第10話 誓い
オズがいなくなった今、呪いが解かれた今、三人の願いは叶いましたが、ドロシーとトトの願いは叶いません。オズは封印され、偉大なる魔法使いがいなくなってしまったからです。みんなが祝う中、空を飛ぶ気球を見て、ドロシーは三日三晩泣き続けました。ナイミスも、アクアも、キングもずっとドロシーの側にいました。
「僕は今まで心がなくて、誰かのために泣くことはなかった。ドロシー、君のために泣かせておくれ。君が悲しんでいるのは、とても悲しいよ」
もう錆びることはありませんが、アクアが泣くと、ドロシーは優しくハンカチでその涙を拭ってあげました。そして、またため息を吐くのです。
「トト、僕達はもう帰れないのかな?」
「にゃあ」
ドロシーが絶望に暮れたその時、輝かしい天から白い魔法使いが下り立ちました。美しい魔法使いに、みんなは大歓迎です。
「白の魔法使い様だ!」
「みんな、お辞儀を!」
「よろしくってよ。皆のもの。まあ、どうも。こんにちは。あらまあ、ドロシー、トト、お久しぶり! オズを抑えてくださってどうもありがとう! まあ、封印、っていうのは微妙なところではありますが、あなた方のおかげで、世界は救われました! 本当にどうもありがとう!」
「やあ。白のおばさん。トト、ご挨拶。ボンジュール」
「にゃー」
「あらあら、そんな悲しそうな顔をして。そして私はおばさんではございませんことよ。一体、あなた、どうしたっていうのです?」
「白の魔法使い様!」
ナイミスが真剣な顔で白の魔法使いに跪きました。
「そうだ。ドロシーから聞いております。なんでも、あなたがこのドロシーをこの世界へ呼び寄せたとか。ならば、あなたならば、ドロシーとトトを元の世界へ戻せるのではないでしょうか」
それを聞いたドロシーは一瞬、希望が見えた気がして、瞳をきらきらと輝かせました。しかし、白の魔法使いは、なんだか困った顔をするのです。それもそのはずです。というのも、オズが眠ったことによって、この世界の秩序が、少し変わってしまったのです。それを知っている白の魔法使いは、自分でドロシーとトトを呼んだのもあり、それを説明するのはとても苦しかったのです。
「実はね、ドロシー、ちょっと困ったことになってしまったのです」
「困ったことって?」
「召喚魔法が使えなくなってしまったの。というのもね、そうですね。なんて説明したらいいのかしら。根源がなくなってしまったものだから……えーとね……魔力が、お腹を空かせている状態なの。生きてはいるけれど、食料のない人間と同じような感じなのです」
「どういうこと?」
「つまり、今の私では、あなたをお家へ戻すことは出来ないのです」
「でも、僕達、役目を終えたってのにカンザスへ帰れないの? ああ、憂鬱だ。この世界では、色んなことが起きすぎた。白いお姉さん、僕達はね、もう、今すぐにでも帰りたいんだ」
「あら、そうですわ。金の帽子。それで、翼ザル達に、カンザスまで送り届けてもらえるか、お願いしたらどうでしょうか?」
ナイミスがドロシーに振り向きました。
「ドロシー、やってみよう!」
ドロシーは言われるまま、すぐに金の帽子の呪文を唱えて翼ザル達を呼びました。大勢のサル達が、ドロシーとトトを囲みます。
「ききっ」
「これが二回目の願いごと」
「お嬢さん、願いは?」
「僕達をカンザスへ送り届けてほしいんだ」
ドロシーがそう言うと、サル達は首を振りました。
「カンザスは、異世界のこと。我々でも異世界へ行くことは出来ません」
「だって、我々はこの世界だけの存在だから」
「今まで行ったこともなければ、今後も行く予定がございません」
「我々に出来る限りの願いは叶えますが、異世界に行くのは難しいでしょう」
「さようなら」
翼ザル達はお辞儀をして、窓から飛び去ってしまいました。ドロシーはまたさめざめと泣き始めてしまいます。
「僕、もう帰れないの……?」
「にゃあ」
「トト、もう帰りたいよ。僕、ここにはもういたくないんだ……」
「まったく。残念至極だ」
アクアが胸を痛ませながら呟きました。
「ナイミス、君の知恵を使ったひらめきを待ちたい。何かいい案はないかい?」
