第26話 主観は時に嘘をつく


 ランチタイム。レストランは今頃混雑して仕方ない事だろう。いくら仕事だからと言っても雪崩込んでくる客に、ウェイターが体力の限界を感じている。そんなウェイターを見て気を遣ったのか、それとももう食べたのか、ショッピングモールでは食べ歩く人々が目につく。しかし、あたしには靴が目につく。その通り。あたしは真剣に棚を見つめていた。


「ニコラ」


 リオンが眉をひそめた。


「君、この棚に来てから何分立ってると思うんだ」

「……十五分くらい?」

「姉さんが行っちゃうよ」

「無線機で呼び止めておいて」

「靴を選ぶだけだろ? なんでそんなに時間がかかるんだ? 一分で十分だ」

「わかってないわね。げほげほっ。あたしはこれとこれとこれ、ずびっ。どれがあたしを求めているか、お靴ちゃんの脳裏に話しかけてるの。じゃましないで」

「靴に脳は無い。いいよ。三足買うから」

「荷物になるでしょ! ごほっ! あたし、一足だけでいいの!」

「……。じゃあ早く選んで」

「えー……」


 あたしはきらきら光る靴を眺める。ヒールの高いセクシーな靴。デザインが可愛い靴。歩きやすいパンプスで迷っていた。


「どれにしようかしらぁー」


 どれを履いてもあたしにぴったり。


「えー! どうしよぉー! ぴったりぃー!」

「な、さっきは僕が悪かったよ。自分の中で反省してるんだ。さっきからずっとジャックと話し合ってる。だけどさ、たかが靴一足買うくらいで待たされる僕の身にもなってくれないか。しかも、女装で」

「あんたも買えば?」

「いらないよ……」

「やあ。素敵なお嬢さん」


 イケメンの紳士がレイに声をかけた。


「向こうから見てて、いいなって思ったんだ。良かったら、この僕とお茶でも」

「人を待ってるのですみません」

「じゃあ、待つ間だけどうかな?」

「結構です」

「そう言わずに」

「ニコラ、もう選んだ?」


 レイが紳士に背中を向け、あたしの肩に手を置いた。紳士が肩をすくませた。やれやれ。照れているんだな。可愛い人だ。レイが顔を青くさせながら潜めた声で伝えてくる。


「なあ、頼むよ。もういいだろ。ナンパはこれで十五回目だ。わかるか? 一分に一回は男に声をかけられるこっちの身にもなってくれ。ジャックもうんざりしてる。夜になったら声をかけてきた男全員に悪夢を見せてやるって意気込んでるんだ」

「あら、いいじゃない。モテモテで」

「男に言い寄られる趣味はない!!」

「げほげほっ。はあ。あたしを求めるお靴ちゃんはだれなのかしら」

「こんな高いヒールで走れないだろうし、この可愛い靴も靴ずれが起きそうだ。消去法だ。パンプスでいいだろ」

「えー、でもこれでおどれたらすてきだわぁ……」

「今の君はダンスなんか出来ないだろ!」

「げほげほっ! 風邪が治ったら、おどれますけど!?」

「いいよ! ダンスの相手ならお兄ちゃんがいくらでもなってあげるから!!」


 レイがパンプスを手に持った。


「あ!」

「いいだろ。これで。はい決定」

「……」

「これが欲しいんだろ? これでいいな?」

「……んー……」

「ニコラ、頼むよ。もういいだろ? その二つも買うか?」

「……んー……」

「ニコラ、トッテオキノ悪夢ヲ見セテアゲルカラ」

「それはいい」

「コレデイイナ?」

「……んー……」

「ジャック、もういい。買ってくる。ニコラ、欲しくなったら後から言え。もっと素敵な靴をオーダーメイドしてあげるから」

「……げほげほっ」

「サイズはさっき測ったサイズだろ?」

「ん」

「待ってろ。……はあ。母上の買い物に付き合わされた気分だ……」


 五分後。あたしの足元で新品のパンプスがきらきら光っている。


(ああ、やっぱりあたしにぴったりだわ。貴方があたしを求めていたのね)


