第9話 ハンニバル

 はたしてこれが最良なのか。

だが約束の報酬は亡くなってしまった部下の家族に渡さなければならない。

そのことで部下の家族が幸せになるとは限らないことは十分理解しているし、トラブルになった現実も見てきた。

ハンニバルは迷っていた。

しかし最後の一人まで部下の家族に約束した報酬を渡すことが自分の使命だと、自身の迷いを振り切り事務的に処理してきた。

部下が生きていればその家族たちも違う状況であったことは否めない。

また、経過してしまった時間は埋めようがない。

軍を退職してから少し時間がかかってしまった。

今回で最後なのだ、約束は果たした。

そしてこれからどう生きるか、何を目的に生きてゆくか。

軍人として生きてきた彼にはすぐには答えは出せない。

「とりあえず故郷に帰ってみるか」

つい口に出しあまりにありきたりの考えに自嘲してしまう。

「おふ、おふ。あー、あー」

それが赤子の発するものと理解するまで数秒かかってしまった。

なぜこんなところでと思いながらもその声の主を探す。

布でくるまれてはいるが一目で捨て子とわかる。

人通りもないこんな暗い路地裏で、このままほおって置けば野良犬か何かに襲われてしまうだろう。

彼はそれほどヒューマニストではないがなぜか放っておけない、放っておいてはいけない気持ちになっていた。

「これも何かの導きか」

自分の発した言葉に自分自身驚きながらも赤子を抱き上げていた。

「見つけたか、それほど遠くには行けないはずだ」

服装から決して親ではないだろう数名の男が彼の目の片隅に写る。

軍人の経験から違和感を感じ取り無意識に男たちに見つからないよう気配を消す。

男たちをやり過ごし、宿泊していたホテルへ戻るとすぐに情報を得ることが出来た。

東洋人女性が子供と共に強盗に襲われたとニュースになっている。

男一人の宿泊者が突然赤子を連れているというのは不自然極まりないだろう。

すぐに元部下の妻を再び訪ね赤子を託せるか確認したところ、元々子供がほしいと願っていた彼女は快く引き取ってくれることとなった。

とりあえず数日滞在を延ばし、様子を見守ることとした。

彼女の行動は早く、すぐに実子として届けを出し必要なものを揃えた。

数時間話をしただけであったが、部下の妻の聡明さは十分に感じた。

これなら安心だと感じた彼は最初の予定通り母国に帰ることとした。

翌朝、けたたましいサイレンの音で起こされた彼はフロントに何事か訪ねた。

「何かあったのかね」

「詳しくはわからないのですが、出入りの業者の話ではこのホテルからそれほど遠くない家に強盗が入って女性を殺害したらしいです」

「子供用品を一度に大量に購入してお金があると思われ、悪い奴らに目をつけられたみたいですよ」

フロントの男の返答に不安を感じた彼は、現場を確認すると悪い予感が的中してしまった。

犯行のあった現場はやはり部下の妻の家であった。

多くの警察関係者、記者、野次馬が集まったいた。

野次馬連中と記者の対応をしている制服警官を捕まえ状況確認をする。

「ここに住んでいた女性の知り合いの者ですが、子供がいたので心配で」

若い警官はすぐに、

「子供は母親が守ったようで無事でした。子供を人質に金銭を要求したようですが身を挺して子供を奪い返し、そのため刺されたとみています。念のためあなたの住まいをお聞きしてもよいですか」

「○○ホテルに滞在しています。子供は今どうしていますか」

「とりあえず病院で検査を受けています」

「どちらの病院でしょうか」

「○○病院です」

「心配ですので訪ねてみたいのですが、かまいませんか」

「別にかまわないと思いますよ」

「ありがとう。それと犯人の目星は付いているのですか」

「現在捜査中です」

買い物で一度に多くのお金を使うとは、そんな目立つ行動をするなんて聡明な彼女らしくないと思ったが、子供をほしがっていた彼女にとって、母になる喜びがよほど大きかったのか。

