第22話 出会いがあれば別れもある(2)
ドアを叩く。しばらくしてから、ドアがゆっくりと開けられた。
「……」
イザベラが目を見開き、微かに微笑んであたしを見た。
「おはよう。イザベラ」
「……ええ。おはよう」
イザベラがあたしの姿を下から上まで眺める。
「今日はなんだかすごく綺麗ね」
「メイドにやってもらったの」
「そう。すごく良いわ。本物のお姫様みたい」
「もう少しで下りるから……最後に挨拶したくて」
「……もうそんな時間なのね」
イザベラがドアに寄りかかった。
「寂しくなるわ」
「……聞いたわ。昨日事件に巻き込まれて、気絶してたところを運ばれたって」
「……ええ」
「何か覚えてる?」
「……実は、あまり覚えてないの。記憶がぼんやりしてて」
「……そう」
(そりゃあそうよね。お前の記憶も抹消されてるもの)
「テリーは……事件について何か聞いてる?」
「犯人が……」
イザベラの顔色が変わった。――こいつの事は嫌いだけど――その表情が――とても悲しそうな顔だったから――あたしは言うのを止めた。
「……まあ、社長の娘だから」
「いいのよ。わかってる」
「……」
「どこまで聞いてる?」
「まあ、……その……」
「……」
イザベラがマチェットを見た。気が付いたマチェットがあたしの背中を軽く叩いた。
「ん?」
「五分なら廊下で待ってます」
「……ああ、……そう」
「はい」
「……イザベラ、部屋入っていい?」
「ええ。……ありがとう」
イザベラがマチェットにお礼を言ってから、あたしを部屋に入れ、ドアを閉めた。時計を見る。10時20分。あたしはイザベラに振り返った。
「……イザベラ」
「そうよ。犯人はアマンダだった」
イザベラが棚の上に置かれたレコードに触れた。
「アマンダは、昔、スラム街で起きた国共内戦で生き残った一人で、……その時に妹を亡くしたんですって。で、親に叱られるのが嫌で、……アタシを拾ったそうよ」
「……」
「アタシを見てるとね、自分が見殺した妹の事を思い出してたんですって。それで……アマンダは、アタシから距離を置いた。なのに……アタシ、アマンダに甘えてた。マネージャーになった後も、アマンダが急に彼氏と別れたからおかしいとは思ってた。そしたら、そいつ、アタシの事が好きになったみたいで……それが原因で別れて……それからも……アマンダの周りでは、アタシ狙いで近付いてくる奴が多かったみたいで……それで……いつの間にか……姉さんは……アタシを憎むようになった」
「……」
「アタシが、……ランドに片思いしてるってアマンダは知ってた。だから……殺した。アタシが憎いから。……で、……ジョディを殺したのは、多分、あいつがアタシに付きまとうから、きっと邪魔だったんでしょうね。ふふっ」
「……」
「マーロンと結婚させて、家族を作った後、皆殺しにするつもりだったらしいわ。子供も、マーロンも、でも、アタシには危害を下さず、周りだけ。それが一番の報復だから」
「……それ、誰から聞いたの?」
「探偵から」
――クレア、人魚以外の話は全部したのね。
「アマンダさんとは会った?」
「しばらく会えないって言われたわ。……その、……アマンダ、麻薬をやってたらしくて、その治療をしばらくの間行うからって」
「……そう。……麻薬ね」
「ええ」
「……治療が終わったら、アマンダさんには会うの?」
「……会いたいわ」
イザベラがレコードを見つめる。
「すごく会いたい」
「……憎まれてるのに?」
「アタシにとっては……憎まれても……唯一の家族なのよ」
イザベラが薄く口角を上げる。
「姉であり、母親なの」
「……会った時に酷い事言われたどうするの?」
