第17話 真夜中の晩酌
星空が広がる。どこまでも、どこまでも広がっている。遠くに氷の山が見える。海は非常に滑らかだ。滑るように船は進んでいく。冷たい風が肌に当たる。でも、なぜだろう。なんだか、この冷たい風に当たっていたい気がして、イザベラは遠くを見つめて立っていた。その隣にいた男が優しい声で言った。
「飛び降りようとしたんだって?」
男の手がイザベラの肩に触れた。
「どうしてそんな事を」
「ええ。本当ね。アタシ、馬鹿だわ」
イザベラが頭を押さえ、また眉を下げた。
「でも、あのまま落ちていても良かった」
「イザベラ」
「ねえ、アタシ、本当に結婚しなきゃ駄目なの?」
「イザベラ、君は見えもしない未来を不安に思っているだけさ」
「だけど」
「大丈夫」
女の気持ちを知らない男は微笑む。
「言ってるだろ? マーロンは見た目に寄らず良い奴だよ。ハンサムで、金持ちで、……素敵な君にぴったりな相手だ」
「……あなたも素敵よ。ランド」
イザベラがランドを見た。その瞳には熱があるが、ランドは気付かない。男ってそういうもの。ランドは親しげに言った。
「不安な事があれば、俺がいるじゃないか。何でも聞くよ。イザベラ、俺達はこの先もずっと親友だ。君が結婚したってそれは何も変わらない。だろ?」
「……ええ。そうね。……。……そうよね」
イザベラが寂しそうに頷き、また、ランドを見つめ、――足音が聞こえて、はっと顔をこっちに向けてきた。
「……あ」
「あ」
姉と妹に挟まれ、ネグリジェのままで歩くあたしと目が合えば、イザベラが駆け寄ってきた。
「ニコラ!」
「……ずびび」
「ちょっと、体調はもういいの? ああ、何でもいいわ。無事で良かった!」
イザベラがあたしを強く抱きしめた。うげっ。くっさ。強い香水の匂いがする。イザベラがつけたら全部の香水が臭く感じるわ。あたし、この匂い嫌い!
だけど、そんな顔をするわけにもいかず、あたしは友好的な笑顔でイザベラの背中を撫でた。
「げほげほっ。その、……レコードを買う約束をしてたでしょう? だから、買いに来たの」
「何枚だってあげるわ。……部屋に来てちょうだい。ここは寒いから。あ、そうだ。ランド! この子はニコラ……ああ……違ったわね。えっと……」
「ずびっ。……、……嘘ついてごめんなさい。……テリー・ベックスよ」
「……花の名前。良い名前ね。テリー」
イザベラの後ろに背の高い黒人の男が見えた。イザベラがあたしの肩を片腕で抱き、その男にあたしを見せた。
「ランド、紹介するわ。この子はテリー。この船の社長の娘で……友達になったの」
「ははっ! そいつは良い。こんばんは。テリー」
「こんばんは。ずびっ」
「で、彼は、アタシの残された唯一の男友達の、ランドよ」
「ランドだ。よろしく」
「彼とは音楽学校からの友達なの。……あなたも客人を連れてるみたいね」
「あー……げほげほっ。……イザベラ、紹介するわ。姉のアメリアヌと、げほっ、妹のメニーよ」
「こんばんは! イザベラ!」
アメリが積極的に握手をしにいった。イザベラが微笑んで握手を返し、メニーとも握手をした。アメリが白い息を吐きながらイザベラを見た。
「さっきは妹が面倒をかけたみたいで」
「げほげほっ」
「とんでもない。この子は命の恩人よ」
「くしゅんっ」
「うふふ! みんなまとめてお部屋にいらっしゃい。ここより暖かいから」
「イザベラ、クルーに何か頼もうか?」
「……そうね。紅茶でも。部屋にはワインしかないから。お願いできる?」
「もちろんさ」
「……ありがとう。ランド」
イザベラが微笑み、あたし達を部屋に招き入れた。なかなか悪くない贅沢な作りの部屋だった。ま、ゲストには良いんじゃない? けっ! あたしは暖炉の前に座らされ、体を温める。
