第21話 流れ星が降ってきた


 ――牢屋の中で、イザベラが喚く。


「やめて、アマンダ……やめて……」


 夜に歌う女はその後、必ずうなされる。


「嫌だ。嫌よ。食べたくない。やめて……」


 あたしはその声を聞きながら、今日もか、うるさいわねと思いながらネズミ達と戯れる。


「やめて……嫌ぁあ……!」


 夜が更ける。


「食べたくないの……そんなもの、食べたくないのぉ……!」


 泣き叫ぶような悲鳴。


「やめてぇぇぇええええ!!」




 ここで、あたしの目が覚めた。




「……」


 天井を見ると、見慣れた天井。ここはあたしの部屋。


(……運ばれたのね……)


 部屋を見回す。サリアも、他のメイドも、誰もいない。今何時? 時刻は17時15分を差していた。


(まじ?)


 一日無駄にした気分。だけど、だるくて動けない。熱がまた上がったようだ。


(……ママに会ったら説教されそう)


「……ふう……」


 あたしは息を吐き、横を向いて……眉をひそませた。


(何これ)


 ☆名探偵クレア☆

 第一章:豪華客船殺人事件は人魚の呪いを纏って始まる!☆


(何、このセンスの欠片もないふざけたタイトルの本)


 あたしは100ページほどの本を両手で持ち、枕に顎を乗せて、ぱらぱらとめくった。目次を見て、一話目冒頭を見て――あたしはすぐに本を閉じた。


(ちょっ!!!!!)


 顔の体温が一気に上がる。


(なんで探偵小説で、濃厚なエロシーンが出てくるわけ!? ふざけんな! こちとらまだ16歳よ!?)


 ……。あたしはもう一度ページを開いてみる。うん。……エロシーンだ。


(……へー。よく書けてるわねー……)


 すごい。あたしがバリバリクレアを犯してる。これはすごいわね。乱れてるわね。言葉攻めとかしてる。へえー……。……脱がせたぱんつ咥えさせてる……。臭くないのかしら……。わ、その口でキスするの? えー? ぱんつ咥えさせた口なのよー? 衛生的に悪いんじゃない? ……実際出来るのかしら。……この本の作者……。


 あたしは本の表紙を見た。著者:クレア・ロバーツ・イル・ジ・オースティン・サミュエル・キッド・ウィリアム。


(なるほど。理解した)


 ――クレアは国内で天才探偵という評判を持ち、小さな探偵事務所で働いている。テリーという少女はクレアの年下の恋人であり探偵事務所の経営者。彼女は男爵令嬢であり、かなり傲慢で横暴で我儘で態度がデカく、常にプライドが高い嫌な女。しかしクレアを異常なほど溺愛しており、クレアの為なら出費がいくらになろうが厭わない。事務所のソファーで眠るクレアがいれば、時間構わず覆いかぶさり、彼女の服を脱がし、クレアを犯して犯して犯しまくる。しかしそれも愛、らしい。この小説曰く。あたしがクレアの立場だったら嫌だけどね。目が覚めたら裸で、犯されて、どんな地獄よ。レイプじゃない。普通に犯罪よ。恋人だからって許されないでしょ、こんなの。だけど、恋人のテリーが恥ずかしい言葉を息を吐くようにクレアに囁くもんだから、クレアの胸はときめいてしまう、らしい。あたしだったら絶対嫌だけどね! というか、あたし絶対こんな事言わないし! こんなに濡らして、うふふ。クレアったら、エッチな子……、とか言わないから。絶対。無理だから。現実見てちょうだい。


(まさか、このエロ描写を読ませる為だけにこんな立派な本を用意したわけじゃないでしょうね)


 あたしはエロページをまるっと飛ばして、読み進めていく。クレアがテリーからの招待で、豪華客船マーメイド号に乗り込む。そこで始まる殺人事件。異空間。人魚。そこには、この船で起きた事が記されていた。


「……」


 あたしはイザベラとアマンダについて書かれたページをよく読んだ。


(……へえ、なるほど)


 理解した。なぜイザベラが一度目の世界で、年齢を訊いたらめちゃくちゃ怒っていたのか。夜にうなされていたのか。へえ、そうだったの。


(あいつ、人魚の肉を食べてたのね)


 食べさせられた、が正解かも。


(人魚が完成した。という事は……)


