第29話 器(2) 


「……」


 ソフィアの膝に乗り、ソフィアを抱きしめるあたしがいた。


(……あ?)


 あたしはきょとんと瞬きをした。


「どういう状況?」

「怠さはどうだい? テリー」


(怠さ?)


 ドロシーに訊かれて、あたしは自分の体を確認した。……あれ?


「怠くない」

「鼻水は?」

「止まった」

「くしゃみは?」

「出ない」

「熱は?」


 ドロシーが体温計をあたしの口の中に無理矢理突っ込んだ。平均温度、35度8分。


「はい、こんな感じで。どんなもんだい! へへんなもんでい!」

「何よ。あんた、薬なんか使わなくたって治せる魔法あるんじゃない。もったいぶりやがって。何よ、これ」


 ……ソフィアと目が合った。ソフィアがにこりと笑って、あたしの背中を撫でた。


「すごいな。くすす。本物の魔法だ。手品みたい」


 あたしは数回瞬きし、顔を上げた。リトルルビィが立ちつくしたまま呆然としていて、ホワイトボードの前の椅子に座ったクレアが興奮したように恍惚として両頬を真っ赤に染め――ドロシーを見ていた。


「……」


 あたしはちらっとドロシーを見て、ソフィアを見て、リトルルビィを見て、クレアを見て、その視線を追えば、やはり、ドロシーがいた。最後にレイを見ると、レイが肩をすくませた。ドロシーに顔を向けると、あたしに向かって、勝ち誇ったようなムカつく笑みを浮かべる。


「なんだい? その目」

「……見えてるの?」

「塔でのオズの影響だろうな。あの時、膨大な魔力が放出された。ボクもいたし、メニーもいたし、クレアも魔力を出していた。すさまじい量の魔力を浴びたら、まあ、……見えない魔法をかけていたところで、見えるようにもなるよね」


 あ、安心して。


「自己紹介は済ませておいた」

「詐欺師だって?」

「助けてあげたのに失礼なことばかり。いいかい。テリー、ボクは君の命の恩人なんだよ。ちょっとくらい優しくしてくれてもいいんじゃない?」

「何が命の恩人よ。ふああ……。……。はあ。目が覚めた」


 ぐぅ。


「あ、お腹すいた」


 イライラ。


「あ、なんかイライラする」


 もやもや。


「あ、なんかモヤモヤする」


 あたしははっとした。


「生理が近いわ。ドロシー、命のママを出して。あれがないとあたし駄目なの」

「くすす。すごいな。これが本物の魔法か。催眠ではここまで出来ないもの」


 ソフィアがくすすと笑うのを見て、あたしは眉をひそませる。


「あ? 何?」

「今のが呪文だとするならば」


 ソフィアがあたしの耳に囁いた。


「巨人が起きて」



( ˘ω˘ )



「……なんだ。なんか用か」

「テストです」

「テスト? なんだそりゃ」

「失礼しました。テリーが起きて」



(*'ω'*)