「どうぞ。好きな所に座ってちょうだい。こんな広い部屋に一人だけなんて、つまらないだけだから。ほら、テリー、膝掛けとブランケット」
「ありがとう。ずびびっ」
「お互い、何事もなくて良かったわね」
アメリとメニーも椅子に座り、イザベラもあたしの向かいに椅子を運んで座った。イザベラがアメリとメニーに顔を向ける。
「あなた達にも迷惑をかけたわ。本当にごめんなさい」
「ああ、気にしないで。母も、誰も怪我がなければ大丈夫な人だから」
「とんだゲストね。伝説の歌姫が聞いて呆れるわ。海にダイブしようとしてたなんて」
「その事についてなんだけど……」
アメリが言いづらそうに口を開く。
「訊いても良いのかしら。その、妹はさっきまで寝てたから」
「そのままよ。アタシ、ダイブしようとしたの。鳥のように飛べば、凍えるほど風が気持ち良いんだろうと思って。好奇心よ。それを、この子が助けてくれた」
イザベラがあたしの手の上に手を重ねた。
「心から感謝してるわ。ニコラのお陰で、また歌える」
「ずびびっ」
「レコード、好きなの持っていって。お代はいいから」
「げほげほっ。イザベラ、対価は払うわ。お金に困ってないもの」
「その通り」
アメリが金貨の入った袋を取り出し、イザベラに渡した。
「これで買わせてもらえないかしら。あなたのレコード、すぐ売り切れちゃうのよ」
「まあ、こんなに?」
「ええ。妹を助けてくれた分も含めて。受け取って」
「……じゃ、ありがたく受け取るわ。レコードはそこの棚」
アメリが棚に振り返り、はっと息を呑んだ。
「やだ、ちょっと、これ限定品!」
「うふふ! 持ってっていいわよ。これだけ貰ったら、多少のサービスはしないと。メニーもおいで」
「は、はい」
三人で仲良くレコードを選び始める。――今だ!
(よし、アメリ、メニー、イザベラの事はあんた達に任せるわ。あたしは麻薬を探すから!)
バレないようにゆっくりと動き出し、まずはベッドの下を覗いてみる。
(チッ。下の空間がないタイプのベッドだわ)
「ん?」
「っ」
イザベラがあたしに振り向いた。
「テリー、そこで何してるの?」
「あったかそーなベッドだと思ってー」
ぎしぎし押してみる。
「わー。やわらかーい」
「ええ。寝心地は抜群よ」
「わー。おおきな棚ー」
「ええ。何を置いていいかわからないくらいね」
(チッ。何もないわね)
麻薬がないんじゃ通報出来ないじゃない。
「イザベラ、これ、聴いてもいい?」
「ええ。どうぞ」
アメリがわくわくした目でレコードをプレーヤーにつけて再生した。しっとりとしたバラードが流れる。歌声はもちろんイザベラ。
「この歌好きなのよ」
「うふふ。ありがとう」
「わたし達、去年、あなたのコンサートに行ったのよ」
「ええ、本当?」
「テリーは旅行に行ってて来なかったけど、わたしとメニーは楽しんだわ。あなたの歌を聴いて心から感動した」
「それは……ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいわ」
(くそ。ここにもない。何よ。今の時代、健全な歌手なんていないんでしょ? あたしわかってるんだから。麻薬はどこよ)
「それと、……風の噂で聞いたんだけど、あなたが、……気難しい人だって」
「ふふふっ」
「でも、あなたってとても優しい感じがするわ」
「わからないわよ。中身は最低かも」
「妹とまともに話ができるんだもの。最低ならテリーにうんざりして会話なんてできない」
「この世界、そういう態度を見せておかないと大変なのよ」
イザベラが腕を組んだ。
「特に、アタシは黒人だから」
「今の時代、差別する人なんているの?」
「いっぱいいるわよ。うんざりするほどね」
「でもあなたは素敵だわ」
「ベックス姉妹は優しいわね。どうもありがとう」
(あ!)
