第8話 鞄の中身をよく見てごらん
リトルルビィが客室ベッドで安らかに眠り続ける。
シーツの皺を伸ばし、包帯だらけのリトルルビィを撫でていると、ドアが叩かれた。クルーに紛れた騎士団の一人がドアを開けると、クレアとメニーと、メニーの腕に抱えられたドロシーが部屋に入ってきた。あたしが振り返るとクレアが足を止め、リトルルビィの様子を見て……呟いた。
「やられたか」
「……リトルルビィ……」
メニーがドロシーを抱えたままリトルルビィに近付き、包帯だらけの顔を覗いた。あたしは立ち上がり、ベッドから離れる。
「クレア、ちょっと」
「ああ」
「……メニー、そこにいて」
「……うん」
ドロシーがリトルルビィの近くで丸くなった。後はメニーに任せて、あたしはクレアを連れて廊下に出る。部屋の前にいたクルーが敬礼し、すぐに敬礼を外して、再びクルーのふりをした。あたしとクレアが向かい合い、……なんとなくクレアの胸に甘えたくなったけど――それは後からにしよう――あたしは壁に背中をつけた。
「作戦Dが始まってから三回も襲われた。正直、死を覚悟したくらいよ」
「情報を共有しておこう。あたくし達もなかなか不思議な体験をしたものでな」
「何かあったの?」
「ああ。貴様も何かあったようだな」
「……こういう時にクレアの顔を見るとホッとする。側にいると……来ないだろうから」
「……」
「あのね」
あたしはこれまでにあった出来事をかいつまんでクレアに伝える。イザベラの部屋の電話線が切られてクレアを呼んだけど、ママが来たものだからイザベラから離れなくてはならなくなったこと。迎えに行こうとしたらソフィアと襲われ、関係ないアリスが巻き込まれ、リトルルビィもこんなことになったこと。……そして、ソフィアの言っていた、セイレーンの中に誰かがいたこと。
「青い髪と、青い唇と、青い爪が魅力的って言ってた。多分、オズがまた姿を変えて傍観してるんじゃないかしら。中毒者が暴走して、ソフィアとリトルルビィに痛手を負わせたらクレアに近付くのも容易くなる」
「土台から崩されたか。流石魔法使い様のやることは違うな」
「リオンは?」
「今日はもう駄目だな。目を離せば首を吊りそう」
「……」
「……薬を飲んで寝れば治る。いつもそうだ。あの双子も見張ってる。心配ない」
「……なら、……いいけど」
今彼にしてあげられることはない。あたしは頭からリオンを消した。
「テリー、確認しておきたいのだが、一度船が大きく揺れただろ」
「……。え? いつ?」
「……知らないのか」
「ええ」
「だとしたら、ソフィアと異空間に迷い込んでいた時だな。ほんの一瞬揺れたんだ。付近に氷山があったわけでもない。しかし、その揺れのせいで、椅子や棚が沢山崩れ、多くの通路が封鎖された。だから、あたくしとメニーはどれだけダーリンに呼ばれても、遠回りをする羽目になったわけだ」
「……あの辺りから電波も悪くなったわね」
「ああ。妙に連絡が取りづらくなってた。揺れの影響なのか、……中毒者の影響なのか」
「……」
「……ソフィアは?」
「……まだ寝てると思う」
「……そうか」
「……美術館に行ったのは、正しい判断だったわ」
「……ソフィアは回復が早い体をしてるから、……少し休めば大丈夫だろう」
「見舞いは?」
「この後すぐに行く」
「……そうしてあげて」
「他に変わったことはなかったか?」
「……もう少しいい?」
「ん」
頷いたクレアを見て、あたしはポーチバッグのチャックを開けた。
「二月十六日にイザベラがアルバム収録してたのは知ってる?」
「そのメンバーがやられてる」
「……流石ね」
話が早い。あたしは楽譜をクレアに差し出す。クレアは素直に受け取り、まじまじと楽譜を見つめた。
「その時にイザベラが書いてた楽譜よ。スタジオで捨てたんですって。で、……最初に異空間に行った時に拾ったのよ。あたしが部屋に閉じ込められた時」
「よくイザベラのものだとわかったな」
「……なんか……ここからがよくわかんないんだけど……クレア、真面目に話すから馬鹿にしないで聞いてくれる?」
「お前の言う事はいつも真面目でいかれてる。今更だ。なんだ。どうした」
「あたしがイザベラに渡したって」
「ん?」
「これ知ってるでしょって言って、あたしがイザベラに渡したって、イザベラが言ってたの。でも、あたし渡してなんかないのよ」
「……」
