第25話 水中に光が照らす
(‘ω’ っ )3
ドアが閉まった。
そこはまるで海の中。
魚がひらひらと泳いでいる。
しかし、あたし達が泳ぐ事はない。
トンネルはガラスで覆われているから、怖がる事はない。
海が揺れる。
水が揺れる。
魚が泳ぐ。
鱗に反射した光が灯りとなる。
あたしとリオンが立ち尽くす。
あたしとリオンが顔を見合わせた。
あたしは黙る。
リオンも黙る。
あたしは慌てて振り返って、ドアの取っ手を捻った。
開かない。
リオンがドアに体当りした。
しかし、ドアが開くことはなかった。
リオンが辺りを見回した。
魚が優雅に泳いでいる。
海中がきらきら光っている。
リオンが言った。歩こう。
あたしは頷いた。
リオンがあたしの手を握った。
手を握る意味がわからなくて、あたしは手を解いた。
リオンが、離れたら何が起きるかわからないだろと言って、またあたしの手を握った。
メニーに怒られるわよと言えば、メニーは怒らないよと言われた。
クレアに怒られるわよと言えば、僕は彼女の弟で、君のお兄ちゃんだから平気さと言われた。
仕方なく手を繋いで進むことにした。
揺れる海の影が道に反射される。
ゆらゆらと揺れている。
道は永遠に続いている。
二つの道が現れた。
看板が立っていた。
あっちだよ。
指差し方向。
あっちに進んだら間違いない。
じゃあ、間違いないな。
リオン、この看板信じていいの?
なんだよ。ニコラ。怖いのか?
なんでここに看板なんかあるの?
じゃあ、あっちに行くかい?
……。
指を差してくれるなんて、優しい看板だ。行き止まりにあったら、戻ってくればいいさ。
……わかった。
看板を信じて、リオンとあたしはそっちの道に進んだ。
看板がケタケタ笑った。
道は変わっても、背景は変わらない。
まるで水槽の中にでもいるように、あたしたちは魚に見られている。
しばらく歩くと、影が見えた。
リオンがはっとして、ドレスを翻し、剣を構えた。
下がってろと言われ、あたしは後ろに下がった。
しかし、現れたのは知らない男だった。
乗客のようだ。
男があたし達を見て、挨拶をしてきた。
やあ。どうも。レディ達。おやおや、剣なんてしまってくださいな。ここは美しい場所ですぞ。魚が気持ち良さそうに泳いでいて、とても綺麗だ。まるで心が和らぐようです。
男はまた美しい海の景色を眺めることにした。
リオンが剣をしまい、どうしてここにいるかを男に聞こうとした。
すると、小魚達が突然あたし達に振り向いた。
男が言った。おや、こっちを見た。可愛らしいな。
突然、魚が頭突きをしてきた。
あたし達はびっくりして、一歩下がった。
だって、そんな事をしたら魚の頭が割れてしまう。
これは何かのパフォーマンスかな?
男が笑った。
しかし、リオンは眉を潜ませて、あたしの手を引っ張った。
リオンが男に言った。
良かったら、一緒に行きませんか。
ああ、少し待ってくれ。この魚をもう少し見たいんだ。
魚が頭突きをしてくる。
リオンが一歩下がった。
いや、行きましょう。何か、嫌な感じがします。
先に行ってくれ。私はもう少し見ているよ。
そういうわけにはいきません。
あたしはリオンを引っ張った。
レオ。
ごめん、ニコラ。でも、置き去りに出来ない。
魚が頭突きをする。
レオ。
早く行きましょう!
変わった魚だ。
ここにいたら死ぬぞ!
音がして、あたし達は振り返った。
反対方向からも、魚が頭突きをしていたのだ。
行きましょう!
ああ、そうだな。
男がようやく歩き出した。
いやいや、実は歩いていたら、突然ここへ来てしまってね。歩いても歩いても出口が見つからないんだ。君達、ここがどこか知ってるかね?
