第29話 ベックス一族
天井まで高さのあるドアを開けた。
その先には、あたしの部屋がある。
昔からこの部屋が島でのあたしの部屋だった。
だから今でも使ってる。
変わらない部屋。
違うのは、
「お帰り」
今夜は一人部屋ではないということ。
「どこ行ってたんだ?」
可愛らしいネグリジェを着たクレアが『失恋したら上書きしよう〜男は一人じゃない〜』という本を閉じ、ドアの前から動かないあたしに顔を向けた。あたしはその姿を見つめる。
「……まだ寝てなかったの?」
「調べ物に夢中になっててな」
笑うクレアを見ていると、自然と口角が上がり、――心が安らぐ。クレアの魔力のせいかしら。
「お前は?」
「……ちょっと……散歩」
「もう寝る?」
クレアの問いには答えず、あたしは絨毯を踏み、クレアに近付いた。すると、クレアが本を置いて両手を差し出してきた。あたしは立ったままその両手を握り締める。……温かい。クレアの温もりを感じる。
見下ろせば、生きてるクレアがあたしを見上げてにやけている。……何か言いたげな顔。だからあたしから訊く。
「……何?」
「可愛い?」
上目遣いのクレアも、クリスタルの宝石のように美しくて、……可愛い。
「ええ。可愛い」
「そうだろう。じいやに頼んで沢山あるネグリジェの中から厳選してもらった一着だ。存分に眺めるがいい。ほれ、見ていいぞ。どうだ。クレアでどうだ」
(……あんたは何着たって似合うでしょ。あたしと違って顔が良いんだから)
「ダーリン」
甘えたな声を出して、クレアがあたしの腰に抱き着いた。
「可愛いハニーとお話しない?」
「……ええ。丁度話したかったの」
「……お前から話したい事があるのか?」
クレアがきょとんとして、抱き着きながらあたしを見上げる。
「何?」
「話したい事というか、……クレアの声が聞きたかっただけ」
「それならダーリン? ダーリンに言わなきゃいけない報告があるの」
「ん?」
「来て」
クレアが膝の上をぱぱぱぱぱぱん! と叩いた。
「ん!」
あたしはクレアの正面に椅子を引きずり、それに座った。クレアに無言で睨まれる。
「はいはい。おてて繋ぎましょうね」
膝と膝をくっつけさせて、両手を握り締める。……足長いわね。羨ましいわ。悔しくなってクレアの足を軽く踏むと、絡まれた事が嬉しかったのか、クレアが上機嫌になり、笑顔を浮かべた。……変なお姫様。
「それで、報告って何?」
「ふむ。昨晩からあたくしがここに忍び込んで、倉庫にいたのは知ってるな」
「ええ。あなたよくあんな所で寝泊まり出来たわね」
部屋に来なさいって言ったのに、調べたいものがあるからって忍び込んで、結婚式の準備まで出てこなかった。まあ、使用人があそこに行ったところで、隠れたら見つからないだろうけど。
「調べものは出来た?」
「しばらく引きこもってもっと調べたいほどだ。現状でわかった事を伝えよう。お前の一族についてだ」
「……ベックス家について?」
「お前の家、調べれば調べるほど面白かった。表面上歴史が浅く見えるけど、それは大した実績を残していないからだ」
「そうよ。先祖代々ポンコツなのよ。じいじとばあば以外はね」
「だけど、お前の一族面白いぞ。何が面白いって、……呪われてるところだ」
……あたしはぽかんと瞬きした。
「カドリング島とベックスの血。実はドロシーから助言があったんだ」
「は?」
「お前が摩訶不思議な熱に侵された原因。ドロシーがはっきり教えてくれたんだ。あたくしはその真相が本当なのか、確かめていた」
「……風邪じゃないの?」
「残念ながら」
「……え? あたし、呪われてるの?」
「ロザリー、せっかちは身を滅ぼす。急がば回れ。お前、オールジャンルで小説は最後のページを先に見る派だろ」
「当たり前じゃない」
「物語形式で進めよう。ロザリーよ。あたくしの女性向け中低音寝落ちボイスで癒されてしまうがいい。いいねと思ったらチャンネル登録をするのだ」
あたしは迷うことなく『低く評価ボタン』を押した。
「プロローグ。タイトルはカドリング島の初期時代だ。この島には魔法使いが存在した。とても優しい、聡明な、赤の魔法使い」
(ああ、カドリング島にまつわる神話ね。人を虫のように見下ろしてしまうほど大きい魔法使いの絵の本をばあばに見せてもらった事がある)
