第29話 器(1)


 ――苦しい。


 まるで、海の中で溺れているような感覚。

 いくら呼吸をしても足りない。口を開いたら水が口内に入ってきて、酸素が泡となって浮かんでいく。頭が痛い。世界がぐるぐる回っている。怠い。重たい。気持ち悪い。胃が痙攣している。吐きそう。唾を飲みこむ。胃液を飲んだ。気持ち悪い。本当、最悪。こうならないために、一年間厄除け聖域巡りの旅に行ってたってのに。


 もう厄除けなんて信じないんだから。ばか。


「君達一族にとって、カドリング島から離れること、それは命取りの行動だ。だからベックス家はカドリング島から離れず、離れられない」


 ドロシーが贅沢なソファーに座り、ベッドに固定されるあたしを眺める。


「それは、呪いであり、祈りである」

「祈りの効果が薄らいだ時、血はとても弱くなり、厄を招きやすくなる」

「今の状態でソフィアの催眠は受けない方がいいよ。魔法が効きにくいとは言え、今の君にはどんな呪いもウェルカムさ。心で拒んでも血が招いてる」

「グリンダに連絡を取ってるけど、やっぱり遠くて駄目だ。あのおばさん、体は大きいくせに、長距離が苦手なんだよ。ボクみたいにね」

「……困ったな」


 あたしの肌が白い。あたし死ぬの?


「ううん。まだ大丈夫」


 ドロシーが正面を見た。


「運が良かったね。厄介なものだけど、彼がいなかったら君、もっと早くに発作を起こしてた」


 一つ目の気持ち悪い何かが、あたしを見ている。随分と大きいわね。なに、こいつ。


「ただ一つ不思議なんだ。どうして中毒者は君ばかりを異空間へ連れて行くんだろう。……お前じゃないんだろ?」


 ドロシーが正面にいた巨体に訊いた。巨体は、体を横に揺らした。オラじゃねえ。


「幸いなことに、異空間ではハープの側に現実となる入り口があるようだね。なら、ボクの推測通りだ。その位置さえわかれば、いざという時、助かるだろう」


 ――あれは、オラのハープだ。


「盗まれたんだろ? あれから帰ってこなかったの?」


 ――オラはずっと探してた。だが、見つからなかった。


「盗まれた後、巡り巡って世界を冒険してたはずだ。その途中で……オズの手に渡ったのかな」


 ドロシーが右足を立てた。


「ジャック、ジャック、切り裂きジャック、残念、ジャックは別の人」


 ドロシーが左足を立てた。


「ジャック、ジャック、お前はジャック、ハープを求める巨人のジャック」


 ドロシーが両足をつけた。


「ジャック、ジャック、心はジャック、お前はハープを求めてる」


 ひそりと、あたしの耳に囁いた。


「ハープはどこだ。探せよ。ハープ。あの癒しを求めよジャック、ハープはほらほら、目の前だ」


 大きな手があたしに手を伸ばした。

 すると、するりとあたしの中に入った。

 一つ目玉が近付いてくるが、まるで幽霊のようにするするとあたしの中へ入っていく。瞼を閉じると体が楽になる。


 ハープの音色が聴こえる。


「綺麗な音だろ」


 素敵だわ。


「癒されるだろ」


 心が癒されていく。嫌いなメニーのことだって、どうでもよくなるくらい。


「オラはハープの奴隷だ」


 あたしはハープの奴隷だ。


「力を貸してやる。だが、代わりに体を貸せ」


 あんた誰?


「ハープを取り戻したら、離れてやる」

 

 ――だからよ、


「おい、オズの土人形。そんなに睨むな。おめえ、オラと同じくらい醜いな」



 あたしは目を開けた。



(*'ω'*)



 大きく息を吸った。大きく息を吐いた。ここは海の中ではない。あたしはベッドで横になっている。


(……。……ん?)


 点滴が打たれている。


(あたし……どうしたの……?)


 カーテンがされている。


(ここ、どこ……?)