あたしは見つけてしまった。
(高級ワインがある!)
このメーカー、聞いたことある!
(このワインがあたしに言ってるわ。飲んでほしいって! そうよね。あたしが飲むにふさわしいワインだわ。だってあたしはお客様だし! よし、貰ってこ!)
「げほげほっ」
「……あ」
振り返ったメニーに嫌な声を出した。
「お姉ちゃん、何持ってるの?」
ぎくっ。
あたしはすぐに背中に隠した。
「げほげほっ。なにも持ってないけど」
「お姉ちゃん、今後ろに何隠したの?」
「なにも隠してないけど」
「お姉ちゃん、泥棒は駄目だよ」
「あたし、げほげほっ、なにも持ってないわ」
イザベラが部屋に設置されていた小さなワインケースのドアが開けられてるのを発見した。そして、あたしを見て、クスッと笑った。
「テリー、飲みたいの?」
「……げほっ」
「いけない子ね。でも、アタシ、いけない子大好き」
イザベラが棚からワイングラスを取り出した。
「ちょっとなら良いわよ」
「駄目です。イザベラさん」
メニーが眉を下げた。
「お姉ちゃん、まだ16歳なんです」
「味見程度なら大丈夫よ。アメリアヌは?」
「いただくわ。わたしも大人が見てない所では飲んでるもの」
「あなたいくつ?」
「17歳」
「なら大丈夫ね。アタシは10歳の時から飲んでたわ。メニーは?」
「わたし、……お茶がいいです」
「そう。ならランドが戻ってくるまで待っててね。もう少しで来ると思うから」
イザベラがあたしの前に立った。
「ほら、テリー、ちょうだい」
「……」
ゆっくりとワインを差し出す。チッ! 部屋で一人で飲もうと思ったのに!
「アルコールって病気に良いって言うし、丁度良いかもね」
イザベラがワインをちょっぴりグラスに注いだ。
「はい、どうぞ」
「……ありがとう」
「はい。アメリアヌ」
「ありがとう。イザベラ」
「メニーは、……とりあえず水でいい?」
「ありがとうございます」
「せっかくだから乾杯しましょうか」
イザベラも自分の分を注いだ。
「一期一会の出会いに乾杯」
イザベラがそう言って、ワインをグイと飲んだ。アメリとあたしもグイと飲んだ。
(っ!!)
――なんてまろやかなの! この白ワイン!
飲み込んだ瞬間、喉がカッ、と熱くなる。これよ! これこれ!
(はーん? なかなかやるわね。香りが良い)
あたしは赤ワインの方が好きだけど、ま、これなら白ワインでも許してあげるわ。アメリも頬を緩ませて、イザベラを見た。
「何これ、すごく美味しい!」
「船に乗ってたファンがわざわざ持ってきてくれたらしいわ。花も添えてね。ほら、そこに飾ってるやつ」
(おかわり)
あたしは誰も見てない間に勝手にグラスに注いだ。そして、ごくりと飲む。はーーー。おいしーーー。
「……」
メニーがちらっとあたしを見た。
「お姉ちゃん、ワインそんなに入ってたっけ?」
「なに言ってるの。これくらいよ。げほげほっ」
「おかわりした?」
「なに言ってるのよ。するわけないじゃない。げほげほっ」
「イザベラ、音楽変えていい?」
「良い曲があるわよ。アタシ、こういうのも歌えるの」
イザベラが選曲して、レコードを再生した。ジャズ音楽が流れる。アメリが楽しそうに笑い出す。
「まるで禁断のパーティーね」
「そうよ。今宵は女だけの秘密のパーティーよ。はあ。おつまみはないかしら?」
イザベラが設置された冷蔵庫を開けて、目を瞬かせた。