「それも受け止めるわ」
イザベラがあたしに笑顔で振り返った。
「家族だもの」
「……そう。じゃあ……」
気まずい質問をしてみる。
「結婚はどうするの?」
イザベラが鼻で笑った。
「延期になったわ」
「……延期?」
「昨日、目を覚ましたら憎たらしい事にマーロンが側にいてね、……アマンダが犯人だったって聞いて、マーロンは最初信じてなかった。アマンダが誰かに唆されたんだって言って、……あいつの事は嫌いだけど、……アマンダを必死に庇ってくれたの」
「……」
「……アタシも、ちゃんと彼にも向き合ってみようと思って。……アタシ達、ちゃんと恋人にもなってないし、……付き合ってるっていう感じでもなかった。ただ、一緒にいるだけ。それは、……やっぱりときめきなんてないし、つまらないわ。アタシ達にはまだ時間が必要なのよ。だから……延期」
「それ、結婚式場で発表するの?」
「仕方ないからアタシのコンサートを開く事にしたわ。新曲付きでね」
「……新曲?」
「ええ。……あんなに悩んでたのに、どうしてかしらね。たったの三十分で出来たの。すごく良い曲よ。アタシらしい、感情が存在する歌」
イザベラがあたしの手を握り締めた。
「ね、テリー、近いうちにコンサートを開くの。……色々あったから、もしかしたら延期になるかもしれないけど、……あなたを呼ぶわ。ゲスト席にね」
「あら、そんな良い席に良いの?」
「呼ぶ人がいないんだもの。みんな死んじゃって、アマンダも、……いつ会えるかわからないから」
「……」
「来てくれる?」
「……そうね」
あたしは、こいつを赦す気はない。
この女は、逆恨みをし、散々あたしたちを痛めつけてきた。
あたしが死ぬその時まで、あたしの死を笑っていた。
だからこそ、生まれ変わったらこいつを殺しに行こうと思ったくらい、あたしはこいつが憎かった。
だけど、
あたし、『同情』なら出来るの。
「ええ。わかった」
哀れな女に、哀れみの目を。哀れみの感情を。
「何人か呼んでもいいかしら?」
「あはは! 沢山呼んでいいわよ! テリーの知り合いなら大歓迎!」
「本当? あたしを恨んで虐めたりしない?」
「嫌だ。どうしてそんな事するの?」
手を握り合う。
「せっかく友達になれたのに」
笑顔のイザベラがあたしを抱きしめた。
「テリー、本当に寂しいわ。もっと遊び回りたかった」
あたしはこの女に同情する。
「あたしもよ。イザベラ」
頭の中で何を思っていても、伝えなければ支障はない。だって、どんな仕返しをしようにも、覚えているのはあたしだけ。この世界では、イザベラは何もしてないし、あたしはイザベラから何もされてない。そんな状態で……どう仕返しをしたらいい? あたしにはわからない。だから、一度目の世界で行った哀れな行動を同情して、ああ、可哀想な人って思って、何もしないでいてあげる。赦す事はないけれど――赦さなくたっていいわ。だって赦せないんだもの。でも同情はしてあげる。色んなものを失って、可哀想なイザベラ。
同情して、今は休戦してあげるわ。
あたしは被ったネコを少しだけ下ろした笑顔を浮かべ、イザベラから離れた。
「コンサート、楽しみにしてる」
「ええ。想像以上に楽しませるわ」
「なんだか強くなったわね」
「そうね。多分……スランプを克服したからかしら」
イザベラがふふっと笑った。
「この船で色々吹っ切れたわ。アタシ、過去は振り向かない。ランドとメグの分まで、優雅で楽しく生きるわ」
「ええ。それが良いと思う」
「手紙を送るわ」
「……イザベラがあたしに?」
「嫌?」
「……あー、その……大スターから手紙を貰えるなんて、記者が黙ってないと思って」
