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笠奈が兼山と別れるのは、かかってもせいぜい1~2週間くらいのものと思っていた。笠奈の気持ちは確認できているし、本人にプレッシャーをかけても仕方がないので、こちらからの連絡は控えるようにした。


しかし電話は一向に鳴る気配がなく、ついに1ヶ月が過ぎそうになっていた。私の頭は、マイナス方向の妄想で破裂しそうだった。もしかしたら兼山に泣きつかれて笠奈の情が移ってしまったのかもしれない。そう考えるともう居ても立ってもいられなくなって、着信履歴から笠奈の番号を呼び出しそうになるが、完全な推測である事に気付き、思いとどまる。というのを毎日のように繰り返す。


冷静になって現時点で確実に言える事のみを残していくと、結局笠奈の気持ちが私か兼山のどちらに傾くかについては、笠奈の個人的な問題であり、私は一切介在できないということだった。つまり私が電話して「君を愛してる」と言っても言わなくても、笠奈が兼山を愛していれば、もうどうしようもないのだ。例えその時笠奈が「私も愛してる」と言っても、いずれは離れて行く。となれば私がここまで何もせずに指をくわえて待っているのは、間抜けかもしれないが、間違ってはいない。笠奈の「待ってて」という言葉を忠実に守っているだけだ。私は笠奈を信頼している。信頼している、というのは笠奈が信頼に値するかどうかよりも、私自身の気持ちがどこまで純粋になれるの問題なのだ。


色んなことが少しずつ変わっていった。笠奈はもう私がミキちゃんを見送る場面に、顔を出して来ない。まともな会話どころか、たまに姿を見かけるくらいになった。笠奈は白とピンクの中間の春用のコートを身につけているが、首元まで隠れていてよそよそしく感じる。私のテンションで察したのか、ミキちゃんも笠奈の名前を出さないようになった。私は何度も、笠奈に振られてしまった事をミキちゃんに報告しようかと思った。笠奈が返事をくれない苦悩を、素直に打ち明けようかとも思ったが、なんだか卑怯な気がしてやめた。ミキちゃんが笠奈の名前を出さなくなったのは、笠奈の方がミキちゃんに何かを知らせたからという可能性もある。だとしたら私が何かを漏らせば、ミキちゃんは板挟みになってしまう。


1ヶ月が経ったところで笠奈に電話をかけた。いい加減時間切れだし、私の方も振られる覚悟ができていた。笠奈の中ではもうとっくに終わった事になっているのかもしれない。「言ってなかったっけ?」とあっけらかんと言うかもしれない。ひどい女だがむしろその方が気持ちも晴れ晴れする。


「電話できなくて、ごめんなさい」

予想に反して笠奈はまず私に、謝罪の言葉をかけた。そして「付き合おうよ」と一気に話が進んでしまった。拍子抜けだ。ここまで間が空いたが理由も兼山も全部すっ飛ばされた。確かに笠奈はそういう女だが、やはり確認すべき所は聞きたい。

「兼山は?」

「もういいんだ、別に」

答えになっていない。私はそれはつまりどういう事?と聞きたいが、笠奈の言葉には、何か反論を許さない雰囲気があった。声は明らかに疲れている。笠奈は私が電話をして声を聞かせて、初めて私の存在を思い出したんじゃないかという気がした。

「ごめんね。君が納得してないのはわかるよ。なんか色々あって、ちょっと今、混乱してるんだ。もっと早く電話したかったけど、うまく言える自信がなくて。だけど、君の事好きなのは嘘じゃないよ。久しぶりに声聞けて、なんかほっとして涙出そうだし。こんな女だけど、よろしくお願いします」

私が黙っていると、笠奈は一気にそう言った。何か言い訳がましかったが、確かに涙声だった。私はもう別に嘘でもなんでもいいやという気になっていた。笠奈が本当は私の事をどう思っているかは、いずれわかる事だ。

電話を切る直前になって笠奈は「これからは塾の中ではあまり会話をしないようにしよう。兼山は私と君が付き合う事は知らないけど、塾の男をみんな疑ってるから」と注意した。その言葉が1番リアルで、私はその時になってようやくこの女と付き合うんだという実感が湧いた。



以前からそうだったが、笠奈は熱心にメールや電話をする女ではなかった。兼山に気づかれないようにと、塾でも声を交わすことはない。だが、これまではミキちゃんのことなどを普通に会話していたのに、これではかえって訳ありっぽくて怪しくないだろうか。そう思い声をかけてみると、きつく睨まれてしまった。


私と笠奈は付き合う前よりも疎遠になり、私はかつての気軽に声をかけあって居酒屋へ行っていた頃が、恋しくなった。飲みに誘うのなんて、別に難しい事ではないし、一応正式には付き合ってる関係なんだから、そのハードルは本来ならもっと下がるのが当然だ。なのにどういうわけか、笠奈の都合とか感情とか、そういうことを考えてしまって二の足を踏んでしまう。距離が縮まると相手のことが見え過ぎて、かえって気を遣い過ぎてしまうのかもしれない。笠奈は教職を取っていて、毎日レポートやら宿題に追われている。電話で話すと、今週締め切りの提出物が3つあるなんて言ってる時もある。私が大学へ行ってた頃とはまるで違う。私の頃はもっとのんびりしていて、日に必ずどこかの授業はサボったし、登録した単位の半分もとれない年もあった


ようやく2人で出掛けようという話になったのは、付き合い始めて1ヶ月が経った頃だった。いつのまにか梅雨に入り、デート日和には程遠い天気の日が続いていた。それでも笠奈からどこに行く? と聞かれると「お台場がいい」と即答した。笠奈の反応は微妙だったが「観覧車乗ったら楽しいかもね」と徐々にテンションが上がってきた。笠奈は以前夜中にドライブした時に、昼のお台場に行こうと言ったことなんかとっくに忘れているのだ。もちろんそのことを指摘すればすぐに思い出すだろうが、私は特に触れなかった。

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