魚が頭突きした。
小魚は頭突きをする。
大量に頭突きをする。
ヒビが割れる。
ぴきぴき、という音が近付いてきた。
男の足が止まった。
リオンがはっとした。
あたしの手を離して、すぐに男に駆け寄った。
男の腕を掴み、リオンが早足で進んだ。
あたしに先に歩くようリオンが怒鳴った。
だから、あたしは急いで先を歩き出した。
魚が頭突きをした。
ぴきぴき。いけないの。
ぴきぴき。このままではガラスが割れてしまう。
ぴきぴき。それ以上は駄目なの。
ぴきぴき。いけない。
ぴきぴき。頭突きをやめない。
ぴきぴき。小魚達は大量にトンネルを囲み、頭突きをする。
その瞬間、あたしとリオンの間の上のガラスが破壊された。
水が勢いよく吹き落ちてきて、男が悲鳴を上げ、リオンと共に一歩下がった。
あたしは叫んだ。走って!
リオンが男の体を支えながら飛び込むように走った。
しかし、突然水の中から手のようなものが現れ、男の体を抱きしめた。
あまりの強さに、リオンの手から男の体が離れた。
リオンだけがあたしの元へ滑ってきた。
リオンが勢いのまま、あたしに抱きついた。
そしてすぐに離れ、リオンとあたしが吹き荒れる水の方へと顔を向けた。
水が激しく水しぶきを上げた。
水の中から、男が必死に顔を外に出した。
そしてあたし達を見て、大きく叫んだ。助けてくれ!
しかし、男がまた水の中に引っ張られた。
男がもがき苦しむ。
やがて、水が赤く染まっていき、ガラスの中を赤い水で濡らした。
水の中から歯のついた小魚が一匹飛び込んできた。
足がすくんだあたしに向かって飛び、あたしの顔の前で口を開けた。
喉奥までびっしり針のような歯が並んでいるのが見えた。
それをリオンが剣で刺した。
小魚の魂が天国へと旅立った。
噛まれたらどうなっていたか、一瞬で想像してしまったあたしはぞっとして、顔を青くさせた。
しかし、リオンがあたしの手を強く握り、怒鳴った。走れ!
リオンとあたしが走り出した。
小魚がガラスに落ちて、びちびち跳ねた。
小魚がガラスに刺さって、びちびち跳ねた。
小魚がガラスに刺さって、血を流した。
小魚がガラスに刺さって、口を開いた。
小魚たちがガラスに刺さっても、動き出した。
ヒビが後ろからあたし達を追いかけてくる。ガラスが割れて、水が吹き出す。吹き出た水から魚がガラスの上に落ちて、びちびち体を跳ねさせ、あたしとリオンが走っていると、前にいた小魚があたしに目掛けて飛びついてきた。
「っ」
リオンがあたしの手を引き、前に出て剣を振った。歯の生えた魚が二つになって痙攣した。
あたしはリオンの手を引っ張った。リオンもそれに答えるように走り出した。
ガラスが割れる。水が吹き出す。小魚が落ちてくる。びちびち跳ねる魚には気をつけて。こいつら全員、歯を持ってる。飛びついてきたら、リオンが斬った。嫌な予感がして頭を下げたら、後ろから魚が飛び込んできて、あたしの足元に魚が落ちた。あたしを見て、脅すように口を開いて歯を見せびらかした。あたしは悲鳴を上げた。リオンがあたしを引っ張って走らせた。ひたすら前だけを走る。だが、前を見ても出口はなく、ひたすら真っ直ぐなガラスの道が続くだけ。見えない先を目指してとにかく走る。脇腹が痛くてあたしは手で押さえながら走った。足に水がかかる。ガラスに落ちてきた魚達が跳ねて、落ちて、あたしとリオンに目掛けて飛んできた。
リオンの影が伸びた。
ジャック ジャック 切り裂きジャック 切り裂きジャックを知ってるかい。
レオが歌えば飛んできた魚に僅かな時間で悪夢を見せた。
