第22話 出会いがあれば別れもある(1)
熱が悪化し、それはそれは嫌というほどうなされ、ベッドから動けなくなり、一晩中うなされ、朝日が昇ると――とても頭がすっきりした状態で目が覚めた。ぼうっとしていると、視界にサリアが入り込んだ。
「おはようございます。テリー」
「……」
あたしは目を瞬かせ、額に手を置いてみた。熱くない気がする。
「サリア、体温」
「口を開けてください」
あたしの体温を測る。35度8分。
「平熱だわ」
「元々体温が低めというのも心配ではあるのですが、こればかりは仕方ないですね」
サリアが両腕を組み、あたしを見下ろす。
「テリー、あと二時間ほどで着きます」
「……まじ?」
「島の影が見えますよ。バルコニーからご覧になったらいかがでしょうか」
あたしはベッドから抜け出し、バルコニーのドアを開け、手擦りから身を乗り出した。
(あ)
懐かしい風の匂い。重みを感じない空気。コウノトリが飛ぶ。波が揺れる。船が向かう先に、カドリング島の影。
「落ちるよ」
驚いて隣を見ると、風に当たるドロシーが手擦りに座っていた。
「船の旅が終わりを迎えそうだ。今の気持ちはどうだい? テリー」
「……船はこりごり。もうしばらく乗りたくない」
「だけど、海の移動手段は小型飛行機か、船のみだ。家族と移動するなら、もうしばらくは船に乗ってもらわなきゃね」
「あたしだって、魔法使いと中毒者が乗ってなくて、氷山にぶつかる予定じゃない船ならウェルカムだわ」
「ああ。あいつに関しては、もうしばらく現れないと思うから安心していいよ」
温かい風があたし達の髪の毛を揺らす。
「あれは誰?」
「前に説明した青の魔法使い」
ウンディーネに足を与えた海の魔女。
「ハゥフル」
純粋な人魚達と人間の争いの引き金を引き、それを遠くからにやついて見ていた張本人。しかし、途中で巨人から死ぬ一歩手前までボロボロにされて反省したはずなのに、鳥の姿で戻ってきて、何食わぬ顔で海に居座り、セイレーンと呼ばれ、神話まで出来てしまった。
「悪趣味の嫌な奴。まあ、宇宙一巡の際にはちょっとばかし協力してもらったけどね」
「あの人もいたの?」
「うん。オズに売られて人魚達にめためたにやられてたけど、かろうじて生きてたから」
「……オズに売られたの?」
「調子に乗ってたから目についたんだろうね。あいつ内弁慶なんだよ。昔から弱くて強い魔法使いにはぺこぺこしててさ。その裏では人魚を利用し、人間を利用し、オズまでも利用して自分の趣味の為に動くものだから、オズもそれで切れたんだろうね」
「……あの魔法使い」
あたしはぼそりと呟く。
「あたしをトゥエリーって呼んだわ」
オズと同じ呼び方で。
「意地悪だったって」
「君、彼女と知り合いなの?」
「いいえ」
「じゃ……人違いされたんだね」
ドロシーが肩をすくませた。
「昔から生きてるから色んな人を見てる。因縁相手と勘違いされたんじゃない?」
「……だからって海に突き落とす? 骨が折れそうだったわ」
「だから助けに来てあげたじゃないか」
「あたしはお前にされたこと忘れないわよ。何よ。あの流れ星。痛かったんだから!」
「誘い込むために必要だったんだよ」
「誘い込むって?」
「これは企業秘密」
「また隠し事?」
「魔法使いにはルールがあってね」
「船が騒ぎになってなかったのも企業秘密?」
「あれはソフィアの催眠」
「あんたじゃないの?」
「言ってるだろ。冗談抜きにこの範囲だと魔法が制限されてるんだ。……まあ、グリンダ相手だったら許してくれると思うけど……」
「言ってる意味がわかんないんだけど、ちゃんとわかるように説明してくれる?」
「もーう! つまりだね! ボクは城下町から出られない! その一つの理由として、魔法が制限されるからだ!」
「へー」
「わかったかい!? これに懲りたら、もう二度とボクを遠出させないこと! いいね!」
「はいはい。もう二度と船が沈まなければ覚えておくわ」