「よし、ニコラ、戻ろう。……はあ。なんか疲れがドッと来た……」

「この靴ににあうドレスがほしいわ」

「ニコラ、わかった。お兄ちゃんが全部用意する。だから頼むよ。もう行こうよ。大丈夫。君は綺麗で可愛い。本当さ。僕の妹はいつだって可愛い。何を着たって何を履いたって可愛い。麗しいマイ・シスター。もう愛おしいよ。君の魅力にメロメロさ。な? もういいだろ? 僕も休みたいんだ。酷く疲れてるんだ。精神的にも、身体的にも。このままだと本当に姉さんがどこかに行っちゃうよ」

「ずびっ。無線機でよびとめておいて」

「ニコラ、どこに行くんだ。海中トンネルは向こうだ。今なら聞き込みをしている姉さんがいるから……ニコラ、そっちはドレスショップだ!」

「やあ、君、綺麗だね。良かったらこの僕とランチでも」

「結構!!!!」


 はあ。気に入ったわ。このパンプス。とってもきらきらしてて可愛い。海のように透明感のある青が素敵。あたし、こういう靴を求めていたんだわ。歩きやすいし、走りやすい。


(やっぱりお買いものっていいわー。あれだけ怖い目に遭ったのに一瞬で心が癒される。ハープなんかよりも効果テキメン)


 ドレスショップのショーウインドウを眺める。


(まあ。素敵なドレス! うっとり!)


 あたしに似合いそうな美しいドレスだわ!


(……これで、……クレアと……)


 優雅なダンスを踊ったら――。


 ――ダーリン、とっても綺麗。もう、ダーリンから目が離せない。


(……クレア……)


 ……もっと他のドレスを見ないと。そんな気がして、あたしはゆっくりと移動を開始した。


(ドレス……)


 あたしが眺めていたショーウインドウのマネキンの後ろから、サリアが横切った。


「っ」


 あたしは気付かず移動する。サリアが店から急いで出てくる。


「テリー!」


(あれ、こっちに素敵なドレスがありそうな予感がする)


 あたしの足が、なぜかそっちへ向かう。


「テリー!」


 この人混みの果てに、あたしが求めるドレスがあるんだわ。そんな気がしてあたしは足を動かす。


「すみません、退けてください!」

「ん?」


 レイが振り返った。


「あれは、ニコラのメイド……」


 あれ? レイが辺りを見回した。


「テリー?」

「ああ、いたいた。ここだったか」

「姉さん」

「感謝しろ。聞き込みを任せて迎えに来てやった。こっちの方が聞きたい事が山積みだからな。……で」


 クレアが青い瞳を輝かせて、きょろりと見回した。


「あたくしのダーリンはどこなの!? ああ、ダーリン! 部屋に行ったのにいないなんて酷いじゃない!! だから、あたくし迎えに来たの!! ダーリン!! あたくしの愛しい人!!」

「姉さん、テリーなんだけど、……はぐれたみたいで……」

「……あ?」

「まだ近くにいると思うんだけど……どこに……」


 あたしの足がとことこ歩く。


「失礼! 退けて!」


 あたしの足がとことこ歩く。


「どなたか、そのバンダナの女の子、捕まえてください!」


 あたしの足がとことこ歩く。


「テリー!!」


 あれ、なんだか走りたくなってきた。体が怠いのに、おかしいの。あたしは走り出した。


「テ……」


 あたしは廊下を走っていく。


「……」


 サリアの足が止まった。あの子は人の間に隠れるのが好きな子だから。さん、に、いち。


「……」


 サリアが横に走った。あたしはショッピング―モールから抜け出した。


(なんだか楽しくなってきた!)


 あたしはそのまま前に進もうとして――Uターンして走り出した。その先から足音があたしを追いかけてきたが、あたしは気付いてない。


「テリー!」


(あはは! 踊ってるみたい!)


 再びショッピングモールへご来店いただきありがとうございます。あたしは人混みの中を走っていく。それを見たメイドが考えた。さん、に、いち。


(あははは! あははははははは!)


 あ、地図がある! あたしは足を止めて確認する。


「……」


(こっち!)


 あたしは走り出した。その正面の曲がり角から――サリアが走ってきた。


(あれ?)


