第19話 海に咲く青き薔薇



「っ」


 その人物は、あたしが落ちる前に強い力でグイ! と引っ張ってきた。


(……え?)


 あたしの目が驚きで見開かれる。あたしの腕を掴むのは、


(なんで)


 美しいクリスタルのような、その存在。


(なんで、お前が)


「これはこれは、一体何事だろうか?」


 強く、凛とした声に、人々が顔を上げた。そこに見えるのは、夜に咲く青い薔薇。


「男の死体が二体も置かれているなんて。それも、こんな素敵な夜に」


 24時の鐘が鳴り続ける。今の揺れで時計が壊れたようだ。


「せっかく、もう一カジノと浮かれていたのに、こんな不気味なものを見せられるなんて。悪趣味なショーだこと。全く。何かのイベントかしら?」


 闇に近い青い瞳が怯えきって混乱するクルー達を見た。


「そうではないらしい」


 あたしから手を離し、ヒールを履いた足が死体に近付いていく。それを見たクルーが慌てて止めに入った。


「いけません!」

「慣れている。退け」

「あ、し、しかし……!」


 戸惑うクルーを他所に、女は跪き、死体の全身と、リトルルビィと――あたしを見た。目が合えば、女がにこりと笑みを浮かべる。


「……これはあたくしの専門分野のようだ」


 女は立ち上がった。


「人を近付かせないでください。犯人がどこかに潜んでいるかもしれません」


 人々がざわめく中、女が力強い声を出した。


「どうぞ、皆様、ご安心を。怖がり、不安になる必要はございません! いえ、全く、これっぽっちだって無いのです! この事件は必ずや、このあたくしが解決してみせましょう!」

「解決だって?」

「あんな小娘が?」


 人々が怪訝な顔をした。クルーが不安そうな表情で女に尋ねた。


「あ、あなたは、一体……」

「申し遅れました。あたくしは……」


 女が顔を上げた。


「名探偵!」


 スポットライトが当たった。


「クレア!」


 その一瞬で、まるで船内に青い薔薇が咲き乱れたのではないかと思うほどの眩しさと美しさに人々が顔をしかめ、驚き、胸を射抜かれ、とろけて、歓声を上げた。


「以後、お見知りおきを」

「た、探偵様でしたか!」

「皆様」


 無名の美しい探偵が人々の希望となる。


「人によってはお話をお伺いに参ります。どうぞ、何卒ご安心を。死んでいかれた方々の無念を晴らすため、このあたくしが、必ずこの事件の真相を解き明かし、犯人を捕まえてみせましょう!」

