第21話 浮ついた意識


(……ここどこ?)


 気が付くと、あたしは部屋ではなく、どこかのベンチに座っていた。


(あれ……? あたし、どうやって抜け出したの?)


 あたしは自分の姿を見た。


(うわ、ネグリジェのままじゃない。はしたない)


 あたしはネグリジェのポケットを手を突っ込んでみた。何かないかしら。


(あ、すごい)


 あたしは金貨一枚を見つけた。無意識に入れていたようだ。


(流石あたし)


 あたしは立ち上がり、迷う事なくドレスショップに入った。出てくる頃には、見違えるような美しいあたし。


(セールで全部半額だなんて、ラッキー)


 一般人でも入れるような価格お安めのお店だったから、お釣りまで出ちゃったし、ネグリジェを部屋まで送ってくれるって言うし、ラッキー。半額で買ったポーチバッグに入ってたお財布にお釣りを入れ、バンダナで作ったウサギ耳を揺らす。


(値段はどうあれ、やっぱりお買い物は世界を救うわ。体調が悪かったのも一瞬で吹っ飛んだ。……で、あたしなんでここにいるんだっけ?)


 部屋を抜け出した理由がすっぽり頭から抜けている。歩きたいって言ったら、サリアが連れてきてくれたんだっけ?


(……ま、いいや。具合悪いし、難しいことは考えたくない。かといって寝たら夢見が悪いし、ちょっと散歩してから部屋に戻ろう)


 あたしは考えることを放棄し、船内を歩き出した。


(そういえば、トラブルとか起きてないかしら? 大丈夫よね。きっとリオンが処理してることだろうし)


「なんだい、ここ。楽器屋さんだって! 父さん、ちょっと見てっていい?」

「少しだけだぞ」


 仲の良さそうな父親と子供が楽器店に入っていった。


(……楽器ね……)


 あ、ヴァイオリンもある。あたしは少しだけ楽器店に入ってみた。楽器店の中ってちょっと薄暗くて、お高く留まった感じがするけど、これがいいのよね。さらに紅茶が出れば最高なのに。


(……ああ、思うように歩けない)


 あたしの足取りはふらふらしているが、なんとかヴァイオリンの棚まで歩いていく。その反対の方向では、さっきの親子がいて、子供が何かを見つけた。


「父さん、なんだい。これ。『カンカラ太鼓』だって」

「叩いてみるか?」

「ええ? いいの?」

「ああ。すみません、試し弾きをしても?」


 父親が店員に許可をもらい、子供にカンカラ太鼓を叩かせてみた。子供がケタケタ笑い出す。


「なんだい、これ、変な音!」

「こういう太鼓なのさ」

「父さん、『夜の音楽』にぴったりな楽器だって!」

「試し弾きしてみるか?」

「ええ? いいの?」


 店員の許可をもらい、子供が夜の音楽にぴったりな楽器を弾いた。


「なんだい、これ、えっちな音!」

「こういう楽器なのさ」

「父さん、『喉が破れるほど喚く』ような楽器だって!」

「試し弾きしてみるか?」

「ええ? いいの?」


 店員の許可をもらい、子供が喉が破れるほど喚くような楽器を弾いた。


「なんだい、これ、鳥の鳴き声みたいな音!」

「こういう楽器なのさ」

「父さん、リュートって何?」

「試し弾きしてみるか?」

「ええ? いいの?」


 店員の許可をもらい、子供がリュートを弾いた。


「なんだい、これ、すごく楽しい!」

「なんだ、気に入ったのか?」

「父さん、リュートってなんだい? ぼく、初めて見たよ!」

「坊や、リュートに興味があるのか。なるほど。どれどれ、値段は……」


 父親が値段を見て、目をつむった。


「坊や、父さんのボーナスまで待ってくれるか」

「父さん、無理しないで。ぼくなら大丈夫だよ」

「ああ、優しい子を持って父さんは嬉しいよ」

「……君、リュートに興味があるのかい?」


(うん?)