 一度目の世界で、メグさんはマチェットを食べたのかしら。タイミングはおそらく、そう。最初。あたしとマチェットが迷い込んだあの廊下で二人は再会した。……最強の魔法を持ってなかったマチェットがメグさんに近付いたところで、メグさんを元に戻せるわけもなく、マチェットはそのまま食べられてしまった。愛しい人を食べて、メグさんの理性は完全に失われ、もはや魔法のハープの音も聴こえなくなった。それはつまり、メグさんが完全体となった証拠。


(だとすれば)


 マチェットは、この船で死ぬはずだった。それを、あたしと逃げた事で回避した。


(……まあ、あくまであたしの予想だけど)


 完成した人魚の肉を手に入れたアマンダは、イザベラを縛り付けて肉を無理矢理食わせた。それが夜、イザベラがうなされていた原因。……だが、マーメイド号沈没事件でアマンダはおそらく生き残っていない。だって、生きていたら裁判で見かけているもの。つまり、イザベラに人魚の肉を食べさせた後……アマンダの身に何かあったのではないだろうか。それこそ、呪いの力が暴走し、メグさんがやっていたように異空間を飛び回って暴れ狂うとか。


 暴れた原因で船が大きく揺れ、石炭からは自然発火が起き、火が石炭同士に移り、大規模な火災がボイラー室で起きていた。消火活動で火災は治まったが、もろくなった壁と氷山が激突。穴が空いて水が入ってきて、どんどん侵入していき――マーメイド号は沈んだ。


 イザベラの婚約者のマーロンも、一度目の世界ではメニーもあたしもいなかったわけだから、メグさんかアマンダに食われたのかもしれない。結果、生き残ったのはイザベラだけ。全てを失ったイザベラはスランプから抜け出す事も、悲しみから抜け出す事も出来なかった。アマンダがいない中、自分が不老不死だとどこで気付いたのだろう。……イザベラは、あたしの目の前で自殺しようとしていた。一度目の世界でも、どこかで死のうとしたのではないだろうか。死のうとした時に、死がやってこなかったのではないだろうか。不老不死の彼女には、どんな傷を負っても、それらは全てが治ってしまう。ならば内側から死のうとして、麻薬に手を出した。しかし……どんな麻薬を使っても死ぬ事も狂う事もなかった。イザベラは常に正気で健康だった。死にたかったのに死ねなかった。密売人になれば、色んな麻薬を取り扱う事が出来るから、イザベラは死ぬために麻薬を売っていた。


 そして、ばれて、捕まった。


 永遠を生き続ける体を持つ彼女は、牢屋の中に隠れた。


(人間って、一人になると思い込みが激しくなるのよね)


 なぜ自分がこんな目に遭わなくてはいけなかったのだ。

 一体誰のせいでこんな事になったのか。

 姉が自分に変なものを食べさせた。

 あの船さえなければこんな事にはならなかった。

 あの船さえ存在しなければ良かったんだ。

 誰が悪い。


 あの船を造った、ベックス家が悪い。


(……これが正解に近ければ、最悪ね。あたし達はあの女に逆恨みをされたってことじゃない)


 なんて奴なの。あたし達、やっぱり何も悪くなかったんだわ。


(はあ。……恋愛描写、意外と楽しかった。クレアはこういうのを求めてるのね。理解したけど、実行に移すのは無理そう。諦めてね。クレア。あたしには無理)


 あたしは本を閉じた。


(永遠の若さって憧れるけど、実際どうなのかしら)


 永遠の命を与えられたら、ずっと楽しく暮らせるだろう。だけど、友達や知り合いはどんどん年老いていって、自分だけが残される。それを繰り返す。出会いがあって、看取って、出会って、看取って、ニクスも、アリスも、――クレアも、いなくなって、でもあたしは生き続ける。一人で。


(……人魚の肉、食べたいと思ったけど)


 あたしは目を閉じた。


(もういらない)


 鼻水をすすりながら、上体を起こす。


(なんか……外の空気が吸いたい)


 咳をする。透明な鼻水が垂れる。寒くて震える。でもなんだか部屋にいたくない。……部屋のバルコニーに出ようかしら。そこなら風に当たれるし、サリアも心配しないでしょ。そう思って、あたしは重たい体を起こし、立ち上がった。







