね、それが人間なの。これは生理現象なの。仕方ないの」

「残念だがそれは胃が悪い人間だけだ。食生活を見直すか病院にいけ」

「氷いる?」

「……ん。お願いしよう」


 トングで氷を掴み、クレアのグラスに入れる。クレアがお酒を注いだ。いいな。おいしそう。綺麗な夜景を見て、海の音をきいて、晩酌。ああ、あたしも早く18歳になりたいわ。……もう何年も前に一度なってるんだけど。


(あのときはすでに牢屋のなかだったけ……?)


 夜風が部屋の鈴を鳴らす。


「この町の夜風は涼しいわね」

「海が近いからな」


 虫が飛んできた。クレアが人差し指を出すと、指の先端に止まった。クレアがそれをじっとながめる。あたしは夜の景色をながめる。風が気持ちいい。虫の動きを見ていたクレアが、ふと、あたしに言った。


「テリー」

「ん?」

「もう一泊」

「だめよ」

「まだなにも言ってないが?」

「仕事があるんでしょ」

「お前、位が低いくせに、王女の言葉をさえぎっていいと思ってるのか?」

「ああ、申し訳ございませんでした。お姫さま。発言をつづけてくださいな。どうぞ」

「もう一泊泊まろう?」

「だから、だめだってば」

「一日くらい良いではないか」

「その油断が国を崩壊させるのよ。帰り道だって時間かかるんだから」

「あたくしのダーリンはつめたいねー。やだねー」


 クレアが虫に言って、ゆっくりと指を動かした。虫は月に向かって飛んでいく。


「それなら、またどこか出かけたい」

「王様になったらそんなヒマなくなるわよ」

「だからこそ今のうちに行くのではないか。父上もまだまだ元気だからな」

「そんなこと言って。ちゃんと手伝わないと、この先たいへん……」


 時計の針がカチッと動いた音に、あたしの心臓がびくんと動いた。


「ん?」


 あたしとクレアが時計を見た。もう少しで、今日がおわる。


「もうこんな時間か」

「……」

「もう寝る?」

「……クレア」

「ん?」

「ちょっと、いい?」

「ん。なんだ?」


 あたしはクレアに体を向け、クレアの両手をつかみ、そのままにぎりしめる。クレアがうれしそうにほおをゆるませて、ほほえみながらあたしを見つめる。


「なに?」

「……ん」


 時計の針は進む。


「今日、たのしかったわね」

「……ああ。たのしかったな」


 時計の針は進む。


「お前の誕生日プレゼントだったはずなのに、あたくしがプレゼントされた気分だ」

「……そんなことないわよ」

「そうか?」

「あたしもたのしかったもの」


 あと、50秒。


「今度はあたくしの誕生日に来るか? 今回みたいに、日付をずらして」

「そうね。都合のいいときに」

「テリー」


 あと、40秒


「言わせて」

「ん?」

「きのうは誕生日おめでとう」

「……ありがとう」

「来年は当日に祝いをさせろ」

「……ねえ」


 あと30秒。


「クレア」

「ん」

「愛してるわ」

「……あたくしも愛してる」


 20秒。


「恋愛というのは飽きるものだと思っていたが、お前に関しては日に日に惚れ直してる。どうしてくれる」


 10秒。


「もう、お前なしでは生きていけないではないか」

「それは言いすぎよ」

「言いすぎじゃない」


 9、


「お前のいない未来なんて考えられない」

「重たい」

「お前もそれくらい愛して」


 8、


「愛してる?」

「愛してないとこうしてない」

「ぐひひっ」


 7、


「クレア」


 6、


「あたし、中身を知った上で、こんなに人を好きになったことないと思う」


 5、


「クレアが好き」


 あたしはまぶたを閉じる。


 4、


「ずっとそばにいたい」


 カウントダウン。


 3、


「あなただけ」


 終われ。


 2、


「クレア」


 終わって。


 1、


「愛してる」


 お願い。夢なら覚めないで。

 クレアが身を寄せてきた。



 0。



 クレアのキスと共に、新しい一日が始まった。


「……」


 あたしはゆっくりと、鼻呼吸をした。


「……」


 緊張の空気のなか、そっとまぶたを上げた。


「……」


 クレアが見える。


(……あ)


 クレアが、生きてる。


(……)



 メニーがリオンの迎えによって屋敷から出ていく日が、やっと終わった。



「……」


 目の前には確かにクレアがいる。


「……」


 手のぬくもりは嘘じゃない。


「……」

「……テリー?」


 クレアがあたしの顔をのぞきこむ。


「どうした?」


 あたしはクレアの顔をずっと見つめる。


「テリー?」


 クレアがあたしの頬に手をそえた。


「……なぜ、泣いている?」


 夢じゃない。

 終わった。

 終わったのよ。


(この先の未来は絶望しかなかった)


