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それから、笠奈と2人で飲みに行くのが頻繁になった。月に1、2回程度。初めのうちは、飲んだ後、もしかしたらホテルに流れることもあり得るかと、コンドームを財布に忍ばせたりしたが杞憂に終わった。木嶋や兼山にまつわるくだらない話や、ミキちゃんに関するシリアスな話をしながら酔っ払ってバイバイするのが常だった。作戦会議なんてまともなものが開かれるわけがなかった。


普段から塾でも顔を合わせているのだから、今更わざわざ一緒に飲む必要なんてない気もしたが、兼山に気兼ねせず、座って話せるのは気楽だった。一度店に入れば、短くても2時間はいられる。私も焦ってどんどん話をする必要もないし、笠奈も普段よりゆったり喋ってる気がした。甘えたような声になる時もある。酒が回ってくると、両肘をついて、ほとんど金に近い髪に指をくるくる絡ませるのが癖だった。目もうつろになってくるので、眠いの? と聞くと「眠くない」と目を見開いて、こっちを見るのがお決まりのパターンだった。私はその瞬間が好きだった。


笠奈は大学では教職を取っていて、英語の教師になるのが夢というか、目標だった。母親が学生時代に、イギリスに留学していて、幼い頃から英語に親しんでいた。何か喋ってよ、と言うと「ハロー」と手を振ってきた。確かにそれっぽい発音だったが、私は馬鹿にされたような気がして、笠奈の「ハロー」をふざけて真似したら、頭を叩かれた。


チャンスがあれば、自分もアメリカかオーストラリアにホームステイがしたい、と笠奈は語った。大学内で、そういうカリキュラムがあって、定員に入れれば行けるらしい。費用はこっちで持たなければいけないので、親に話をつけてあるが、こちらでも少しは負担しようと思いバイトを始めたのだった。それで見つけたのが今の学習塾であり、教師を目指す笠奈としては、子どもに勉強を教える経験にもなって、一石二鳥となる。

笠奈はそんな話をなんでもない事のように話した。たまに煙草に火をつけて、煙を横に吐き出しながら。煙草の銘柄はキャスターだった。白の刺しゅう入りの入れ物と全くデザインが合ってない。禁煙の話はもうしない。


「でもそんな髪の色だと教師って感じしないよね」

笠奈に煙草を1本もらい、火をつけながら言った。煙草はひどくまずい。

「だって今だけじゃん。こんな風にできるの」

笠奈は前髪をつまみながら真面目に答えた。おでこにシワが寄る。上目遣いになって広くなった白目は、若干赤い。


飲み会を数回重ねるうちに、私は笠奈に引け目を感じるようになった。笠奈を知れば知る程、最初の印象とは違ってきた。高校時代は、陸上部で県大会3位に入ったこともあるし、大学ではボランティアサークルに入り、障害児の面倒を見ている。一方の私は語るべきもない大学生活を送り、そして卒業した今でもまともな職につこうとしない。かつて就職活動のときには会社のためにがんばるなんて理解ができなかったが、がんばる対象が見つからないのは不幸だった。

「もうすぐTOEICがあるからね。今日は図書館でずっと勉強してたんだ」

私も授業でTOEICを受けたことがあったが、おぼえているのはTOEICは白紙で出しても0点にならないということくらいだった。あと講師がリーゼントで怖かったくらい。


笠奈はファジーネーブルのさくらんぼをつまみ上げて、片肘をつき、ぼんやりとそれを眺めている。眠くないと言っていたが、疲れてはいるのだろう。昼間訳した英文を、頭の中で反芻しているのかもしれない。今日は私から声をかけたから、もしかしたら笠奈的には、あまり気乗りしなかったのかもしれない。


何故そんな事を考えてしまうのか。私も酔っ払っているからだろう。大丈夫。ちゃんと自覚している。目の前にいる笠奈に、私は自分を投影しているのだ。本来あるべき自分。こうであってほしい自分。笠奈の姿をした私が、尋ねてくる。