「そうだった。その話もしておこう」
ドロシーが思い出したように懐から金平糖の袋を取り出した。
「今回は上手くやり過ごしたが、マーメイド号はいずれ沈む運命にある。それを無くす為には、どうにかしなきゃいけない」
「……カドリング島に下りた後、また氷山にぶつかって沈む可能性もあるってこと?」
「可能性はゼロではない」
「カドリング島に下りるなってこと?」
「そうじゃない」
ドロシーが人差し指をクイクイ、と内側に動かした。
「テリー、提案だ。耳を貸して」
「ん?」
「ひそひそ」
あたしはその提案を聞いて、顔をしかめ――たしかに、と思った。
「灯台下暗し」
「その通り」
「単純だけど、それなら沈む可能性はあっても、沈んだ未来はない」
「船の整備の見直しは国に戻ってからとして、これなら今の君でも動けるはずだ」
「あんた、たまには役に立つのね」
「……ちなみに、これはリオンの提案ね」
「……リオンが?」
「そうだよ。ボクから伝えてくれだってさ」
「……リオンに伝えておいて。怒ってないから直接言いなさいって」
あたしは手擦りから離れた。
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
手を振るドロシーを見てからあたしはバルコニーを出た。部屋に戻ると、サリアが荷物の整理をしていた。
「テリー、カドリング島に着けば、明後日まで船は戻ってきません。心残りがあれば、今のうちに行かれてはいかがでしょうか」
「……いいの?」
「ええ。もちろん」
「あたし、一人で出かけるわよ?」
「もう元気でしょう?」
サリアがブラシを持った。
「着替えをしましょう。こちらへ」
あたしは頷き、サリアに近付いた。
(*'ω'*)
スタッフルームのドアを叩く。知らない顔のクルーがドアを開け、あたしの立派な姿を見て、きちっと背筋を伸ばした。
「おはようございます。お客様。我々にご用でしょうか」
「マチェットはいる?」
「ああ、マチェットでございますね。お待ちください」
クルーが後ろを見て、大きな声で呼んだ。
「マチェット! お客様からご指名だぞ!」
マチェットは相変わらずの無表情で歩いてきて、クルーに肩を叩かれた。お前、ご指名だぞ。いいか。笑顔でしっかりな。どうやら彼は先輩クルーだったようだ。マチェットがあたしを見下ろし、きちっとした姿のあたしを見て、つい瞬きをした。
「おはようございます」
「おはよう」
「マチェットにご用ですか」
「これからボイラー室に行きたいの。それと、見張り台と、まあ、……色々回りたくて」
ああ、
「風邪なら治ったわ。アルコールは必要ないから、安心してちょうだい」
「……」
「ついて来てほしいの。あなたがいてくれるとすごく助かるから」
あたしは首を傾げた。
「お願い出来る?」
「丁度休憩が終わりました」
マチェットが胸に手をつけ、お辞儀した。
「本件、マチェットがお受け致します」
「まずはボイラー室よ」
「かしこまりました」
マチェットが先を歩き出し、あたしはその後ろをついていく。初日に入ったエレベーターから下に下りて、ボイラー室へと入る。ボイラー室は、なかなか忙しそうだったが、初日ほどではなかった。石炭を順調に火の中へ押しやり、まだまだ燃料は足りるようだ。ボイラー員のウェイドがあたし達に気付き、スコップを持ったまま近付いてきた。
「なんだ。お嬢様、また来たのか」
「もう少しでカドリング島に着くので、ご挨拶に来ました」
「そいつはどうも。どうせ明後日には戻って来るのに、ご苦労なこった」
「船を守ってくれてありがとう」
ウェイドがきょとんとして、真剣な顔のあたしを見た。
「国に戻るまで、どうかここをお願いします」
「……当たり前だ。これが仕事だからな」
ウェイドが鼻をかき、一言言った。
「ああ、そうだ。昨日、……氷山にぶつかりそうになったんだ。知ってるか?」
「……」