 あたしは起き上がり、ゆっくりとカーテンを開けた。――途端に、耳に聞こえた大きな声。


「その名も、海の上を渡る豪華客船殺人事件! 犯人はあなただ、大、作、戦!」


 物知り博士が金魚の入った水槽を撫で、メニーが膝にいるドロシーを撫で、レイが扉の前に立ち、リトルルビィが椅子に片足を乗せてだらしなく座り、ソフィアがドレスの皺を伸ばし、ビリーが紅茶を飲んだ。名探偵クレアがホワイトボードを叩く。


「今回の事件の登場人物を紹介しよう!」


 五人の男の名前が書かれた。


「ここにいる五人の男、これらは全員、大スター伝説の歌姫、イザベラの関係者である」


 四人の名前にバッテンマークがついた。


「今のところ、襲われて生き残っているのは一人だけ。メニーがいたから助かった」


 生存者。マーロン・ブランクス。


「彼はイザベラの婚約者。レコード会社の御曹司だ。条件としてはとても完璧な男だが、イザベラは乗り気ではないらしい。これはあたくしの推測だ」


 死亡者。ランド・カーヴァー。


「イザベラは彼と仲が良かったらしい。まんざら、仲がいいだけ、ではなかったようだ。イザベラが一方的に片思いをしていたと、あたくしを睨んでいる。彼はシャンデリアの上で亡くなっていた」


 死亡者。ジョエル・ガットマン。


「イザベラの元マネージャーだ。なぜ元マネージャーがこの船に乗っていたと思う? イザベラに訊いたところ、彼女はそれはそれは驚いていた。なぜなら、彼はイザベラに対するセクハラ行為で謹慎処分となっていたからだ。彼の部屋を調べたところ、様々なものが見つかった。イザベラの隠し撮り写真。愛を綴った日記。彼は、謹慎されていたにも関わらず、それでもイザベラに夢中だったようだ。しかし、彼はランドと同じように、変死体となって廊下で亡くなっていた」


 死亡者。ブルーノ・マンジェルトン。


「音楽プロデューサー。イザベラの歌にも関わったことがある。実は、イザベラは彼にも言い寄られたことがあるらしい。断ったようだが、仕事関係で船に乗っていたそうだ。イザベラ達の結婚式の参加者でもあった」


 死亡者。マイケル・アーラス


「音楽学校の講師。オペラ歌手。イザベラの恩師だそうだ。美しいものが好きで、イザベラの声をよく美しいと褒めていたようだ。イザベラにとって彼は先生であり、父であり、恩人だった。だが残念。彼も亡くなった」


 クレアが棒人間を描いた。


「中毒者は、おそらく、船の中に異空間を作って移動している。レイちゃんとメニー、そして、異空間に迷い込んだクルーの話を合わせたところ、突然、ランダムな世界に飛ばされ、そこでは魔法のハープが存在する」


 クレアが変な物体の絵を描いた。


「魔法のハープとは、人の心を癒す、古代昔、魔法使いが作ったものだ。魔法の鏡や魔法の笛は使い方によっては危険だが、このハープに関しては、乱れた人の心を癒す効果がある、それはそれは素晴らしい代物だ。敵も味方も関係ない。ただ心を癒すだけ。それが魔法のハープ」


 歌姫、イザベラ・ウォーター・フィッシュ。


「なぜ彼女の周りの人間ばかりが襲われるのかは、まだわかってない。今現在わかっているのは、被害者は全員男。生存者は一人。中毒者は異空間を作り出す。犯人はイザベラである可能性は無きにしもあらず。魔法のハープが異空間に存在している。これ以外で情報はないか、皆に訊きたい」