 でも、今はちがう。


(あたしはガラスの靴なんて履いてない)


 今年もおこなわれたリオンの誕生日である舞踏会には欠席した。クレアとお忍びでここにくるために。


(あたしはやり遂げたのよ)


 罪滅ぼし活動は、これですべて完了となる。


(終わった)

(あたしは)

(回避したんだわ)


 新たな未来が今日からはじまる。あたしも知らない未来が。

 船の沈没事故もなかった。ベックス家が破産する気配もない。紹介所は安定してつづいていて、リトルルビィも、ソフィアも、ニクスも、アリスもみんな生きていて、だれもいなくなってない。

 そして、目の前には――、


「クレア」


 身を乗り出してだきしめる。


「愛してる」


 心から伝える。


「この先もずっと愛してる。あたしのクリスタル」


 あたしは牢屋に入らずに済む。

 あたしはもう苦しい思いをせずに済む。

 これでようやく、心置きなく、彼女を愛することができる。


「愛してる」

「……あたくしも愛してる」


 クレアがほほえみながら、鼻をすするあたしを抱きしめ返した。


「あたくしもお前だけだ」


 さらに力を込めてあたしがしがみつくと、クレアがくすくす笑った。苦しい、と言いながらあたしのことも強くだきしめて、あたしももっと強くだきしめて、しばらくして、クレアから離れた。


「テリー、見せたいものがあるんだ」

「……?」

「二日、いや、三日おくれか」


 パジャマのポケットから取り出して、あたしに見せた。


「えー、あらためて、ごほん。おとといは誕生日おめでとう。ダーリン」


 ペアリング。銀色のリングの真ん中に線が入っていて、青と赤色で彩られている。それを見て、あたしはふっと笑った。


「……あいかわらずお揃い好きね。ほんとうにあたしのため?」

「半分お前、そして半分はあたくしのためだ」

「でしょうね」


 クレアがテーブルにリングを置いた。赤は右。青は左。


「どっちがいい?」

「右って言ったらくれるの?」

「ここは空気をよめ。お前の選択肢は一つしかない」

「いやなこと思い出させてくれるわね」

「どっち?」


 あたしの口角が上がる。


「……左」

「手を出せ」


 あたしは左手を出した。クレアがあたしの薬指に青色の線が入ったリングをはめた。


「これであたくしのことをいつでも思い出せるな。いつでもオカズにしてくれていいぞ」

「はいはい。……手出して」


 言うと、クレアがきょとんとして、……にやけた。


「つけてくれるの?」

「ほら、はやく」

「……っ、ん!!!!」


 クレアが素直に左手を差し出して、あたしもクレアの薬指にリングをはめた。クレアがリングを見て、嬉しそうにはにかむ。


「……見て。テリー。……お揃い」

「……ん」

「いつでもお前を思い出せる」


 クレアがあたしの指に、そっとキスをした。


「愛してる。テリー。あたくしの運命の人」

「……もう遅いわね。寝ましょう」

「……ダーリン」


 クレアの目がきらんと光った。


「あたくし、心の準備はばっちりよ」

「ん」

「はい」


 クレアが小さな四角い袋をあたしに差し出した。あたしはそれを見て、まゆをひそめる。


「なにこれ」

「ゴム」

「ゴム?」

「ゴム」

「……? これ、なにに使うの?」

「えーーーーーーー?」


 クレアが瞬時に、にやぁあ! と笑みを浮かべる。


「なににつかうって、それは、もう……」


 クレアがくねくねと歩きだし、ベッドにたおれ、ほおを赤らめて、指を口にくわえた。


「お、女同士で、するときの、……指専用……?」

「わ、なにこれ。濡れてる。なんかねちゃねちゃする。……無臭だわ。余計に怪しい」

「やだ。ダーリンったら。中指にぴったり。その指で、はあ、あたくしのなかを……! はあ! ……大丈夫。あたくし、もう心の準備はできてるから! いっぱい、かきまわしてくれても、あたくし……!」

「……なんかよくわかんないから、いらない」


 あたしはゴムを中指からはずして、ゴミ箱に捨てた。クレアがぎょっとする。


「あっ!」

「変なものであそばないでとっとと寝るわよ」

「変なものってなんだ! おたがいの体のためには大切なものだぞ!」


 あたしはランプを消して、自分のベッドにねそべった。


「おやすみなさい」

「ダーリン、じゃあ、せめて、いっしょのベッドで寝よう」

「嫁入り前」

「なにを言っている。うちに居候してたときはさんざんいっしょに寝たではないか。塔でだっていっしょに寝てたではないか」

「今、恋人同士。嫁入り前。以上」

「ダーリン、さびしくてねむれない!」

「あんたいつだって一人でガーガー寝てるじゃない」

「今夜は悪夢を見るかもしれない! あたくし、こわくってねむれない!」

「嫁入り前。以上」

「……」

「おやすみなさい」


 あたしは目をつむった。今日は早朝から歩いてたからつかれたわ。ぐっすり眠れそう。ふう。


 ……うしろからもぞもぞきこえた。


(……)