そりゃ、不思議よね。クルーもボイラー員達も対応してたのに、乗客は誰も知らないんだもの。ソフィア、上手く催眠で誤魔化してくれないかしら。
「あたし、その時劇場にいたので……。船が揺れた事は覚えてますが」
「ああ。そうか」
「損傷は?」
「どこもない。石炭倉庫も無事だ。何度かボヤ程度の自然発火はあったが、大事にはならねえ程度さ。あんたの心配は無用だ」
「……あの、お訊きしてもいいかしら」
「ん」
「あなたの名前」
聞き覚えがあった。ボイラー員のウェイド。
「ウェイド・チャールズ・ジョーキン?」
「……ああ。そうだが」
「……そう」
「俺の名前がどうかしたのか」
「……いいえ」
あたしは肩をすくませた。
「優秀なボイラー員がいるって、お伺いしていたもので」
ウェイド・チャールズ・ジョーキン。
そう。あなただったのね。
マーメイド号が沈没事故にあった時に、デッキから遠い三等室まで走って、乗客をボートに誘導していた船男というのは。
その後、彼はウイスキーをがぶ飲みして、低体温症になる事なく、助けが来るまで冷たい海を泳ぎ続け、生き残った。
(残念ながら、この世界であなたが英雄になる事はなかったわね)
でも、大変な事が起きて英雄になるのと、このまま仕事を平和に続けられるの、どちらを選択する?
「ウイスキー、お好きかしら」
「ん」
「初日に、ほら、あたしの我儘に付き合ってくださったから、お礼にプレゼントさせてくださいな。あなただけじゃなくて、ボイラー員全員の分よ」
「はっ! そいつはいいな! ぜひ頂くよ」
「手配させていただきますわ。それでは」
元英雄殿。
「明後日まで、御機嫌よう」
マチェットがドアを開けた。あたしはちらっと石炭倉庫を見て……平和に事が進んでるのを確認し……ボイラー室から出ていった。
「マチェット、近場のレストランに連絡して。ボイラー員全員の分のウイスキーを渡すようにって」
「かしこまりました」
マチェットが無線機のボタンを押した。
(*'ω'*)
目的地に向かって廊下を歩いていると、楽器を運ぶ老人が二人、向かいから歩いてきて、一人があたしを見て、はっとした。
「これはこれは、テリー様」
「あ」
あたしは思わぬ再会に足を止めた。マチェットもあたしの後ろで止まる。
「ドッグスさん」
初日、トロンボーンの中に魚を詰まらせていたトロンボーン演奏者、ブル・ドッグスとすれ違った。
「こんにちは」
「風邪は治りましたかな」
「ええ。もうすっかり。トロンボーンの調子はいかがですか?」
「ええ。こちらももうすっかり」
「あなたがテリー様」
もう一人の老人が微笑みながらあたしに手を差し出してきた。
「初めまして。バーニーズ・マウンテン・ドッグスと申します。ブルの兄です」
「まあ。それはご丁寧に。テリー・ベックスです」
あたしはバーニーズの手を握り締めた。弟は知らなかったけど、この人の名前は知っている。ロバ顔のヴァイオリンの先生から、よく聞いていたから。
「ドンキー先生から、あなたのお話はかねがね聞いております。楽器を片手に家から出てきたメンバーで、泥棒一家を倒したって」
「はっはっはっはっ。あの頃はドンキーも私も若かったものです。今や知らない者はいない演奏家、キャット・ハトゥールやクク・コックも、共に貧相な生活を送ってましたが、いやいや、諦めなければ転機は来るものですな」
「ドンキー先生にはお会いしましたか?」
「昨日の夜、共に出番が終わりましてね、バーで一緒に飲んでおりました。あなたの事を自慢していた。大層期待出来る生徒だと」
「お世辞ですか?」
「テリー様、ドンキーが嘘をつく男だと思いますか?」
「……いいえ。あの方は音楽に関しては正直ですもの」
情熱がありすぎてたまに困るけど、
「どの音楽の先生よりも、音楽への愛と、音楽を広めようとする情熱を感じる方です」
だから少しでも楽しくないと思ってレッスンを受けたら、見抜かれるのよね。
――お嬢様、今日は気分ではないようですね。どうでしょう。今日は私の昔話でも聞きませんか?