悪夢の中でジャックが魚を切り裂いて、お刺身にして食べた。
悪夢を見た魚はお刺身になったので、動かなくなった。
あたしは息を切らす。脇腹が痛い。気持ち悪くなる。足がもたつく。
「……っ」
あたしが転んだ。レオが驚いた拍子に、レオとジャックが一つになり、またリオンとなる。リオンが舌打ちして、すぐに剣をしまってあたしを腕に抱えて走った。両手が塞がって剣が使えないので、リオンがより一層足を速めた。大丈夫。お兄ちゃんは足が速いから。しかし、永遠と続く鬼ごっこはした事がない。いつまで逃げ続ければいい。いつまで全力疾走していればいい。
リオンの精神が迷い始める。
ニコラを守らないと。だが出口は見当たらない。ハープはどこだ。音なんてしない。するのは、ガラスが割れる音と、水が吹き出す音と、魚が跳ねる音だけ。耳がざわつく。いつまで走ればいい。そのうち、ニコラを捨てようか迷い始めた。いいや駄目だ。この子は僕の妹だ。でも捨てて逃げた方が効率がいい。重さもあって負担がかかる。駄目だ。ニコラを捨てて逃げるなんて。でもそしたら、いつまでこの状態で走ればいいんだ。精神が迷う。リオンの息が乱れる。リオンの目が迷い始める。うろうろ目玉が動き始める。水で太陽が隠れた。暗くなる。深海のようだ。ここは暗い。暗い。暗い道が続く。暗いと迷ってしまう。だから悪夢が囁く。大丈夫。ニコラを捨てたってニコラは女の子だから襲われないさ。食われるのは男だ。だから大丈夫。ニコラを置いて逃げよう。
「げほげほっ」
あたしの咳にリオンがはっとした。そして、この女は何とも役に立たない情けない奴だと思った。だったら捨ててしまえばいい。魚達の餌にして自分だけ逃げればいい。人生は逃げるが勝ちだ。逃げ切れば助かる。精神が迷う。気持ちが迷う。選択に迷う。逃げちゃいけない時代は終わった。今こそ逃げる時だ。人は逃げる事も大事だ。そうだ。逃げよう。生き延びるために逃げよう。僕はみんなに必要とされている。僕は王だった。そうだ。この女は悪い奴だ。だから別に死んだっていいんだ。
リオンがあたしをガラスの地面に投げた。
「っ!」
「っ」
あたしの悲鳴にリオンがはっとした。弱っているニコラになんて事を。僕はなんて奴だ。酷すぎる。どうしよう。ニコラを逃さないと。ごめん。おいで、ニコラ。僕と逃げよう。
「……」
リオンの足が止まった。この女を抱き上げて、また走るのか? ハープの音は聴こえない。僕はいつまで走ればいいんだ。出口はどこだ。もういい。ニコラは諦めよう。そして、一人で逃げてしまおう。しょうがない。僕は病人だ。頑張ったんだ! みんな仕方ないと納得してくれる。姉さんだってわかってくれるさ。逃げよう! 逃げなきゃ!
「……」
リオンの影がうろうろする。ニコラを置いて逃げるのか? 僕は何を考えてるんだ。そんなの駄目だ。ニコラは僕の協力者だ。僕の妹だ。ニコラ。テリー。僕が守るんだ。今、彼女を守れるのは僕しかいないんだ。王子様はお姫様を守るものだ。男は女を守るものだ。僕が守らないと。
「……」
僕が、守るのか?
「……」
どうして?
「……」
理由なんてない。守るんだ。見ろ。ニコラが風邪を引いて、弱ってるぞ!
「……」
使えない女だな。メニーならこんな事ないのに。
「……」
違う。違う。しっかりしろ。リオン。ジャック、しっかりしろ! レオ、落チ着ケ! ああ、呼吸しろ。そして逃げる準備を、あ、違う。馬鹿! 違ウ! 守らないと。しっかりするんだ。違う。このままじゃいけない。わかってるんだ! ワカッテルンダ!