 サリアがいる。でも、まあ、いいや。


「テリー! 止まって!」

「きゃははははは!」


 サリアの手から避けて、あたしは走り続ける。サリアがすぐさま振り返ってあたしを追いかける。


「テリー、待ちなさい!」

「あはははは! あはははははは!」


 あたしは楽しくなってきて、笑いながらサリアと鬼ごっこする。


「サリアが鬼! サリアが鬼! あはははは!」

「テリー、どうしてしまったの!?」

「あはははは!! あははははは!!」


 あたしは愉快に笑いながら廊下で談笑する人々の間を潜り抜け、曲がり角を曲がって、また曲がって、またまた曲がって七曲り。サリアが高速で考える。さん、に、いち。そして、また必死に追ってくる。


「あはははははは!」

「にゃー!」


 正面から緑の猫があたしに飛び込んできた。


「ぎゃっ! 何!?」

「にゃあー!」

「うるさい猫ね! 何よ、こいつ!」

「テリー! ボクがわかる!?」

「あたしは今爽快な気分で走ってるのよ! 邪魔しないで!」

「テリー!? ボクの目を見て、ほら、わかるかい!?」

「まあ、ハープだわ! あはは! ハープの音が聴こえる!」

「……まずいな。正気じゃない」

「こっちだわ! 行かなきゃ!」

「テリー! ちょっ!」


 あたしは猫を抱いたまま走り出す。


「人魚よ人魚よ! 足が欲しいか! 対価は声だ! 払うがいい!」

「やっとだわ! やっとハープを見つけたのよ!」

「クソ! だから海の上は嫌なんだ! おい!! お前、どうしてテリーの中にいるんだ! どうやってその女の中に入った!?」

「ずっと探してたのよ! あたしのハープ! やっと見つけた! やっと見つけた!!」


 あたしは手を伸ばす。


「ウンディーネ!!」


 ――その手を掴まれた。


「あっ」


 青い目が光った。


「あれ?」

「返して」


 声が歌うように伝える。


「その体は、テリーのもの」


 その目を見た瞬間、あたしの意識が真っ暗闇に染まっていく。


「返して」


 ――体が、地面に倒れた。



( ˘ω˘ )




 眩しいくらいの太陽の下。


 そこで笑い声が聴こえた。


 これは、子供の笑い声だ。


 女の子の笑い声。


 これは、



 ――あたしの声よ!



「ゆすって、ゆすって、若い木さん、銀と金を落としておくれ」


 とっても可愛い声で歌って、ロープを留め金から外すと、円形のバスケットが木から落ちてきた。その中には、銀で出来たアクセサリーと金で出来たアクセサリーが入っていた。


「これは、魔法の木なのよ」


 あたしは知ったかぶって、誰かに説明した。


「欲しいものがあれば、ここで歌うともらえるの。でもね、この木は気まぐれだから、欲しいものがあればあたしに言うのよ。そしたらあたしが歌ってあげる。あたしは木のお気に入りだから、あたしが歌えばなんでも出てくるわ」


 あたしはバスケットを誰かに見せた。


「ほら、きらきら光ってて、綺麗でしょ」


 誰かに差し出した。


「これはきっと魔法の木があんたを気に入ったんだわ。よかったわね」


 あたしは誰かに笑った。


「これあげる」

「ありがとう」


 誰かが笑った。


「大事にしてね」

「うん」


 誰かが笑顔になった。


「宝箱にしまっておくね」


 あたしはその子の笑顔を見て、とっても嬉しくなった。


 あたしは、これからこの子の大切な人になるの。

 これであたし、もうアメリから虐められないわ。

 だって、アメリと遊ぶ必要がないんだもん。

 アメリのお人形も玩具も、もういらない。


 あたしには、この子がいる。



「ありがとう。お姉様」



 あたしは、包丁を握りしめた。



(*'ω'*)



 ――体が重たい。


(……変な夢を見た気がする……)


 うわ、何これ。怠い。重い。気持ち悪い。吐きそう。ああ、あたし、また熱が出てるんだわ。全く、なんて貧弱な体なのかしら。嫌になっちゃう。


(……ここ、どこ……?)


 あれ?


(何、この枕……。丁度いい硬さの枕だわ……。こんな枕あったっけ……? 気持ちいい……)


 口をむにゃむにゃ動かすと、鼻水が垂れた。


「ずびっ」


 すると、頬に何かくっついてきた。


(うん?)


 ぷに。


「にゃあ」


 ……あたしはゆっくりと瞼を上げる。……まあ。ネコちゃんがあたしに肉球を押し付けているわ。


(不思議な色だわ。緑色だなんて。こんにちは。あんた、どこから来たの?)


