第二話 常夜の国(2)
その日の王城の最初の政務は、王の召喚訊問だった。
言うまでもなく、ヒトリに対するものである。
ヒトリはジークとセリーヌに連れられ、王城の謁見の間に召喚された。
大広間は、光鉱石の灯篭の青白い明りでぼんやりと照らされていた。
ヒトリはジークとセリーヌに付き添われながら、広間の真ん中の通路をゆっくりと歩いてくると、彼女のすぐ後ろに付き従うセリーヌの指示に従い、玉座まで半分ほど近づいたところで足を止め、その場にひざまずいた。
「顔を上げよ」
側近であるヴェルクスを脇に控えさせながら、黒の王グランヴァールが威厳ある重厚な声で告げる。ヒトリはジークとセリーヌに背を守られながら、おそるおそる顔を上げた。
「ヒトリ・ナハティガル。お前にはいくつか訊ねたいことがある」
グランヴァールはそう前置きし、ヒトリを見た。
ヒトリは黒王の目をじっと見ていた。畏れを含みながら意志を宿したその眼差しは、何かを訴えようとしているように見えた。
グランヴァールはそれを見取った。そして言った。
「何か言いたげだな」
え、とヒトリから思わず声が漏れた。図星だったらしいと見抜き、グランヴァールは、ふ、と小さく笑う。
「言いたいことがあるなら今のうちに言っておけ。胸に閊えを残したままでは、お互い満足に話も出来まい。遠慮することはない。俺は見かけによらず寛容だ」
グランヴァールは重厚な声音のまま、軽い調子で言う。
彼の漆黒の瞳に歪んだ闇を見なかったヒトリは、言葉を選んだ末に口を開いた。
「助けてくれて、ありがとうございました」
頭を下げたヒトリに、グランヴァールは、ふむ、と小さく唸った。
「心は受け取った。だが俺がそれで感謝されるのは少々筋違いだな。お前を助けたのは俺ではない。我が息子だ。礼なら後でそちらの方に言ってやれ」
グランヴァールはそう言って、ヒトリの背後に控えて立つジークを一瞥した。すでに礼は受け取っているのだが、とジークは思ったが、口には出さなかった。
「……はい」
ヒトリは小さく、しかし心を込めた声で返事をした。グランヴァールはそれを聞くと、表情を正す。
「言いたいことはそれだけか」
「…………」
ヒトリはすぐには答えなかった。何かまだ胸の閊えを残しているのを、グランヴァールの慧眼は見逃さなかった。
ヒトリは長いこと思考した末に、ためらいがちに口を開いた。
「この戦争は、いつになったら終わるんですか」
小さな声は、広間に小さく響いた。王も、王子も何も言わなかった。
それは無言の催促だった。それに促されるように、ヒトリは言葉を発していく。
「わたしのいた地方は、戦火に晒されることが絶えなかった。あなた達の――白と黒の戦いに巻き込まれて、土地を追われる人が今でもたくさんいる。わたしも、村と家族を失った」
己の身の上に起きた事実を、自らの感情と一致させながら、ヒトリは訴えた。
「あなた達には感謝してる。けど、こんな戦争は早く終わらせてほしい。もう、父さんも母さんも兄さんも……これ以上、大切な人が失われるのはいやです」
その言葉は、切実でありながら、押しつけがましい強硬さがなかった。助けられた事実を、彼女はちゃんと弁えている。強い意志がありながら一方的にならないその姿勢は天晴と言えた。
グランヴァールは、ふむ、と呟くとヒトリの目を見た。訴えるように見つめるその目は真っ直ぐな意志を宿しており、揺れることはなかった。
「なかなか真っ直ぐな娘だな。気に入ったぞ、ヒトリ・ナハティガル」
喜色を含んだ声でグランヴァールは言い、さらに続けた。
「お前の訴えは聞き届けた。それについて、俺からも話せることがある。これからの話は、お前の願いを汲んだものとして聞いてもらいたい。戦争を終わらせるというお前の願いは、ある意味では私の願いでもある。その上で、俺の話を聞け」
「……はい」
ヒトリはグランヴァールの目を真っ直ぐ見ながら返事を返す。グランヴァールはその視線を受け止めながら話を始めた。
「我が黒夜の国と、対岸の白夜の国の戦いが、今から二百年ほど前に端を発することは知っているか」