 クレアが腕を組んだ。


「ソフィア」

「現在、船に乗っているイザベラの関係者の生存を確認している最中です」

「よろしい。ルビィ」

「イザベラの側にいる姉が気になる。現マネージャーだ」

「アマンダ・ウォーター・フィッシュだな。あたくしも、次狙われるのは彼女ではないかと予想している」

「見張っておく」

「良い子だ」

「うざ……」

「レイちゃん」

「異空間が出るタイミングが掴めない。いつ誰に起きてもおかしくない。覚悟だけしておくことだ」

「メニー」

「……」


 メニーがドロシーを見た。


「ドロシー、何かある?」

「にゃーん」

「……」


 メニーがむっとした目をドロシーに向けた。


「わたしの前だと、話したくないんだ?」

「ふみゃ?」

「メニー、ネコは気まぐれだ。気分が変わるまで待とうじゃないか」


 クレアが髪の毛を払った。


「それに、まだ聞いてない情報もある」


 視線が合う。


「テリー・ベックス」


 全員の視線が、あたしに向けられる。


「貴様に何があったか、聞こうじゃないか」

「っ」

「お姉ちゃん!」


 リトルルビィが目を見開き、メニーがドロシーを地面に置いて、あたしに駆け寄った。ドロシーがにゃんと鳴いて、レイの足元へ寄った。


「よかった。……もう起きて大丈夫なの?」

「……」

「お願い。無理しないで」


 メニーがそっとあたしの肩に手を置いた。それをぼんやりしたまま眺める。


「水は? 飲む?」


 あたしの頭がぼうっとしている。


「ロザリー、あの背の高いクルーから聞いたぞ。彼とお前の間に空白の時間があったそうじゃないか。部屋に閉じ込められて独りぼっち。そんな時にお前、何をしていた?」


 あたしの頭がぼうっとしている。――あたしの異変に、リトルルビィが気付いた。


「……クレア、テリーの様子がおかしい」

「……ん?」

「お姉ちゃん?」


 あたしの頭がぼうっとしている。ソフィアが動いた。


「ソフィアさん」

「メニー、場所代わってくれる?」


 ソフィアがあたしの顔を覗いた。


「……」


 ――ふと、ソフィアが頭の中で唱えた。テリーがネコになる。黄金の瞳がきらりと光った。盗んでみせよう。君の行動を。


 その瞬間、あたしの心が黄金の瞳に支配された。


「テリー」


 ソフィアが微笑んだ。


「こんにちは」

「にゃー」


 ――メニーが、リトルルビィが、クレアが、顔をしかめた。物知り博士がすぐに振り返った。ビリーが紅茶を吹いた。レイがドロシーを見て、ドロシーが、だから言ったのに、という目をしながら視線を逸らした。ソフィアが両手を広げる。


「おいで」

「ふしゅー!」

「怖がらないで、恋しい子。よしよし」


 ソフィアがあたしの喉元を撫でてきた。あ、だめ。それ、変な感じがする。あ、だめ。……だめなのに……! あ……気持ちいい……。


「ごろごろ」

「くすす。ここはどうかな?」

「にゃー」

「ここは?」

「にゃっ……」

「ここ、……イイんだ?」

「うみゃう……」

「じゃあ、これは?」

「みゃう……。にゃぁ……」

「くすす。可愛いよ。テ……」


 ソフィアが瞬時に突っ込んできたリトルルビィに黄金の目を向けた。――私に対する攻撃が全て弱くなる。――リトルルビィの心が黄金の目に支配される。とても弱いパンチを、ソフィアに当てた。


「くすす。リトルルビィ、か弱いレディを殴りつけてくるなんて、礼儀作法をもう一度勉強し直した方がいいよ」

「うるせえ。てめえ。テリーに何しやがった……」


 リトルルビィが『ゴキボキッ』と手を鳴らした。


「殺すぞ」


 ――リトルルビィだわ!