「あら、こんな所にジュースがあった。メニー、飲む?」
「……まだ大丈夫です」
「ジュースの方が美味しいわよ。きっと、うちの姉が置いていったんだわ」
空のグラスにオレンジジュースが注がれる。
「お姉さん、いらっしゃるんですか?」
「そうよ。ガミガミ怒ってくる男好きの姉がね。アタシは妹。メニーと一緒ね」
「怒ってくるんですか?」
「全部アタシのためを思ってね。メニーにはそういう事ない?」
「……喧嘩はするけど、お姉様もお姉ちゃんも、とっても優しいから……」
「ね、つかぬ事を訊くけれど……答えたくないならいいわ。……三人とも、血は繋がってる?」
アメリがメニーの肩に手を置いた。
「この子だけ繋がってないわ。ママの再婚相手の連れ子なのよ」
「あら、じゃあ社長は結婚されてるのね」
「でも亡くなったわ。だいぶ前に」
「ま、……そうだったの」
イザベラがメニーの背中を撫でた。
「大変だったわね」
「そうでもないですよ」
「色々あったわよ。わたしも今でこそメニーと仲が良いけど、メニーが来たばかりの時なんて、子供じみた真似ばかりしてたんだから。思い出すのも恥ずかしいくらい。メニーは覚えてる?」
「わたしのピンを取ろうとしたこと?」
「ちょっと、その話はやめてよ」
「うふふ」
「ふふっ、仲直りしたでしょう?」
「お姉様、ビーズのブレスレットまだ持ってるでしょ。この間、モニカが発見してたの見たんだから」
「ちょっと、この子ったら!」
「うふふふっ!」
「あら、何その話。ビーズのブレスレット?」
「あの、テリーお姉ちゃんとわたしが……」
(……ワイン、うま……)
あたしのグラスが空になる。
(おかわり)
テーブルにあったワインをグラスに注ぎ、再び飲みこむ。
(ふう。体が温まってきたわ。やっぱりアルコールって風邪に良いのね!)
それに、なんだかとっても良い気分になってきたわ。あたし、頭がくらくらしてたけど、なんだか今はふわふわしてるの。咳は止まらないけど、それでも気分が良いわ。はあ。あとちょっとだけ飲もう。ごくり。あらま、三杯目まで空っぽになりそうだわ。量が少なかったのかしら?
「……なんて事があって」
「大切に取ってあるのね」
「うふふっ。ねえ、もうこの話はやめにしない? わたし、すごくあっついわ」
「ワインのおかわりが必要かもね」
イザベラが立ち、ワインをアメリのグラスに注ぎ、あたしを見た。
「あれ、テリー、注いだ?」
「ううん。あたしおかわりなんてしてないわ。イザベラが入れてくれた分をゆっくり飲んでるの」
「そう。良い子ね」
「そうでしょ」
実は四杯目。
(はあ。前と違って全然酔わないわね。あたし、やっぱり成長してるんだわ!)
それにしても、船ってこんなに揺れてたっけ? まあいいわ。白ワインがあれば、もうどうでもいいわ。ごくり。
「ランドったら遅いわね」
「あれ彼氏?」
「まさか。友達よ」
「そうは見えなかったわ。とっても仲が良さそうだった」
「アメリアヌ」
「白状したらどう? わたしは社長の娘であり、貴族の娘よ。沢山の人と会ってきて、目が養われてるの」
「わかったわかった。うふふ。……そうね。気がないと言ったら、嘘になるわ」
「ほら」
「でもね、アタシ婚約者がいるの」
「え? あなた結婚するの?」
「ええ。到着する国で結婚式を挙げるの。記者達がこぞって追いかけてくるわ」