「トゥエリー!」






 あたしは、振り返った。


「うふふ!」


 誰かが、あたしの部屋から出て行った。


「……」


 あたしの足が、なぜかその方向へ向かった。あたしは、なぜだか声の主を追いかけないといけないと思った。


「トゥエリー! こっちこっち!」


 あたしは廊下に出る。ふらふらと歩く。


「君が掃除しろって言ったから、沢山してあげたよ! ほら、見てごらん!」


 赤い絨毯を、裸足で歩く。


「トゥエリー」


 心地好い声が聞こえる。


「トゥエリー!」


 あたしはそこへ行かなければいけない。


「うふふ!」


 開かれたドアへと歩いていく。


「トゥエリー!」


 冷たい床を踏んだ。


「競争ね! あ、箒は使っちゃ駄目だよ!」


 あたしは構えた。


「よーい」


 あたしは地面を蹴った。


「スタート!」


 あたしは海に向かって全力疾走で走った。


「お姉ちゃん!!」


 ――飛び込む前に、背後から強く抱きしめられ、引っ張られた。あたしは地面に尻をぶつけ、あたしを引っ張ったメニーも、尻もちをついた。


「お姉ちゃん!」

「……」

「お姉ちゃん? ……お姉ちゃん!」


 メニーがあたしの肩を揺らしている。


(……え?)


「……あれ……」


 あたしは周りを見回した。


「ずびっ、ここどこ?」

「……」

「……さむっ。はっくしゅん! ずびび! 何これ。あたし、……嫌だ、ネグリジェだわ。げほげほっ」

「……お姉ちゃん、大丈夫?」

「あたしどうやってここまで来たのかしら。ずびっ。嫌だ。何も覚えてない。怖い。げほげほっ。頭がぼんやりして……」

「部屋に戻ろう?」

「……頭がぼんやりして……海に……」


 あたしははっとした。


「……これ、まさか……」

「え……?」


 メニーが息を吸い込んだ。


「どうしたの……? お姉ちゃん……?」

「……そういうこと……」

「何があったの……?」

「メニー、あたしはどうやら……」


 確信する。


「海に住む人魚の王子様に、恋をされたみたいよ」


 メニーが眉をひそませた。


「海に、いざなわれてるのよ」


 ――Hey,そこの彼女、人魚になって、僕と一緒に貝殻の家具を作らないかい?


「あたしが美しすぎるが故、人魚の目に留まってしまったんだわ! それで人魚特有の、げほげほっ! 催眠を使って、あたしをここまで誘った! あたしの姿が、見たいがために!」


 ……メニーが眉を八の字に下げた。


「ああ、あたしって罪な女。ほんと、しょうがないわね。仕方ないからあたしのネグリジェのほつれた糸をあげましょう。えい」

「お姉ちゃん、海にごみを捨てちゃ駄目だよ」

「メニー、これはね、ごみじゃないのよ。人魚の王子様へのプレゼントなの。げほげほっ」

「……」


 メニーがふっと笑った。


「明晰夢でも見たのかもね」

「ううん。あたし、人魚の王子様の手招きによって海に誘われただけよ。はあ。あたし、人間にモテないと思ったら、人魚にモテるなんて……あたしの楽園は海にあったのね……」

「お姉ちゃん、部屋に戻ろう?」


 メニーがあたしの背中に触れた。


「ここは寒いから」

「……あんたはここで何してるの?」

「さっきまでクレアさんといたの」


(あ?)


「ちょっと大事な話をしてて」


 ぴき。


「大事な話?」


 あたしは笑顔になる。


「あら、なーに、それ? クレアが」


 てめえと何話してたって?


「メニーになんて言ったの?」


 言っておくけどメニー、あのクリスタルみたいな綺麗な女は、あたしの女よ。色目使ってもだめよ。あたしの、女だから。


「お姉ちゃんに教えてくれる?」

「うん。お姉ちゃんが起きたら言おうと思ってたの」

「ん?」

「あのね……」


 あたしとメニーが船内に戻ろうと振り返った。すると、そこに赤毛の婦人が立っていた。


「っ」


 驚いて、あたしとメニーが息を呑み、同時に後ずさった。


「あら、ごめんなさい。驚かすつもりはなかったの!」


(……あ)