「ぜひ機会がありましたら、コンサートに行かせていただきます」
「お待ちしております。その時はぜひともキッド殿下といらしてください」
(……キッドは、こういうの興味なさそう)
演奏を聴いてるふりして、笑顔で眠ってそう。
「ありがとうございます。お二人のご活躍、応援しております」
ドッグス兄弟に、あたしは愛想の笑みを浮かべた。
(*'ω'*)
客室のドアを叩く。その音を聞いて、メグ・グリエンチャーがドアを開けた。
「はい」
あたしとマチェットを見て、きょとんとする。
「……えっと」
「初めまして。メグさん。この船の社長の娘のテリー・ベックスと申します」
「……。え、……。……テリー・ベックスって……」
メグが目を丸くした。
「キッド殿下の婚約者の!?」
「ごほん! 婚約者はさておき、あなたのお母様と名乗っていた方からあなたを捜すように言われていたのですが、見つかったと報告がありましたので、ご挨拶だけでもと思い、来た次第でございます」
「まあまあ、それはそれは、わざわざお時間を頂戴し、ありがとうございます。テリー様」
しかし、
「……私の母から、連絡が来たのですか?」
「……ええ。マリエッタさんから行方が知れないと」
「それは、……おかしいですね」
「……。おかしい、とは?」
「当日の朝ですわ。母の友人が流行り風邪に遭い、看病をするからと家に残ったのです。ですから……この船にいるはずがないんです」
「……」
「……母には、その、もし、乗っていたら、……婚約者を紹介したかったのですが……、残念ですわ」
マチェットが目を逸らした。
「人違いではないのでしょうか」
(……マリエッタ自体、ハゥフルの変装だったってこと?)
そういえば、メニーが言ってた。魔力の入ったお茶を飲ませるなって。
(あたしを因縁相手と勘違いした挙句、変なものを飲ませようとしてメグさんの母親に化けて近付いたって事? ……はあ。質悪い)
「……そうですね。人違いかもしれません。これだけ人がいますもの。同姓同名の親子がいたって何も不思議ではございません。おほほ。あとで確認してみます。朝早く失礼いたしました」
「ああ、でも、あながち間違ってもいないと言いますか……。……実は私も、船が出てから二日目の記憶がないのです。たぶん、酒に飲まれてしまったのだと思いますが、似たようなメグさんがいるのかもしれません。何事も無いと良いのですが……」
「……あなたはどちらまで?」
「私はどこにも下りません。カドリング島とその先の国へ行き、またカドリング島に戻って、国に帰ったら」
メグが微笑んだ。
「婚約者と共に、船を下ります」
「そうでしたか」
「ですので、お会い出来る機会があるのであれば、明後日以降のパーティーかと存じますわ」
「その機会を楽しみにしてます」
あたしは手を差し出した。
「良い旅を。メグさん」
「ありがとうございます。テリー様」
握手をしてから手が離れる。
「それでは御機嫌よう」
「ええ。御機嫌よう」
メグがドアの取っ手を掴む時にマチェットと目が合った。そして、にっ、と笑い、ドアを閉めた。……マチェットはどこまで覚えてるのかしら。あたしの悪戯心から、カマをかけてみた。
「メグさん、いい指輪してたわね」
「……」
「質を見る限り安物なんだろうけど、とても大切そうにしてたわ。あたしもあんな指輪が欲しいものだわー」
「……」
「……あなたはいつ船から下りるの?」
「マチェットは下りません」
廊下では、朝から人が賑わっている。
「カドリング島とその先の国へ行き、またカドリング島に戻って、国に帰ったら」
恋人同士が手を繋いで、あたし達の横を通り過ぎた。
「愛する人と共に、船を下ります」
マチェットは何も覚えてないのだろう。メグと同じく人魚についての記憶はドロシーによって抹消された。だけど、それでいいとあたしも思う。