「何言ってるのよ。キッド殿下の婚約者と友達っていう方が、記者が黙ってないわよ」
「それはどうかしら」
「うふふふ!」
イザベラが吹いて笑い、息を吸い込み、あたしを見た。
「元気でね。テリー」
「ええ。イザベラも」
「お互い落ち着いたら、……また会いましょう」
「あまり気張らずにね」
「ええ」
「……それと」
これは同情だ。あたしは忠告しておく。
「麻薬は、何があってもやっちゃ駄目よ」
「麻薬ね」
「駄目よ」
「……アタシはやらないわ。絶対にやらない」
イザベラが自分に言い聞かせるように言った。
「ドラッグは人生の破滅へ誘うわ。だから」
イザベラがにやりとした。
「テリーも気を付けて」
「ん」
「それじゃ、……クルーさんがあなたを待ってるから」
「ええ」
時計の針は10時25分を差している。あたしとイザベラが互いの手を離した。
「さようなら。イザベラ」
「またね。テリー」
イザベラがドアの取っ手を捻った。
「必ず、また会いましょう」
ドアが開けられた。
(*'ω'*)
あたしはドアを叩く。ドアの向こうから「どうぞ」と声が聞こえたので、あたしはドアを開けた。
ベッドで書類を睨むマーロンがあたしとマチェットを見て、書類を膝に置いた。
「ああ、テリー様」
「おはようございます」
「おはようございます。どうかされたのですか?」
「カドリング島に着く前に、ご挨拶をと思いまして」
「ああ、それは、ありがとうございます」
「少しよろしいかしら」
「ええ。もちろん」
あたしはベッドの目の前に椅子を引いて座る。マチェットはそのまま立ち続ける。
「イザベラから聞きました。結婚は延期になったと」
「……ああ、その事ですか」
マーロンが笑顔で頷いた。
「ええ。二人で話し合い、今ではないと判断しました」
「恋人は続けられるんですか?」
「ええ。もちろん」
マーロンは変わらない笑みを浮かべる。……だが、その笑みが……どこか……違和感を感じる。……ひょっとして、
「……マーロンさん、失礼ですが……」
あたしは訊いてみた。
「落ち込んで……ます?」
「……」
「イザベラは……少しほっとした顔をしてました。でもあなたは……」
平然を装っているが、……なんというか、暗いのだ。全体的に。何か、酷いショックを受けたような、そんな雰囲気をあたしでも感じ取ることが出来るほど、とにかく……暗いのだ。
「……イザベラが好きですか?」
「……テリー様。……他の男ならば、イザベラの好きなところを訊かれたら、彼女の歌声が好きだと言うでしょう。だけど、私は違う」
マーロンが書類をベッドの端に置いた。
「彼女の生き様が好きなんです」
「……」
「スラム街から出てきて、相当な苦労を積み重ね、今や一躍スターだ。私はそんな彼女を支えたい。彼女が唯一弱音を吐ける相手になりたいのです」
マーロンがあたしに顔を向けた。
「あなたはなぜキッド殿下と婚約したのですか? 彼から愛されたいと願い、彼を愛したいと願ったからではないのですか? 私も……願ってます。イザベラの幸せを。ずっと片思いをしていたんです。どんな過去を持っていようが堂々とした彼女の振舞いは、どの女性よりも美しく、たくましく、……可愛い……」
(……イザベラって、可愛いっけ……?)
あの強気勝気が取り柄の女が?
(可愛い……?)
恋は盲目というけれど、この男も同じような匂いを感じてきた。
「それは彼女が黒人でもですか?」
「ああ、確かに黒人は昔、奴隷制度に基づき奴隷として扱われておりました。……それがなんです? イザベラは奴隷ではない。……一人の美しい女性だ」
……ここまで愛されてるなら、結婚してもよくない?