「赤の魔法使いの管理の元、この島の住人は平和に暮らしていた。やがて、赤の魔法使いはこの先何かがあった時、自分以外にこの島を管理してくれる人が欲しいと思った。そこで、一番信頼出来る男にその役目を任せた。それが、ベックス家初代当主。ベックスだ」
第一章、ベックスと魔法使いの契約。
「ベックスは非常にこの島を愛し、赤の魔法使いを慕っていた。赤の魔法使いはベックスを信頼し、この島の管理を任せる代わりに、ベックスに厄が起きないようにした。その契約の証拠が、ベックスという名前であり、ベックスの血である」
第二章、ベックスの子孫。
「ベックスはどんどん子孫を増やしていった。どんどん血が拡大していく中、全員、ずっとこの島を管理してくれるものだと思っていた。だが人間はそう簡単ではない。ベックスの子孫の一部が島から離れたんだ。きっと、外の世界が見たかったんだろうな。そして、その先で問題が起きた。発狂したんだ」
第三章、ベックスにかけられた呪い。
「赤の魔法使いとの契約内容を確認しよう。島を管理してくれる代わりに厄が起きないようにする。つまり、島から離れて島の管理を怠ったら、何が起きるかわからないという事だ。島から出ていき、役目を放棄したベックスの子孫達にはたちまち厄が訪れた。赤の魔法使いから与えられた守りの
第四章、ベックスの発狂。
「島から離れた多くの子孫が発狂し、精神がおかしくなり、理性を失い、人ならざる者になった一方、島から離れず、島を放棄せず、きちんと管理した者達は非常に穏やかな生活を送っていた。そして、島から離れても、一定期間で戻って来る者達も、穏やかな日常を過ごしていた。彼らは一定期間島から離れたとはいえ、きちんと戻ってきて、島に問題がないか見ていたからだ。つまり、島の管理をきちんとしていたからだ。そうすれば魔法使いの
第五章、残されたベックス。
「倉庫の家系図に全て答えが載っていた。ベックスは島を愛していたし、子孫達が島から離れる事になるとは到底想像してなかったんだろう。だから赤の魔法使いとの契約を誰にも言わなかった。その結果、多くの子孫が原因不明の病で死んでいった。今ベックスの血が残っているのは、たったの一つの家だけ。アーメンガード・ベックス。アメリアヌ・ベックス。そして」
クレアが答えた。
「テリー・ベックス」
エピローグ。
「この
Fin.
「質問は?」
――絶句した。
言葉が、見つからない。
クレアは、満足そうに息を吐いた。
「だから、半年に一回。長くても一年に一回は必ず島に戻ること。これ徹底。結婚してからもそうしよう。子供が出来たらもっとそうしよう」
「……」
「それ以外にも、もっと面白そうな書記が沢山あった。お前の一族、掘り返せば魔法使いと知り合いだなんてすごいじゃないか。ああ、もっと見たかった。またの機会を作ろうか。ああ、ダーリン。近いうちに旅行に来ましょう。あたくしは海よりもあなたの家の倉庫に興味があるの」
――理性を失い、発狂する。
「……訊きたいんだけど……」
「ああ、あたくしが調べた範囲でなら答えよう」
「もしも、その……島に戻らない日が続いたら、我を失って、発狂して、……廃人になったり、そういうのもあり得る?」
「あり得るだろうな。理性を失って精神が崩壊するのだから、自分の行動がわからなくなったって何も不思議じゃない。人を殺したって、四肢をばらばらにしたって、愛する家族の手足を切ったって、酷い暴言を吐いたって、理性がないんだ。そうなったら、島に戻らない限り、治療の余地はない」
「……」
――ママ。
「嘘も、つく?」
「現実と空想の区別がつかなくなる症状ならあるかもな。精神が崩壊してるなら、可能性が無いとは言えない」
――アメリ。
「……でも」
あたしは目を逸らし、眉をひそめた。
「あたしは生きてたわ」
「ああ。そうだ。だからドロシーがお前に魔法をかけたんだ。……それも教えた方がいいか? もういないみたいだし」
「十九年も」
「ん?」
「クレア」
あたしはもう一度クレアを見た。
「それって人によって違うの?」
「少なくとも、長くて三年だ。それ以上離れて生きてる人物の記録は見てない」
「……ってことは、人によっても違うのね」
「調べる限りではな」
「二十年近く生きた人はいないの?」
「……家系図を見た限り、三年以上はいない」
「……」
「どうした」
「いや」
――違う。
「何でもない」
――オズの呪いじゃなかった。
――イザベラの暴言でもなかった。
島に帰れなかったから、ママが発狂して、アメリの虚言癖が悪化した。
(じゃあ)
あたしは?
