第一話 星の鳥、黒の空へ(4)

 ジークが目を覚ますと、そこは自室のベッドだった。

(そうか……俺はセリーヌを助けて、あの娘の光に当てられたのか)

 頭が徐々に醒めていくと、自分の状況が思い出されてくる。

 あの時の感覚は、今でも鮮明に思い出せる。

 まるで、意識を何か――あの色に喰われていくような。

 そして、あの娘のその侵食を止めた時の、自分の中にいる何者かの黒い力が膨れあがる感覚も、ジークは思い出すことができた。

 いったい――あれはどういう現象だったのか。

「おはようございます。気が付かれましたね、ジーク様」

 声のした方に首を向けると、セリーヌが立っていた。

「先ほどはお助けいただいたようで、本当にありがとうございます」

「セリーヌ……もう、平気なのか」

「これでも伊達に王室とジーク様に長いことお仕えしてる身じゃありません。それに、ジーク様が倒れてらっしゃる時に私が倒れていられませんから」

 セリーヌはそう言うと、小さく尖った耳をぴょこんと跳ねさせた。ジークはそれを見てほっと安堵した。

 それよりも、とセリーヌは言った。

「ジーク様に、お客様ですよ」

「客?」

 ジークはそこまで言って、気付いた。

 セリーヌの後ろに控えている、少女のことに。

 くすんだ光色の髪をした少女は胸元と胴、それに腰回りを覆う金の刺繍の施された黒いレースのような軽装の服を着て、不安げな面持ちでうつむいている。

「どうです、可愛いでしょ? ジーク様のお客様なので、衣装選びも張りきっちゃいました。ちなみに、私の偵察部隊にいた頃の勝負装束なんですよ。寸法もピッタリでした」

「なぜそんな軽装なんだ。生地も薄いし、袖もない。そんな格好では寒いだろう」

 自慢の衣装の紹介をさらりとジークに流されて、セリーヌは少し不機嫌になる。

「お洋服を合わせさせていただいた時に、このお嬢様が動きやすい方がいいと仰いましたのでちょうどいいかと思いまして。私も最初は王妃様の若い頃お召しになっていた宮廷用の衣装とかご用意しようと思ってたんですけど」

「何を企んでいる、セリーヌ」

「そういうお話じゃないんですよぅ。可愛いでしょ? ねぇセクシーでしょジーク様?」

「俺もそういうことを話しているんじゃない」

 あっさりと流すジークに、自分の勝負衣装まで一様に伏せられたセリーヌは不満気に口を尖らせた。

 ジークは身を起してベッドから降り、セリーヌと少女の方に歩み寄る。セリーヌが身を脇によけ、ジークは少女と対面する形になった。

「寒くないか」

 ジークは端然と声をかける。少女はハッと顔を上げたが、すぐにまた目を伏せ、弱い声で答えた。

「……うん。それに、さっきの長いドレスより、こっちの方が動きやすい」

「俺は寒くないかと訊いたんだが。この黒夜の地にあって、寒さをしのぐことは重要な問題だ。俺が見る限り、狭間の地からこの黒夜の地に入って、そんな軽装で大丈夫とは思えない」

「……本当に、寒くないよ」

「そうか。ならばいい」

 ジークの言葉に、少女は顔を上げ、不安げな瞳でジークを見た。そしてわずかに逡巡した後、ためらいがちな声で言った。

「あの……ごめんなさい」

「何?」

 突然の謝罪に、ジークは面食らった。

「何を謝っている? 俺はお前に謝罪されるようなことをされた覚えはない」

「でも、さっき、わたしの力のせいで……」

「力?」

 その言葉を聞いた時、ジークは少女が何を言いたいのかを理解した。

 先程の件で、ジークとセリーヌが倒れたことへの謝罪。

 ――律儀な娘だ。

 ジークはそう思った。同時に、彼女に訊くべきことがいくつか浮かんだ。

 そのままわずかに二人は言葉の見つからない視線を交わしたが、やがてジークがふっと緊張を解いた。

「話には順序があるな。俺はジーク。お前の名は何という」

 ジークの砕けた態度に、少女もわずかに緊張を解いたらしい。

「……ヒトリ。ヒトリ・ナハティガル」

 少女――ヒトリの名乗りを聞いて、ジークは頷き、諭すように言った。

「ヒトリ。先程確かに俺は危険な状況に陥ったかもしれない。だが、こうして謝罪に来ている以上、あれはお前の意志によるものではないはずだ。ならば、お前に罪はない。

 それに、あの場に俺が入ったのはセリーヌを助けるための俺の意志でもある。何より、俺もセリーヌもお前も無事だ。結果的に無事で済んだ不慮の事故を無為に掘り返すこともない」