「……」
体が動かない。
「……」
あたしは腰を押さえて起き上がった。息を切らしたリオンの目がぼんやりとしている。
「……」
あたしはリオンの手を掴んだ。リオンがぼんやりしている。
「……」
引っ張ってみると、足は動いてくれる。
「……」
ガラスは割れていく。ヒビが、あたし達の天井まで来て、水が少量降ってきた。
「……」
あたしはゆっくりと歩いてみた。リオンが歩く。あたしは徐々にスピードを上げてみた。リオンがついてくる。あたしは走ってみた。リオンも走る。だからあたしも走る。小魚はびちびち跳ねている。あたしはリオンを引っ張った。リオンが走る。ただ、目に光がない。
「っ」
あたしはジャックを呼んでみた。だが、ジャックは揺れるだけ。だってジャックはリオンだから。
「っ」
あたしはレオを呼んでみた。だが、レオは揺れるだけ。だってレオはリオンだから。
「……」
前を向いた瞬間、真上のガラスが割れた。
「っ!」
ガラスが水に吹き飛ばされ、あたしとリオンに水がかかる。
「っ」
あたしはリオンを引っ張って、出来る限りの速さで走った。ドレスと足が濡れて、滑りやすくて走りづらい。それでも無理矢理引っ張って、あたしは走った。
「っ」
何か踏んであたしだけ転んだ。リオンはぼんやりとしている。あたしは踏んだものを睨んだ。そこにはぽつんと、楽譜が置かれていた。
(……)
あたしは楽譜をまじまじと見つめる。また一枚だけ置いてあった。少し、湿っぽい。
(……どうしてここに……)
――魚がびちびち跳ねた。
「っ」
その音にびくっと肩が揺れて、眺めている場合ではない事を悟り、置いて行こうと思って立ち上がったが――なんとなく、この楽譜を手に取らないといけない気がして、あたしは再び腰を曲げ、楽譜を拾って破かないように気を付けて折りたたみ、ポーチバッグに入れて、靴を脱いだ。裸足になれば、またリオンを引っぱって走り出す。謎だらけの楽譜は後だ。今は走らないと。
そして、はっとして、思わず足が止まった。あたしが楽譜に気を取られているうちに、ヒビの浸食は進み、至る所から水が零れていて、前にも横にも小魚が入り込み、びちびち跳ねていた。後ろにも横にもびちびち跳ねている。あたしは噛まれないようにリオンを引っ張って慎重に進み始めた。びちびち音が響く。跳ねる音が響く。やがてその音が大きな音になっていく。びちびちという音が大きくなっていき、まるで叫び声のようになっていく。
「び」が「ぎ」になって、「ち」が「や」になって、「び」が「あ」になって、「ち」が「あ」になる。
びちびち。
ぎゃああ。
びちびち。
ぎゃあああああ。
びちびち。
おぎゃあ、おぎゃああ。
びちびち。
おぎゃあああ。ぎゃああああ。
びちびち。
ほぎゃあ。おぎゃああ。ああああ、ぎゃあああ
びちびち。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
あたしはリオンの手を強く握って再び走り出す。息も心も乱れていく。リオンは心が壊れかけている。後ろからずるずる何かを引きずる音が聞こえた。ぞっとする。心臓が一気に冷えた気がした。廊下と違って、ここには曲がり角なんてない。ひたすら、前に進むしかない。あたしは涙目になって走る。後ろから音が追いかけてくる。怖い。また叫んでくる。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
あたしは必死に走る。真っ直ぐ。ひたすら真っ直ぐ。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!
――あらあら、大変。心を乱しているのね。私の演奏を聴きなさいな。落ち着きなさいな。
そんな事を言うように、前方から美しいメロディが聴こえた。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
あたしははっとして、リオンの背中を押し、更に足を速めた。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
二つの道が現れた。看板が道を示す。お嬢さん、お嬢さん、こっちだよ。あたしは看板を無視した。示しのない道へ走る。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
走っていくと、暗い中にハープが微かに見えた気がして、あたしは真っ直ぐ走る。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
あたしとリオンが走る。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
ハープが見えた。ハープだわ。間違いなく、ハープが鳴っている! ぽろん。とろん。ららら。とろん。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
「っ」
ハープの後ろに両開きのドアが見えた。出口だ。ここはとても暗いのに、向こう側は明るい廊下が見える。あたしは思った。――助かった!