 あたしはきょとんとして、聞き慣れた声に振り返った。紳士が子供に声をかけている。


「弦楽器の経験は?」

「父さんがギターを持ってるんだ。でもこれはギターとはちょっと違うね!」

「ああ。リュートはまた違う楽器なんだ。やってみたい?」

「そうだね。出来るなら」

「わかった」


 紳士が父親に顔を向けた。


「私がプレゼントをしてもいいかい?」

「えっ!? そんな!」

「遠慮なさらないでください。若いうちからの経験は大事なものです。それに、……私も昔リュートを弾いてましてね。今はヴァイオリン奏者として活動しているのですが」


 紳士が振り返り、子供に笑顔を見せた。


「坊や、おじさんが君に楽器をプレゼントしよう」

「え? 本当!?」

「でも約束してくれ。学校の勉強を頑張ること。お父さんの言うことをよく聞くこと。そして、……これが一番大事なことだ。……泥棒にならないこと。約束できるかい?」

「わかった!」

「良い子だ」

「ああ、紳士様」


 父親が頭を下げた。


「ありがとうございます。感謝いたします」

「せっかくの船旅です。楽しんで。楽譜もつけましょう」

「ああ、そこまでしていただいて……なんとお礼をすれば……」

「お礼はこちらがしたいものです。リュートは古い楽器なので、演奏できる人は少ないんです。ぜひこの子には楽しんで演奏してもらいたい」


 各々の支払いを済ませ、リュートを持った子供が紳士に手を振った。


「おじさん、ありがとう!」


 紳士が手を振り返し、親子を見送る。……そして、ようやくあたしは声をかけた。


「リュートを弾いてらしたんですか? せんせい」

「おや、これはこれは、テリーお嬢様」


 ロバ顔のエーゼルがあたしに振り返り、少し表情を曇らせた。


「まだお顔色がお悪いようですが、昨晩のお散歩の続きですか?」

「すこしあるいたらもどりますわ。げほげほっ。……ほかにもひける楽器はあるんですか?」

「いいえ。リュートとヴァイオリンだけです。リュートはほんの少しかじった程度でして、昔、ブレーメンに行く途中で、スランプになりましてね、ヴァイオリンを弾きたくなくなった時に、浮気したんです」

「リュートに?」

「なんとも魅力的な音を出す弦楽器です。テリーお嬢様もいかがですか?」

「そうですね。……かぜが治ったらかんがえます」

「若い人が楽器に興味を示すのは、とても良い事です。あの子には、ぜひ将来、リュート奏者として楽団に入っていただきたいものですな」


 ああ、そうそうと、エーゼルが思い出したように人差し指を立てた。


「テリーお嬢様、春に開かれるコンテストの楽譜を見に来たのですが、イザベラ殿の歌はいかがでしょうか」

「……。イザベラ・ウォーター・フィッシュのことですか? げほげほっ」

「ええ。この船に乗られているのを確認しましてね、ほんの少しだけ挨拶をさせていただいたのです。それで、私も彼女のコンサートに行った事があるのですが、彼女の歌は評価をされるべきものばかりです。ぜひ、テリーお嬢様にもこの思いを共感していただきたく」

「……はあ」

「おや、お嫌ですか?」

「あー、その……」


 ――あの魚女の歌なんて、絶対嫌。


(……言葉を変えてどうやって伝えたらいいかしらね。理由を聞かれても面倒くさいし……)


 ……。


「すみません。せんせい。頭がぼんやりしていて……その話は、また後日でいいですか?」

「ああ、これは失礼」


(この人、興味がほいほい変わるから、時間を置いたらまた別の曲を用意してくれるかも。話を逸らすのが一番の逃げ道よ)


「テリーお嬢様、お部屋までお送りしましょうか?」

「いいえ。だいじょうぶです。このあと、すぐもどりますわ」

「そうですか。それでは私はここで」

「ええ。さようなら」

「道中お気をつけて。お大事に」


 エーゼルと別れ、あたしは楽器屋を後にする。


(コンテストの曲がイザベラの歌? おえ。最悪。絶対嫌)


 水中が見れるトンネルの廊下を潜る。


(はあ、気分が良くなってきた。ずびっ! ……鼻水止まんない……)


 ――肩を叩かれた。


(あん?)


「メグ! ここにいたのね! 良かったわ! 見つかって!」


 振り返ると、そこにいたのは見た事のない婦人だった。あたしの顔を見ると、慌てて口を押さえた。


「まあ、ごめんなさい! 人違いですわ!」

「はあ」

「同じ赤毛だったから、ごめんなさいね」


 婦人がポケットから写真を取り出して、あたしに見せた。写真には結構美人な女が写っている。


「娘のメグというの。その……昨日の夜から姿が見えなくてね。……どちらかで、お見掛けしてないかしら……」

「……すみません。見ておりません」

「……そうよね」


 婦人が不安げな表情を浮かべ、すぐに笑顔になった。


「これだけ広いんだもの。……大丈夫よ。多分、どこかに遊びに行ってるだけだから」


(……ここで解決しておけば、何かあった時に印象操作で助けられるかも……)


 あたしはにこりと笑顔を浮かべた。


「まあ。それはご心配ですわね。げほげほっ、申し遅れました。あたくし、げほげほっ、この船の社長の娘のテリーと申します」

「あらっ、まあ……社長のご令嬢様でしたの。それは、……私のようなものが声をかけてしまい、大変失礼致しました」

「とんでもございませんわ。げほげほっ。その、娘さまのおなまえを、ごほっ、もう一度よろしいですか?」

「ええ。……メグ・グリエンチャーでございます。私はマリエッタ。この子の母親です」

「マリエッタさん。ごほごほっ! メグさんが見つかったらおへやまで送っていただくよう、あたくしがせきにんを持って、全クルーにれんらくしておきますので、げほっ、げほっ、ごあんしんを」