「お姉ちゃん、起きた?」


(ん? 誰……?)


 あたしは横向きになっていた体を動かし、仰向けになった。そしたら、天井に光るシャンデリアが眩しくて、思わず顔をしかめさせる。


(うっ!)


「お姉ちゃん?」


 あたしは目を凝らし、焦点を合わせて、声の人物を見る。


「大丈夫?」


 頭がぼんやりとしている。だけど、上からあたしの顔を覗いているのは『メニー』だという事はわかった。視界がぼやける。せっかくのメニーの可愛い顔がはっきり見えない。

 ふと、あたしはメニーの髪に注目した。今日は灰を被ってない。


「寒くない? 一応、サリアがブランケットを持ってきてくれたんだけど……」

「……メニー」

「ん?」

「……どうしたの? その髪型……」


 掠れた声で訊く。だって、気になるんだもん。


「だれにやってもらったの……?」

「……? モニカだよ」

「モニカ? だれそれ」

「……お姉ちゃん、モニカだよ? メイドの」

「メイドのなまえなんて、はあ、いちいちおぼえてないわよ……」

「……お姉ちゃん?」

「げほげほっ」

「大丈夫?」

「なにこれ。すごくくるしいんだけど。のど痛いし、鼻水とまんない。ぐすん。さむい……。……ここ、どこ?」

「お姉ちゃん?」

「あれ? ほんとに……どこ、ここ……。げほげほっ、……屋敷にこんなところ、あったっけ……?」


 見た事のない景色を見て、頭がぐるぐる回って、目もぐるぐる回って、あたしはメニーに倒れ込む。


「……はあっ……」

「お姉ちゃんっ……!」

「くるしい……」

「今、サリアがクルーを呼びに行ってるから、待っててね」

「……あたし」

「ん?」

「死ぬんだわ」

「え?」

「あたしが死んだら、ガラスのかんおけに入れて、小人をまわりにつけて、お花畑に置いておいて」


 ――急に、メニーが黙った。


「そしたら、リオンさまが気づいて、あたしにキスをしてくれるの」


 メニーは何も言わない。だからあたしは語り続ける。


「それで、はぁ。あたし、目がさめて、ずびっ、リオンさまと、ふぅ。……恋におちるの……」


 あたしは暖かいネコちゃんを腕に抱き、瞼を閉じた。


「にゃ!」

「ふいー……」

「……。……お姉ちゃん?」

「……げほげほっ……」

「……テリーお姉ちゃん?」

「……ごほっ……メニー……、……ふた、……りのときは……おねえ……さま……でしょ……」

「……」

「……」

「……みゃー」

「……」

「……ふがっ」


 あたしの鼻にネコの毛が入ってきて、むずむずしだして、くしゃみをした。


「ぶあっくしゅん!!」

「っ」


 ――そこで、あたしの目が覚めた。

 目をぱちりと開けると、顔に水滴がついたメニーが顔をしかめさせていた。


「……」

「……あ?」


 あたしはじっとメニーを見る。


「メニー?」

「……おはよう……お姉ちゃん……」


 ???


(なに。この状況)


 あたし、なんで図書室でこの女に膝枕してもらってるの? このブランケット何? そしてメニー、あんたその顔どうしたの。けっ。顔をしかめても美人だなんていいわね。メニーちゃん。羨ましいわ。はいはい。


「……お姉ちゃん、ちょっと、……ハンカチ、取ってもいい……?」

「ん」

「……ちょっと……ごめんね……」


 メニーがもぞもぞ動き、ドレスのポケットからハンカチを取り出し、顔を拭った。急にどうしたのよ。あんた。水でも飲んでむせたわけ? だとしたら、……ぷっ。ドジね! ざまあみろ! ばーか!


