第1話 訪問客

 目覚まし時計が激しく暴れ出した。


(……)


 うるさくて、あたしはゆっくりと瞼を上げる。


(まだ眠い……)


 あたしは目覚まし時計を叩くように止め、向こう側に思いきりぶん投げた。目覚まし時計が壊れた気がしたが、あたしは眠いの。さて、いろいろあったけど、邪魔者はいなくなった。もうひと眠りしましょ。すやぁ。――と思っていたら、突然のメイドたちの叫び声。


「アメリアヌお嬢様! 起きてくださいまし!」

「メニーお嬢様! 起きてくださいまし!」


 部屋に突入してきたメイドたちに、アメリがあくびをして、メニーがとろんとした目をして起き上がる。


「なによ……。まだ起きる時間じゃ……」

「今日は駄目です!」

「起きてください!」


 メイドたちがメニーを囲む。


「さぁ! メニーお嬢様! こちらへ!」

「美容師様がおまちです!」

「ドロシー……おいで……ふああ……」


 メニーがネグリジェのまま廊下を歩いていく頃、サリアとエレンナが安らかな二度寝を始めたあたしの部屋に突入してきた。乱暴にドアが開かれ、体を揺らされる。


「テリーお嬢様、起きてください」

「……だめ……おこさないで……」

「テリーお嬢ちゃん! 今日は大事な日ですよ! さあ! 起きた!」

「……んん……なによ……」


 サリアがカーテンを開けて、朝日をあたしに見せてきた。ひゃあ! まぶしい! あたしは全力で怒鳴った。


「なによーーー!!」

「さあ! 起きた!」

「テリーお嬢様」


 サリアの目が本気だ。


「今日が何の日かご存知ですね?」

「……」


 あたしは目をしばたたかせながらカレンダーを見た。そして、また大きく欠伸をした。


「ふわああ……。……ふう。……大丈夫よ。サリア。どうせあいつが屋敷に来るだけ……」


 ベックス家にいるメイドたちが総勢でアメリを運ぶ。あたしを運ぶ。メニーを運ぶ。


「ひゃあ!」

「おふっ!」

「あばっ!」


 大きめのジャグジーに入れられ、いろんなものをかけられる。


「これはかける?」

「いいわね。かけましょう」

「ローズもつけておきましょう。ああ、いい匂い」

「リンスの準備を」

「髪の毛がつやつやになりますわ」

「香水をつけなくてもいいように」

「匂いは大事です」

「毛先を整えましょう」

「髪型はどうします?」

「ドレスは?」

「ナプキンは何色がいいですか?」

「あなたは何色がいい?」

「んー……ピンク!」


 溺れる! 溺れる! 溺れる!!


 お風呂の後は散髪用の部屋に運ばれる。見慣れた美容師が仲間を数人連れて、総勢で腕の袖をまくった。


「さあ、アメリアヌお嬢様! 素敵な髪型にしましょうね!」

「テリーお嬢様! お任せください! 私が美しい髪型にしてみせましょう!」

「メニーお嬢様、本日は一段とお美しくいらっしゃる!」


 巻き巻きに巻かれて、うんざりするほど綺麗なドレスに着替えさせられる。メイドが裾の先まで皺を伸ばして、あたしに靴を履かせて、爪を磨いて、あたしの頬につけていたキュウリを引き剥がして、メイクして、全てを整えて、――サリアが汗を拭った。


「完成です」


 エントランスホールにアメリとあたしとメニーが並ぶ。キラキラ輝く三姉妹に、いつもよりも綺麗な恰好をしたクロシェ先生が拍手をした。


「三人とも、とても綺麗よ」

「準備は出来たか!?」


 奥から冷や汗だらけのギルエドが走ってきて、あたしたちを見て胸を撫でおろす。


「ああ! 素晴らしい! 三人とも、お行儀よくするのですよ! とくにテリーお嬢様!」

「別に平気よ。大袈裟ね」

「そりゃ大袈裟にもなるわよ。こんなこと滅多にないもの」


 アメリが肩をすくめた。


「王族が、わざわざ直接お嫁さんのお屋敷に、挨拶に来るなんて」


 騎士団と記者たちが囲む中、屋敷の門の前に馬車が到着した。ラッパが鳴り響き、ハトが逃げていった。馬車はまたさらに門を潜り、中まで入ってくる。木々が並ぶ綺麗な道を通り、噴水を超えて、屋敷の前に馬車が止まった。そこへ兵士が二人走ってきて、赤いカーペットがまっすぐ道に敷かれる。御者席に座っていたバドルフが下り、ドアを開けた。まず先に国王のゴーテル様が地面に足をつけ、王妃のスノウ様がゴーテル様の手を取って地面に下りた。そして、もう一つの馬車、御者席に乗り、立派なスーツを着ておめかししたビリーが下りてドアを開けると、中からキッドとリオンが下りてきた。二人の王子の色気に記者が全員とろけて写真を撮るのを忘れた。屋敷の前で出迎えていたママが頭をゆっくりと下げた。