「テリーお嬢様……でございましたわよね?」


 メグの母親のマリエッタが、嬉しそうに微笑んだ。


「あの、娘が見つかりまして……!」

「……ああ……」

「たまたまこちらへ来たところ、お嬢様がいらっしゃったので、お礼をと思いまして」


 マリエッタが深々と頭を下げた。


「ありがとうございました……!」

「いえ、とんでもない事でございます。げほげほっ」

「あら、まあ、大変。まだ風邪が続いているようですのね」


 ――ふと、メニーが瞬きをした。


「丁度良かった。風に当たりながら飲もうと思いまして、持ってきてますの」


 マリエッタが水筒を取り出し、容器型の蓋に中身を注いだ。


「よろしければ」


 ――メニーがマリエッタをじっと見た。


「どうぞ」


 その容器を見た途端、あたしの喉が急に渇いた気がした。


「ああ、すみません。それでは」


 あたしは手を伸ばす。


「お言葉に甘えまして」


 取ろうとした瞬間――横からメニーの手が伸びて――あたしとマリエッタの手を叩いた。


(あ)


 蓋が落ちて、お茶が地面に零れる。


「ちょっと」


 あたしはメニーに振り向いた。


「メニー! 何してるの!」

「誰ですか?」


(え?)


 メニーが見た事のない顔でマリエッタを睨んでいる。


「あなた、誰ですか」


 マリエッタがきょとんとして、また笑い出した。


「まあ、……ごめんなさい。驚かせてしまったかしら」

「すみません。げほげほっ、妹がとんだご無礼を……」


 あたしが蓋を拾おうとすると、メニーがあたしの手を掴んで止めた。


「っ、ちょっと、メニー!」

「魔力が入ったお茶なんて不気味です」


 メニーがマリエッタに言った。


「お姉ちゃんに、変なものを飲ませないでください」


 あたしはきょとんとしてメニーを見た。

 メニーがマリエッタを睨み続ける。

 マリエッタは微笑む。

 マリエッタは俯いた。

 あたしはマリエッタを見た。


「そうよね。おかしいと思ってた。一度目では船に乗ってなかったもの」


 聞こえた不気味な声に、あたしは目を見開いた。


「氷山を壊したのもあなた方?」


 あたしはメニーと一緒に一歩下がった。


「やってくれたわね。トゥエリー」


 青い眼があたしを睨んだ。


「せっかくのお楽しみが台無し。お前のせいでね」


(……は……?)