「にゃー!」

「あ? ドロシー。あたしの美しい腕の中でなにやってるの。げほっ、げほげほっ! ほら、毛がつくでしょうが。どいたどいた」

「ふしゅー……!」


(さて、メニーのブサイクな顔も見たことだし、こいつの膝から起きようっと。どっこいりりっくとらっくめいかー)


 あ! 目眩が! あたしの頭が憎たらしいメニーの太ももに戻ってしまった。メニーがハンカチを折り畳み、眉を下げたままあたしに言った。


「お姉ちゃん、無理しないで。大丈夫だから」

「おほほ。メニーったらやさしいんだから。かまととぶりやが……げほっげほっ。あたしをわざわざひざまくらしてまで寝かせてくれるなんて。いやがらせか、てめ……、ごほんごほん! どうもありがとう!」

「今、サリアがクルーを呼んでくるはずだから、それまでここで休んでて」

「ん。サリア?」

「サリアね、お姉ちゃんのことずっと捜してたんだよ? お姉ちゃんが部屋から抜け出したって」

「……え? あたし、サリアにだまって抜け出したの?」

「……サリアの話では……目を離した隙にいなくなってたって……」


 メニーが心配そうにあたしを見つめる。


「大丈夫?」

「熱でいしきがもうろうとしてるわ。げほげほっ。抜け出した記憶がない。ずびっ。気がついたらネグリジェのまま廊下にいたから、変だとは思ってたのよね」

「……もう大丈夫だからね」


 メニーがあたしの手を握り締めてきた。


「わたしが側にいるから」


 ああ、それは遠慮するわ。あんたが側にいない方が大助かりなの。あたしの視野に入るだけでも虫唾が走る。サリア、早く来ないかしら。こんな女と一緒にいたくない。ストレスが溜まる。怠いし、骨も痛いし、そろそろ部屋に帰りたい。


「にゃー」

「ドロシーも心配してるみたい」


(……そもそもお前があたしに魔法をかけてればこんな事にはなってなかったのよ。熱が治まる魔法かけてよ。あたしはね、少しでも楽になりたいのよ)


 そしてこの女の膝枕地獄から解放して。ああ、ただでさえ具合悪いのに。イライラする。もうやだ。あたし、ストレス菌に侵されて死んじゃう。


「……メニー、今、何時?」

「そんなに経ってないよ」


 メニーと時計を見た。12時54分。ドロシーがソファーから下り、図書室内を歩き始める。12時55分。メニーのお腹の虫が鳴き声を上げた。


「はあ。本読んでてお腹空いちゃった。お姉ちゃんは?」

「……食欲ない」

「何も食べてないの?」

「げほげほっ。……あさはたべた」

「部屋戻ってから食べる?」

「そうね。……その方がいいかも……」


 船の事はリオンに任せればいい。あたしは休むわ。これ以上は動けそうにない。


(……あ、そういえば……)


「メニー」

「ん?」

「クレアに……会わなかった?」


 メニーがきょとんとした。


「いるの? クレアさん」

「……会ってないならいいわ。ずびっ」

「風邪で寝込んでるって」

「キッドとリオンは……ねこんでるそうよ。げほげほっ。でも、無名探偵のクレアと、その助手のレイちゃんは、船に乗ってる」

「何それ。……お忍びってこと?」

「そういうこと」

「何の為に?」

「さあね」

「相変わらず考えてる事がわからないね。クレアさん」

「それは同感。まともじゃない。ずびっ」

「無名の探偵って何? クレアさん、浮気調査でもしてるの?」


 明るく訊いてくるメニーを見て、……訊いてみる。


「あんた、昨晩のこときいてる?」


 探偵のクレアと、昨晩での事で、メニーが瞬時に話を結び付けた。


「……亡くなった人が出た話?」

「アメリからきいたのね?」

「うん。だから、気をつけて歩きなさいって。でも、……お母様は黙ってる」

「……でしょうね」

「……その調査をしてるの?」

「ええ」

「……クレアさんが動いてるって事は……」


 メニーが深刻そうな顔をした。


「コネッドさんが、関わってるの?」


 『コネッド』は『オズ』の変装していた仮の姿。共に汗水流して働いていたはずなのに、マールス宮殿の使用人達は誰もコネッドを覚えてはいなかった。あたし達を除けば、だけど。


「思ったよりも厄介なことになってるわ。あんたも気をつけなさい」

「中毒者ってやつ?」

「……」

「お姉ちゃん、……まさか、……船にいるの?」

「……気をつけなさい。あたしはそれしか言えない」

「クレアさんは……動いてるんだよね?」

「たぶんね……」

「だったら……大丈夫だよね?」


(そう信じたいけど)