「陛下、王妃様、そして、王子様方。ご挨拶申し上げます。この度はようこそ。我がベックスの屋敷へ」

「お日柄も良く、最高の顔合わせ日和ですこと」


 スノウ様が笑った。


「アーサー様とアンナ様はとても仲が良かったそうで、時折、お二人の笑い声がエメラルド城のお庭から聞こえておりましたわ」

「娘のテリーとキッド殿下も、そのように仲睦まじくなることを願っておりますわ。さあ、どうぞ。中へ」


 ママが手を差すと、ギルエドが両方のドアを開け、中で待機していたベックス家に仕える使用人の全員がお辞儀をして出迎えた。ゴーテル様とスノウ様、その後ろからキッドとリオン、バドルフとビリーが屋敷へと入ってくる。バドルフが通りすがりにママに囁いた。


「大丈夫さ。そんなに緊張しないでいい」

「バドルフ様、ご無沙汰しておりますわ」

「改まった喋りなどしなくていい。私と君の仲ではないか」

「今日は違います」

「ああ、まいったのう。これは。昔は私のことを怒鳴っていたくせに」

「今日は違います!」

「ここで怒鳴るか」


 エントランスホールで立っていたアメリとあたしとメニーがドレスを持ち、丁寧にお辞儀をして出迎える。アメリがベックス家の娘の代表として、最初に口を開いた。


「ようこそ、ゴーテル様、スノウ様、そして、キッド様、リオン様」


 ゴーテル様がふむ、と頷いた。


「三人とも、顔を上げなさい」

「ありがとうございます」


 おしとやかにアメリが返事をし、ようやくあたしたちは顔を上げる。そして、屋敷にやってきた四人の王族を見ると、美しいドレスを身に纏ったスノウ様が微笑みながら言った。


「この時を心待ちにしておりました」


 スノウ様が嬉しそうにあたしを見つめる。


「テリー、とても美しいわ」

「お褒めに預かり光栄です」


 あたりは隣を手で差す。


「姉のアメリアヌです」

「アメリアヌでございます」


 アメリがお辞儀をすると、スノウ様が頷いた。


「もちろん、存じておりますわ。先日のリオンの誕生日で、とても優雅なお辞儀をされていて、見習わなければと思ってしまいました」

「大変恐縮でございます。スノウ様」


 アメリアヌが一歩下がった。あたしはまた隣を手で差す。


「妹のメニーです」

「メニーでございます」


 メニーがお辞儀をすると、ゴーテルさまが頷いた。


「君のことは妻から聞いている。お父様がボランティア活動に活発な方だったとか。なんでも、貧困な地に出向いては大切なお金を配っていたそうだな」

「はい」

「とても立派なことだ。君のお父様のことを、私は誇りに思っている」

「……ありがとうございます。ゴーテル様。亡くなった父も光栄に思っていることでしょう」


 ゴーテル様があたしを見た。


「テリー・ベックス」

「ご無沙汰しております。陛下」

「この間は、キッドがとんだ迷惑をかけた。親として謝罪しよう。申し訳なかった」


 この間。


(……どれかしら)


 リオンの誕生日に行われたプロポーズ? それともその後のマールス宮殿での事件のこと? それとも、――孤独なお姫様のこと?


「とんでもないことでございます」

「……テリー。……今ここで話すのは少々、気が早いかもしれない。が、その、……それと関係なく、あー……とても手のかかる奴だが、キッドを、……。……『あの子』と、仲良くしてやってくれ」


 あたしはその言葉に、迷わず頷いた。


「はい」


 スノウ様とゴーテル様がふり返る。笑顔のキッド殿下があたしに向かって真っ直ぐ歩いてきた。あたしの前で足を止め、そして、紳士の手付きであたしを抱きしめる。


「愛しの君、会いたかった」


 ――ちゅ。


「今日もとても綺麗だよ。テリー」


 愛の溢れたキスを頬にされるが、あたしはむすっとしたまま抱きしめ返さず、キッド殿下を睨む。お退き。ドレスに皺が出来るでしょ。あたしの目を見て、にこりと笑ったキッド殿下が離れると、ママが話し出した。


「皆様、お部屋へご案内致します。こちらへどうぞ」


 少し遅いランチ。テーブルに並んで座り、ドリーとケルドが腕をふるったであろう料理たちが運ばれてくる。みんなで女神様に感謝をこめ、護衛騎士に囲まれながら、息が詰まるような空気のまま食事にありつく。


(……食べてる感じがしない……)


「とても美味しゅうございますわ」

「お口にあったようで、なによりでございます」


 ママがスノウ様にネコを被った笑みを見せた。


「それで……その、……結婚式は、いつ頃に?」

「ふふっ。アーメンガード、気がお早いですわ。テリーはまだ15歳になったばかり。キッドも成人したとはいえ、まだまだ未熟の身。テリーがもう少し大人になるまで待つと言っておりますから、ここは若い子たちに合わせて、わたくしたちは見守りましょう」

「おほほ。そうですわね。大変失礼致しました。何分、娘が第一王子であるキッドさまとこのような関係になるなんて、夢にも思っておりませんでしたもので。つい、親として浮かれているようです」