「ほんと、最低。不快すぎておかしくなりそう」


 マリエッタが腕を組んだ。


「オズの撒いた種に水をやったら、すごい事が起きた。悲鳴の演奏が鳴り響くはずだった。お前さえいなければね」


 メニーがあたしの前に立った。それを――女が――魔力で吹き飛ばした。


「っ!」


 メニーが向こう側まで飛ばされ、あたしは一歩下がった。


「今からでも遅くないわ」


 青い瞳が不気味に光る。


「ね、私の欲求のために消えてちょうだい? トゥエリー」


 赤髪が青色に変わる。


「お願い」


 髪の毛が伸びて、外側に跳ね、皺の入ってた女性の顔が若い女の顔になる。


「駄目?」


 青の魔法使いが、あたしに眉を下げ、両手を合わせた。


「あら、そう。……残念」


 突然、胸倉を掴まれる。青の魔法使いがぐっと顔を近付かせ、青い唇の口角を上げた。


「じゃあ、お前を遠くに追いやれば万事解決」

「っ」


 あたしはその手を払った。青の魔法使いの手が離れ、あたしは青の魔法使いを睨む。


「無礼者!」


 人々があたしの声に気付いた。


「気安くあたしに触らないで!」

「やーだぁ。怖い怖い。そんな怖いこと言う子は……」


 メニーが目を見開いた。


「海の上でお散歩したら?」


 青の魔法使いがあたしに手を差し出した途端、前から百人の手に押されたような威力で、あたしの体が吹っ飛んだ。メニーが手を伸ばすが、間に合わない。


「っ」


 悲鳴を上げる前に、あたしは海に落ちた。


「お姉ちゃん!」


 冷たい水があたしに纏わりつき、何かが海に落ちる音がした。そして、勢いよくこちらへ向かってきて、あたしのネグリジェの襟を掴み、また勢いをつけて泳ぎ始めた。


「っ」


 あたしは呼吸が出来ないまま、冷たい海の中を引っ張られる。


「あっははははははははは!」


 笑い声が聞こえる。


「海の旅はいかがかね? トゥエリー!」


 振り回される。


「気持ち良いでしょう!」


 目を開ける事も出来ない。呼吸も出来ない。口を空ければ水が入ってくる。

 たまに外に出た気がして、口を開けるが、また海に戻される。水が大量に口内に入ってくる。魚に捕まった獲物のように、されるがまま、海の中をぐるんぐるんと回される。


「ほら! いつもの意地悪はどうしたのよ!」


 ああ、そっか。


「お前、水が苦手だったわね!」


 そうよ。


「お前に意地悪されないために、私は海に来たのよ。お前から逃げるためにね!」


 でも、今はどう?


「ねえ! どんな気持ち!?」


 振り回される。


「ねえ! 教えてよ! 散々虐めてきた私に意地悪されるのはどんな気持ち!?」


 息が出来ない。


「トゥエリー!!」


 誰か――、





 誰か、助けて――!
























 星が、きらりと光った。


 星はくるくると回転を始め、空から外れ、海に向かって落ちてきた。流れ星が海に一直線に降ってくる。


「ん?」


 青の魔法使いに直撃した。


「ひん!」


 星がぴかっと光って弾けてまた落ちた。


「ちょっ」


 星がきらんと光って弾けてまた落ちた。


「ちょ、ちょ、ちょっ」


 星がきらっと光って弾けてまた落ちた。


「待って待って待って待って」


 星がきゅるんと光って弾けてまた落ちた。


「ちょっと待ってよぉ!」


 かげろいの空には、箒に乗ったドロシーが薄暗い目で、青の魔法使いを見下ろしていた。それを見た青の魔法使いが、一瞬石になったように止まった。しかし、すぐに吹き出し、いやらしい笑顔になった。


「あーら、あなたもいたの? 野良ネコちゃん」

「ハゥフル」


 ドロシーが星の杖を構えている。


「海の中で大人しくしてると思ったら、こんな所で何やってるんだい?」

「そもそも、あなた方が宇宙を一巡なんてしたから悪いのではないの。また同じ時を過ごそうだなんてつまらないだけ。わかる? 私は楽しくなるように、スパイスを振ってあげたの」

「わからないね。いつになっても、お前の悪趣味さは不気味だよ」

「悪趣味だなんて酷い言い方。私はただ人の悲鳴が好きなだけ。一度目の世界ではオズに売られて人魚達にメタメタにされちゃったけど、またこうやって元気な体に戻れたのだもの。あの船が沈むところだってもう一度見たいと思うでしょう?」

「へーえ。という事は、やっぱり、マーメイド号が沈んだのは君が原因だったか」

「原因じゃないわ。きっかけを作っただけ」

「氷山が近付いてきた。あれも君か」

「あはは! 壊されると思わなかったわ! ほんと、不快よ。トゥエリーとお前が邪魔しなければ、また人間達の悲鳴が聞けたのに」

「ハゥフル、一つ、提案だ」

「あーら、何?」

「君がもう二度と船を沈ませないと誓うなら、ここは見逃そう。その生意気なお嬢様を返してもらって、君は自由だ」

「嫌って言ったらぁ?」

「流れ星が君を追いかける」


 ドロシーがにやりとした。


「いつまでもね」


 ハゥフルがあたしと一緒に海に潜った。あたしの骨がいずれ折れるんじゃないかと思うくらいの速さで海を泳がれる。あたしはされるがまま。また呼吸が出来なくなり、ぎゅっと目を瞑ると、ドロシーの声が微かに聞こえた。


「恋を歌ったプリンセス、魔法使いに騙されて、声を失い、足を手に、患う恋は呪いとなりて、お前を追い詰め、苦しめよう」


 流れ星が降ってきた。きらりと弾けて爆発し、ハゥフルがあたしを盾にして身を守った。百本の注射が体に刺さったような痛みを感じて、あたしは悲鳴を上げた。


「ほら! きらきらなお星様が、痛いんですって!」


 降ってきた流れ星に、ハゥフルがあたしを当てて回避する。痛い! けれど、今度は悲鳴を出せない。海に潜られた。しかし星は海の中までもついてくる。ハゥフルがあたしの襟をぐいとひっぱり、飛んできた星をあたしに当てた。


(ドロシー!)


 何やってるのよ!


(すごく痛いんだけど!)