「お相手は?」
「トップクラスのレコード会社を持つ社長の御曹司」
「素敵」
「そう思う?」
「素敵だわ。まあ、トップで言うなら、うちの妹も負けてないけどね」
「ん?」
「テリーよ。イザベラ、テリー・ベックスの名前を知らないとは言わせないわよ。この国の第一王子、キッド殿下の婚約者」
「……そうよ。テリー・ベックスって……」
イザベラが目を丸くさせ、息を吸って、再び吹き出して笑い、あたしに振り返った。丁度あたしはワイン五杯目。
「あのテリー様!? マリッジブルーで行方不明になって世間を賑わせた!」
「そうよ。それがあの女よ」
「あはははは! こいつは驚いた! キッド殿下は見る目が抜群に良いわね!」
「大変だったのよー。テリーがいなくなって、ママが発狂して……」
あたしのふわふわする目を見た瞬間、メニーがはっとして、ワインボトルを持ってみた。――とても軽い。
「……」
メニーがイザベラに尋ねた。
「イザベラさん、お水ってまだありますか?」
「ええ。そこにはあるわ。ちょっと待ってて」
「ああ。大丈夫です。わたしがやりますから」
メニーが水の入ったグラスをあたしに持ってきた。
「お姉ちゃん」
「はあ。すばらしい音楽、ゆうがなひととき。ずびっ、メニー、おぼえておいて。きぞくって、こういうものよ。げほげほっ」
「お姉ちゃーん?」
「ジャック♪ ジャック♪ きりさきジャック♪ きりさきジャックを知ってるかい♪」
「お姉ちゃん、ねえ、ワインどれくらい飲んだの?」
「えっとね、……ちょっぴりこれくらい」
「そっか。ならそろそろお水を飲むタイミングだね。はい」
「いらない」
「お姉ちゃん、お水飲もうよ。はい」
「いらない」
「お姉ちゃん」
「それはメニーがのめばいいでしょ。あんた、おこちゃまなんだから」
「お姉ちゃーん?」
「おかわり」
メニーがワインボトルを遠くに置いた。あたしの手が空振った。
「あれー? ワインがにげたわー? おかしいわねー?」
「お姉ちゃん、お水飲もうか?」
「おねーちゃん? あんた、なに言ってるの? 二人きりのときは『おねーさま』でしょ」
「ワインどれくらい飲んだの?」
「うふふぅ。あたし、まえよりおさけにつよくなったみたい。ぜんぜんよわないの。げっぷ、この調子なら、ひっく、あたしたち、これからワイン工場をたてるのもいいかもしれないわねー」
「お姉ちゃん、何言ってるの? ほら、お水飲んで」
「あんたがなに言ってるのよ? 今さらなかったことになんかしないんだからね」
ふにゃりと笑った。
「いなかにいって、あたしたち、二人でくらすのよ」
「ねえ、テリー」
イザベラがあたしの前にしゃがんだのを見て、あたしは両手を合わせた。
「あら、イザベラ。こんばんは。あんた、いつものごうまんなすがたはどうしたの? またいじめてくるの? やめてよ。あたしたちあんたになにもしてないのに……」
「テリー、ね、教えてほしいの。その、……マリッジブルーになった時の話よ」
「え? まりっじぶるー?」
「キッド殿下との話よ」
「キッド? ああ、あのいけすかない王子さま?」
「彼との結婚に不安を抱いた時、テリーはどうやって解決したの?」
「かんたんよ。あたし、めいどになってかくれたの」
「あはは。面白いジョークね。……ね、教えて。不安を取り除くにはどうしたの?」
「ふあん……?」
クレアとの不安?