 ……あ、ベッドから抜け出したわね。


(……)


 歩いてくるわね。


(……)


 立ったままだまって見下ろさない。てめえはおばけか。


(はあ)


 あたしはためいきをはいて、うしろのシーツをもちあげた。


「ん」

「っ!」


 クレアがうれうれと息を吸って、すぐさまあたしのベッドにもぐってきた。しばらくもぞもぞ動き、ちょうどいいところを見つけて、あたしをだきしめて止まった。


「テリー、ちゅっ」

「んっ」


 うなじにキスをされた。


「こら」

「好き」

「……もう」


 クレアの手の上に手を重ねて、かるくにぎる。


「……まんぞく?」

「それはお前だろう?」

「おほほっ」

「あたくしが他人にこうするのはめずらしいんだぞ。感謝するんだな」

「はいはい。そうね」

「テリー」

「ん」

「……キスして?」

「……」


 あたしはふり返り、すぐ目の前にいた笑顔のクレアと何度目かわからないキスをする。くちびるを離したときのクレアの吐息に、……すこし、色気が残った気がした。


「……ダーリン……」


 青いひとみが宝石のように輝く。なんて美しいひとみなのかしら。


「……もっと……」

「っ」


 クレアがあたしの上に乗った。


「ん」

「ちょ」


 くちびるが重なる。


「クレア」


 くちびるを重ねて、手をにぎる。


「んっ」

「ちゅう」

「……っ、クレ……!」


 くちびるがふさがれる。


「んっ」


 手をにぎりしめる。


「……っ」

「ふはっ」


 クレアが呼吸し、あたしにささやいた。


「テリー、舌出して」

「っ」

「バスルームのつづき。べーって、舌、のばして」

「……、……ばか……」


 言われたとおり舌を伸ばしてみる。そしたらクレアの舌も伸びて、あたしの舌と再会したと思えば、大人しくするはずもなく、口のなかをぐちゃぐちゃに荒らされる。


(……さっきもしたのに……)


 目を閉じれば、より鮮明にクレアの舌を感じる。


(うご、いてる……)


 あたしの腰が、ぴくりと揺れた。


(慣れない……)


 つばがまざりあう音が耳に入る。水と水が重なり合って、ぐちゃぐちゃと下品な音が作り出される。


(息が……)


「……はっ……!」


 くちびるが離れたのをきっかけに呼吸をすると、上から見下ろしてくるクレアの目が見えた。


「テリー」


 クレアがあたしに乗っかる。重たい。つぶれる。


「テリー」

「……んっ……」


 クレアがあたしの首にくちびるをあてた。くすぐったくて、小さく悲鳴をあげる。すると、クレアがあたしの耳にキスをして――舌でなぞってきた。


「っ! ちょ、なに……!」


 ぐちゅ、ぐちゅ。


「クレア、そこ、き、きたない……から……!」


 ぐちゃ、ぐちゅ。


「やめ、……っ……!」


 体がびくっ、びくっ、と、魚のように痙攣する。


「んっ、……ふぅっ……!」


 ――クレアの舌が離れた。

 あたしは呼吸を乱し、ぐったりして、クレアの手をひたすらにぎりしめる。

 クレアがその様子ににやりとして、くちびるを舌なめずりした。


「テリー」

「……ばか、姫が……」

「……どちらかが男でなくてよかったな」


 なめられた耳にささやかれる。


「男だったら嫁入り前も関係無く、この場でお前を犯し、子どもを作っていたことだろう」

「……」

「ああ、ざんねん、ざんねん」


 クレアがあたしのとなりにもどってきて、やさしくあたしをだきしめた。


「ざんねん、ざんねん」

「……」

「はあ」


 クレアがあたしをだきしめたまま、ほおをすりすりしてきて、再度寝る姿勢でちょうどいいところを調節し、止まる。

 ……あたしに腕枕なんかして痛くないのかしら。顔をあげると目が合う。クレアがほほえんでる。


「……おやすみ。テリー」

「……おやすみなさい。クレア」


 あたしはクレアに体を向けて……安心してねむる。クレアがあたしの背中をやさしくたたいて、あたしがねむってから、……あたしのなみだがかわいたことを確認してから、クレアもねむった。


 夜が過ぎていく。

 世界は、新たな夜明けをまつ。


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