「にゃーあ」

「っ!」


 リトルルビィがあたしを見た。赤い瞳がとても懐かしく感じる。


「にゃあ!」

「っ!」


 リトルルビィが飛び跳ねる心臓を押さえた。


「にゃあーお」

「……っ!」


 リトルルビィが堪え切れず、震える手を伸ばし、あたしの頭にそっと触れた。


「みゃあ」

「……」


 優しく、あたしの頭を撫でた。


「みゅう……」

「……」


 リトルルビィの鋭くなった目付きが、一瞬にしてだらんと緩んだ。そして、はっとして、クレアに振り返る。


「クレア!!」


 リトルルビィがあたしを抱っこした。


「わたし、テリーを飼う!」

「駄目」

「飼う!」

「駄目だ。元の場所に戻しなさい」

「やだ!!!!」

「駄目」

「やだ!! 飼う!! 飼うんだもん!!」

「駄目」

「ちゃんとお世話するから!!」

「そんなこと言って、お前、どうせあたくしに頼むんだろ」

「ちゃんとお世話するから! 責任持つ! 約束するから!」

「お姉ちゃん?」

「みゃあ」

「……お姉ちゃんがソフィアさんの催眠にかかるなんて……」

「うん。なんかおかしいね」


 ソフィアが顎を触って考え始めると、物知り博士が立ち上がった。


「ちょいと、リトルルビィ」


 リトルルビィが振り向くと、物知り博士の眼鏡が光った。


「テリー様の様子がおかしい。うんうん。大変だ。実に大変だ。とかなんとか。調べてみないと。ベッドに、一度寝かせてくれないかな?」

「……」


 リトルルビィがあたしを抱っこしたまま、物知り博士を不審な目で見た。


「おや、なんだい? その目。リトルルビィ、僕が助手時代からの仲じゃないか。僕は君が生きるための血の成分を真似たドリンクを作った師匠の元で助手をしていたクラブ。物知り博士さ。とかなんとかね。テリー様を助けるためさ。さ、僕に見せるんだ。とかなんとか」

「ああ。長い付き合いだから知ってるよ。あんたの目がそうやって輝き出す時って、大抵、研究対象を見つけた時だ」

「研究対象だなんて、何もしないよぉ! とかなんとかね! 僕は、ただ、テリー様に起きている症状がなんなのか、確かめたいだけさ! だって、僕は全てを知らないといけない。なぜなら僕こそ物知り博士だから! というわけでね、ほら、なんとか、僕に見せてごらん。じゅるり。それとね、テリー様、これを舐めてくれないかな? 大丈夫。例のブツならちゃんと制作をしている段階だから! その途中払いとでも思えばいい! 何も怖くないよ! おっかなくないよ! ほんと、ほんと! ぺろって舐めるだけだから! とかなんとかね!」

「みゃあ!」

「やめろ! テリーに近付くな! てめえ殺すぞ!」

「リトルルビィ、どうどう……!」


 クレアが騒々しい景色を見て、変わってしまったあたしを見て、ふむ、と声を出し、――ネコを見るレイを見て――ドロシーを見た。


「……」


 ドロシーの耳がぴくぴくと動いている。


「ネコちゃん、あなた、何か知ってる?」


 ドロシーがクレアに振り返って鳴いた。にゃー。クレアがその目を見て、ゆっくりと顔を上げた。


「……物知り博士、それと、じいやと」


 呼ぶ。


「メニー」


 レイがドロシーを離した。ドロシーがとたとたと地面を歩く。


「十分だけ、席を外してくれない?」

「え」


 メニーがぽかんとした。


「わたしもですか?」

「ああ」

「……」

「ああ、嫌だわ。メニー、勘違いしないで。あたくしはメニーが大好きよ。可愛いダーリンの妹だもん。お前をのけものにするつもりなんて、これっぽっちも考えていない。中毒者の事だって、やっとメニーが協力してくれるようになってくれて、とっても助かってるの。……だが……」


 ネコが言ってるんだ。メニーの前では話さないよって。クレアが肩をすくませ、眉を下げ、可愛く、申し訳なさそうな顔をして、頼んだ。


「十分でいいの。出ていけ」

「いやいや! 僕は、今まで催眠にかからなかったテリー様がなぜ今になって催眠にかかったのかを、知らなくては! なぜなら僕は、ものしりはかっ……!」

「そうかい」


 ビリーが物知り博士の首根っこを掴んだ。


「ぐえっ!」

「ほんの十分だけじゃ。散歩にでも行こうじゃないか」

「い、いや、僕は、あの、ビリー様! 僕は知らなくては! なぜなら僕は、物知り博士ぇええええ!」

「メニー」


 ビリーがメニーを呼んだ。


「おいで」

「……はい」


 躊躇いながらメニーがビリーについていった。三人が出ていくと、レイがドアを閉めた。あたしはリトルルビィの腕の中で寛ぐ。


「ごろごろ」

「姉さん。行ったよ」


 レイが言うと、クレアが微笑み、椅子に座り、探偵キャップを脱いだ。


「お久しぶり。魔法使い様」

「久しぶりだね。お姫様」


 リトルルビィがはっとして、ソフィアがくすすと笑って天井を見れば、緑の魔法使いが逆さまになって全員を見下ろしていた。その姿は違うはずなのに、彼女にとても似ている気がして、思わずリトルルビィが言葉に出した。


