第28話 彼女は迎えを待っている


 夕方頃には挙式も終わり、大人は宴会。あたし達は最後にもう一遊びしようと海に出掛けたら――ローレライがニクスとアリスに商売をしていて――アメリと一緒に現行犯逮捕をする。


「あんたまた詐欺行為して!」

「詐欺じゃないんだぜ! 商いなんだぜ!」

「ニクス! アリス! 大丈夫!? お金は取られてない!?」

「もう詐欺商売はやめなさい!」

「やめないんだぜ! 私は大金持ちになるんだぜ! 成金王になるんだぜ!」

「「ローレライ!!」」


 わーわー騒いで、城にいる使用人達にローレライを押し付けて(めちゃくちゃ抵抗してたけどいい気味だわ。ざまみやがれ)――またビーチバレーで遊んで――リトルルビィとメニーが楽しそうに海で泳ぎ――ニクスとアリスと貝拾いをして――夕食までみんなと一緒に過ごして――別れて――一日がとても早く感じた。


 月が昇る。良い子はもう寝る時間だけど、あたしは夜風に当たりたくて、庭のベンチに座った。


(……終わった)


 背もたれに体重を預ける。


(終わったんだわ)


 色んな事が頭に過ぎる。船が沈んでから全てが狂った。この先の未来はわからない。不安な事だらけ。


(今わかるのは……)


 リオンがメニーを迎えに来る日。そして、……うちが破産するはずだった日が、来年のメニーの誕生日であるという事。


(……どうなるかしらね)


 少なくとも、マーメイド号が沈む未来は無くなった。だって、あの船はもうマーメイド号ではなく、セイレーン・オブ・ザ・シーズ号という船だもの。


(使用人はみんな屋敷にいるし)

(二度と会うはずのなかった金にがめついローレライとも会えたし)

(クロシェ先生は死ぬ事なく結婚して)

(あたしは建前上キッド殿下の婚約者)

(アメリは子爵と婚約)

(メニーとリオンはなぜか恋愛関係にはならず)

(状況がまるで違う)

(でも、これでいいのよ)

(だって、これで)



 ――アメリはママに足を切られないのだから。



(……)


 あたしは溜め息を吐いた。


(目を瞑ったら鮮明に思い出す)


 ママは笑顔だった。


(歪んでた)


 ママが言ったのよ。

 今までずっと大事にしてくれてたあたし達に、ガラスの靴のサイズと足のサイズが合わないから、足を切れって。


(ああ)


 嫌だ。思い出したくない。


(大丈夫。回避したわ)


 あたしは自分を抱きしめる。


(回避したじゃない)


 なんであたしだけが覚えてるの。


(なんでこんな記憶だけはっきり覚えてるの?)


 ニクスとの楽しい会話も、アリスとの楽しい会話も、嬉しかった事も、すぐ忘れるくせに。


(なんで、痛い記憶だけ)


 あたしの中に残り続けるの?


 ――あたしの頭に一気に流れこんでくる――。


 悲鳴を上げるアメリ。

 笑顔でナタを構えるママ。

 ママを止めた兵士達。ギルエド。

 それでも止めなかったママ。

 アメリの足の指が潰されて、切られて、アメリが泣き叫んでた。

 血が吹き出し、その後、靴を履かせた。

 ガラスの靴は真っ赤に染まっていた。

 入ったから、リオンが泣き耐えるアメリを歩かせて、馬に乗せたの。

 あれはきっと、悲鳴が大好きなジャックだったんでしょうね。

 でも、血が止まらなくて、透明なガラスの靴は真っ赤に染まって、結局戻ってきて、アメリに靴を脱がせて、足を押さえて座り込むアメリに見向きもせず、リオンがこう言ったの。他にお嬢様はいないんですか?