(あたしは、正気だったわ)
毎日、喜怒哀楽を感じていたし、痛みも苦しみも感じていた。イザベラとだって何度も口喧嘩していたし、メニーへの恨みを忘れた事はなかったし、舞踏会の日は部屋から抜け出してその光景遠くから眺めて、うっとりしていた。
(でも)
この話がクレアの作り話ではなく、本当にあたしの先祖の話だとすれば、あたしが厄除け聖域巡りに行ったのにも関わらず高熱でうなされたのも理解出来る。ただ、今回、あたしは一年以上離れただけでそうなった。
(なら)
17歳で牢屋に入ってから死刑の日まで、あたしはどこかで発狂して虚言を吐いて死んだはずではないのか?
あたしはどうして、ずっと正気だったの?
「……」
「……ダーリン。これからはちゃんと島に戻ってね」
「……ん」
頷く。
「……ママとアメリにも、それとなく伝えておく。……ママは、多分言っても信じないだろうから」
「ああ」
「……言われてみれば、思い当たる節があるの」
ママの兄弟はママ以外死んでて、ばあばの兄弟も戦時中に全員死んだ。
「ばあばも腰が悪くなってから、島に行けなくなったのよ。船に乗るのが辛いからって。……確か、その一年後に流行病にかかって死んだ……はず」
「……寿命もあるかもしれないぞ」
「全員、一年以上島に行ってない。若い人も、年寄りも、全員ね」
「……一年を過ぎる前に島に戻ればいいんだ。今までどうしてたんだ?」
「……ママ以外いないから、……半年に一回戻ってくる程度」
「それを続ければいい。一応実家はここなんだろ?」
「ええ」
「継続は力なり」
「……その言葉、身に染みるわ」
あたしは溜め息を吐いた。
「ってことは、あたしも危なかったのね」
「相当な」
「……」
「お前にとっての厄除けは、この島にいることだということが証明された。それで良いじゃないか」
「……体調が悪くなったらここに帰るわ」
「そうだな。お前はそれがいいかも」
(……じゃあ)
船は沈まず、島にはいつでも戻ってこれる。ママは発狂しない。ガラスの靴を履く未来は、本当に無くなったのかもしれない。
(……)
だとしても、心に残るものは消えない。一度思い出すと、また全部思い出す。また目の前が暗くなりそうで、あたしはクレアの手を握った。
「……クレア」
「ん?」
「抱きしめても良い?」
――一瞬、クレアの脳内で火山が爆発し、幸せの雨が降り、突然の相手役者の思わぬアドリブに驚いて感極まって一周回ってとても冷静に落ち着いた様子であたしに微笑んだ。
「来て」
「……ん」
あたしは頷き、――自らクレアの膝の上に腰を下ろす。横向きで足を揃えて、クレアに抱き着いた。
(……)
クレアの肩に顎を乗せ、身を任せる。クレアもあたしを抱きしめ返し、ゆらりゆらりと体を揺らした。ちょっと待って。これじゃあ、あたし、まるで赤ちゃんみたい。この女にあやされてるような感覚。
クレアはいつもそう。
あたしを抱いたら、いつもこうやってあやしてくる。
(……悪くない)
クレア。
(落ち着く)
クレア。
(あたしのクレア)
匂いも、体温も、感触も、全部触ったら感じる。
感じたら、落ち着く。
落ち着いたら心臓がどきどきするの。
どきどきしてるのにぼうっとしてくるの。
ぼうっとしたら何も考えられなくなるの。
頭がふわふわするの。
全部がクレアになってしまうの。
この感覚が好きなの。
クレア。
あたしのクリスタル。
「……あ、そうだ」
クレアが突然声を上げて、あたしは耳を立てた。
「そういえば、お前聞いてるか?」
何を?
「メニーのこと」
……。
あたしはゆっくりと、瞼を上げた。
「……メニー?」
「あの子、しばらく借りるぞ」
「……何?」
「魔力のコントロールが上手く出来ないから教えてほしいと相談された。しばらく、定期的に家に来てもらって、一緒に訓練をしようと思ってる」
「……」
「提案したら、すごく喜んでた」
――お願いします!