「……メニー?」

「あはは!」


 緑の魔法使いが笑った。


「残念。ボクはメニーじゃないよ。クレアと同じ間違いをするなんて、考え方が似てきたんじゃない?」

「……あんた、塔で見た」

「その通り。ボクは君達がオズに襲われているところを助けた。リトルルビィ」

「私は以前お会いしたかと、魔法使い殿」

「その通り。ボクはメニーを誘拐する君を追いかけた。ソフィア」

「弟と仲が良いのね」

「その通り。リオンはボクを知っていた。クレア」

「ジャックを手懐けてくれるからな。助かってるよ」

「その通り。ジャックは生意気だからね。リオン」

「あたくし達はあなたの名前も知らない。なのにあなたは知っている。それは実に不公平だとは思わないかしら。魔法使い様」

「何を言ってるの? 君達はボクを知ってるじゃないか」


 クレアが瞬きをした。瞼を上げると、緑の魔法使いは笑顔でクレアの目の前に座っていた。その直後、ふわりと風が吹いて、緑の魔法使いの髪の毛が数本地面に落ちた。リトルルビィが鋭い目で睨みながら、義手を緑の魔法使いに向けていた。


「ルビィ」


 クレアの一言に、リトルルビィが無言のまま後ろに下がった。あたしはソフィアの膝の上でにゃんと鳴いた。ソフィアが微笑みながらあたしの頭を撫でた。


「ご機嫌よう。魔法使い様」

「ご機嫌よう。お姫様。それと、呪われた吸血鬼に、陽気な笛吹きに、切り裂きジャック」


 緑の魔法使いが優雅に立ち上がり、くるんと回って後ろに下がり、ついでに帽子を取って、皆にお辞儀をした。


「ボクはドロシー。魔法使いさ」


 そう言って背中を上げ、ドロシーが再び大きめの帽子を被り直した。


「安心しなよ。ボクは呪いの飴なんてちんけなものは作らないし、渡さない。中毒者なんて物騒なものを作ろうとも思わない。紅茶でも飲みながら話をしようよ。友好的にね」

「ええ。賛成よ。争ったって何も良い事ないもの。あたくしはね、魔法使い様、あなた方を心から尊敬しているの。お爺様もそうだった。敬いの心を持ってあなた方の話を語っていた。直接お話し出来るだなんて、とても嬉しく思いますわ。くひひ! ……さて、話したい事は沢山山程積もる程あるけれど、まずはいくつかの問題を十分で解決しないといけませんわ」


 クレアがにやけ、口を押さえて、ドロシーに尋ねる。


「まずは教えてくださいな。あたくしの……ぐひひ! ダーリンに、何が起きているのでしょうか?」

「お答えしよう。ただし、ボクの話せる範囲でだ。結構デリケートな問題でね」

「デリケート」

「血の問題なんだ。ベックス家はほんの少し厄介な一族でね。とある事をしないと簡単に命を落としてしまう。テリーは一族の禁忌を犯してしまったのさ」

「まあ。大変。普段の行いだろうな。それで、ダーリンはどんないけない事をしてしまったの?」

「長い間、カドリング島から離れた」


 あたしは手を丸めて顔にくしくし動かした。痒いのよ。ここ。ソフィアがあたしの手を握り、顔から離させ、痒いところを優しく掻いてきた。そうそう。そこそこ。お前、なかなかやるじゃない。にゃーん。ソフィアがでれんと笑みを浮かべた。


「この船が向かっているベックス家が所有する島。カドリング島には、昔から一族の血を守る祈りが捧げられているんだ。その祈りは、どんな厄からもベックスの血を必ず守る。どんな病気も、どんな厄も、その祈りがあれば死ぬ事はない」

「しかし、それはあくまで祈りの効果だ。不幸が訪れたら幸福を感じなくなるように、祈りは永遠とは続かない。だから定期的に体に染み込ませる必要がある」

「で、テリーが禁忌を犯した話だけど」

「ベックス家には親戚がまるっきりいない。なぜか。もちろん、血が繋がってない親戚とは、縁が切れてしまったというのが多いけど、血の繋がりがある親戚は? 従妹は? 兄弟は? はとこは? そうさ。みんな死んでしまったんだ」