 ジークは淡々と告げる。ヒトリは呆気にとられてその言葉を聞いていたが、

「……あなた、もしかしたら死んでいたかもしれないのに」

「だが現に俺は死んでいない。それ以上の問題ではないだろう」

 ヒトリの詰問するような言葉も、ジークはさらりと流す。ヒトリはそれを聞いて、憑き物が落ちたような顔になった。そして、

「……ありがとう、ジーク」

 瞳を閉じ、深々と頭を下げた。

 ――礼はいい。俺としても政治的判断で動いたに過ぎない。

 ジークの中にはそんな言葉も浮かんだが、真摯な謝礼を不意にするのも無粋なので、素直に受け取っておくことにした。

「ヒトリ。お前にはいくつか訊きたいことがある」

 そう言うとジークはセリーヌに向き直り、

「セリーヌ。客人に茶の用意だ」

「かしこまりました」

 セリーヌは微笑み、小さく一礼した。


 程なくして、セリーヌが夜葉の紅茶と焼き菓子を運んできた。ジークはヒトリと部屋に据えてある小さな円卓に着き、セリーヌは茶を用意すると侍女らしく脇に控えた。

 楽にしていい、とジークは前置くと、話を始める。

「まず、お前の出自を訊こう。お前は、どこの人間だ?」

「…………」

 ジークの質問にヒトリは答えをためらう。ここが黒夜の王城であることを変に意識しているのかもしれない。ジークは彼女の心を解すように小さく笑んで見せた。

「何も心配することはない。大方お前がこの国の人間でなさそうなことは察しがついている。だからといってお前を無下に扱ったりはしない。ここは俺と、俺の父上の国の城だ。逃げ込んできた客人に手痛い真似をするような無粋な者は、俺の知る限りこの城にはいない」

「そんな輩はジーク様とその腹心の私達が追い払っちゃいますからね。ジーク様は器の大きな方ですから、ご信頼なさって大丈夫ですよ、ヒトリ様」

 それを押すようにセリーヌが加えて言う。ヒトリの表情から少しだけ緊張が取れ、かすかな笑みを見せた。紅茶を一口飲み、小さく息をした後、口を開く。

「わたしは、エルリニアの人間。黄昏の地平の、白の国の方に近い地域にあった村に、母さんと住んでいた。けど、ついこの間、白の国の兵士が現れて、わたしを――あれを狙って村を襲ってきた。母さんに言われてわたしは必死で逃げたけど、途中で傷を負って意識を失って……それで、気付いたらここにいたの」

 ヒトリの言葉を、ジークは一言一句聞き漏らすまいと吟味する。

 エルリニア地方は、黒夜の国の主地域となっているガルヴァイン大陸の、事実上の国境――光と闇の狭間の地帯、「黄昏の地平(トワイライトライン)」の一帯に位置する地方である。惑星を円周上に囲うこの一帯は領土の境界線を巡る両国の戦場となることが多く、周辺住民が住む場所を追われることも少なくない。

「つまり、お前ははるか遠くのエルリニアから、気が付いたらここに来ていたということか」

 ジークは彼女が小さく頷くのを見た上で、自分の訊くべきことを訊ねた。

「ヒトリ。お前を見つけた場所に俺が向かったのには、ある理由があった。俺は、空を飛ぶ極彩色の鳥のようなものを見つけて、それを捕らえるために鳥が落ちた現場に急行した。すると、そこにいるはずだったその鳥はおらず、代わりにお前が倒れていた。

 また、白の兵もその鳥を追って我が領内に侵入し、俺に対してお前を渡せと要求してきた。先程の話からしても、これでお前とあの鳥に関連がないとは思えない」

 心当たりはないか、とジークはヒトリに訊ねた。

 ヒトリは目を伏せたが、やがて観念したようにゆっくりと口を開いた。

「うん。それ……その鳥は、わたしなの」

 ヒトリの声は、静かな室内に小さく漂った。ジークは表情を変えず質問を続ける。

「お前があの鳥とは、どういうことだ。今ここにいるお前は人間に見えるが」

「同じってわけじゃないの。あれは、わたしの中にいる……宿っているものなの」

「なるほど……やはり『影霊シャドウ』の類というわけか」

 ジークは一人、合点するように言った。

 影霊シャドウとは、星核に宿る星霊の魂の一部とでもいうべき霊的エネルギー体であり、星核から滲み出てはこの世界の生命体に憑依し、そのものの内に存在を溶け込ませる。影霊に精神の大部分を支配されてしまうとその者は自らを影霊に喰われ、理性を失う。逆に影霊の力を制御し自分の力とすることができれば、その者は条理を超えた力を得る――というのが一般の見解である。