「な、なんて美しい女性なんだ……!」

「目が離せない……!」

「目が奪われる……!」

「あれは太陽か!」

「まさしく、月のプリンセス!」

「クレア様、万歳!」

「クレア様、万歳!!」

「「クレア様、万歳!!」」


 人々が無名の探偵の決意に万歳をした。


 ……ふと、隣に気配を感じて振り向くと、クレアと同じくらい美しくて胸の大きい女があたしの隣に立っていた。


「……」


 あたしは女を見て、顔をしかめた。


「びょうきでねこんで船にのらなかったんじゃないの? レオ」

「レオじゃない」


 リオンが目を逸らして、やりきれない顔でぼそりと言った。


「レイちゃんです……」

「クレア様、万歳!」

「探偵様、万歳!」

「くひひひひひ! ひゃははははは!! あーーはっはっはっはっ!!」


 名探偵クレアが万歳讃歌に高笑いし、クルー達がクレアの指示通りにこの場所を立ち入り禁止とし、人々を広場から避難させた。あたしはリオンの腕を引っ張った。


「レオ」

「レオじゃない。……レイちゃんです……」

「チッ。レオでもレイちゃんでもどっちでもいいわよ。なによ。その格好」


 沈没している顔のリオンを睨む。


「あんたね、よくも船にいないなんて、嘘デマカセをついてくれたわね。げほげほっ。お陰でとんだ苦労をしたわよ」

「それについては後できちんと説明するよ。今は……」


 リオンが倒れた死体を見た。


「別件だ」

「歴史がかわったわ。人がころされた」

「船は沈んだ。その後救助ボートに乗った人々が何人も亡くなった。詳しい事情を把握していた人物がその時点でいなかったとしても不思議じゃない」

「……歴史がかわったんじゃなくて、くり返されてるってこと?」

「可能性はある」

「げほげほっ、なんとかできるんでしょうね。ずびっ。こまるわよ。船のひょうばんをおとされたら、破産の未来がいっちょくせんよ! げほげほげほっ!」

「詳しい事は調査してみないとわからない。ただ、一つ言えるのは……」


 リオンの影が愉快げに揺れている。


「普通の事件ではなさそうだ」

「……まさか、中毒者だなんて言わないでしょうね」

「さあね」

「げほげほっ!」

「あー、そうそう。君のお母様が挨拶がてら言ってたな。やっぱり運命は簡単には変えられないらしい。……風邪引いたんだって? 間抜け」

「ずびっ。おだまり」

「そんな状態で歩き回るから、船から落ちそうになるんだ」

「……」


 あたしが眉間に皺を作れば、リオンが誇らしげに微笑み、胸を張った。……豊満な胸がぷるんと揺れて、あたしははっとする。


「僕が通り過ぎて、君は全く運がいい。あの貧弱そうなクルーはもう少し鍛えるべきだ。頼りになる、君のお兄ちゃんのようにね!」

「……ずびっ」

「お忍びで来てるって言わなくて悪かったよ。だが、もう安心してくれ。お兄ちゃんが君を助けに来た。今回は僕らに任せて、君は部屋で休んでると良い」

「……」

「なんだよ? その顔。……ははーん? さては、お兄ちゃんの登場に感動して、声が出ないんだな? 全く。仕方ないな。昔ならともかく、今や君は僕の大切なシスター。だからちゃんと来てあげただろ? ん? 怖がる事なんか何もないよ」


 リオンが両手を広げた。


「さあ、僕の胸に飛びこんでおいで! 我が愛しの妹よ!」


 あたしはそのでかい胸を掴んだ。もみ!


「……」


 きょとんとしたリオンがあたしの手を見下ろした。


「何してるんだ?」

「この胸、なに?」

「物知り博士が作ってくれた巨乳パッド」

「……クラブさんまで来てるの?」

「魚の細胞の研究をしたいらしいよ」


 リオンが肩をぐるんと回した。


「巨乳って疲れるな。女の気持ちが少しわかった気がするよ」


(……でかい……)


 そのパッドをつければ、このあたしも……。


「で、なんで女装してるの?」

「……それにはわけが……」

「テリー」


 リトルルビィがあたしの肩を抱いた。


「顔がさっきよりも青い。部屋に戻ろう」

「ずびっ」

「あれ、リトルルビィじゃないか。久しぶりだな。見ないうちに髪の毛が伸びたな。それで、君、また大きくなった?」

「……」


 リトルルビィがリオンを無視した。


「テリー、行こう」


 繊細な心が傷付いて、リオンが胸を押さえた。


「別に……辛くないよ……無視されたって……辛くないよ……」

「こんな事になってごめん。こうなったからには、わたしもこの後、船の見回りに行かないと」


 リトルルビィが切なそうな顔であたしを見つめた。


「もっと一緒にいたかった」

「……ルビィ……」


 ――あたしの肩が叩かれた。


(ん?)


 振り向くと、クレアが咳払いをした。


「ごほん」


 両手をそっと広げてきた。ダーリン、再会のハグは?


「……」


 あたしはリトルルビィに振り向いた。


「ばかね。あたしだって、ずびっ、どれだけ今まであんたに会いたかったことか」

「……ごめん」

「いつでもへやにあそびに来なさい。ずびっ、おいしいおかしを出してあげるから」

「……本当?」

「でも、あまり長居しちゃだめよ。あたしは風邪ひいてるから、移ったらこまるでしょ?」

「……テリーの風邪なら……いいよ……」

「もう、この子ったら」

「テリー……」

「世話がやけるんだから。……ばか」

「……ん……」


 ……あたしの肩が叩かれた。


(ん?)