 なんとかしてよ!


 あたしの気持ちとは裏腹に流れ星が降り続ける。そこを避け、潜り、また泳いで、流れ星が降って、避けて、ハゥフルが泳いでいく。ならばと海底奥に沈めば、どんな底までも星がやってくる始末。あたしが悲鳴を上げそうになったら、わざと外にやってきて、あたしに酸素を吸わせ、そのタイミングで飛んでくる星に当ててくる。痛い。痛い! 痛い!!


「あぁっ!」

「あははははは!」


 あたしが悲鳴を上げると、ハゥフルが笑った。


「トゥエリー、良い悲鳴上げるじゃない!」


 ぎっ! と睨むと、ハゥフルがあたしの顎を掴んできた。


「そうよ。その目が嫌いなのよ」


 ぎらぎらした目で見てきた緑の目。姿を見せればお得意の魔法で嫌がらせをしてきたお前。


「お前なんて大嫌い。お前も海に沈む死体の山にしてあげるわ」


 ああ、安心して。


「お前の肉は、人魚達に食べてもらうから」


 流れ星が降ってきた。

 ハゥフルがひょいと引っ張り、あたしに当てた。


「いだいっ!!」

「野良ネコちゃん、ちょっと酷いんじゃなーい? トゥエリーは以前の姿じゃないのに!」


(痛い)


 何なのよ。なんで助けてくれないのよ。


(ドロシー!)


 見上げると、――ドロシーが杖をくるんと回し、星の動きを一斉に止めた。


(え?)


「グリンダ!」


 ドロシーが叫んだ。


(え?)


 ハゥフルが目を見開いた瞬間、海全体が光った。


「ひっ!」


 途端にハゥフルが顔を青くし、慌てふためいた。


「どうしよう、ああ! どうしよう!」


 ハゥフルがあたしから手を離した。


(あっ)


「嫌っ!」


 あたしは波にさらわれた。


「やめて!」


 大きな手の形をした波が、ハゥフルに目掛けて突っ込んできた、


「グリンダ! 魔法使い同士、仲良くしましょうよ! ね!? ね!? ね!?」


 大きな手はハゥフルを追い詰める。


「待ってよぉ! ほんと、わざとじゃないの! すぐにここから出ていくから! ほんと、すぐ、出て行くから!」


 波が飲み込む。


「やめて、グリンダァァアアアアアアアアアア!!!」


 波が、全てを飲み込む。



 暗い海の底に沈んでいく。



 あたしは髪の毛が上に浮かぶ。

 だけど体は下へ沈む。

 空気が出ていく。

 呼吸が出来ない。

 目を開けない。

 どんどん落ちていく。

 海の底。

 真っ暗。

 一人ぼっち。

 だるい。

 息が出来ない。

 苦しい。

 痛い。


 頭が、ぼんやりしてくる。




 視線だけを、感じる。





「我が子よ」


 耳元で声がする。


「こんな状態でよく働いてくれました」


 温かいものに、あたしの背中が触れた。


「もう大丈夫よ」


 あたしは目を開けた。そこに見えたのは、巨大な女の顔と、あたしを包む巨大な手。


「じっとしていてね」


 女が微笑むと、あたしの体が温かくなり、黒いものが体から出て行き、どんどん透明になって、やがて、全てが消えた。


「はい。おしまい」


 大きな赤い瞳があたしを覗き込む。


「あなたの事ずっと待ってたのよ。また帰って来てくれて嬉しいわ」


 さて、


「お迎えが来てるから」


 何かが泳いで来る音が聞こえる。


「テリー、島で待ってるわね」


 大きな唇があたしの頭に触れた。尾びれが動く。影が巨大な光に気付き、その場で止まった。


「プリンセス」


 手が、影に差し出された。


「我が子をお願いします」


 影はあたしを抱えると、海を勢いよく泳ぎ始め、巨大な光から離れていった。ぐんぐんと海を泳いでいく。海の音、泡の音、泳ぐ音、そして、声が聞こえた。


「ウンディーネ様」

「また旅立たれるのですね」

「私達はここであなたのご無事を祈っております」


 プリンセスは離れていく。


「どうか人間には気を付けて」

「人間は私達をいつも狙っています」

「どうか気を付けて」

「人間と」

「鳥と」

「クマに」

「なにとぞ」

「ウンディーネ様」

「どうか、お幸せに」


 海の底から、どんどん離れていき、やがて、全ての影が見えなくなった。

 海の中から空に向かって進んでいく。

 揺れる水面に向かって、影は身を乗り出した。

 夕暮れが沈み、月が昇る。暗闇の海に魚が跳ねた。

 その時、ようやくあたしは目を開けた。


 月の光に当たった人魚姫が、あたしを抱えていた。


(……なるほど)