 ママは、笑顔をあたしに向けた。


「さあ、テリー、靴を履いてごらんなさい」



(……っ)


 あたしは口を押さえた。胃の中の物が上に上ってきて、ぐっと堪えて、唾を飲みこんで、また胃に戻す。


(あれは、……ママじゃなかった)


 でも、止められなかった。


(今ならともかく)


 あの時のあたしでは、何も出来なかった。


(運が良かったわ)


 あたしは、足の爪が剥がれる程度で済んで。


「……」


 風が吹く。


「……」


 思い出す。


「……」


 ママの、歪んだ姿。


「……」


(……どうして、あんな事したのかしら)


 ママはあたし達を大事にしてくれてた。メニーはともかく、あたし達二人の事は愛してくれていた。


(船が沈んで、お金を払い続けて、どんどん生活が苦しくなって、それから、いつからか)


 ママがおかしくなったのよ。


(……元々ヒステリーだったから、その延長だと思ってた)


 でも、今考えたら、


(工場に行く前から、ママはおかしかったのかもしれない)


 メニーが出ていってから、ママは力尽きたように自分の部屋で廃人になってた。


(そうよ)


 アメリは片足の指を無くして、足を引きずって歩くようになった。


(そうよ)


 ママは廃人となって動かなくなった。


(あたしは)


 あたしは、


 空っぽの、屋敷の中で、掃除をして、皿洗いをして、三人分の食事を作って、


 メニーがいなくなったから、


 全部、あたしが、


(……っ!!)


 思い出したら、やっぱり込み上げてきて、吐きたくなって、あたしは急いで立ち上がり、走り出した。広大な庭を走って、駆けて、森の中に隠れて、島にごめんなさいと謝って、――その場で吐いた。


「げろろろろろろ!! げほっ! うっ、おぼろろろろろ!!」


 出る出る。どんどん出る。


「おぼっ、ぼろろっ、おほっ! げほっ!」


 体を力ませる。


「ごほっ! おぼぼぼぼっ! おろろっ! ろろっ! ごほっ! げほげほっ!!」


 気持ち悪い。

 気持ち悪い。

 気持ち悪い。


「げほげほっ!! げほげほっ!!」



 気 持 ち 悪 い 。



(誰か)


 助けて。


(苦しい)


 助けて。


 あたし、


 わすれられない。


 たすけて。




 たすけて。










 そっと、手があたしの背中に触れた。


「……」


 手が、あたしの背中を撫でた。


「……」


 背中がどんどん温かくなり、どんどん、吐き気が治まってきた。


「……」


 あたしの目から涙が落ちた。


「……」


 涙が止まらない。


「……」


 痛い記憶が、あたしの心臓を突いてきて、いつまでも、いつまでも、ずっと、脳の中に居座り続ける。人によっては、辛い事が衝撃的すぎて記憶の箱に閉じ込め、忘れられる人もいる。あたしもそういう人になりたい。


 忘れたい。


 全部、忘れたい。


 忘れられない。


 あった事を、無かった事には出来ない。


「……」


 手はあたしの背中を撫でる。


「……」


 吐き気は治まった。涙が落ちるだけ。


「……」


 この手は誰だ。


「……」


 なぜか、頭にぽんと、その人物が浮かんだ。


「……」


 まさかと思って、あたしは振り返らず――訊いてみた。










「……コネッド?」









 木の草が揺れる。

 あたしは固まる。

 風が吹く。

 星が輝き、月は輝く。

 相手は鼻で笑うだけだった。


「あの姿がお望みか?」


 粘りつくような暗い声に、ぞっと息を呑んだ。


「オラ、この姿あんまり好きじゃねえんだよなー。美しくねえんだもん」


 かと思ったら、コネッドの明るい声。かと思ったら、また、闇の気配。


「お前も美しいわらわが好きだろう? トゥエリー」


 オズの手が、あたしの背中から離れた。あたしは振り返らず、じっとする。


「……何しに来たの」

「ああ、少し貴様とお喋りをしにきたんだ」

「お喋り?」

「んふふ! そう警戒するな。確かにこの世界はわらわのものだ。だが、非常に残念な事に、一つだけ。唯一この島だけはグリンダに取られてしまった。だから、わらわがここで貴様に手出ししようものなら、たちまちわらわに罰が下るだろう」

「言ってる意味がわからないんだけど」

「ならばこう言おう。この島にてわらわは誰にも手出しは出来ない。それがこの世界で決められた魔法使いのルールだと。これなら頭の悪い貴様にも通じるだろう」

「……お前のせいよ」


 あたしは目の前の木を睨み続ける。


「全部……お前のせいよ」

「……わらわが、なんだと?」

「お前が……呪いの飴なんて渡すから……みんな不幸になるのよ……。お前が何もしなければ……」


 みんな平和に暮らせるのに。


「果たしてそうかな?」


 オズがすっとぼけた声を出した。


「ならば、なぜ人は祈る? なぜ居もしない神がいる前提として、願いを叶えてくださいこの通りと祈るのだ」

「願いを叶えてほしいからではないのか」

「それ相当の願いがあるからではないのか」


 トゥエリー、何か勘違いをしてないか?