(あの女、やっぱり欲張りなんだわ。我儘なのよ。思ったより結構良い男っぽいわよ。こいつ)
まあ、あたしが目の前にいるからかもしれないけど。……。
「……その、……一つ気になるんですが、……イザベラとランドさんの仲については……特に口出しはしなかったんですか? あの二人、すごく仲が良かったというか……」
「……ランドは、私の飲み仲間でした」
私の知らないイザベラを知っていた彼。
「出会ったばかりの時は確かに気に入らなかったが、……彼は、とても良い男だった。素晴らしい人間だった。良い歌声を持っていた」
マーロンが溜め息を吐いた。
「惜しい人を失いました。歌手としても、……親友としても……」
「……」
「……死体は、一早く国へと運ばれるそうです。探偵が手配をしたと」
「……そうでしたか」
この人にとっても、忘れられない船の旅となった事だろう。……しめ臭くなったわね。話題を変えよう。
「披露宴では結婚式の代わりに、イザベラがコンサートを開くと言ってましたが」
「ええ。現地についてから準備を始める予定です。きっと最高のコンサートになるでしょう」
「それも話し合ったんですか?」
「私が提案しました」
「……あなたが?」
「イザベラは、やはり歌ってる時が一番楽しそうなんです。私に出来るのは、彼女をサポートする事ですから」
……チラッと包帯だらけの足を見る。
「足は治りそうですか?」
「さあ。どうでしょうね。まあ、コンサートを開くだけなら、支障はありません。主役はイザベラですので」
「楽しそう」
「ええ。……とても楽しみです」
彼を助けられたのは偶然だっただろうけど、イザベラにとっては良かったかもしれない。――アマンダを失った今、イザベラを支えられるのは彼だけな気がした。
「いずれカドリング島でコンサートを開きたいと言い出すかもしれません。その時は、ぜひ詳しいお話を」
「ええ。……イザベラさえ良ければ、ぜひ」
あたしはこくりと頷いた。
(*'ω'*)
マチェットとデッキへ出た。見張り台には二人のクルーが双眼鏡を持って形の見えるカドリング島を見ている。
「すげー! 緑がいっぱいだ!」
「なんだあれ!? おい! 神殿が見えるぞ!」
「なんだあれ!? すげーな! おい!」
「ちょっとー!?」
見張り番の二人があたしを見下ろした。
「あ、社長の娘様だ」
「名前なんだっけ」
「馬鹿。お嬢様で通せば大丈夫さ」
「お前、考えたな!」
「まあな!」
「おはようございます! お嬢様!」
「おはようございます!」
「沢山見張ってくれてありがとう! 引き続き頼むわよー! 氷山に気を付けなさーい!」
「「かしこまりましたぁー!」」
さて、
(挨拶巡りはここまでかしらね)
あたしはすっきりする頭で考えてみる。やり残しはあるだろうか。
(……。うん。大丈夫そう)
関わった人達には挨拶をし終わった。
(あとは)
振り返る。
「マチェット」
マチェットは、相変わらず無表情のままだ。
「ここまででいいわ」
「かしこまりました」
波が跳ねる。
「助かったわ」
「仕事ですから」
鳥が海の上を飛ぶ。
「これ、返すわね」
「……ああ、忘れてました」
腕時計とマッチを渡す。
「ありがとう」
青い空に白い雲がほどよく散らばる。船がカドリング島へ向かう。心地好い暖かな風が吹く。髪の毛が揺れる。マチェットが帽子を脱いだ。
「色々と経験になりました」
頭を撫で、髪の毛を整え、帽子を被り直す。
「もう、誰の接待も大丈夫そうです」
「それはどうかしら。あたし、すっごく優しかったから、あたしより質の悪い客に捕まった時にどう対処するか、考えておいた方がいいわよ」
「そういう時は」
マチェットが笑った。
「マニュアルを見ればいいのです」
――初めて見た彼の笑顔に、つい目が離せなくなる。マチェットも笑う時は笑うらしい。……笑みを浮かべたまま、マチェットが胸に手を当て、お辞儀した。
「ご用が以上であれば、マチェットは仕事に戻ります」
「……風邪引かないようにね」
「あなたも」
マチェットが深く頭を下げた。
「良い旅を」
そして、勢いよく頭を上げ、背筋を伸ばし、いつもの無表情になり、無線機のボタンを押した。
「マチェットです。手が空きました」
そう言って、あたしに何も言わず、いつも通り去っていく。
(……メグさんの為にも、良いクルーになってよ。マチェット)
あたしはデッキから振り返る。
(さて……帰ってきた)
セイレーン・オブ・ザ・シーズ号は、もう少しでカドリング島に到着する。
『ただいまより、カドリング島に到着する準備を始めます。大きく揺れる可能性がございますので、周りにお気を付けください』
カドリング島の港では、ようこそ、カドリング島へ。の旗が風に吹かれて元気に揺れていた。そこから――望遠鏡で船を覗いていた目が、呟いた。
「きたきたきたきたぁー!」
ベルを鳴らして島の皆に知らせる。
「カモが大勢乗ってるぜ! ぐひひひひひ!」
意地汚く笑う少女は、急いで山の中を駆け下りて行った。
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