6
葉村の車は、私の車のすぐそばにあった。駅前でなおかつ夜中でもタダで停められる駐車場なんて、限られている。シルバーのプリメーラ。聞いてもいないのに「親の車なんすよ」と言ってきた。本人の車だとしたら、私が憤慨するとでも思ったのだろうか。それより気になるのは、葉村がどのくらい酔っているのかという問題だ。思い返す限り、私と同じくらい飲んでいた気がする。生ビール中ジョッキで2杯、その他チューハイ2杯くらい。葉村のアルコール耐性については、今日が初見なので、判断のしようがないが、仮に私なら、運転できないことはないが、遠くまで行く気にはならないというレベルだ。お台場なら普通に2時間はかかりそうだが夜中ならもっと早いのか。しかも笠奈の思いつきで決行となったが、大丈夫なのだろうか? 自然と男が前、女が後ろ、となった席順で、私は隣の運転手に
「てか、大丈夫なの?」
と率直に聞いてみる。
「あ、大丈夫ですよ。そんな飲んでないです」
軽い。本人が大丈夫、というのなら、大丈夫なのだろう。なんて思うのは、私も酔っているからだろうか。
ほとんどひと呼吸で、n号線へ出る。片手ハンドルで運転する葉村はなんだか頼もしい。おそらく車の運転が好きなんだろう。大して会話もしないまま、一気に街外れまでくる。ちょうど私の家のすぐ近くだ。街の外は、私にとっては未知の世界だ。というのも、私が車を運転するは、だいたいは市内で、都内に行きたかったら電車を利用する。今通過しているのは、私の家からわずか数キロの町だが、私にとっては別の惑星にも等しく、目に映る光景が新鮮だった。このW町は田んぼばかり広がる農村地帯で、夜中で荒涼とした感じは想像上の火星の表面を連想させる。さしずめ葉村のプリメーラは小型探索機と言ったところか。n号線は、火星唯一の安全航路だ。ここを外れると、どんな危険が待ち受けているかわからない。山の向こうからインディアンが襲撃してくるかもしれない。いつのまに西部開拓時代へワープしたのか。
本当なら窓ガラスに顔を押し付けて、火星人探索に乗り出したいところだが、我慢して、ちゃんと前を向いている。我々の他に走っている車はほとんどいない。少し先に青信号があって、さらにしばらく向こうの信号は赤だ。道はまっすぐで障害物は何もない。車内は、後部座席の女子たちが自分たちだけで勝手に盛り上がっている。私も葉村に話しかける。
「どのくらいかかるかな?」
「1時間ですかねえ」
「そんなに早くつくか?」
本当はどのくらいかかるのが普通なのかわからない。
「まあ週末にしては空いてますし」
そう言って葉山はアクセルを踏み込む。ちょうど速度検知器のゲートをくぐり抜けたところだ。スピードに比例して運転は荒くなる。だからと言って信号無視まではしない。一気にブレーキをかけると、体よりも先に内蔵が前につんのめりそうになる。不快だ。私は身を硬くして、出来るだけ前の風景から目を逸らさないようにして、ブレーキのタイミングを予測するよう心がける。あと、大切なのは楽しい会話。
「二階堂さん」
と私は声をかける。斜め後ろの二階堂は「はいはい」と身を乗り出す。
「二階堂さんて、どこの大学だっけ?」
別にどこの大学だろうが、知ったこっちゃないが、それくらいしか話すことが思いつかないのだ。
「えー。さっきo大って教えてあげたじゃん。もう忘れたの?」
という声が私の真後ろから聞こえる。そう言われてみると、笠奈から、二階堂ちゃんはo大の福祉情報学科だよとか聞いたような気がする。私が福祉情報って何?と聞くと「知らない」と即答されたのだ。笠奈はとりあえず、手短に答える癖がある。私はとりあえず会話のきっかけがほしいだけなのに、どうして出会い頭に鼻っ面を、殴られるようなことをされなければならないのか。笠奈が鬱陶しい。なんて思ったのが伝わったのか、笠奈は突然私の首を締めてくる。笠奈の手は熱くも冷たくもない。ただ柔らかいだけだ。力はこめられていないが、爪を立てている。
「この野郎、二階堂ちゃん口説こうとしてんな」
葉村と二階堂が爆笑している。暴力的になるのも恒例なのか。
「お前、酔っ払ってんの?」
首にかかった手を振りほどこうとすると、笠奈は勢いよく引っ込めた。
「さわんないで」
そう言った笠奈は、今度は二階堂に抱きつく。バックミラー越しに笠奈と目が合う。暗がりで笠奈の目は真っ黒だ。
「二階堂ちゃんはあたしが守ってあげるからねー。あのね、二階堂ちゃん、この人ミキちゃんにも手を出そうとしてんだよ。このロリコン!」