「うーん。そもそも、白の魔法使い殿、なぜドロシーを呼び出すことは出来たのに、帰らせることは出来ないんだい?」
「それはですね……。えーと、なんと言ったらいいのか……」
そこで、白の魔法使いはひらめきました。
「そうだわ!」
白の魔法使いは提案をします。
「グリンダ。グリンダなら、何か方法を知ってるかも!」
「グリンダ?」
「にゃあ?」
「とっても美しくて、優しい赤の魔法使いです。誰よりも長生きしているから、といっても、オズよりは長生きではないけれど、それでもうんと長い間生きている魔法使いなので、あなた達を帰らせる方法を知っているかもしれません。それに賭けるしかないわ。彼女は、南の国でカドリング達を治めております。あなたの金の帽子で、連れて行ってもらえると思うわ。もう一度、翼ザル達を呼んでごらんなさい。グリンダなら、きっとあなたの力になれるでしょうから」
「俺様達も、行くよ!」
キングが声をあげました。みんな、ドロシーとトトが大好きだったので、南の国にいくまでにドロシーに危険が及んだら、助けてあげるつもりだったのでした。
「それでドロシーが無事に帰れるというなら、俺は賛成だよ」
と、ナイミスが重たい頭を頷かせます。
「僕達の願いは叶った。今度はドロシーとトトが願いを叶える番さ」
と、アクアは熱い胸をたぎらせます。
「俺様も、最後まで付き合うよ!」
と、キングが勇気を持って笑みを見せました。
ところが、エメラルドの都の住人は、ドロシーとトトが元の世界に帰ると聞いて驚きました。なんていったって、みんな、ドロシーがこの国の王になるって、勝手に思っていたのですもの。しかし、心優しいキングが言いました。
「国王のことは、ドロシーとトトが帰った後に、選挙をして決めるといい。まずは、ドロシーとトトの願いを叶える方が先決だ。さぁ、グリンダに会いに行こう!」
ドロシーは金の帽子で翼ザル達を呼び出しますと、早速願いごとを言いました。
「グリンダにお目にかかりたいんだ。彼女の元へ連れて行ってくださる?」
「もちろんですとも。ききっ」
「これが三回目の願いです」
翼ザル達は、一行を抱えて、空高くへと飛んでいきました。そして、それはそれは広大な海を渡り、南の国へとたどり着いたのです。
南の国に住むカドリング達は、空からやってきた訪問者に驚いて、すぐさま国の管理官にお知らせしました。国の管理官は慌ててやってきましたところ、翼ザル達は優しくドロシー達を地面に下ろしました。
「これが最後の願いごと」
「私達は二度とあなたに会うことはないでしょう」
「さようなら。ご武運をお祈りしております」
そう言って、翼ザル達は飛び去ってしまいました。南の国の管理官は真っ直ぐ立ち、五名に敬礼しました。
「やぁ! どうも! こんにちは! 皆さん! グリンダに会いに来たのですね!」
「こんにちは! 管理官様。僕はドロシー。トト、管理官様にご挨拶!」
うーーん!
「ボンジュール!」
「にゃー!」
「私はカドリングの民。グリンダから唯一名前を頂いております。この国の管理をし、国を守っているベックスとは私のこと。この先たとえこの島から手が離れることがあっても、必ず私の血の元にこの島が戻ってくる魔法を、私はグリンダからいただいているのです。さあ、長話もここまで。グリンダがあなた方をお待ちでございます」
「僕達が来ることを知っていたの?」
「ええ。グリンダは何でもお見通し! さあ、行きましょう! グリンダがあなたに話があるそうなので! ベックスである私が、ご案内いたしましょう!」
ベックス管理官に連れて行かれ、一行はとても大きな白いお城に入りました。お城の天井はとてもとても高く、五名が肩車したって、届きそうにありません。玉座の間につきますと、またまたびっくりして、目が丸くなります。そこには、体がとても大きな、とても親切そうな目をした赤い魔法使いが、玉座に座っていたのです。一行を見て、グリンダはにっこりと頬を緩ませました。
「こんにちは。ドロシー、トト、それに、ナイミス、アクア、キング。お待ちしておりましたわ」
「初めまして! 僕はドロシー! トト、グリンダにご挨拶!」
うーーん!