「あなたはこの先どうしたいの?」

「わからない」

と私は答える。だが、それは嘘だ。私にはわかっている。そして当然ながら、目の前の笠奈にもそれはわかっている。だってそれは自分なのだから。このまま黙っていたら「本当はわかってるくせに」と馬鹿にされ、見下されるだろう。どうにかそれを防ぎたくて、私は何か目先を逸らす言葉を探す。

「どうしたいか? ......そうだね、例えば君と寝たい」

笠奈が吹き出す。普段は見る事のできない、酔っぱらいのする下品な笑いだ。目を細め口をすぼめ、手を振り回す。指先がテーブルにぶつかり、その拍子に持っていたさくらんぼが手からこぼれ、笠奈の目の前の受け皿に落ちる。それは、さっきまでサラダが盛られていたが今は空で、和風ドレッシングの残っているだけだ。その和風ドレッシングの水たまりの真ん中にさくらんぼは着水し、跳ねた水滴の1つが笠奈のクリーム色のカーディガンについた。笠奈はまだ笑っていて、そのことに気付かない。私も教えてやるつもりはない。

「私としたいなら、してもいいよ。でも、でっきるかな~?」

身を乗り出し、バラエティ番組みたいなノリで、笠奈が挑発してくる。こちらが前かがみになれば、口づけのできる距離だ。私は僅かな笑みを浮かべ、笠奈の目をまっすぐ見て、可能な限り落ち着き払った口調で答える。

「できるよ」

「無理だって」

笠奈は座りなおして背もたれに寄りかかり、煙草を1本取り出して口に加えようとする。が、指先が震えて落としてしまう。そのまま顔を下に向ける。肩が震えている。笑っているのだ。段々と震えは大きくなり、笠奈はついに声を出して笑い出す。一度笑い出すと、歯止めが効かなくなったのか、音量がどんどん上がっていく。机をどんどん叩きが、ファジーネーブルの細いグラスが倒れる。テーブルの上にはサラダと唐揚げとマグロのユッケの皿があってその隙間を黄色い液体が流れていく。酔っ払いめ。私はすぐに店員に布巾を持ってきてもらおうと声を出すが、笠奈が静止する。

「君は、だからダメなんだよ」

「意味わかんねーよ」

「私が好きなら、24時間いつだって私のことを考えなきゃダメだって。君は体裁を考えすぎ。一体、何を気にしてんの? 何から逃げてるの?」

「逃げてない」

「逃げてる」

「逃げてない」

「じゃあそれでいいよ」

「逃げてるのそっちじゃねーか」

いつのまにか私の声も大きくなっている。いったん気持ちを落ち着けるためにトイレに行きたいが、それこそ逃げているみたいで動けない。上を見上げると天井からつり下がった照明の笠が大きく揺れている。笠奈がふざけて揺らしているのだ。いい加減にしろよ、と注意しようと笠奈を睨むが、そこに笠奈はいない。トイレにでも行ったのか。辺りを見回そうとすると何かが顔にあたる。


「寝ちゃった?」

気がつくと笠奈が私の顔を覗き込んでいる。その気になれば、口づけのできる距離だ。事態が飲み込めない。テーブルの上には皿や飲みかけのグラスが、何事もなかったかのように並んでいる。店内には、低い音量でジャズが流れている。店内は空いている。店員は何事もないように行ったり来たりしている。


ファジーネーブルも、細長いグラスがどこまでも頼りなく見えるが、倒れてはいない。さくらんぼは笠奈の手からぶら下がって、左右に揺れている。クリーム色のカーディガンには、染みひとつない。

「本当に寝ちゃうとは。今こうやって、『催眠術~』てやってたんだよ」

そう言って笠奈はさくらんぼを私の鼻先に、押し付けてくる。さっきもそうやって起こしたに違いない。

「飲みすぎちゃった? それとも、疲れてるのかな?」

私の記憶では、笠奈の方がぼんやりしていた。なのに今ははしゃぎまくっている。子どものように、と形容したいくらいに。信じられないことだが、私は笠奈の目の前で寝入って、夢まで見ていたのだ。私は、疲れているのだろうか。


笠奈はメニューを取り出し、デザートを物色している。大学芋かバニラアイスかで迷っている。右手には、まださくらんぼがあったが、私はそっと手を近づけるとひったくり、間髪入れずにそれを口に入れた。


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