そこまで言われたら、私だって黙ってはいられない。「んなわけねーだろ」
「ていうか、ミキちゃんは、俺の授業の方がわかりやすくて楽しいみたい。それに笠奈はヤキモチ焼いてるんだよね」
「ばか! そんなわけないじゃん。ミキちゃんは私小学6年の時から見てんだからね。好きな人とかだって知ってんだから」
「ふーん。そうなんだ」
「なにその言い方。すごいムカつくんですけど」
「じゃあ2学期から数学は講師変わってもらったら? 笠奈さん、数学は苦手でしょ?」
葉村がこっちの味方についた。反論の言葉の尽きた笠奈はは私の頭を後ろからこづき「二階堂ちゃーん、みんながわたしをいじめる」と泣き声を出してまた抱きつく。
橋を渡った時点で、風景が変わり、ガソリンスタンドやレストランが道路脇に出てくるようになってきた。車の量も徐々に増えてきた。笠奈はさっきまでの大騒ぎで疲れたのか、静かになっている。代わりに今度は二階堂が話を始める。
「葉村さんて生徒さんと恋話したりする?」
「俺の生徒、生意気にも彼女いるんだよね」
「えー」
葉村は「生意気」と言ったが、葉村の生徒は高校生だった。それならまあ、生意気とも言い切れない気もする。「でもそいつの彼女、大学生なんだよね」訂正。やっぱり生意気だ。
私もなんとか話に入りたかったが、そもそも自分の生徒とそんな話をした事がなかった。顔は悪くもないから、恋人の1人や2人いるのかもしれない。今度休憩時間に聞いてみるか。
「ていうか彼女とかいるの?」
といきなり笠奈が割り込んで私に聞いてくる。私は「いないよー」と陽気に答える。「あ、そう」と笠奈はドライな反応を返す。聞いておいてこれか。何か試されていたんだろうか。「彼女は7人いるよ。曜日毎に取り替えるシステムなんだ」という答えでも期待していたのかもしれない。場は一気に白ける。なんだか私が悪いみたいだ。とりあえず「そんじゃ笠奈は?」と聞き返そうとするが、なんとなく躊躇してしまった。
右車線の先に、突然派手なネオンを背負った緊急車両が見え、みんながそれに釘付けになった。「事故かな」と葉村つぶやくと、笠奈も二階堂も身を乗り出してきた。何人かの警察官の先に、期待通りボンネットがぺちゃんこになったセダンが見えた。一台しかいないから、どこかへ突っ込んだのか。運転手は見えない。おそらくすでに救急車で運ばれて、あとはレッカーが来て車をどかすだけだ。後部座席から悲鳴が聞こえ、葉村も「すげーな」と声をもらす。私は砕け散ったフロントガラスに目を奪われるが、そこまで集中できない。この目の前でうろうろしている警官が、突然飲酒検問を始めたらと思うと気が気じゃなかった。まだ出発して30分しか経っていない。葉村たちに気にしている様子はない。二階堂が、そうそう事故と言えばと、先日ショッピングセンターの駐車場で壁に車を擦ったエピソードを披露し、みんなが大騒ぎする。
やがて分岐を知らせる青い表示板が、頭上に頻繁に現れたと思うと、川の下流のように道全体が広がった。巨大な交差点を左折してジャンクションを通過すると、片道3車線の道路になった。もうそこらn号線ではない。果てしなく並ぶブレーキランプの赤が、まさに大動脈を流れる血液を連想させる。流れは緩慢で、葉村は車線変更を繰り返し、できるだけ前のポジションをキープしようとする。それでも頻繁に出現する信号に、何度も足止めを食わされ、車内の空気もそれに呼応するように、重い感じになった。
しばらくその状態が続くとどこからともなく現れた高架が道路の真上にかかり、延々と夜空を塞いでいく。大蛇の腹を思わせる高架は圧迫感を与え、私は再び胸のむかつきを覚えた。緑色の表示が頻繁に現れ、大蛇の正体は首都高だとわかる。
いくつかの入り口をやり過ごし、ようやくT市に入った所で坂を上がり、料金所のゲートをくぐる。葉村の車は、水を得た魚のようにぐんぐんとスピードを上げる。先程までの圧迫感から開放されたのだから、当然爽快であるはずだが、それも最初の数分で、途中からカーブが増えてうんざりした。首都高を走るドライバーは、有料なんだから払った分早く目的地につかねばならない、という切迫感に駆られてアクセルを踏み込む。葉村は結構きついカーブでもブレーキはほとんど踏まない。くの字の赤いカーブ表示が目前に迫る度に、私は肝を冷やした。葉村も表情こそ涼しいが、口数は減り、左手はシフトレバーを強く握り締めている。私は少し後悔し始めていた。
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