「あー」
あたしはワインを飲んだ
「そうね、やっぱり人の目とか気になるわよねー」
「そうなの。彼と結婚した方が良いってみんな思ってる」
「そんなしゅみの女とおもわれたくないしぃー。じっさいあたし、男がすきだしぃー」
「そうなのよ。アタシ、タイプが違うのよ」
「でも、ありえないわよねー。だってけっこんするのはあたしなのよー? 他人がひょうかしてくるなんておかしいじゃない」
「ええ、そうよ。おかしいのよ」
「だからあたしはことわったわ」
全員があたしを見た。
「こころに決めたの」
あたしの心には――クレアだけ。
「あたしがあいするのは一人だけよー」
「……そうよね」
イザベラが微笑んだ。
「テリーの言う通りよ。評価を恐れて歌詞を書けないんじゃ、いつまで経っても書けない。心が答えを言ってるわ。アタシの気持ちはアタシのもの。愛してるのは一人だけ。人の目なんて気にしちゃ駄目よね。わかってた事だったのに、ああ、アタシ、悩んでたのが馬鹿みたい。こんな簡単な事、今になって気付くなんて」
メニーがそっとグラスをあたしに渡した。
「お姉ちゃん、飲んで」
「おみずならいらないわー」
「何言ってるの? これはワインだよ?」
「あら、メニー、きがきくわねー」
あたしはごくりと飲んだのを確認したメニーが振り向いた。
「お姉様、お姉ちゃんが隠れてワインを飲んでたみたい。すごく酔っぱらってるから、もう部屋に戻した方が良いかも」
「うふふふ! だったら寝かせておけばいいわ!」
酔っぱらったアメリがくすくす笑う。
「わたしだって恋人がいるけど、不安なんかないわ! 大好きだもの!」
「そうよね。人間の胸にはかならず愛が秘めているものよ。対象は人それぞれ。アタシったら、すっかり目が覚めたわ! ほんと、馬鹿馬鹿しいわ!」
イザベラが笑顔であたしの頬にキスをした。
「ありがとう! テリー!」
「ちょっと、キスなんてやめてよー」
「何よ。照れてるの? 可愛い子ね。ちゅーーー!」
「ぎゃーーー!」
「うふふ! なんだか霧が晴れた気分! 音楽を変えましょう!」
「イザベラ、この曲がいいわ!」
「良い曲選ぶじゃない! アメリアヌ!」
陽気なレコードの歌が流れ、イザベラが踊り出す。
「あはは! ほら、おいで!」
「うふふ!」
引っ張られたアメリが踊る。あら、なんだか楽しそう! イザベラがあたしに声をかけた。
「テリーも来なさいよ!」
「いくいくー!」
あたしもわくわくしてきて、その勢いのまま立とうとしたら、くらりとして、メニーに抱き支えられた。
「ちょ! お姉ちゃん!」
「ふぁー」
「お姉ちゃん、お酒が足りないのかも! ほら、飲んで!」
「このワイン、あじがないじゃない! ずびっ! まずいワインね! げほげほん! あんたみたいに中身がないのよ!」
「いいから! ほらほら、ぐいっと!」
「なんであんたはあたしよりもびじんなわけ? そのかわいい顔がいつもむかつくのよ。それでせいかくもいいなんて、男がそっちにいくにきまってるじゃない! げほげほっ! どうしてあんたはみんなとすぐになかよくなれるの!? あたしはうまくしゃべれないのに! このじょうぜつ女!」
「はいはい! そうだね! お姉ちゃん、ほら、これをぐいっと!」
「……なんでつめたくするの?」
「え?」
「メニー、つめたい」
「え!?」
「あたしのこときらいなんでしょ!」
「お姉ちゃん!?」
「いい! あたし、もうわかったから! げほげほっ! あたしと二人でいるのがいやなんでしょ! げほげほっ!」
「お姉ちゃん、ほら、お水飲んで。ね? 良い子だから」
「どくが入ってるんでしょ! げほげほっ! あたしがじゃまだからころそうとしてるんだわ! はっくしゅん!」
「ただの水だよ!」
「そんなに、あたしのこときらいだったのね!?」
「嫌いじゃないよ! 何言ってるの! もう!」
「……どなった」
「え?」
「いま、どなった」
「え!?」
「あたしのこときらいなんでしょ!」
「お姉ちゃん!?」
「ふぅうん! ぐすんっ! ぐすん!」
「お姉ちゃん、泣かないで!」
「ふえええん! えええん!」
「ごめん! 大声出してごめん!」
「んんん! ぐすん! ふうううん!」
「ほら、お姉ちゃん、涙拭いて。鼻水も出てるよ」
「……すきって言って」
「え?」
「すきって言って!」
「え!?」
「あたしのことすきならすきって言えるでしょ!」
「お姉ちゃん!?」
「ほらね! やっぱりきらいなんだ!」
「……駄目だ。すごく酔っぱらってる……。どうしよう……」
「あたしのこと、おねーさまってよんでたかわいい顔も、うそなんでしょ!」
「お姉ちゃん、お願い。とりあえず一旦、水飲んで」
「だからあたしをしけいにしたのね! あたしのことがきらいだから!」
「お姉ちゃん」
「メニーなんてきらい! だいきらいだから!!」
――あたしの手が、温かい両手で握られた。
「そんなこと言わないで?」
青い目が、あたしを見た。
「わたしがどう想ってるかなんて、一番知ってるでしょ?」
あたしは頬を膨らませて、俯いて、鼻をすすった。
「……好きだよ」
あったかい声が耳に響く。
「大好き」
メニーがにこりと笑って、あたしにグラスを差し出した。
「ほら、テリーお姉ちゃん、これ飲んで? お願い」
「……けっ!」
ぐいっと飲んだら胸元に零れた。
「ああ、もう……。……しょうがないんだから」
メニーがハンカチであたしの胸元と頬を綺麗に拭った。
「げっぷ」
「お姉ちゃん、ゲップはマナー違反だよ」
「げほげほっ」
「あははは! 良いダンスだわ! アメリアヌ!」
「きゃははは!」
「っ!」
あ! そうだった! イザベラとアメリが楽しそうに踊ってるんだったわ! 二人だけずるい!