 目を覚ますと、クレアが大興奮で手を叩いた。



「すごぉおおおおい! 魔法だ!! 魔法だぁあああああ!!」

「……うるさい……。頭痛い……。今何時……?」

「君が眠ってほんの一瞬」

「……テリー……」


 リトルルビィが不安そうな目で見てくる。


「大丈夫?」

「ああ、あんたは優しいわね。大丈夫よ。怠さは消えたし、何ともないから」


 リトルルビィに微笑む。


「心配してくれてありがとう」

「……別に、心配とか、してねえし……」

「あたしね、そこのクソ魔法使いに風邪を取り除ける魔法をかけてって何度もお願いしたのよ。そいつ、全然かけてくれないの」

「魔法使い様をなんでも屋みたいに使わないでくれるかな」

「人間様に出来ないことが出来るのに使わない手はないわ。ね、ドロシー。船にいる中毒者に襲われたらあたし一溜まりもないわ。なんかすごくいい魔法かけて」

「だからもうかかってるってば」

「……は?」

「かかってるよ。でもそれを君に伝えるよりも、周りがわかってるから大丈夫」

「はあ? どんな魔法か教えてくれないわけ? 何それ」

「言ったら君、お風呂とかトイレ行くの嫌になると思うよ」

「……なんか、体に付いてる?」

「……まあ、体に憑いてるね」

「やばいもん?」

「中毒者に襲われても一人でなければ大丈夫」

「……あ、そう。じゃあいい」


 知って得しない情報は聞かないに限る。


「これで何してても健康なのよね。だったらいいわ。鼻水も出てこないし」


 あたしは調子に乗ってソフィアの膝から立ち上がると――ふらーと地面に倒れた。


「あれーーー」

「テリー!!」

「何よ。これ、目眩がする」

「意識が元気になっただけで、体自体は治ってないよ。心の元気100%。体の元気1%。だから無理はしないこと」

「はあ? 何よそのインチキ魔法! ちゃんとした魔法かけてよ!」

「その体には無理だよ」

「どうしてよ!?」

「ダーリン、その件については、あたくしがちゃんと調べてお前に説明しよう。今はとにかく、中毒者をどうにかしないと」

「そうさ。その通りさ!」


 ドロシーがクレアの後ろに隠れた。


「見たかい! あの女のボクに対する扱い方! 酷いもんだろ! だから魔法使いは姿を隠すんだ!」

「インチキ魔法ばかり出すからよ。あたしはね、他の人の代わりの代表として言ってあげてるの!」

「かーーー! 愚かだね! 君は! どうせ自分の欲を満たすことしか考えてない! 君のハニーも同じことを言うかな! どうだい。クレア姫、テリーのことどう思う?」

「魔法使い様、あたくしはダーリンが大好きよ。とっても熱い告白をされて以来、あたくしはダーリンにメロメロなの。あたくしを情熱的に愛してくれるのはダーリンだけ。だからあたくしもそれ以上の愛をダーリンに送るわ。でもね、そう、気になる事と言えば……ダーリン」

「ん」

「この一年、ベックス家が招待されるパーティーの数が多くて、しかも断れなくて、あたくしたち、会える時間が全くなかったでしょう?」


 クレアが可愛らしいとぼけ顔で……光のない目であたしを見つめた。


「厄除け聖域巡りの旅って、何?」


 その直後、ドアがノックされ、あたしはドアの前に立っていたレイを突き飛ばして、即座にドアを開けた。レイがリトルルビィの足元まで転がった。痛い!


「戻りました」

「っ! じいじ!」

「……おや、テリー、随分と元気になったの」

「ぐへへへ! テリー様! いかがですか!? まだネコ状態ですよね!? キャットフードはいかがですか!? 食べるのかね!? 食べるのかな!? とかなんとか言っちゃってなんちゃってこうなっちゃって!」

「は? 食べるわけないじゃない。あなた、何言ってるの?」


 あたしが言うとハイテンションだった物知り博士が、急に萎んだ。


「……。……なーんだ。戻ったのか……。はあ……。そうか……戻っちゃったか。……あーあ。……良かったですね……」

「なんでそんなにテンション低くなるわけ」

「お姉ちゃんっ……」


 ビリーの後ろからメニーが駆け寄ってきて、あたしの前で止まった。


(あ)


 そうだ。メニーを見て思い出した。


「……あんた、大丈夫なの?」

「……わたしは大丈夫。……ただ、お姉ちゃんが……」


 メニーがちらっとクレアを見た。クレアがにこりと微笑んだ。。その膝の上には、ドロシーが寛いでいた。メニーの視線があたしに戻る。


「さっきまで中毒者のこと、話しあってたの。クレアさんが色々と作戦を練ってて、でも……お姉ちゃんの様子が、おかしかったから……」


 あたしはクレアを見ないでホワイトボードに振り返った。『海の上を渡る豪華客船殺人事件! 犯人はあなただ、大、作、戦!』と書かれている。……いつもなら、「ふん。なによ、これ」って言えるのよ。……ただ、……ただ……。


(今は、ちょっと……)


 クレアがにこにこしながらあたしを見てくる。あたしは視線をひたすら逸らす。クレアの笑顔が言っている。聞いてた話と違うがどういうことだ。お前どこにいっていた? あたくしとのデートをサボってどこに行ってた? 答えないとキッドになるぞ。あたくし全部知ってるんだぞ。お前、白状しろ。虐めるぞ。またアイスティーぶん投げるぞ。おい、こら。ダーリン?


「そうよね! 話し合いって、大事だわ!」


 あたしは拳を握りしめ、リトルルビィの隣に立った。ついでにリトルルビィの手を握りしめる。これでいつでも守ってもらえる!


「あたしも元気になったし! いいわ! 話し合おうじゃない!」

「……ダーリン」

「クレア、今は中毒者が先決でしょ」

「……」

「いいこと? 何事も、争いをしたところで何も生まれない。優先順位を見直してみて。ね。中毒者が優先でしょ。はいはい。続き。話し合いよ。今回の作戦、ぜひ聞かせてもらおうじゃないの」


 あたしが言うと、リトルルビィが無言のまま、あたしの手をぷにぷにと揉み始めた。あらあら、何よ。構ってほしいの? あたしもぷにぷにともみ返すと、リトルルビィが視線を逸しながらも表情が和らいだ。


 クレアがドロシーを見下ろした。


「……嘘つきの浮気者ってどう思う? 魔法使い様」

「にゃん」


 ドロシーが丸い手で顔を掻いた。


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