「思うんだけど……、……オズがあたしの姿に化けたんじゃないかしら。で、知らないうちに、あたしのバッグから取ってて、イザベラに渡した。……でないとあり得ない。あたしにはイザベラに渡す発想すらなかったし……」
「楽譜はこれで全部か?」
「えっと、……全部で六枚あって……もう三枚イザベラが持ってる。この三枚は、異空間で見つけたの」
「ほう」
「……クレア、オズは何の為に楽譜をイザベラに渡したのかしら。……何か、それらしき情報はある?」
「巨人が起きて」
( ˘ω˘ )
「巨人様、訊きたいの。この楽譜と、イザベラ・ウォーターフィッシュの関連性について」
「あの紙にはトゥエリーの匂いがした」
「トゥエリー?」
クレアが首を傾げた。
「それはなんですか?」
「オズの魔力を、オラ達はトゥエリーと呼んでいる。あの女王の魔力はそこら辺の魔法使いとはわけが違うからな」
「……なるほど。特別な魔力ということですのね。その匂いが……この楽譜についていた」
「んだ」
「でも、なぜこれをイザベラに?」
「紙とあの女には、同じ色のトゥエリーがついていた。だから何か知っていると思って渡した。魔法のハープの手掛かりになればオラの望みが叶う。だが、何もわかりゃしない。あの女とその紙は、トゥエリーがついてるだけでトゥエリーを放ってはいない」
「……魔力を放っていない。そういうこと?」
「んだ」
「つまり、イザベラはオズの魔力に呪われてるわけではない」
「人間の名前なんざ覚えてねえが、オラが紙を渡した女はただの人間だよ。役にも立たねえ」
「ありがとうございます。あたくしが魔法のハープを見つけた際には、必ずあなたへ返すと誓いますわ」
「はっ! どうだかな! 人間は嘘つきだ。あの泣き虫キングの子孫が誓いをあげたって、何の役にも立ちやしねえ」
「テリーが起きて」
(*'ω'*)
「……あれ……?」
頭がぼんやりしている。クレアがあたしの顔を覗いてきた。
「ダーリン」
「……クレア……、あたし……寝てた……?」
「ううん。大丈夫」
「……最低。……寝てる場合じゃないのに……」
あたしは首を振って眠気を覚ます。見上げると、クレアが楽譜をあたしに見せた。
「ね、ダーリン、これ預かってもいい?」
「ええ。お願い」
「……一枚濡れてるけど、これはなんで?」
「水の中に引きずられてる時に……リトルルビィの襟に引っかかったやつだと思う」
「……あいつ水に入ったのか?」
「……苦手だって知ってたの?」
「一回だけ訓練で泳がせた事がある。あれは……まだ会ったばかりの時だったか。浅い水の中に入れたら極度に嫌がってたから、それきり入れてない」
「……」
「だいぶ前の事だ。本人ですら忘れていたのかもしれないな」
「……ルビィと襲われた時……あたし……あまり覚えてなくて……」
「……そうか」
「……あの子、あたしを守るために頑張ってくれたのよ」
部屋に振り向く。
「……ルビィだけじゃない。ソフィアも、リオンも……あたしを守ってくれた」
深手を負った。
「あたしはお陰で……傷一つない」
自然と腕に力が入る。何も出来ない自分が惨めで仕方ない。だから、答えを分かっているのに、あえて訊く。
「……クレア……他に、あたしに出来ることはある?」
「ない」
「……」
「出しゃばるな。ロザリーよ。無能のお前に出来ることはたかだか囮。そのための作戦Dだ。お前の役目はイザベラから情報を得る事。イザベラを監視し、中毒者が誰なのかを特定する事。それだけだ」
「……」
「……戦うのはあたくし達の役目。お前ではない」
「……」
「ダーリン」
クレアがあたしの手をそっと握った。
「テリー」
額に額を重ねてくる。
「お前はそれだけに集中すればいい」
「……」
「返事は?」
「……わかった」
「ん」
「……」
「……。キスする?」
「……まだ、……残ってる」
「ん。まだあるのか。なかなか収穫してきたな」
「もう一つ、……よくわからないのがあって……」
「よくわからないの?」
「妙な紙切れがあって……ちょっと待って。今出す」
あたしがポーチバッグを漁り出すと、クレアが鼻で笑った。
「お前、その中にどれくらい入れてるんだ?」
「結構入るのよ。これ。……えっと、確か……この辺に……変な紙切れがあって……」
「もういい。ロザリー、お前はノロマは相変わらずだ。そのバッグ事寄越せ」
「待って。クレア、だめっ……ちょっ!」