 振り向くと、クレアが咳払いをした。


「ごほんっ、んんっ!」


 両手を差し出してきた。ほら、ダーリン。愛しの恋人へハグは?


「……」


 あたしはリトルルビィに振り向いた。


「リトルルビィ、ひさしぶりに抱っこしてあげるわ。こっちおいで」

「……抱っこは、いいって……」

「はいはい。そうね。ほら、来なさい」


 抱っこはしない代わりに、優しく抱きしめる。大きくなったリトルルビィはあたしに身を屈ませた。


「……テリー……」

「あんたにさけられてさびしかったわ」

「……本当に、……ごめん……」

「あたしもごめんね。……もっとあんたの気持ちに寄りそってあげられたらよかったのよ」

「……テリーは悪くないよ」

「ルビィだってわるくないわ」

「……」

「ずびっ、これからもなかよくしてくれる?」

「……会いに行く……」

「ええ。まってるから」

「ごっっっっふぉん!!!!!」


 クレアがあたしの肩を強く叩いた。


「げほげほ! げふん! ごっほん! えほえほ! げっほげほ!」

「……げほげほっ。……あー……」


 そっとリトルルビィから離れて、今にも泣きそうな赤い瞳を見上げる。


「リトルルビィ、ちょっとまっててくれる?」

「ん」

「ごめんね。ずびっ。すぐもどるわ」


 リトルルビィの手を離し、優しく頭を撫でてから――振り返り、両腕を組んで怒りを心に秘めた名探偵クレアちゃんを見上げる。


「なによ」


 クレアがものすごくむくれた顔であたしを睨んでいる。


「おしのびで来てたんですってね。ねえ、れんらくくらいしてくれてもいいんじゃない? げほげほっ」


 クレアがめちゃくちゃむくれた顔であたしを睨んでいる。


「それと、今、リトルルビィと大事な話をしてたの見えなかった? この一年近く、ろくに会えてなかったから、その埋め合わせを……」


 クレアがあたしの手首を掴んだ。


「ちょ、なにっ……」


 引っ張られる。


「っ」


 クレアがあたしを抱きしめ――匂いを嗅ぎ始めた。


「くんくんくんくんくん」


 首辺りに鼻を押しつける。


「くんくんくんくんくん」


 あたしは思う。お前は犬か。


「くんくんくんくんくん」


 クレアが離れ、ポケットから香水を取り出し、数適、手のひらに乗せてあたしの首に優しく当てた。


(……冷たいんだけど)


 そして、また鼻を近付かせた。


「くんくんくんくんくん」


 ……。


「ふむ」


 クレアが頷いた。


「よし、戻っていいぞ」

「……」

「あたくしと同じ匂いにしておいた。これで」


 クレアがリトルルビィに笑みを見せた。


「ケダモノが手を出さんことだろう」

「どっちがケダモノだか」


 リトルルビィが低く呟き、あたしの手を握った。


「行こう。テリー」

「んっ」

「ああ、いけない」


 クレアが近付いた。


「ダーリン、忘れ物」

「あ?」

「ちゅっ」


 クレアがあたしの額にキスしたのを見て、リトルルビィのこめかみに青筋が立った。


「また朝にね。ダーリン」


 クレアがあたしに微笑んだ。


「会いに行くから」

「行こう。テリー」


 リトルルビィがあたしを抱きしめ、赤い瞳と青い瞳の間にばちりと雷が光り、――次の瞬間、強い風が吹いて、あたし達はその場から姿を消した。


「……」


 クレアが溜め息混じりに呟いた。


「どこで育て方を間違えたかな」

「姉さん」

「レイちゃん、お前の頼れる双子の騎士を呼んでこい。それと、ジャックを使え。……調査開始だ」


 そう言って、偽物の長い髪の毛を翻した。



(*'ω'*)