「あなたにも愛する人がいたのね」
「はい」
「大事にするのよ」
「あなたに言われなくとも、そのつもりです」
「マチェット、あたしと過ごした一夜の事は無かった事にしてあげるわ。いい? 誰にも言っちゃ駄目よ? 浮気はばれないようにしなくちゃ」
「一夜というのは、あなたの気まぐれな夜の散歩に付き合わされた時の事ですか?」
「……そういう事にしておいてあげるわ」
「……」
マチェットが前を歩きながらあたしに言った。
「マチェットの実家のリンゴは、なかなかの味だと自負しております」
「ん」
「うちのリンゴは、そのまま食べるもの、というよりも、主に、カクテルや紅茶の材料に使われているようです」
……少し間を置いてから、マチェットが言った。
「あなたのお屋敷に送って良いのであれば、送る事も出来ます」
「……リンゴジュースにしたら、美味しい?」
「食べるより、飲み物にする方がいいかと存じます」
「なら、住所を教えておくわ。注文させてちょうだい」
あたしは住所を書いたメモをマチェットに渡した。
「無くさないように、メモ帳のメモに入れておいて」
「……かしこまりました」
マチェットがメモ帳の中に、あたしの住所が書かれたメモを挟み、ポケットにしまった。
(*'ω'*)
バーに行くと、ママと船の設計者であるルワンダが優雅に紅茶を飲んでいた。近付いてきたあたしとマチェットを見て、ママの眉が動いた。
「こんにちは。ルワンダさん」
「これはこれはテリーお嬢様、こんにちは」
「熱は?」
ママが訊いてきたから、あたしは肩をすくませた。
「もう大丈夫。平熱」
「そう」
「心配かけてごめんなさい」
「……あなたもようやく親の涙がわかってきたのね」
「ママ、相談なんだけど」
「ん」
「ルワンダさんも聞いてほしいです。あたし、熱で侵されながらこの船を歩き回って、色んな話を色んな方から伺いましたの」
「はあ。と、言いますと……?」
「この船の名前を変えてください」
ママとルワンダが眉をひそめた。
「あのね、ママ、正直言って、この船の名前は、……ダサいのよ」
……ママが息を止めたのを見て、ルワンダが固まった。
「だって人魚号よ? ダサいじゃない。みんな言ってたわ。この船の名前についてダサいって。サービスはとても良いけど、船の名前だけ残念すぎて恥ずかしくて乗る気にならないって」
「……。……。……」
「社長! お気を確かに!」
「そこで違う名前にしてほしいの。名前を変えるだけよ。そうね。例えば……」
一瞬考えて、マチェットに振り返る。
「マチェット、例えば……」
「……」
「なんか、ほら、あれよ。あれ」
「……」
「なんか、ほら、なんか、ね? えっとね、……」
「……」
マチェットが一瞬考えて、ぽつりと答えた。
「セイレーン・オブ・ザ・シーズ」
「海の怪物の名前よ! 素晴らしいじゃない。セイレーン・オブ・ザ・シーズ号よ。どう?」
「ふむ。確かにマーメイド号とはまた少し違い、強さと高級感のある感じがします」
ルワンダが頷き、ママを見た。
「いかが致しますか? 社長」
「……ダサくないわ。決してダサくないわ。マーメイド号はダサくない……」
「ママ、セイレーンの神話をクロシェ先生から習ったんだけど、……ママは知ってる?」
「……」
「……男の人を歌声で魅了させて、海に死体の山を作る人魚の神話よ。その人魚の名前がセイレーンなの。しかもセイレーンは最初鳥だった。鳥が魚となって海を泳ぎ、男を狙ってる」
「ほう……」
「素敵でしょ。ルワンダさん」
「いや、確かに。ふむ、これは、うむ……」
セイレーンの話を聞いた途端、ルワンダの目の色が変わり、しかし、躊躇いがちにママを見た。