 ――クレアは、人魚姫だったのね。


(あたし達、禁断の関係だったのね)


 また海に落ちる。沈む。泳いで、揺れる水面に出て、風と水による強烈な寒さを感じて、あたしの体が震え、水を吐き出す。


「げほげほっ」

「無事か?」

「あー、もう駄目。寒い。あたし死んじゃう」


 さっき見たものが嘘だったように、星は定位置から離れず、海は穏やかだ。


「あなた、それで寒くないの?」

「全然」

「その貝は何? 隠してるつもり?」

「恥ずかしいだろ」

「必要ないと思うけど」

「貴様、船に戻ったら覚えてろ」

「その尾びれどうなってるの?」

「ドロシーに魔法をかけてもらった。すごいだろ。人魚が見ても仲間に見えるそうだぞ。これであたくしも海の民の一員だ」

「戻るの? それ」

「どうだろうな。キスをすれば戻るんじゃないか?」

「……」

「お前は、人魚のあたくしを愛せるか?」

「人魚は愛せないわ。住む場所が違うもの」

「ならば、あたくしが人間になれば愛してくれるか?」


 ちらっと見れば、青い瞳があたしを見つめている。


「足と引き換えに声を失ったら、お前はあたくしを愛せるか? それとも、別の王子様を選ぶか?」

「……そうね」


 あたしは笑みを浮かべる。


「声が無いんじゃ、あたしがあなたを愛するしかなくなるわね。それって素敵。ロマンチックだわ」


 寒くて震える声が雰囲気を台無しにするが、これだけは言いたい。


「クレア、あたしの愛をなめないで」


 人魚のクレアを抱きしめる。


「たとえ人魚になったって、声を失ったって、あたし、あなたを愛してるわ」


 あたしだけのクリスタル。


「クレア、あたしの愛を疑うなら、あなたを島に閉じ込めて、誰の目にも届かない場所で、あなたを愛で続けるわよ」


 クレアが黙る。


「……隠されるのは一番嫌な事でしょ? ね? 嫌なら、あたしを信じて」


 その瞬間、突然あたしとクレアが海に沈んだ。


(はぶっ!)


 あたしは慌てて水面に浮かんだ。


「げほっ!」

「げほ!」


 クレアも水面に浮かんだ。服を着ている。


「えっ、クレア、服が……」

「ダーリン! 魔法が解けちゃった!」

「は!?」

「ダーリンがあたくしを口説いて、ときめかせるから!」

「ときめか……は? 何言って、ちょ、げほっ、掴まるもの……」

「うわ、さ、寒い、なな、何これ……」

「い、今まで、へ、平気だったの?」

「最悪……。あ、足が戻ったしゅ、瞬間に、た、体温が、も、戻ったみたい……ずび!」

「ど、どうやって、ふ、船まで、もも、戻るの? ずびっ」

「む、迎えが、来る……ずびっ」

「おねーちゃーん!!」


 顔を向けると、物知り博士自家製のエンジンがつけられたボートがこっちに向かって進んでいる。クレアとあたしを見つけたメニーが大きく腕を振った。


「クレアさーん!!」

「……メ、メニー……」


 クレアが震える手を必死に上げる。


(……助かった……)


 寒いけど、凍え死にそうだけど、


(……あたし……助かったのね……)


 ボートには、リトルルビィと、ソフィアと、リオンと――ドロシーが乗っていた。


「ドロシー! 姉さん達だ!」

「にゃーん」


(お前ぇええええええ!!)


 よくも散々流れ星をぶつけてくれたわね! すごく痛かったわよ! 船に戻ったら覚えてなさい!


(とりあえず、今は、……寒いから……はっくしゅん!)


 あたしとクレアに向かって、ボートが近付いてくる。




 海は、非常に穏やかである。

 マーメイド号は、順調にカドリング島に向かって進んでいく。


 リオンがつけていた腕時計の針は、18時30分を差していた。


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