「ボンジュール!」
「にゃー!」
「こんにちは。赤い魔法使い」
「こんにちは。赤いレディ」
「こんにちは。あなた、とても大きいね!」
「グリンダ、僕達を知っているの?」
「ええ。私ね、ずっとあなた達を見ていたの。だから存じ上げてるわ。あなたがどんな目的でここにきたかも、私、知ってるわ」
「でしたら、グリンダ。どうか僕達をカンザスへ帰してください。おじさんとおばさんが、きっととても心配していると思うんだ」
「あなたはきっとこう思っていることでしょうね。白の魔法使い、アメリアヌは薄情者。自分から呼び出しておいて、元の世界に僕達を帰せないなんて、とんだ役立たずだ。でもね、アメリアヌは薄情者ではないの。これは仕方ないことなのよ。どうしてって、それは、あなた達がオズを封印してしまったからなのよ」
「どういうことですか?」
「長い話になるわ」
グリンダは、丁寧に説明してくれました。
「この世界を作ったのはとある精霊。人はそれを神様って呼んでる。オズはね、その精霊の子供みたいなもの。つまり、天からの使い。そうね、人はそれを、天使と呼んでるわ。魔力というものはね、その天使の源を元に放たれていたの。根源がオズの魔力。その魔力を使って操るのが魔法使いってところかしら。その根源のオズがいなくなってしまったものだから、私達の出来る魔法は、すごい勢いで弱まってしまったの。だから、限られた呪文しか発動させることが出来ないのです」
「そんな」
ドロシーは、まるで息が止まってしまいそうになりました。
「それじゃあ……、……僕達は、二度と家には帰れないの?」
「いいえ」
グリンダは首を大きく横に振りました。
「一つだけ方法があるわ」
「一体、どんな方法ですか? 僕は、もう帰れるならなんだってします。お願いです。教えてください」
「あなた、今なんでも出来ると言ったわね」
「ええ。僕、なんだって出来ます」
ドロシーは言い切りました。
「教えてください。どんな方法ですか?」
「それはね、ドロシー」
グリンダは教えました。
「あなたの親友のトトを、この世界に残すのよ」
グリンダの言葉に、ドロシーは耳を疑いました。だって、意味がわからなかったのです。どうしてトトを残さないといけないのでしょう。
「僕達は、二人できたんだ」
ドロシーはトトを抱きしめました。
「僕達は、二人で帰るんだ」
「それは、出来ません」
「どうして」
「西の魔女はね、いつか自分が消えてなくなることがわかっていたの。だから、その時がくる直前に、目の前にある器に、自分に備えられていたオズの魔力を全て移して、オズがいなくなっても、この世界に魔力が残るようにしてくれたの。だから、その器を使えば、元通り、膨大な魔力を使った魔法もたやすく出来て、あなたも帰れるのよ」
グリンダは頷きました。
「そうよ。トゥエリーはね」
ゆっくりと、言いました。
「トトに魔力を残したのよ」
ドロシーの腕の中にいるトトがにゃんと鳴きます。ドロシーがグリンダを見ました。グリンダは頷きました。
「時間がなかったの。トゥエリーは正しい判断をしたわ。自分が消えた後、こうなることを予想していたから」
「それじゃあ、グリンダ……ということは……トトを、この世界に残しておかないと、僕は二度と家には帰れないということ?」
「そうよ」
「一緒に抱えてもだめなの?」
「一緒に抱えて帰ろうとしたら、もっと大変よ。世界と世界の狭間で、トトの魔力が無効化されて、あなたとトトは一生狭間に閉じ込められてしまうことになる。そうなれば、私達もお手伝いが出来なくなってしまう。あなたを助けることが出来なくなってしまうの」
「そんなのおかしいよ」
「器をトトに移してしまった時点で、これは決められた運命なのよ」
「そんなのおかしいよ!!」
ドロシーはトゥエリーを強く抱きしめました。
「この世界は、トゥエリーだけじゃなくて、トトまで奪う気なの!? 一体、僕が何をしたって言うんだ! 僕は! この世界に呼ばれて、この世界を救ったじゃないか! 役目は終えたはずだ! なのに! 親友を! トトを! この世界に残して、帰れだなんて!!」
みんな、言葉がありません。みんなはドロシーがこの世界にいてくれる分には構いませんでしたが、ここにいたら、ドロシーは二度とおじさんとおばさんには会えないのです。しかし、帰ってしまったら、トトに会えなくなってしまうのです。
「そんなのやだよ! トトと離れるなんて、絶対に嫌だ!」
「にゃあ」
「でも、そうしないとあなたはカンザスには帰れません」
「そんなのってないよ! こんなのってないよ!!」