「詳しくはわからないですけど……昔、母さんが話してくれたことなら」
「ほう。どんな話だ」
グランヴァールの訊ねに、ヒトリはわずかな間を置いて答えた。
「星の鳥が去って、この世界は時を止めて、光を失ってしまった――そんな感じの昔話。この星を動かしていた星の鳥がいなくなって、この世界は動きを止めてしまったんだって。だから、ここの空の景色はいつになっても変わらないんだって。それで、白と黒の二つの国は互いに失ったものを相手の方に求めて奪い合う戦いをしているって……そう母さんは話してくれました」
「ほとんど正しいな。そう、まさにそれがこの世界の現状、そして両国の戦争に至る事実だ」
ヒトリの話に答えるように、グランヴァールは語った。
「我らが国境を巡って争っているのは、ひとえにこの世界が動きを止めたからに他ならない。二百年前に起きた何らかの異常により、我らは世界を照らしていた天陽の巡りを失った。そして、我らの先祖はその世界変容の原因を対立勢力であった相手側に押し付け、憂さ晴らしのための進軍を始めた。これが現在まで続くこの戦争の始まりだ。そして今も互いに譲る機の見えないまま、不毛な対立は続いている」
グランヴァールは重厚な声で、誇張も虚妄もなく淡々と告げる。
「だが、俺はそんな旧代のやり方に固執することはないと思っている。他に道があるならば、そちらを進むこともできるはずだからな。俺が今考えているのは、その今とは違う道のことだ。そしてお前に話そうとしていたのも、そのためのことだ」
「わたしが宿している、あの子の力のことですか」
「そうだ」
恐る恐る答えたヒトリに、グランヴァールは包み隠さずに言った。
「この世界が動きを止めたことで、世界は天陽の巡りの恩恵を失い、それを発端に争いが起きている。ならば、この世界が再び動き出し天陽の恩恵が戻れば、少なくともそれを巡る戦争の理由はなくなる」
単純な理屈ではな、とグランヴァールは言う。
「そうなるとそこに必要になってくるのが、星を動かすための方策だ。そしてそのカギとなるのは、お前も知っているその伝説と、そこに登場する『それ』だ」
「星の、鳥……」
ヒトリは呟く。グランヴァールは重く一つ頷いた。
「昨日ジークが報告したところからしても、お前がその身に宿している影霊が伝説の星の鳥である可能性は十分にある。だとすれば、それはこの世界を動かすための鍵となりうる」
「…………」
グランヴァールの言葉に、ヒトリは俯いた。何かを恐れているようだった。
グランヴァールは、そんなヒトリの恐れを消し去るように言った。
「ジークから話は聞いた。俺はこれの父親だ。ヒトリ。息子に劣る王がいると思うか」
「え……」
その言葉に、ヒトリは思わず顔を上げていた。グランヴァールは面白げに笑ってみせる。
「ジークにも同じような心配をされた。どうやら俺は思った以上に強面に思われているらしい」
グランヴァールの冗句に、彼の前に控えているヒトリとその背に控えるジークは決まり悪げな顔になり、玉座の傍らに控えるヴェルクスとヒトリの後ろに付き従うセリーヌはそろってクスクスと小さく笑った。それらの反応を耳にしながら、グランヴァールは寛容な強面で改めるように言う。
「お前の力が世界を動かす鍵になるとしても、そのためにお前の意志や命を犠牲にするようなことは、俺の王としての誇りが許さん。協力の如何にかかわらず、お前の身の安全は、この城と国の主である俺が責任を持って守る。自らの思惑で客人を振り回すほど俺は無粋ではない。約束しよう」
グランヴァールの言葉は、威厳と共に誠意に満ちていた。ヒトリはそれを聞いて目を丸くしていたが、ぼそりと呟いた。
「ジークも」
「ん?」
「ジークも、同じことを言ってました」
ヒトリのその言葉に、そうか、とグランヴァールはどこか満足げな笑みを浮かべてみせた。
「それはそうだろう。俺の息子だからな」
真顔で言ったグランヴァールに、ジークとヴェルクス、セリーヌは先程と同じ反応をした。それを聞きながら、改めてグランヴァールはヒトリに言う。