「勘違い?」

「わらわが力を貸してなければどうなっていたか。そうだな。貴様の側にいる者達の話をしようか。あのブリキの子孫とか」

「……は……?」

「あー、全く、すまない。それでは阿呆な貴様には通じなかった。貴様の脳は土で出来ている。考える事なんて出来やしない。ならばこう言おう。ルビィ・ピープルの願い」


 いや、


「くたばった兄の方だったか」


 神様、神様、どうか、僕達を助けてください。母さんが死にました。妹はまだ幼いです。食べるものがありません。助けてください。お願いです。助けてください。


「わらわが現れるまで、誰が二人を助けた?」


 否。助けは来なかった。


「ニクス・サルジュ・ネージュの願い」


 いや、


「くたばった父親の方だったか」


 神様、神様、どうか助けてください。仕事がなければ生活が出来ません。たった一人の娘がおります。お金がありません。どうかお願いです。助けてください。助けてください。


「わらわが現れるまで、誰が二人を助けた?」


 否。助けは来なかった。


「ソフィア・コートニーの願い」


 オズがにやけた。


「あやつは実に優秀な駒だった。人間にしておくのが惜しいほど。とても脳なしの子孫とは思えないほど。わらわの存在に感謝をし、敬愛していた。あのカカシは非常に理解力があった。ただ、善人が故に、価値観の相違があればすぐに裏切る」


 神様、神様、助けてください。助けてくださらないなら、父と母の元へいかせてください。もう無理です。もう駄目です。目の前が真っ暗で、何も見えません。お願いです。助けてください。


「わらわが現れるまで、誰があの女を助けた?」


 否。助けは来なかった。


「リオン殿下の願い」


 オズの笑みは止まらない。


「キングの子孫は、やはりお馬鹿なキング。勇気など微塵も持っていない。弱虫泣き虫意気地なし。頼れる人がいなければ、何にも出来やしない」


 神様、神様、助けてください。僕はどうにかクレアを追い越さないといけません。お願いです。僕をクレア以上に優秀にしてください。お願いです。でないと、僕は、もう、本当に、駄目なんです。お願いです。姉さん、助けて。姉さん、頼むよ。僕を助けて。


「わらわが現れるまで、誰があの王子を助けた?」


 否。助けは来なかった。


「わらわはオズ。この世界の支配者」


 困っている人の手伝いを遂行する天からの使者。


「願いを叶えるのがわらわの役目。それを遂行して、なぜわらわが責められる」


 よくもあんなものくれやがったな!