 ――部屋に戻ってくる。



「げほげほっ」


 リトルルビィが割れものを扱うかのように、優しくあたしを抱え、ベッドに置いた。


「……はぁ。……ありがとう……」

「……水、いる?」

「へいきよ。ただ、……ちょっと、くらくらしただけ」

「……瞬間移動は風が当たるから」


 リトルルビィがあたしにシーツを被せた。優しい子ね。


「テリー、ゆっくり休んで」

「……ずびっ」

「さっきの事なら心配ないよ。わたし達が状況を調べるから」

「……きいてもいい? なんでクレアたちがいたの? キッドとリオンは、城にのこったってきいてたけど、さっき、リオンがお忍びだって……」

「お忍びなんだって」

「……」

「なんだってさ」

「……ほんとうにそれだけ?」

「うん」

「……げほげほっ」

「だから何も心配ないよ。昼間みたいに、テリーが船を歩き回ってトラブルがないか、見る必要もないから」

「……見てたの?」

「クルーに忍び込んで」

「スリル満点ね」

「だからテリーは無理しないで」


 リトルルビィがベッドから離れ、テーブルにあったサリアのメモ帳から一枚取って、すらすらと字を書いた。


「テリー、念のため書いておくね」


 リトルルビィがあたしに紙を見せる。


 クレア:2206号室。

 リオン:2207号室。

 わたし:2001号室。

 ソフィア:401号室。


「用があったら、いつでも来て」

「……あんた、なんて良い子なの……」


 あら嫌だ、いけない。目が潤んできた。リトルルビィがここまで気を遣えるようになってるなんて!


「げほげほっ! おいで! げほげほっ! だっこしてあげる!」

「いや、遠慮しとく。今はまじでテリーの菌がこっちに来そう」

「げほげほっ! げほげほっ!」

「……夜に出掛けたりするから、風邪が悪化するんだよ」


 リトルルビィがあたしの手を握った。


「ね。テリーが眠るまでここにいて良い?」

「……いてくれるの?」

「いても良いなら」


 リトルルビィがくすっと笑った。


「テリーの寝顔、見たい」

「あたしのまぬけな寝顔見たってなにもないわよ」

「わたしが見たいだけ」

「寝てるあいだにイタズラしないでね」

「……疑ってる?」

「……ふふっ、ばかね。げほげほっ、じょうだんよ」


 手をしっかりと握りしめる。ほんの少し前までは……もっと小さな手だったのに。


「おやすみ。リトルルビィ」


 重たくなった瞼を閉じれば、疲れていたのか、あたしの意識はあっという間に消え失せた。静かな闇だけが広がる。






「変わらないね」


 赤い眼の獣は呟く。


「そのお人好しさが命取りだよ。テリー」


 ルビィがベッドの上に乗り、病人に覆い被さった。


「言ってるだろ。わたし、もう純粋な子供じゃないんだよ」


 汚いものを見て、醜いものを見て、感じて、受け取って、処理して、心が傷付けられて、傷は癒えなくて、穴を開けて、埋めるようにピアスをして、また穴を開けて、ピアスをして――痛みを与えたのはあんただ。


「テリー」


 恋を。愛を。憎しみを。恨みを。乱れた想いを。ぐちゃぐちゃにかき乱したのは、


「テリー」


 ルビィの体が沈んでいく。唇が近付く。病人は眠っている。愛している想い人の唇を奪うのは容易い。誰も見ていない。眠っている。今なら、無かった事に出来る。


 けれど、


 ルビィは唇を重ねない。想い人の瞼に唇を押し当てるだけ。


「テリー」


 寝顔を見つめて囁く。


「愛してる」


 誰も見ていない。聞いてない。


「昔も今も、これからも」


 ――リトルルビィ。


「わたしには、テリーだけ」


 憎たらしいほど愛おしい人の頬に、リトルルビィがキスをし――風が吹いた直後、もう、ベッドにリトルルビィはいなかった。









 ヒレがゆらりと動いた。

 彼女は、まだまだ空腹だ。

 ハープの音が鳴り響く。

 心が癒された。


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