「ヒトリ・ナハティガル。客人として、そして協力者として、丁重に扱うことを約束しよう。その上で、世界を変えるため、この国に夜明けをもたらすために、力を貸してくれ」
ヒトリは顔を上げて黒の王を見た。その言葉は確かな力に満ち満ちていて、信じるに足るものだった。ヒトリは、心の中の畏れがひとつ消え去るのを感じた。
「わかりました。わたしが、力になれることなら」
ヒトリは、心を込めた声で返した。それを聞いてグランヴァールは満足そうな顔をした。
ジークはその会話を隣で聞きながら、父王の威厳を、信念の力の強さを、改めて感じさせられていた。
その後、グランヴァールはヒトリにいくつかの質問をし、ヒトリは話せる限りでそれに答えた。グランヴァールが訊ねたのは、ヒトリの出身地、家族構成、住んでいた村の様子、彼女を捕らえようとしていた追手の様相、そして、彼女の内にあるという星の鳥についての問いだった。ヒトリは時折心苦しいことを思い出すのか、幾度か言葉を迷っていたが、時折ジークの方に視線を向け、ジークがそれを見返すと、思いを決めたように少しずつ話していた。
尋問を終えると、グランヴァールはセリーヌに付かせてヒトリを下がらせ、わずかな間、思案顔になっていたが、やがてふと傍に寄らせていたジークに訊いた。
「ジーク。ナハティガルという名に心当たりはないか」
グランヴァールの言葉に、ジークは頭の中を探ってみるが、思い当たるものはすぐには出てこなかった。星の鳥を宿したヒトリのことだから、かつて星霊学を学んだ際の知識の中にでも何か引っかかるものがあるかもしれないと思ったが。
「いえ……不勉強です」
「そうか。気にするな」
グランヴァールはそう言ってまた思案顔に戻る。そこにヴェルクスが訊いた。
「何か、その名前に気になることでも?」
「いや……もしもあの娘が本当に星の鳥を宿した一族の者であるとしたら、その名前を我が黒の王家が知らないことはないかと思ってな」
「どういうことですか?」
重ねて訊ねたジークに、グランヴァールは答えた。
「お前も知っていると思うが、我ら黒の王家は二百年前の《星災》以来、純血たる黒の霊をその身に宿すようになった一族だ。そして、我らのように星霊を宿す一族は、我ら以外にもこのメルティジオルに存在している。我らの対岸――白の霊を受け継ぐ白の王家のようにな」
その話を聞いて、ジークはグランヴァールの気になっていることが見えてきた。
「ヒトリも我らのような、星霊を宿している純血の『王』たる一族である、ということですか?」
「そんな気がしていたのだがな。少なくとも、俺が知っている『星霊の一族』の系図の中に、ナハティガルという名はなかった。俺が知らないだけかもしれんがな」
グランヴァールの言葉に、ジークはふと頭の中に疑問が起こるのを感じた。
黒夜の王であるグランヴァールは、自分よりもよほどメルティジオルの世情を熟知している。それこそ、各王家や霊神族の系譜や事情についてもだ。その父王が、星霊である星の鳥を宿した者の名前を知らないということは――可能性として考えられるのは。
(ナハティガルという名は、ヒトリの本名ではない……?)
訝しい思いを抱いたジークの対岸から、ヴェルクスが言う。
「俺達のような王家と違って、星霊の一族は国を持たず、小さな集落や部族単位で各地に散らばって存続していると聞きます。星の鳥の宿主が長い間見つからなかったのは、そのせいもあるんでしょう」
「かもしれんな。いずれにせよ、この先あの娘に関わっていけば判明することだろう。ジーク、ヴェルクス。ここはもういい。あの娘の傍に行ってやれ」
「わかりました」
ヴェルクスの言葉に頷き、グランヴァールはジークとヴェルクスを下がらせる。ジークは父王のその様子にどこか腑に落ちないものを感じつつ、ヴェルクスと共にヒトリの傍に急いだ。
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