 星の鳥、影霊、ヒトリ――ジークの中で、少しずつ繋がりが見えてくる。

「では、お前が影霊として宿しているのが、あの『星の鳥』ということか?」

「たぶん、そういうこと。わたしは直接それを見たことはないけれど……わたしが生まれた時から、それはわたしの内にあったみたい」

 ジークの言葉に、ヒトリは頷いて、自分を抱きしめるように右腕を体に回した。

「今でも時々、さっきみたいな発作、っていうのかな……あれが起こるの。体が中からひどく熱くなって、わたしの中からそれの熱が溢れ出すみたいに。それは周りの人にも影響するみたいで、お腹が空いてるとき、気が付いたら周りの人が倒れてたこともあった」

「さっきのあれか」

「私とジーク様が倒れたあれですね……まるで、何かに魂を浸食されていくようでした」

 ジークとセリーヌが揃って合点する。ヒトリはそれを見て静かな声で言った。

「でも……今はだいぶおとなしいみたい。自分の中であれが暴れるのも感じない」

「そうか……それはよかった」

「そうですね。でももしあれが頻繁に起こるようだと、何かと大変です。ヒトリ様のお体にとっても、お世話をする時の安全上も……」

 セリーヌの懸念はもっともだとジークは思う。彼女のためにも、彼女をかくまう王城の人間のためにも、何か対策を考えなければならないか。

 思索をまとめたところで、ジークはさらに踏み込んだ話を告げた。

「まだ断言はできないだろうが、お前がもしあの伝説の星の鳥を宿しているとするなら、その力はこの世界の仕組みを変えるのに役立つかもしれない。そのためにも、お前には協力してもらいたい」

 ジークとしては事実をそのまま述べたに過ぎなかった。だが、それを聞いてヒトリはあからさまに怯えた表情になった。

 ジークは思案する。何かまずいことを言っただろうか。

「ヒトリ様……どうなさいました?」

 彼女の表情の変化を見取って、セリーヌもジークをフォローするようにヒトリに声をかける。

「あなたも、わたしの……あれの力が目当てなの?」

 ヒトリは顔を伏せ、痛々しさの滲み出るような声で言った。

「わたしは、白の国の兵士に村を追われて、母さんを殺された。それもみんな、わたしの中にいるあの子を狙ってのこと。わたしは、もうそんなふうに追われたくないって、利用されたくないって思って、あなたを頼ってきたの……なのに……」

 そう言うとヒトリは顔を上げ、恐れの映った揺れる瞳でジークを見た。

「わたしは……あの鳥を宿した器に過ぎない。わたしが壊れて役に立たなくなってしまえば、きっとあの鳥はまた器を移すだけ。わたしのことなんて、やっぱりあなた達にとっても役に立つモノでしかないの? あなたも……やっぱり、わたしを利用したいの?」

 そこには、力ある者の暴虐と思惑に弄ばれてきた一人の少女の傷ついた心が映っていた。それを感じ取った時、ジークは自らの不慮と失念を悟った。

 ジークは即座に考える。今、自分がこの少女に示すべきもの。

 望まずも宿した力のために、住む場所を追われ家族を失い、追われる身の少女。

 孤独と疲弊と怯え。そこにある深い心の傷を、ジークは感じないわけにはいかなかった。

 ジークは瞬きの間に心を決めると、ヒトリの揺れる瞳を真っ直ぐに見た。

「すまない、俺の言い方が不躾だった。お前はこの黒夜の国の客人であり、俺がこの手で救った女だ。俺はこの身と王族の誇りにかけて、お前を見捨てはしない。国益や世界の利益のために民やお前を犠牲にするようなことを、俺は絶対にしない。お前の身柄を預かる者として、お前の無事を第一に考えよう」

 誓約にも似たジークの言葉に、ヒトリはその真偽を見るように訊ねた。

「……本当に?」

「ああ。何があろうとお前は俺が守る。だから、その限りで、俺に力を貸してくれないか」

 真っすぐに向けられる力強い言葉と眼差しに、ヒトリは心を揺らされた。

「……誓ってくれる?」

「我が身と国の、誇りに誓う」

 誓いを立てるように、ジークは律と宣言した。

 ヒトリはジークの瞳を、彼の心の奥を探るように見つめていたが、やがてそっと瞳を緩めた。

「……まだ、全部を信じるわけじゃないけど。今はあなたを信じるしかないみたい」

 そして、ジークの手を取り、すがるようにぎゅっと握りしめた。

「約束……守ってね」

「ああ。必ず守ろう。我が身の誇りと誠意にかけて」

 ジークは揺るぎない瞳で、ヒトリの瞳を真っ直ぐに見据え、力強く告げた。

(ふふ……立派になっちゃって。さすがは私のジーク様ですね)

 セリーヌは、息子の成長を喜ぶような心持ちでその誓いの様を見ていた。


 これが、時の理を外れた惑星メルティジオルを夜明けへと導く二人――ジークとヒトリの出逢いだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る