ドロシーはトトを抱きしめて、座り込んでしまいました。
「僕が何をしたっていうんだ……。なんでこんなことになってしまうんだ……。トトを、置いていくなんて、僕、出来ないよ。こんなの、ひど過ぎるよ……!」
けれど、ドロシーは帰りたいのです。だって、この世界では、いろんなことがありすぎた。ドロシーは、おじさんとおばさんがとても恋しくなりました。なので、トトは地面に文字を書き記しました。
――ドロシー、僕なら大丈夫だよ。
ドロシーは泣きながらその文字を見ました。
――僕はここに残るよ。だから、君はカンザスに帰るんだ。
「トト、僕は残るよ。君を置いてはいけない」
――なら、大人になったら戻ってきてよ。僕、待ってるからさ。
「大人になったら……?」
――そうさ。大人なら、行く場所は自由だ。おじさんとおばさんだって、心配したりしない。君はまだ子供だから、カンザスに帰って、おじさんとおばさんの世話になるんだ。そして、たくさん勉強して、たくさん教養を身につけて、自分の力で生きられるようになったら、このエメラルドの都に戻ってきて、僕を迎えにきてよ。
「トト」
ドロシーがトトを、それはそれは、強く抱きしめました。
「わかった。僕、約束するよ。ここに誓うよ。僕は、必ず君を迎えに来る。必ずここに戻ってくる。だから、トト、ここで、僕を待っててくれるかい?」
トトはにゃんと鳴きました。その声を聞いて、キングが勇気を奮い立たせました。
「心配ないよ! ドロシー!」
キングがドロシーに言いました。
「俺様が、この国の王になるよ! そして、誓おう。君が帰ってくる時にエメラルドの都の宮殿の近くに、うんと高い塔を建てて、そこで戻ってくる君を迎えよう! トトは、俺様がいつまでも面倒見るよ! 君が帰ってくるまでね! だから、何も心配いらないよ!」
「そのとおりだ。心配なんてない」
心が優しいアクアが頷きました。
「僕は西の国に行って、ウィンキー達を治めよう。彼らも彼らで、リーダーがいないとやっていけなさそうだからな。僕がやれば、キングも怖がらなくて済むだろう?」
「なら、俺は、農家に戻って、八百屋を作ろう。国中に食べものを渡しに回るぜ。俺が食事係なら、誰も怖くないだろう?」
ギターを弾いたナイミスが、重たい頭を揺らしました。
「ドロシー、あんたは俺の脳を取り返してくれた。俺はあんたの帰りを喜んで待ってるぜ」
「ドロシー、君は僕の心を取り戻してくれた。僕は君の帰りを心から待っているよ」
「ドロシー、俺様、ドロシーが大好きだよ! 君のこと、トトと一緒に、ずっと待ってるよ」
――ドロシー、さあ、お行き。僕は、君の幸せを願っているよ。
「トト、君が大好きだよ」
ドロシーとトトが抱きしめ合いました。
「ずっと大好きだよ。トト」
そして言いました。
「待っててね。僕、必ず、君を迎えに来るからね」
「ドロシー、金の帽子と、その銀の笛を私にくださる?」
グリンダが言いました。
「三回の願いで、この三名を変えるべき場所に帰してあげましょう」
「お願いします。僕には、もう必要ないから」
ドロシーが金の帽子と銀の笛をグリンダに渡しました。
「教えてください。僕は、どうしたらカンザスへ帰れますか?」
「トトの魔力を使って、その銀のパンプスを使うのよ。三回かかとを鳴らして、願って。カンザスへ帰りたいって」
「わかりました」
ドロシーはもう一度、みんなを見ました。そして、トトを見ました。
必ずここへ帰ってくる。大人になったら、トトを迎えに来よう。ドロシーは誓いました。そして、銀のパンプスのかかとを三回鳴らして、願いました。
「カンザスへ帰りたい」
救世主は、自分の世界へ帰ってしまいました。
「銀の笛は私がいただきます。これは、悪しき心の持ち主の手に渡ってしまったら大変だから。残った銀のパンプスは、そうね。トト、あなたが履くといいわ。また、ドロシーと再会する時のために」
その後、キングは国王に即位し、国を治めました。魔法使いも、人間も、みんなが笑顔で暮らしました。しかし、忘れてはいけません。オズは封印されているだけ。オズの血が飛びついた床には、草が生えております。これはオズの魔力、トゥエリーの芽。これが咲く時、それはオズが目覚める時。
トトは、きっとオズが目覚めて、救世主が必要になった時、その時、ドロシーが現れるに違いないと思い、その花を咲く瞬間を、待っていました。
時間は、どんどん過ぎていきます。
ドロシーは、戻ってきません。
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