「みんな仕事が忙しいだとか言い訳を並べて不気味な島から離れた。結果、みんな楽園へと旅立った。祈りの効果が薄らいで、呪いのような病にかかり、治す術もわからないまま、亡くなってしまった」

「そう。この話は、代々受け継がれる事がなかった。語る前に初代が亡くなってしまったからさ。だからみんな知らないまま、偶然、島に関わったベックスの血だけが生き残った」

「そしてこの話を、ボクからテリーに教える事は出来ない。魔法使いにも色々ルールがあってね、この魔法をかけたのはボクではないから、ボクが話すわけにはいけないんだ」

「ただ、しかし、歴代のベックス家の人物を見ていれば、勘の良い人なら気付くだろうさ。生き残ってる特徴はみんな決まって、定期的に島へ訪れている人物だから」

「つまり、まとめよう」

「ベックス家に捧げられた祈りは、祈りであり、呪いである」

「解く事は出来ない」

「島を守ること。それがベックス家初代の者と、祈りを捧げている魔法使いとの契約だから」

「テリーはしばらく島に戻ってない。理由は、彼女がここ一年、厄除け聖域巡りの旅と称して、お清めで有名な聖域を歩き回る旅をしていたからだ」

「暇人め」

「しかし、その事によって、テリーには厄という厄が引き寄せられるように訪れてしまった。テリーの風邪はただの風邪じゃない。厄という厄が引き寄せられて集まった、とんでもない集合体だ。ボクと彼がいなければ、泡を吹いた五分後、もしくは、昨日の時点で楽園行きだったよ」

「ん?」


 クレアの耳がぴくりと動いた。クレアだけではない、言葉に違和感を持ったリトルルビィとソフィア、レイですらもドロシーを見た。


「魔法使い様、気になる箇所があったわ」

「答えよう」

「あなたと、『彼』って?」

「これは歴史だから話しておこう。もう通り過ぎちゃったんだけど、一昔前さ。マーメイド号が通ったルートに国があったんだ」

「ほう。それはずばり、マーフォーク国のことだな?」

「……」


 リトルルビィがチラッとソフィアを見た。ソフィアがにやりとした。


「勉強をサボってるからだよ。リトルルビィ」

「……るせえな……」

「魔法使い様、あたくしの右腕にわかるようにご説明いただいてもよろしいかしら。あの子、最近反抗期で勉強をサボってたからお馬鹿になってるみたい」

「うるせえ。黙れ」

「その昔、マーフォーク国という国があったんだ。小さな国で、魚料理が盛んな港の国さ。そこの国の王子様がね、とある嵐の夜に船から海に投げ出されて、海に住む精霊に助けられた」


 精霊のことを、人はこう呼ぶ。


「人魚、と」


 人魚の王女は人間の王子様に恋をした。王子様に近づく為に魔女と契約し、声を失う代わりに足を手に入れた。こうしてお城までやってきた人魚姫。しかし王子様と人魚姫が結ばれることはなかった。


「人魚姫の声にそっくりな声を持つ女が現れてね、背丈も似てた。王子様は勘違いを起こした。その女こそ、嵐の夜に自分を助けてくれた人だと思ったんだ」


 ……あたしは耳をすませて、その話を聞く。


「哀れな人魚姫。恋が実らなければ契約通り、彼女は泡となって消えてしまう。ただ、助かる方法が一つだけあった。契約をなかったことにする。つまり、愛する人を殺して、全てをなかったことにすれば、人魚姫は泡にならずに海に帰れた」


 人魚姫の仲間たちはナイフを渡した。

 どうかこれで王子を殺してくださいと涙ながらに訴えた。みんな、人魚姫に死んでほしくなかったんだ。

 だけどね、


「人魚って純粋なんだ。人間のように知識がない分、一つのことしか考えられない。人魚姫は、愛する人を殺して自分が助かる道よりも、人間として愛を貫き通すことを選んだ」


 そして朝日が昇って、


「彼女は」

「泡となって消えた」


 ソフィアが目を丸くする。あたしの口から、あたしではない声が出たから。


「彼女は殺されたも同然だった。だからみんなで協力して、あの男と女の結婚式の日に国ごと潰してやった」


 リトルルビィがあたしを凝視する。


「だが、復讐したところで彼女は戻ってこない。オラにはハープだけが残された。オラは家に帰った。そして、もう二度と地上に下りねえと決めた。小人を奴隷にして、散々こき使ってやった。いつの間にか、横暴で乱暴な巨人だなんてあだ名がついていた」