「あたしも踊りたい!」
「お姉ちゃん座ってて!」
あたしはメニーの手首を引っ張った。
「ちょっ!」
「あははは!」
メニーの手を利用してメニーをくるくる回す。
「はわわわ!」
「あははは!」
「あら、素敵な踊り!」
「きゃははは!」
「お姉ちゃん!」
あたしはメニーにしがみつき、メニーの肩に顎を乗せ、くすくす笑いながら音楽に乗って、体を揺らした。
「くひひひひ!」
「お姉ちゃん、……もう……」
「けほけほっ」
「……お姉ちゃん、座ろう? ね?」
「あたしは、おどるのー!」
メニーを強く抱きしめると、メニーの肩がぴくりと揺れる。
「っ」
「きゃはははは! あはは! けほっ! きゃはは!」
「ほら、みんな、ワインが足りてないんじゃない!?」
イザベラがワインを飲んだ。
「楽しまなきゃ損よ! ほら、踊って踊って!」
みんなで盛り上がり、楽しくなり、舞い上がり、笑いながら踊ると、部屋のドアが勝手に開いた。
「っ!」
騒ぎに気付いた女がドアを閉め、怒鳴った。
「何しているの! イザベラ!」
「あはは!」
「きゃはは!」
「あの、えっと、……あの!」
「ああ! もう!」
音楽が止められた。あたしとアメリがきょとんとしてレコードを止めた女を見た。イザベラがにやにやしながら女に声をかけた。
「アマンダ、止めないでよ。せっかく楽しんでたのに」
「……。話があるの。イザベラ」
「あとでいいでしょ。今はお客様がいらっしゃるから」
「……社長のご令嬢達?」
女がワインボトルを見て、息を呑んだ。
「ちょっと、嘘でしょ。あんたが誘ったの?」
「ちょっとだけよ」
「彼女達はまだ未成年よ! 何考えてるの!」
「15歳を過ぎたら成人同然よ」
「イザベラ、自分の行動をもう少し見直してちょうだい!」
アマンダと呼ばれた女があたし達の背中を押した。
「ほら、パーティーはお終い。イザベラはこれから説教よ。あなた達も部屋に戻りなさい」
「やー!」
「まだおどるのー!」
「ご、ごめんなさい! ちゃんと帰ります!」
アマンダがメニーの顔を見た。メニーがアメリとあたしを引っ張った。
「お姉様!」
「あー」
「お姉ちゃん!」
「げほげほっ」
「すみませんでした!」
「あなた、……お姉さん達によく言い聞かせておいて」
「はい! すみませんでした!」
ドアが強く閉められ、向こうから怒鳴り声が聞こえる。
「イザベラ! 何考えてるの!」
「何よ! うるさいのよ!」
「いい加減にしなさい!」
「もうあんたなんかにはうんざりなんだよ!」
「あんたはスターなのよ! その自覚を……!」
「うるさーーーーい!!」
一方、外ではあたし達が良い気分でフラフラ歩く。
「あー、頭がくらくらするー!」
「げほげほっ!」
「さむーい!」
「はっくしゅん!」
「……」
メニーがアメリとあたしを引っ張り、うんざりした顔で来た道を戻っていく。すると、みるみるアメリとあたしの顔が歪んできた。
「……気持ち悪い」
「……はきそう」
「え」
アメリとあたしが手擦りに手を置き、海に向かってゲロを吐いた。きらきらきらきらー。
「おええーー!」
「げほげほっ!」
呆れた目をしたメニーが腕を組んで立ち、アメリとあたしがその場に座りこんだ。
「はーあ! きもちわるーい!」
「あたし、たてなーい!」
