10
帰り道は2人とも自転車だった。秋が深まって風が冷たくなり、ジャケット1枚では肌寒い。昼間との寒暖差が大きく厄介な季節だ。「酔いも覚める」と2人で文句を言いながら向かい風に自転車を走らせた。暗闇の中で落ち葉が舞っている。n号線に出る交差点で信号に捕まった。
「てかさ、こうやって2人で飲んでて、彼氏とか怒らないの?」
「うーん」
笠奈の恋人の有無について聞くのは初めてだった。が、2人で飲んでいても、笠奈の携帯はよく鳴り、時には私の目の前で、手早くメールを返している時もあった。
「もしかして俺と飲んでるのは内緒にしてるの?」
「まあ言ってはいないけど......」
笠奈には珍しく、歯切れが悪い反応をする。私は北風に紛らせるように、息をつく。耳が冷たい。歩行者信号は速やかに青に変わって欲しい。ここに立ち止まっているのは嫌だ。
笠奈にとっては、単に飲み友達が欲しかったというだけの話だ。できれば異性の。普通に考えれば、恋人がいるのに男と2人で飲みに行くということはあまりしない。邪推をすれば、もしかしてちょっとした倦怠期に入り、刺激が欲しいのかもしれない。寂しさを紛らわすと同時に、相手を心配させたいのかもしれない。
「彼氏ってどんな人?」とか「やさしい?」とか陳腐な質問を繰り出したいところだったが、笠奈が言いづらそうにしているので、黙っていることにした。笠奈の自転車の籠には、茶色いバッグが入っていたが、ふと見ると隙間から青緑の光が漏れていた。メールか電話か、何かを受信したのだろう。笠奈はそれに気付かないふりをしている。正面を向き、道の向こうの小さな祠を見ていた。子どもの頃からあるもので、岩の部分は年月によって削られ、全体的に丸みを帯びている。n号線がどれくらい古い道路なのかは知らないが、この場所で何か良くない事が起こり、それを鎮めるために建てられたのだろうか。
そのうちに信号が青に変わり、私たちは同時にペダルを漕ぎ出した。車道の方が少し盛り上がっているためにペダルは重く、最初の何メートルかはふらふらする。
「好きな人とかいる?」
その翌々日の授業の時、ミキちゃんに聞いてみた。いい加減はっきりさせたかった問題だった。
「え? 何ですかいきなり」
「今日ミスが多いから、好きな人のこと考えてるのかなーって」
そんなのは全くのでたらめで、たまたま図形の応用問題をやっていたから、間違いが多かっただけである。ミキちゃんは一度机に置いた黄色いシャーペンを手に取り、右手でペン先を持つと左手を軽く叩いた。ぺちぺちという音がして、何かをカウントしているように聞こえた。そして「いるよ」と私の方を見て言った。
「ていうか、付き合ってるんだ、サッカー部の人」
残念ながら私はサッカー部ではなかった。中学の時に、テニス部に入ったが顧問が嫌いで半年でやめた。運動全般が得意ではない。
「いいね。サッカー部なんてかっこいいじゃん」
私はショックを受けたが、同時に安堵もしていた。「まだ付き合って2週間なんだけど」
ミキちゃんは右の耳たぶを触りながら教えてくれた。ピアスも何もついていない、純粋無垢な耳たぶだ。触りすぎたせいか、赤くなっている。
それから、サッカー部の彼のパーソナル情報を聞きまくり、私も男心についてレクチャーした。彼は隣のクラスで、とりあえずつき合っているのを知られたくないから、帰り道はとりあえず別れて、後から彼がミキちゃんの家のそばまでくるらしい。薄暗い中、近くの公園で話をする流れだそうだ。
休憩時間が終わったので、そのまま授業を再開しようとしたら、やはり今度はミキちゃんの方から
「先生は?彼女とかいないの?」
と聞いてきた。何のお作法かは知らないが、この手の話をすると「じゃあそっちは?」となるのが常だ。
「いないよ。ていうかこの前振られちゃった」
実際に振られたわけではないが、もうそれでいいと思っていた。ミキちゃんは、困ったような顔をしたので「まあそうなると思ってたから仕方ないよ」と笑って言った。
「じゃあさ、笠奈先生と付き合っちゃえばいいじゃん。笠奈先生は先生のこと好きなんじゃないかなーって思うんだよね。私もお似合いだと思う」
「え?」
同じ教室内に笠奈もいるので、私は一瞬ひるんだ。ミキちゃんはお構いなしに一気にテンションを上げ、
「先生がいいなら私も協力してあげるよ」
とまで言い出した。黄色いシャーペンを指示棒のように振り回し、さっそく作戦のひとつか2つをプレゼンしそうな勢いだ。その様子から、ミキちゃんが前々から、私と笠奈が付き合うことを望んでいるんだと悟った。私は苦笑いするしかなかった。
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