「いかが致します? 社長」
「……一旦預かるわ」
「駄目よ。ママ。今決めて」
あたしはテーブルに手を付けた。
「この船、いずれあたしのものになるのよ」
「何言ってるの。渡す気なんて……」
「今変えないと、この船はマーメイド号っていうダサイ名前が定着しちゃうでしょ。ダサい名前定着する前に変えて」
「……」
「ママ、お願い。セイレーン・オブ・ザ・シーズ号。どう?」
「……はあ。もう、いいわ。わかった」
ママがこめかみを押さえた。
「それでいい」
「いいの?」
「ええ。好きになさい。貴族は時代に遅れてるものは手放さなくてはいけない。……決してマーメイド号がダサいわけではないけれど、……時代が変わったんだわ。きっとそうよ。ダサくないもの。そうに決まってる。時代が変わったから、ああ、昔は良かった」
「今から、この船はセイレーン・オブ・ザ・シーズ号となるわ」
セイレーンの船。
「絶対に沈まない船。だからといって、調子の良い男には注意勧告を。女を狙って船から飛び降りないように」
「なかなかの広告になりそうですな!」
ルワンダが明るい笑顔を浮かべた。
「社長、記者会見を。全新聞に載せましょう! 素晴らしい船名です!」
「マーメイド号はダサくない。ダサくないわ。ダサくない……」
「だから、ダサいんだってば」
「時代が変わったのよ……」
「まあ、そういうわけだから」
あたしはルワンダを見た。
「カドリング島に着く前に改名して。ただちに。すぐよ。今すぐ船内放送して」
「ははっ、承知致しました。テリーお嬢様」
「ママ、ありがとう。大好きよ」
「ダサくない……。ダサくないんだから……」
あたしが抱きしめるとママが親指の爪をかじり始めた。ルワンダの連絡により、船内放送が流れる。
『乗客の皆様にご報告がございます。カドリング島に着く前ではございますが、厳正な話し合いの元、この船の名前が今を持ちまして改名されました』
放送を聞いていたソフィアが顔を上げた。リトルルビィが欠伸をし、隣にいたメニーはリンゴの皮を剥き終えた。レオは口角を上げ、ジャックと笑った。
『この船の名は、セイレーン・オブ・ザ・シーズ号。絶対に沈まない船。だからといって、調子の良い男には注意勧告を。女を狙って船から飛び降りないように』
ルワンダに書類を準備させてから、あたしとマチェットがそこから離れた。歩きながらマチェットに訊く。
「あなた、セイレーンなんて、よく知ってたわね」
「恋人が人魚について詳しいのです」
「へえ。そうなの。あなたの態度はどうかと思うけど、ネーミングセンスだけは認めてあげる」
名前が変わればその船が沈むという未来は無くなる。だって、そんな船が存在する歴史なんて無かったのだから。
(リオンの知能に救われたわね。ありがとう。お兄ちゃん)
「そうだ。マチェット、飴玉を用意してくれない?」
「はい?」
「お礼をしにいくの。小さな英雄達に」
(*'ω'*)
子供の楽園へ出向くと、双子が人形で遊んでいた。
「小人さんが死んだら、クマさんが王子さまになりました」
「『まあ、クマさんが王子さまになっちゃったわ』」
「『そのとおりです。ぼくは小人にクマにされる呪いをかけられていたのです。それが、ようやくとけたのです。どうかぼくと結婚してください』」
「『ちょっとまった!』」
「『なに!?』」
「『そのお嬢さんはぼくが目をつけていた! よって、ぼくと結婚してもらう!』」
「『よーし、こうなったらこのお嬢さんに選んでもらおう! クマさんのぼくか!』」
「『イケメンのぼくか!』」
「「あーん! 迷っちゃうー!」」
双子が同時に声を揃えたタイミングであたしが割り込んだ。
「こういうのはどう? お嬢さんは飴玉をくれたお姉さんと仲良く暮らしました」