「世界がくるくるするー!」
「めがまわるわー!」
「……二人とも、帰るよ」
「だめ!!」
「たてないもん!!」
「白馬に乗ったロードが! か弱いわたしを迎えに来てくれるの!」
「そうよ! そうよ! ルビィがむかえにきてくれるわよ! いつものやさしいえがおでわらってくれるのよ!」
「そうよ! そうよ! ロードは良い男なのよ!」
「……お姉様、部屋に戻ったらロードさんがサプライズで隠れてるかもしれないよ」
「まっ!」
「お姉ちゃん、リトルルビィがお姉ちゃんに話があるって部屋で待ってるよ」
「なんですって!? げほげほっ」
「二人とも、部屋に戻らない?」
「「もどるぅー!」」
アメリとあたしがお互いの肩を組み、足並み揃えて部屋に向かった。
「全くロードったら照れ屋さんなんだから!」
「まったくリトルルビィったら、さいしょからすなおになればいいのに! あの子ったらほんとうにせわがやけるんだから!」
三人であたしの部屋に戻ってきた。
「「ただいまぁー!」」
ママとサリアが待っていた。
「「……」」
アメリとあたしが黙った。メニーが青い顔で俯いた。だから言ったのに。
「馬鹿娘達……」
ママが怒鳴った。
「お座り!!!!!!!」
メニーがドアを閉めてすぐに座り、アメリとあたしが目を見合わせ……ひょうひょうとしながらゆっくりと座った。
「サリアを騙して外に出るなんて! あれだけの大騒動を起こしたにも関わらず、凝りてないなんて! テリー! 自分の行動を自覚なさい! お前の行動がゴーテル様とスノウ様に見られたら、婚約だって破綻しかねないのよ!?」
「なぁーに言ってんのよぉー! あたしはぁー! みんなのためにこうどうしてるんじゃなぁーい!」
「……どこでお酒なんて飲んだの」
「うぷっ」
「アメリアヌ」
「イザベラが飲ませたのぉー」
「そうよぉー」
「わたしたち、ことわったんだけどぉー」
「おもてなしをうけるのはマナーだからぁー」
「そうよぉー」
「……メニー」
ママがメニーを見た。
「全部言いなさい」
「お姉様がイザベラさんと知り合いになりたいって言ってお姉ちゃん経由で会いにいったところ、話が盛り上がってきた時にお姉ちゃんがワインを盗もうとして、それなら一緒に飲みましょうとイザベラさんに誘われて、お姉様とお姉ちゃんが喜んで飲み始めて酔っぱらったところに、イザベラさんの知り合いの方が部屋に戻ってきたので、撤収してきました」
「はーーー」
「違うわ。わたしたち、ことわったもの。ねえ? テリー」
「そうよ。あたしたち、ことわったわ。げぷっ。でもおいしかった」
「まろやかだったわね」
「のみやすかったわ」
「香りも良かったわ」
「サリア、メニーを部屋に連れていって」
「……かしこまりました」
ネグリジェのサリアがメニーの背中を優しく押した。
「サリア、ごめんなさい。わたし、頑張って止めたんだけど……」
「メニーお嬢様、もう寝る時間です」
ドアが閉められたら、ママが体をぶるぶると震わせて、あたし達を見下ろした真っ赤な顔を見た途端、アメリとあたしが声を揃えた。
「「あ、これまずいわね」」
ママの雷が轟いたのは、その直後であった。
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