 一日一回、オラは必ず魔法のハープに演奏してもらっていた。


「あの音を聞くと、心が癒される。幸せだった頃のことを思い出すんだ。魔法のハープがあれば、オラはどんなことがあっても彼女の事を忘れることは無かった。とても大切にしていた。あのハープだけは」


 それを、


「ガキが盗みやがった」


 クレアが首を傾げた。


「ガキ、とは?」

「豆の木でオラの家まで登ってきた奴がいたんだ。人間の子供だよ。オラが居眠りしている間に魔法のハープを盗んで、どっかに行きやがった」

「それで、あなたはどうしたの?」

「地上に下りた。だが、その時にあのクソガキ、オラが下りてる最中に斧で切って、豆の木を切り落としやがった。お陰でオラは重傷を負って、しばらく魚達に治療してもらってからガキを探したが、ガキはいねえし、魔法のハープも見つからねえ。その間に奴隷共も逃げちまった」


 あたしはドロシーに目を向けた。


「おい、野良猫。ルンペルシュティルツヒェンを見かけたんだろ。どこに行きやがった。あの卑怯者」

「あのね、あの悪党を見かけたって言っても、相当前だよ。今は生きてるのかどうかもわからない」

「だったらあいつを見かけた時にでも言ってくれ。よくも家のきんを盗んだな。お前を見かけたら藁のように真っ二つに割ってやるってな」

「伝えておくよ。君は伝えられそうにないし」

「……大変。本気でダーリンからダーリンじゃない人の声が出てる」


 クレアがまたまた首を傾げた。


「あなたは誰?」

「オラは巨人だ。相当昔に死んだがな」

「あら、死んでしまったの?」

「豆の木から落ちた時の衝撃がでかかった。ハープを探して走ってたら……いつの間にか死んでて、……マーフォーク国があった場所に、ずっといた」


 沈んだ国に用は無いが、あの国は、『彼女』が生きて、死んだ場所だから。


「だがある日のことだ。どこからか魔法のハープの音が聴こえたんだ」


 人間を乗せた箱から魔法のハープの気配を感じる。


「しかし、オラは死んでる。魂のままでは魔法のハープに触れることが出来ない」


 器が必要だった。


「手招きしたら、ついてきた」


 厄に侵されて死にそうな人間が歩いてきたから、中に入った。


「なるほど。グリンダの手下の血族だったか。道理で動きやすいと思った」

「彼がいればまだしばらく、テリーは大丈夫だろう」

「ああ。オラがいなくなればこの器はすぐにくたばるぞ」

「少なくともこの船に乗ってる間は彼にテリーを任せることにした。もちろん、魔法のハープがあれば」

「取り返す」

「そういうこと」

「……じゃあ」


 ソフィアが膝で偉そうにするあたしを見つめた。


「テリーはずっと彼のまま?」

「ああ、心配無用だ。オラは人間が嫌いなんだ。この女から借りたいものは体だけで、あとは女に返す。そうすれば、きっと」


 瞼を閉じる。


「魔法のハープを取り返せる」


 星の杖がくるんと回った。


「姫様、姫様、人魚姫様、どうかお願い、愛する人を殺しなさい、さすればあなたは生き続ける」


 ドロシーが歌いながらマントを翻す。


「ジャック、ジャック、巨人のジャック、豆の木登って子供が盗んだ、大事なハープ、返して、それは、ジャックのもの」


 星が光り輝く。


「ハープはどこだ、人魚姫様、教えておくれ、目を覚まして」


 とても大きな手に、肩を叩かれた気がした。


「ねえ」


 耳に囁かれる。


「テリーが起きて」



( ˘ω˘ )



 誰かが、手を叩いた。

 その音で、あたしの目が弾かれたように、ぱちっと覚めた。



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