双子があたしに振り返る。プティーとメラがきゃっ! と驚いた声を出した。
「まあ!」
「びっくりした!」
「テリーお姉さん、こんにちは」
「テリーお姉さん、こんにちは」
「こんにちは。あたし、もう少しで船から下りるから挨拶に来たの」
「カドリング島ね!」
「そっかぁ。テリーお姉さん、元気でね」
「それで、……クマのハンカチとお守りくれたでしょ? あれ、すごく役に立ったの」
「ほんと?」
「よかった」
「これはそのお礼」
飴玉が沢山詰まった袋を二人に一袋ずつ差し出すと、二人は両頬に手を添えて、また、きゃっ! と驚いた声を出し、同時にあたしを見た。
「「これをくれるの!?」」
「ええ。どうぞ」
「「やったー!」」
二人が袋を受け取り、ラッピングされたリボンを解いて中を覗いた。沢山の味付きの飴玉に、二人が笑顔になった。
「「いっぱいある!」」
「見て! いちごちゃん!」
「見て! りんごちゃん!」
「この後も船の旅を楽しんで」
「「ありがとう! テリーお姉さん!」」
双子は飴玉を一緒のタイミングで口に含み、嬉しそうに笑い合った。
(*'ω'*)
自然公園に行くと、クロシェ先生と婚約者の男がベンチに座っていた。近付くと、クロシェ先生が立ち上がって、あたしに駆け寄ってきた。
「テリー!」
「こんにちは。クロシェ先生」
「熱は?」
「もう大丈夫です」
「全く。結局一昨日はどこに行ってたの。約束すっぽかして。……あら、こんにちは」
マチェットが頭を下げた。クロシェ先生はまたあたしを睨む。
「テリー、約束を破るのは良くない事よ」
「ええ。ですので、こちらから挨拶に来ました」
あたしは自ら近寄り、立ち上がった男の前でお辞儀をした。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。テリー・ベックスです」
「初めまして。アレックス・ビバリティと申します」
「クロシェ先生は、とても素敵な女性です」
――死ぬはずだった先生。
あたし達に良い事と悪い事を全力で教えてくれた先生。
クロシェ・ローズ・リヴェ。
彼女は生きている。
そして、今あたしの目の前にいる男と出会い、結婚する。
「どうか、あたし達の先生を」
頼むわよ。
「幸せにしてあげてください」
「もちろんでございます。彼女の人生は私の一部となる。その責任はきちんと背負うつもりです」
アレックスが紳士的に微笑んだ。
「お会い出来て良かった。テリーお嬢様」
「こちらこそ」
「この後は、またネコと追いかけっこでも?」
「おほほほ……。その節は、はしたないところをお見せしてしまって……。……この数日間で出会った方々へ、挨拶に行ってますの。あと一時間くらいで着きそうですので」
「テリー、荷物は?」
あたしは横から入ってきたクロシェ先生に振り返った。
「サリアがまとめてくれてます」
「あなたもそろそろ部屋に戻ったら?」
「まだ行く所が残ってるんです。そこが終わり次第、荷物の整理もします」
「忘れ物が無いようにね」
「あっても平気です。どうせ明後日にはまた乗るんですから」
「テリー、いつだって油断は禁物よ」
「わかってます」
いつだって油断は禁物だ。
「マチェット、もう行きましょう」
「はい」
「それではアレックスさん、クロシェ先生、また後程」
「転ばないようにね」
「……あたし、もう16歳です」
「私からしたら、あなたはいつまで経っても可愛い子供よ」
クロシェ先生に頭を撫でられた。
「明日の結婚式、盛り上げてね」
「……はい」
「じゃ、挨拶巡り、行ってらっしゃい」
「……行ってきます」
クロシェ先生の手が離れ、あたしはマチェットに振り返った。
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