「……!?」
しかし、何故か、ゆっくりとドアが閉まり始める。
「っ!」
あたしはリオンを引っ張る。無理矢理自分の足を動かす。これ以上ないほど動かして、もう、痛いのとか、なんでもいい。とにかく必死に、無我夢中で走る。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
もう少し。もう少し。もう少し。お願い。閉じないで。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
閉じこめられたらお終いだ。あたしは走る。しかしドアは閉まっていく。怖気づいて勢いを止めてはいけない。あたしは走った。リオンを引っ張った。ハープの演奏で、心が癒やされていく。口が開いた。
「おい、起きろ」
――リオンの目に、光が戻った。リオンがはっと我に返った。
「っ」
左右のドアが徐々に閉まり、狭くなっていく。駄目! あたしは叫びたい気持ちのまま走り続ける。
「っ」
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
リオンが走りながら、あたしをしっかりと抱いた。
「っ!」
「っ!!」
そしてそのまま、リオンが地面を蹴り、あたしと一緒に無理矢理ドアの隙間に体をねじ入れ――そこで、ドアが完全に閉まった。
ハープが音を鳴らした。ポロロロン。
(*'ω'*)
――廊下に転がった。
「げほっ!」
「うっ!」
廊下を歩いていた人々が小さな悲鳴をあげ、ドアの向こうから飛びこんできたあたし達を見た。あら、何かしら。驚いた。大きな船だから戯れているのさ。行こう。ハニー。
息を切らしながらあたしが顔を上げた。ドアを確認すると、ドアは開いたままだった。うっとりするほど美しい海中トンネルを、人々が平然と歩いていた。
「……」
レイが息を切らしながら、険しい表情になっている。
「……」
あたしは汗を拭い、裸足になった足を見て、むっと頬を膨らませ、四つん這いのままレイの前に移動した。レイが気まずそうにあたしから視線を外す。
「……この」
拳を軽く頭に当てる。
「ばか」
「……ごめん。ニコラ」
掠れた声で謝罪される。
「ごめん……」
「……あたしもころんだから」
もう一回レイの頭に拳を当てた。
「これでチャラよ」
「ごめん……」
「あやまらないでよ」
「ごめん……」
「あーあ。あんたがしたこと、クレアにチクってやるから」
「ごめん……」
「……ケガは?」
「ごめん……」
「……げほげほっ」
「ごめん……」
「あやまるくらいならそれ相当の対価で払って」
「……ごめん……」
「……はあ。……ずびっ。」
「ごめん……」
「もういい。立って」
「……」
レイが自分で立って、あたしに手を差し出した。それを握るとレイに引っ張られ、足が地面につく。そして、これみよがしに足をレイに見せつけた。
「ねえ、見てこれ。裸足なんだけど。げほげほっ」
「……ごめん」
「かわいい靴買って。ずびっ。……それでもういいから」
「……ごめん」
「もういいってば」
「……。ごめん」
「げほげほっ。……あの状況ならああならざるを得ないわ。あたしがあんたで、ずびっ、あたしがメニーなら、あたしは迷うことなくメニーを見捨てた」
「……ごめん」
「……見捨てず、たすけてくれたじゃない」
「……いいや。見捨てたさ」
一人。
「助けられたのに」
「むりよ」
あの状況で、助けようなんて。
「そうね。キッドならできたかもね」
「……」
「……にげようとしなかった彼も悪いわ。はやく動いてたら、こんなことにならなかった」
「……」
「……リオン」
彼の両手を握りしめる。
「おねがいだから自分を責めないで」
「……ごめん」
「あれは、むりだったわ。ほんとうに」
「……ごめん」
「……いい? ……二度としないからね」
リオンを思いきり抱き締めれば、リオンの荒れた呼吸を側で感じることが出来た。……パニックになっていたにも関わらず、彼は理性を離しはしなかった。
「……お兄ちゃん、……たすけてくれてありがとう」
「……」
「つらい思いをさせてごめんなさい」
「……」
震える手が弱々しく抱き締め返してきて、リオンが鼻をすすった。そして、震えた声で言われる。
「……ごめん……。ニコラ……」
「……大丈夫だから」
「……ごめん」
「……」
「……うんと可愛い靴を買ってあげるよ。頑張ったご褒美だ。……ショッピングモールに行こう」
「あんた無線機持ってない? げほげほっ、クレアを呼んで」
「そんな事しなくても来るさ」
トンネルから悲鳴が聞こえた。
「早く行こう」
目に溜まるものを指で拭ったリオンがあたしの手を引き、ゆっくり歩き始めた。トンネルからは女性が走ってきて、のんびり歩いていたクルーを見つければ、青い顔でそちらに走った。
「五分もしないうちに来るぞ」
「クルーさん! 大変! 早く来てちょうだい!」
慌てた様子の婦人が叫んだ。
「向こうで人が死んでるの!」
トンネルの中には無残に置かれた、頭と骨と足が残った男の死体。
広場の時計は11時55分を指していた。
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