「飴を舐めるも舐めないも、本人の自由だ」

「いつわらわが強制した?」

まじないをつけた飴ならば、誰でも体内に入れられるだろ」

「姿形が変わる。だからなんだ? 昔も今も変わらない。欲望に見合った対価を頂くのは当然だ」

「それがルールだ」

「それでも願うのならば」

「自分の力でどうしようも出来ないのなら」

「わらわの助言を聞くも良し」

「自分で動くも良し」

「対価はさほど変わらない」

「さて、トゥエリー」

「わらわは人間が嫌いだ」

「ここまでして、なお、わらわを責め立てる奴ら」

「どちらが悪いかな?」

「わらわか」

「人間か」


「願いを叶えるなら、他にやり方があるんじゃなくって?」


 あたしは立ち上がった。


「あんたのせいで、世界が終焉に向かったってリオンが言ってた」


 口を拭い、振り返る。


「あんたは、人間の住む世界を滅ぼそうとしているって」


 紫の魔法使いの後ろでは、憎たらしいほど美しい月が空に居座っている。


「人を助けたいのか殺したいのか、はっきりしなさいよ!」


 あたしは勢いに任せてオズの胸倉を掴んだ。


「なんでクレアを殺したのよ!!」

「それは貴様が一番よくわかっているではないか」


 にやけていたオズの口角が下がった。


「クレア姫が救世主だからだ」

「だから何よ」

「救世主は何世代にも渡ってわらわの邪魔をする。わらわはこの世界を一生懸命綺麗にしようとしているのに、それを止めてくる」

「意味わかんないのよ」

「綺麗にしたら、それがわらわの仕事納め」

「は?」

「終わるのだ。全部」


 トゥエリー。


「貴様ならば分かるだろ」


 わらわの、


「唯一の願いを」


 貴様はわらわの味方だったではないか。


「いつだって、犬のように走り回っていたではないか」


 それが、


「そうだ。それが始まりだ」


 救世主。


「わらわの邪魔をする」

「わらわの手綱を切り落とす」

「罪人が断罪する機会すら奪う」

「悪は断罪」

「善には善」

「勝手に争い終いにはわらわのせい」

「世界が破滅したのはわらわのせいか?」

「本当にそうかい?」

「考えてごらん」

「クレア姫が死んだのは」

「本当に」

「わらわのせいか?」


 否。


「そもそもクレア姫の爪が甘かったのではないか」

「周りの愛を弟に取られて劣等感を感じ、承認欲求などとくだらない欲望を持ったのが破滅の始まり」

「転んだ小さな貴様など、見捨てれば良かったんだ」

「そうすれば生きていられた」

「それを助けた」

「人を助ける自分が好きだったから」

「善を行う自分がかっこよかったから」

「そんな見栄張りが自らを破滅させた」

「それだけだ」

「救世主がいない世界」

「邪魔者がいない世界」

「実に動きやすかった」

「もう少しだった」

「あと少しで、世界が綺麗になったのに」


 オズがあたしを睨んだ。


「愚か者。貴様のせいだぞ」

「……」

「あの姫君さえいなければ、もっと簡単に事が進んだのに」


(……この女は、何を言ってるの?)


 全然理解が出来ない。


「人間を片付けていたハゥフルもグリンダに潰されてしまった」


 ああ、そうそう。オズがあたしの頭を撫でた。


「トゥエリー。その件については褒めてしんぜよう。ハゥフルを片付けてくれてどうもありがとう。ただ人間を溺れさせていれば良かったものを、全く反省の色がないあの小魚を、この世界で、どこのタイミングで、どうやって調理するか考えていたところだった。んふふふ! 弱いくせに見栄張りの欲望持ち。余計な事をしてわらわの仕事を増やす。……グリンダの手に潰されるあやつの悲鳴。最高だった」

「……歴史は変わったわ。船は沈まなかった」

「ああ。そうだな」

「……まだ船を沈ませる気?」

「おいおい、トゥエリー。勘弁してくれ。わらわがあんなちんけな小さな船を壊して、面白がると思っているのかえ?」

「……え?」

「ああ。確かに沈んだな。わらわのまじないの対価で人ならざる者ができ、力が制御できず暴走し、さらにハゥフルが手を加え、んふ。たしかに沈んだな。あの船は」

「……」

「愚か者。わらわがハゥフルに命じたと思うか」


 なぜ前の世界で、わらわがあやつを人魚に売ったと思う?


「人魚は人と違って純粋で善であった」

「罪を犯した事などなかった」

「それを」

「あやつが」

「罪ある者にしたのだ」

「人魚を断罪しなくてはいけなくなった」

「あやつのせいで」

「わらわの仕事を増やしておいて、あやつは知らん顔で歌を歌う」

「だから差し出した」

「これが対価だ」

「罪を与えれば自分にも返ってくる」

「願えばその対価をいただく」

「貴様と同様な」


 オズがあたしの手を掴み、放り投げた。その威力に逆らえず、あたしは尻もちをついた。


「トゥエリー」


 オズがあたしを見下ろす。


「目的を見失うでない。それでもわらわの分身か」


 あたしはオズを睨む。


「この出来損ない」


 オズがあたしを睨みつける。


「全く持って不愉快だ」

「歴史が書き換えられてしまった」

「一巡する前の世界と大きく変わった」

「生まれる命が無くなり、無くなる命が生きている」

「わらわの仕事が増えた」

「ああああああああああああああああああ」

「いいか」

「この出来損ないの死に損ない」

「もう二度と邪魔をするな」




「契約して対価を払った者に、それ以上の余地はない」








 瞬きをすると、オズはもういなかった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る