第二話 常夜の国(1)

 翌日、ジークはいつものように天刻六時きっかりに目を覚ました。 

 一晩置いても、外の景色は当然のように一切変わりがない。黒夜の国においては、目覚めの朝もまた闇夜の中である。人は培われた時間感覚に従い、夜空の下に起き、夜空の中に眠る。

 ジークは窓の外に降り注ぐ空灯を見た後、ふと反対側に顔を向けて、気付いた。

 隣では、ヒトリがジークに寄り添うようにしてまだすぅすぅと心地の良さそうな寝息を立てている。安らかな寝顔は、見ているジークをも穏やかな思いにさせた。

 が、同時にジークは懸念も覚える。

(どうしたものか)

 安らかな眠りを無理に起こすのも忍びないが、ジークにはこれから朝刻の修学や鍛練もある。それに、ジークの生活リズムを熟知しているセリーヌがいつ様子を見に来るかわからない。この現場を見つかったら、彼女に何と言われるか。ある意味、危険だ。

 やむを得ん、とベッドから降りるために毛布を剥ぐのと、ノックと共に扉が開いてセリーヌが顔を出したのは同時だった。

「おはようございます、ジーク様……」

 輝くようなプリティフェイスで愛する主を起こしに来たセリーヌは、その光景を目撃し、笑顔のままその場で固まった。

 ジークも、さすがに頭を抱えたくなった。

「……ん、ぅ?」

 毛布を剥がれた寒さか、寝ぼけた声でヒトリは目を覚ました。

 そして五分後、テーブルに就いた彼女はセリーヌの前で縮こまっていたのだった。

「まさか出逢ったその晩に姫様を寝床に連れ込むなんて……ジーク様もすっかり立派な殿方になっちゃって。お乳をあげていた頃から見守っていた私は嬉しいですよぉ。うふふふふ」

 セリーヌは何がそんなに嬉しいのか、浮き浮きとした調子で茶器を並べている。

「ジーク……こんな小さな子におっぱい貰ってたの?」

「真に受けるな。こいつの妄想に付き合っていては身が持たん」

 さらりと流そうとするジークに、茶器を抱えたセリーヌが不満気に言う。

「ひどいですよぉジーク様。これでもこの世の誰よりも一番昔からジーク様のお傍に付き従ってこの身心の全てを捧げてお慕いしてますのに」

「俺の世話をしてくれたのはお前の母親だろう。あの時はお前もまだ女児だったはずだ」

 にべもないジークの返答に、セリーヌは今度は拗ねたような顔をして、言った。

「ぐすっ……こんなに一心にジーク様に真心の愛を注いできたのに、こんな邪険に扱われるなんて……不肖セリーヌ、寂しくてお城の人達に愚痴っちゃうかもしれないです。寂しさで口が滑って、ジーク様の秘密とか口から零れちゃうかもしれませんよ?」

 しれっととんでもないことを言ってくる。冗談もここまで来ると笑えない。

 ジークは頭を掻くと、懇願するようにセリーヌに言う。

「悪かった。頼むから余計なことを吹聴しないでくれ。お前まで俺を困らせるな」

 ジークのその言葉に、セリーヌの耳がぴくりと反応する。そして、何を企んだのか、しおらしい表情になって、ジークに迫るように言った。

「ジーク様。セリーヌのこと、愛してます?」

 ジークは頭を抱えたくなった。この手のセリーヌには付き合うだけ疲れる。

「今更言うまでもないだろう。いいから早く朝の支度をしろ、セリーヌ」

「愛してます?」

 重ねて訊いてくるセリーヌの目は、確信犯の如くに期待で爛々と光っている。

 ジークは観念したような重いトーンで言った。

「愛してるよ」

「やった♡ すぐにお支度いたしますのでお待ちくださいね♡」

 セリーヌは上機嫌になって、鼻歌を歌いながら紅茶の支度を再開した。軽快に弾む腰元のメイドドレスのフリルがひらひらと揺れ、白い薄手のストッキングに覆われた細い足が調子の良いステップを刻んでいる。

「セリーヌさんって、積極的なんだね」

「行き過ぎる所が玉に瑕だがな」

 後ろで交わされたヒトリとジークの言葉に、セリーヌの鼻歌のトーンが一つ高くなった。

 その浮き立ったセリーヌの背中に、ジークはほとほと参りながら言葉をかけた。

「こうなった事情については説明したはずだ、セリーヌ。それ以上の意味はない」

「誤解されるようなことはない、と。でもねジーク様。誤解というのは本当の事実を知らない人が目の前の事実を読み違えることなんですよ」

 ティーセットの用意を終えたセリーヌは、ジークの方に向き直ると、真剣な目で言った。

「別に私はジーク様の自由を否定するつもりはありません。私の愛するジーク様は無思慮な行動に走ることはないと存じておりますし、むしろ祝福して差し上げたい思いでいっぱいですけど、ただ、ジーク様にも王子様としてのご身分があるのでそれを弁えていただかないと城の者にも国の皆様にも示しがつかないですので、どうしたものかと」

「わかった、セリーヌ。お前の言う通りだ。観念する。頼むから話を変に広げないでくれ」

「かしこまりました。ジーク様と私、二人きりの秘密ですね♡」

 頭を垂れたジークに、セリーヌは満足げに笑んだ。

 彼の隣ではヒトリが顔を赤らめて斜め下を向いていた。その様子を見たジークがセリーヌに言う。

「セリーヌ。やはりヒトリはこの格好では寒いだろう。上着を用意してやってくれ」

「かしこまりました。ヒトリ様、後で衣装室においでくださいますか? ジーク様をメロメロにできる可愛いお洋服を見繕って差し上げますので」

「大丈夫、寒くないよ、ジーク……本当だよ?」

 ジークの一日は、セリーヌの笑顔の下、何とも波乱を含んだ茶事から始まった。


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