15

昼の首都高は混んでいるだろうということで、車を駅前に停め、電車で現地へ行った。なんとか天気ももって割と無難なデートとなった。お望みどおりすぐに観覧車に乗り、ジョイポリスで少し遊んで、お昼はショッピングモールの角にあるイタリアンで済ませた。人混みにもいい加減うんざりしたので、午後は海岸を散歩することを提案した。建物の外へ出ると、予想より強い日差しが出ていて、私は羽織っていた長袖を脱いだ。邪魔で仕方ない。寒がりの私は、この時期に半袖オンリーで来る勇気がなかったのだ。笠奈は柄のワンピースを着ていて二の腕まで露出している。腰のところにリボンがついていて、歩く度にひらひらしている。


不意に笠奈がバッグの中をまさぐり「ちょっと待って」と声をかけてくる。中から取り出したのは、紫色で手の平におさまるくらいの容器だ。

「塗ってきてないでしょ? 君肌白いから。日焼けしちゃうよ」

そう言って右手をひねってキャップを取り、私に日焼けどめを渡す。そういえば、この日差しの中を歩いたら、帰る頃には顔と腕が真っ赤になって、下手をしたら皮も剥ける。そんなことに頓着したことはなかったが、だからと言って突き返すわけもなく、大人しくそれを腕と顔に塗る。笠奈が私のことをじっと見ているので、私は「20代はお肌の曲がり角」なんて言いながらふざけた調子でほっぺたに塗りたくるが、笠奈は特に反応しない。仕方がないので容器を返しながら「笠奈は? 塗ってあげようか?」なんて言ってみる。予想通り「家出る時に塗ってきたよ」と小馬鹿にしたような口調で返してくる。

「ていうか適当に塗りすぎでしょ(笑)ちょっと後ろ向いて」

そう言って笠奈は私の首筋と、腕の内側を丹念に塗ってくれた。全く躊躇することなく、力をこめて薬液を伸ばす。意外と几帳面な女だと思った。知り合った頃に、ミキちゃんの授業についてあれこれ聞かれたことを思い出す。


最後に「おまけ」と言って、手に余った分を私の唇に塗った。乱暴に手を押し付けられ、薬品の匂いが鼻をつく。後ろにのけぞりながら、私がやめろと言うと、笠奈は大声で笑った。笠奈の笑い声が、高層ビルを反射しながら青空へ吸い込まれた。


特に計画もなかったので、あてもなくぶらぶらと歩いた。きちんと舗装された道や、砂浜、桟橋になっているところもあった。かつて夜中に来たところも、雰囲気は全然違ったが、すぐにわかった。二階堂が休んでいたベンチや、笠奈がもたれかかって電話をしていた街灯もそのままだった。あの時は気づかなかったが街灯は、エメラルドグリーンの塗装が所々ひび割れ、剥がれている箇所もあった。笠奈もすぐに気づいて「懐かしいね」と言った。確かに懐かしい。


おそらくあの時笠奈が電話していたのは、兼山だったのだろう。打ち上げが終わっても、一向に電話を寄越さない笠奈に業を煮やした兼山がかけてきたのだ。二階堂が休んでいたベンチに腰を下ろしたかったが、笠奈は「またみんなで来たいね」と言った切り、すたすたと歩いて行ってしまった。笠奈の方も兼山と電話をしていた事を思い出したに違いない。おそらく。


日が傾き、手すりにもたれて海や船やジョギングする外国人を眺めながら、ふとミキちゃんに何かを買って行ってやろうと思った。笠奈に提案し、海から離れて再びショッピングモールへ戻った。屋根付きのモールに入ってしまうと昼なのか夜なのかわからなくなるが、確実に足は重くなり、午前中に歩いた時よりも地面が硬く感じる。


はっきり言って、中学生の女の子が何をもらって喜ぶのか見当もつかないので、笠奈の意見を参考にしたかった。笠奈は「なんでも喜ぶと思うよ」と言ってあまり干渉せず、しまいには自分の服を見出した。仕方がないので私は目についた雑貨屋で、店先に並べられた髪留めのひとつを買った。笠奈のところに戻って髪留めを見せると

「いいんじゃない」

と言ってすぐに私に返し、再びハンガーの間に手を突っ込み始めた。店内にはロックミュージックがかかっていてうるさかった。私は気を取り直して笠奈にチェック柄のミニスカートを勧めたが、

「あのね、そんな高校生が履くようなの持ってこないでよ」

とあきれられた。店内が騒々しいので自然と声も大きくなり、怒られているようだった。結局笠奈は何も買わなかった。


夕食は地元へ帰ってきてから済ませ、それから居酒屋に行って酒を飲んだ。ようやく普段通りに戻った感じがして、私たちは夢中でお喋りした。お台場の大砲の話をすると、

「何回目? どんだけペリーが好きなの?」

と笑われた。

「新撰組も好きだよ」

「どんだけ過去が好きなの? だからうじうじしちゃうんだよ。もっと未来を見なきゃ」

「こういうのって『歴史』て言うんだよ? 笠奈先生英語オンリーだから知らないかもだけど」

「知ってます! ちゃんと教えてますから」

「大化の改新は何年?」

「蘇我氏が死んだ!」

「いや、大雑把すぎるだろ」

すっかり気分の良くなった私は、当然のようにその後ホテルに行くことを期待した。エンジンをかけながら「いく?」と聞くが「生理になっちゃった」と断られた。ショッピングモールでなったのだろうか。体のことなんだから仕方ないと自分に言い聞かせたが、1日の疲れが一気に出て、運転席に沈み込みそうになる。

「じゃあ帰る?」

「そうだね」

「楽しかった?」

「楽しかったよ!」

笠奈は無邪気に答えるが、声には疲れが混ざっている。


弁当屋の駐車場についても笠奈はなかなか降りようとせず、このパターン何回目だよと思っていると、目を瞑るように指示された。なんとなくその後の展開を予想しながらそれに従うと、笠奈の唇が私のに触れた。化粧と酒の匂いがする。笠奈は自分の体を支えるために、私の太ももに手を置いている。私はそこに自分の手を重ね、握りしめた。それは割と長い時間続いた。


唇が離れると、笠奈は私の頭を撫で始めた。目を開けると、笠奈の顔がすぐそばにあった。私の目を見ながら「ごめんね」と言った。どうして謝るのか尋ねると「だって悲壮感満載なんだもん」と笑った。

「疲れただけだよ」と私は強がった。

「どうしてさ」笠奈が私の肩に手を置いて尋ねる。声が、ゆっくりとささやくようなものに変わっている。

「観覧車の中でキスしてくれなかったの? わたし、待ってたのに」

私が散々迷った場面だった。

「ごめん、いっぱいいっぱいだった」

「じゃあ今して」

笠奈の体に手をまわし、改めて唇を重ねた。離れると、笠奈の方が重ねてくる。笠奈は目を瞑りながら、私の耳や背中や胸を触った。私もそれを真似して笠奈の体中を触る。服の中に手を入れる。ときどき笠奈がくすぐったそうに体をよじるが、声は出さない。


「次はちゃんと行こうね」

そう言って笠奈は車を降りた。私は車の窓を開け、遠回りをして帰ることにした。

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