真相は不明だが、あの時点ではそこまで考えが及ばなかったことを後悔した。

だが今は赤子の無事を確認したかった。

赤子は無事だった。

彼女の母性が本物であった証である。

病院および警察関係者に彼女との関係を説明した。

彼の元所属していた軍部からの情報提供により彼の身元と彼女との関係の確認はとれた。

ホテルのフロントの証言もあり、はじめの頃は容疑者の一人と思われていたようであったがその疑いも晴れたようであった。

「子供は今後、どうなるのでしょうか」

「殺害された女性には身内もおらず、病院で異常がないと確認されれば施設にいくことになるだろうね」

「私が引き取ることは可能でしょうか」

初めて赤子に会ったときの感覚を再び覚え、とっさに出た言葉であった。

今度は自分自身に驚きもせず、それが正解だと彼は確信していた。

「関係者のようですので審査をクリア出来れば可能だと思います。でも、あなたは滞在者のため、いろいろと手続きが必要となります」

少し間を置いて、彼の顔をのぞき込むように見ながら担当者は答えた。

「手続きはします。問題は無いはずです。ただ私の母国に連れて帰りたいのですが」

「審査に問題が無ければ可能ですが、数週間かかることになると思いますがよろしいですか」

「かまいません」

ああ、かまわないとも。

やらなければならないことが出来た。

犯人を見つけ、けじめをつけなければ死んだ部下にも、殺されてしまったその妻でもあり、赤子の二人目の母親でもある彼女のためにも。


 彼の元いた軍部の友人に子供を引き取り、母国につれて帰ることが出来るよう操作を依頼する。顔の広い友人なら手を打ってくれるだろう。

一週間後、手続きが完了したと連絡が来た。

その間に情報を入手する手配をした。

蛇の道は蛇、その筋に依頼すると犯人はすぐに見つかり、”適切に処理”をした。

元軍人の彼には造作も無いことだ。

数日後、赤子と引き合わされたときに初めて男の子だと知った。

手続きをすべて終え、予定通りその子とともに故郷に帰ることにした。

どのような偶然が作用したのか、あるいはよくある役人の手違いかそれとも友人が手を回した効果か。

赤子は彼の実子として登録された。

母親は事故により死亡となっていた。

十数年がたった。男やもめが育てた子供は元気に育ってくれた。

単にベビーシッターが良かったのかもしれないが、サミュエルと名付けたその子はとてもなついてくれた。

サムと普段は呼び、彼も十分に愛情を注ぎ込んだ、亡くなった二人の母の分まで。

普通の家庭と違う点は、彼の軍人としての知識もサムに継承させたことだろう。

軍人の彼には普通だが、一般人にとってはサバイバル訓練の様なキャンプも年々当たり前にこなすことが出来、狩猟や罠の作り方もかなりの腕前となっていた。

ゲームといえば軍隊の戦略研究課のような様々な戦闘シミュレーションとなった。

すでに互角に渡り合える。

軍隊経験のある彼と彼の友人から格闘技も習得した。

実践さながらの模擬戦闘まで、それが当たり前のように生活の中でこなしてゆく。

しかし彼はサムを軍人にする気など毛頭なかった。

護身術として身につける必要があると考えただけだ。

一般人は戦闘力と言うだろうが。

学業も怠ることはなかった。

知能もかなり高く、高等数学はハイレベルな域に達している。

彼の友人の大学教授がサムに興味を持つには十分なほどに。

ジュニアハイスクールに入学する頃にはスキップして大学に進学するよう進められるほどであった。

しかし彼はサムに同年代の友人が必要と考え、あまり目立たぬよう普通であることを求めた。

サムもそれを理解したが、突出した才能は隠しきれるものではなかった。

元軍人に育てられたためか、一般人とは思考も生活も少し違うようだ。

そのせいか親しい友人を作ろうとはしていないようだった。

大学に通い始め、しばらくすると人工知能研究のプロジェクトメンバーとなり研究所に行くこととなった。

運命の歯車は徐々にかみ合ってゆく。

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