「まあ、全クルーに? それは……ありがとうございます。大丈夫だと思うけれど、やっぱり心配で……。……ああ、部屋は2208号室です」

「げほげほっ。わかり……げっほげほっ!」

「あら、大変。大丈夫ですか?」

「ええ、まあ」

「あら? お顔色もよくありませんわ」

「お気づかいありがとうございます。ですが、げほげほっ、この船での出来事は、母のせきにんであり、娘の、ずびっ、あたくしのせきにんでも、あるので……」

「ああ、ご親切にどうもありがとう。……あ、そうだわ。えっと……」


 婦人が手提げバッグから水筒を取り出した。


「使い古した容器で申しわけございませんが、中に入ってるお茶は美味しいので、ぜひ……どうぞ」


 婦人が言いながら変わった色の紅茶を容器代わりの蓋に入れ、あたしに差し出してきた。


「ああ、でも、その、……風邪を引いてまして……」

「おほほ。私は構いませんわ。あなたが嫌でなければ」

「……それじゃあ……」


 喉は酷く乾いてる。


「すみません。いただきます」


 飲んでみて――ふわりと、花の匂いがした気がした。


「……はなの、ふうみですね。げほっ、おいしいです」

「風邪引きには良い紅茶です。娘も大好きで」


 少し、体が温まった気がした。


「中にショウガも入っているんです。体がぽかぽかするでしょう」

「……おかわりをいただいてもいいですか?」

「どうぞ」


 思ったよりも喉が渇いていたようだ。もう一度飲み、容器の蓋を返す。


「ごちそうさまです。……少し気分がよくなりました。げほっ」

「ご無理はなさらず」

「ありがとうございます。……げほげほっ、メグさんのことは、クルーにお伝えしておきますので」

「ありがとうございます。お願いします」


 婦人があたしに頭を下げて、水筒を手提げバッグにしまいながら歩いて行った。あたしはこんなこともあろうかと買っていたメモ帳を取り出し、忘れないように記す。


 メグ・グリエンチャー。2208号室。昨晩から戻ってない。母、マリエッタ。心配してる。


(優しい母親を持って幸せね。案外、飲み歩いてて迷子センターで寝てたりして)


 あたしはメモ帳をポーチバッグに入れながら歩き出す。


(さて、そうと決まれば目指すはスタッフルームね)



 マーメイド号ツアーミッション、クルーに迷い人のお知らせ。



(写真を見る限り、なかなかの美人だったわね。ま、あたしほどじゃないけど)


 エレベーターは無いかしら。辺りを見回してみる。


(うーん。無い)


 あたしはふらふらしながら壁に貼られていた地図を見る。


(今ここが現在地で……)


「っ!」


(あ、こっちね)


「失礼します!」


 人々をかき分け、誰かが走り出す一方、あたしはエレベーターを目指して歩く。


(あった、あった。あれだ)


「テリー!」


 あたしは扉が閉まりかけたエレベーターに乗った。はあ、これで上まで行ける。


「っ」


 それを見ていたサリアがエレベーターの行く階を見上げる。階段のある方に走り出す。


(ああ、綺麗な眺め)


 ぼんやりしているとエレベーターが止まった。あれ、ここだっけ?


(みんな下りてるし、ここだっけ?)


 あたしはエレベーターを下りた。地図がある。見てみる。


(あ、もっと上だった)


 あたしはエレベーターを見上げた。エレベーターは上に行ってしまった。


(はあ。仕方ない。面倒臭い。……あ、そうだわ! ドロシーを呼べばいいじゃない!)


 あたしは人気のない廊下に進んだ。サリアがエレベーターの前に来て、……考えた。

 ここはレストランが多い階。エレベーターに乗った人はこの階に用がある人が多いだろう。そうなると、あの状態のテリーはどういう行動をするだろうか。さん、に、いち。――サリアが人気のない廊下に向かって走り出した。


「ドロシーちゃーん、ドロシーちゃーん」


 あたしは手をぱんぱんと叩いた。


「スタッフルームに連れてってほしいんだけどー」


 げほげほっ!


「ドロシーちゃーん? いないのー?」


 げほげほ!


「ねー、ドロシーちゃ……」


 横から手が伸びて、あたしは壁の中に引きずり込まれた。それと同時に、サリアが廊下の角を曲がった。


「テリー!」


 ――そこには、人気のない廊下が続いてるだけ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る