「そのお気持ち、よくわかりますわ。わたくしも、キッドがテリーのような素晴らしい娘と恋仲になり、とても浮かれておりますの。うふふ。それに、テリーは良い環境で育ったようですね。羨ましいですわ。三姉妹だなんて。わたくしは一人っ子でしたもので……」


 スノウさまとママが喋る中、ゴーテルさまが静かに食事をつづける。……ベーコンが気に入ったらしい。とても美味しそうに食べている。あたしは目をリオンに向けた。彼も珍しく王子様らしい、とても綺麗な手付きでフォークとナイフを使いこなしているが、あたしは知っている。あんた、普段はもっと汚い食べ方なのよね。毎回ミックスマックスのイベントに行く度に、あたしに汚い食べ方をレクチャーするの、そろそろやめてもらっていいかしら。あたしの隣ではアメリが優雅に食べているが、スープに入ってたピーマンを見て、にこりと笑って、端に寄せた。あんた、こんな時くらい食べなさいよ。


(……まさか)


 ちらっと、隣を見ると、メニーがニンジンを見て、――頑張って食べてみた。だが、しかし、やっぱり苦手なようだ。一つだけ食べて、後はもう諦めた。皿ごと端に寄せた。……スープくらいは飲みなさいよ。


「……」


 あたしは向かいにいるキッドを見た。キッドも全く文句なし。第一王子として、静かに優雅にランチを食べている。まあ、普段とは比べ物にならないくらい美しい食べ方だこと。


(……そういえば、キッドの嫌いなものって知らない……)


 居候していた時は、ビリーがキッドの好き嫌いを知っていたから、入れてなかったみたいだし。


(意外とアレルギーとかあったりして……)


 だが、そんな気配もなく食事をしている。


(……口にあったのならいいわ)


 あたしは野菜にフォークを刺し――刺さなければよかったと後悔した。


(あ!!!!!!)


 ナス!!!!!


(しかも単体!!)


 ぐっ! いつもならアメリかメニーに押しつけてるところを!! 今日は! 王族と護衛騎士に囲まれ、四方八方から観察されてる目があり、押し付けるアクションが一切出来ない!! この時ばかりは押し付けるコマンドを選択したって、きっとこう出るわ。『今は押し付けることが出来ない! なんてこった!』


(しかも刺してしまったものだから、これは食べないといけないじゃない! 刺したものを抜くなんてマナーは、どこにもないわ!)


 ナス。


(ぐおおおお……! どうなってるのよ! なんでナスがここにいるのよ! この皿に毒々しく憎たらしく恨めしい紫を入れた奴は誰よ! ドリーか!? ケルドか!? 許さない! よくもあたしの皿に紫色を! くううううううっ!)


 ――ふと、視線を感じる。

 ちらっと正面を見ると、キッドと目が合った。あたしを見て、フォークに刺さったナスを見て、状況を把握して、葛藤するあたしの顔をもう一度眺め、おもむろにナプキンを取り、口を拭うふりをして――にんまぁり、と、にやけやがった。


(なによ! 笑ってんじゃねぇわよ!)


 キッドがナプキンを膝の上に置いた。そして、形の整った唇が微かに動く。


 ――食べないのか?


(うるせえ! 嫌いなのよ!)


 ――ほう? ならば、王族の前でマナーを破るか?


(それが出来ないから困ってるんでしょう! くたばれ!)


 ――貴様、パセリ食えるか?


(ん?)


 ――パセリ、苦いから嫌なの。


(あなた、パセリ職人に謝りなさい。パセリはね、栄養がいっぱい詰まってるのよ)


 ――食べてくれるなら、そのナスを引き受けてやってもいいぞ。


(……バレないようにやれるなら)


 ――交渉成立。


 青い瞳が瞼で閉じられた瞬間、乱暴に窓が開かれた。皆が驚いて窓を見る。ぎょっとしたギルエドが慌てて窓を閉めた。


「申し訳ございません。風がイタズラをなさったようです」

「仕方ありませんわ。秋は台風の時期ですもの。お気になさらず」


ママがすかさずフォローを入れる。


「お気遣いありがとうございます。スノウ様。どうぞ、お食事をつづけてくださいな。ゴーテル様、いかがでしょうか?」

「ふむ。とても美味しい。腕のいいシェフがいるようだな」

「ええ。それは、もう。いつも美味しい料理を作ってくださいまして。本日は皆様に料理をふるまえると意気込んでおりましたの。お口に合ったようで良かったですわ。作った本人も、きっと喜ぶことでしょう」


 ギルエドとママが目を見合わせて、小さくため息を吐いた一方、あたしは自分の皿を見下ろし、ぎょっとした。……サラダがパセリだらけになってる!


(あ!)


 キッドとリオンが涼しい顔をしながら一緒にナスを平らげた。二人の皿を見て、確信する。これは……――二人分!! テーブルの下で、キッドとリオンが手を叩き合った。


(てめえら、仲良いのか悪いのかどっちなのよ! くそったれが! うっ! 結構苦い!)


 キッドとリオンが優雅に食事をつづける中、あたしはヤギのように、もすもすとパセリを食べるのだった。


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