あたしからポーチバッグを奪ったクレアが部屋の中に戻った。そして、何も置かれてないテーブルにポーチバッグの中身を振り落とす。
「クレア、待って、危ないから!」
「こうした方が早い」
「あなたのそういうガサツさが命取りなのよ!」
昔、リトルルビィから貰ったハンカチ、メニーから貰った喉飴。手鏡。双子に書いてもらったセイレーンの絵に、――ヒラヒラ落ちる、白い紙切れ。
「ん?」
「あっ」
まるで静かな雪のように、ひらりひらりと揺れて、テーブルに乗った瞬間――クレアが目を見開き、一歩下がって、ステージから下りた。
スポットライトが当たる。キッドがステージに上がった。
世界が歪む。時計の針がくるくる回り、揺れてないはずの部屋が激しく小刻みに揺れ、壁から死んでいった男達の手が出てきて、ドアを激しく叩かれ、部屋にいた兵士が何事かと息を呑み、ドロシーがすかさずメニーとリトルルビィを薄い緑色のオーラのようなもので囲んだ。メニーが部屋を見回し、部屋の異変にぞっと顔を歪ませる。きんきんした耳鳴りが治まらず、あたしはひたすら耳を押さえる。
「き、キッド!」
「じっとして」
キッドが紙切れを睨んだ。
「大丈夫」
キッドが剣を抜き、構えた。
「小さな部屋ごと呪おうなんて、らしくないな。偉大なる魔法使い様」
キッドが剣を振り落とした。
「やっ!」
テーブルごと紙切れを切る。すると、紙切れがどんどん黒くなり、灰となって消えた。――そして――瞬きをすると、部屋は元に戻っていた。あたしは呆然と二つに割れたテーブルを見つめる。
「……」
「テリー」
キッドが一度剣を振った後、鞘に納めた。
「アレ、どこで拾った?」
「……あたし……いつの間にか……デッキにいて……霧が……出てて……カラスがいて……」
膨らんで、破裂して、
「その紙を……足につけてたから……妙だと思って……広げてみたら……」
こう書かれていた。――力は泡となって消えていく。――そして、インクが吸い込まれていき、文字が消えた。
「嫌な予感がして……クレアに見てもらおうと思って……そこから……クレアに会えなくて……」
「……お前、あれ持ってて、よく無事だったな」
「……やっぱり、やばいやつだった?」
「あの紙に命を取られてもおかしくなかった。完全なる呪いだ。普段だったらお前ですら危なかっただろうけど、今は……、……テリーは悪運の持ち主だからな。良かったな。助かって」
「……」
「ソフィアとリトルルビィが変な事言ってなかったか? 例えば」
あたしははっとした。
「力が、使えないとか」
キッドの言葉に、あたしは更に青ざめた。それを見て、キッドがにやりと笑った。
「ビンゴ?」
「……言ってた」
「だろ」
「そんな……じゃ……ちょっと待って。それじゃあ……今までの……全部あたしのせい……?」
「テリー」
「あたしが近付かなければ、ソフィアも、ルビィも、アリスも……」
「だから俺と会わせないようにしたんだ。ソフィアとリトルルビィを潰すため。アリスが死んだらなおハッピー。だってそうなれば最高のスパイのお前の貧弱な心が再起不能なほどに脆く崩れてしまうから」
「……」
「だけど、引っかかるな。どうもやり方が紫の魔法使い様らしくない。オズなら、こんな手じゃなくて、もっと他のやり方で……気のせいかな?」
「……」
「まあいいや。もう終わったことだし。ふう。……メニー、大丈夫?」
キッドがメニーに声をかけながら歩み寄る。その間、あたしは今までの事を思い出す。力が使えず無理矢理引っ張り出して催眠を使ったソフィア。力が使えずあたしの血を飲んで無理矢理力を使ったリトルルビィ。
(……あたしのせい……)
あの紙を拾ったから。
(海に捨てればよかった)
そしたら二人共、あんな怪我しなくて済んだのに。
(あたしのせい)
重たい十字架が降ってくる。
(あたしのせい)
巻き込んだ。
(あたしが)
あたしが、全員、この船に乗せて、巻き込んだ。
「わたしは大丈夫です。リトルルビィも」
「にゃー」
「奇怪現象起きて怖かっただろ。もう大丈夫だから」
「お姉ちゃんは……」
「テリー様、どちらへ?」
あたしは兵士を無視して部屋から出て行った。
「クレア様、テリー様が……」
「メニー、リトルルビィを見ていてくれ」
「あ、クレアさ……っ」
「見張ってろ」
「御意」
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