「良い子だな」
メニー。
「お前を守れるようになりたいんだって」
メニー。
「お前が熱にうなされて寝ている間に色んな話をしたんだ」
メニー。メニー。
「簡単なものを教えたら」
メニー。メニー。メニー。
「一回でマスターした」
メニー。メニー。メニー。メニー。
「実に優秀で、教え甲斐がある」
メニー。メニー。メニー。メニー。メニー。
「というわけで、しばらく面倒を見させてもらう」
「ダーリンは特にメニーにお熱高めだから」
「事前に言っておかないと怒るだろ?」
またメニーなのね。
「お前は昔からそうだ」
クレアの口から、
「メニーの事になったら」
その名前が出るのが、
「周りが見えなくなる」
不快。
「テリー、そんなにメニーが好きか?」
「嫌い」
――クレアがきょとんとした。
「……。え?」
あたしはクレアから離れた。
「テリー?」
クレアを無視して大股で歩き、荒々しくベッドに潜る。
「おい」
クレアがランプを持って立ち上がり、すぐにあたしを追いかける。棚の上にランプを置き、巨大なベッドに潜るあたしの側に寄った。
「テリー?」
「お休み」
「テリー」
「もう寝る」
「おい」
「寝るから。お休み」
「テリー」
「眠たいの」
あたしはシーツの中で丸くなる。
「ほっといて」
「テリー」
やめて、クレア。刺激しないで。せっかくの夜だけど、あたし、本当に駄目。――ぶち切れそう。
「ねえ、テリー」
あなた達、仲良しよね。そうよね。類は友を呼ぶ。天才同士だものね。気が合うのかもね。じゃあ、あなた『も』メニーと仲良くしてれば?
「テリー」
あなたもメニーを愛するんでしょ。どうしてよ。なんであの子ばかりが愛されるのよ。チヤホヤされて良い気分ね。メニー。
「ダーリンったら。ねえ」
メニーはなんで人から好かれるの? 美人だけが理由じゃない。なんであいつは人懐っこくて善人なの? ねえ、いつになったら本性を出してくれるの? お前、本当は性格悪いんでしょ? 人が好きになった王子様を奪うくらい性格が悪いんでしょ。奪った後は知らん顔。わたし可哀想な子なんですって顔で、愛されるんでしょ。なんでクレアなの。なんでメニーなの。
クレアにはあたしがいるじゃない。
メニーじゃなくてあたしがいるでしょ。
沢山愛してあげてるじゃない。
なんでメニーに近付くの? なんでメニーとそんな話してるの? 船で二人でいた時に仲良しになったの? ああ、そう。良かったわね。あたしに散々好きとか愛してるとか言ってるくせに、結局そっちに行くのね。ああ、そう。ご勝手にどうぞ。
あたしはもう寝るから。
「ダーリン、まだ寝ないで」
あなたなんかもう知らない。
「ねえ、拗ねないで」
拗ねてないけど。……嘘よ。拗ねてる。すっごく不快。
「そんなにあたくしがメニーを借りるのが嫌か?」
別に勝手にすればいいじゃない。止めないから。二人で仲良くしてれば?
「テリー?」
クレアがメニーに笑顔を振りまくんでしょ? 別に浮気とかそんなんじゃない。クレアは女の子にそういう気持ちが沸かないっていうのはわかってる。そうじゃない。
好きな人が嫌いな奴と絡んでるのが嫌なのよ。
じゃあ、キッドとメニーなら?
(……何これ)
キッドが相手でも、メニーと仲良くしてほしくない。
(何これ)
すごく不快。
(なんていうか)
裏切られた感覚。
結局、クレアもメニー側についたんだと、思った感覚。
「ダーリン、何が嫌いなの?」
それはただの交流。
「ダーリン」
それはただの友人との交流。
「ねえ」
メニーの笑ってる姿が許せない。みんなで囲んでメニーに笑顔を向けるのが許せない。あたしは絶対に行かない。メニー側になんてつかない。
「テリー」
メニーが良い子であることが許せない。真っ白なあいつが大嫌い。醜い心があたしを支配する。メニーの側にいると、そんな自分に嫌気が差す。あの子は優しい。あたしは意地悪。あの子は純粋。あたしは策士。羨ましい。嫌だ! 嫌い! 全部嫌い! 自分も、メニーも、この感情も、この気持ちも、この心も、全部、消えてしまえばいい!
(この感情から解放されるには)
方法は一つ。
「おい」
「クレア」
「ん」
「結婚しましょうか」
メニーとの関わりを絶つ。
あの女と関わりさえしなければ、あたしはメニーから――この感情から解放される。
忘れてしまえばいい。メニーの存在なんか。そうすれば、きっと、……きっと――。
あたしはシーツから抜け出して、ぽかんとするクレアに笑顔を浮かべた。
「クレア、好きよ」
愛を送る。
「城下に戻ったら……結婚しましょう?」
愛しいクレアにキスをするために、あたしはゆっくりと――クレアに顔を寄せた。
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