 沈む運命にあるこの船で中毒者が暴れてるなんて、


(いや、もういい。クレアとリオンが動いてるなら平気よ)


 そう思って目を瞑ろうとしたけど、メニーの言葉を聞いて、あたしは再び瞼を上げることになる。


「……わたし、この後、クレアさんに会ってくる」

「……は? なんで?」

「何か、手伝えるかも」

「……あんたね、またこわい目にあうわよ」

「……。怖くないもん」


 メニーがむっと頬を膨らませた。


「リトルルビィだってどこかにいるみたいだし、ソフィアさんもいるし、……いざって時は、クレアさんもいる。ドロシーだっているし、大丈夫だよ」

「……レイちゃんもわすれないであげて」

「……さっきから言ってるけど、そのレイちゃんってリオン様のこと? ……なんで『ちゃん』付けなの?」

「……彼も、ほら、変装してるから。……ばれないように」

「……お姉ちゃんを部屋に送り届けたら、行ってみる」


 あたしはじろりとメニーを睨んだ。


「大丈夫」


 メニーがうっとりしてしまいそうなほど、優しく微笑んだ。


「お姉ちゃんのことは、わたしが守るから」


(……ああ、出た出た。ヒロイン気質。お姉ちゃんのことはわたしが守る! ってやつ。はいはい。あんたの正義感たっぷりなその言動がいちいちむかつくのよ。喋るな。口を開くな。うっとおしい)


「それにしても、サリア遅いな……」


(ん?)


 なんか、体がふわふわして、楽になってきた。


(起き上がれそう)


 あたしは体に力を入れて、上体を起こした。


(あっ)


 しかし、再び視界が真っ白になる。


「っ、お姉ちゃん!」


 倒れかけると、メニーに支えられる。


「大丈夫?」


 目がくるくる回る。くるくる回って、瞬きして、瞼を一度閉じて……再び上げてみたら、


「あ、大丈夫」

「え?」

「うん。平気」

「お姉ちゃん?」

「急に楽になった」


 あたしはひょうひょうと立ち上がった。


「今なら部屋に戻れるかも」

「……お姉ちゃん、大丈夫?」

「クルーを呼びに行ってるだけなら、そんな遠くには行ってないと思うし、サリアは廊下で鉢合わせましょう」

「え、ちょ、待って、お姉ちゃん」


 メニーが立ち上がり、ブランケットをソファーに置いてからあたしを追いかけてくる。


「お姉ちゃん」

「今なら動けそうな気がする。不思議だわ。鼻水も咳も止まって、どこも苦しくないの」

「だとしても、入れ違いになったら困るよ。サリアを待った方がいいと思う。お姉ちゃんは病人なんだし、歩くのもあぶな……」


 メニーが周りを見回す。


「……あれ……?」


 メニーがあたしを見てきた。


「お姉ちゃん、ストップ。……何か変。さっきまで図書室の中、本読んでる人結構いたんだよ?」

「出て行ったんじゃない? 今頃みんなレストラン街よ」

「だとしても」


 図書室にはあたし達二人しかいない。


「……本当に……さっきまで沢山いたのに……」

「レストラン街だってば。心配ないわ」

「でも……」


 メニーが急に足を止めた。なぜか。図書室のドアが閉まっているからだ。あたしは冷静な頭でドアに手を伸ばすと、その手をメニーに掴まれた。顔を向けると、メニーが首を振った。


「待って。お姉ちゃん、なんか、本当に変な感じがする」

「大丈夫よ」

「ね、おねえちゃ……」

「大丈夫だって」


 あたしは図書室のドアを開けて、一歩前に足を踏み出そうとして――足を止めた。


「?」


 その先には道がない。真っ暗な穴が広がっている。


「え、何これ……!?」


 驚くメニーの手を握りしめる。


「わ、お姉ちゃ……」


 メニーが見てくる。だからあたしも見返し……にこりと笑ってみせた。


「……お姉ちゃん?」


 あたしは自分から飛び降りた。妹を引っ張って。


「きゃ、」


 メニーが悲鳴をあげた。


「きゃーーーーー!!」


 さあさあ、闇の底へようこそ。うふふ。あのね、その先から、あたしのハープの音が聴こえるの。ここにあったんだわ。


 利用させてもらうぞ。その強い魔力。






 ウンディーネ、今行く。


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